気多神社

Last-modified: 2013-10-05 (土) 15:18:55
 

気多神社
けたじんじゃ
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(参拝日:平成25年1月5日)
住所:富山県高岡市伏木一宮字大平2063mapionlogo.gif
主祭神:大己貴命、奴奈加波比賣命
一宮:越中国一宮
社格:県社
主な祭礼:4月18日(春季例大祭)
webサイト:気多神社

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↑鳥居↑
(由緒:現地案内板より)
気多神社は養老二年(七一八)に僧の行基が創建したと伝えられ、また天平宝字元年(七五七)に、越中から能登国が分立した後、
越の大社と崇められていた能登の羽咋にある気多大社を、越中国府に近い現在地に勧請したともいわれている。

盛時には越中一宮として境内の周囲に神宮寺である徳証寺をはじめとする大伽藍が並立していたと伝えらえれるが、
寿永年間(一一八二)に木曽義仲、天文年間(一五三二~一五五四)には上杉謙信と二度の兵火で、ことごとく焼失したという。

現在の本殿は、永禄年間(一五五八~一五六九)に再建されたと伝えられる。

構造は三間社流造り、柿板葺きで、正面に一間の向拝を付け、軒は二重重棰である。斗栱は和様の三ツ斗で、
軒下両側の面柱の上は舟肘木を用いる。

向拝の斗栱は同じ三ツ斗で、正面の虹梁の上には彫刻した蟇股があるが、これは後代につけ加えられたものと思われる。
向拝の柱及び前面第一列に方柱を用い、他はすべて円柱である。正面の三面及び両側面の一面は吹通しとし、
意匠は簡単であるが、木割が大きく、全体に雄大な風格を備え、県内の社殿中もっとも優れた建築物である。

気多神社本殿は、室町時代の特徴が充分にあらわれており、作風が優秀であると評価され、
昭和六年一月十九日に国の重要文化財に指定された。

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↑拝殿↑
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↑清泉↑
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↑御興堂↑
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↑大伴神社↑
(以下、余談)
越中一宮を称する4社(気多神社射水神社高瀬神社雄山神社?)のひとつです。その中で地名に「一宮」が入っているのは当社のみです。
当社は能登・気多大社から養老元年(717年)に勧請、能登から分立した際に祀られたと考えられています。

階段上の「かたかごの丘」という場所は、越中国総社があったという伝承地です。
南東1kmに国衙跡とされる古古府、南東500mに国分寺跡とされる薬師堂がある中心地にあります。
『白山記』によると射水と当社が勢力争いをし、一宮になったそうです。

市街地に近いながらも、神社の傾斜は急で、アイスバーン状になった道路は車がスリップするくらいでした。
近くまで寄ることはできませんが、室町時代に再建された本殿が残ります。拝殿の横に回りこむとよく見えます。

この日は石川県から来たというスピリチュアルな方々が社務所にいました。
まったく初対面の私に対して、神主様のお話が非常にためになる、お蔭で毎日健やかに過ごしている、
ここの神社はパワースポットの中では段違いなど、そんな内容の語っていただきました。

正直言いまして、雲を掴むような内容が多かったので理解に苦しみましたが、神主様のお話を聞きに来たようです。
ちなみに神主様は不在でしたので、有難いお話は聞けずじまいでした。

信仰心のある熱心なお二人に別れを告げ、次の神社に向かいました。