日本/日本管制機

Last-modified: 2012-04-05 (木) 19:37:51

開発ツリー

機体名称開発Lv大日本国籍マーク
(メッサーシュミット Bf110)ドイツ管制機参照12日本 国籍マーク.jpg
(ユンカース Ju88)ドイツ管制機参照20
 └J1N 月光30
  ├D4Y2-S 彗星42
  |└D4Y3 彗星56
  |┏┛-
  └╂C6N1 彩雲42
    ┃└C6N2 彩雲改68
    ┗┳┛-
     ┣D4Y5 彗星102
     ┃└R2Y 景雲120
     ┗キ70 試作司令部偵察機102
      └キ83120


J1N 月光

  • 史実名称:J1N1 十三試双発陸上戦闘機
HIS画像史実画像(試作機?)備考
J1N.jpgJ1N1 月光s.jpg設計者:中村勝治,大野和男
製造社:中島飛行機
運用国:日本海軍
初飛行:1941年5月2日
総生産数:477機
運用開始:1942年
退役:1945年
開 発
LV
速 度機 動攻 撃防 御エンジン
温度
上 昇速 度下 降速 度機 銃機関砲後 方武 器
スロット
爆 弾
30455696522062
高高度--中高度防+5%低高度防+10%
  • 史実の記録
    昭和13年に13試双発陸上戦闘機として開発がスタートしたこの機体は 零戦を上回る最高速度や運動性、 九六陸攻と同程度の航続距離や航法装置を求めた海軍の過大な要求のために機体は大型化してしまった。このため戦闘機としては性能不足であった。
    過重や飛行安定性の不足などの問題があったが、ひとまずJ1N1-R 二式陸上偵察機として採用した。戦闘機としての採用はもはや断念したと思われたが、251空(旧台南空)司令だった小園安名中佐が中央の反対を押し切って、試験的に斜め上方に固定させたいわゆる斜銃を搭載した夜間戦闘機型を製作。これが南方戦線で大きな戦果をあげて、当機はついに夜間戦闘機 J1N1-S 月光として制式採用されるのである。なお月光は愛称ではなく正式名称。機体の仕様用途によりつけられる正式名称は当機がその第1号である。
    HISでは月光となっているが、J1Nの機体略号とHISの機体紹介ページの武装から、モデルは試作機 J1N1 十三試双発陸上戦闘機と思われる。なお後方機銃は再現されていない。
  • スペック(J1N1-R)
    ※ただし武装はJ1N1 十三試双発陸上戦闘機のもの
    全長16.980 m全幅12.177 m
    全高4.56 m自重4582 kg
    エンジン中島 栄二一型空冷複列星形14気筒(1100hp)×2
    最大速度507.4 km/h航続距離3745 km
    武装20mm固定機銃×1(機首)
    7.7mm固定機銃×2(機首)
    遠隔操作式7.7mm動力旋回連装機銃×2(後方)
    実用上昇高度9320 m乗員2名
    乗員内訳パイロット1名,射手1名?
    派生略号名称詳細
    J1N1-R二式陸上偵察機一一型後方機銃廃止。操縦員席と燃料タンクに防弾装備を追加
    J1N1-Sプレミアム機J1N1-S参照
    J1N1-Sa月光一一甲型上面斜銃を3丁に強化。一部機体には電探を装備
    ※J1N2-S月光一二型「金星」発動機搭載の出力強化型。計画のみ。呼称は予定のもの
    ※略号は推定

D4Y2-S 彗星一二戊型

HIS画像史実画像備考
D4Y2-S.jpgD4Y2-S 彗星s.jpg設計者:海軍航空技術廠、山名正夫
製造社:愛知航空機
運用国:大日本帝国海軍
初飛行:1940年11月15日(試作機)
生産数:536機(一二型系+二二型系)
運用開始:1943年6月(D4Y1)
退役:1945年8月15日
開 発
LV
速 度機 動攻 撃防 御エンジン
温度
上 昇速 度下 降速 度機 銃機関砲後 方武 器
スロット
爆 弾
424676106522162
高高度防+5%中高度防+2%低高度--
  • 史実の記録
    戦闘機に準じた機体強度と高速性能を持つことから、旧式化した夜間戦闘機月光の後継機として艦上爆撃機型D4Y2 彗星一二型に20mm斜銃を追加装備(試作機のみ30mm機銃)したのが一二戊型である。なお後上方機銃は斜銃装備のために廃止されている。
    なお一二型は発動機の不調に悩まされ、稼働率が低かった。
    HIS実装のD4Y2-S 彗星は斜銃がないのでモデルは夜間戦闘機型D4Y2-S 彗星一二戊型ではなく艦上爆撃機型D4Y2 彗星一二型と思われる。
  • スペック(D4Y2 彗星一二型)
    全長10.22 m全幅11.50 m
    全高3.175 m自重2635 kg
    エンジンアツタ三二型(離昇1400馬力)
    最大速度579.7 km/h航続距離2389 km
    武装7.7mm固定機銃×2(機首)
    7.7mm固定機銃×1(後上方)
    250kgまたは500kg爆弾×1(胴体)
    30~60kg爆弾×2(翼下)
    実用上昇高度10700 m乗員2名
    乗員内訳パイロット名,射手1名
    派生型名称詳細
    十三試艦上爆撃機ドイツのDB 601Aエンジンを積んだ試作機(5機)
    二式艦上偵察機型
    D4Y1-C二式艦偵一一型一一型を艦偵に改装
    D4Y2-C二式艦偵一二型一二型を艦偵に改装
    D4Y2-Ca二式艦偵一二甲型一二甲型を艦偵に改装
    艦上爆撃機型
    D4Y1彗星一一型熱田一二型装備。最初の量産型
    D4Y1改彗星二一型一一型をカタパルト射出可能に改装
    D4Y2彗星一二型熱田三二型に換装の性能向上型,風防前面の形状を改良
    D4Y2a彗星一二甲型一二型の武装強化型
    D4Y2改彗星二二型一二型をカタパルト射出可能に改装
    D4Y2a改彗星二二甲型二二型後席上方に機銃装備

D4Y3 彗星三三型

HIS画像史実画像備考
D4Y3.jpgD4Y3 彗星.jpg設計者:海軍航空技術廠、山名正夫
製造社:愛知航空機
運用国:大日本帝国海軍
生産数:536機(三三型系)
退役:1945年8月15日
開 発
LV
速 度機 動攻 撃防 御エンジン
温度
上 昇速 度下 降速 度機 銃機関砲後 方武 器
スロット
爆 弾
56678696622166
高高度防+5%中高度防+2%低高度--
  • 史実の記録
    初期型彗星の不調な液冷式発動機に変わり金星62型空冷式発動機に換装したのが本機彗星三三型である。
    当機は試作機を除き着艦フックが未搭載なので艦上爆撃機型ではなく陸上爆撃機型である。なので略号はD4Y3-Gとするのが命名規則的に正しいと管理人は思うが、大戦末期司令部もそこまで気が回らなかったのかも知れない・・・。
    HISでは夜間戦闘機型D4Y3-S 三三戊型を出すかと思いきや艦上爆撃機型のD4Y3 彗星三三型となっている。モデル的には間違っていない。HISでは日本機の急降下爆撃機ツリーがなかったために爆撃機でなく管制機という悲しい処置である。
  • スペック
    全長10.22 m全幅11.50 m
    全高3.175 m自重2635 kg
    エンジン金星六二型(離昇1,560馬力)
    最大速度574.1 km/h航続距離2911 km
    武装7.7mm固定機銃×2(機首)
    7.7mm固定機銃×1(後上方)
    250kgまたは500kg爆弾×1(胴体)
    250kg爆弾×2(翼下)
    実用上昇高度10500 m乗員2名
    乗員内訳パイロット1名,射手1名
    派生型名称詳細
    D4Y3-S彗星三三戊型三三型の夜間戦闘機型。大戦末期、一二戊型の代替として少数配備
    D4Y3a彗星三三甲型三三型後席上方に機銃装備
    D4Y4彗星四三型後席・爆弾倉扉廃止,防弾装備強化などの改修を施した簡易型
    俗に言う特攻機仕様である。

D4Y5 彗星五四型

HIS画像史実画像
D4Y5.jpg計画のみ
開 発
LV
速 度機 動攻 撃防 御エンジン
温度
上 昇速 度下 降速 度機 銃機関砲後 方武 器
スロット
爆 弾
1028799106622166
高高度防+10%中高度防+5%低高度--
  • 史実の記録
    発動機を誉一二型(離昇1,825馬力)に換装した型。計画のみに終わる。
    彗星は海軍が設計した数少ない傑作機の一つだが、実用化までに時間がかかりすぎてしまった。
    そのため戦線に投入された時には、その高性能も微妙なものになってしまったのである。
    ミッドウェー海戦の頃、艦偵としてでなく艦爆として実用化に成功していれば歴史も違ったものになっていたかもしれない。本機も流星改や烈風と同じく完成時期を逸した悲運の名機のひとつといえるだろう。
  • スペック
    計画のみ

R2Y1 景雲

HIS画像史実画像備考
R2Y.jpgR2Y 景雲s.jpg設計:海軍航空技術廠
製造社:海軍航空技術廠
運用国:大日本帝国海軍
初飛行:1945年5月
生産数:2機(内1機未完成)
開 発
LV
速 度機 動攻 撃防 御エンジン
温度
上 昇速 度下 降速 度機 銃機関砲後 方武 器
スロット
爆 弾
120889101077220106
高高度速+5%
防+10%
中高度速+5%
防+10%
低高度--
  • 史実の記録
    開発名称:18試陸上偵察機「景雲」
    当時の戦闘機を凌ぐ高性能を実現するために、様々な新機軸が盛り込まれたている。
    エンジンは高出力を確保するため、アツタ30型発動機を並列に組み合わせたハ70である。
    通常は機首に発動機があるが、景雲は胴体中央部に搭載し、4m超の延長軸で機首の6枚プロペラを起動させる形としていた。これはドイツから輸入したHe119を参考にしている。
    初飛行は飛行中にエンジン室内で火災が発生し、緊急着陸の上機体は小破。その後エンジンを換装中に空襲により破壊されていまう。わずか10分という飛行時間で景雲は失われていまう。試作2号機は組み立て途中で終戦となり、爆破処分され海中投棄されたそうである。
    なお景雲は製作途中で大戦末期の試作機種整理で計画放棄される窮地に追い込まれている。本機がジェット化が容易であることを理由に計画凍結されずにすんでいる。ジェット化容易とされた理由は、延長軸による駆動という、エンジンの位置による重心移動の少ない点もあるが、三車輪式の降着装置、インテグラルタンク、並列複座の機密室等による利点もあった。
  • スペック
    全長13.50 m全幅14.00 m
    全高4.24 m自重6015 kg
    エンジン愛知 ハ70 01型液冷倒立M型24気筒(離昇3400馬力)×1
    最大速度741 km/h航続距離3610 km
    武装景雲は非武装
    実用上昇高度11700 m乗員1名
    派生型名称詳細
    ※R2Y2景雲改景雲をジェット化した性能向上型。次期ツリー機有力候補
    機体データは推測値を含む。
    ※略号はあくまでもし生産されていたらという管理者仮想。

C6N1 彩雲一一型

HIS画像史実画像(戦後米国にて)備考
C6N1.jpgC6N1 彩雲s2.jpg製造社:中島飛行機・日本飛行機
運用国:大日本帝国海軍
初飛行:1943年
生産数:398機
運用開始:1944年6月
退役:1945年
開 発
LV
速 度機 動攻 撃防 御エンジン温度上 昇速 度下 降速 度機 銃機関砲後 方武 器
スロット
爆 弾
42657696522182
高高度防+5%中高度防+5%低高度--
  • 史実の記録
    開発名称:17試艦上偵察機。「彩雲」とは、虹色に輝く雲を意味する吉兆天象である。
    彩雲は世界大戦で唯一の偵察専用の艦上機である。だがしかし、彩雲が登場した頃にはすでに戦局は悪化しており、運用できる空母が存在せず彩雲は陸上からの運用を余儀なくされている。
    誉一一型を装備した試作機は海軍の要求を満たせなかったが、誉二一型に換装し、層流翼等を採用した改良型は当時の日本機最高速である639km/hをマーク。これが決めてとなり、1944年9月に彩雲はC6N1 彩雲一一型として制式採用される(これは手続き上のことで、実際は同年6月からすでに配備されていた)。なお量産型は誉エンジンの不調や低品質の燃料のため最高速度は610km/hにとどまっている。
    当機の高速性能を示すものとして有名なのはメジュロ環礁やサイパン島、ウルシー環礁などへの状況偵察を行って際、追撃してきたF6Fを振り切ったときに発した「我ニ追イツクグラマン無シ」(「我ニ追イツク敵機無シ」だったという説もある)の電文である。なおこのエピソードが有名すぎてあまり知られていないが、実は基地帰還後に「余計な電文を打つな!」と上官に𠮟られたという落ちがある。
    戦後に高オクタン価の燃料と米製エンジンオイルを使用し飛行させたところ、日本計測時を遥かに上回る694.5km/hをマークしている。当機の高速性能の完成度がいかにすごかったがうかがえるだけに、大戦末期の日本の燃料や材料事情の悪さが残念でならない。
    また終戦時に半数近くの173機が現存していたことからも当機の高速性能による生存性の高さが伺える。
    HISでは残念ながらその高速性能は再現されていない。初期型は普通の後方機銃だったので、斜銃が装備されているHISの彩雲は、夜間戦闘機型改造のC6N1-S 彩雲一一型であると断定できる(ただし大戦末期であったため[C6N1-S]の略号が存在したかは定かではない)。あとHISの彩雲は増槽(追加燃料タンク)装備状態である(胴体下の搭載物は魚雷にあらず)。
  • スペック
    全長11.00 m全幅12.50 m
    全高3.95 m自重2968 kg
    エンジン中島 誉 二一型(NK9H)空冷複列星形18気筒(1825hp)×1
    最大速度610 km/h航続距離5308(増槽時) km
    武装一式7.9mm機銃×1(後上方)
    20mm斜銃(夜戦改造のみ)×1or2
    実用上昇高度10740 m乗員3名
    乗員内訳パイロット1名,偵察手1名?,射手1名
    派生略号名称詳細
    17試艦上偵察機誉一一型搭載の試作機。のちに誉二一型に換装
    C6N1彩雲一一型誉二一型(公称1825hp)搭載の量産型。斜銃装備型も少数が生産された
    C6N2試製彩雲改C6N2 彩雲改参照
    C6N3試製彩雲改一C6N2に20ミリ斜銃を搭載した高々度夜間戦闘機型の計画呼称
    C6N4試製彩雲改二排気タービン付「ハ43」一一ル型発動機搭載の計画呼称
    C6N4試製彩雲改三別称彩雲二一型。艦上攻撃機(雷撃機)への転用型計画呼称
    C6N5試製彩雲改四機体を全木製化する計画呼称。部分木製化の計画もあった

C6N2 彩雲一二型

HIS画像史実画像(精密模型)
C6N2.jpgC6N2 彩雲改s.jpg
開 発
LV
速 度機 動攻 撃防 御エンジン
温度
上 昇速 度下 降速 度機 銃機関砲後 方武 器
スロット
爆 弾
688776106622184
高高度防+5%中高度防+5%低高度--
  • 史実の記録
    試製彩雲改。排気タービン付「誉」二四ル型発動機搭載の試作機。大戦には間に合わなかった。
    C6N1 彩雲が3翅プロペラにあるのに対し、彩雲改は4翅になっている。
    HISでの彩雲改は斜銃を装備したC6N2 彩雲改という仮想機体。大戦時に誕生していたらC6N2-S 彩雲二一型となっていただろう。なおこちらの彩雲改も増槽装備状態。
  • スペック
    基本はC6N1 彩雲と同じ。
    自重3239 kg乗員3名
    エンジン中島 ハ45 24型+日立92型ル212排気タービン過給機空冷星型複列18気筒×1

キ70 試作司令部偵察機

HIS画像史実画像備考
キ70.jpgキ70 試作司令部偵察機s.jpg製造社:立川飛行機
運用国:大日本帝国陸軍
初飛行:1943年2月
生産数:3機(内1機未完成)
運用開始:試作のみ
開 発
LV
速 度機 動攻 撃防 御エンジン
温度
上 昇速 度下 降速 度機 銃機関砲後 方武 器
スロット
爆 弾
1029888106622084
高高度防+5%中高度防+10%低高度--
  • 史実の記録
    キ70は昭和14年に100式司令部偵察機(以下100偵と略す)の後継機として開発が始まった。100偵の高性能に気をよくしていた陸軍はキ70に対し、途中で爆撃機能の追加や防弾装備の強化などの追加要求を提示した。高速機として開発が進んでいただけにこの要求どおりに作ったところキ70は総重量が10トン近くになってしまい、平凡な性能になってしまった。
    その後100偵の三型が開発されて高速性能(630km/h)を発揮し、これにより不要となったキ70は計画破棄に追い込まれ、試作3号機は組み立て途中で注意された。試作3号機は主翼面積を増大させ、またより強力なエンジンを搭載することで要求を満たすことを目指していた。
    日本軍上層部は過度な要求を機体に提示し、制作会社側はそれにむりやりあわせようとするために失敗している。高性能な零戦は防御が脆いなど何かしらの犠牲を生んでしまっている。
    機体にあった武装と要求をすれば高性能機はもっと誕生していたことだろう・・・。
    HISでは前方機銃・機関砲が存在し後方機銃がない。だが実際は逆であり、キ70は後方機銃のみ存在し、前方機銃・機関砲はない。
  • スペック(ただし青字は陸軍要求値)
    全長14.50 m全幅17.80 m
    全高3.46 m自重5895 kg
    エンジン三菱四式(ハ104M)空冷複列星形18気筒(1810hp)×2
    最大速度580(674) km/h航続距離3000 km以上
    武装7.92mm機銃×1(後方旋回)
    12.7mm機銃×1(尾部遠隔)
    爆装可能であること
    実用上昇高度11000 m乗員3名
    乗員内訳パイロット1名,偵察員1名,射手1名

キ83

HIS画像史実画像備考
キ83.jpgキ83s.jpg設計者:久保富夫
製造社:三菱重工業
運用国:大日本帝国陸軍
初飛行:1944年11月
生産数:4機
運用開始:試作のみ
開 発
LV
速 度機 動攻 撃防 御エンジン
温度
上 昇速 度下 降速 度機 銃機関砲後 方武 器
スロット
爆 弾
12099981077221106
高高度防+10%中高度防+10%低高度--
  • 史実の記録
    キ83は大日本帝国陸軍の試作戦闘機。日本で開発された航空機(日本陸海軍機)の中で史上最高速(686.2km/h@高度8000m)を記録したが、実用化を前に終戦に追い込まれた。
    試作機は全部で4つつくられたが、2号機は3月の試験飛行時に風防・天蓋が破壊されて飛散する事故を起こし墜落し、テストパイロットを殉職させてしまい、また、3号機・4号機は6月に行われた各務原飛行場への空襲によって破壊、焼失してしまった。残る1号機は試験飛行が続けられたが、終戦後に進駐してきたアメリカ軍に現地で接収されてしまっている。1号機はそのまま接収された松本飛行場で性能試験を受け、アメリカ軍機用のハイオクタン価燃料を使用し、高度7,000mにおいて計画値を大幅に上回る最大速度762km/hを記録したとされている。この記録は戦後の混乱にまぎれてしまい実は定かではない。そののち米本土に輸送されて性能試験がされたらしいが、この記録も焼却処分されてしまい記録資料は現代に伝わっていない。
    HIS実装のキ83は断定はできないが、恐らくキ83乙 司令部偵察機型と思われる(でないと管制機での実装はおかしいので)。あとキ83は実機には後方機銃は存在しない(HISに後方機銃があるのは間違い)。
    キ70は後方機銃が消えてしまっているのに後方が存在しないキ83には存在する・・・。まことに不思議な仕様であるBy管理人。
  • スペック(青字は計画値)
    全長12.50 m全幅15.50 m
    全高4.60 m自重5980 kg
    エンジン三菱 ハ43-11ル空冷複列星形18気筒(1720hp)×2
    最大速度686.2(704) km/h航続距離3500(増槽時) km
    武装30mm機関砲×2(前方固定)
    20mm機関砲×2(前方固定)
    50kg爆弾×2
    実用上昇高度12660 m乗員2名
    乗員内訳パイロット1名,?? 1名
    派生型名称詳細
    キ83甲--開発当初の名称。遠距離偵察機型
    キ83乙--キ83の司令部偵察機型。計画のみ
    キ95--キ83を小改造した司令部偵察機型(計画のみ)。次期ツリー機有力候補
    キ103乙--地上襲撃機型計画(計画中止)