No119 アーク・ロイヤル/元ネタ解説

Last-modified: 2021-07-21 (水) 19:00:44
所属Royal Navy
艦種・艦型航空母艦
正式名称HMS Ark Royal (91)
名前の由来Ark Royal 英語で王家の方舟という意味
愛称Ark
モットーDesire n'a pas Repos (Zeal Does Not Rest)
起工日1935.9.16
進水日1937.4.13(当時の映像)
就役日(竣工日)1938.12.16
除籍日(除籍理由)不明(1941.11.13沈没)
全長(身長)243.8m
基準排水量(体重)22000英t(22353t)
出力Admiralty式重油専焼缶6基Parsons式蒸気タービン3基3軸 100200shp(101589.7PS)
最高速度31.0kt(57.41km/h)
航続距離20.0kt(37.04km/h)/7600海里(14075.2km)
装備(1941)4.5inch連装両用砲8基16門
3ポンド単装高角砲4門
ヴィッカース2ポンド機関砲x48(6x8)
ヴィッカース0.5inch機関銃x32(8x4)
艦載機x72
装甲舷側:2.5~4.5inch 甲板:3.5inch 隔壁:1.5inch
建造所Cammell Laird,Birkenhead, Merseyside
(キャメル・レアード社 連合王国イングランド国北西イングランド地域マージーサイド州バーケンヘッド市)
  • イギリス海軍が建造した中型空母。
    巡洋艦から改装した空母フューリアスカレイジャスグローリアス、戦艦から改装した空母イーグル、商船改装のアーガスと、イギリスはワシントン軍縮条約における空母保有枠が大半改装空母で占められており、唯一空母として最初から起工されたのはハーミーズのみだった。
    そこで軍縮条約保有制限枠の残り2万トンちょっとを使って新造された空母が本艦である。
    保有枠の都合上同型艦はない。
  • 1935年に基準排水量22000トンの空母として起工され、38年に就役する。
    イギリス国内の主要なドックのサイズに合わせて水線長(水面部分の船体の長さ)は208mだが、飛行甲板はできるだけ長くしたかったので248mもある強烈な逆三角ボディ。
    飛行甲板幅も29mもあり、2万トン台の中型空母でありながら飛行甲板のサイズだけなら3万トン台の赤城レキシントンなどの大型空母に迫る。
    その上水面から飛行甲板までもかなり高く、トップヘビーを支えるため船体は太短い。
    イギリス周辺の荒れる北海での航行などを考慮し格納庫は密閉式で、航空機も艦内収容を基本としたため定数60機である。
    この他、英空母としては初めて(世界的に見てもかなり早く)一定の装甲を甲板に設け、舷側や水雷防御に関しても重点を置いている。
    その内訳は以下の通り。
    • 飛行甲板の主要区画は500ポンド(≒227kg)爆弾の直撃に耐えうる。
    • 舷側は6インチ砲の砲撃に耐えうる。
    • 水雷防御は750ポンドの炸薬を装填した魚雷(当時主流だった水上艦用21インチ魚雷の最大破壊力、潜水艦や航空魚雷はこれより小さい)に耐えうる。
  • 他にも煙突と艦橋を一体化させ右側面に配置した島型とした他、油圧カタパルトや新型の横索着艦制動装置など当時の最新技術を詰め込み、
    カレイジャス級の反省点を活かして対空火器の取り付け位置を見直すなど随所にこれまでの空母運用実績を生かされた本艦は高い完成度を誇っていた。
  • 1939年9月に第二次世界大戦が勃発すると、イギリスは当初空母を船団護衛に投入し、対潜水艦作戦を行うつもりでいた。
    しかし初期の対潜哨戒はまだまだ発展途上の上、Uボート部隊は空母を標的としたためかえって危険が高まり、この方針は早々に見直されることになった。
    アークロイヤルはUボートの初喪失となるU-39撃沈に貢献したが、英海軍は空母カレイジャスを失った。
  • 同月末、潜水艦スピアフィッシュがドイツ軍の攻撃を受け損傷していたところ、この潜水艦はたまたま近くにいた大戦艦ネルソンおよびロドニーの護衛を受けられることになった。
    さらにこの戦艦の護衛としてアークロイヤルも合流。
    基準排水量わずか670tの小さな潜水艦についた大仰な護衛を狙い、ドイツ軍はDo18飛行艇を偵察に繰り出した。
    アークロイヤルは艦載機スクアを発進させこれを迎撃、1機を撃墜する。この長く続く戦争における、英海軍艦載機初の戦果である。
  • しかし直後に偵察機からの情報を得て対艦用1トン爆弾を持ったJu88爆撃機4機が現れた。対空砲火の迎撃により被害はなかったものの、1トン爆弾が至近距離で炸裂した巨大な水柱をドイツ軍は命中したと誤認。
    戦果確認の為やってきた偵察機は護衛艦隊に空母の姿を認めなかったため、ドイツはアークロイヤル撃沈を大々的に報じた。
    しかしアークロイヤルは艦載機収容のため風上に向かって航走し、一時離脱していただけだった。
    イギリス側はアメリカの大使に入渠したアークロイヤルの無事な姿を見せつけ、ドイツ宣伝省は面目を潰された。
  • 10月に入ると南大西洋でアドミラル・グラーフ・シュペーが通商破壊に乗り出したと報告を受け、アークロイヤルはアフリカ沖に展開した。
    途中シュペーの補給艦であるアルトマルク号を発見するのだが、アルトマルク号はアメリカ商船に偽装していたためこれを見破れず見逃してしまう。
    (後にアルトマルク号は駆逐艦コサックにひどい目に遭わされるのだが…)
    ラプラタ沖海戦でシュペーがモンテビデオに逃げ込んだと報告を受けたアークロイヤルは巡洋戦艦レナウンと合流して一路追撃に向かおうとしたが、
    高速な空母と巡洋戦艦をもってしても到着までは36時間かかる見込みであった。
    そこでイギリス軍はモンテビデオにほど近いブエノスアイレスで「空母アークロイヤルが到着するから大至急燃料を用意してほしい」と発注をかけた。
    この情報戦によりシュペーは自沈を選ぶことになったのである。
    アークロイヤルはその後、損傷した重巡エクセターを護衛して本国に戻った。
  • 1940年3月から4月にかけてアークロイヤルは地中海に派遣され訓練を行う予定であったが、ノルウェー周辺の情勢が不穏になり、東地中海アレクサンドリアから地中海の西の入り口ジブラルタルに戻った。
    予感は的中しドイツはノルウェーへの侵攻を開始した。ドイツ本国やデンマークから進出してくるドイツ軍航空機により重大な被害が懸念されたため、英海軍は艦艇保護のため空母を必要とし、
    アークロイヤルとグローリアスを地中海から呼び戻した。
  • 4月下旬、アークロイヤルはグローリアスとともに出撃した。英海軍が艦隊防空のため空母を投入した初の事例である。
    この時アークロイヤルが装備していたのはスクア18機とロック5機、ソードフィッシュ21機と多目的用途のウォーラス1機で、グローリアスにはシーグラディエイター18機とスクア11機だった。
    いずれの機体もすでに性能的には見劣りがし始めていたが、艦隊の傘として奮戦した。
    ソードフィッシュは対潜哨戒や陸上基地攻撃に、スクアとグラディエイター、ロックは艦隊を敵航空機から守るため飛び回り、ドイツ空軍を寄せ付けなかった。
    しかしドイツがフランスに電撃的に侵攻し、ヨーロッパの情勢は大きく転換したため、連合軍はノルウェーから撤退することになった。
    撤退中の輸送船や商船護衛を行ったが、別働隊として動いていたグローリアスは駆逐艦アカスタアーデントとともに戦艦グナイゼナウシャルンホルストの攻撃を受けて沈没した。
    敵討ちのため15機のスクアがシャルンホルストの居るトロンハイムへ出撃したが、攻撃は失敗し、8機が戻ってこなかった。
  • 1940年6月、フランスの降伏に伴い、親独的なヴィシーフランス政府によってフランス海軍がドイツの手に渡ることをイギリスは恐れた。
    アークロイヤルは地中海に戻り、アルジェリアのメルセルケビールに配備されたフランス艦隊に投降を促したが交渉は決裂、メルセルケビール海戦が勃発し、アークロイヤルは戦艦ダンケルクを行動不能に追い込んだ。
    その後イタリア軍がギリシャへ侵攻しマルタ島への攻撃を開始したため、航空機輸送のため駆り出されたアーガスの護衛を行った。
    またギリシャへの輸送艦隊から敵の注意をそらすため、アークロイヤルはイタリアの空軍基地などに機動空襲を行い、首尾よく成功させている。
    その後アークロイヤルには自由フランス軍の連絡機が積み込まれ、ダカールなどヴィシーフランス植民地に自由フランスへの帰属を促すプロパガンダに従事した。
    7月から、イギリス本国では連日ドイツ軍による激しい空爆と、それを迎撃する戦闘機の空中戦が展開されていた。
    これに呼応してイタリアは8月中にもエジプトへ侵攻し、イギリスを本土と植民地の両方で締め上げようともくろんでいた。
    10月、アークロイヤルは修理と改装のため一度本国に帰還する。
  • 11月、アークロイヤルは地中海に舞い戻った。イタリア軍のエジプト侵攻さらにギリシャへの侵攻が始まっていたが、これはイギリス軍にとって予想の範疇だった。
    英陸軍中東司令官ウェーヴェル将軍はわざと後退してイタリア軍の補給線を限界まで引き伸ばし、疲弊している間に反撃の戦力を着々と整えていた。
    これに対し英海軍は海上からイタリアの補給路を締め上げ、さらにギリシャへ輸送部隊を送って支援した。
    イタリア戦艦ヴィットリオ・ヴェネトの攻撃を受けたりしつつもアークロイヤルは輸送部隊の護衛に成功する。
    この頃から歴戦の友だったスクアに代わり戦闘爆撃機フルマーが配備された。
    フルマーはスクアより100km以上高速で、7.7mm機銃8丁と重武装、軽爆撃機譲りの重装甲を備え、一撃離脱戦法でイタリア軍のCR.42戦闘機を圧倒した。
  • 12月、英陸軍はコンパス作戦を発令し、イタリア軍を北アフリカから一気に駆逐していった。
    アークロイヤルは一時大西洋で通商破壊艦の探索に乗り出していたが、地中海に戻るとこれを支援する。
  • 翌1941年1月、ドイツ軍が北アフリカ情勢に本格的に介入を始め、イラストリアスがドイツ空軍の攻撃で大破するとイギリスは危機感をつのらせた。
    地中海の玄関口であるジブラルタルはスペインからの租借地であるが、スペインは内戦の結果フランコ将軍率いるファシスト政権となっており、もしこれがドイツと呼応したらジブラルタルはたちまちのうちに失われてしまう。
    そこで英海軍はアークロイヤルにイタリアの沿岸部各都市を爆撃させ、スペインに地中海の優勢を誇示した。
    スペインもまたドイツ寄りであり東部戦線には義勇軍を派兵したものの、地中海の情勢に関しては敢えて静観を決め込んだ。
  • 2月、通商破壊に乗り出したシャルンホルストとグナイゼナウ追撃のためアークロイヤルは大西洋に繰り出した。高速のフルマーは偵察機として一度は二隻を発見するも取り逃がしてしまった。
  • 4月、北アフリカ情勢は大きな変化を迎えた、エルヴィン・ロンメル率いるドイツ北アフリカ軍団の到着により、英陸軍は一気に劣勢に立たされたのである。
    (ギリシャ防衛のため勝手に軍を引き抜かれたのも原因であるが)
    アークロイヤルはレナウン、クイーン・エリザベスらと共に輸送船団「タイガー」を護衛し、アレキサンドリア及びクレタ島への支援物資を輸送した。
    この船団はドイツとイタリア空軍の格好の標的となったが、ノルウェーで鳴らしたアークロイヤルの防空網はここでも存分に発揮された。
    フルマー戦闘機は数の上で圧倒的不利にも関わらず、艦隊の対空砲火とともに5倍近い敵機と渡り合い、タイガー船団を敵機から守り抜いた。
    空襲による損害は駆逐艦一隻の損傷のみという奇跡的な戦果であった。(輸送船2隻が触雷により沈没している)
  • 5月、アークロイヤルはジブラルタルから本国に向け全速力で航行していた。
    イギリスが誇る戦艦フッドがドイツの新鋭戦艦ビスマルクにより撃沈されたのである。
    ビスマルクは損傷しており、追撃のため英海軍は振り向けられる全戦力でビスマルク追撃に乗り出した。
    アークロイヤルから発進したソードフィッシュが、プリンス・オブ・ウェールズの砲撃で傷つき、重油の尾を引きながら逃走するビスマルクを捉えた。
    直ちに攻撃隊が発進したものの、第一次攻撃隊はビスマルクを追撃していた手前にいる味方の軽巡シェフィールドを攻撃してしまう。
    しかしこの誤認は思わぬ幸運をもたらした。ソードフィッシュの投下した魚雷の信管は磁気信管で、シェフィールドに全く命中せず不発・早爆に終わった。
    この結果を受けて第二次攻撃隊は全機信管を接触型に換装。ビスマルクの舵に命中弾をあたえて船速を落とさせ、撃沈に大きく貢献した。
  • その後地中海に戻ったアークロイヤルは危険な輸送船団の護衛に幾度も従事した。ギリシャとクレタ島は陥落し、マルタ島も陥落の危機にさらされていたが、
    マルタ島のK部隊や航空機はドイツ・イタリアの補給線を激しく攻撃し、ロンメルの補給を締め上げていた。
    これに対しヒトラーはレーダー元帥の忠告も聞かず、Uボートを地中海に送り込んでこれら輸送船団の攻撃を目論んだ。
    (映画「Uボート」におけるジブラルタル海峡突破はこの辺の話が元になっている)
  • 1941年11月、パーペチュアル作戦によりアークロイヤルはアーガスとともに37機のハリケーン戦闘機をマルタ島に輸送した。
    その帰り道、潜水艦U-81の雷撃を受け、船底近くに大穴が開き、大量の浸水により艦は急激に18度も傾いた。
    甲板に乗った爆撃機が海中に転落し、パイロット一名が死亡している。
    艦長はあまりにも急速に傾いたため沈没が早いと判断し(空母カレイジャスは同様の理由でわずか20分で沈没した)、
    総員退艦命令を発したが、アークロイヤルの傾斜はそこで止まったため、命令を撤回して復旧作業を初めた。
    しかしこの判断ミスの間にも進水は拡大し、また電源を喪失したため排水ポンプなども動かせず、曳航も不可能になったアークロイヤルは転覆し、沈没した。
  • その後艦長は判断ミスにより空母喪失の責任を軍法会議で追求され有罪の判決を受け、陸上基地勤務となった。(が、その後昇進して地中海方面の航空司令官として活躍した)
    しかし艦長の判断はある意味では正しかった。
    この空母沈没による犠牲者は、被雷部付近にいて水流に飲まれた船員1名と、転落死した航空機搭乗員のみで、1700人もの乗組員はほぼ全員が救助された。
    またアークロイヤルの戦訓からその後の空母は各所に補助電源が配置されている。

小ネタ

  • ビスマルクに乗っていたとされる船乗り猫オスカーはコサックに救助された後、不沈のサムと名付けられてアークロイヤルの艦内で飼われていた。
    その後アークロイヤルを曳航し、最後に救助に当たった駆逐艦リージョンに救出されたが、リージョンもその後沈没したため、ジブラルタルの基地勤務となった。
    この猫の経歴については近年その信憑性が疑問視されているが、アークロイヤル艦内で猫を飼っていたのは確かなようである。