基本スペック
駆動方式[FR]/ミッション[5速] 1981年発売
初期馬力[205ps]/カーナンバー:19-90
全長:4,620mm
全幅:1,675mm
全高:1,385mm
最高速度:350km/h
モード別カテゴリー | 称号 |
ST無敗 | 【首都高無敗】 |
夏休み称号 | 【伝説のR30使い】 |
ワンメイクバトル | 【鉄仮面キング】 |
エンジン形式バトル | 【直4選手権】 |
期間限定首都一TA・1 | 【伝説のR30】 |
期間限定首都一TA・2 | 【俺の鉄仮面】 |
備考:通称「ニューマン」「鉄仮面」の名を持つ6代目スカイラインの最終後期型モデル。
直進安定性は結構良い。最高速は平均的なレベルよりは少し伸び、加速も6RR以降は平均的なものとなっている。
車幅は数値上はそこまででもないが何故かシビアめで、全長も長い方。特にフロントの当たり判定が大きく、コーナーも適当に曲げてしまってはアンダーやオーバーが簡単に出てしまう。
コントロールが難しく的確なアクセルワーク、ステア操作が求められ、怠れば待っているのは壁やアザーカーとの接触である。
対接触性能は強い。FD等大抵の車は弾き飛ばせるし、守る事も容易だが、滑りやすいので過信は禁物。
かつては日産車の中では残念ながら最弱レベルとまで言われ、全体でもかなり弱い部類(現在でもまだ弱い部類だが…)に入るとされた。故にまず初心者には絶対オススメは出来ないものだったが、6になってテコ入れが入った。
以前からの強みであったブーストの強さ、ガリの固さはそのままに、コーナリング性能が大幅に向上。厨車と比べるとまだ滑るが、以前よりはかなりマシに思えるレベルまでになった。ただし当たり判定のシビアさは健在なのでそこには注意が必要。
6Rになり若干だがブーストが強化され、6RRでコーナリング性能がさらに少し改善された。とは言え相変わらず一番このクルマが生きるのは乱入対戦だろう。
上記の点から、初心者が振り回すにはクセが強い車なので、ある程度慣れてきた中級者向けの車になる。
だがやはり5DX+以前の印象の悪さ、偏っている性能の問題や他のスカイラインシリーズが強いからか使用者数はかなり少なく、マイナー車の部類に入る。
選択可能カラー
レッド | ブラック |
ガンメタリック | ブラック |
ホワイト | |
レッド | ガンメタリック |
更新回数及び追加カラー
1 | イエロー | 21 | レッド | ブラック2 | |
---|---|---|---|---|---|
2 | ガンメタル | 22 | シルバー | ブラック | |
3 | ブルー メタリック | 23 | ホワイト2 | ||
4 | ゴールド メタリック | 24 | レッド | ダーク グレー | |
5 | ワインレッド メタリック | 25 | イエロー | ダーク グレー | |
6 | ホワイト | ブラック | 26 | ピンク2 | |
7 | コーラル | 27 | ペールグリーン2 メタリック | ||
8 | ペールブルー メタリック | 28 | ベージュ メタリック2 | ||
9 | ピンク | ブラック | 29 | ダークグリーン2 | |
10 | ライト ベージュ | ダーク レッド | 30 | イエロー3 | |
11 | ダーク ブルー | シルバー | 31 | オレンジ | |
12 | オレンジ | ブラック | 32 | レッド | ダーク レッド |
13 | オリーブ | 33 | グリーン | ブラック | |
14 | グリーン メタリック | 34 | スカイブルー | ||
15 | ダークパープル メタリック | 35 | ピンク | ホワイト | |
16 | ペールピンク | 36 | ダーク ブルー | ライト ブルー | |
17 | マルーン2 | 37 | ピンク | ||
18 | ミントグリーン | 38 | ライムグリーン メタリック | ||
19 | レッド メタリック | 39 | ダーク レッド | ライト ベージュ | |
20 | ライト イエロー | ブラック | 40 | ダーク グリーン | オレンジ |
エアロパーツセット
A:Jenesisのフロントスポイラー、オーバーフェンダー、リアスポイラーの組み合わせ。
B:ライトポッドがつくラリー風。
C:次モデルであるR31型のGTS-R及びグループA仕様を意識したエアロ。
前後バンパーやフェンダーの形状が実際とは異なる。
AE86などと同じくツートンカラーでなくなる。 これまた旧車によくあるオイルクーラー外出し。
D:このエアロからサイドスカートが大きく変化するようになる。
E:
F:純正の下回りを強調したエアロにGTウイングがつく。
G:Aに対しリアディフーザーなどの現代風のエアロ。
H:80年代に活躍した、スカイライン・スーパーシルエットを意識したと思われるエアロ。
多少似ているが本物のスーパーシルエットはリアのバンパーが外れる他、ウイングはハイマウントーステーなど、完全に似せることはできない。
意識した物の為別の言い方をすれば「シルエット系の街道レーサー仕様」。
車種別ウイングBとダクト付きボンネットB,Dが良く似合う。
I:大型ダクトとライト下にダクトが付く。モチーフはR35(MY17)かと思われる現代風。このエアロ以降マフラーは両サイド出しになる。
J:フロントが笑った形状になる。バンパー周りがカーボン化され、ダクトが大きく見える。
K:張り出しエアロに、オーバーフェンダーが付くこちらも現代風な街道レーサー仕様。
ダクト付きボンネット
A:JSS仕様のボンネット。
カーボンボンネット(ダクト付)1:
B:「西部警察」のマシンRS-1・RS-2風、またはスカイライン・スーパーシルエット風の、左右端に垂直の整流用フィンが立ったエアロボンネット。Jenesis製のモノがモチーフか。
C:縦にギザギザしたダクトがつく。
D:ボンネットBに3つのダクトが追加されたような物。
カーボンボンネット(ダクト付き)2:端がカーボンになる。
カーボンボンネット(ダクト付き)3:
車種専用ウィング
A:ハコスカの車種別ウイングAと同じ板ッパネウイング。
B:スカイラインスーパーシルエットのウイング。
C:ドラッグウイング。
エアロミラー
旧車御用達、ビタローニ製の丸いエアロミラー。
カーボントランク
ワークスステッカー
スーパーシルエット・トミカスカイライン風、カラーが赤×黒固定になる。
純正のレッド×ブラックに比べ、少し赤が濃くなる。
サイドステッカー
雑記
- カメラアングルのせいでSKYLINE GT-R (KPGC10)やSUPRA 2.5GT TWIN TURBO R (JZA70)のように三人称視点のボディが大きく見えすぎる。
また、バグかミスかは不明であるが、黒いはずのドアミラーがボディと同色になっている。
- 本車はドリフトスピリッツにも登場しているが、湾岸マキシとは違いSKYLINE RS-X Turbo C*1と表記されており車名のロゴも異なる。
実車について
- 湾岸マキシに収録されているのはフロントマスクの形状などから通称「鉄仮面」と呼ばれたRSシリーズの後期型。*2フロントマスクやヘッドライトが騎士の鉄仮面に似ている…というのが由来(諸説あり)。その中でも赤×ガンメタがある事から、PLASMA(プラズマスパーク)シリーズに入った1984/8月以降の後期最終型と思われる。
当時のCMのキャッチコピー「ニューマン・スカイライン」とも呼ばれる事があるが、これはレーサーとして1979年のル・マン24時間レースで準優勝を成し遂げた俳優ポール・ニューマンがCMキャラクターを務めた事から。- 前期型の愛称は「3本グリル」。後期型と違いフロントマスクが大きく開口している。
- また、前期型と後期型はテールランプの形状も僅かに異なっており、後期型はテールランプのカバーに横線がある。*3
稀に前期型へ後期型用のテールランプを移植している個体も存在する。
- また、前期型はドリフトスピリッツに収録されている。
- ツートンカラーの下側は、実は黒色ではなく紺色である。
- 同車は当時、提携していた富士重工業(現スバル)でも製造されていたという話もある。日産内製と富士重工業製ではツートン下(紺色)の色味が若干違うと言われていたが、真相は定かではない。
- 最早同車のイメージカラーとなってしまった赤黒ツートンだが、初期型に赤黒は存在しなかったというのは意外と知られていない話である。
- 正確にはスーパーシルエットの人気に押され、デビュー後しばらくして特別仕様車『RSアドバン』にて2ドアHTに100台限定生産で販売。そこで即日完売という人気っぷりを見せた事で、次の一部改良時にカタログカラーになった…が、最終型では何故かカタログ落ちしてしまっている。
- 正確にはスーパーシルエットの人気に押され、デビュー後しばらくして特別仕様車『RSアドバン』にて2ドアHTに100台限定生産で販売。そこで即日完売という人気っぷりを見せた事で、次の一部改良時にカタログカラーになった…が、最終型では何故かカタログ落ちしてしまっている。
- 湾岸マキシ収録モデルの正式な型式名はE-KDR30。この車に搭載されているFJ20型エンジンは一般的な量産エンジンと違い、熟練の職人が経験に裏打ちされた技術で、ひとつひとつ手作業で組み立てていた。
また、FJ20型エンジンは旧プリンス自動車のGR8&S20型エンジン、古くは零式艦上戦闘機三二型に搭載された『栄二一』エンジン、局地戦闘機『紫電』及び『紫電改』、艦上偵察機『彩雲』等に搭載された『誉』エンジンの設計者、中川良一氏の血を受け継いだ"最後の旧プリンス自動車設計のエンジン"とされる。- 零式艦上戦闘機とは、第二次世界大戦で活躍した三菱重工業製の日本の戦闘機。
国内では零戦(ぜろせん・れいせん)、海外ではZero Fighter(ゼロ・ファイター)という通称で親しまれ、現在でも国内外に熱狂的ファンが存在する。エンジンは主に中島飛行機が生産した。ストーリーモードの81話~90話のサブタイトル「地上のゼロ編」のゼロとは、この零式艦上戦闘機の事である。
中島飛行機は戦後、富士精密工業*4と名前を変えた後にプリンス自動車に合併された。*5 - 航空機譲りの高い工作精度で組まれたとされるS20型の血を引く本機も、市販車用エンジンとしてかなり高い完成度を誇っており、かのRB26DETTよりも上と言われるほどである*6。
また、FJ20のベースエンジンはH20型という商用車用エンジンである*7ため、重たいが頑丈である。
- 零式艦上戦闘機とは、第二次世界大戦で活躍した三菱重工業製の日本の戦闘機。
- また、FJ20型はKPGC110型ケンメリGT-R搭載のS20型以来8年ぶりのDOHCエンジンであったため、GT-Rの名称を望む声も多かったという。
GT-Rの名称がつかなかった理由は、開発主管の桜井眞一郎氏の「4気筒モデルである以上はGT-Rとは命名できない」という考えから。そのためRS(レーシングスポーツ)というグレード名となった。
その証拠に、RSグレードはスカイラインの中で異例である4気筒モデルでの丸四灯テールランプが採用された。*8- ただ、S20型と同じくかなり気難いエンジンで、販売していた日産ですら調整しきれないと言われる程に神経質なエンジンだった。*9
メンテナンスフリーが進んでいた80年代のエンジンでありながら少しでも気を抜くとご機嫌斜めになったり、エンジンそのものと補機類の相性の悪さ*10などで泣かされたユーザーも多いという。*11また、FJエンジンは非常に振動の多いエンジンと知られており、本来であればフロント・ミッドシップの実現が可能であったのにも関わらず、振動対策で、エンジンはバルクヘッドから5cm以上も離されている。それでも尚、室内にはエンジンの振動が伝わる為、社外品でエンジンダンパーを付けるオーナーも多かったそうだ。*12 - DR30ではそれほど問題になっていないが、同じFJ20エンジンを搭載したシルビア/ガゼールRSはインマニやサージタンクの形状が変わったせいで極端にピーキーなクルマになった。この事から旧プリンス系統のエンジンと、日産系統のボディとの相性が悪い事が分かる。*13
だが、完璧に調整されたFJ20エンジンはメカ好きには堪らない音を奏でる。FJ20の荒々しいフィーリングを体験すると、後発であり優等生のSR20エンジンでは満足できないと言う人もいるくらいである。
それだけ話題になったものの、FJ20エンジンはわずか5年足らずで製造を終えてしまった。理由はコストがかかり、採算が取れなかった為である。
- ただ、S20型と同じくかなり気難いエンジンで、販売していた日産ですら調整しきれないと言われる程に神経質なエンジンだった。*9
- 上述の通り、湾岸マキシにおいては弱小性能車と扱われているものの、キャッチコピーである「史上最強のスカイライン」は伊達ではない。実車も峠などでは相応の技量が無ければ乗りこなすのは難しい車と言われていたので、湾岸マキシでも乗りこなせれば頼もしい相棒になるはずである。
- このようにGTーRの再来と持て囃された同車だが、ヘッドランプにスカイラインの「S」マークがあったり、ドアインサイドハンドルはこの頃らしくメッキ仕立てであったり、ハンドルコラムの裏側に小さなランプがあり、左側のスイッチを照らしていたりと、細部の一つ一つにまで気を使い、コストと手間を掛け、品質に拘って開発されたことがよく分かる。
特に、このRSーXはRSの中でもパワーウィンドウ・パワーステアリング・電子制御ATなどが標準装備されている豪華グレードで、特徴的なルーフのアンテナは、室内から角度を調整することができる。*14- また先述のケンメリから始まり現代のGT-R (R35)まで続く特徴的な丸型四連テールランプのデザインは、この鉄仮面で確立された物と言えるだろう。
開発時テールランプの処理で相当悩んでおり、スタイリングに影響を与えない解決策が見つかった為に採用されたが、ド派手なエアロパーツで武装され、スタイリングが大幅に変わったスーパーシルエットにも採用されたことを見ると、当時からスカイラインの象徴の一つだったのかも知れない。 - ちなみに、このモデルから3代続いたリアのサーフィンラインが無くなった。しかしボディー全体でサーフィンラインを表現しているとのこと。*15
なお、先代の「ジャパン」ことC210型スカイラインから始まった水平0指針メーターは受け継いでいる。
- また先述のケンメリから始まり現代のGT-R (R35)まで続く特徴的な丸型四連テールランプのデザインは、この鉄仮面で確立された物と言えるだろう。
- 本車は「スカイラインの父」として有名な桜井眞一郎氏が最後に開発責任者を務めたスカイラインである。
厳密には7代目のR31型スカイラインも途中まで開発責任者を務めていたが、開発終盤の運輸省(現在の国土交通省)に型式申請をする直前病に倒れて入院することとなり、急遽後継者としてプリンス自動車時代からの仲間で桜井氏の一番弟子である伊藤修令氏にバトンタッチした。- 余談だが、その後発売された「セブンス」「都市工学スカイライン」ことR31型スカイラインは本車と比べて大型化したボディや高級志向に振られた部分が歴代のスカイラインファンや自動車評論家などの各界から不評を買ってしまう結果となり、後継者の伊藤氏は直接開発指揮を取っていないにも関わらず不満をぶつけられる形となり悔しい思いをしたという。
そのため8代目であるR32型スカイラインでは伊藤氏が開発スタート時から直接指揮を取り、「これが私のスカイラインだ」と胸を張って言えるモデルに仕上げたと言われている。*16
- 余談だが、その後発売された「セブンス」「都市工学スカイライン」ことR31型スカイラインは本車と比べて大型化したボディや高級志向に振られた部分が歴代のスカイラインファンや自動車評論家などの各界から不評を買ってしまう結果となり、後継者の伊藤氏は直接開発指揮を取っていないにも関わらず不満をぶつけられる形となり悔しい思いをしたという。
- その他のスカイラインの例に漏れず代表作である特撮刑事ドラマ「西部警察」をはじめとして、ビデオシネマ「首都高速トライアル」、PS1の「レーシングラグーン」、PS2の「首都高バトル0」「グランツーリスモ4」といった様々なメディア作品に登場しており、今なお人気の根強いモデルである。
ちなみに、首都高バトル0とグランツーリスモ4では、前期型と後期型の2種類が用意された。- また「首都高速トライアル」では主人公の愛車として、有名チューニングショップであるTBOでチューニングされた前期型RSターボの個体が登場。
FJ20エンジンはオーバーサイズの鍛造ピストンなどで2.2Lまでボアアップされ、設定ではTD07タービン*17が組み込まれたフルチューン車両で公式設定では400馬力だが、実際は420馬力を発生させる。当時のチューンドRSとしてはかなりのハイパワーマシンである。 - 西部警察ではDR30こそ3台登場するが、いずれも前期型。「マシンRS」というシリーズで大門軍団のハイテクパトカーのひとつであり、劇中に登場したシステムの一部は現在のクラウン・レガシィB4など現実の警察車両にも採用される程、高い完成度を誇った。
撮影に使われた車両は北海道小樽市の「石原裕次郎記念館」で保存展示されていたが、残念ながら2017年8月末で閉館してしまった。現在は石原プロモーションの倉庫にて保管されているという。また、2017年11月に静岡県駿東郡小山町の「富士スピードウェイ」で行われた、1980年代の車のミーティングである「ハチマルミーティング」でRS-2・RS-3が展示・パレード走行が行われた。
ソース:あの「西部警察」の車両も登場! ハチマルミーティング2017 | トヨタ自動車のクルマ情報サイト‐GAZOO
- また「首都高速トライアル」では主人公の愛車として、有名チューニングショップであるTBOでチューニングされた前期型RSターボの個体が登場。
- RSの純正コンピュータはプログラミング精度が低く、そのまま追加インジェクターでチューンすると、シフトチェンジをする度にマフラーからアフターファイアを吐き出していた。
ノーマルでも、コンディションによっては信号待ちで停止中にエンストしてしまうことがあったらしい。後期型で多少改善されたのだが、焼け石に水程度でしか無かったという。*18- 現在ではパルサーGTI-R、S13・14・15シルビア用のCPUを流用する方法や、純正コンピュータを後付けのフル・コンピュータで置き換えてセッティングをやり直すという方法が確立されており、こうしてきっちりチューニングされたRSは今なお一線級の速さを見せる。
つまり、お粗末な制御系と貧弱な脚回りさえどうにかなれば、BNR34のフルチューンよりも最高速が伸びる。- ただしBNR34の時代は「谷田部やワーカムの設計速度を大幅に超過している事から、最高速テストは320km/h(200マイル)を超えた時点で計測打ち切り」となっていたという事情もある。320km打ち切りを行っていないBNR34だと、ドイツで343km/hを出したブリッツのR348や、ニュージーランドで346km出したヴェイルサイドのR34 STREET DRAGGが存在する。しかも両者共に公道を舞台にしたことから「路面や一般車の影響で踏み切れず、まだ余力を残した状態での記録」でこの速度である。
- 事実、オプション誌で330.2㎞を記録したKDR30が存在する。その個体はフロントの脚回りにS14型シルビア、リヤにBNR32型スカイラインGTーR用の脚回りをメンバーごと移植。エンジンはOS技研・2.4Lキット+トラスト・T88-33Dタービン仕様で、設定ブーストは1.6kg/cm。コンピュータはHKSのF-CON V-pro単体で制御。ミッションは同じくHKS製の6速ドグ。
ちなみにメーターで330km/hを確認してアクセルを抜いていたそうなのでまだまだ記録は伸びる可能性がある。さらに、最大許容ブースト圧が2.0kg/cmなので、ブースト圧にもまだ余裕がある。普段はゼロヨン仕様で、タイムはオーナードライブで10秒フラット。
- 現在ではパルサーGTI-R、S13・14・15シルビア用のCPUを流用する方法や、純正コンピュータを後付けのフル・コンピュータで置き換えてセッティングをやり直すという方法が確立されており、こうしてきっちりチューニングされたRSは今なお一線級の速さを見せる。
- 5代目である「ジャパン」ことC210型スカイラインを発売していた頃、ライバルのトヨタ・セリカはキャッチコピーを「名ばかりのGT達は道をあける」としていた。
これは当時既存のエンジンにターボをつけただけのスカイラインに対し、セリカは2バルブではあるもののDOHCを採用しており、明らかにライバルであるスカイラインを意識した内容だった。
それに対して、1981年8月に満を持して発売されたDR30型スカイラインRSは、DOHC 4バルブを搭載し「国産車唯一の4バルブDOHC/4バルブなしにDOHCは語れない」というキャッチコピーで売りに出され、2Lクラスで最強を誇った。- 当時のトヨタと日産はお互いを意識するようなキャッチコピーを多々使用(カローラとサニーの『プラス100ccの余裕』vs『隣の車が小さく見えます』等)していた。この争いは車種を替えながら、21世紀になってもしばらく続いていた。
- 1982年、トヨタはセリカやカリーナに日本初のDOHCターボである3TーGTEUエンジン搭載車を発売した。しかし、このエンジンは2バルブ。そこを突くように同年2月にRSにもターボ付きのRSターボを発売した。
日本初の4バルブDOHCターボであるFJ20ETは最高出力190PS/6400rpm、最大トルク23㎏/4800rpmを記録。メーカーが発表したゼロヨンタイムはハコスカGTーR(2ドアHT)の16.1秒を超え、15.5秒を記録(5名乗車時)。これを理由にカタログのキャッチコピーは「史上最強のスカイライン」に変更された。 - しかし、当時のパワー競争は激しく、三菱はスタリオンにターボを追加。2LSOHCにインタークーラー付きターボを装着し、最高出力175PS、最大トルクはRSターボを上回る25㎏を記録した。昨今の軽自動車の燃費競争同様、動力性能の数値でリードするのがスポーツカー開発における絶対条件だったのだ。
そこで1984年2月にはFJ20ETにインタークーラーを装着し、最高出力205PS/6400rpm、最大トルクは25㎏/4400rpmに上げられたRSターボを発売した。キャッチコピーは「クールに乗れ」。 - が、この当時のクルマとしてはかなりのハイパワーを誇っていた為、ディーラーの営業マンからは、「納車すると1週間で帰ってくる車」と呼ばれていた。事実、大半の車両はオーナーがそのパワーを制御仕切れずに事故を起こし、ディーラーに帰って来ていたとのこと。
- また矢継ぎ早にマイナーチェンジを繰り返した為、顧客からの苦情も多かったそうだ。
- 1982年10月…一部改良
195/60R15タイヤを標準装備、併せてアルミホイールを新デザインに変更、ファイナルギヤ比を3.900から4.111に変更、デフをR180→R200にサイズアップしLSDを標準装備など。
細かいところだとメーターの照明(照明色がオレンジ→グリーンに、警告灯類の文字色がオレンジ→白に)、ボディ耐食性向上の為サイドシル後端部にチッピングプロテクターをRSシリーズ含む全グレードに追加。 - 1983年2月…RSターボ追加
FJ20Eにターボ追加で最高出力は150PSから190PSに、ターボRS専用アルミホイールを設定(オフセット量がRS25mm/RSターボ30mm)。細かいところだとヘッドカバーの変更(初期のものと比べると厚みがある)。
同年5月…一部改良。ドアミラー標準装備
同年8月…マイナーチェンジ
ヘッドライトを偏平化、フードも造形を変更しグリルレスに(鉄仮面)、リヤテールランプの意匠及び構造の一新(バルブ容量変化による省電力化)、フロント、リヤフェンダー下部に樹脂製のマットガードを採用。RSは新デザインのスチールホイールに変更、RSターボはタイヤサイズを205/60R15に格上げしアルミホイールを新デザインにした。豪華装備のRS-Xを追加(マルチ・アジャスタブル・シート、ヘッドライニング表面の変更(ビニールからスウェード調に)、パワーウィンドウ、OPでオートクルーズコントロール(ASCD)や雨天感知ワイパーが選択可能等装備の充実化を図ったグレード)。
細かい所だと、メーターパネルのカラー変更(グレーからシャンパンゴールドに)、速度&タコ以外のメーター表示を変更(縦動き→扇状に)、ミラーリモコン部のL/R切り替えボタン(シーソー式→プッシュ式に)、ステアリングのホーンパットの形状変更、シガーライターがグリーンに、E/gのノックセンサーが圧電式に変更、ミッションの1.2速のシンクロ強化等、変更箇所は101箇所にも及ぶ。
同年10月…一部改良。RS-Xに電子制御AT車追加。
同年12月…特別仕様車追加。
50アニバーサリーバージョンをハードトップRS-Xターボに400台限定で追加。専用の車体色の採用(ガンメタ×赤茶)、ドアミラーのメッキ塗装、50周年記念の専用ゴールドキー、ボンネット、リヤトランクに専用エンブレムの追加、ハイタッチモケットシートの採用、高級システムコンポの採用がRS-Xからの変更点。 - 1984年2月…一部改良。
RSターボ、RS-Xターボにインタークーラー付きにし190PSから205PSにパワーアップ、フロントエプロン左側に冷却風導入口を設ける(ターボC)。
同年8月…一部改良。
RS-XのAT車にダウンシフト制御と自己診断機能を追加、点火プラグをプラズマスパークに変更、ドアミラーに折りたたみ機能追加。RSターボのファイナル比変更(3.900から4.111に)、ドライブシャフト、リヤサスペンションアーム、ショックアブソーバー、コンパニオン・フランジの形状変更。湾岸マキシ登場モデルはおそらくこのモデルだと思われる。
これでも変更点の一部であり、グレード、モデルによって異なる部分が多数存在する。
- 1982年10月…一部改良
- ここからもクラス最強、歴代最強のスカイラインを維持するために苦戦してた事が伺える。
- そしてこのKDR30も、スカイラインとは切っても切れない縁のあるサーキットレースで大いに暴れまわった。
当時熱狂的な人気を誇っていた「富士グランチャンピオンレース*19」のサポートレースとして開催されていた「富士スーパーシルエットシリーズ*20」に1982年5月から参戦。
パイプフレームで構成された市販のスカイラインRSとは殆ど別物の車体に空力効果の獲得を狙った巨大なフロントスポイラーや厳ついダクトが幾つも設けられたボンネットフード、大きく張り出した箱型のオーバーフェンダーとサイドスカートに巨大な門型リアウイングという凄まじい威圧感と迫力を持つエアロパーツで武装し、エンジンを市販モデルのFJ20型から四気筒のL型をベースに開発された2L直列四気筒DOHCターボのレース用エンジン「LZ20B型」をフロントミッドシップに搭載した怪物、「スカイラインRSターボ・スーパーシルエット」としてサーキットへ舞い戻った。- 長谷見昌弘(旧ハセミモータースポーツ・現NDDP監督)の駆るこのスカイライン・スーパーシルエットはサイドに設けられたマフラーからド派手なアフターファイアを吐き出しながら疾走するその姿から圧倒的な人気を獲得し、同じくシルエットフォーミュラ規定に則って開発された星野一義氏の駆るS110型シルビアや柳田春人氏の駆る910型ブルーバードと共に「日産ターボ軍団」「火を噴く三兄弟」と称され、BMW・M1 (E26)と熾烈な争いを繰り広げた。
その人気は本来のメインレースであるグラチャンを上回るレベルで、今もなおスカイラインRSといえば長谷見監督の駆るシルエットフォーミュラを思い浮かべるファンが存在する程である。
- 長谷見昌弘(旧ハセミモータースポーツ・現NDDP監督)の駆るこのスカイライン・スーパーシルエットはサイドに設けられたマフラーからド派手なアフターファイアを吐き出しながら疾走するその姿から圧倒的な人気を獲得し、同じくシルエットフォーミュラ規定に則って開発された星野一義氏の駆るS110型シルビアや柳田春人氏の駆る910型ブルーバードと共に「日産ターボ軍団」「火を噴く三兄弟」と称され、BMW・M1 (E26)と熾烈な争いを繰り広げた。
- 後にこのスカイラインRSターボ・スーパーシルエットは、屋根やボディの高さを低くしての空力改善・低重心化等の更なる大手術を受けて世界唯一のフロントエンジン・レイアウトのGr.Cレーシングカー「スカイライン・ターボC」として生まれ変わり、ポルシェ・956やジャガー・XJR-9といった純粋なプロトタイプ・レーシングカー達のひしめくGr.Cレースへと殴り込みを掛けた。
ドライバーはスーパーシルエットに引き続き長谷見昌弘が務めたが、流石にシルエットフォーミュラベースでは無理があった*21のか、毎レース完走もままならず、散々な成績で終わってしまったらしい。
ただ、それでもシルエット・フォーミュラ、そしてスカイラインの雰囲気を色濃く残したスタイリングからかその人気は根強いモノがあり、当時無敵を誇っていたポルシェ・956よりも人気だったとか。
↓スカイライン・スーパーシルエット
- スーパーシルエットでの勇姿が有名で影になってしまったが、Gr.A規格のツーリングカー選手権にも1985年から参戦し、翌年の'86年にはシリーズチャンピオンにも輝いたが、全体的に苦戦していたと言わざるを得ず、ボルボ等の海外勢はおろか、格下であるカローラレビンやシビックにも負ける有様であり、R31から開発主任になった伊藤修令氏は『次期R32型でGT-Rを作り、ツーリングカー選手権で世界制覇をする事を決めた。』と後年に話している。'85年と言うのは、R30型からR31型にモデルチェンジをした年であり、ニスモによる改良等があれど、戦力差は歴然で、次期モデルの投入が望まれたが、ハイソカー路線に走ったR31ではレースに向かないとされ、モデルチェンジ後も'87年にGTS-Rが登場するまでGr.Aレースで走り続けた。
- また、スーパーシルエットの後継として登場したJSS(ジャパン・スーパースポーツ・セダン)にも、'85年から数は少ないながら参加しており、S12型シルビアやSA22C、FC3Sといったロータリー勢と死闘を繰り広げた。こちらはR31がJSSに参加してきた後も'91年まで残っており、数台が現存していると言う。
- 市販モデルも圧倒的パワーからくる速さで、峠や首都高、ゼロヨンなどで走り屋達から圧倒的支持を受けた・・・が、直線番長のため、エンジンが突っ走って脚廻りやミッションが追いつかないことが多く、乗りこなせない事も多かった。
例えば、2.1L化+T04Bをレビックで制御した350PS仕様の場合......*22- 当時のハイグリップタイヤ(アドバンHFタイプD等)ですら3速までホイルスピン*23
- シフトチェンジの度にアフターファイヤーを吐き出す。*24
- 3500回転まではかったるいのにそこから離陸するかのような加速をするドッカンターボ
- 峠は終始オーバーステアとの格闘。ドリフトしようとするとボディが長い上、リヤが重いので急激な姿勢変化を起こし、さらにはターボラグもある為、ドリフトが続かない。*25
- さらには脚廻りが貧弱なので、コーナーではハチロク・180SX・S13シルビア・R32スカイライン・スターレット・シビックなどには歯がたたない。*26
- 車高を下げると轍などですぐハンドルをとられ、安定性が無くなる*27。また、オイルパンの位置が低いので、路面の凹凸でこすって穴が開くこともある。*28
- ミッションも弱く、シフトフィールはぐにゃぐにゃ。さらには2速のシンクロが弱く、強度も脆弱の一言。*29
- 上記のエンジントラブルの上、さらに水温センサー故障・インジェクターの詰まり・エアバルブとAACバルブとVCMバルブの汚れによるアイドリング不調*30・ライトの光量不足・デスビが振動で割れる・テールランプからの雨漏り*31・エンジン/ミッションマウントの劣化・燃料ポンプ・フィルターの詰まりなどなど。その他挙げればきりの無いトラブル個所。
- ......などなど数々の致命的弱点があるにも関わらず、この車だけが持つ「硬派な雰囲気」「じゃじゃ馬で、非常にピーキーな乗り味」「後発のCA、SR、RBとは違うFJ20が持つ独特の重低音やメカノイズ音」に魅せられ、この車で夜な夜な峠・高速道路・埠頭などに繰り出し、腕を磨いた人も多い。
湾岸マキシでは良くも悪くもこの車の特徴・特性が忠実に再現されていると言えよう。 - 因みに余談ではあるが、当時の走り屋達には湾岸マキシに収録されたHTではなく、セダンの方が人気があった。理由としてはボディ剛性がセダンの方が高い事が挙げられる。*32
- 上記の通り、数々のメディア出演、レース出場があった為、40代から50代くらいのオジサン世代には非常に人気が高い車である。*33
- マニアしか気付かないような事だが、ゲーム内で加速する時に同車を横から見ると、リヤタイヤが「ハの字」になっている。これは実車の脚回りを忠実に再現している為だと思われる。
3代目ハコスカから7代目セブンスまで続いたリヤ脚回りの形式「セミトレーリングアーム」は沈み込んだ時のキャンバー変化が非常に激しく、加速時にハの字になる特性がある。