帝国内戦

Last-modified: 2016-05-19 (木) 02:06:14
帝国内戦
宣戦側防衛側
チクレシュッテン=メクスフォルト=フォロノワ=シャーレン四重帝国リーゼンバウム侯国
カラシュ・セヴェリンルーンラント公国
ブランデー王国
南ヤーディア人国
ナシュール朝
中立国
立憲王政アーカルソン=リペルニア
期間
【第3期】ターン177~119 ターン147~153 ターン160~176
宣戦理由
カラシュ・セヴェリンの通行権要請をリーゼンバウム侯国が拒否
結果
四重帝国の崩壊と立憲王政アーカルソン=リペルニアの覇権確定

概要

ヤーディシア大陸南東部の皇帝派(チクレシュッテン=メクスフォルト=フォロノワ=シャーレン四重帝国(以下四重帝国),カラシュ・セヴェリン(以下カラシュ))と大陸北西部のカルヴァドス条約諸国(ブランデー王国、リーゼンバウム侯国、ルーンラント公国)及び南ヤード海両岸のゼーロルク宣言諸国(ナシュール朝、南ヤーディア人国)による戦争である。

当初カラシュの強力な戦力によって皇帝派が優勢だったが、次第に継戦能力の差でカルヴァドス条約諸国が押し返していった。さらにゼーロルグ宣言諸国の参戦により立場が逆転。最終的に四重帝国は瓦解、無主地への拡大とマルーリンゲン講和会議の主催等で外交的主導権を維持した立憲王政アーカルソン=リペルニア(以下リペルニア)が覇権を確定させた。

発端

ヤーディシアの大部分を睥睨する大帝国であったフォロノワ帝国の宰相メルコフの民族運動弾圧政策の反動で帝国は解体され、フォロノワ本土を再編成した四重帝国と分離独立したカラシュ・セヴェリン,ノイエ・ヴァレニエ王国,南ヤーディア人国,リーゼンバウム侯国,ルーンラント公国が成立した。

旧フォロノワ帝国圏による大陸秩序の再構築を図るため四重帝国が帝国議会(ヴォズメール会議)を招集。ノイエ・ヴァレニエとリーゼンバウムは帝国圏諸国が対等な立場である「連邦」構想を提案したが、四重帝国は旧来の皇帝至上主義に固執し、各国への宗主権を主張。
皇帝の態度に憤慨したノイエ・ヴァレニエが会議から退出し、ルーンラント、リーゼンバウム、ブランデーと共にヤーディシア連邦の設立を構想するが、連邦の地位をめぐる各国の意見の食い違いにより連邦成立会議は国際的影響力が低下したノイエ・ヴァレニエごと瓦解した。
しかしながら、このヤーディシア連邦設立会議は後のカルヴァドス条約の下地となり、反皇帝諸侯の結束を決定づけた点で大きな意義を持つと言える。

ルーンラントは崩壊したノイエ・ヴァレニエの旧領を併合、しそれに伴う総選挙を検討した。
当時のルーンラントは分離独立派が優位であり,それを危惧したアルツィエ辺境伯ら帝国帰属派が皇帝の許可の元クーデターを決行、テッツナー首相ら政府首脳部およびその支持者を殺害した。しかし間もなくシグリーズル公女ら分離独立派が反撃、帝国帰属派を粛清した結果、ルーンラントは四重帝国への徹底抗戦の構えを固めた。

四重帝国とカラシュはルーンラントを討伐すべく、竜骨山脈回廊(北部回廊)を支配するリーゼンバウムに通行権許可を要求するもリーゼンバウムはこれを拒否。両陣営の決裂は決定的となり、四重帝国とカラシュはリーゼンバウムに対し宣戦を布告した。

経過

カラシュ軍を主体とする北伐軍がリーゼンバウム侯国に侵攻。圧倒的火力によりリーゼンバウム軍は敗北、わずか1ターンでアルデナ地方を失陥した。リーゼンバウム軍を蹴散らした北伐軍はルーンラントの旧ノイエ・ヴァレニエ領に侵攻し、レンスベルクを占領した。

一方、戦前にカラシュの圧迫を受けていた南ヤーディア人国は、旧領を取り戻すべく独自にカラシュへ宣戦布告、同盟を結ぶナシュール朝グラーンダ王国(以下ナシュール朝)も介入を開始した。これに伴いカラシュ本土を防衛すべくルーンラント戦線のカラシュ軍が帰国、代わって四重帝国軍が北部戦線を担うこととなる。

そんな中、休戦期間中にもかかわらず四重帝国軍がリーゼンバウムへ砲撃を加え、リーゼンバウム軍が反撃したため予定された時期より早く戦闘が再開した。
5ターンに渡る熾烈な戦闘でリーゼンバウムは甚大な被害を受けたが,北伐軍は侵攻能力を失い撤退した。

同時期にルーンラントとブランデー軍がカラシュ占領地域に侵攻、ブライダルベールを占領した。これにより北西地域のカラシュ領はレンスベルクとアルデナ=シュタットに孤立した。

またカラシュ軍を主力とする南伐軍が南ヤーディア人国へ反撃を始めたが、ナシュール朝軍が背後を突き、カラシュ・帝国本土を強襲したことで皇帝派陣営が戦闘継続を諦め強制停戦を図った。

劣勢となったカラシュはマールリンゲンをリペルニアに割譲、リペルニア王家によるマールリンゲン公国が成立した。この旧ノイエ=ヴァレニエ領の都市は帝国及びカラシュ本土のある大陸東部と大陸北西部を短距離でつなぐルート上にあり、カラシュ軍が拠点とした帝国中部の要衝であった。
その後両陣営諸国は、衝突地帯の地域を次々とリペルニアに割譲。中立国による緩衝地帯が出現し、大陸北西部からすべての部隊が撤退した。

一方、四重帝国はナシュール朝の攻撃により南部諸都市を喪失、ナシュール朝はヤーディシア大陸に大きな地歩を築いていた。
敗戦を続ける四重帝国内ではクーデターが発生、穏健派のジャルカ公が皇帝を幽閉して政権を取ったことで、戦争は一気に講和の方向に傾いた。

終結

この戦役で唯一中立を保ち、帝国北方の辺境地帯にも勢力を伸ばして大国の地位を得つつあったリペルニアは、マルーリンゲンにおいて講和会議を開催した。
列国はこれに応じたものの、唯一ブランデーが出席勧告を無視。同国外交の迷走を指摘したリペルニアの勧告に対しても無言を貫き、ブランデーは両陣営の非難を浴びながら消滅した。遺領はリーゼンバウムとリペルニアにより分割された。

会議では四重帝国が連邦制の採用を提案するも、ルーンラントは帝国からの完全な独立を求めた。
交渉が膠着し、カラシュのフィアッセ公女が退席する中、四重帝国で反動クーデターが勃発、復権した皇帝が全世界への宣戦布告を発令し、突如戦争が再開された。
しかし間もなく行われたプラーグの会戦で四重帝国は諸国連合軍に敗北、皇帝は戦死して、フォロノワ帝国は名実ともに完全に崩壊した。

この戦争自体の勝者はカルヴァドス条約諸国及びゼーロルク宣言諸国であった。
しかし諸侯間の熾烈な闘争は双方の消耗によってリペルニアの伸張と覇権成立を招くこととなった。

参考文献

ヴォスメール会議
ヤーディシア連邦会議
帝国内戦に関する交渉場
マールリンゲン講和会議
ルーンラント公式戦史
当時の報道記事