『ひかりを求めて』後編
機体をがくがくさせながら、セイバーに抱えられたキラのM1アストレイがアークエンジェルに帰還する。ゆっくりとM1アストレイに立膝をつかせるように、慎重にアスランが下ろすも、自重を支えることも出来ないほどに疲労した関節は、脆くも崩壊した。
コックピットの中のキラは何とか辺りにある突起にしがみ付き、落ち着いたところでハッチを開けて飛び降りた。
「キラ!」
そこで待っていたのはサイとミリアリア。昔からの顔馴染みの彼らは、心配そうにキラに駆け寄ってくる。
「なんて無茶なことを――!」
疲れたキラの顔とボロクタになったM1アストレイを交互に見やり、サイは怒りにも似た声色で言う。正直、こんな風にやられるとは思わなかったサイは、キラを止められなかった自分に対しても腹を立てているのだろう。
「何とかなったよ」
「何とかじゃないだろ! こんなになって――インパルスが助けてくれなかったら…お前は死んでいたんだぞ!」
「サイ……」
激情するサイを、ミリアリアがいさめる。
「でも、僕がやらなかったら、きっとアークエンジェルは沈められてたかもしれない。エマさん達が言っていたメガ粒子砲ってやつは、本当に危険なものなんだ。今のアークエンジェルが狙われていたら、こんなものじゃ済まなかったはずだ」
「けど…死ぬところだったんだぞ! …なんでお前はいつも――」
自己犠牲的なキラの精神が、アークエンジェルを幾度と無く救ってきたこともあった。しかし、それは当時最新鋭であったストライクやフリーダムを駆っていたからであって、加えて彼しかMSを扱える人間がいなかったからという理由もある。
今回のようにザフトのミネルバがいて、扱える機体がM1アストレイしかない状態で出て行ったキラの行動にはどうしても疑問が残る。確かにM1アストレイで3機を引き付けたキラの判断と技量は驚異的で、2年前と比べても遜色の無い動きをしていたと思う。
しかしサイは、彼の性質は理解しているつもりだが、依然と何も変わっていない事が不満だった。
「今回は、俺達の戦力も大幅にダウンしている状態だった。正直、キラ抜きで防ぎきれたかどうかは自信が無い……」
その時、セイバーから降りてきたアスランが会話に入ってきた。彼も初めての核融合炉搭載型MSとの戦闘で、神経を随分とすり減らしたようだ。表情が若干疲れで歪んでいるのが覗える。
「けど、彼の言うとおりだぞ、キラ。お前がアストレイを動かそうとすれば、必然的にああなるって事は始めから分かっていたことじゃないか? まさか、それが分からないほどに勘が鈍っていたわけでもないだろう?」
親指でM1アストレイを指差し、アスランは言う。彼も、キラの突発的な出撃には疑問を感じていた口だ。
「これからも死にに行くような戦いをするつもりなら、お前をこのままアークエンジェルに乗せておくわけにはいかない。オーブでカガリと一緒に待っていてもらうぞ」
「アスランは僕の保護者気取りなの?」
最近の傾向なのか、強めに言うアスラン。そんな彼に、おとなしいキラが珍しく反抗の意思を見せた。意外なことに、反論されたアスランのみならず、サイやミリアリアも驚きに表情を強張らせる。
キラはそんな彼らの反応に気付いていたが、気に入らなかった。彼の目標は、もう一度誰かに頼られるようになること。それが、こうして心配ばかりされている内は、他人の優しさもストレスに感じてしまう。
彼がそう考えるのは、完璧なコーディネイターとして“造られた”存在だという生い立ちに関係しているのかもしれない。クルーゼは、キラの存在を争いを拡げるだけの負の要素と決め付けていた。仲間はそんな彼でも必要と認めてくれた。
それは、とてもありがたい事であると思う。しかし、ここ2年間のキラに対する彼らの対応は、まるで腫れ物を触るかのような慎重さが見え隠れしていた。それを受けるキラにしてみれば、奇妙な感覚だっただろう。必要以上に気を遣われているのが、逆に心苦しかった。
だから、キラは戦いを決意して必死にもがいている。多少の無茶は承知でも、自分がやれるところを見せれば、周囲にいる人間の対応も変わってくるのではないだろうかと考えたのだ。
他人の為に必死になればなるほど、その分だけ信頼と信用を受けられる――そう考えていた。
「キラ……」
「僕にできることなら、何でもさせて欲しい。そうでなくちゃ、意味が無いんだ。僕は、みんなに守られるために居るんじゃない――みんなを守るためにMSに乗るって決心したんだ。だから、僕の気持ちもみんなに考えて欲しい…プライドなんだ」
誇りを口にするキラ。しかし、その言葉が余計に周囲に心配を掛けさせることに、彼はまだ気付いていない。
「そう…それじゃあ、次の出撃には私が出ないとね」
「そういう事じゃいないんです、中尉。ティターンズは、メガ粒子砲を持ち出してきたんですよ? いつまでもムラサメなんかじゃ、戦えませんよ」
「そうだけどね――」
ルナマリアと別れた後、言ったとおりにカツはエマの部屋を訪れていた。相変わらず包帯に巻かれている彼女は、しかし思ったよりは元気そうだった。
「今回は、アッシマーが出てきたんです。アスランさんが苦戦するほどの相手だから、きっと地球で襲ってきたスードリの指揮官だった人だと思いますけど」
「そうね…こちらもカミーユの奪ったMk-Ⅱを使えるようになれればいいのだけれど――」
「ザフトは新型の開発に余念が無く、モルゲンレーテはカミーユの到着待ち…まだ時間は掛かりそうですね」
ジェリド達がスローター・ダガーの性能に文句が出始めているのと同じように、エマもカツもムラサメの性能の限界に気付き始めていた。空中戦が不自由なく出来るという利便性は否定しないが、何よりも火力が弱すぎるし、メガ粒子砲に対して装甲が脆すぎる。
核融合炉搭載型MSを相手にするには、どう考えても同じ土俵に立たねば、対抗の仕様が無い。こちらがいくら必死に攻撃を加えようとも、メガ粒子砲に掛かれば一撃でこちらはアウトなのだから。
それを打開するためのガンダムMk-Ⅱと、カミーユの協力である。彼には、Ζガンダムの完成の基となった設計を行ったことがあった。
それはガンダムMk-Ⅱにリック・ディアスの装甲を付け足し、フライング・アーマーを装備させるだけのものであったが、高い完成度を誇ったΖガンダムを見れば、彼のアイデアが如何に優れていたかが見て取れる。
「ところで、バルトフェルドさん達は元気ですかね?」
「アンディだって、唯のコーヒー好きではないわ。やるべきことはしっかりやっているはずよ」
「確かに…最初は怖い人でしたものね」
オーブを離れて、結構な時間が過ぎた。アークエンジェルに彼が乗っていなかったのは意外だったが、恐らくオーブを守るために考えた末の決断だったのだろう。
そのアークエンジェルは、未だにオーブに帰還できずに地中海をうろついている状態だ。損傷があるとはいえ、いつまでもオーブを野放しにしておくことは出来ないはず。
ファントム・ペインのしつこさが無ければ、とっくにジブラルタル基地で修理を受けている状態であっただろう。
その指揮官であったと言っているネオ=ロアノークの部屋に、アスランは訪れていた。深夜の出撃で疲れているが、新たに加わったアッシマーに遭遇してしまえば、そうも言っていられない。彼が少しでも情報を持っているのなら、それを聞き出しておきたかった。
部屋の中に入ると、そこには手足を施錠されたネオが、こちらを横目で睨みつけてきた。
「こんな時間に尋問か?」
「先程の騒ぎを知らなかったとは言わせませんよ。あなたが指揮していたファントム・ペインという部隊の残党が、夜襲を掛けてきたんです。あなたを救出するつもりだったかもしれませんね」
その割にはあっさりと引いていったように見えた。アスランは、ふてぶてしくベッドに横たわるネオに対して皮肉を言ったつもりだ。
しかし、当のネオはそれに気付いているのかいないのか、表情を全く崩さずにアスランを睨みつけたままだ。
「フン、私の命令無しにあいつらが動くとは思えん。大方、私の失踪がMIAに認定されたのだろう。そうとなれば、ファントム・ペインには新任の指揮官が派遣されたと見るがな」
「連合は、随分と切り替えが早いのですね? まだあなたが生きていらっしゃるというのに」
「ファントム・ペインは、特別な資本が投入されて運営されている部隊だ。だから、連合の上層部が何と言おうと、スポンサーの意見は真っ先に受け入れられる。部隊の機能を維持するためには、素早い切り替えが必要不可欠なんだよ」
「つまり、あなたは見捨てられたと……」
「知らないだけさ、私が生きていることをな」
少し、ネオの視線が泳いだ。結局、彼は出資者であるジブリール等にいいように利用されているだけに過ぎない。それは、分かっていた。
ただ、残してきた3人の事がどうしても気になって仕方ない。こうしている間にも、デストロイの実戦配備は着々と進められ、そのパイロットに彼等の名前が候補として挙がっているだろう。
「…今回の戦闘――」
アスランが沈黙を破って口を開いた。
「連合の新型・核融合炉搭載MSと遭遇しました。こちらの情報では、あれが“アッシマー”という名前のMSであることは分かっています。あなたは、これについて何か知っていることはありませんか?」
ネオは少し体を起こし、アスランに顔を正対させた。近い内にジェリド達4人の為に核融合炉搭載型MSが支給されるという話は聞いていた。恐らく、それもシロッコという男の差し金なのだろうが、それにしては少しタイミングが早すぎると感じた。
話では、地中海での作戦が終わった後に、デストロイの投入と時期を同じくして支給されるはずだった。
尤も、実際にはネオのMIA認定で急遽ブランが配置される事になり、それのせいでアッシマーはファントム・ペインに投入されただけだ。ゆえに、アッシマーの配備は予定外の事態。しかし、それがネオを混乱させていた。
アスランに問い掛けられ、ネオは考える。アッシマーが配備されたという彼の話が本当であれば、デストロイによるヨーロッパ侵攻作戦の開始は近いのかもしれない。それは、ネオが予想していたよりも遥かに早い。
「部隊を離れている今の私には、“アッシマー”というMSがどんなMSなのかは分からない。しかし――」
言ってしまっていいものだろうか。先日はぐらかした答をこの場で話せば、デストロイの存在をザフトに知られてしまうことになる。それは、連合軍の戦略に対するネオの背信行為だ。
ただ、彼にとっては軍の命令と同じくらい3人の事が大切だ。都合の良い話だが、いいように戦争に使っておきながらも、あのような少年達の父親役を演じられた事は、戦争で荒んでいく自分の心の中に花を咲かせてくれた。
3人の中では一番落ち着いているスティング、3人の中で一番やんちゃなアウル、そして、3人の中で一番おっとりとしているステラ。彼らと接した時間は、楽しかった。
デストロイは、そんな彼等を遂には機械に仕立て上げる鬼畜の兵器である。エクステンデッドとして普通に生活することも出来ない彼等が、更にその様な仕打ちを受けるのはネオの良心が許さなかった。
3人の“兵器”利用は、絶対に止めなければならない。しかし、今のネオは囚われの身。勘違いしているとはいえ、時間が無いと焦っている。
「何ですか?」
言葉に詰まったネオに、アスランが怪訝そうに訪ねてくる。軍人としての自分は、捨てなければならないのか。責任の放棄は、軍人としては絶対にやってはいけないこと。その禁を、自分は犯そうとしている。
どうせMIA認定されて切り捨てられた身だ。そういったやけくそに似た思いもある。ならば――
「核融合炉搭載型がJ.Pジョーンズに配備されたのなら、近い内に連合軍によるヨーロッパ攻略の一大作戦の発動が近づいていると見ていい。確か、そういう話になっていたはずだ」
「本当ですか?」
「あぁ」
機密情報を漏らしたネオには疑問を抱かざるを得ない。彼はムウだと主張するキラの気持ちも分かるが、彼自身が否定しているし、何よりも彼が生きているはずが無い。だから、一概にネオの情報を信じることなど出来なかった。
「信じられませんね。どうして、そんな事を教えてくれるのですか? いくら何でも、急に機密情報を我々に漏らしてくれるなんておかしい」
不審がるアスラン。嘘情報なのではないかと、疑っていた。それも尤もだろうとネオは思い、一つ間を置いて言葉を返す。
「…その作戦は、ユーラシア西部から徐々にヨーロッパ方面に攻め込むもので、モスクワやベルリンなどの親プラント勢力の駆逐を行うのが目的だ」
「イベリア半島にはジブラルタルもあるのですよ? ザフトが、そんなものを放置しておくわけがありません」
「無駄だよ。我々は、核融合炉という動力を得て、“デストロイ”という兵器を完成させた。その機動兵器が通った後には、草木一つ残らん」
「脅しを掛けても無駄です。ザフトが、それを看過するはずがありません」
「だから、頼むんだ、お前達に」
「はぁ?」
わけが分からないといった表情でアスランはネオの顔を見た。まっすぐ、淀みの無い瞳でこちらを見つめてくる。
「そのデストロイには、エクステンデッドと呼ばれる者がパイロットとして予定されている。パイロットといえば聞こえはいいが、その実態は生体CPUだ」
「それが、何だって言うんですか?」
「その生体CPUに、私の部下だったエクステンデッドが選ばれる。それを、お前達に止めて欲しいんだ」
部下とはいえ、エクステンデッド。連合の軍人が、自ら仕立て上げた強化人間に情を持つことなどありえない。アスランは、ナチュラル全てが愚かなのではないと信じているが、こと連合の軍人に対してはそうは思えなかった。
何の罪も無いユニウス・セブンに核を撃ち込まれ、その時に母親を亡くした。それが発端となり、プラントと連合は開戦し、プラント本土にまで核の矛先を向けられた。
それは何とか回避できたものの、そんな事をされれば父が巨大ガンマ線砲であるジェネシスを使いたくなる気持ちも今なら少しは理解できるような気がした。
父とは違うと言い聞かせようとも、母親がナチュラルに殺されたという事実には変わりない。そして、それが一部の連合軍の者による愚行であると理解している。
そんな連合の軍人であって、大佐という要職に就きながら情を訴えてくるネオは、明らかにアスランの目には胡散臭く見えていた。
「エクステンデッドが、あなた方の傲慢による産物だということは知っています。こちらには、先日訪れたロドニアのラボから持ってきた資料もある。そんな連合の軍人であるあなたが、どうしてそんな事を言えるのです?」
「私が彼等をエクステンデッドに仕立て上げたわけではない。それに、これでも精一杯人間として接してきたつもりだ」
知ったことではない。ネオが何を言おうとも、証拠の無い証言では話にならない。
「――それに、資料には彼等の精神を制御する為に“ゆりかご”なる存在があると書かれていました。それを、あなたも使っていたのではありませんか?」
「それは――」
ジェリド達と組ませるには、それが最も効率が良かった。短時間でお互いの棘を無くすには、精神操作による嘘の記憶で既成事実を作り出し、彼等の方から変える。しかし、ネオのとった手段は、彼の思いとは明らかに矛盾していた。
アスランは言葉に詰まるネオを見て、恒常的に精神操作が行われていたと確信する。
「人道を口にする割には、あなたの行動はあまりにも不適格だ。信用できません」
「しかし、放っておけば否応なしにあいつらは兵器として心も体も戦いに支配されていっちまう! それを阻止するためには、ああするしかなかったんだ!」
感情的になるネオ。それが演技とすれば、大したものだと思う。ザフトの戦略を乱すために、こうまで出来るネオは軍人の鑑だ。だからこそ、アスランは気を抜けない。なぜなら、彼は何度も死闘を繰り広げたファントム・ペインの“元”指揮官なのだから。
冷ややかな視線で、体を前のめりにするネオを見つめた。
少し取り乱したネオは、自分の滑稽さに気付き慌てて取り繕った。図星を言い当てられたとはいえ、普段冷静なはずの自分が取り乱すのはらしくない。しかし、裏を返せばそれだけ彼らに対して深い情を持っているという事になる。
「取り敢えず、確証のない情報を、はいそうですかと素直に信じ込めるほど我々も甘くない。報告だけは、一応しておきますがね」
これ以上は無駄だと思い、アスランは監禁室を後にする。それを見送ったネオは、ベッドの上に仰向けになって暗がりの天井を見つめた。
果たして、あのような反応でデストロイが出てきても止めてくれるだろうか。捕らえられてしまっている今、既にデストロイの投入を止める術が無い。
ネオは、誰もいない部屋で笑い出した。まるで、自分を笑うように、天井に向かって力の無い笑い声を放つ。言うべきことは、言ったつもりだ。後は、それを受けたザフトがどう捉えるのかだけ。
暗闇が、ネオの不安を更に掻き立てる。拘束された連合軍大佐は、笑ってしまうほど無力だった。
通路の真ん中でドアの前に立ち、ずっと考え込んでいる。ドアの横に掲げられている案内板には、救護室を意味する赤十字があった。
ルナマリアはカツと別れた後、本当は医務室に来るつもりは無かった。彼の言うことを聞くのが癪だったし、戦いで疲れているのも確かだった。しかし、彼女の足は、自然とまっすぐに医務室の前までやって来た。
正直、どうしてここに来てしまったのかは分からない。シンを心配する気持ちはあるが、それが恋愛感情とは違うと思ってきた。向う見ずな彼が、年下の弟のように思えただけと、メイリンを妹に持つ自分だからこその感情と割り切っていたつもりだった。
そう、医務室にきてしまったのは、弟的なシンが心配だからだ。そう思えば、何も真剣になる必要は無い。いつもどおりに接してやればいいだけの話だ。
中へ入ろうと一歩踏み出した時、不意にドアが開いた。中から出てきたのはレイ。彼もルナマリアと同じくシンの見舞いに来たのだろう。表情は相変わらず変化なし。シンがどのような状態なのか、読み取ることは出来なかった。
「どう、シンは?」
「薬のお陰で熱は下がったが、少し様子が変だ。ルナマリアの言うとおり、精神的に参ってるのかもしれないな」
「そう……」
「ゆっくりしていけ」
「え……?」
ポーカー・フェイス・レイ。感情を一切表に出さず、言葉の意味を考えるのにも労力が要る。“ゆっくりしていけ”という言葉が、何を意味するのかはさっぱり分からない。ルナマリアの頭の中に、色々な可能性が駆け巡った。
まさか――思い当たって振り返った時には、既にレイの姿は通路に無かった。考えすぎだと自らを納得させ、気を取り直して医務室に入り、一言艦医に挨拶してからシンの居る部屋に向かった。
ドアを開けると、枕元の電燈だけが燈る部屋の中、ベッドの上で体を丸くしているシンが目に入ってきた。ルナマリアは静かにドアを閉め、“どう?”と一言語りかけて隣に置いてある椅子に腰掛ける。
シンは目が覚めているようで、ちらりと視線を一瞬だけルナマリアに向けると、直ぐに反対向きになって背を向けた。静かな部屋で、衣擦れの音がはっきりと聞こえる。
「インパルスの事、レイから聞いた? おかしいよね、チェスト・パーツだけで戦うなんて、レイは面白いことを考えるわ」
帰還したルナマリアが見て驚いたのは、レッグ・パーツを喪失したインパルス。レイは、“脚など飾りだ”としきりに説明していたが、それが自らに対しての言い訳のようにも聞こえた。きっと、間抜けなことをした自分の迂闊さが嫌いだったのだろう。
「…今回も、大変だったわ。こんな真夜中に仕掛けて来るんだもん、敵のMSは黒いし、あたしなんかてんやわんやで――」
話しかけても、一向に返事をする素振りの無いシン。じっと背を向けたまま、振り向こうともしない。
「美容にだって悪いんだし、迷惑な話よね。おまけに撃墜もされちゃって――って、聞いてるの?」
「うるさいな」
やっと一言応えてくれたかと思えば、随分なお返事である。シンはシーツを頭にかぶり、耳を塞いだ。
「何言っちゃってんのよ? 折角お見舞いに来てやったのに、大変なときにあんた抜きで戦ったあたし達に、感謝してくれてもいいと思いますけどね」
「次は出る」
「暫くは戦闘は無いわよ。こんな所でいつまでもおたおたしているわけにも行かないんだし、ジブラルタルは目と鼻の先だわ。ミネルバの修理と、あたし達には休息が待っている」
アークエンジェルも月での作戦で随分とくたびれ、ミネルバの損傷も先の戦いで酷くなっている。戦力もダウンしているし、今回のようにもう一度急襲を受ければ、次は守りきれる自信が無い。ゆえに、多少の無茶はしても即刻ジブラルタル基地に入る必要があった。
「出て行けよ。俺に関わるな」
頑ななシンは、今に始まったことではない。我の強い彼は、いつでも自分の正当性を主張してきた。そのせいで、ガルナハンではエマに引っ叩かれたのだ。
しかし、今の彼は少し雰囲気が違う。レイが言っていたように、精神的に不安定になっているような気がする。一時は立ち直れたように見えていたが、それは彼の意地だったのだろう。ただ、何故今頃になって噴出してしまったのか、理由が分からない。
「何でよ?」
「いいから出て行けよ!」
シーツの中から、くぐもった声で怒鳴るシン。急に荒げた声に一瞬動揺したが、その直ぐ後で彼の体が震えているのが分かった。薄闇の中で、電燈の明かりに照らされたシーツの影が揺れている。
「泣いているの?」
鼻を啜(すす)る音が聞こえた。シンは応えることなく、静かに泣いているのかもしれない。ルナマリアがそっと手をシンの体に当てると、小刻みに震える彼の怖がりが伝わってきた。
「何か…あったんじゃないの?」
男子の面子――人前で涙を見せるのは、弱虫の証拠だ。それは強さを象徴する男子には、長年の間こびりついてまわるステレオ・タイプとなっている。シンにも、そう思う気概があるからこそ何も応えられないのだろう。
ならば、女子であるルナマリアに出来るのは、そんな男子が醜態に思っている行為を優しく許してあげること。言葉でなくとも、“かまわないのよ”と言ってあげればいい。
ルナマリアは、シーツを被るシンの上からゆっくりと自分の体を重ねた。包み込むように、震えを抑えようと優しく頭の辺りを撫でる。
暫くの間、2人は重なり合ったままで居た。シンはそれを拒むことなく、ルナマリアの優しさに身を委ねた。
重なったまま、時間が流れる。その間、じっとルナマリアの重みを感じながら考えを巡らせていた。
妹とコニールが夢に出てきたのは、粋がってばかりで弱っちい自分を責めるためだ。責められる理由も分かるし、自分が許せなかったのも確かだ。その怒りを、尤もらしい理由を付けてオーブに向けていた事も事実。
そんな、卑怯な自分。彼女達は、それを見抜いていたから夢の中に出てきたのだ。少しずつ死の痛みを忘れていっている自分が無責任で、だから怖くなった。本当は、ただ彼女達の責任から逃げたかっただけなのではないだろうか。
<過去に引き摺られて、目の前の現実に盲目になるなよ>
考えていくうちに、別れ際に言われたカミーユの言葉を思い出した。本音を言えば、一番恐れている事は、それだった。マユやコニールの死に引き摺られている自分が、いつしか他の人も巻き込んでいってしまうようで、怖い。
救いが欲しかった。自分のやっていることは正しいのだと、これからすることも正しいのだと、そう言って欲しかった。甘えだと笑われるかもしれない。しかし、自分の体に覆いかぶさっている彼女に打ち明ければ、救いの手を差し伸べてくれるだろうか。
やがて、白みかけの空が明るくなり、暁の朱が雲を彩る。部屋の中にも、カーテンの隙間から漏れる朝の光が差し込んできた。
「……夢を、見たんだ……」
疲れた体を癒すことなく医務室を訪れたルナマリアの意識が遠くなりかけていた頃、思い出したようにシンは言葉を口にした。気付き、閉じかけていた瞳を開く。
「…んな夢?」
疲労のせいなのか、少し、喉の調子が悪い。言葉の始まりを詰まらせながら、ルナマリアは訊ねる。
「マユとコニールが出てきて……みんなが死んでいる夢――」
聴いた瞬間はハッとした。きっと、シンは悪夢を見ていたのだろう。自己の中に押さえ込んだ悩みや苛立ちが、はけ口を失って夢の中に出てきたのだ。いきなり襲ってきた悪夢は、シンの精神的余裕を奪った。
「それで……?」
「ルナもレイも隊長も死んでた…メイリンもヨウランもヴィーノも…エマさんもカツも――」
夢は、覚めてみれば夢だと気付けるが、見ている最中はとてつもないリアリティーとなる。殊更に悪夢というものは、覚めても中々気分が優れないもので、今の彼はそういう状態なのだろう。
加えて、熱に犯されたとなれば弱気になってしまうのも無理も無いことなのかもしれない。
「みんな…俺のせいで死んでいくんだ……」
「それは単なる夢よ。あんたは、それを予知夢だって勘違いしているだけ――それだけじゃない」
「でも、コニールは俺のせいで死んじまった……」
戦争をしていれば、いつかは死ぬときが来るかもしれない。それは、トキの運で決められていることだ。シンの言うコニールは、偶々(たまたま)そういう運命だったのだろう。自分もいつかはそうなるのかも知れないし、一応覚悟はしているつもりだ。
ただ、運命と呼べるものを、生きている人間が決めてしまってはいけないとルナマリアは思う。もし、未来に絶望しか残されていなければ、その人は死ぬその時まで絶望を背負って生きていかなければならない。それは、とても残酷なことだと思う。
嗚咽を漏らすシンを見ていて、ふとそんな考えが頭の中を過ぎった。
「もう…父さんや母さんを亡くした時の様な思いはしたくないからって……マユみたいに不幸な子を増やしちゃいけないからって思って戦っていたのに……それが…コニールを殺したんじゃ――」
「でも、戦わなくちゃもっとたくさんの人が不幸になるかもしれない。決め付けないで、シン……」
正直、今のシンに戦いを押し付けてしまっていいものかどうか分からなかった。しかし、このままではどんどん自己の中に埋没していくだけで、彼は先に進めない。だから、彼のやっている事が正しいことなんだと言ってあげる事が、救いになるのではないかと思った。
そして、再び2人は沈黙した。朝日の優しい光と、静かな空間。その心地よい空気は軍艦の中に居ることを忘れさせ、ルナマリアを果てしない虚脱感が襲う。体の疲れを酷く感じ、次第に目蓋が重くなっていった。
やがて意識も虚空の彼方に吸い込まれていき、眠りの時が訪れた。遠くなっていく意識の中、気持ちの奥底にある微かな気持ちに、ルナマリアは気付いた。