ΖキャラがIN種死(仮) ◆x/lz6TqR1w 氏_第48話

Last-modified: 2008-11-03 (月) 23:54:16

『カツはサラに』

 
 

 クサナギのブリッジを出た後、エマは先を流れるカツの肩を掴んで制止した。癖のある黒髪を微かに揺ら
しながら、つぶらな瞳の顔が振り向く。その表情には、不信が込められていた。

 

「どうしたの、カツ? あなた――」
「サラもこちら側に来ているんでしょ? スクラップ・コロニーには、サラが居るんです」

 

 衝撃的だった。カミーユに言われたとおり、エマはカツにサラのことは一切話していない。それどころか、
レコアにもサラの事はカツに知られないように口裏を合わせてもらい、彼に知られるような機会は絶対に
無かったはずなのだ。
 思わず肩を掴んだ手を放し、エマは少し慄いてカツの顔を凝視した。そのエマの態度が面白くなかった
のか、カツは不遜に顔を顰めて軽い溜息をついた。
 腰に手を当て、肩越しに振り返ったその顔の口元を、立てた襟が覆っている。その分だけ、彼のつぶらな
瞳の光を強くしているようだった。

 

「あなたが、どうしてサラの事を――!」

 

 困惑気味に訊ねるエマ。カツはフイと前に向き直ると、無視して無言のまま先を行く。
 艦内には、第2種戦闘配置の合図が告げられていた。アナウンスで、エマ達MSパイロットは搭乗機にて
待機の命令が出されている。パイロット・スーツに着替え、エマが1人MSデッキにやってくると、少し遅れて
カツがやってきた。エマが駆け寄ると、少し煩わしそうに顔を背ける仕草を取った。

 

「カツ……」

 

 更衣室でもまったく姿を見なかった。恐らく、エマと顔を合わせるのが嫌で個室で準備を済ませてきたの
だろう。ただ、その様子を鑑みるに、こうして再び鉢合わせになってしまった事を面倒に思っているようだ。
 普段であれば、即修正ものである。しかし、サラのことで隠し事をしていたエマはカツに気後れする気持ち
を持っていて、いつものように叱る事は出来なかった。カツはそれを分かってか、仏頂面をそのままにツン
と顔を振ってガイアに向かい、床を蹴った。
 しかし、ここで放置するわけには行かないエマは、それを追って同じ様に床を蹴った。カツがチラリとエマ
を見ると、器用に身体ごと反転させて振り向く。表情は相変わらず険しい。

 

「サラが僕達と一緒にこの世界にやってきている事は、知っていました」
「それに気付いたのは、いつ?」
「最近、ソラに出てからです」

 

 最初こそ仰天していたが、今は至って冷静にカツの言葉を受け止められる。エマは険しいカツの表情とは
対照的に涼しげな視線を投げかけていた。
 カツは、ニュータイプだ。そう思わせる場面も何度かあったし、カミーユほどではないにしても素養は十分
にあった。事、サラに関してのカツの勘の良さというものは、特筆すべき点でもある。彼のサラに対する青
臭い感情を知っているからこそ、カツの告白を納得する事は出来た。

 

「中尉は、ずっと前からご存知でいらっしゃったんでしょ? カミーユから聞いて」
「聞いちゃいたけど……」
「やっぱり」

 

 頷くエマ。カツはポツリと呟き、ガイアのコックピットの中に入っていった。その入り口にエマも取り付き、
中で出撃の準備を進めるカツを見た。暗がりの中に、こちらと顔を合わせようともせずに黙々と点検を続け
ている。そんな彼に対し、エマは何も言葉を発することが出来なかった。

 

「パイロットはMSの中で待機ですよ、中尉」

 

 辛辣に、突き放すように言われ、いよいよエマの目が泳ぎ始めた。軍人として、新人の教育には手馴れ
た感のある彼女だが、俗事となる色恋沙汰となれば途端に舌の回りが悪くなる。カツは、眉を顰めて困惑
続きのエマをチラリと見やり、しかし何も声を掛けなかった。
 ガイアのコックピット入り口で佇んでいるエマに、早くガンダムMk-Ⅱに乗り込めと急かす声が響いた。首
を落ち着き無く回し、言葉を選ぶように口をパクパクさせている。

 

「ごめんなさい、カツ……騙すつもりは無かったのよ……」

 

 慎重に言葉を発すると、エマは手でガイアを押して、ガンダムMk-Ⅱへと流れていった。エマが視界から
消えるのと同時に、カツはガイアのコックピットを閉める。
 一瞬暗くなったコックピット内が、直ぐに明りを灯して光に溢れた。モニターにMSデッキの様子が浮かび
上がり、カツはエマの姿を追う。こちらを気にするように何度も振り返りながら、ガンダムMk-Ⅱへと向かう
エマ。その仕草が癇に障り、エマを捉えるワイプを消してヘルメットを被る。

 

「そんな事だから、大人って子供の言い分だって聞こうとしないんだから……!」

 

 そう吐き捨てると、歯を食いしばって怒りに肩を震わせ、強くコントロール・レバーを握り締めた。

 
 

 アークエンジェルでも、出撃の準備は進められていた。ブリッジではクサナギとの連絡が行われていて、
ラミアスの正面にはユウナの姿が映し出されるモニターがある。

 

『――というわけで、僕達がこれから向かうのは正面の近い方の廃棄コロニーって事になったから』
「了解です」
『それと、連合軍の駐留部隊が存在するかもしれないらしいから、廃棄コロニーの調査自体はそちらに派
遣したエリカ=シモンズにやってもらうよ。アークエンジェルには、敵陣に食い込んでもらうことになると思う
けど、よろしく』
「はい」

 

 ラミアスがトントン拍子に応えると、ユウナは少し首を捻って何事か考えている様子だ。軍の総司令という
役職に慣れていないのか、締めの言葉を捜しているように見受けられる。そんなに考え込むようなことなの
だろうか、ラミアスは怪訝に首を傾げた。

 

『――じゃ、じゃあ、そういう事で』

 

 結局、そんな程度の言葉しか出てこず、ユウナは隠れるようにして通信を遮断した。
 誰かが、はぁ、と溜息をつく声が聞こえた。本来なら、弛緩した気合を引き締める為にも一喝すべき場面
であるが、溜息をつきたくなる気持ちはラミアスにも分かる。だからと言って注意しない理由にはならないの
だが、とりあえずは気を取り直し、ラミアスはミリアリアに視線を投げた。

 

「それじゃあミリアリア、デッキに確認を入れてちょうだい」
「わっかりましたぁ」

 

 ミリアリアの気の抜けた様な返事が、更に場の空気を弛ませる。まるでユウナの御気楽な空気が伝染し
てしまったようだ。どうにも気合抜けしていて、ラミアスは背もたれに身体を預けた。
 緊張感に欠けているのはユウナのせいか、はたまた厳しく出られない自分のせいか。目を閉じ、余計な
懸念を払拭するように無意味な問答を始めた。

 

 先程から、妙にそわそわする。艦隊が目標進路を確定させた辺りからだろうか、カミーユは胸騒ぎが止ま
らず、そこから感じるプレッシャーと対峙していた。
 誰かが待っている。感じる気配は、まだ距離があって誰のものとも知れない。だが、ある程度の見当はつ
いていた。素性が見えなくても、そこに込められた悪意までは隠せていない。カミーユにとって、最も看過で
きない敵が待ち構えていると感じた。
 アークエンジェルのMSデッキ――意気揚々とギャプランに乗り込むロザミアと、平静を取り繕い、普段
どおりにΖガンダムに乗り込むカミーユ。未だ十分な調整結果が出ておらず、多少の不安はあった。しか
し、今回はこれで戦い通すしかないと腹を括り、シートに腰を埋めた。

 

 ブリッジからの、ベルが鳴る。出撃前ということもあり、メカニック・クルーは誰も応答に出ようとしない。
ヘルメットを小脇に抱えたレコアが、そんな様子を見ながら受話器を手に取った。

 

「こちらMSデッキ、レコアです。出撃前ですよ?」
『あ、すみません』

 

 ミリアリアの声が、可愛らしく謝辞を述べた。レコアはヘルメットを首の後ろのアタッチメントに取り付ける
と、腰に手を当て、出撃準備が進む風景を眺めながら通話越しの声の主に対して尋ねる。

 

「何か?」
『一応確認なんですけど、アークエンジェルがコロニーの調査に向かう話は聞いていますよね? それで、
エリカ=シモンズさんに協力をお願いするんですけど、それを誰が送るのか、教えておいて欲しいんです』
「あぁ、それなら――」

 

 視線を動かしていき、レコアの視界の中に紅いMSの姿が納まった。それは、エマがガンダムMk-Ⅱへと
乗り換えるに当たって、アークエンジェルへと廻されてきたセイバーだ。
 ザフトの機体を預けた辺り、オーブに対する餞のつもりだろうか。これ幸いとばかりに、ちょうど乗る機体
が無かったレコアがそれに乗ることになった。

 

「私がセイバーでやることになっています」
『そうですか、分かりました。御武運を』
「ありがとう」

 

 そう言って受話器を置くと、エリカがレコアの様子に気付いたのか、コンテナを蹴ってこちらに流れてきた。

 

「コックピットを圧迫する事になるかもしれないけど、よろしくお願いするわ」

 

 ノート型のパソコンを小脇に抱え、ノーマル・スーツで着膨れしているエリカがレコアに対して片手を上げた。
レコアもそれに応えて手を上げ、にこやかに笑って見せた。

 

「大丈夫ですよ。セイバーを見せてもらったけど、あなたのようなスタイルの良い方なら、一人くらい、どうっ
て事ないですよ」
「それはどうも」

 

 とてもではないが、ノーマル・スーツを着たエリカはお世辞にもスタイルが良いとは言えない。レコアなり
の冗談だが、それを分かっていてもエリカは少しむっつりした表情で視線を斜めに上げた。

 
 

 オーブ艦隊が廃棄コロニーへと進軍を続けている。その様子を傍観するように、ガーティ・ルーを中心とし
た連合軍艦隊はスペース・デブリ帯に紛れて佇んでいた。
 その艦長室、モニターの画像に行軍を続けるオーブ艦隊の姿を傍目で眺めながら、シロッコは正面ディ
スプレイの老齢の男と正対していた。深く刻み込まれた皺が、男の経験値を覗わせる。

 

『ジブリールの好き放題は、大西洋連邦内でのクーデターの兆候であると大統領閣下はお考えでいらっ
しゃる。君は、軍人というよりも政治家志望だと、私には見えるのだがね』
「滅相もございません。私は、世界をより良くしようと思っているだけに過ぎませんので――その為の最良
の選択を、適宜取捨していくまでの事です」
『うむ。地球軍の立場としては、戦争に勝ててプラントを屈服させられればそれでいいのだ。何も国の財政
を圧迫してまでコーディネイターを滅ぼす必要は無い。ジブリールの暴走は、止めなければならん。やり方
は、君に任せる』
「ハッ、拝命いたしました。――それでは、これから我が艦隊は戦闘行動に入りますので」
『ん……さすれば、君の要望どおり、次期のブルー・コスモス盟主にはパプテマス=シロッコを指名するよ
う、大西洋連邦の立場からロゴスに推すとの大統領閣下のお達しだ。頑張ってくれたまえ』

 

 シロッコの、腹に一物を抱えたような顔、それ以上にディスプレイの中の老人は瞳に光が無く、シロッコを
しても何を考えているのかは知れなかった。こういう人間が存在しているから、政治の舞台というのは伏魔
殿などと形容されたりもする。そこに足を踏み入れた自分も、俗人と同じだろうかと密かに内心で自嘲した。
 シロッコは背筋を伸ばして奇麗に敬礼を決めた。ディスプレイから大西洋連邦高官の老顔が消えると、シ
ロッコはなだらかに床を後ろに蹴ってブリッジへと向かった。

 

「それにしても、またアークエンジェルか? 良く良く縁があるものだ」

 

 先程のオーブ艦隊の中にその姿を見つけたのを思い出し、含み笑いをしながら呟く。自動ドアから戦闘ブ
リッジに入室すると、一同が一様に振り返り、シロッコに対して敬礼をした。シロッコは軽く手を上げて収め
ると、颯爽とシートに腰を埋めた。
 幾度目かの遭遇に、うんざりしているのだろうか。傍らに寄り添うサラが、そんなシロッコの心情を察して
か、急ぎ反転してMSデッキへと駆け出そうとした。

 

「サラ」

 

 ドアを潜ろうかという所で、徐にシロッコに呼び止められた。手すりを掴み、体の流れを止めて振り返る
サラ。何事かと怪訝そうに首を傾げた。腕を組み、振り向き加減でシロッコがサラを見つめる。

 

「あれは、もしかしたら君が呼び寄せたのかもしれないな」
「私が――ですか?」
「そうでなければ、この巡り合わせをどう説明できようか」
「はぁ……」
「あれがレクイエムの中継ステーションと気付かれれば、ジブリールの次に打つ手が不発に終わる可能性
がある。そうなった時の、奴の顔を見てみたい気持ちもあるものだが」

 

 意図が見えない。てっきり叱られるのかと思ったが、そういう口調でもない。懸念を口にしているようでも
あるが、そういう風には見えない。口元に湛えた笑みが、全てが計算どおりであると物語っているようであ
り、しかしサラにはまったく見当がつかなかった。

 

「も、申し訳ありません……」

 

 とりあえず謝って置く。そうすると、シロッコは意外そうに眉を吊り上げ、まるで子供をあやす様に鼻で笑っ
て見せた。反応を間違えたのだろうか、そんな仕草を見て、サラは急に恥ずかしくなって頬を赤らめた。

 

「いや、それで良かったのだよ。もう一方に向かわれていた方が、厄介だった」

 

 言うと、シートからふわりと浮き上がり、柔らかく天井を手で押してサラのところへと舞い降りてくる。白い
制服が無重力に弄ばれるように揺れ、その整った顔立ちと相俟って、さながら神話世界の天使のような印
象を受けた。もしかしたら、サラの目にはシロッコの背に純白の翼が見えているのかもしれない。
 サラの目はシロッコに釘付けにされた。崇めるような目で見つめる彼女の肢体を、シロッコの両腕が回り
こんで抱き寄せる。突然の事にサラはシパシパと瞬きを繰り返し、硬直してしまった。爽やかな匂いが鼻腔
をくすぐり、頬に燃えるような熱を感じた。

 

「これで、我々の勝利はより確実なものになるだろう。君が私の傍に居てくれて、本当に良かった」
「パ、パプテマス様――」

 

 シロッコのプレイボーイっぷりは、今に始まった事ではない。サラだけでなく、彼は女性一般に優しい。
ガーティ・ルーに配置された女性クルーも、シロッコの包容力に骨抜きにされている状態で、男性のクルー
もそんなシロッコの手癖を不思議と不快に感じていなかった。そもそも、ガーティ・ルーを始めとするシロッ
コの艦隊は、それ自体がシロッコのシンパの集まりであり、そこにジブリールの干渉は殆ど存在しない。つ
まり、艦隊の構成員は、一部を除いて、須らくシロッコの思想に同調した者達だった。
 シロッコの腕が、ゆっくりと解かれる。その繊細にして柔和な手つきに、サラは抱擁の終わりを名残惜し
んで瞳を震わせた。そんな自分の紅潮した頬を撫でるシロッコの指は、まるでシルクそのもののような触れ
心地であった。

 

「ヒルダのハンブラビ隊を先行して出す。サラもメッサーラで出撃だ」
「ハッ!」

 

 シロッコが薄青紫の髪を翻して背を向けると、サラはピシッと勇ましく敬礼を決めてみせる。先程までの弛
緩した表情から一足飛びに引き締まった顔に変わり、反転してMSデッキへと急いでいった。

 
 

 廃棄コロニー防衛部隊の出現は、オーブ艦隊司令部の大方の意に反して、背後からの急襲であった。
バック・アタックを受けた事で、オーブ軍はMSの緊急発進を余儀なくされた。
 ユウナ率いるオーブ艦隊の規模はシロッコ率いる大西洋連邦艦隊よりも規模は大きい。しかし、背後を
襲われたオーブ軍は焦りからてんやわんやになり、艦隊の回頭に梃子摺る始末。完全に出鼻を挫かれた
格好となり、敵MS部隊の出現で艦隊の火力をまるで活かす事も出来ずにMS同士の白兵戦へと突入せざ
るを得なかった。
 しかし、ソガの統率力がそこからの建て直しを迅速にさせた。オーブ艦隊はクサナギを中心に隊列を整
え、シロッコすら感心するほどの立ち直りを見せた。MS隊の展開も素早く、バック・アタックの奇襲による混
乱からは、早くも抜け出そうとしていた。
 オーブ軍の先陣を切るのは、勇ましく3機編隊を組んで戦場を駆け抜けるムラサメ小隊。イケヤ、ニシザ
ワ、ゴウのオーブ・ムラサメ隊エースを張る、華麗なコンビネーションが武器の精鋭部隊である。彼等はトラ
イアングル・フォーメーションを組み、3方向から囲い込んで確実に一機ずつ仕留めていく。そこに派手さは
無いが、連合軍のMS隊がそれに対応できていないのが、彼等の高い能力の証明となっていた。

 

「ならず者にオーブを奪われてしまったのは、我らが不甲斐なかったからだ。ここで武勲を挙げ、亡き英霊
達に報いを――ゴウ、ニシザワ!」
『ハッ!』
『了解です!』

 

 彼等のモチベーションは高い。慣れない空間戦闘に最初は戸惑いがあったが、それは気合で身体に馴
染ませた。単純な精神論だが、オーブは元来、大和魂を受け継ぐ国である。旧世紀時代の“ニホン”と言う
国は、気合で数多の困難を切り抜けてきたという逸話が残されている。人間の底力を表したものだが、
オーブは特にその精神が色濃く引き継がれた国柄を持っていた。そして、今日に至った現在、彼等の精神
的支柱として、大和魂は生き続けていた。
 まるで、人間の精神力が機体を通して発散させているかのように、彼等のムラサメは気迫に満ちていた。
決して目に見える現象ではないが、それは確実に存在し、彼等が咆哮を上げる度にその輝きを増す。破竹
の勢いをそのままに、ムラサメ隊は獅子奮迅の活躍を見せた。
 彼等の気迫に引っ張られるように、戦況はオーブ艦隊が有利に押し進めているように見えた。ところが、
そこへ接近するガーティ・ルーからの刺客。同じく3機で編隊を組んだMSが、ムラサメ隊を目指して進んで
いた。
 大型MAが隆盛の連合にあって、そのMAは些かサイズが小さい。普通のMSと同程度のサイズだが、そ
の機動力はどのMSよりも高かった。全身を黒で統一し、本来の青とはまた一味違った印象を持たせる。シ
ルエットは海生生物の“エイ”にそっくりな外見をし、背部に2門の砲塔と、四足動物の前足のようなカギ爪
を持っていた。槍のような先端を持った頭部には、上下に分かれた三日月状の“目”があり、そこからモノ
アイを覗かせていた。
 球体のコックピットの中で、違和感に煩わしさを抱きながらも、そのずば抜けた性能に喜びを噛み締める
のは、離反してシロッコの元へと降ったヒルダ。星の瞬きが高速で流れていく景色をものともせずに、ハン
ブラビを加速させていた。付随する左右の僚機にチラリチラリと目を向け、通信回線を開く。

 

「ヘルベルト、マーズ。操縦系の違いには慣れたかい?」
『ヒルダはどうなんだ? 俺はまだ駄目だ。このリニア・シートの感覚は、どうも苦手だぜ』

 

 ヘルベルトの苦笑交じりの声が聞こえる。それもそうだろうと、ヒルダは心の中で呟く。彼女とて、リニア・
シートの感覚にはまだ不慣れなのである。シートに腰掛けたまま宇宙を飛んでいるような感じが、どうにも
違和感を覚えて仕方なかった。こればっかりは慣れでどうにかするしかないと笑う。

 

『俺も同じだ。サラとかいう女にレクチャーしてもらったが、ありゃあ教官には向いてない。自分達で考えて
修練した方が、よっぽど早く習得できる』

 

 マーズが、愚痴を零すように言う。視線を左へ投げかけながら、それもそうだと、同じ様にヒルダは一つ
頷いた。
 サラは年下という事もあって、かなり気を遣ってくれていたようだが、MSの修練にその様な情けは無用で
ある。MSの修練には、命が掛かっている。中途半端な確信で戦場に出れば足元を掬われるという事を、ヒ
ルダは良く理解している女性だった。

 

「そうとなれば、やる事は分かっているね、2人とも? この機会に、あたし達はハンブラビの錬度を上げて
おく。被弾した奴は、後でペナルティだ」
『望むところだ! ヒルダこそ、後で泣きを見るようなへまはするんじゃねーぞ!』

 

 不敵にヒルダが告げると、ヘルベルトが景気良く返事をした。その挑戦的なヘルベルトの言に、ヒルダは
頼もしいものだと、顎を上げて鼻で笑った。

 

「上等だ。――アークエンジェルの実戦部隊はまだお出ましじゃない。手始めに、調子に乗っているあのム
ラサメ隊を叩く。ハンブラビが、実戦でどの程度できるのかを良く確認しておきな」
『合点!』
『了解。俺は、海ヘビを使わせてもらう』

 

 ハンブラビが更に加速し、イケヤ達のムラサメ隊へ襲い掛かった。
 その反応は、今までの連合軍のMSとは全く違う事に、イケヤは即座に気付いた。戦場のミノフスキー粒
子濃度は比較的薄く、付近の様子程度はレーダーで確認する事が出来る。そのレーダーの有効索敵範囲
の中に、凄まじいスピードで侵入してくる敵が居た。イケヤの目がレーダーからカメラ・モニターに移り、周
囲を警戒する。

 

「ニシザワ、ゴウ、察知できているな?」
『3機編隊ですね。我々と対抗しようと言うのでしょうか?』
「わからん――が、油断はするなよ。今までの敵とは、一味違う」

 

 カメラを振り向けると、果たしてそこから黒い“エイ”が3匹、まるで宇宙という大海原を泳ぐようにして高速
で接近してきた。一種異様なその姿に、目視した瞬間は意表を突かれた。こんなふざけた外見のMSに負
けてなるものかと、握る操縦桿を思い切りよく押し込む。
 背負った2門のビーム・キャノンを連射し、イケヤ達を散開させてくる。敵も、自分達を厄介に思っている
のだろう。今の攻撃でそう悟ったイケヤは、散開させて戦力を分断させようかと言うハンブラビの目論見に
舌打をした。

 

「新型の出方が分からん! どのような攻撃を仕掛けてくるか判明するまで、迂闊に近寄るなよ!」

 

 見慣れたMSとは一線を画す機動力を発揮するハンブラビに、イケヤ達は苦戦を強いられた。3対3という
数の上では対等な立場でありながら、敵の方が上手なのである。ましてや同じ可変型、同じトリオ。この、
能力で劣っている屈辱的な現実を目の当たりにし、イケヤは歯を軋ませた。
 ハンブラビの出現で、完全にそれまでの勢いは止められた。しかし、考えようによってはここで増援のハ
ンブラビを殲滅することで、再びオーブ軍は勢いに乗ることが出来る。ある意味、モチベーションによって趨
勢が左右されるオーブ軍の事を、イケヤは良く分かっていた。
 ところが、ハンブラビの性能は予想している以上に高かった。高速で機動するハンブラビはまるで黒い流
星の様にイケヤ達を翻弄し、ムラサメではその動きを捉える事が出来ない。そうこうしている内に、何もさ
せてもらえないままニシザワのムラサメがハンブラビのワイヤーに絡め取られた。

 

『電流を食らえ!』

 

 ニシザワのムラサメを捕えたのは、マーズのハンブラビ。海ヘビを飛ばし、ムラサメの腕を絡め取る。そ
してそのワイヤーがスパークを迸らせたかと思うと、一挙にパイロットのニシザワを襲った。

 

『うわああああぁぁぁぁ――ッ!?』

 

 ニシザワの目には、世界が激しく揺れているように見えていた。全身を駆け巡る激痛は、身体をまるで自
分のものでは無いかのように痙攣させ、激しく悶絶して絶叫する。
 回線越しに聞こえてくる尋常ではない叫び声に、イケヤは流石に動揺した。ニシザワの断末魔のような悲
鳴が、イケヤのこめかみから冷や汗を流させる。慌ててイケヤは操縦桿を傾けた。

 

「ニシザワ!」

 

 即座にイケヤはムラサメのビームライフルを取り回し、ニシザワのムラサメに向かってトリガーを引いた。
連射するビームが、何発か掠めたところでニシザワのムラサメの腕ごとワイヤーを切り離し、庇う為に急い
で自機を急行させる。ハンブラビは、そんな彼を嘲笑うように優雅に泳いでいる。

 

「大丈夫か、ニシザワ! ――ゴウっ!」
『ハッ!』

 

 僚機を呼び寄せ、応戦させる。イケヤはその間にニシザワに呼びかけるも、彼からの応答はまるで無
かった。接触回線でニシザワの様子を覗いてみると、そこにはコンソールに突っ伏して倒れている彼の姿
があった。

 

「ニシザワ、聞こえていないのか、ニシザワ! ――まるで応答が無い……死んでしまったのか……?」

 

 ハンブラビの攻撃は、容赦なく襲う。行動不能のニシザワ機からイケヤは離れるわけには行かず、ビーム
攻撃によって脚部の爪先を貫かれた。応戦してビームライフルを撃つも、ハンブラビはヒラリヒラリとかわ
す。逆に焦りを募らされるばかりで、イケヤは苦悶の声を上げた。
 このまま固まっていたままでは、袋のネズミと一緒だ。どうにかしてニシザワを起こさねば、全滅してしま
う。イケヤの声が、焦りに上擦る叫びを上げる。

 

「ニシザ――むっ!?」

 

 何度か声を掛けると、モニターの中のニシザワがピクッと身体を動かした。どうやら気絶していただけの
ようで、詳細は分からないが、とりあえず大丈夫だと安堵する。
 それと時を同じくして、ゴウのムラサメが被弾して片腕を失った。安堵している場合ではない。ニシザワが
生きていた事は幸いだが、まだハンブラビが見逃してくれたわけではないのだ。状況が不利な以上は、ここ
は後退したいところであるが――

 

「くぬっ! せっかく押し上げた戦線を後退させては――」

 

 ハンブラビの脅威は、折角拮抗している両軍のパワー・バランスを崩しかねない。ここで退いてしまえば、
一気呵成に大西洋連邦軍に押し込まれてしまう。その分だけ味方の士気は下がるし、戦力の低下にも繋
がるだろう。
 イケヤは判断に迷った。後退すれば戦況に影響を与えるし、退かなければムラサメ隊の壊滅は免れな
い。既にニシザワは戦闘不能に陥り、ゴウのムラサメもパフォーマンスが低下している状態だ。ハンブラビ
はこちらを捕捉したまま。どうする――小隊長として判断を下しかねているイケヤ。
 しかし、その時、徐にハンブラビ隊がバーニアを吹かして飛翔した。まるで子供が玩具に飽きたような態
度の急変に、イケヤは怪訝そうに眉を顰める。見逃すと言うのだろうか、いや、違う。

 

 ヒルダはまともに機能しなくなったムラサメ隊から目を逸らした。ハンブラビの基本性能の高さは理解でき
たし、海ヘビの使い道も大体分かった。収穫は十分であったし、戦力の低下した彼等を始末する事など朝
飯前だった。ところが、止めを刺そうかと意気込んだヒルダは、そうもいかなかった。彼女達はイケヤ達を
見逃したのではなく、新たな敵の増援に向かってハンブラビを機動させたに過ぎなかった。
 ミノフスキー粒子で曇るレーダーの視界。しかし、ヒルダの目はハッキリとその姿を捉えていた。パチパ
チッとリズム良くスイッチを押し、操縦桿を握りなおす。

 

「確認した、ヘルベルト、マーズ。新手が2機、迎え撃つよ」
『良く見えるな? レーダーも碌に働きやしないってのに』
「ミノフスキー粒子下で、機械に頼ろうってのが間違いなんだよ」
『それにしたって、大したもんさ』
「フッ、何の為のMSだと思っている? この戦場で信じられるのは、自分の目だけさ」

 

 感嘆するヘルベルトに対し、ヒルダはさも当然と言わんばかりに笑って見せた。しかし、敵の接近を感じ
取ると、途端に表情を引き締め、眉間に皺を寄せた。

 

「だから、白兵戦ができなけりゃ、そいつはパイロット失格って事なんだよ!」

 

 ヒルダが声を上げると同時に、3機のハンブラビは螺旋を描くように絡みながら、新手の敵MSに対して
ビーム・キャノンを連射した。ヒルダの目に見えている新手の光が2つ、奇麗に左右に展開する。

 

「敵もこちらの動きを見ていたな。――2人とも、編隊は崩すんじゃない。このまま迎撃に入る」
『了解だ』

 

 ヒルダを先頭に、ハンブラビは新手の敵MSとすれ違うように機動し、そのまま反転して背後を取った。
 すれ違いざまに、ヒルダは敵MSの姿を確認していた。彼女の目の良さだから出来る芸当。しかし、前線
の援護に駆けつけたカミーユにも、ハンブラビの姿は見えていた。カラーリングこそ既存の印象とは違う黒
だったが、その独特のシルエットと幾度も苦戦させられた記憶は決して忘れられるものではない。

 

「ハンブラビ? でも、この感じはヤザンとかいうティターンズの男のものじゃない……これは――!」

 

 プレッシャーのようなものは感じない。ヤザンにも感じなかったニュータイプ的なプレッシャーだが、彼には
純粋な強さを感じた。果たして、今すれ違ったハンブラビには、同じ強さを感じることが出来なかった。しか
し、どこか引っ掛かるような感覚を抱かせる敵である。
 カミーユがハンブラビの存在を気にして考え事に耽っていると、全天モニターの横からギャプランが顔を
覗かせた。

 

『お兄ちゃん、後ろよ!』
「はっ――!」

 

 3機で編隊を組み、背部のビーム・キャノンで砲撃を浴びせてくる。かなり組み慣れたチームだ。一糸乱れ
ることの無い隊列で、僅かにタイミングをずらしながらこちらを翻弄するような砲撃を放ってくる。
 カミーユはΖガンダムをMS形態に戻し、ヘルメットのバイザーを下ろしてビームライフルを構えさせた。し
かし、ハンブラビは急接近すると変形を解き、ビームサーベルを振り下ろしてくる。咄嗟にロング・ビーム
サーベルで事無きを得て、カミーユはハンブラビを睨み付けた。

 

『動きに脆さが出ているようだね。貴様、まだそのMSをモノに出来ていないな!』

 

 ハンブラビとぶつかり合って既視感を得る。そして声を聞いて確信に変わった。宇宙に同化せんばかりの
漆黒のボディから赤いモノアイを覗かせた時、カミーユの中での違和感が全て払拭された。思わず前のめ
りになり、目を剥く。その女の声が、余りにも意外だった。

 

「そうか! ヒルダっていう――」
『カミーユだってんだろぉ!』

 

 ヒルダの声に、驚きを隠せないカミーユ。まさか、生きているとは思わなかった。衛星軌道上での戦いで
は、半ばうやむやにする形で彼女達の捜索を断念した。とても、あの宙域で生き延びられるとは思えなかっ
た。ところが、こうして生きていて目の前に姿を現し、尚且つ何故か敵として立ちはだかっている現実に、カ
ミーユはかつてレコアに対して見せたような動揺を露にしていた。

 

「あなた、冗談やってる場合じゃないでしょ!」
『これが冗談に見えるってのかい?』
「本気なのか!? 黒いハンブラビなんかで!」
『あたし達が使うものなのだから、黒くもなる!』
「MSが日焼けをするものかよ!」

 

 ハンブラビの黒は、ヒルダ達のパーソナル・カラー。それ以上の意味は無いし、彼女達自身も気に入って
いる。しかし、カミーユの目に、そのドス黒さは裏切りを行った人間の根本を表現しているかのように見えて
いた。カミーユがハンブラビの色に反応したのは、そんなヒルダに対する苦言であったのかもしれない。
 勿論、ヒルダがカミーユの過去や心情を知るわけがなく、冗談のような生意気を突っかけてくる態度を快
くは思わない。かつてはラクスに絡んでいざこざを起こしていただけに、その時のラクスがカミーユを庇うよ
うな叱責を自分達に浴びせてきた事を鑑みるに、ヒルダにとって彼の存在といったものは決して面白いも
のではなかった。
 MSの完成度としては、ハンブラビの方が高い。ヒルダが振り回すビームサーベルを、四苦八苦しながら
捌いているΖガンダムを見れば、容易に察する事が出来た。両の腕で保持するロング・ビームサーベルを
弾き上げれば、万歳をしてあられもない無防備なΖガンダム。そこへ、ハンブラビが左腕のクローを伸ばした。

 

「串刺しに――ッ何!?」

 

 しかし、そこへビームの光が2機を分断するように劈いた。ヒルダがその光に慄いて背中をシートに押し
付けると、それに連動してハンブラビがバック・ステップをする。そして、威嚇するようにギャプランが凄まじ
い速度で駆け抜けていくと、それを追ってヘルベルトとマーズのハンブラビが続いて通過していった。ヒルダ
は視線でギャプランの軌跡を追い、2機のハンブラビの攻撃をヒラリヒラリとかわすその動きに驚嘆の色を
顔に滲ませた。
 まるで翻弄されている。ヘルベルトとマーズの実力を知るヒルダだからこそ、この現実に驚きの色を隠せ
なかった。確実にΖガンダムのカミーユよりも手練のパイロットなのだろうと確信する。

 

「2人を相手にしながら援護もする? ――器用な真似を!」

 

 舌打ちをするその余裕も、カミーユの実力を侮っているからに他ならない。正面からの敵接近を告げるア
ラートが鳴るも、まるでそれが分かっていたかのようにヒルダは操縦桿を引く。果たして、ビームライフルで
牽制して左手に握らせたビームサーベルを逆袈裟に切り上げてくるΖガンダム。それに合わせて上から叩
きつけるようにしてビームサーベルを交錯させ、激しい光の拡散に微かに目を細めた。

 

『どうしてあなたがそんなものに乗っている! ハンブラビのコックピットは、ヒルダさんの様な人が座る場所
じゃないでしょう!』

 

 事情も知らない少年の声で、偉そうにも説教を垂れようとしている。大体、元から気に入らなかったのだ。
カミーユは、少年だから仕方ないという理由では済まされないまでに、礼儀作法というものを知らなさ過ぎ
る。それは、オーブでのラクスに対する態度一つをとってもそうであった。
 ヒルダは頭がひり付く苛立ちを押さえ、感情を誤魔化すように含み笑いをした。

 

「ラクス様の為だってね、シロッコがそう言うのさ!」
『シロッコ!?』

 

 カミーユの声が揺れた瞬間、肩部のビーム・キャノンが前を向く。2門の砲口からメガ粒子砲が連続で吐
き出され、しかしΖガンダムはバランスを崩しながらも、僅かに体勢を沈ませる事で回避する。よくも今の
攻撃に反応して見せたとヒルダは小ばかにした感じで内心で褒めるも、即座に反撃のビームライフルで
ビーム・キャノンの左門を破壊され、それまでの賞嘆を撤回するようにキッとΖガンダムを睨み付けた。

 

 シロッコという名前、まさかそれをヒルダの口から聞く事になるとは思いもよらなかった。いや、裏切りの
原因があるとすれば、それしかないだろうと即座に考えを改める。恐らく、彼女もシロッコの掌の上で踊らさ
れているだけに過ぎないのだ。確かにカミーユもヒルダ達の事は好きではなかったが、看過してしまえば彼
女達を信じていたラクスが傷つく。
 ハンブラビが、一旦、間合いを取り直そうとバックで引き下がる。カミーユはそれを逃すまいと、スロット
ル・レバーをグイと押し込んだ。ロング・テール・バーニア・スタビライザーとフライング・アーマーのスラス
ター・ノズルが点火し、青白く発光してΖガンダムを加速させる。

 

「疑うって事を知らないのか、あなたは! 奴がそんな事を本気で考えているなんて!」

 

 ハンブラビが腕部ビームガンで牽制するも、カミーユはものともしない。侮っていたヒルダの迂闊なのか、
僅かずつだが身に馴染ませてきたカミーユの努力の賜物なのか、再度ビームサーベルでぶつかり合うΖ
ガンダムとハンブラビに、当初ヒルダが思っていたような差は殆ど見られなかった。
 そんな展開に、苛立ったようにハンブラビのモノアイが激しく明滅する。まるでヒルダの苛立ちを表現して
いるようであったが、カミーユは居に介することなく真っ直ぐにハンブラビを見つめた。

 

『デュランダルのところに置いておいて、ラクス様は戦後のプラントの頂点に立てるのかい? 戦争のような
汚い事はデュランダルにやらせておけばいい。でも、このまま奴にトップを張らせて置いちゃ、ラクス様は
利用されるだけ利用されて使い捨てだ。お可哀想だと思わないのか?』
「だから、シロッコのところに抱かれに行ったのか! 女を使って戦争しようって考える男に、利用されて殺
されるだけだって何で分からない!」

 

 衝突していたビームサーベル同士が反発して弾かれる。互いに僅かにバランスを崩すも、先に動いたの
はハンブラビだった。こういう場面で、調整不足のツケが回ってくる。僅かな反応の遅れに、カミーユは軽く
舌打ちをした。
 振り上げられるハンブラビの腕。煌く腕部のクローが、Ζガンダムのボディに突き立てようと降ろされる。
しかし、Ζガンダムはシールドを装備した左腕を薙ぎ払ってハンブラビのクローを弾き壊した。
 破片となって飛び散るクローの残骸。ヒルダは圧迫されるような威圧感を覚えて、思わず身体をシートに
押し付けた。だが、気合負けしてなるものかと気を吐く。

 

「あの男の何を知っているか知らないが、随分と好き勝手な事を言うじゃないか。だが、例え貴様の言うと
おりだとしても、あたし達がシロッコを排除すれば何の問題もない。そうすれば、全てはラクス様の為にな
るというもの!」

 

 ヒルダは純粋にラクスを信奉して行動している。今回、こうして裏切って見せたのも、デュランダルのラク
スに対する扱いがあまりにも御座なりになり過ぎていたからだ。あまつさえ偽者としてミーアを用意し、ラク
スがプラントの味方と確定した後も、プラントでさえ彼女は素性を隠さねばならない。だのに、こんな冷めた
待遇をされて、オーブの世界放送のような時だけ力を頼ってくる――ヒルダには、その都合のいいデュラン
ダルの身の振り方が気に喰わなかった。気に喰わなかったどころではない、一発ぶん殴ってやりたいほど
だった。
 だから、シロッコにラクスを褒められ、頂点に戴くという理想を持ちかけられた時、ヒルダは嬉しくなってし
まったのだ。良く言えば献身的、悪く言えば狂信的な彼女は、シロッコの言葉の真意が真実であっても嘘で
あっても関係ない。その理想を実現させる事そのものが重要なのであって、もしシロッコが裏切るようであ
れば、それを排除する事も厭わない。シロッコがヒルダ達を利用しているように、彼女達もシロッコを利用し
ているに過ぎないのだ。
 カミーユは、しかしそんなヒルダ達の理想など知った事ではない。シロッコは、諍いを傍観して喜んでいる
ような男だ。その無責任極まりないスタンスは、余りにも人の命や人生を軽んじたもの。それを助長するよ
うなヒルダ達の裏切りは、許せるものではなかった。

 

「出来るつもりで居るのか、あの人は? 調子に乗って張り切って見せたところで、シロッコを倒せる確約に
などなるものか!」

 

 ハンブラビのビーム・キャノンの牽制。カミーユにとって、何でもない程度の攻撃だった。しかし、Ζガンダ
ムはカミーユの反応に僅かな遅れを見せ、その分だけ接近に手間取った。

 

 整った環境で製造されたハンブラビは、さすがと言うべきだろうか。錬度不足なヒルダでさえまともに扱え
てしまうバランスの良さは、機敏性をまざまざと見せ付ける。ビームサーベルで切り付けようかというΖガン
ダムの腕を掴み、不敵にモノアイを瞬かせた。それが癪で、カミーユは反発して歯を食いしばる。

 

「聞き分けの無い女! あなた達が裏切る事でラクスがどう思うのか、考えられないのか!」
『全てを終えた後で、誤解は解くさ。ラクス様は、きっと我等の想いを分かってくださる。お前には、分からないだろうがね!』
「そんな勝手な思い込み! ――なら、彼女に知られる前にあなた達を倒します! 裏切りなんて、どんな
理由があろうとも許されるはずが無いでしょう!」

 

 カミーユの叫びが、衝撃波のような波動となってヒルダを慄かせる。まるで突風を身に受けたような衝撃
だった。思わずヒルダは操縦桿を握る手に力を込め、後ろに吹き飛ばされないようにと身体を踏ん張らせ
た。反射的にそうしてしまうほどの圧迫感に、バイザーの奥の額にはうっすらと脂汗が浮かんでいる。

 

『何で彼女の表面だけを見て、中身を見てやろうとしない! こうなっちゃった事で彼女が傷つくって、何で
考えられないんだ! 信じていた人に裏切られるのって、とても辛いんだぞ、苦しいんだぞ!』
「コ、コイツ――ッ!?」
『ラクスはあなた達の神様でも仏様でもない、同じ人間なんだ! 酷い事をするんじゃないよ!』

 

 人間の気迫が、物理的な圧迫感を得るまでに具現化されるものなのか。しかし、ヒルダの身体は現に強
張りを見せており、それが外部からの影響である事を強く意識する。非現実的ではあるが、何らかの金縛
り状態に晒されている様にしか思えなかった。
 ヒルダの額に浮かんでいた汗が、身を捩じらせた振動で玉となってバイザーの内側に浮遊する。その瞬
間、Ζガンダムの腕がハンブラビの制止を振り切ってビームサーベルを振り下ろした。ビーム刃はその
切っ先をハンブラビの肩に食い込ませ、鋭くその腕を断ち切った。

 

「クッ!? ――後退する、ヘルベルト、マーズ!」

 

 まさか、こんな無様な結果になるとは思わなかった。MSが気合で強くなるなどと考えられないが、Ζガン
ダムがそれを体現しているかのような動きを見せた。これは、ヒルダにとっては屈辱的な出来事である。
 溶断された腕が無残にも切り飛ばされると、即座に残された腕のマニピュレーターを伸ばす。コックピット
ではモニターの電源を一旦、落として備えた。そうすると、ハンブラビのマニピュレーターの指の付け根から
眩いばかりの閃光が発せられた。ヒルダは至近距離で閃光弾を炸裂させたのである。

 

「な、何だ!?」

 

 その眩い光に、カミーユは両腕を顔の前で交差させて凄まじい光に呻き声を上げた。ヘルメットのバイザーは
目の防護性を備えているが、至近距離での閃光弾の炸裂は流石に堪える。
一瞬、目を眩ましていたカミーユが再び目蓋を上げた時、既にヒルダのハンブラビはスラスター・ノズルから尾
を引いて彼方に消え去ってしまった後だった。

 

「仕留め切れなかった……。今度出てきても、エターナルには近づかせられないな、あの連中」

 

 ヘルメットを脱ぎ、まだ少し眩んでいる目を擦りつつ、カミーユは呟く。目がチカチカして不自由この上ない
が、時間が直してくれるだろう。
 出来れば、ヒルダ達はここで倒しておきたかった。仲間に知られる前なら、無かった事に出来る。そうした
かったのは、レコアが裏切った時の事を知っているからだ。裏切りは人を残酷に傷付ける。世の中、知らな
い方がいい事もある。
 ヒルダの撤退が残りの2機のハンブラビの後退を促したのは、間違いないようだ。ギャプランが無事な姿
を現し、Ζガンダムに寄り添うように接近してくる。優しくアポジ・モーターで機体を制御するその柔らかさ
は、ロザミアの気性を考えれば随分とおしとやかである。それだけ、彼女の情緒が安定しているということ
だろうか。

 

『お兄ちゃん、大丈夫?』
「ロザミィこそ――大丈夫で安心した」

 

 機体が接触する振動を感じ、カミーユはワイプの中のロザミアに向かって笑顔を投げかけた。彼女の顔
に似合わず可愛らしい声が耳に心地よく響くと、噛み締めるように深々と頷く。そうすると、ロザミアも笑顔
でVサインを返して見せた。どうやら、彼女の方は苦戦していたカミーユとは対照的に、大分、余裕があった
らしい。

 

 カミーユは再び視線を前へと向けた。焦点は、特に定めていない。徒然なるままに宇宙空間を見通し、意
識をその空間へと溶け込ませるように目を閉じた。そして大きく深呼吸をすると、いよいよ身体から力が抜
けていく。
 まるで裸で水面を漂っているようだ。それはとても孤独で、宇宙での人間のちっぽけさと無力さを思い知
らされる。全てに手が届かないこの宇宙空間で、初めてそこへ飛び出した人類はどれだけの人恋しさをそ
の心に刻んだのだろう。それが他人との繋がりを求めるニュータイプの開花へと繋がったのだと、カミーユ
は信じられる。カミーユは絶望的に広大な宇宙空間にあって、他人の存在というものを感じる事が出来た。

 

「邪な、モノを感じる。1人のじゃないけど、シロッコが大部分を占めていると思えるな」

 

 呟きながら、ゆっくりと目蓋を上げた。その青い瞳は漆黒にして深遠なる大宇宙をも見透かそうかという
透明感を湛え、カミーユの思惟が、拡がっていく。それはシロッコの放つ刃のような攻撃的なものではなく、
カミーユの波動は羽毛布団のように優しく、心地よい。触れ合いを求めるかのように発散されていく波動
は、しかしまだ成長の途中だった。

 

 レコアとエリカを感じた――彼女達は廃棄コロニーへ向かっている。
 ヒルダを感じた――彼女は悔しそうにしながらも2人の男を引き連れ、母艦へと後退中だ。
 ラミアスを感じた――彼女は何かを忘れようと、アークエンジェルで奮闘している。
 ユウナを感じた――彼は戦闘の光に怯えながらも、必死に戦場から目を逸らさない。
 シロッコを感じた――彼はどこかで、その妖しげな目を光らせている。
 エマを感じた――彼女は何かに焦っている?

 

 そして、カツとサラを感じた――

 
 

 エマの目には、先行するカツのガイアが焦っているように見えた。戦闘宙域は、ビームとミサイルの応酬
が盛んに行われ、その合間を縫って進むだけでも多大なる神経を磨り減らす。現に、カツは既に何度か被
弾しており、それがフェイズ・シフト装甲で完封できる物理的な攻撃だったから良かったものの、エマの瞳に
は非常に危なげに映っていた。
 しかし、それを叱るようなテンションをエマは持てていなかった。カツは明らかにサラの事を黙っていたエ
マに対して怒りを露にしており、また、エマ自身もその事に負い目を感じていた。カツの態度が宇宙に出て
から急に変わったのも、全ては自分で知ってしまったからだった。やはり、カツにサラのことは知らせておく
べきだったのだろうかと臍を噛んでみるも、もはや手遅れ。後悔先に立たずとは、昔の人はよく言ったもの
である。
 エマは、黙ってカツの行方を見守っている事しか出来なかった。サラから遠ざけていたという事は、彼の
青春を殺すような意味を持っていたのだ。最近のいざこざでカツがヘンケンの名前を持ち出してきたのは、
エマにその事を分かってもらおうとする彼なりの、ささやかな抵抗だったのかもしれない。

 

 計器類には一切目もくれず、カツは目と勘だけで戦場を駆け抜けていた。後方に援護するようにエマのガ
ンダムMk-Ⅱ、味方のオーブ部隊は、少し遅れているようだ。今、最も敵陣に食い込んでいるのは、恐らく
自分とエマの2人だけ。忙しなく目を動かし、出来るだけ全方位をカバーするように注意を配る。
 いくつもの光芒が瞬く宇宙にあって、カツのガイアは単独で進む。吸い込まれるようにして突き進んでいる
先から、懐かしいものを感じた。咄嗟に片手をヘルメットに添え、左右を一度確認してから正面を見る。そ
して閃きが迸ったかと思うと、宇宙を切り裂くようにして2条のビームが襲ってきた。轟音が聞こえてきそうな
程の強力な光は、メガ粒子砲だ。それは牽制攻撃だったのか、ガイアとガンダムMk-Ⅱの間を掠めて消え
ていった。

 

「サラだ…サラなんだな!」

 

 見覚えのあるMAが、高速で向かってくる。すれ違いざまにメガ粒子砲を何発か放ち、まるで威嚇するか
のようにガイアを牽制している。反転して過ぎ去っていったMAにエマがビームライフルで応戦するものの、
それは縦に翻って簡単にいなして見せた。
 カツから見て上下反転したそのMA――メッサーラは、連続でメガ粒子砲を速射し、追随しようかというガ
イアをまるで近づけさせない。拒否反応を示しているかのように、アウト・レンジからの攻撃を心掛けている
様が、カツにはパイロットの意志としてハッキリと感じ取れた。

 

「サラは僕を接触させまいとする! ――でも、君に話は無くても、僕にはあるんだ!」

 

 お互い、惹かれるようにして遭遇したのに、メッサーラはまるでカツの接触を嫌うように機動する。――と
言うよりも、実際にカツは嫌われているのかもしれないという事は考えなければならない。事の経過はどう
であれ、サラに止めを刺したのは他ならぬカツ本人なのである。今さら、どの面下げてサラと顔を合わせる
というのか、そういった不安もあった。
 しかし、こうして戦場で見えられたのは巡り合わせであるとしか言えない。この千載一遇のチャンスをもの
に出来なければ、カツはサラに呪われたままだ。きりっと顔を引き締め、全身の毛を逆立てるほどの意気
込みを見せた。
 カツの目がメッサーラの動きを追う。一向に立ち去る気配が無い事から、恐らくはシロッコの艦はその先
にあるのだろう。ガンダムMk-Ⅱが突破しようとすると、メッサーラは脊髄反射の如く即座にそれを妨害した。
 それが嫌味に感じられたのだろうか、ガンダムMk-Ⅱはパルカン・ポッドで激しく追い立てるも、メッサーラ
の機動力の前では嘲笑われるだけで、バーニア・スラスターの軌跡をなぞるだけだった。コックピットの中で
青筋を浮かべているエマの顔が、容易に想像できる。ガンダムMk-Ⅱがビームライフルを取り回したとき、
カツは徐にその砲身をガイアのマニピュレーターで押さえつけて下げさせた。そのカツの行為にガンダム
Mk-Ⅱの頭部が振り向き、怪訝そうにその双眸が2度ほど瞬く。接触回線が繋がり、サブ・モニターにエマ
の顔が映し出された。

 

『何をするの!』
「エマさんが僕に負い目を感じて下さっているなら、メッサーラの相手は僕に任せて下さるはずです!」
『今のが、そうだと言うの?』

 

 感度の鈍いオールドタイプとはこの程度だ。宇宙を飛び交う人の意志というものを受信するアンテナが無
いものだから、敵を倒す事だけしか考えられず、無闇に武器を振るう事しか知らない。それでは余計な誤
解を生むだけだと、カツは眉間に皺を寄せた。
 ――尤も、エマの感性の持ち方が大多数の常識であり、カツはそんな常識を持ち合わせていなかった。
そのカツの感想がエゴに過ぎない事に気付けるだけの余裕を持てていないのは、サラの存在がそうさせて
いるのかもしれないが。

 

「その通りです。任せてもらえないのなら、僕は絶対に中尉やカミーユを許しませんよ!」
『戦争をやっています。好き勝手させるわけに行かないのは、あなたにも分かるでしょ?』
「中尉ッ!」
『――けど、私だってチャンスくらいは与えるわ。カツも男の子なら、それをモノにして御覧なさい』

 

 エマがそう言うと、ガンダムMk-Ⅱはガイアのマニピュレーターを振り払ってビームライフルのエネルギー
カートリッジを交換した。そうしてからスラスター・ノズルに火を入れてガンダムMk-Ⅱが機動していくのをカ
ツが見送ると、ガイアも別方向へと動き出す。素早い敵には、複数方向からの同時攻撃が常識。エマと連
動して動き、挟み込むのが手っ取り早い。

 

「分かってるさ、僕だって。いつまでも中尉たちにおんぶに抱っこじゃ、サラは僕の言う事も聞いてくれやし
ないって……!」

 

 エマに言われるまでも無かった。敵同士で、戦場で巡り合うのも奇跡と呼べるのに、こんな機会など滅多
に転がっているものではない。カツはたった1度きりのチャンスと言い聞かせ、集中力を高めた。

 

 一方のサラは、オーブ軍の進撃部隊を牽制しつつ、後方から迫ってくるガンダムMk-Ⅱを気にしていた。
あれに乗っているのは、カツではない――サラも同じくカツの存在を感知しており、ガンダムMk-Ⅱがカツ
の乗る機体でない事を知ると、怪訝に首を傾げた。
 カツは、自分を追って来たがっているのは間違いない。サラの直感が正しければ、カツは態々サラに会う
為に敵陣の懐まで飛び込んできたのである。それなのに、不思議なことにカツの姿が先程から見えない。

 

「カツはまだ近くに居るはずなのに。――何だ、さっきからのこの違和感は?」

 

 シロッコのものであったならば、感じ慣れたサラには無害に等しい。だが、この戦場を包み込むような違
和感は、彼のものではない。柔らかく暖かい、馴れ馴れしいそれが不愉快で、それが先程からサラの勘を
鈍らせていた。
 身体に纏わりつく粘膜のような感触が苛立ちを募らせ、サラの操縦桿を握る腕も鈍らせる。集中力が欠
けていたのだろうか、後ろからしつこく追撃を掛けてくるガンダムMk-Ⅱの攻撃が、メッサーラを掠めた。

 

「プレッシャーも持たずにこちらを狙うというの?」

 

 チリチリと粉のように舞うビームの粒子。装甲には焼け焦げた1筋の跡が残された。しかし、それは狙撃
されたと言うよりも、偶然掠めてしまったという様な感じだった。ガンダムMk-Ⅱからは攻撃的な意志は感じ
られず、その曖昧な照準の意図をサラは測りかねていた。

 

「しかし、Mk-Ⅱが私を追ってくれるなら、パプテマス様の所へは近づけさせないで済むというもの。――あ
れを利用するか?」

 

 サラの目に留まったのは、MSよりも2回りほど大きい岩石が集積しているデブリ帯。そこへガンダムMk-
Ⅱを誘い込むことで、足止めをしようと考えた。
 果たして、サラは操縦桿を傾けてメッサーラをデブリ帯へと向ける。ガンダムMk-Ⅱは機動力の差でメッ
サーラとの距離に大きく水を開けられてしまったものの、エマの目はメッサーラのバーニア・スラスターの光
が大きく曲がったのを見逃さない。その先にデブリ帯がある事をコンピューターの画面で知ると、徐にマニ
ピュレーターの指関節から閃光弾を発射した。

 

「カツ、気付きなさいよ!」

 

 炸裂する閃光弾。鮮やかに白い光を放ち、メッサーラが紛れ込んでいったデブリ帯を照らす。
 それは、エマのカツへの合図。先にそのデブリ帯の中に紛れ込んでいたカツは、こちらへ向かってくるメッ
サーラの姿を視認した。メッサーラの青紫は宇宙では視認が難しいが、カツのガイアは黒が基本色であ
り、更に保護色的な意味合いが強い。果たして、デブリの陰に隠れていたガイアを飛び出させ、遂にメッ
サーラの正面へと躍り出た。

 

「サラ!」
『カツ!?』

 

 唐突なガイアの出現に度肝を抜かれたのか、メッサーラは咄嗟にMSへと変形させた。その変形モーショ
ンの隙をカツは見逃すはずも無く、素早くガイアを飛び掛らせると、メッサーラのビームサーベルを持つ手
をガイアの腕で掴んで、完全に密着するように抱きつかせた。睨みつけるように一点を見つめてくるメッ
サーラのモノアイに対し、ガイアのデュアル・アイは触れ合いを求めるかのようにゆっくりと優しげに瞬く。

 

「本当にサラなんだろ! 2人で話したいんだ!」
『2人で……?』

 

 サラの声を久しぶりに聞いた。これまでどんなに会いたいと焦がれても、決して交わる事がなかった。ここ
に来てようやくサラと出会う機会を得られて、カツは本当に嬉しかった。スピーカー越しのノイズ混じりでも
良い、サラの声をたった一言聞いただけで、カツは喜悦の吐息を漏らした。
 しかし、再会を喜んでいる余裕など無い。エマが与えてくれた折角のチャンス、これを活かせないでは、自
分が結局、何をしたいのかが分からなくなってしまう。弛緩しかけた表情を引き締め直し、サラへと呼びか
ける。

 

「もうこんなことは止めよう! シロッコのところに居たって、いい事なんか何もありゃしないよ!」
『何を言っているの?』

 

 サラの声が不機嫌に低くなった。シロッコを中傷するカツに明らかな不快感を示している事がありありと
伝わってくる。カツは一寸臆する自分を意識しながらも、負けるものかと気を張る。

 

「シロッコは危険な男だ。アイツは――」
『それはカツの考えている事であって、私に指図する事では無いわ!』
「シロッコは、君を利用して戦わせているじゃないか! 僕は、利用されているだけの君をあんな男の所に
置いておきたくないだけなんだ!」

 

 今の一言が余計だったというのか。純粋なパワーでバッテリー仕様機が核融合炉搭載機に勝てるわけが
ないのは自明であったが、それでもチューン・アップされたガイアであればもう少しまともにメッサーラを掴ま
えて置けるだろうとカツは思っていた。しかし、早くも押し返されている現実に、カツの頬を汗が伝った。ガイ
アの腕の駆動関節がギシギシと音を立てているように軋んでいるのが、カメラ越しでも分かる。

 

『甘っちょろいカツの言う事! 私は、カツの恋人でもなければ友達でもないわ。ただ戦場で知り合っただけ
の、そして、敵同士! 馴れ馴れしく恋人を気取るなんて、馬鹿にするのも大概になさい!』

 

 そんなつもりで言ったのではなかった。カツはただ、サラの身を案じて忠告しただけのつもりであった。そ
れが存外に激しく捲くし立てられ、激昂する。そんなサラの態度に、完璧に対話の道は閉ざされてしまった
のだと激しく落胆してしまった。

 

 メッサーラが岩にガイアを押し付けて引き剥がすと、メガ粒子砲を構えて狙いをつけた。カツは慌ててペ
ダルを踏み込み、バーニア・スラスターを噴かして緊急離脱すると、メッサーラのメガ粒子砲から放たれた
ビームが数瞬先までガイアが引っ掛かっていた岩を粉々に砕く。命辛々やり過ごせたと思ったのも束の
間、メッサーラがMA形態で急接近し、再び変形を解いてビームサーベルで切り掛かってくる。

 

「サラは、本気で僕を斬ろうって言うのか!?」

 

 鬼気迫るその動きに、カツの反応が間に合わない。メッサーラの持つビームサーベルの刀身が微かに揺
らいだかと思うと、鋭い太刀筋がガイアの右肩口を一閃、鮮やかに右腕を切り飛ばした。
 カツの目の前のコンソール・パネルがダメージを表示し、警告音がけたたましく鳴り響く。カツはバルカン
のスイッチを固く押し込みながら、操縦桿を一息に引っ張り込んだ。ガイアがその要求に反応し、バルカン
をばら撒きながらメッサーラを蹴って再度緊急離脱する。
 モノアイを明滅させながら、ぐらりとバランスを崩すメッサーラ。しかし、そのマニピュレーターの指関節か
ら接触回線用のワイヤーが伸びた。それに絡め取られた時、そのメッサーラの不可解な行為に、カツの頭
の中で閃きが迸った。

 

『あっ……』

 

 思いもよらなかった自分の行為に動揺するサラの声。その声を耳にした時、カツの脳がフル回転を始
め、一瞬であり得ないほどの思考を廻らせた。それは、殆ど閃きであり、その閃きが何重にも重なってカツ
にサラの根底にある本当の気持ちというものを理解させた。
 拒絶するような素振りを見せておいて、こうして対話の道を残しておく。この矛盾は、サラが迷っている
証拠だ。逃げようとしたカツを引き止めるために接触回線用のワイヤーをガイアに絡めさせたのは、何度も
呼びかければ、サラは自分の言葉を聞いてくれるようになるかもしれないという、可能性だった。
 サラの中で、カツの存在は決して小さなものではない。それを分かればこそ、カツは諦めずに必死にサラ
に呼びかけることが出来る。そして、この状況は彼にとって途轍もない喜びに満ちた出来事であった。
 カツは、ヘルメットのバイザーを上げた。少しでも鮮明に、サラに自分の言葉を届けるためだ。

 

「サラ! サラ、君は僕と話したがっているじゃないか! だったら、そんな突き放すような言い方じゃなく
て、僕の言う事も聞いて!」
『カツは私に拘りすぎるのよ。そんな視野の狭い人を、私は好きになどなれない』
「それはシロッコのことだ。シロッコは自分の目で見る世界しか信じない、狭量な男だ」
『憶測を! あなたなんかに、何が判るって言うの?』
「僕がシロッコを倒す事でそれを証明できるのなら、やっても見せるという事!」

 

 自説の証明の為に敵を倒そうとするカツの気骨は、サラの反発を強めただけだったのかもしれない。カツ
の愚かなところは、それがサラに対して逆効果にしかならないことを考えられなかったところだ。カツは、正
しくサラの言うとおりで、サラに拘りすぎるきらいがある。自分の気持ちを伝える事に精一杯で、相手のリア
クションを考えて言葉を発するという事をしなかったのだ。
 サラの操縦桿を握る手が震えている。憤りの震えだ。わなわなと震える身体を、自らの腕で包み込んだ。

 

「そんな事、カツなんかに出来るはずないじゃない!」
『やってみなけりゃ、分からないだろ!』
「戯言を! ――万が一、シロッコが倒れるようなことがあれば、私もそれを追って死ぬわ! あなたはそ
れで良いって言うのね、カツ!」

 

 出撃前の抱擁が、サラをそうさせたのか。思わず“シロッコ”と呼んでしまった背景には、サラのシロッコに
対する深い敬愛の念がある。それらが重なって、サラの頭の中の想像力を逞しくしてしまっていた。単純に
言ってしまえば、サラは舞い上がっているのである。だから、妄想の中の2人は既に恋人同士なのである。
残念ながら、そこにカツの入り込む隙は皆無だろう。
 ただ、サラにも誤解があった。今のサラの言葉に触発されて、今度はカツが怒りに肩を震わせた。顎を引
いていたガイアが顔を上げると、双眸が燃えるように光り輝く。サラの目には、そのガイアの頭部にカツの
憤りに歪む険しい顔が見えたような気がした。

 

『そんなのは卑怯だ! いくらサラだって、やっていい事と悪い事がある! そんな事も分からないくせに、
無条件でシロッコの全てを鵜呑みにしようとするなんて!』
「減らず口を――!」

 

 苛立ちを覚えた。カツがどこまでも生意気で――違う、カツの言葉に反論できないからだ。カツの言って
いる事を認められる心があるから苛立つのだ。その迷いは、シロッコを信じて戦う自分の信念の弱さを露
見させた。サラは悔しくなって、キッとガイアを睨み付ける。
 カツは攻撃の意志を見せない。まるで無防備なガイアに、サラは容赦なくビームサーベルを振り上げた。
それは不器用に振るわれる刃。感情的になったサラの一太刀は、カツの見透かしたような往なし方でかわ
され、逆にガイアの左手に逆手に握られたビームサーベルで肘を狙われる。果たして、ビームサーベルを
持つ腕を切られてしまい、サラは苦汁の声を漏らした。
 ガイアは続けて、抱きつくように体当たりでぶつかってくる。岩に押し込まれて接触すると、コックピットを
衝撃が襲った。リニア・シートのアームが衝撃を吸収しようと揺れる。その揺れに耐えながら、サラはギュッ
と両目を瞑った。

 

『自分と他人を一緒くたにして、頭の中だけで生も死も共有しようとするなんて、そんなのおかしいよ! 僕
なら、絶対に君をそんな風にしない!』

 

 シートから落とされまいと、全身に力を入れて踏ん張る。揺れはすぐに収まり、パッと目を開けばガイアの
顔。組み付かれていることには違いないが、その組み付かれ方が縋りつかれているように感じられ、サラ
は腹立たしさのあまり、身体を前のめりにさせた。

 

「なら、戦いを止めて! そんな風にしてカツが敵になるから、私だって戦わなくちゃならないんじゃない! 
それは、お互いを遠ざけるだけよ! ニュータイプのやることではないわ!」
『そうやって僕をニュータイプと言って煽てたって、2度も騙されるもんか! 目を覚ませ、サラ!』
「煽てるって、そんなつもりじゃ――」

 

 サラに動揺が表れた。彼女のカツに対しての負い目――アーガマを脱出する為に、カツが自分に気があ
る事を知っていてそれを利用した。純情そうな少年は、得てして英雄への憧れが強い。その憧れを刺激す
る為に、サラはカツに対してニュータイプではないのか、と訊ねた。甘える女として、少年の発起心を呼び
覚まして利用し、そして裏切って逃げた。
 正直、カツの純粋さと優しさが、サラは嫌いではなかった。単純に、出会った順番である。サラはシロッコ
と先に邂逅を果たしていたが、もし、その順番が逆であったり並の男が相手であったならば、カツにもチャ
ンスはあったのかもしれないのだ。
 しかし、カツの運が悪かったのは、相手がシロッコであった事。完璧超人とも称したいほどの天才的頭脳
とカリスマ性を併せ持ち、処世術や話術にも長けている。これ程の才能を持つ相手に比べ、カツの才能は
平凡と言わざるを得ない。だから、遅れてサラの前に立候補したカツに、勝ち目は殆ど無かったのである。
ただ一つの点に於いて以外は――
 サラがカツを拒むのは、カツに魅力を感じないからではない。寧ろ逆に、カツに惹かれる部分が自分の心
の中にあると気付いているからこそ、意地になってそれに抗おうとしている。それがシロッコに対する裏切り
であると意識するからこそ、素直になれない。

 

 カツはサラの心の内を知ろうとし、サラはそれを知られまいとひた隠す。メッサーラがガイアを蹴り上げて
逃げ出すと、カツはそれを追って操縦桿を押し込んだ。先程から漂っている絡みつくような感触が、サラの
心にモザイクを掛けている様に干渉して煩わしかった。

 

「これ、カミーユじゃないのか? 邪魔するんじゃないよ、カミーユ!」

 

 ヘルメットに手を添え、カツは違和感の正体を割り出そうと意識を集中させた。それは決して悪意のある
ものではなく、寧ろ心地よさを与えてくれるものであったが、それが強力すぎて逆にジャミングを掛けてし
まっているように感じられた。お陰で、妙に勘が鈍って調子が出ない。
 サラも、同じなのだろうか。メッサーラの動きが、存外に鈍い。迷いもあるのだろうが、間違いなくこの妙な
感触も影響しているのだろう。
 そうとなれば、いつまでも悲観している場合では無い。カツはガイアに鞭を入れ、もう一度メッサーラに飛
び掛かった。

 
 

 一方、メッサーラを追い込んだエマは、カツが説得を続ける合間に敵MSの掃討をしていた。カツの邪魔
をさせないという配慮と、戦線の維持をするためだ。先程、イケヤ率いるムラサメ小隊が後退した事によ
り、オーブ軍の中心が不在となった。その代わりといっては何だが、ガンダムMk-Ⅱは十分に高性能なMS
であり、エマもザフトから出向している身とはいえ、本来は指揮もこなす優秀な人材なのである。戦線を押し
上げてきた後続の部隊に指示を出しながら、自身は既にMSを5数も撃墜していた。

 

「カツはうまくやれているの?」

 

 ウインダムが果敢にビームサーベルで飛び掛ってくる。エマはそれをひらりと横にかわすと、背後を取っ
てビームライフルを一閃、一撃でコックピットに直撃させ、撃墜数を更に増やした。
 しかし、ここは最前線。ミノフスキー粒子下に於いて、一番被弾の可能性が少ない場所ではあるが、見方
を変えれば敵の懐に最も潜り込んでいる場所でもあるのだ。危険が少ないわけではなく、浴びせられる砲
撃の数は熾烈を極めた。
 堪らずエマはバックして少し身を引き、後続の部隊と合流して一斉に敵部隊に対して砲撃を加えた。そし
て、敵の攻撃が緩くなると、ワイヤーで一機のムラサメに接触回線をまわす。

 

「伝えて。ここまで前線を押し上げられれば、陣容を崩されるような事も無い。戦線の維持を最優先に考
え、作戦の終了まで持ち堪えろと。こちらの目的は、あくまで謎の廃棄コロニーの調査である事を、もう一
度全軍に確認させて」
『了解です』

 

 ワイヤーを引っ張って収容すると、今のムラサメがワイヤーを飛ばし、他の友軍に対して接触回線を繋げ
た。それが次々とリレー方式で伝えられていく。ミノフスキー粒子が蔓延する状況では、こうした地道な作業
も必要になったりもする。

 

「カツは――」

 

 目を凝らし、エマは先程カツが紛れて行ったデブリ帯を見た。大きく伸びるバーニア・スラスターの光と、
細かく姿勢制御するアポジ・モーターのとっ散らかったような光が、絡み合うようにして流れていく。
 ガイアとメッサーラの性能差を考えれば、カツが易々と説得に集中できるような状況にない事は分かる。
付け加えてカツには油断をするという悪癖を持っている事を併せて考慮すれば、援護に入る必要性は十分
に認められた。
 複数機のウインダムが、ガンダムMk-Ⅱに攻撃を仕掛けてくる。エマはそれに向かってシールド・ラン
チャーからミサイルを射出し、牽制を掛けた。それによって出鼻を挫くと、ガンダムMk-Ⅱをガイアとメッ
サーラが絡む方向へ向けて機動させた。

 
 

 同じ頃、カミーユもまた、引っ張られるような勘を頼りにカツの元へ向かっていた。ウェイブライダー形態
のΖガンダムとMA形態のギャプランのスピードは、並大抵のMSの機動力とは一線を画する。それに付け
加え、2人は理論以上に勘が働くタイプのパイロットである。臨機応変なその動きが、いかなる攻撃をも寄
せ付けなかった。
 果たして、2人はメッサーラとガイアのもみ合いの現場に辿り着く事が出来た。バーニア・スラスターの光
が2つ、拡大画像がワイプに表示されると、ガイアとメッサーラの機影を確認した。

 

「サラはあれか」
『カツが危ないわ!』

 

 ロザミアが叫ぶのと同時に、組み付いたガイアが振り落とされる。ふらりと流されるガイアは損傷してい
て、姿勢制御にも苦労しているように見える。そこを狙ったように向けられたメッサーラのメガ粒子砲が、ガ
イアの頭部を吹き飛ばした。
 カツはメイン・カメラを失って焦ったのか、慌てて回避運動を取ろうとしたガイアは、無惨にもスペース・デ
ブリの岩に衝突した。目隠しをしているようなものなのだから仕方ないとして、完全にコントロールを失った
ガイアは格好の的だ。メッサーラの砲口は、そんなガイアに対しても容赦なく砲撃を加えた。
 しかし、おかしい。メッサーラの照準は酷く曖昧で、グロッキーなガイアに掠りもしない。特にイレギュラー
な動きをしているわけでもないのに、まるで直撃を躊躇っているかのようだ。

 

「サラはシロッコのMSに乗りながらにして、カツを撃墜する事に迷っているんだ……!」

 

 カミーユは瞬時にそう悟り、Ζガンダムを2人の間に割り込ませた。Ζガンダムの登場に驚いているの
か、メッサーラは挙動を乱し、慄いたようにして僅かに後ろに下がった。その迷走振りが不愉快に感じら
れ、カミーユの歯がギリッと音を立てた。

 

「そういう情けを掛けるくらいなら、敵になる事を止めろ!」

 

 カミーユがシールドを前面に押し出して、メッサーラに体当たりする。虚を突かれたのかどうかは分からな
いが、余りにもあっさりと接近を許すサラ。目の前のメッサーラのモノアイが、動揺を表すように上下左右に
落ち着き無く揺れている。本人も同じようにして目を白黒させているのだろうと想像できる。

 

「サラ! カツをどうするつもりだったんだ!」
『カ、カミーユ? 2人で話したいって言ってたのに――カツは、私を騙したの!?』
「何を言っているんだ?」

 

 気が動転してしまっているのだろうか、サラの声は揺れていた。カミーユに言われ、ハッとして我を取り戻
す。首を振り、周囲を確認して孤立しつつある事に気付いた。

 

「この、私に集中する意識の固まりは、私を生け捕りにしようとしている……!」

 

 そうはさせじと、無理矢理にΖガンダムを殴り飛ばして後退した。こんな事で捕まって堪るかと懸命に逃
げようとするも、援護に駆けつけてきたガンダムMk-Ⅱが正面を塞ぐようにして躍り出し、慌ててサラは進
路を変えた。ところが、その先に今度はギャプランが現れて、メガ粒子砲で威嚇してくる。いよいよ以って危
機意識が高まってくると、サラは恐怖に喉を鳴らして眉を顰めた。
 万事休す――サラは苦渋に顔を顰め、取り囲むカツ達の事をにらみ付けた。
 メッサーラが諦めて動きを止めると、ガイアがゆっくりと接近してきた。左肩口と頭部の損傷部分をスパー
クさせながら、包み込むように左腕を回してきた。まるで、MSで抱き合うように、僅かな接触による振動を
感じると、コックピットの中のカツの呼吸が聞こえてくる。
 止めて欲しかった。辛く当たったのに、カツはそれを許そうとするかのように優しさをぶつけてくる。恐ら
く、ここでカツに重傷を負わせたとしても、彼はそれを許してしまうのではないだろうか。そう思わせるほど
に、ガイアから聞こえてくるカツの呼吸は柔らかく、穏やかだった。

 

『サラ、僕の声を聞いて欲しいんだ……』
「な、何を――」
『シロッコは、優しい人かもしれない――』

 

 それは、カツの敗北を認める一言のはずだった。先程の敵意むき出しの恨み節に比べ、今の言葉はそ
の自分の意見を覆そうというものだ。サラは驚き、息を呑んでカツの声に耳を傾ける。

 

『――けど、その優しさは君を戦争をする人に変えてしまった。それは、君のような純粋な女の子にしては
いけない事なんだ。だから、僕はシロッコが君に対して投げかけている優しさが、許せないんだ』
「カツ……それは違うわ。私は、あの方の為に戦う事を決意したのよ。それは、私の意志でやった事――
パプテマス様のせいではないわ」
『でも、サラは戦いで何かを得ようと考えるような人ではないだろう?』

 

 カツの声が震えている。ほんの少し鼻を啜るような音が、機械的なノイズの音に混じってサラの耳に届け
られる。先程までの激情任せのカツの声色ではない。ひっきりなしに投げかけられるカツの自分に対する
優しさに、サラは狼狽した。
 カツの問いに応えられないで、少しの間だけ沈黙が包んだ。カツはサラの反応を待っている。サラはどう
答えて良いのか分からず、答えを探すように視線を泳がせる。

 

「……カツは、私をどうしたいの?」

 

 考え抜いて出した答が、それだった。自分に価値を見出して必要としてくれたシロッコ、その彼とは違う印
象を受けるカツは、それまでのサラの価値観を崩壊させてしまうかもしれない。ただ、ここまで一所懸命に
なってくれるカツの、どうしようもない拘りが、サラに聞く耳を持たせた。サラは、カツの一所懸命に応えなけ
ればならないと感じていた。

 

『僕は、君にMSから降りて、戦いから身を引いて欲しいだけなんだ』
「本当に、それだけなの?」
『ああ、僕の事を好きになってくれなくていい、君がそうしてくれるって言ってくれるのならば、僕はもうシロッ
コを憎んだりはしない。――約束するよ』

 

 サラはシロッコに使役される事で充足感を得ていた。しかし、カツはサラに安らぎを与えようとしている。
それは、人には目に見えない精神的な信頼関係だけでなく、生身で触れ合えるような肉感的な感触も必要
なのだと訴えているように聞こえた。

 

「カツ……」

 

 カツがどこまでも優しくしてくれるのは、彼が正直だからだ。自分の気持ちを包み隠さず、全てさらけ出す
事で他人に理解を求める。中には、そんなカツの正直さを甘い事だと唾棄する者も居るだろう。ただ、サラ
としてはカツの正直な優しさにならば抱かれても良いとさえ思った。それは理屈なんかで考えた事ではなく、
自分の根底にある感性で導き出した結論だった。だから、いつの間にか自然と涙が浮かんでいても、それ
は当然の事なのだと理解できた。

 

 ガイアとメッサーラは、暫く組み付いたままで動かなかった。カミーユはそれを眺めながら、何か重要な事
を2人に教えてもらったような気がしていた。カミーユの意識の中で、2人が抱擁を交わすイメージが湧き上
がった時、観念的であったニュータイプの定義に一つの答が導き出されたように感じた。

 

『カツ、優しいんだ……』

 

 Ζガンダムに、ギャプランがそっと接触してくる。ロザミアが蕩けた声色でそう漏らすと、そうだな、と一言
返した。あのロザミアを、まるでマタタビを嗅いだ猫のようにしてしまったのは、それだけカツとサラの感応
が真に迫っているからだと思う。
 やっと、心を通じ合わせたカツとサラ。敵同士――それは、自身のフォウとの体験談をも思い起こさせ
る。分かり合うということは、お互いの心を裸にし、現実的な温もりを求める事に他ならない。それは、時に
対立を生むような事もあるだろう。しかし、それを乗り越えて理解を深めた先に、答が待っている。サイコ・
ガンダムのコックピットの中、フォウはそれを分かってくれたからこそ抱いてくれたのだと、カミーユは思い
たかった。
 しかし、世の中というものは中々上手くいかないものであった。それは試練と呼ぶには余りにも禍々しく、
バラの棘が全身に食い込むような痛々しいプレッシャーを感じて、カミーユの顔からドッと汗が噴き出した。
間違いなく、今この場に最も近づけてはならないニュータイプの存在を察知した。

 

『お、お兄ちゃん――ッ!』

 

 ついさっきのロザミアの穏やかな声色は、その瞬間に消え去った。聞こえてきたのは、強気な彼女が放
つ珍しく弱気な声。接近するニュータイプの危険性が、分かっているのだ。カミーユは思考を中断させ、ガ
ンダムMk-Ⅱにワイヤーを繋げた。

 

「エマ中尉! あっちから――あの岩の向こうから敵が来ます!」
『敵って――来るの?』
「シロッコです! 今、奴をここに近づけちゃいけない!」
『分かったわ。やってみる』

 

 ガンダムMk-Ⅱが腰のウェポン・ラックからハイパー・バズーカを取り出すと、カミーユに指定された方向
に向かって構え、装填している全ての弾頭を吐き出した。それは暫く直進したところで拡散し、数多の礫と
なって虚空の宇宙の中に染み込んでいった。
 見開くカミーユの目が、虚空を見つめる。微かなバーニア・スラスターと思しき光が、一瞬だけ光って消え
た。そうすると、先程カミーユが指差した岩がビームに貫かれ、塵となって砕け散った。そこから煙を引き摺
るように飛び出してきた白亜の大型MSが、漆黒の宇宙に敢然と姿を現した。

 

「シロッコめ!」
『見えたッ!』

 

 カミーユが直感するのと同時に、ギャプランがΖガンダムの前に躍り出て、メガ粒子砲を速射した。しか
し、タイタニアは岩を巧みに利用して難なくかわして見せると、待ち構えるカミーユ達には目もくれずにガ
イアとメッサーラのところへと加速して行った。

 

『生意気!』
「行かせるかよ!」

 

 ロザミアの苛立ち、カミーユはそれに構わずにΖガンダムをタイタニアに追随させた。

 

「エマさん! 何とかシロッコの足を!」

 

 分かっていると言わんばかりにタイタニアの正面に回りこむガンダムMk-Ⅱ。それで少しは時間を稼げる
と思ったのも束の間、タイタニアの肩から射出された1基のファンネルが威嚇してガンダムMk-Ⅱのバルカ
ン・ポッドを吹き飛ばし、胸部付近に膝蹴りを食らわせて簡単にあしらってしまった。
 しかし、ギリギリ追いつけるだけの時間は出来た。カミーユがΖガンダムをタイタニアに横付けすると、
ビームライフルをかざして威嚇射撃を放つ。タイタニアは風に揺れる木っ端の如く上下機動して意に介す様
子も見せない。ビームライフルでは駄目なのか。ならばとビームサーベルを取り出し、縦に切り掛かった。
 それを待っていたのか、タイタニアは肩部サブ・マニピュレーターのビームサーベルで斬撃を受け流すと、
一足飛びに加速してΖガンダムを振り切ってしまった。コックピットでは軽く後ろを振り返りながらほくそ笑
むシロッコ。子供の単純な思考を嘲笑うように鼻で息を鳴らす。

 

「感情でサラを洗脳しようとしているようだが、そうは行かん。彼女は私にとって必要な存在なのだ」

 

 これで、もう障害は無い。タイタニアの肩部から数基のファンネルが飛び出してくると、あっという間にガ
イアを取り囲んでしまった。そして放たれるビームが正確にガイアの四肢を射抜き、メッサーラを傷付ける事
なく引き剥がす。

 

 突然の衝撃に、カツは夢見心地の世界から一気に現実へと引き戻された。ファンネルの砲撃は致命傷と
は行かないまでも、ガイアを沈黙させるには十分な損傷を与えていた。ハッとして機体の損傷状態を確認
してみるも、既に胴体部を残してガイアはダルマ状態になっており、制御が利かなくなってしまっている。あ
くせくとコントロールを呼び戻そうと色々弄ってみるも、モニターにはビームライフルの砲口をこちらに向け
ている、くすんでいるようで純白のMS。

 

「こ、このままじゃ――」

 

 焦ってガイアをコントロールしようと操縦桿を何度も押し引きするが、一向に反応する気配が無い。どうや
ら、今の損傷で操縦制御に異常を来してしまったようだ。
 こんな棺桶に入れられたまま成す術もなくやられてしまうのか、カツは警告で真っ赤な光が明滅するコッ
クピットの中、必死に手を尽くそうと抗いを見せていた。その表情に、まだ諦観は無い。
 シロッコは、そんな最後まで抵抗を見せているカツの姿勢は、悪あがきであると断じる。もはや何をしよう
と無意味であると分かっている状況での往生際の悪さは、品性に欠けると考えるからだ。だから、そんな人
間がサラをかどわかそうとしていたという事実が、余計に不愉快で仕方なかった。

 

「往生せい、小僧」

 

 シロッコがにやりと口の端を吊り上げて、トリガー・スイッチを押し込もうとした時だった。不意にメッサーラ
が間に飛び出してきて、胴体部のみのガイアにビームサーベルで切り掛かったのである。お陰でシロッコ
はスイッチを押そうとした指を寸前で躊躇い、カツに止めを刺すチャンスを逸してしまう。

 

『私を惑わす敵はぁッ!』
「サラ!?」

 

 表情に驚きの色を見せたシロッコ。サラは口ではそう言うが、このタイミングでの飛び出しは、あたかもガ
イアを庇ったようにも見える。それはデジャヴではなく、以前にもレコアが似たような行動を取った事があっ
た。その時の出来事と、非常によく似通っているのだ。
 しかし、驚いている場合ではない。戦いは常に流動的なものなのだから、タイタニアをビームが襲うという
状況は、必ず訪れる事である。一つ舌打ちをして顔を振り向ければ、Ζガンダムとギャプランが追い立てる
ようにしてビームライフルを撃ってくる。シロッコは、ガイアに止めを刺さずしてそこから離脱するしかなかった。

 

 タイタニアの代わりにメッサーラが飛び出して来た時、カツはサラの情けを感じた。操縦桿を遮二無二、
動かしていると、一瞬だけスラスター・ノズルが点火し、背中を押されたようにガイアが飛び出した。
 当然、メッサーラはガイアを動けないものとして飛び掛ったものだから、その突然の動きにサラの咄嗟の
対応が間に合わず、再度抱きつくような形で接触した。

 
 

 ガイアはカメラの殆どが死んでいるのだから、カツには今の接触が岩にぶつかったのかメッサーラにぶつ
かったのかは分からない。光源が弱くなりつつあるコックピット、薄暗がりの中で手を弄って何とか生き残っ
ているカメラでを復活させる。そうすると、モニターには至近距離で捉えたメッサーラの顔のアップが映し出
され、モノアイを柔らかく光らせていた。カツの耳に、接触回線が繋がった事による砂をかじった様な音のノ
イズが聞こえる。

 

『カツ、私との事は全部、夢だったと思って』
「えっ?」

 

 内緒話をしているかのような囁き声。カツは思わず聞き返した。

 

『夢だったと思って。――夢は、いつか醒めるもの。それならば、私との事だって、きっと忘れられるわ』
「忘れられるって……そんな――!」

 

 カツが問い詰める暇もなく、メッサーラはガイアを突き放した。その次の瞬間、メッサーラを追い捲るビー
ムの光。ガンダムMk-Ⅱがカツの危機を救おうとビームライフルを構えていた。
 途端にガイアのボディ・カラーが石灰色に染まっていく。エネルギーが危険域に突入した事によって、フェ
イズ・シフト装甲への電力供給がストップしたのだ。
 サラはスイッチを弄ってワイプでガイアの姿を確認した。灰のようなガイアの胴体部が、ガンダムMk-Ⅱに
抱きかかえられている。すぐにそのワイプは消し、サラは俯いて目蓋を閉じた。

 

「カツ、あなたのような優しい人は、私みたいな女に囚われてはいけないのよ。私は、パプテマス様と戦うと
決めてしまった。今更その生き方を変えてしまったら、それは私ではなくなってしまう。だからカツ、あなたは
私と関係の無いところで生きて。そして、出来ればもう二度と私の前には――」

 

 不器用なサラなりの、精一杯の思いやり。カツと心は通わせた、しかし、サラはカツと共に歩む事を拒否
した。それは、カツにさよならを告げる事と大差ない。サラは、シロッコと先に出会ってしまったのである。そ
れは決して覆る事の無い結果で、カツにはどうしようもない事だった。

 

「駄目だ、サラ! 君は、戻るべきじゃないよ!」

 

 人と出会った順番が、人生を決めてしまう。それは、奇しくもカツの憧れるアムロ=レイが通った道と同じ
だった。いくら心を通わせても、過去までは変える事はできない。カツの虚しい叫びが、薄暗いガイアのコッ
クピットの中で響き渡っていた。