ΖキャラがIN種死(仮) ◆x/lz6TqR1w 氏_第58話

Last-modified: 2009-07-27 (月) 18:28:06

『今、立ち向かう時』

 
 

 囲んでいた2つのリングは、既に無い。残されたのは丸裸にされたメサイアの本体のみで、その形状も棘
の生えたアーモンド形を留めていない。コロニー・レーザーと核攻撃によって、頭頂部がネズミに齧られた
様に削られてしまったからだ。
 外から見れば、その無残な姿は哀れみさえ誘う。軍事要塞などという厳格な雰囲気は無きに等しく、とも
すれば滑稽ですらある。しかし、メサイアをこのような不恰好にさせた連合軍は、そこに何の感傷も抱かな
いだろう。――ザフトはコロニー・レーザー破壊の為、このメサイアを弾頭としてぶつける作戦を敢行する
事となった。

 

 恐らくは、最後のブリーフィング。ミネルバに集結したアークエンジェル、エターナルの各員が作戦内容
を確認し、そして互いに健闘を誓い合った。
 雰囲気は何とも言えない。良くも無いし、悪くも無い。有り体に言えば、覚悟が出来ているといった感じ
だろうか。先の戦いで数多の犠牲を払ったが、皆やるべき事は分かっている。

 

 ブリーフィングが終わった後は、自然と歓談の場となっていた。作戦開始までの束の間の一時。こういう
時にレクリエーションをして気分のリフレッシュしておく事は、悪くない。先の戦いは、身体的なもの以上に
精神的な負荷の高いものだった。決戦を前に、だからこそ心を楽にしておく事が必要だろう。

 

 ロザミアはステラと隣り合い、何やらおしゃべりをしていた。似たような境遇同士、何よりも女の子同士で
ある。最初は反りの合わなかった2人だったが、やはり馬が合うのだろう。楽しそうに話しているのを見て、
カミーユは先にブリーフィングルームを出た。

 

「珍しいですね、1人で」

 

 不意に声を掛けられ、身を翻す。ブリーフィングルームの出入り口から姿を現したのは、赤い制服を身に
纏った黒髪の少年だった。瞳に印象的な赤を宿すその少年は、続けて同じ色の軍服に身を包んだ少女を
引っ張り出した。ひらりと舞うミニスカートの裾が、めくり上がりそうで上がらない。――凄い技術だ。

 

「そりゃ、女の子の会話に男子は入り辛いものね」
「ルナは行けよ」

 

 ルナマリアが出入り口から中を覗いてそう口にすると、黒髪の少年――シンはその背中を押して無理矢
理に先に行かせた。

 

「ナニそれ? 人前だと偉ぶるんだ!」
「いいから!」

 

 怒鳴るシン。ルナマリアは頬を膨らませて抗議する。
 ちょうどその時レコアが退室してきて、様子に気付くと徐にルナマリアの腰を抱いて攫っていった。

 

「な、何です?」
「男は男、女は女。放っておきましょう」

 

 きょとんとするルナマリアに、レコアはそう言って微笑みかけた。言っている意味が分からなかったのか、
眉を訝しげに顰め、目を丸くする。
 続けて、エマも出てきた。彼女も同様に状況を把握すると、不意にシンの後頭部を叩いた。そして、前
に回りこんでその襟を左手で掴み、見下すように顎を上げた。

 

「うっ」

 

 シンが呻く。突如として後頭部を叩かれ、襟で首を絞められるという振るった出来事に、困惑していた。
 エマが睨みを利かす。まるで、かつあげの現場を目撃しているようにカミーユには見えた。

 

「オーブには、旧ジャパンで言う“テイシュカンパク”の慣習が色濃く残っているようね。――そういう男の
勘違いってものを!」

 

 エマはそうシンに一喝すると、突き飛ばすように掴んだ襟を放してレコアとルナマリアの後を追った。

 

「エマ中尉は、その手なずけ方を教えてくれようとしているのよ。――行きましょ、ルナマリア」
「そうなんですか?」
「大丈夫。エマさんはね、戦艦の艦長を手篭めにした事もあるんですから」
「は、はぁ……豪胆でいらっしゃるのですね」

 

 恐らくはヘンケンの事だろう。――言い方にかなり語弊があるが。
 どちらかと言えば、あれはヘンケンの方から猛アタックを掛けて、最終的にエマが折れたという馴れ初め
だったはず。それを言わないのは、きっとルナマリアを強引に納得させるためのレコアなりの方便だった
のだろう。――多分。
 3人は連れ立って通路を進んでいくと、やがて角を折れて見えなくなっていった。

 

「全く、何て女達だ。まるで分かっちゃいない!」

 

 そう言って乱れた襟を直すシン。勇ましい物言いだが、彼女たちが完全に見えなくなってから口にする
辺り、女性の怖さというものを本能的に理解している風に見える。それは正しいのだが、しかし、将来的に
尻に敷かれる様が目に浮かぶ。

 

「大変だな、シン」
「冗談じゃないですよ。女って、1人の男を寄って集って――弱いもの虐めじゃないですか、あれ」
「分かってないな。女のヒステリーが、男の我侭を許すものかよ」
「忍耐なら、許してくれるってんですか? ――面倒くさいんスよ、そういう女の習性って奴は」

 

 呟くように、言う。そして髪を掻き毟り、首を横に振るシンを見て、カミーユは若干気の毒に思った。

 

「――やっぱり、1人は寂しいですか?」

 

 シンから何かに気付いたかのように徐に尋ねられて、カミーユは少し顎を引いた。哀れみを向けていた
つもりだったが、シンには寂しそうな表情に見えたのだろうか。

 

「何が?」

 

 何となく、意味は分かっている。しかし、素っ気無い振りをして聞き返した。

 

「だって、ロザミィは違うでしょう? ――って言うか、そうだったら引きます。血が繋がって無くったって、
妹とだなんて!」
「お前なぁ。話を変な方に持っていくなよ」

 

 他愛の無い女の話。シンは今しがた女性を疎んじる発言をしておきながら、それを覆すかのような物言い
をする。きっと、本音ではルナマリアという存在の有り難味を分かっているのだろう。だからロザミアに掛か
りきりで浮いた話の一つも聞こえてこないカミーユを心配する。
 ルナマリアを無理矢理に先に行かせたのは、そんな彼なりの気遣いだったのだろう。しかしそれはどうも
シンに傷を舐めて貰っている様で、気持ち悪いだけだった。カミーユも男である、そういう慰めは眉目秀麗
な女性からいただきたい。

 

「そう言えば、カミーユってそうだよね」

 

 また1人、長閑な声がして振り向いた。黒髪だが色素が薄く、うっすらと赤み掛かった髪を前に流している
ヘアースタイル。シンとは対照的にのほほんとした顔つきであるが、その奥に人一倍強い意志の力を隠し
持っている。キラだった。

 

「お前まで」

 

 面倒くさい奴がまた1人増えたなと思い、カミーユは思わず顔を顰めた。一方キラはその様子を見ても、
全く意に介していない様子で微笑を湛えていた。こういう時の彼はしつこく、厄介だ。

 

「僕達ってほら、年頃じゃない」
「何だよ、それ?」
「良いじゃない。減るものでもあるまいし」
「何考えてんだ、こんな時に」

 

 まるでハイスクール気分だ。カミーユはフッと一瞥してから、先へ流れる。それに続いて後ろから2人が
床を蹴る音がした。付いて来るつもりらしい。鬱陶しい事この上ない。

 

「だったら、ラクス=クラインはいいんですか、あなたは?」

 

 シンがキラに訊ねる。カミーユが肩越しにチラリと様子を覗うと、キラは一瞬驚いた顔を見せていたが、
直ぐに平静を装おうと演技を始めた。

 

「どういう事?」
「こっちに帰って来てから会ってないんでしょ。そういう感じ、しちゃってるなぁ」
「バカ言わないでよ。どうして僕が彼女に――」

 

 乾いた笑みを浮かべるキラ。天才的なパイロット・センスを有していても、演者としての才能は欠片も
持ち合わせていないようだ。ある意味で人間離れした雰囲気を持つ彼も、やはり人間という事なのだろう。
シンに言い負かされている様子は、微笑ましくもあった。

 

「隠さなくたって、知ってます。あなたとラクスが付き合っているって事」
「ん、やだなぁ、僕は、あの、その……」

 

 勿論、シンのこの発言はカガリからの受け売りである。それは下手をすればプラントがひっくり返ってしま
うようなような大スキャンダルであるが、ただ、カミーユにとってはキラとラクスが恋人関係にある事実は
デフォルトであるから、プラントやザフトでその事実が広まる事の重大性は今一ピンと来ない事ではあった。
 他方でしどろもどろのキラは、その重大性を十分に理解している様子だった。シンがその事実を知って
いた事に、大きなショックを受けている。
 シンはそんなキラの困惑振りを見て、得意気に鼻を鳴らした。勝ち誇ったような表情をしていた所に、彼
の幼い性分が垣間見られたような気がする。困り顔のキラはそんなシンの得意顔に対し、後ろ手で頭を
掻いていた。

 

「大丈夫ですよ。俺だって、状況は見えています。触れ回ったりはしませんから」
「頼むよ、ホントに」
「当然です。だから、カミーユに言えた事じゃないでしょって話ッスよ」

 

 今の言葉にも、他人よりも優位に立ちたいというシンの幼さが見え隠れする。表向き、カミーユを庇って
いるようにも見受けられるが、その実、会話の風上に立ちたいという本音が隠されているように感じた。
恐らく、そのカミーユの推測は当たっているのだろう。

 

「そう言いながら、シンは俺とキラを同時に詰りたいと考えてんだろ?」

 

 ビンゴだった。カミーユがそう口にした途端、それまで得意気だったシンの表情が、渋く変化した。
それを見て、今度はカミーユが得意気に鼻を鳴らした。
 言い当てられて直ぐに表情に出る辺り、根は正直者なのだろう。シンは悔しそうに舌を鳴らしていた。

 

「俺はあんた達に勝ちたいんですよ。だったら、こういう手段に打って出たりもします」
「――俺もか?」

 

 カミーユは思いがけない指名に、自分を指差して目を丸くした。シンは獲物を見つけた肉食獣のように
首を回し、ギラギラとした瞳で見つめて……睨んできた。

 

「カミーユには、得体の知れない力がある。俺は、あんた達やザラ隊長を目標にしてきたから、ここまで
戦えるようになったんです」
「そうは言うけど、ジ・Oは君が倒したんだろう?」

 

 立ち直ったキラが、訝しげに問う。
 キラはアルザッヘル基地にカミーユを救出しに来た時に、ジ・Oに惨敗を喫していた。カミーユの助けが
入ってくれなかったならば、キラはその時に死んでいたかもしれない。そのジ・Oを、シンは倒したのだ。
キラは既にシンが自分よりも強い事を認めていた。
 しかし、一方でシンはその様に思っていなかったらしい。キラの言葉に反発するように手を横に薙ぐと、
キラの正面に躍り出た。

 

「ザラ隊長と2人で、ですよ。ヘッ! あんたは1人で戦って生き延びたじゃないですか。しかも、パイロット
はシロッコって言う凄いので、その上ジ・Oの上位機種とも互角に渡り合ったと来る。衛星軌道上の戦いの
顛末は、データで拝見させてもらいましたんでね!」
「そんなんじゃない。僕はシロッコに弄ばれただけだよ」

 

 どちらにも居合わせたカミーユには、覚えがある。確かにアルザッヘルでは明らかに弄ばれてたようにも
感じたし、衛星軌道上での戦いでもシロッコが本気で戦っていたかについては定かでは無い。決してキラを
貶めるつもりは無いが、彼が懸念している通り、シロッコは未だMS戦に於いて本気を出していないような気
がした。それは、ステーション攻防戦で直接対峙したカミーユだからこその実感である。
 シンはしかし、納得していないのかキラに指を突き出してライバル心を剥き出しにしていた。彼の目先しか
見えていないような言動は、子供の証明に思える。カミーユは呆れて溜息をついた。

 

「そういう覚悟だと、まずお前から死ぬぞ」
「誰が死ぬもんかよ!」

 

 カミーユはシンの大声を尻目に、ラウンジの中に入った。そこに人の姿は無く、どうやら貸し切り状態で
使わせてもらえそうだ。カミーユがベンチに流れてそこにスッと腰掛けると、シンがそれを追って対面の
ベンチへと流れた。

 

「ロザミィ一辺倒のカミーユが、俺をどうこう言ったって――ぬあッ!?」

 

 シンはカミーユの座るベンチを飛び越える時に爪先を引っ掛け、体勢を崩して座ろうとしていたベンチに
顔から突っ込んだ。ぐしゃっとまともに顔面をぶつけるシンが、もんどりうって顔を手で覆う。

 

「気をつけろよ。出撃前にパイロットが怪我して、どうすんだ」

 

 急ぎ振り返ったシンの鼻は真っ赤に腫れていて、右の穴から少しだけ血が出ていた。

 

「つまり、カミーユにも誰かイイ人が居た方が良いでしょって事だろ!」
「はいはい、良い良い」

 

 力説するシンは、しかし鼻声が間抜けでまるで説得力が無い。カミーユは顔を横に向け、呆れたように
返事をするだけだった。

 

「何だったら、俺の伝手で誰か紹介してやっても――」

 

 伝手と言っても、シンにそんなネットワークがあるわけが無い。いいところルナマリアくらいだが、彼女
の妹であるメイリンでも紹介しようというのだろうか。プラント年齢で言えば彼女は既に成人らしいが、
カミーユとしてはもう少し大人びた女性の方が好みだ――という問題では無い。

 

「ひゃっ!?」

 

 その時、背後から近づいてきたキラに不意に冷えた缶を鼻っ面に当てられ、シンはあられもない悲鳴を
上げた。何事かとカミーユが顔を向けると、涙目のシンの傍らに微笑みながらキラが立っていた。そこに、
何かと黒い気配を感じた。

 

「はい、飲み物。――カミーユも」
「あ、あぁ」

 

 パックを投げ渡され、カミーユは受け取った。キラはにこやかな表情でストローを口にし、ポケットから
ティッシュを取り出してそれをシンの目の前に差し出した。

 

「ほら、使いなよ」
「ど、どうも……」

 

 受け取り、それを紙縒りを作る様に捩り、それを右の鼻の穴の奥へとギュウッと詰め込んだ。
 シンはキラの厚意を素直に受けていたが、カミーユには何となく分かっていた。今しがた軽い悪戯をした
のは、完全に先程の仕返しだ。悪質ではないが、それを悟られないように平然とした表情をしているあたり、
陰湿だと思った。――先程の演者としての才能が欠片も無いと言う印象は、撤回しておこうと思う。
 いつかキラの趣味がハッキングだという噂を耳にした事があったが、なるほど、あれでいてキラも中々に
腹黒い。カミーユの中でのキラへの警戒レベルが一つ上がった瞬間だった。

 

「確かに、シンの言う事も分かる気がするな。――カミーユって、前はどうだったの?」

 

 キラがシンの隣に座り、訊ねてくる。ちょうど2人と向かい合うような状況になって、キラもシンも前のめり
にカミーユを見ていた。
 これは、尋問なのか? カミーユは嫌がって少し顔を横に逸らした。

 

「どうって……」

 

 正直、その質問は割りと答え難い。エマやレコアには相手にされなかったし、フォウに関してはどう言って
良いのか分からない。彼女とは恋とか愛を超えた所で通じ合ったような気がするし、そうなるとカミーユの
選択肢はほぼ消滅する。――それなりに潤っていたと思われたが、どうも乾いていたのではないかという
疑惑が今さらになって浮上した。

 

「居なかったんですか? 幼馴染のガールフレンドとか」

 

 シンが鼻から抜けるような間抜けな声で訊ねると、浮かんでいるパックを手に取って、ストローに口を付け
て一口だけ吸い込んだ。
 なぜ彼女の存在を忘れていたのか。シンの問いが随分とピンポイントだった事は取り敢えずとして、「幼馴
染」というキーワードで思い出した。

 

「居たよ。母親みたいに口やかましい子だったけどね」
「なら、その人ですよ。口やかましかったって事は、カミーユが気になってたって事じゃないか」
「どうかな……」

 

 余りにも当たり前に傍に居たから、雄と雌の関係としての単純なセックスはしたいと思った事はあっても、
彼女と恋心を交わすなんて事は考えられなかった。悪い言い方をすれば、カミーユにとって彼女は都合の
良い女である。カミーユがどれだけ色々な女性にアプローチを掛けて振られても、何故か最終的には彼女
に慰めてもらえるだろうという勝手な思い込みがあった。
 反面、幾度となく喧嘩も繰り返し、レクリエーションだと揶揄されたりもしたが、彼女とそういうことを繰り
返す事で安堵を覚えていたのも事実だった。戦争という非現実的な毎日を過ごしていく中で、彼女だけは
カミーユの日常を知っている現実の女性だったからだ。
 そういう身近な現実だった彼女を、恐らくは戦争という異常な状況に長く居すぎたが為に忘れていったの
だろう。一度心が砕けて、そういう事に気付かされた。

 

「幼馴染って大事だよ。でも、僕とアスランはそれを分かっていたはずなのに、間違ってしまった」

 

 キラは表情を曇らせながら語る。2年前の戦争の時の事だろう。今でこそ良好な関係を築けているが、キラ
とアスランは幼馴染でありながら敵と味方に分かれ、本気で殺しあった事があるらしい。状況が全く違うから、
正直キラの話は全く参考になりはしないのだが、彼の言いたい事だけは伝わった。
 キラは苦笑いをして、続ける。

 

「――女の子なら、尚更…ね」

 

 キラが目を細める。シンがそれに同意するように頷いた。
 それを最後に会話が止まり、カミーユは顔を横に逸らして視点を別に移した。

 

 姿を思い浮かべる。肩の辺りまである少し癖のある髪は艶やかな黒で、顔の輪郭を隠すように内に巻い
ていた。少し釣り上がった目とさして高くない鼻、それに小さな口と豊頬で堀の深くない顔立ちは、極東系
の人種の血を色濃く受け継いでいるが為に、他の同級生の女子と比べても一回り幼く見えた。
 一方でスタイルは抜群に良く、肉付きも適度にあって、抱き締めた時に男を満足させてくれる安心感が
あった。首は細く長く、適度な肩幅に女性的ななで肩から伸びる腕、それにしなやかな指先は、それで
「して」もらえたらどんなに良いだろうと想像させられる趣があった。
 女性の象徴であるバストは、それと分かるほどに豊かではあったが、注目すべき所はそこでは無い。
彼女の一番の魅力は、引き締まったウエストから伸びるお御足にある。すらっと伸びたカモシカのような
足は、肉付きの良い大腿部が最も扇情的で、しかも彼女は意図的にか無意識的にか、そこが映えるよう
な服装を好んで着用していた。そういう彼女のファッション的な習性もあってか、常にこれ見よがしに見せ
付けられていたその脚線美を、いつか「ごめんなさい」と泣いて謝るまで撫で回してやるぞ、という野望が
カミーユにはあった。
 ――そこまで頭の中で想像しておいて、ふと現実に立ち返る。

 

(俺、何でこんな生っぽい事を考えてんだ? そりゃあ、付き合いは長いけど……)

 

 それこそ、穴が開くほど見ていたのだと気付かされた。その身体のラインや顔のディテールをつぶさに
思い出せる事が、その証明となっている。自分で意識はしていなくても、心の中のオスの本能は知らず
知らずの内に彼女を求めていたのだろうか。
 そう考えると、シンタやクムのお陰で湯上りの彼女を拝見できたのは、素直にラッキーだったと思う。
それと同時に、もっとよく見ておくべきだったという後悔も、今更になって沸き起こってきた。

 

 今、改めてファ=ユイリィの存在を考える。いつでも当たり前のように傍に居て、エゥーゴに参加した後も
偶然救出したテンプテーションに彼女が乗っていた事で再会を果たした。考えてみれば、奇跡の様なもの
である。再会できる確率など幾程も無かったはずなのに、ファはさも当然のようにカミーユの元に舞い戻っ
てきた。それは偶然と呼べるものなのか。彼女とは、運命のような強い絆で結ばれているような気がした。
 いつも傍に居たファ。色々と世話を焼かれ、それを鬱陶しく感じる事もあった。しかし、今になって思い
返して見れば、どれも心温まる良い思い出である。そういう柔らかさを持った女性を、どうして忘れる事が
出来るのだろうか。そう思うと、急にファをいとおしく感じた。会いたくなった。

 

 カミーユはベンチから立ち上がり、気付けば空になっていたパックをゴミ箱に捨ててラウンジの出口へと
向かった。キラとシンが視線でそれを追う。

 

「どこへ?」

 

 相変わらずの鼻声で、中腰になったシンが訊ねる。キラも続くように立ち上がった。
 カミーユは出入り口付近の壁に手を添えて止まると、肩越しに2人に振り向いた。

 

「帰るんだ。いけないか?」

 

 自動扉が開き、それを潜ってラウンジを後にするカミーユ。モーターの駆動音が静かに響くと、残された
キラとシンは顔を見合わせて呆気に取られていた。
 具体的なことは何も言わなかった。ただ一言「帰る」――その意味するところがアークエンジェルである
事は、疑いようがない。しかし、カミーユの背中からは、どこか遠くへ旅立とうとしているかのような不思議
な雰囲気を感じた。

 

「カミーユって、ミステリーなんだ……」

 

 キラは呟く。シンも応えこそしなかったものの、心境は同じだった。
 静か過ぎて、空調の単調な音がやけに耳障りに響く。それを掻き消すかのように、シンがストローから
音を立てて残りを吸い上げた。

 
 

 点火されたスラスター・ノズルからは大量の白光が噴出し、巨大な岩石の塊であるメサイアをゆっくりと
加速させた。遠くから見れば動いているのかどうかも分からないような歩みでも、その足は確実にコロニー・
レーザーへ向けて動いている。

 

「メサイアはコロニー・レーザーとプラントに挟まれるように配置できた。これなら、万が一コロニー・レーザー
を撃たれても、最悪盾代わりにはなる」
「先遣艦隊旗艦ミネルバより入電。斥候部隊と接触、これを殲滅したとの事です」

 

 メサイアのブースターに火が入ったことを確認すると同時に、通信兵がミネルバからの通信内容を口頭で
述べた。イザークは報告に一つ頷くと、艦長席から立ち上がった。

 

「予定通りだな。メサイアの突入は最後になるぞ。ボルテール、発進だ!」

 

 イザークの号令と共に、メサイアの進路修正役であるボルテールも加速を始めた。

 
 

 メサイアに先行して進むザフト艦隊は、一本槍の様に固まって行動していた。その向かう先はコロニー・
レーザーで、メサイアの予定ルートと十字に結ばれるように設定されており、ちょうど太陽の光が背中に
当たっているという状況だった。それは、少しでも敵の目を欺けるようにという、苦肉の策。
 エターナルの艦長席に腰掛け、バルトフェルドはボトルを手にして水分を補給していた。中身は勿論、彼
のライフワークの中で生み出されたスペシャルブレンドのコーヒー……ではなく、清涼飲料水だ。流石の
コーヒーマニアのバルトフェルドも、そこまで徹底はしない。

 

「間も無く敵の第一警戒ラインに入ります。バルトフェルド隊長――って、あれ?」

 

 真面目に報告していたかと思うと、いきなり素っ頓狂に声を上擦らせて振り返った。バルトフェルドは
ストローで中身を吸い上げながら、そんなダコスタの間抜け面を訝しげに見つめた。

 

「何がおかしいんだ? ダコスタ君」
「ラクス様が見えていらっしゃらないようですけど……」

 

 赤い短髪――と言うよりもほぼ坊主に近い。後頭部から見れば、まるでバスケットボールのような頭をし
たダコスタが、きょろきょろと艦橋内を見回す。バルトフェルドはそんな様子を見ながら、ストローから口を
離して肘掛け部分にあるカップホルダーにボトルを置いた。

 

「直ぐ来る」
「直ぐ来るって、もう敵陣の近くですよ?」
「今は少しだけ時間をくれてやれ」
「しかし――」

 

 このダコスタの狼狽を見ていると、誰がこの艦の艦長なのか分からなくなる。尤も、ラクスの存在がそれ
だけ大きい事の証明となるのだろうが――しかし、バルトフェルドの立場としては、それは微妙に複雑な心
境だった。
 バルトフェルドは席を立ち、ダコスタの席へ向かって床を蹴った。

 

「それとも、僕が彼女の歌を歌って差し上げようか?」
「え!? 隊長が……でありますか? ――いやぁ」

 

 肩越しから覗き込むように顔を突き出し、詰るように言う。ダコスタはそんな意外な言葉を聞き、しどろ
もどろになりながら目線を落とした。隣の席では、通信士のアビーがくすくすと笑いを立てている。
 バルトフェルドはダコスタの頭を軽く小突くと、ふわりとバックステップを踏んで浮いた。

 

「エターナルの艦長は、このアンドリュー=バルトフェルドで、ラクスの事はアイツに任せている。
ダコスタ君が気にする事じゃ――」

 

 そう言って軽やかな身のこなしで艦長席に座ろうとしたが、計算が狂ってバルトフェルドが腰を下ろした
所は肘掛だった。ちょうど股間を強打する形になり、その激痛にもんどりをうつ羽目になってしまった。
 そのバルトフェルドを見て、上司だからと言うよりも同じ男としてダコスタは気の毒そうに顔を顰め、若しく
は自分がそうなった時の事を勝手に想像して顔を青くし、アビーは益々笑いを堪え切れなくなって腹を抱え
ていた。
 艦橋に緊張感の無いリラックスした空気が漂っていた。それは、まだそれだけの余裕が残されている時間
だと言う事。もうすぐ、こんな風に笑っていられる状況ではなくなるのだ。それまでの、ほんの一服。最後に
なるかも知れない時を過ごす彼等には、少しでも長く笑っていられる時間が欲しかったのかも知れない。

 

 しかし、騒がしい艦橋の一方、その部屋は静かだった。
 そこに男と女が2人。無骨なパイロット・スーツに身を包んだ男は、場違いとも思える陣羽織の女を抱いて
瞳を閉じていた。男の腰に回る女の手は、まるで大理石の彫刻のように白く美しい。顔を、男の両肩に挟ま
れるような形でその胸に埋め、ジッと心臓が拍動する音に耳を欹てていた。
 桃色と紅色をした2匹の球体のペットロボ――ハロが、その耳の羽をパタパタとはためかせて無重力の中
を緩く舞っていた。
 静寂の中に、衣擦れの音が響く。

 

「あまり、お気になさらずに……」

 

 そう言って、女――ラクスは男に向かって微笑んだ。男――キラは、その儚げな笑みを見つめて、僅かに
視線を逸らす。

 

「君の方こそ」

 

 身体を離し、キラは視線を再びラクスに戻した。
 睫毛が長い。ラクスが一つ瞬きをすると、桃色の前髪にその睫毛が触れて微かに揺れた。美しい碧眼の
瞳をより印象強くさせているように思う。口元には、瑞々しくも甘ったるい熟れた果実のような唇があり、髪色
と同じ薄い桃色のルージュが、クドくない程度にサッと引かれている。――状況が許してくれるなら、今すぐ
にでもむしゃぶりつきたかった。
 見つめれば見つめるほど、その美しさに惹き込まれていく。シャンプーの香りらしき甘い臭いにも誘われ、
キラは少しだけラクスに顔を近づけた。ラクスも顔を見上げて瞳を閉じ、頬を紅潮させて少し首を伸ばす。
「OK」というサインだった。

 

 ゆっくりと、顔を近づける。唇の位置を確認し、少しずつ目蓋を下ろしながら、軽く顔を傾けて角度の調整
をする。後は、行く所まで行くだけ。キラの視界が、目蓋の裏で真っ暗になった。

 

「ハロ」
「――ん?」

 

 唇の先が、チュッと何かに触れる。おかしい。ラクスの唇にしては余りにも硬質だし、ひんやりと冷たくて
明らかに人間の体温では無い。何より、ラクスはこんな間抜けな声で鳴かない。
 スッと、目蓋を上げる。真正面には、ゴマ粒のようなつぶらな瞳――いや、実際に瞑る事など無いのだろ
う。顔を真っ赤にして、その物体はあった。――と言うよりも、そのほぼ顔だけの物体は元々そういう色だ。
 ハロとキス。もう一匹のピンクのハロが、その様子を茶化すようにけたたましく電子音を上げていた。
 ラクスがくすくすと笑っていた。キラは正面のハロを手でそっと払い除け、ラクスのおでこに軽くキスをした。

 

「キラは、わたくしだけのあなたになって下さいますか?」

 

 徐に訊ねられ、キラは軽く肩を竦めた。

 

「君の立場があるよ」
「意地悪な人――キラのお気持ちをお聞きしているのですわ」

 

 キラは左手をラクスの肩に置き、右手で彼女の前髪をかき上げた。そして、そこからなぞる様に左頬へと指
を這わせる。さらさらとした、まるで御餅の様な柔肌の感触。なだらかで、そこに触れている指が気持ち良い。
 ラクスは気持ち良さ気に目を細めて頬を紅潮させ、少しだけ身体を強張らせた。その様子を見て、キラも
満足したように目を細める。

 

「ずっと一緒に居よう、ラクス。僕だけの君――」

 

 再び抱擁し、頭を撫でた。そして身体を離すと、部屋の出口へとその身を流した。

 

「生きて、お戻り下さい。無事のお帰りをお待ちして居りますわ」

 

 部屋の中央で佇むラクスが、両手を大腿部の間に添えるように重ね、しゃなりと腰を折った。キラはそれを
肩越しに見ながら、自動ドアを開く。

 

「行ってらっしゃいませ」
「行って来ます」

 

 ドアを潜り、通路に出た。直ぐにドアが閉まり始め、その隙間から見えるラクスの姿を最後まで目に焼き付け
ていた。ラクスは、ドアが閉まりきるまでその姿勢を一切崩さなかった。

 

 MSハンガー独特の油の臭いがする。キラは通路を流れてエアロック・ルームに入ると、そこでヘルメットを
被った。そして気密を確認すると、いよいよMSハンガーに飛び出して愛機のもとへ向かう。そしてひらりと身を
翻して上からコックピットに入り込んだ。
 シートに座ると次々とスイッチを入れていき、モニターに火が灯って内部を明るく照らす。起動準備が終わる
と、マードックとの通信回線が開いていた。

 

『いいか坊主。これからお前が使うミーティアは、ジャスティスの奴をバラしたパーツでニコイチにしたもの
だ。俺達の方で何とかしたつもりだが、歪みを全て取り除けたかどうかはチェックしている時間が無かった。
その意味を理解して使ってくれ』
「分かりました。やってみます」
『頼んだぞ』

 

 親指を立て、二カッと笑ってくれる。キラも笑みで返すと、マードックの顔がモニターから消えた。

 

 キラはストライク・フリーダムを出撃させた。そしてエターナルの艦首サイドに装備されているミーティア
がパージされると、慎重にその中央に身を納めてドッキングする。コンピューターの表示でドッキングが
完了した事を知ると、一気に操縦桿を奥に押し込んだ。
 瞬間、カタパルトから飛び出すよりもきついGの圧力がキラを襲う。しかし、キラは表情一つ変えること
なく真っ直ぐと前を見据え、あっという間に連合軍の哨戒部隊を捕捉した。

 

「――見えた!」

 

 通信回線の受信電波をONにしていたせいか、急激に濃くなるミノフスキー粒子のお陰で酷いノイズが耳を
襲う。煩わしさに目を細めると、キラは即座に受信回線を切った。

 

「敵はまるで無防備だ。それが、アスランの魂胆だとは言うけど!」

 

 ターゲット捕捉――キラの瞳が敵の姿を捉え、ミーティアに制動を掛けて砲身を構えさせる。それと連動
してミサイルの発射管の蓋が開かれていくと、オーラを発散させるように怒涛の砲撃が連合軍哨戒部隊に
襲い掛かった。
 突如姿を表したミーティアと次々に連射されるビームとミサイルの嵐に、連合軍哨戒部隊は成す術なく
屠られていくのを待つだけだった。よもやこのような早いタイミングでザフトが仕掛けてくるとは夢にも思わ
ず、完全に浮き足立った彼等は碌に救援要請も情報も送れず、たった1機のMAによって駆逐されてしまった。
 その場で後に残ったのは、銀色の鈍い光沢を輝かせるミーティアと、それに収まるゴールドの駆動関節を
持つMSだけである。霧が晴れるように爆発の閃光が治まると、何かを確かめるように各所を動かした。

 

「やれた……。マードックさんの言うようなバランスの悪さは感じない。これなら十分使えそうだ」

 

 残骸が散る宙域の中、キラが呟くとそこを悠々とザフト艦隊が横切っていく。帰艦命令のコールが鳴り
響くと、キラはミーティアからストライク・フリーダムを離脱させ、回収に出てきたゲイツRに後処理を任せ、
エターナルへと帰艦していった。

 
 

 コロニー・レーザー近辺で展開する連合軍の中で、誰よりも早く異変に気付いたのはシロッコであった。
機械よりも正確な彼のアンテナが、今しがたキラが殲滅させた哨戒部隊の喪失に敏感に反応する。旗艦
ガーティー・ルーにて、シロッコはブリッジの窓に向かって床を蹴り、宇宙空間に何かを探すように顔を見
回した。

 

「どうした、シロッコ? 宇宙鯨でも見つけたのかい?」

 

 茶化すように言って見せるのは、ラフな格好で飲み物を口にする女。ファッションとして眼帯を付けてい
る不真面目さは、しかしそのMSパイロットとしての腕の確かさが故に咎めるような者は存在していない。
ヒルダ=ハーケンは、シロッコよりも鈍感であるが故に気楽に構えていた。

 

 シロッコはひりつく感触を額に感じ、ある程度の見当がつくと、戻ってシートに座った。

 

「ヒルダ。ジブリールを排除した事で、君達の存在を大西洋連邦に認めさせた。これで、名実共に地球軍
に在籍することになったという事は、理解してもらえたかな?」

 

 シロッコの優雅な物腰に、鼻で笑うような目でその動きを追うヒルダ。舌打ちし、飲み物のパックを放り
投げる。精密な機器類があるブリッジゆえに、その軽率なヒルダの行為をフォローするクルーが、慌てて
そのパックをキャッチした。

 

「だから、総司令官になったあんたには媚び諂えってのか?」
「フッ」

 

 睨み付けるヒルダをいなすように笑みを零すシロッコ。指揮棒を手に取り、ピッとヒルダに差し向ける。
その高圧的な仕草に、いよいよ以ってヒルダの表情が険しく歪んだ。

 

「全艦、第2種戦闘配備だ。ヒルダ=ハーケン以下MS隊は、各個出撃せよ」
「何を言っている?」

 

 怪訝に眉を顰め、ヒルダはシロッコに説明を求めた。その時、俄かに鳴り響いたコールの応対に出た
通信兵の1人が、哨戒部隊の1つの反応が途絶したと報告した。
 ヒルダが驚きに目を丸くしていると、シロッコはさも当然であるかのように指揮棒で掌を叩いた。

 

「早かったな。第2外郭部隊をやられたか。敵の侵入角は、コロニー・レーザーの右弦からと見ていい」
「ザフトが動いた?」

 

 続いて、戦闘配置を告げる警報が鳴り響いた。CICクルーはシロッコの言葉どおり、コロニー・レーザー
の東側をつぶさに索敵し、遂にザフト艦隊の動きを捕まえる。遠距離カメラが、乱れるモニターにエターナ
ルの姿を映し出した。

 

「そんなバカな! このまま行けば、何もせずともあなた様の天下が訪れると言うのに――」

 

 ブロック・ノイズが酷く、モザイクのように崩れかかった画質であるが、エターナルの姿をヒルダが見紛う
はずがない。確かにその姿を目に納めた時、ヒルダは膝から崩れ落ちる勢いで前のめりになった。

 

「ラクス様! デュランダルが居なくなったプラントで、貴女様以外の誰が民を導けるというのです! 
戦争は、貴女様が最も忌み嫌うものではなかったのですか!?」

 

 両手を広げ、神に縋りつくように語り掛けるその仕草を、ガーティー・ルーのクルーは誰一人として理解
しようとする者は居なかった。奇異なヒルダを見る目は冷たく、しかし彼女自身はそんなものはまるで目に
入らない。
 そこへ、見かねたようにシロッコが彼女の肩に手を置いた。振り向いたヒルダを、色目のような視線で
見つめる。

 

「彼女が利用されているとは、考えないのかな?」
「利用されている?」
「助け出せれば、君達の忠誠心の証明ともなろう。君達には、君達なりの目的があって、私のような男の
所に来たのだろう?」

 

 癪だが、シロッコの言うとおりである。ジブリールを排除した今、シロッコは最もブルー・コスモスの盟主に
近く、大西洋連邦国内でも相当の権力を握ろうとしている。その彼がヒルダと交わした約束に、ラクスの
ブルー・コスモス盟主への登用があった。彼女を反コーディネイター過激派の組織の頭に据える事により、
地球の内側から変革をもたらそうと言うのが、彼女の目論見だった。その目的を果たすために、ヒルダ達は
シロッコの下に甘んじて収まっているのである。
 その事を今一度心の中で確認し、ヒルダは不満気に顎を上げ、肩に乗っているシロッコの手を払い除けた。

 

「フン! 気楽に言ってくれる。決死の覚悟で攻めてくる敵と戦いながら、お助けもして見せろと言うのか」

 

 軽く床を後ろに蹴り、ブリッジの出口に向かってゆっくりと流れるヒルダ。蔑むような目で睨む彼女を、
シロッコは些かも物腰を乱すことなく視線で追う。

 

「それが可能なだけのマシンを与えたつもりだ」
「馬鹿にするんじゃない」

 

 ヒルダは吐き捨てるようにそう言うと、反転してブリッジのドアを潜っていった。その後ろ姿を見送ると、
シロッコはひとつ鼻で笑って索敵担当クルーのところへと身を流した。

 

「ザフトが仕掛けてきたのも、官僚共のシナリオの内だよ。ジブリールが消えても、ブルー・コスモスの
花が枯れ果てたわけでは無い」

 

 一つの事に妄信的な人間は、狭い視野でしかものを見ない。だから、少し吹っ掛けてやるだけで簡単に
人の言う事を都合の良い風に解釈し、信じてしまう。シロッコにとってヒルダは駆け引きも何も存在しない
つまらない女だったが、御し易くはあった。

 

「正面、何か見えないか?」

 

 横に足を着けてシロッコが訊ねると、意外そうな顔でCICクルーが顔を上げた。
 シロッコが言うには、コロニー・レーザーの東側、つまり右弦方向から敵は侵入してくるという事である。
だのに、彼が気に掛けるのはまるで違う方向である正面宙域であった。
 しかし、シロッコは常人には理解し難い、エスパーの様な勘の鋭さを有する人物である。これまで、その
エスパーの様な能力でシンパの人間を率いてきた事を考えると、今度も何かを感じ取っているのだろうと
思い直す。敵が分散して襲って来るような事もあるか――そんな風に解釈し、クルーは直ぐに言われた
とおりに索敵範囲を正面に移した。

 

「いえ、こちらのテリトリーに侵入してくるような機影は見えません」
「正面宙域を哨戒行動中の第1外郭部隊からの報告は?」

 

 シロッコは索敵クルーの報告を聞くと、徐にオペレーターに向き直り、同じ様な問い掛けをした。しかし
オペレーターからの返事も同じで、首を振ってヒットが無かった事を知ると、思慮深げに腕を組んで顎に
手を当てた。
 何をそんなに警戒しているのか。シロッコが立つ傍ら、シートに座しているCICクルーは怪訝に思った。
これまでズバズバと当てていた自分の勘が外れたことが、それほど深刻な事なのだろうか。そもそも、これ
までが異常な的中率だったのだから、稀に外れるような事がある方が自然なのだと言ってやりたかった。

 

「何をそんなに気にしていらっしゃるので?」
「勘が当たっていればいい。しかし、外れてくれた方が尚いい。分かるか?」
「は?」

 

 フッと難しい顔がいつものような表情に戻ると、シロッコはふわっと床を蹴って自らのシートに鎮座した。
そうして軽やかに足を組むと、アーム・レストに肘を置いて頬杖を突く。その瞬間に、もう普段どおりの
シロッコだった。
 しかし、シロッコの内心では未だに正面宙域から接近してくるであろう何らかに対する警戒心は些かも
緩めては居なかった。

 
 

 パイロット・スーツに着替え、ボトルを手に取る。ポケットから取り出したケースの中には、錠剤が詰まっ
ていた。蓋を開けて振り、掌に5~6錠程度を乗せ、口の中に放り込む。

 

「お邪魔」

 

 声に気付き、顔を振り向ける。ロッカールームの入り口には、ドアに手を掛けるネオの姿があった。
 レイは彼を一瞥すると、まるで気にする様子も無くボトルの水で口の中の錠剤を流し込んだ。ネオはその
様子に肩を竦めながら入室すると、シャツを脱いでパイロット・スーツに着替え始めた。その身体には、鼻に
刻まれているものと同じ様な傷跡が無数に残されていた。

 

「パイロットが不足しているって言ってもさ――」

 

 沈黙に耐えかねたのか、やおらネオが話し出す。レイは顔を上げる事無く、視線だけで彼を見ていた。

 

「あの金ピカ、見たか? 見た目どおりの機体らしいんだけど、扱いが難しいってんで頼まれちまってよ。
普通のビームは跳ね返すんだけど、メガ粒子砲は駄目なんだとさ。何だかなぁ」
「それだけでは無いだろう」

 

 苦笑混じりに話すネオに、レイの刺すような声。ネオは袖を通す腕を止めて少し俯き加減になった。眉間
に皺が寄り、表情が険しくなる。

 

 なまじドラグーンを使えてしまった事が、ネオの中のムウを大きくさせてしまっていた。それが知らない
人格に意識を乗っ取られていっている様に感じられて、ストレスだった。
 フラガの一族に連なる者の証、空間認識能力――しかし、ステラを守るにはその力を使いこなさなけれ
ばならないという皮肉が、矛盾としてネオを苛ましていた。
 レイは、多くを語らなかった。しかし、そのたった一言で意図を見抜けてしまったという事実もまた、
ネオ=(イコール)ムウという等式を証明する一助となってしまっていた。

 

 ネオは無視してパイロット・スーツへの着替えを再開した。気にしていないわけではない。ただ、今は
そういう事を考えたくはなかった。

 

「お前さ、大丈夫なのか?」

 

 話題を変えようとするネオの問いかけに、今度はレイが身を固くした。チラリと横目で見ると、彼のギラリ
とした眼光が突き刺さってきた。
 互いに牽制するようなやり取り。彼らの間に、信頼はまだ無い。

 

「貴様には関係ない」
「体調の事だよ。薬、そんなに飲まなきゃいかんのか?」

 

 ネオは適当に誤魔化したが、デュランダルを失った精神的ダメージが、一度に摂取する錠剤の量に表れて
いるようにも思えた。勿論、彼の肉体は日々常人の何倍ものスピードで歳をとり続けているのだろうから、
それを少しでも抑制する為に錠剤の量を増やさねばならなかったのは分かる。ただ、ネオには薬を服用する
レイの姿が、情緒不安定な人間が精神安定剤を飲むような仕草に見えた。
 レイもまた、ネオの意図に気付いているのだろう。ネオの本音がデュランダルの事であると悟れてしまうから、
レイは余計に苛立っているようだった。

 

 やがて、ネオの着替えが終わる。その間、レイは遂にネオの問いに答える事はなかった。ネオは何かを諦め
るように一つ溜息をつくと、ベンチに腰掛けたままケースとボトルを握り締める彼を見ながらロッカールームの
出入り口へと向かった。
 肩まで伸びたブロンドの髪。ネオと同じ色、髪型だが、色素がやや薄く思える。その前髪から微かに覗く瞳は
刃物のような鋭い輝きを宿しているというのに、一方で彼の心の中は漆黒に塗りつぶされてしまっているように
感じた。レイからは、生への執着が感じられなかった。

 

「お前にさ――」

 

 出口に差し掛かって、足を止めた。このままレイを放っておく事など、出来なかった。

 

「頼まれてくれんか? ステラの事」

 

 肩越しにレイを見やる。渋い表情でこちらを見ていた。何を言っているのか、理解できていないのだろう。
 ネオは無視して続ける。

 

「万が一の場合さ。保険、掛けさせてくれよ」
「俺は貴様の――」
「お前が嫌ならさ」

 

 レイの言葉を掻き消すように、ネオは語気を強めた。レイの意思など、関係ないとばかりに。

 

「他の人に頼んで欲しい。ここの連中、思ったよりも良い奴等ばかりだから、きっと面倒見てくれる人が
見つかると思うんだ。――アークエンジェルの艦長さん辺りとかさ」
「何を考えている?」

 

 レイは訝しげな目でネオを睨み付ける。ステラの件が建前に過ぎない事は、直ぐに分かった。しかし、
ネオを信頼していないレイは、彼が何を思ってこんな提案を持ち掛けたのかが、まるで判然としなかった。

 

「じゃあ、頼んだからな」
「なっ――」

 

 軽く手をひらひらと振ると、ネオは急いでロッカールームを後にした。これ以上レイと一緒の空間に居ると、
意図を見透かされてしまうと考えたからだ。
 ロッカールームには、中腰のまま固まるレイが呆然とした様子で残されていた。

 
 

 ミネルバの休憩室。パイロットの待機場所にもなっているそこで、一組の少年少女がベンチに座って寄り
添っていた。赤と白のパイロット・スーツに身を包み、少年の左肩に少女が頭を乗せている。少女は腕を
少年の左腕に絡ませ、その手を包み込むようにそっと少年の右手が添えられていた。薄暗い明かりが、
2人の瞳の輝きを強くしていた。

 

 何をするわけでもない。ただ、お互いに直に寄り添っていられる時間が惜しくて、抱き合うように腰掛けている
だけ。交わす言葉も無く、静かにその時を待っている。
 少年が壁の時計に視線を投げた。デジタルの数字が、ただ静かに時を刻んでいる。少年の仕草に気付いた
少女が、「何を見ているの」と時計に顔を上げる。少女の触覚のように跳ねた髪の束が、少年の鼻をくすぐった。
一つくしゃみをして、鼻を啜る。少女がくすくすと笑い、少年も釣られて笑った。

 

 時が過ぎるのは、本当に早い。特に、時間を惜しむ時ほどそれは顕著だ。ずっと寄り添って居たかった2人を
引き裂くように、警報が鳴り響いた。続いて、少女の妹の声が戦闘配置を告げる。
 少年が、少女の腕を振り解いて立ち上がろうとする。しかし、少女はその少年の顔を両手で掴んで無理矢理
に自分へと振り向けさせた。

 

「お、おい――?」

 

 グイっと顔を引き寄せられ、唇と唇が触れた。唐突なその柔らかさに、少年は驚きのあまり目を剥いた。
 間近の少女は瞳を閉じ、目尻に涙を浮かべていた。それに倣うように、少年も目蓋を下ろした。
 両頬を掴む少女の掌が熱を帯びているのが良く分かる。そして、自分の頬がそれ以上に熱を帯びているの
も分かる。緊張だ。そのせいで震えてしまっている互いを感じるも、脳が痺れるような感覚に、気付けば手を
回して抱き合い、離れるのを惜しむかのように温もりを貪り続けた。

 

「あ…ちょっと……」

 

 一瞬離れた口元から、抗議するような、悶えるような声が漏れた。構うものかと少年は再び口を塞ぎ、少女の
背を壁に押し付けて、深い悦楽に浸る。癖になるような官能的な感触と甘い薄荷の香り。肢体をしっかりと抱き、
逃れられないように少女を拘束している体勢が、少年の強い支配欲を満たしていた。
 パイロット・スーツ越しでも分かる。少女の想像以上に柔らかな身体に、異様な興奮を覚える自分がいること
に気付く。それが戦闘前の興奮なのか性欲的な興奮なのか――しかし今の少年にとって、そんな事はどうでも
良かった。自分の身体で少女の身体の柔らかさを感じられる事が重要なのであって、声は無くともそれに勝る
言葉など存在しない。この興奮と悦びは、少女から投げかけられた言葉なのだと、少年はそう思っていた。
 やがて少年が腰を抱く腕を解き、少女の肩に手をやって顔を離す。少女の目に滲む涙。小鳥のように小首を
傾げて微笑むその表情に、鳩尾を優しく手で掴まれている様なむず痒さを覚えた。

 

「行こう、ルナ」
「うん。シン、一緒に……」

 

 最後にするつもりは無い。生きて2人で戻ってくるんだという覚悟を、彼女から貰った気がした。
 ヘルメットを手に取る。待機所からMSデッキへ直通しているエレベーターに、2人は乗り込んだ。

 
 

 ヘルメットを手に取りMSデッキへ。無重力の中を泳いで辿り着くと、ちょうどエレベーターからシンとルナマリア
が降りてきた。エマと鉢合わせて「あっ」と小さく呻くように発したかと思うと、シンはそっぽを向いて早々にデスティ
ニーへと飛び上がっていった。エマがそれを怪訝そうに見送って視線をルナマリアに向けると、彼女の方も若干、
様子が変だった。

 

「……あぁ!」

 

 紅潮している頬、気恥ずかしそうに落とす視線。何かを隠すように唇を内に巻き込む。その仕草を見れば、どの
ような事をしていたのかは大体想像が付く。

 

「さ、先に失礼します!」

 

 エマが上げた声に反応して、ルナマリアは先を急ごうとする。エマはそんな彼女の手を掴んで、一寸、
引き止めた。

 

「な、何か?」
「守ってあげたいわね、あなたの事」
「子供じゃありません!」
「知ってるわ。――うふふっ」

 

 笑うと、エマはルナマリアの臀部に手を添え、コア・スプレンダーの方向へ押し出した。

 

「やだ。私のより良い……。若いのね」

 

 エマは思わず掌を返して、それをまじまじと見つめた。
 17という年齢に相応しい、小振りで程よく引き締まった形の良いヒップだった。後ろ姿を見ても良く分かる。
パイロット・スーツに張り付かれた臀部は、若々しい瑞々しさに溢れていて、エマを嫉妬させるのには十分
だった。

 

「エマさん!」

 

 不意に呼び止められる。視線をルナマリアのヒップの感触を思い出すかのように眺めていた掌から声の
した方に向けると、アスランが上からリフトグリップを握って降りてきた。
 その格好を見て、驚く。アスラン自身もパイロット・スーツに身を包んでおり、ふとハンガーを見ればイン
フィニット・ジャスティスの出撃準備も行われていた。

 

「出るつもりなの!?」

 

 今やザフトの象徴となったアスラン。御大将自らが前線に赴こうという姿勢は評価できるが、問題はイン
フィニット・ジャスティスの状態である。完全なリペアが出来ているとは思えないのだ。

 

「エマさんには、ミネルバMS隊の隊長をお任せしたいのです。やっていただけますね?」

 

 アスランはエマのところまで降りてくると、その背を押して一緒に無重力を流れた。
 何の気も無い表情のアスラン。エマは懸念を分かって欲しくて、その横顔を睨み付けた。

 

「そういう話は、ブリーフィングで了承済みです。私が言いたいのは――」
「顔見せぐらいは、やるべきでしょう。しかし、ジャスティスの限界領域での挙動には不安が残るのですが、
それでも修理が間に合ったんです。――だからこそ、ですよ」

 

 アスランが顎でエマに注意を促す。エマがアスランの横顔から指し示す先へと視線を移した時、インフィ
ニット・ジャスティスのコックピット付近で手を上げて合図を送っている人物が見えた。

 

「ヨウランとヴィーノ?」
「短時間で仕上げてくれたのは、彼等の尽力の賜物です。あなたのMk-Ⅱを整備する傍らでね」

 

 ミネルバ内で、ヴィーノがエマに気を持っているという事実は公然とされている。つまり、アスランはそう
いうつもりで居るのだ。エマは得心したが、スマートでは無いアスランの手口には愛想を尽かされた。

 

「気配り屋さんでいらっしゃるのね、アスラン=ザラ総司令官殿は」
「どうなんですかね、それ?」

 

 わざと嫌味に聞こえるように言う。嫌味に気付いているのかいないのか、アスランはそぞろに苦笑を見せ
るだけで、リアクションは極めて薄かった。
 向かう間に、インフィニット・ジャスティスからヨウランが一人で先に離れた。2人がコックピット付近にまで
流れて来ると、ヴィーノはエマの姿に些か緊張した様子で後頭部を擦った。アスランがそれを尻目に颯爽
とコックピットの中に身を沈めると、ヴィーノがそこに顔を突っ込んで何やらアスランと話をした。

 

「褒美ったって、こんな時にくれなくたって良いでしょうに!」

 

 何を話していたのかは分からない。ヴィーノがそう叫ぶように言うと、インフィニット・ジャスティスのコック
ピット・ハッチが急に閉じた。驚き飛び退いたヴィーノは、エマに振り向いてほんのり頬を染めた。

 

「い、行きましょうエマさん。Mk-Ⅱの準備も出来てます」

 

 ぎこちない笑顔で歯を見せると、ヴィーノはインフィニット・ジャスティスを蹴ってガンダムMk-Ⅱへとエマを誘う。
 エマの勝手な解釈ではあるが、気の毒な少年だと思う。ジブラルタル基地でヨウランに秘めた想いを暴露され、
それで開き直ってメサイアではデートに誘ったりもしたが、それもカツの横槍でうやむやとされた。
 思えば、彼の好意にはしっかりとした形で返答をしていなかった。思春期の少年の迸る熱いパトスを、宙ぶら
りんのままにさせておくのも可哀想と思う。――エマは徐にその手を取り、名を呼んだ。

 

「ヴィーノ。Mk-Ⅱは、あなたのお陰で動いているようなものね」
「エ、エマさん……?」

 

 振り向いたヴィーノの緊張した顔が、可愛らしかった。カミーユとは違って真面目で素直な(少なくともエマには
そう見えていた)ヴィーノは、年下に慕われるのも嬉しい事なのだとエマに思わせた。尤も、男女の関係になるか
どうかは別問題であるが。

 

「感謝しているのよ、そういう意味では」
「止してください。今はそういうんじゃなくて。――戦えない俺たちの代わりにカツの仇を討って欲しいって思った
から……」

 

 眉を顰めながらはにかむ表情が、本音と照れ隠しを綯い交ぜにしたものだというのは分かる。優しく声を掛け
てもらえて嬉しい反面、カツの事で燻り続けている憤怒の感情もあるのだろう。それらを一緒くたにしてしまう
ところが、まだ若い証拠と感じた。
 ガンダムMk-Ⅱには、コックピットの外から手を突っ込んで出撃前の最終確認を行っているヨウランの姿が
あった。2人がやって来るとヨウランは場所を譲るように離れ、エマがコックピットの中に入り込むとヴィーノが
上半身だけ突っ込んできた。

 

「エイブス主任に頼んで無理矢理に担当させてもらった身です。被弾したら、俺のせいにしてください」
「何を言うの。自信をお持ちなさい」
「俺のせいにしてくれていいんです! エマさんが俺の事を考えてくれるのなら、憎んでくれたって――」

 

 一層身を乗り出すヴィーノの頬に、エマは首を伸ばした。そして、そっと唇を触れさせると、肩に軽く手を添えて
コックピットの中から押し出す。

 

「お行き」

 

 ヴィーノの視線の先、遠くなっていくエマの姿。折り重なるようにしてコックピット・ハッチが閉じると、
ガンダムMk-Ⅱは双眸を瞬かせてカタパルト・デッキへと歩を進めた。
 ヘルメットを被り、バイザーを下ろす。ワイプ表示でぼんやりと佇むヴィーノを捉まえると、エマは切な
そうにこちらを見上げている彼に対して微笑んだ。

 

「これが、あなたにして上げられる限界。――分かってよね」

 

 ガンダムMk-Ⅱがエレベーターに乗り、下降を始めた。
 下に沈んで消えていくガンダムMk-Ⅱの背中を、ヴィーノは呆然と眺めていた。

 

「酷いよ、エマさん……」

 

 だからこそ、苦しかった。こんな優しくされてしまったら、未練が残ってしまう。
 ヨウランが励ますように肩を叩く。理由の分からない涙が溢れ、反応する事も出来ずにヴィーノは立ち
尽くした。彼にとって、エマのキスは最高であり、また、最低でもあった。

 
 

 今なら、どうしてこのようになってしまったのかが分かる気がする。天の采配とか、そういう作為的なもの
すら感じさせるこの混沌とした状況に、カミーユは静かにその運命を受け入れた。
 それは、1人の男の執念が産んだものなのかもしれない。敗北を知らなかった男が始めて敗北を知り、
世界のあらゆるものを巻き込んでしまっていた。カミーユはその妄執に引き摺られたのだ。
 アークエンジェルのロッカールームで、カミーユはパイロット・スーツの手袋をはめた。そしてヘルメット
を首の後ろ辺りにあるアタッチメントに装着させると、ロッカールームを出て通路をMSデッキに向かって
進んだ。

 

「発進準備、OKよ」

 

 もはや、見慣れた光景となっていた。Ζガンダムの開かれたコックピット付近には、ノーマル・スーツを
着たエリカが手を振ってカミーユを迎えていた。

 

「最高の仕上がりになっているはずよ」
「ありがとうございます」
「帰ってきなさいよ」

 

 コックピットに取り付くと、エリカはそう言ってカミーユの背を押した。声色にいつものような技術屋の嫌味
は無い。エリカがΖガンダムを蹴って離れると、カミーユは少し笑ってハッチを閉じた。
 ハッチが閉じるのと同時に、股下からコンソール・パネルが浮かび上がってくる。いつもの手馴れた手順
で操作し、全天モニターを表示させた。
 目線を方々に向ける。MSデッキの奥の方では、カタパルトデッキへとエレベーターで降りるセイバーが
見え、ギャプランも反対側のエレベーターに向けて歩を進めていた。

 

『カタパルト接続、オール・グリーン。進路クリア。セイバー、発進どうぞ!』
『レコア機、セイバー、出します!』

 

 回線から発進のやり取りが聞こえる。カミーユはΖガンダムをエレベーターへと向かわせた。

 

『続けてギャプラン、どうぞ!』
『それ行けぇっ!』

 

 エレベーターが降りている間に、ギャプランの発進も行われた。待つ間、指でトントンと操縦桿を叩く。
 下から突き上げるような振動が起こって、エレベーターが止まる。Ζガンダムは足をカタパルトに乗せ、
軽い前傾姿勢を取った。カミーユの眼前に広がるのは、前に伸びるレールと開かれたハッチから見える
大宇宙の漆黒。その宇宙からスウッと入り込んでくる霊気のようなものが、カミーユの思惟を昂ぶらせる。
 いつもの発進前の感覚と違った雰囲気を感じた。

 

『Ζガンダム、発進OKです!』
「了解。カミーユ=ビダン、Ζガンダム――行きます!」

 

 火花を散らせてカタパルトがΖガンダムを加速させた。加速の重圧がカミーユの身体をシートの背凭れに
押し付け、それを堪えるように奥歯を噛み締める。発進口は一瞬にして迫り、宇宙空間に飛び出すまでには
2秒も要さなかった。
 Ζガンダムは携行しているビームライフルを背に乗せると、頭部を亀のように引っ込めて胸部を上げ、両腕
をその空いたスペースに仕舞う様に折り畳み、同時に蟹股に股関節を開いて膝を逆間接にZ字に折り曲げた。
それと連動してフライングアーマーが反転して頭部の正面を隠すように覆うと、その中央にマウントされている
シールドにロックされて、航空機のシルエットとなった。ウェイブライダー形態の完成である。

 

「この、感覚……」

 

 生身で宇宙に飛び出したかのような浮遊感。MSの装甲を越え、パイロット・スーツすらも透過した何らかが
カミーユの肌に触れた。それは戦いに臨む人々の意思の力なのか。撫で回されているような心地よい感覚や、
まるで正反対の刺々しい感覚が綯い交ぜとなり、カミーユの交感神経を刺激する。不安や期待を同時に感じ
て、それに触発されて少しだけ動悸が激しくなった。それはカミーユの肥大化したニュータイプ的な感性が、
身体機能にまで影響を及ぼしているという事だった。
 ふと、頭の中を劈いた疼きがカミーユの視線を正面に固定させる。その瞬間に身体に纏わり付いた数多の
思惟は、振り落とされるようにして剥がれ落ち、カミーユの意識は遠くへと集中させられた。
 バイザーを上げ、目を凝らす。味方の進撃が続く中、漆黒の向こうに人の気配を感じた。

 

「自分で自分の居場所を教えている……?」

 

 それは、カミーユの勘違いである。感じ取れたのは、彼の敏感すぎるセンサーの成せる業であり、ニュー
タイプと呼ばれる人間の誰もが出来る芸当ではない。それを知らず知らずの内に実行している辺りに、彼の
非凡な才能が表れていた。

 

『ザフトの各員に告げる。最初に、この戦いが単にプラントの国家としての存亡を懸けただけのモノでは無い
事を明言しておく。その上で我々はコロニー・レーザーをこの世界に不要な代物であると判断し、それを破壊
する為に戦いに赴くのである。諸君、障害となっているモノはコロニー・レーザーである。それを破壊し、力の
妄執に囚われたナチュラルの目を覚まし、我々が殲滅戦争を望んでいない事を証明しよう。さすれば、プラン
トと地球の和平は成立し、人類が渇望する真の意味での平和というものが――』

 

 ザフトの専用回線を通じて、アスランの鼓舞が声高に響き渡った。それに応えるようにしてザフトが進撃を
強めると、カミーユもバイザーを下ろし、合わせてウェイブライダーを加速させた。
 倒すべき敵は分かっている。しかし、それを為した時に何が待っているのか、カミーユにはまだ分からなかった。