2.ペイン・ハート
翌日、ハサウェイの寝ている部屋に最初に入ってきたのは、キラでもなければ、ラクスでもなかった。
「失礼」
「どうぞ」
入ってきた男は、ハサウェイが一目見ただけで軍人だと認識出来た。
褐色の肌に、体の良い体躯。左目を潰して大きく走った疵が、男の印象を強烈にしていた。しかし、その周りに纏う雰囲気には、どこか優しいものがあると、ハサウェイは思った。
「はじめまして……だね? ハサウェイ・ノア君。ここに住む、アンドリュー・バルトフェルドだ」
「ああ……」
微笑を浮かべるバルトフェルドと名乗った男に、ハサウェイも少し笑いかけた。バルトフェルドの片手に持たれたコーヒーの香りが、鼻をくすぐった。
「失礼。コーヒーの匂いは苦手かな?」
「いや、そんなことはない」
そうか、とバルトフェルドは一言言うと、コーヒーを口に運んだ。
久しく飲んでないように思えて、ハサウェイは自分も欲しくなったが、この身体では障るだけだと分かって、残念になった。
「さて……少し、聞きたいことがある」
やはり、と、ハサウェイは思った。昨日は、バルトフェルドは自分の元へ姿は見せていない。
深く考え過ぎかもしれないが、自分の荷物なりなんなりを調べていた可能性がある。
そのことについてだろうと、ハサウェイは見当をつけていた。
「君は……この世界の人間ではない」
「!!……なぜ?」
まだ、自分が宇宙世紀という別世界からやって来たことは、誰にも言っていない。
昨日、それらしき言葉をキラに言ったことは言ったが、それだけでバルトフェルドの結論に辿り着くとは思えない。
「……モビルスーツだ」
更に強烈な一言だった。
「なぜ……君たちが……モビルスーツのことを……」
答えは簡単であったが、バルトフェルドの口から聞くまでは、ハサウェイには信じ難かった。
「このコズミック・イラにも、モビルスーツは存在する」
「……馬鹿な……」
ここまで似通っているのか? コズミック・イラと宇宙世紀は。
「……確かに僕はこの世界の人間ではない。しかし、モビルスーツがコズミック・イラにもあるというのなら、それは決定的証拠にはならないはずだが?」
「技術が違う。フォルムから、フレーム、エンジンに至るまで、全てがこっちのモビルスーツとは違う。唯一似ている点があるとするならば、顔だけだ」
「Ξガンダムが……」
「クスィー……それが、あのモビルスーツの名前か」
「ガンダムは……どこにあった?」
「海岸で倒れていた君と同じように、海に投げ出されていた。大変なサルベージだったよ」
バルトフェルドが笑う。
「それで、今は?」
「安心していい。あのモビルスーツが、外部に漏れることはないよ。少々調べることに関しては勘弁して欲しいがね」
「それは仕方ない。分かっているさ」
「…………」
「…………」
「……君も……」
「?」
沈黙を嫌ったバルトフェルドが、言葉をついだ。
「君も、戦士だったのか?」
「ン? ああ……そうなるかな。君たちが見つけたガンダムのパイロットをしていた」
「随分辛い戦いをしてきた?」
「なぜ?」
ハサウェイは少々どきりとしたが、それは悟られないように、抑揚のない声で聞いた。
「顔に書いてあるよ」
自信たっぷりに、バルトフェルドは言いきった。
「……敵わないな……バルトフェルド」
「アンディでいい」
気さくにそう言うバルトフェルドは、ウマが合う男だ。
ハサウェイは、素直にそう思った。
このバルトフェルドという男は、好漢と呼ぶにふさわしい男だった。
「十年くらい前かな……」
突然、ハサウェイが言った。この話を他人にするのは、いつぶりだろう?
バルトフェルドは、コーヒーを置いて、ハサウェイの言葉を待った。
「向こうの世界で、シャアという男が、小競り合いを起こした。僕はまだ幼くて、興味本意で連邦軍の艦に勝手に乗り込んだんだ。
そこでクェスという少女に出逢ったんだ。僕はクェスに恋をした。初恋だった。
僕はクェスに一生懸命心を近づけようとしたんだけど、彼女は、結局シャアの元に走って行ってしまったんだ」
ハサウェイの話に、バルトフェルドは相槌をうつわけでもなく、ただ、黙ってハサウェイの話を聞いていた。
「クェスはシャアの所へ行くばかりか、シャアの力になろうと、モビルアーマーに乗ったんだ。そして、彼女は戦場に出た」
バルトフェルドが視線を下に落とした。話の結末に予想がついてしまったからだ。
「僕は夢中になって、格納庫にあったモビルスーツを勝手に持ち出して、戦場に出たんだ」
ハサウェイの目が、きつく閉じられる。
「それで……僕は……クェスを……」
「言わなくていい」
バルトフェルドが、ぴしゃりと言った。と、机の上にうつ伏せになっていた写真立てを起こす。
「……恋人か?」
「ああ。アイシャといってな。僕の最愛の人だ」
「それで……」
「死んだよ」
今は? というハサウェイの言葉を先回りして、バルトフェルドが言った。
「二年前の戦争でね。僕の目の前で死んだ。……キラに殺された」
衝撃的な言葉が、ハサウェイの心の臓を貫いた。
「えっ……?」
「当時、僕はザフト、キラは連合のモビルスーツパイロットでね。……だが、僕はキラをこれっぽっちも怨んでなどいない。戦争だったんだ。僕のモビルスーツに乗せろと言ったのも、アイシャ自身だった」
「…………」
「僕が今、こうして生きていることが出来るのは、紛れもなくアイシャのおかげだ。僕はアイシャの命を貰ったんだ。
だから僕は、アイシャのために、託されたこの命を精一杯に、何かのため、自分のために使いたい。それがアイシャの望みでもあると、僕は確信している」
「アンディ……」
「これは僕の勝手な言い分だが……君も、クェスに守られている。……苦しめられてもいるがね。
だから、君も生き急ぐことはないし、死に場所を探すような真似は止めるんだ。それとも、君も……死んだ方がマシなクチかね?」
――いつか……キラにも同じことを言った気がするな。
バルトフェルドは思い出して、ふと懐かしくなった。
「…………」
「今は、休むことだ。散々戦ったのだろう? 戦士とて、休息がなくてはな」
「ありがとう……アンディ」
「まあ、その身体じゃあ休まざるを得ないからね。感謝されるようなことじゃあない」
本当に優しいな。そんなことじゃないのに。
「ありがとう」
最後にもう一度、ハサウェイは言った。
バルトフェルドは口元に笑みを浮かべると、軽く手を振って部屋を出て行った。
それから、ハサウェイは順調に回復していった。
歩けるようになり、物が食べられるようになった。
その間、隠匿しているというΞガンダムを見ることは出来なかったが、そんなことは気にならないくらいに、ハサウェイの生活は充実していた。
以前の戦争で、キラが乗っていた戦艦の艦長をしていたというマリュー・ラミアスにも会った。
この邸宅も、アスハというオーブの貴家から借りているらしい。
ハサウェイは、生活を楽しみながらも、その実、情報や知識はしっかりと集めていた。
前大戦のときのことはもちろん、ハサウェイが来てすぐに起きた、ブレイク・ザ・ワールドと呼ばれる事件が何を意味するか。
そして、大西洋連邦大統領の宣戦布告。
――また、繰り返すのか……。
バルトフェルドがそう呟いたのを、ハサウェイは聞いた。
表面を見れば、正義や大義と呼べるものは、プラントにしかない。
連邦は、よほどの愚者か馬鹿にしか思えない。
だが、戦争は、表に見えるものが必ずしも真実ではないのだ。
何故なら、戦争で最初に犠牲になるのが「真実」なのだから。
だが、関係ないことなのかも知れないと、ハサウェイは思っていた。正確に言えば、関わってはいけないと思っているのだ。
自分はこの世界の人間ではない。
いつ戻れるかは分からないし、戻れる保証もない。
この世界にも歴史がある。自分が関わってしまったことにより、後々何かが変わってしまうなら(最も、一人の人間にそこまでの力は備わっていないと、ハサウェイは思っているのだが)、自分は何もしてはいけないのだ。
これでいい……これで……。
内から湧く何かを感じながらも、ハサウェイは呪文のように繰り返した。
「やあ」
と声がして、バルトフェルドが部屋に戻って来た。
ハサウェイがほぼ完治してからも、ハサウェイはバルトフェルドの部屋に居させてもらっていた。バルトフェルドたっての申し出でもあった。
「アンディ……」
「起きていたか。コーヒーを入れて来たんだが」
「ありがとう。もらうよ」
「考え事かい?」
「まあ……そんなところだ」
コーヒーにふたつミルクを入れてから、口に運ぶ。バルトフェルドのコーヒーは、それだけで店を構えられるのではないかと思うほどに、うまい。
就寝前の、いつもの一時である。
寝る前にコーヒーというのもおかしなものだが、二人の生活はこうして一日を終えるのだ。
そんな、いつもの夜の中にハサウェイが異常を感じたのは、すぐだった。
「ン……!?」
「ハサウェイ」
バルトフェルドも気づいたようだ。
「ああ……」
「銃を」
バルトフェルドがドア向こうに視線を向けながら、銃をハサウェイへ放った。それを受け取る。
「何者かは分からんが……地下にシェルターがある。子供たちを連れてそこまで退こう」
「了解だ」
胸が高鳴っていた。緊張しているのだ。
相手の狙いは?
ラクス?……妥当だ。
プラントの歌姫であり、象徴。
その影響力は、小さくはないと聞かされている。充分にあり得る話だ。
ならば、相手は連合のはず。
様々な憶測が、ハサウェイの頭を駆け巡った。
「行くぞ」
バルトフェルドの合図で、二人は部屋を飛び出した。
――続――