/23rd scene
「何故、先程の敵襲の折、出撃しなかったのかね?」
チャトゥルブジャの地下第16層に設けられた、この小惑星には不似合いな豪奢な応接室。アステロイドベルトに在り、ジオン公国の管理下にあってヴァイクンタと呼ばれ、資源採掘及びアステロイド・ベルトにおける前線基地に供されていたときに設置されたものである。目隠しのような金属製の仮面をつけた男が、大理石を模した滑らかな大テーブルの向こう側の三人がけソファに深く身を沈める二人の男に尋ねた。
「見ただけで、警備艦隊とは段違いのベテラン部隊だと分かった。我らとてその全てを討ち果たすのは、とても」
大柄で肩幅が広いほうの男が答える。
「切り札は最後まで隠し通しておくもの、といわれたのは、あなたの方ではありませんか」
隣に座っている華奢な男が続けた。
「その凶暴な愛馬が、古強者を蹄で踏みにじるのを見たかったのだがね」
「待たせはしない。2日遅れの援軍に絶望を味合わせた後は」
「その援軍を、血祭りに挙げて差し上げます」
「期待していいのだな」
「「無論」」
遠くで起こっている重大な問題も近くで起こった深刻な問題も露知らず、コウは緩みきった顔で起床した。
「良く寝た……そういえば、目覚まし消してなかったか……。腹も減ったし、もう起きるか……」
ここで寝台を離れなければ電流で無理矢理起こされていたところだということを、コウは知らない。
寝台のサイドテーブルの棚に艦内の地図があった。軍服に着替え、食堂の位置を調べる。移動する。
食事の時間ならば込み合っているはずの士官食堂が、なぜか閑散としている。寝ぼけて時計すら見忘れたのだ。
「すいませーん、食事、出来ます?」
「おお、アンちゃんには上からの指示で『スペシャルメニュー』が用意してあるよ!」
「へ~楽しみだな」
―次の瞬間、リリー・マルレーンの巨体を揺るがす絶叫が轟いた―
"C A C A R R O T ----------!!!!!!"
キャキャロットーキャキャロットーカカロットーーーー
「どうやら起きたらしいな」
「全くいい気なもんだよ。ジョニーの奴がパイロットには睡眠が不可欠だ、なんていうもんだから見逃してやったけど、いい加減ギリギリじゃないか」
「では、たっぷりお灸を据えられたあいつのアホ面を拝みに言ってやるとするか」
「いやアンタの方がアホ面だから」
/24th scene
ガトーとシーマが食堂にやってきた。コウはオレンジ一色のお盆の前で頭を抱えている。
「どうだ、少しは目が覚めたか?」
「覚めたどころじゃない! なんだよスペシャルメニューって!? ニンジン入りの炊き込みご飯に付け合せがニンジンたっぷりの金平ゴボウで主菜がニンジンがゴロリと二本分も入ったポトフでサラダもニンジンスティックのみで飲み物までニンジンジュースで、デザートに至ってはニンジン入りケーキじゃないか!! 僕がニンジン嫌いだって知ってるだろう! 嫌がらせもここまでくると逆に感心するよ! 驚きのあまり英語で絶叫しちゃったよ!
……ってガトー、お前なんで顔の左上が黒くなってるの? なんか手術跡っぽいのも見えるし。負傷したのか!? あれ?どうして震えてるの」
ガンッ!と、右側でガトーは机に正拳を叩き込んだ。ジュースが零れてくれたらいいんだが、とコウは思ったが、なぜか波立ったのみで1mgも零れなかった。
「どうしたんだガトー!」
「……怒りを、持て余す……っ!」
「僕の方こそ怒りの余り純粋な悪に目覚めそうだよ! ニンジンにトラウマがあるって話しなかったっけ!?」
シーマがコウの左側に寄ってきて、掌をテーブルに置いて身をもたせかけ、コウを威圧する格好をとった。
「あの娘の方がつらい想いをして泣いてるんだよ! そして、あんたが何とかしてやらないと、あたしたち全員死ぬんだ!」
「トリエ泣いてるの!? 泣かせた奴は誰だ! ラグビーで鍛えたタックルをブチかましてやる!!」
「「あいつだ」」
ガトーとシーマが同時に壁際の鏡を指差す。
「地球もろとも宇宙のチリになれーっ!!! ってこれ鏡じゃないか!何!?僕何かした!?」
キレつつ脱力するという一生に一度あるかないかの体験を、二人は同時に味わった。
リリー・マルレーンに急遽しつらえられた司令官室で、マツナガ副司令官は早くも戦勝会見の草稿を推敲していた。
指揮官が動揺すると兵隊はそれ以上に不安になり、勝てるものも勝てなくなる。それ故将校には常に沈着冷静さが要求される。実質上の最高司令官ともなれば尚更だ。先程の会議では、沈着然とした印象を取り繕うのに精一杯で、彼の唯一の悪癖である薀蓄の披露をし損ねた。この度克服された危機の重大さと、それが与える印象、双方を考慮して名付けたマハー・カーラーとはどういう意味かというと…。彼の精神は早くも恍惚境へと彷徨いつつあった。その瞬間に
「マハー・カーラーが加速を始めました!」
ノックも無しに駆け込んできた伝令が絶叫した。
その伝令が後に語り草とした話では、その時マツナガ将軍は書類に目を落としていたが、その体勢のまま上目遣いに彼を軽く睨み、
「作戦は変更だな」
と、事もなげに答えたという。将の器とはあのようなものか、と彼はいつもその話を締めくくるのだが、マツナガの内面は荒れ狂っていた。そこでも沈着さを装う第二の天性がやっとの思いで勝利を収め、彼の精神の中で湧き出て暴れまわっていた言葉のうち、口に出すべきと判断した物の発話を許可した。実際にここでいわれている「作戦」とはスピーチの内容である。
/25th scene
ほぼ同時に、ロンド=ベル旗艦ラー・カイラムとプリベンター旗艦アークエンジェルにその報せが入った。
「それで、マハー・カーラーのサイド3空域通過はいつになるんだ?」
第一報のショックから覚めた後、ロンド=ベル臨時司令官ブライト・ノア少将はやや上ずった声で尋ねた。
「予定より二日早まって、明日です!」
伝令が絶叫した。ブライトは絶句する。この位置からでは到底間に合わない。
「最高速度でいけば間に合わない事はないわ。現在我々が集めた兵力で、何とかできないかしら?」
時をほぼ同じくして、アークエンジェル艦長マリュー・ラミアスは会議室で発言した。しかし
「数は揃っているのですが、ジオン共和国軍より要請のあった大出力ビーム砲を搭載している機体が現在我々の占有になく、貸与を要請するとしても各種手続きで最低でも一週間はかかります」
オペレーターのミリアリア・ハウの答えは絶望的なものであった。
「ヒイロ君のことね」
「はい、サンクキングダムのドーリアン外務次官に協力を要請したのですが、別途任務に従事中だと」
「強力かつ連射可能な実体弾、というのもあるわ。ドモン君に頼んでみたら」
「現在修行中とのことです」
「ジオンは一旦連邦による武装解除を受けた。共和国軍はその後改めて連邦の監督下の元再建された。
多くの制約が加えられ、その中には核武装・対コロニー用BC兵器などと共に、高出力ビーム砲もある。
計算の結果、お前の計画を実行するのに十分な威力を備えたビーム兵器はサイド3にたった一つしかない……
お前の百式のバスター砲だ。貴重極まりない以上、防御にも細心の注意を払わなければならん」
モビルスーツデッキでガトーがそういってすぐ、コウは隅のほうで黄昏ていたトリエの元へ物凄い勢いで駆け込むや否や、
「ゴメン!本当に悪かった!言い訳はしない、気が済むまで俺を殴ってくれ!!」
と土下座していった。さほど悪いことをしたと思ってはいないが、トリエを傷つけてしまったことについては激しく後悔していた。
(男ってのはどうしてこうアホなんだろうねぇ……ガトーもなんか感動してるし)
大きな箱のようなデッキの壁にあるオペレーター室から二人を眺め下ろしながら、シーマは溜め息をついた。
一分ほど経った後、壁のほうを向いて体育座りをしていたトリエは立ち上がった。足を隠さない紺色の小さな短パンらしいものを履き、袖の長さが二の腕の半ばまでの奇妙な白いシャツを着ている。
/26th scene
その服装は中世紀の20世紀に地球(当時人類は宇宙にやっと足を一歩踏み入れた程度だったから特定する必要はないが)の日本で、女子学生が体育の授業において着用していたブルマーと体操服とよばれているものだ。
総帥シャア・アズナブルの直接かつ強力な指示により、ネオ・ジオンにおいてはレウルーラを初めとする各艦艇に、「民間人の少女が乗船した場合の換えの服装」という奇怪な理由で一隻につき最低5組づつ常備するよう義務付けられていた。不思議な事に、この決定の後ネオ・ジオンの成人女性からの支持が微減したのに対し、成人男性からの支持は目に見えて上がり、組織内の結束も高まったとのことである。とはいえそれが役に立ったのは今回が初めてだが。なお、総帥がこの決定を下した直後、首席秘書官ナナイ・ミゲルが精神科を受診したことを付言しておく。
トリエはしばらくコウを見下ろしていたが、やがてコウの前にしゃがみこんだ。どうする!?とその場にいた全員が注視した。拳を握る。スワ、と緊張感が走ったかと思うと、ぽか、と気の抜けた音が、デッキに響いた。
状況を飲み込めないコウは顔を上げて鳩が豆機関銃をヤンマーニ(目撃者の一人の証言より、意味は不明)したような顔でトリエを見つめる。口をややへの字に曲げ目を細めた微妙な表情からは意味が読み取れない。
「さ、儀式も済んだ所で作業を再開するぞ!」
パンパン、と手を叩き、ガトーが指令を下した。マジックを石鹸で落とそうとして失敗し、左上が黒く染まって異人種からの植皮手術を受けたようになっていた顔は、
「油性マジックだったら油で拭き取ればよくね?」
とのライデン中佐の冷静な指摘を受け、常態に復している。
トリエの表情が何を意味していたのか、この場で唯一の女性であるシーマにすら理解できなかった。
(……悪かったと思っているのはわかる。もうあまり気にはならない。
けど、わたしのことをどう思っているのか、まだよく分からない。
もしウラキさんがわたしがいてもいなくてもいいと思ってるのなら…… 後で考えよう)
噛み合わない気持ちのまま、二人は互いの命を預かりあう次第となった。