《第0話:終わりの先にあるもの》

Last-modified: 2020-04-16 (木) 18:17:13

夢。

 

夢を見ていた、そんなような気がする。

 

それは白く、昏い夢。どこか懐かしく安心する温もりの中で、なぜだかどうしようもなく哀しくて痛い、誰かの悲痛な叫びをただ受け止め続けるだけで。そして全てがごちゃ混ぜになって霧散する、そんな夢。

 

そんな夢を見ていたのかもしれないと思い、果たしてそれは一体どんな心理状況なのだろうと疑問に思い、そもそも自分は何故夢を見ていたのだろうと一頻りに頭を悩ませてから、そろそろ目覚めなければならないと、青年は思った。

 

目覚めなければ。

 

脅迫的なニュアンスを含む、至極通常のその思考。それに抗うことなく、青年は次第に覚醒する意識を自覚して、流れに乗るように努めた。

 

眼を開く。

 

薄ぼんやりとする意識に、薄ぼんやりとした視覚情報を入力する。

 

夢を忘れ、現実を認識する。

 
 

セカイに目覚める。

 
 

 そして、
「……、ここ、は」
 どこだと、知らない天井を見つけた寝ぼけ眼の青年は独りごちた。
 紫晶色の瞳をしばたたせ、彼はそれ以上のアクションを起こせないでいた。
 ひどく身体が重い。
 気怠く、指先一つ動かすことすら億劫な目覚めは、まるで目覚めるという行為に全ての気力を使い果たしてしまったのではないかと思える程の、最悪で。更には頭も重く、霞がかった思考は自分が今まで何をしていたのか、何故今まで眠っていたのかを瞬時に判断できない程のものになっていた。
 故に彼は、目を開けて、声を出す、それ以上ができない。
 そのままボーッと、天井を見つめ続ける。
 視線の先には。
 老朽化の進んだ木組みの天井と、古ぼけた蛍光灯があった。真っ白なカーテン越しの陽光に照らされた、ノスタルジックな雰囲気を醸すそれは、青年の知らない視覚情報だった。どこかからやってきた潮の薫りとさざ波の音に満たされた、ここは知らない空間だと一目で理解した。ついで、彼は自分がベッドに寝かされていたのだと知る。
 ここはどこだろう。
 軽く視線だけで周囲を見渡してみると、ここは沢山のベッドを収容した大きな部屋で、青年はその隅の窓際を陣取っていた。ベッドは10床、等間隔に並べられいずれも清潔そうな白いシーツが敷かれているのを確認したところでほのかに鼻を擽る消毒薬の臭いに気づき、おそらく医療関係の施設ではないかと思い当たった。しかし、それにしては人類が宇宙で暮らして半世紀以上の現代で、今時天然物の木材で建築された病院などあるのだろうか。他に人がいるような気配もなく、ならここはド田舎の保健室……のようなものなのかもしれない。
 何故自分はここにいる?
 ここに至るまで、自分は何をしていた? そう、そうだ……たしか、大変なことがあったような、そんな気がするのに。
 唯一思い出せるのは、真っ赤に染まったナニか。
(どうしようもない何かが、あったハズなのに)
 そこから先が思い出せない。
 いつのまにか眠気はすっかり引いていて、自分が何者なのかは、どんな人生を送ってきたのかは明確にわかるようになっていた。なのに直近のことだけが、どうしてか直近のことだけが、未だ思い出せない。
 そうして彼は、幾つもの疑問に頭を占拠されてしまう。思考の海に溺れさせてしまう。そう、何かが違うハズと脳が全力で叫んでいるんだ。だって、連続性がないのだ――今自分がこのようになっているのは酷く不自然なことなのだと、理由はわからないのにそう思えるのだ。これはなんだかおかしいんだ。
 息苦しい。
 【情報】が欲しい。
 自分にとって身近な情報を見つけられないのは、苦しい。
「なんなんだ、これは……?」
 この状況に、わけもなく困惑するばかりの現状に、ひどい不安を覚えて再びぽつりと独り言。
 眼を細め、それに応える声はないと知りながら、彼は声を世界に出力した。
 だから、
「……удивился」
「え……わっ!?」
 まさしく自分の真横から発せられたその【声】に驚いて。
 青年は思いっきり、大袈裟なほどにビクッと身体を引き攣らせたのだった。

 
 
 
 

《第0話:終わりの先にあるもの》

 
 
 
 

「……あぁ、すまない。こっちが驚かしてしまったようだね」
 それは鈴のような、透明感のある幼い少女の声で。
 どこかに苦笑いのエッセンスを含めた謝罪の台詞が――青年の左側、ベッド脇の簡素なサイドボードの位置から――飛んできた。
「タイミングが悪かったかな。私もまさか起きるとは思わなかったから」
 一瞬、正直、幽霊かと思った。
 ほんの少しだけとはいえちゃんと部屋を見渡して、誰もいないと判断したのだ。なのにいきなりこんな近くに音もなく現れて、それはもう幽霊だろう。
 しかし彼は常々幽霊なんぞいないと思ってる類いの人間で、むしろ意外にも幽霊が苦手だった部下をからかうポジションの男だった。幽霊なんてオカルトはありえない。なので、つまり、もちろん、この声は幽霊なんて非現実的で非科学的なものでは断じてないのだ。絶対に。
 小さな声なのに、よく響いて通るその『声』に、吃驚しただけなのだ、単に。
 そう瞬時に思考を流した青年は、流した冷や汗を知らないフリしつつ脈打つ心臓を落ち着かせるよう努めた。
 確かめなければならない。
 二重の意味でひっそり覚悟を固めた青年は、ゆっくり頭を傾け、声の主を視認しようとした。視て認めようとした。
 視る。
 そこにあったものは、
「……」

 
 

 まるで満点の青空の蒼を映した氷のようだと、思った。
 蒼く白い少女がいた。
 ただ冷たいのではなく、優しい――勝手な妄想かもしれないけど、そんな内面が透けて見えそうな蒼い瞳が、とても印象的。
 蒼銀をそのまま鋳溶かしたかのように輝き、ふわふわクルリと広がって綿雪のように少女を彩る長い銀髪と相まって、物語の世界からそのまま飛び出してきた氷のお姫様みたいだと一瞬、呆けた頭でそう思ってしまっていた。

 
 

「……氷のお姫様?」
「え?」
「あ……え、えと。うん、何でもないよ……変なこと言って、ごめんね」
「? あなたが謝る必要は、ないと思うけどね」
 言葉を使って話ができる人間がいた。
(聴かれてない、よね? 小さく呟いただけのはずだ)
 うっかり思考が口から漏れ出てしまっていたのか、相当恥ずかしい単語を口走ってしまっていた。なんだそのロマンティック全開な言い回し。願わくは彼女の耳に届いていないように――と、密かに青年は祈る。
 そんな男の小さな願いなど露ともしらない小さな白い娘は、小さな頭をわずかに傾けただ青年を見つめるだけだった。銀髪がふわりと揺れた。
 歳は大体10才頃……いや、もう少し上だろうか? どこか眠たげというか無表情そうな可愛らしい顔立ちと、先ほどからの妙にクールで大人びた言葉遣いというギャップが、彼女の年齢を妙にわかりにくくさせるカモフラージュの役割を果たしていると思えた。でも、それが悪意や邪気を孕んだものの産物ではないと感じさせるのは、きっと彼女が自然体だからだろう。真紅のタイが似合うセーラー服に身を包んで黒い帽子を目深にかぶる、そんな少女だ。
 青年は安堵する。何もかもが不明なこの状況に、一つの光がみえた気がした。
 会話ができる。
 会話とは情報の交換だ。彼女なら自分が知りたいことを何か、知っているかもしれない。
 勝手な期待だと知りながらも、けれどこのままではいられない青年は、ちゃんと少女と会話をするために漸く身体を起こす。
「ねぇ、君。君は……っ、あ、あれ……?」
「Осторожно……無理しちゃ駄目だよ。4日も眠ってたんだ、あなたは」
「……、……そんなに」
「ああ」
 起こそうとして、結局できたことは上半身を少し持ち上げるだけの行為だった。
 痛みはなく、ただただ身体が重いだけ。目覚めてからずっと付きまとっていた正体不明の気怠さは、想像以上に身体の自由を奪っていたのだ。身体は再びベッドに沈み、なんてことのない運動に息を切らせる。
 4日……4日も寝っぱなしでいれば、こうもなるのだろうか? 少し悲しくなった。
 少女はサイドボードに置いていた、水をなみなみに張った洗面器から一枚のタオルを取り出して、ギュッと固く絞りながら言う。あまり表情が豊かな方ではないのだろうか、眠たそうにも澄ましているようにも見えるその顔に小さな変化すら顕さないまま、淡々と。
「浜辺に倒れていたのを発見したのが4日前の朝。通りがかった艦隊が、この鎮守府まで連れてきたんだ」
 けっこうな騒ぎだったんだよ、とどこか懐かしむようなイントネーションで少女は濡れタオルを青年の額に乗せた。ヒヤリとほどよい冷気が、いつのまにか気持ち悪い油汗を滲ませていた青年の頭を優しく癒やす。
 しかし。
 青年は、しばし無言のまま少女の顔を凝視した。ありがとうと言いかけて、今の台詞の中に、重要な意味を持つ単語が紛れていたことに気づいたのだ。
「な、なにかな」
「……チンジュフ?」
「そうだよ。佐世保の……」
「ここは、日本の軍の施設なの?」

 
 

 鎮守府。

 
 

 たしか、そう・・・・・・ユーラシアの島国、極東の地。オーブ連合首長国のルーツである、ジャパン――日本国では、海軍の施設をそのような名称で呼ぶこともあると、そう聞いたことがある。
 遠い記憶、首根っこ掴まれイヤイヤ参加した座学で得た知識だ。
 鎮守府は全部で四つ。
 ヨコスカ。
 マイヅル。
 クレ。
 そしてサセボだ。確かキュウシュウ地方の。
 古来よりその地は、日本国海軍の重要拠点だ。
 それに、と青年は思考を加速する。
 思えば自分たちは先ほどからオーブ公用語を、つまりは日本語を自然に使っていた。
 バイリンガルが当たり前のご時世で、しかも彼女は時々ロシア語を使っているから断言こそできないが、その流暢な言葉の流れ、全体的なイントネーションは日本人のものだ。極めつけは少女の服装で、まさかこんな年端もいかない女の子が水兵であるわけもなし、今この世界でセーラー服を学生服として重用しているのは彼の国だけだ。
 であればここは日本国なのか。
 もし本当にそうであれば。思いの外あっさりと、この情報のない現状から脱せられるかもしれない。
 この国の軍――いや、セルフ・ディフェンス・フォースだったか。ともかく、ここの軍組織は優秀と聞く。
 そう考え、期待して、発した質問は。
「……Да。ここは日本の佐世保鎮守府で間違いないよ」
「……そう、か」
 明確な肯定として、青年に光を与えた。
 まったく思わぬ展開で、思わぬところから転がり出た待望の『情報』に、彼は浮かれた。
 そう、自分は軍の人間なのだ。知りたいことは、軍から訊ける。探す手間が省けたというものだと。
 世界の今、己の現状、いまいちよく思い出せないそれらは、自分の立場を使えば簡単に解るのだと。
 だから、青年は会話を続ける。
 目の前にあるかもしれない答えを得ようと、言葉を続ける。
「教えてくれて、ありがとう――タオルも。君のおかげで……助かったよ」
「気にしなくていい。この世の中だ。こうなることだってあるさ」
「そうかな。……なら君に一つ、お願いしたいことがあるんだけど、いいかな?」
「Ладно」
「うん。僕は君に――っと。……そういえば、名前がまだだったね」
 なんか君って言い続けるのもイヤだし、まずは此方から名乗るよと喋る青年は、気づかない。
 ここが軍だとすれば何故、こんな学生の少女がここにいるのか。何故、こんな木組みの古めかしい建物なんて使っているのか。何故、この自分がここに連れられたのか。
 その全てに意味があることに。
 まだ気づくことができないまま、青年は進んだ。
 それらのことに全く考えがいきつかないまま、焦燥感に駆られるままに。

 
 

 このセカイが、どういうものなのか、知らないままに。

 
 

「僕は、キラ。キラ・ヒビキ。新地球統合政府直属宇宙軍第一機動部隊の、隊長をやってるんだ。……もしできたら、ここの責任者に会わせてもらえないかな」
 かつて最強のパイロットと謳われた青年は、新たな戦いの海へと進む。

 
 

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