《第27話:邂逅、そして――》

Last-modified: 2021-08-29 (日) 23:10:59

 11月27日、夜。佐世保鎮守府工廠にて。
<――で、さ。シン。ちょっとお願いがあるんだけど、頼まれてくれないかな>
「なんだよ、改まって」
<あ、その前に。確認したいんだけどデスティニーのサブウイングの機能って使える?>
「あぁ? ……まぁ、使えると思うけど。テストしてねーけど数秒ぐらいなら……なんだよ?」
<そっか、良かった……うん、こっからが本題なんだけど。みんなにはさっき、佐世保に着くのは朝9時頃になりそうって言ったんだけどさ>
「らしいな。聞いた」
<これ内緒ね。実は朝4時ぐらいなんだよね、着くの。ちょっと共犯者になってくれない?>
「……、……はぁ!?」
 ウェーク島前線基地から掛かってきたキラからの電話、その出鱈目な内容に流石のシンも素っ頓狂な声を上げざるを得ず、受話器を持ったまましばらく唖然とするしかなかった。
 事の始まりは、ほんの数分前だ。
 スカイグラスパー会敵の報告以来、消息を絶っていたキラがどうなったのか気を揉みながら工廠で待機していたら内線で呼び出され、白露から「キラから連絡が来た」と教えてもらった。多少のトラブルがあったもののスカイグラスパーは無事に破壊できたこと、ウェーク島で一度休憩してから佐世保へ戻ることを有線電話で連絡してくれたのだと。そして「シンさんと話したがってるから内線でそっちに回す」と言われて、数秒の待ち時間を経て通話相手がキラに切り替わった。
 第一声で「あんたともあろう人がなにやってたんだ!」と怒鳴りつけてやった。半日近くも消息不明、あわや再度MIA認定の危機なんて、あってはならないことだ。こっちがどれほど心配したのかと。
 だが、ちょっと乱れたノイズに乗って「ごめん、ちょっと色々あって……でもなんとかね。シン、そっちは元気だった?」と和やかで脳天気な声が飛んでくれば、そんな気も盛大に失せてしまって。気が抜けて「まぁ……な。おかげさんでな。あんたも元気そーだな?」と精一杯の厭味で応えれば、彼が「そう怒んないでってば」と小さく笑いながら言って、こんなヤツに心を砕いていたのが馬鹿馬鹿しくなった。
 完全に自然体の会話。だがそれは前置き、フェイクであったのだと、シンは身をもって知ることになる。
 急に真面目なトーンになって「頼まれてくれないかな」と言ってきやがったと思いきやコレだ。言うに事欠いて「共犯者になれ」と。まったくもって穏やかじゃないし意味がわからない。
 一体なんの真似だ。
 キラは既に響と瑞鳳と提督と通話して、今後の予定を伝えたらしい。嘘の予定をだ。彼は仲間に伝えた時間より5時間も早く佐世保に帰還するつもりで、しかもそれを共犯者の名目で内緒にしてくれという。しかも今キラ本人から聞いた事が本当だとすると、ストライクの速度から考えれば今すぐにウェーク島を発つことになる。
 理解不能だ。何がそうさせる? 色々ってなんだ?
 意味が解らなければ意図を感じることもできない。せっかく第二次ヘブンズ・ドア作戦が成功で終わったというのに構わず降りかかってきた面倒なトラブルに、シンは後頭部をガシガシ掻いた。
 だが、
<その時間になったら展開してほしいんだ。あと、響をデュエルのコクピット内で待機させててほしい>
「……あんたなぁ、いきなりそれだけで納得できるわけないだろっ。なに考えてるんだよ!?」
<ごめん。でもお願い。ちょっと色々あって……そうしなきゃいけないことが、できてさ。とても大事なことなんだ>
 畳み掛けるように、穏やかな声音でいながらも有無を言わさない迫力の籠もった言葉。
 彼が直属の上司だった時代に偶に耳にすることがあった声に、どこか切羽詰まった必死さがあって、なにやら本当にワケありのようだと感じる。キラという男は一度こうと決めたら死ぬまで曲げない頑固者だと、この世界では誰よりも知っている。
 思えば、ユニウス戦役以来共に戦うようになってからは専ら、穏健派に見えてなにかと強引で無茶ばかりするキラのサポートが彼の役回りだった。そりゃそうだ、アイツはあのフリーダムのパイロットだったのだから。
 溜息一つ。ここは話を合わせてやるしかないかと諦める。
「……はぁ。ったく、言っとくけど俺は便利屋じゃないんだからな。今回だけだ」
<! ありがとう。詳細は後でレーザー通信で送るよ>
 昔のアスランやレイ、グラディス艦長も、こんな気持ちだったのかもしれない。
 それに、なんとなく昔、ミネルバ艦内で拘留中だったステラ・ルーシェを地球連合軍に返還した時のことを思い出した。勝手な捕虜の解放、クルーへの暴行、MSの無許可発進、敵軍との接触――本来であれば銃殺刑不可避な軍規違反をやり遂げた過去。それについての感傷はさておき、聞けば過去、暴行こそしてないもののキラも同じことをしたらしい。
 確証はないが彼から仰せつかったオーダーを考えるに、きっとそういう類いじゃないかと思う。仲間に秘密で違反行為をしたいと。だったら自分はやはり拒否できないだろう。
 ……それにしてもコイツ、傍受されてる可能性を考えてないのか?
<ということだから。任せたよ、シン>
「ああ。あんたが何考えてんのかは知らないけど……とりあえずわかった。なんとかする」
<ん。それじゃ、また後で>
「油断はすんなよ。あんた、こういう時の詰めが甘いから。じゃあな」
 ついで、ちょっとした忠告。それを最後にシンは憮然とした顔で、ガチャンと乱暴に受話器を戻した。
 一難去ってまた一難。少し忙しくなりそうだ。
「どうしたのよ、シン? キラさんからの電話だったんでしょ?」
「まーた眉間に皺寄ってるよ? Gut? なにか嫌なこと言われたの?」
 振り返れば天津風とプリンツ・オイゲンが心配そうな顔でいた。
 すっかり静かになった佐世保工廠内で、この三人だけが居残っていた。工廠のリーダー的存在である明石も既に自室に戻っている。
 深夜ではないが、もう夜も遅い。夜間哨戒任務を請け負った部隊以外の艦娘達の中にはベッドで寝付いている者もいるだろう。鎮守府の資源資材と防備が完璧となり、敵が攻めてくる気配はなく、仮設ではない本物の艦娘用宿舎も使えるようになった環境下なのだから、本日の鎮守府は終業時間だ。だというのにシンが工廠に残っていたのはやはり、いるかもしれない敵のMS戦力を警戒していたのと、提督からのキラに関する続報を待っていたからだ。
 天津風とプリンツは、シンに付き合って居残ってくれていた。佐世保に残留することになった彼女達ら支援部隊は日夜、部隊名にふさわしく「お困りとあらば即参上」とばかりに皆を手伝うお人好し集団だが、この二人は呉にいた時と同じくシンの護衛と手伝いを優先してくれている。ありがたいが、もう少し自由でいてくれても良いのにと思わんでもない。
 だが今は、二人が助けとなってくれるならこの上なく心強い。
「……いや、ちょっとな。厄介なことを頼まれた」
「厄介?」
 ここは素直に言われたことを全部バラしてしまう。
 内緒と言われたが知ったことか。秘密裏に佐世保鎮守府の索敵能力を一時的に麻痺させるなんて大仕事を成功させるには、流石に一人だと心許ない。共犯者――もとい、協力者は多いほうが確実だ。
「……だから、悪いけどちょっと手伝ってくれないか天津風、プリンツ。デスティニーの両腰のユニットを調整したい」
「良いけど……キナ臭いわね。なにを企んでるのかしら?」
「いいじゃない天津風、シンさんもキラさんも、悪いことするわけないし。とりあえず私は響を呼んでくるねー」
 悪いことするわけない、との過大評価には正直たじろいでしまうが、これで少しはサブウイングの動作を少しは保証できるか。デスティニーの整備に携わった者にだけ教えているが、両腰のサブウイングは広域ジャミング装置である。
 機体本体が光学的に透明になるわけではなく、範囲内のNJ環境下対応型短距離レーダーをアクティブに欺瞞し、電子的に透明になっていると騙すことができる。しかも騙されている方にノイズ等が走るわけではないので、ジャミングされていると気付かれにくい代物だ。
 そんなものを使えばどうなるかといえば、鎮守府が無防備になる。仮にこのタイミングで攻撃でもされたら、ひとたまりもない。信頼してくれているプリンツには悪いが、正真正銘の悪事だ。……だが、まぁ、ここ数日は敵の動きがピタリと止まっているし、ジャミング効果は福江島前線基地まで及ばないし、なによりたった数秒だ。問題はない筈だ。
 つまりキラは、佐世保鎮守府に潜入したいのだ。きっと。おそらく元々レーダー探知圏外の上空から一気に降下するつもりだろう。
 理由と目的はわからない。これも後々、直接訊くことにする。
(まぁ確かに、アイツがここの連中にとって不都合なことをするわけないよな)
 キラは目的の為ならなんでもする男だ。それこそ罪を厭わず、捕虜を勝手に解放するわ、国家元首を結婚式場で堂々誘拐するわ、正規軍同士の戦闘に介入するわ、その他諸々、はっきり言ってシンと同じかそれ以上にはっちゃけてる男だ。やられる方はたまったもんじゃないが、全ては彼なりの信念を貫いたものであった。
 護ると決めた存在に全てを尽くす。悪いこともする。その点でキラとシンは同類、同じ穴の狢だから、ここはキラが護ってきた場所であるのだから、それを覆すような真似だけはしないと信じることができる。
 ただまぁ面倒なトラブルであることには違いなく、シンは内心で溜息をつきながら調整作業に取りかかるのであった。

 
 
 
 

《第27話:邂逅、そして――》

 
 
 
 

<響、シン……聞こえる?>
 11月28日、深夜3時50分。
 開かれていた通信回線から馴染みのある穏やかな声が飛び込んできた。
 ストライク改から発振されたレーザー通信が、佐世保工廠天井に設置された中継器を通じて、工廠内で並んで佇むデュエルとデスティニーへ届いたのだ。二機のコクピット内で待機していた響とシンは、すぐさま彼の声に応えた。
「うん。聞こえるよ、キラ……おかえりなさい」
<ただいま響。あとシンも、僕の我儘を聞いてくれてありがとう>
<いや……。そんなことより、良いのかよ? 俺にも聞かせて>
<色々説明しなきゃいけないからね、二人には。……僕は今、鹿児島の上空にいる。もう少しで佐世保に着く……こんな所からでごめんだけど、そのまま聞いてほしい>
 響は最初にキラと通話した時に、「今夜はシンの指示に従うように」と言われていた。その時は意味がわからないまま頷いたが、時を置かずしてプリンツ・オイゲンが迎えにくると、キラがなにやら企んでいることを知った。
 驚きはしたものの異存はない。ここに帰ってきてくれて、しかも自分に用があるということに不思議な嬉しさすら覚えてしまう。故に余計な詮索はせず、二人の男の指示に従うことにした。
 そして今、デュエルに乗って待っていた響は遂に、キラの企みを聞くことと相成ったのである。サウンドオンリーで顔は見えないのは残念だけど、こうして一番先におかえりと言えたのは、ただいまと言ってくれたのは、少し気分が高揚した。それだけでもう満足でさえあった。
 当然、それだけで終わる話ではないと解っているが。
<どっからだよ、説明ってのは? 何についてだ>
 デスティニーに乗ったシンが口火を切って問う。ちなみにデスティニーの足下には天津風とプリンツが待機していた。
<まずはスカイグラスパーについて。シンもきっと疑問に思ったでしょ? 友人に似てると思ったからトドメを刺せなかったって……僕もあの後、おかしいって思ったんだけどさ>
<まぁ、な。……解ったのか?>
<うん。その上で、ちゃんと撃墜してきたよ>
 防衛戦の時の光景は、響も克明に覚えている。自分が目にしたものが信じられないといった面持ちであった彼のことを、覚えてる。
 それが解明できたというのだろうか。通信回線の向こうにいる青年は淀みなく言葉を綴った。
<あれにはね、やっぱり乗ってたのは深海棲艦だった。記憶に干渉してきて……つまり精神攻撃の使い手でさ、だから手こずっちゃったんだ。最初にトールを思い出したのも、それが原因で>
<精神攻撃? なんだよそれ?>
「……わたしもそんな深海棲艦、聞いたことは……いや、でも……なくはないのか?」
 聞いたことはないが、ありえなくはない。
 艦娘と同じく、いやそれ以上に謎とオカルトの塊であるのが深海棲艦、何をやっても不思議ではなかった。響とシンの納得を待って、キラは続ける。
 曰く、スカイグラスパーは破壊できたが、それで前後不覚になってたら意図せず大気圏突入しちゃったこと、ビキニ環礁に降下したこと、そこでダメージチェックをしてからウェーク島へ向かったこと……とまぁ、ここまでが提督達に正式に報告するつもりの内容なのだとして語ってくれた。
「ここまでは、ということはつまり……ここからが本題、わたしとシンにだけ聞かせたい話なのかな」
<そうだよ。そして僕がこうまでして、君達と内緒の話をしようとした理由なんだ>
<聞いてやるよ。ところで、ジャミングはまだやらなくていいのか? もう佐世保上空にいるんだろ?>
<うん、いるけど……するかどうかは、シンが決めてほしい。僕の話を受け入れられなかったら、やらなくていい>
<はぁ?>
 シンが不審げに唸り、響も首を傾げた。
 この秘密の会談の前提をちゃぶ台返しするような提言だ。行動の決定権をシンに渡す……それにどんな意味があるのか。もし受け入れられなかったら、どうするというのか? まだ彼の意図が読めない。
 一体、キラは何を語ろうとしているんだろう。
 疑問が胸の中で大きくなって、思わず呼びかけようと口を開きかけた瞬間、それは響にとって途方もない衝撃を伴って告白された。

 
 

<そのスカイグラスパーに乗ってた深海棲艦は【姫】級で……、……響、君の対となる存在の子だったんだよ。【姫】級はみんな、艦娘と同じように艦艇だった頃の記憶を持っているみたいなんだ>

 
 

「……、……え……?」
 対。
 対となる存在。
 ……その噂は、艦娘達の間でまことしやかに語られているものだ。艦娘と深海棲艦は光と闇のような存在なのかもしれない、だって【姫】級とされる敵は、艦娘とそっくりな容姿をしているから――そんな噂だ。艦娘の神通と【軽巡棲姫】が似ているように……逆に、軍令部は「艦娘に似ている深海棲艦だから【姫】や【鬼】に分類している」とすら言われている。
 戦争が始まって5年、遭遇した【姫】のうち半数以上は取り逃がしているものの、その何れもが艦娘と酷似していることは既に共通認識だ。だから響も、この世界の何処かに自分と似た深海棲艦がいるのかなとぼんやり考えたことはあった。
 その存在自体に拒否感はない。謎とオカルトの塊である深海棲艦は何も解明されていないのだから、対の存在とか記憶とか言われても否定することはできない。それはいい。この際どうでもいいから受け入れる。
 問題は、何故、キラ・ヒビキという男がまるでそれを真実であるかのように言い切っているのか。
 何故、

 
 

<戦う力を持たない、戦う意思も持たない、だけど誰かの役に立ちたいと願う深海棲艦。艦艇の響の記憶を持つ、もう一人の存在。その子は今、僕と共にここにいる>

 
 

 共にいるなどと。
 深海棲艦と、敵と共にいると、言っているのだろう?
「……」
<……>
<……>
 三者三様の沈黙が場を支配する。
 響は彼の言葉に深く衝撃を受けるばかりで。
 シンは彼の言葉を疑うような気配を見せて。
 そしてキラは二人が落ち着くまで待っているような感じだった。
「……キラ」
<うん>
「そこに……その深海棲艦がいるの?」
<……うん、そうだよ、響>
 裏切り、という単語がまず頭をチラついた。
 まさかの爆弾発言。予想だにしなかった彼の言葉に、行動に、頭の中が真っ白になりかかる。彼が当たり前のように敵と共にいるという現実にクラクラする。
(……いや、そんな筈はない、待て、落ち着け……。おかしい。キラの言うことが本当なら、深海棲艦が意味のある普通の言葉を喋り、敵である筈のキラに攻撃してないってことだ。そんなことが……?)
 ここで冷静な思考を取り戻せたのは、ひとえに最前線で戦い続けた経験があったからこそだった。敵意ばかりで、喋ったとしても胡乱で狂気に満ちた繰り言で怨嗟を吐き出すばかりの存在と、意思疎通なんてできる筈がないと、彼女は正しく認識していた。
 そのおかしいという感性は正しいのだと、今この状態は特殊であるのだと、当のキラが肯定する。
<この子は特別で、ちゃんと話ができる。だけど生身で戦えない……特別なんだ>
「とく、べつ……」
 特別。
 戦う力を持たない、戦う意思も持たない、だけど誰かの役に立ちたいと願う深海棲艦。もう一人の自分。いきなりそんなことを言われても戸惑うばかりだ。
 その願いは確かに、自分の中に通ずる願いではあるけれど。本能はそれが事実であると受け入れているけれど。
 でも確証がないと、響は苦悩するように強く瞼を閉じる。
 一体どうして、それをそのまま受け入れられる? キラを信じたいという思いはある。だけど今のままじゃまだ、信じられない。これまで怖い想いを隠して、仮面で心を殺してでも深海棲艦と戦ってきたのは他ならぬ自分なのだから。
(いきなり、そんな……特別な例外があるって言われても、飲み込めないよ、キラ……)
 同時に、どうして彼がこんな迂遠な手段を採ったのか理解できた。通信回線越しの会話なら冷静でいられるのだ。もしも自分がキラとその例の深海棲艦を前にしてそんなことを言われていたら、まず脳が言葉そのものを拒否しただろうから。
 これはきっと彼なりの気遣いなのかもしれないと思うことで、深呼吸を数回、少しずつ頭を冷やしていく。

 
 

 そして一つの予感が電撃のように閃き、付随して、一つの欲求が芽生える。

 
 

 なんとなくわかった、彼の目的が。
 もしもそれが真実だとして、こうして前置きを話しているのならば、応えたいと思った。
(……結局のところ、わたしは貴方を信じているし、信じていたいんだね)
 自分の心には嘘をつけない。彼を信じているからこそ全然ロジカルじゃない己の心の動きに、素直になる。
 その為には此方も、彼の真意を質さなければ。
「……キラ。とりあえず、そういう深海棲艦がいるってことは、うん、わかった。……でも、それを結局キラはどうしたいのかな。貴方が望んでいることを、教えてほしい」
 何故、という問いかけを重ねる。
 これに彼はハッキリと、確たる意思をもって応えた。
<響と話をさせてやりたい。自らデカプリストと名乗ったこの子を会わしてやりたい。それは響にもきっと良いことだと思ったから……だから今、こうしてるんだ>
「……! デカ、プリスト……、……」
 それはまさしく、響の予感とぴったり一致して。
 芽生えた欲求は現実のものになると、天を仰いだ。覚悟が決まった瞬間だった。

 
 
 

 
 
 

「響と話をさせてやりたい。自らデカプリストと名乗ったこの子を会わしてやりたい。それは響にもきっと良いことだと思ったから……だから今、こうしてるんだ」
<……! デカ、プリスト……、……>
 それはキラが提案したことだった。
 夕焼けに赤く染まったビキニ環礁で、ほぼ同時に昼寝から目覚めたデカプリストに問うたのだ。「これからどうするの?」と。明確な答えは返ってこなかった。彼女が任務に失敗したのは事実で、もう居場所はないかもしれないと少女は俯いて言った。
 だったらと提案したのだ、会ってみないかと。未来を考えるのはそれからでも遅くない筈だからと。
 自身の過去と向き合い、乗り越えようとしている響にとって、同じ記憶を持つ者がいればきっと有意義なものになるんじゃないかと考えた。余計なお世話なのかもしれないけど、ただの我儘かもしれないけど、それがきっと二人の為になると思えてならなかったから。
 数分の逡巡を経て、頷いてくれた。それがキラと響の役に立つのならば会ってみたいと言ってくれた。……それだけ彼女は「役に立つ」ことに飢えていたのだろう。
 同意を得て、共にウェーク島前線基地へ飛んだ。
 ただその前に、流石に磯の匂いがキツかったからドライシャンプーで髪を洗ってあげて「次ハ本物ノしゃわーヲ浴ビテミタイ」と言われてしまったり、念のため毛布で正体を隠す為のマントを作ってあげたり、最後にスカイグラスパー機首部を徹底的に破壊したりしたから、ウェーク島に着いた頃には夜になってしまったけど。
 とにかくそういう経緯で、提督達を騙す形で佐世保へ帰還することにした。自分の我儘を通す、ただそれだけの為に。
「……きら。サッキカラ私ノ話バッカリ……恥ズカシイ」
「ごめん、でもあともうちょっと我慢して。ね?」
「ン……」
 今はストライク同化状態でデカプリストをお姫様抱っこして、佐世保の上空――レーダー探知圏外で浮遊し、二人の許可を待っている。
 自分の要望は伝えた。後は二人次第だ。
<ちょっと待てよ。キラ>
 ここでやっと、しばらく口を閉ざしていたシンが若干苛ついた雰囲気で声を上げた。
<あんた自分で言ったろうが。精神攻撃してくるって。それに今も惑わされてるんじゃないのか!?>
「……それは……確かにそうとも取れる内容かもしれない。でも信じてほしい」
<そんな口先だけで……! もしソイツに悪意があったら、あんたは自分で護ってきたここ(佐世保)を危険に晒すことになるんだぞ! わかってんのかよ!?>
 やっぱりシン・アスカは信頼できる男だとキラは思った。
 言われてみれば確かに、普通ならその線を疑う。あまりに荒唐無稽で、キラが深海棲艦に操られていると考える方が自然だ。決して問答無用で拒否してほしいわけじゃないけど、彼がこうして反対意見というか、怒ってくれるのはなんだか嬉しかった。やっぱりシンはシンなのだなぁと。
 それにやっぱり、自覚できてないだけで「その線」はあるかもしれない。ならば保険としても彼の存在は重要になる。彼にも聞いてもらったのは正解だった。
「そうだね……それは僕に断言できない。だからもし本当にそうだったら、シン、君が僕を討つんだ。無理すれば動かせる状態だって聞いてる……今の僕がデスティニーに敵うわけないでしょ?」
<……、……そうだな。けどそれも含めて、敵が同士討ちを狙ってる可能性も捨てきれない>
「だったら今、わざわざ説明する意味がないじゃない? 深海棲艦に操られた僕が普通に帰還して、内側でいきなり暴れれば済むだけのことだよ」
 デスティニーのバッテリー駆動仕様へのダウングレード化はまだ終わっていないだろうが、それでも長時間単独飛行でパワーが尽きかけているストライクなんか赤子の手をひねるように撃破できるに違いない。
 シンなら迷わずに討ってくれる。あとで死ぬほど悔やむかもだけど、それができてしまうのが今のシン・アスカという男だ。もし討たれて死ぬなら彼の手で、という願望を持っていることも否定できない。
 だが此方は我儘を通そうとしている身なのだから、話をさせたいと言っている身なのだから、ちゃんと言葉で説得できなければ意味がない。ここで二人を説得できないようであればキラ自身の話に説得力がなくなるからだ。人類の敵である深海棲艦とは話ができて、仲間とは話ができないなんて、そんな馬鹿なことがあるものか。
<……>
「……突拍子のないことばっかでごめん。けど信じてほしいんだ、本当にこの子は……デカプリストは僕達の敵じゃないんだって。僕の我儘を、どうか聞き入れてほしい」
 だから真摯に訴え続ける。デカプリストの視線を感じつつ、遙か真下の佐世保工廠に向かって語りかける。
 こんな機会はもう二度と巡ってこないと思うから、なんとしても実現させたい。全てに納得した上で二人を引き合わせたい。それこそが、この偶然にしては出来過ぎな出逢いの意味だと思うから。
 半ば祈るような気持ちであった。
 すると、

 
 

<わかった、信じるよ。キラ、わたしは貴方とその子を信じてみる>

 
 

 響が応えてくれた。
 すっぱりと決断したような清々しさで、受け入れてくれた。さっきまでは申し訳ないぐらい声が震えてて、弱々しかったのに。それがなんだかとても嬉しくて、感謝の気持ちさえ湧いてきた。
 良かった。いくら彼女の為を想った我儘でも、彼女に無理をさせてしまったら元も子もなかった。
「響……ありがとう」
<会うよ。というか、会ってみたい。この機会を逃したら、もうチャンスはなさそうだからね>
 肝心の少女が受け入れたからか、シンもこれ見よがしな盛大な溜息をついて、
<……はぁ。……そうだったな、あんたアスランの友達やってたもんな。類は友を呼ぶっつーか……>
「シン……」
<条件を二つ呑め。一つは戦闘形態の天津風とプリンツ・オイゲンを立会人にすること、もう一つは地上で会うこと。少しでも妙な気配があったら躊躇なく撃つぞ>
「従うよ。ごめん、嫌な役を押しつける形になって」
<今更だろ>
「……だったね。デカプリストも、それでいいよね?」
「イイ。全部任セル。……私カラモ、感謝スル」
 なんとか対話の舞台を整えることができた。
 時計を見れば4時6分、他の人達に見つからないように話すにはちょっと心許ないかもけど、充分だ。シンがジャミングフィールドを展開させ次第、二人の決断に甘えるとしよう。
<あ、ちょっと待って>
「響?」
<せっかくだからね、準備したいモノがある。10分待ってくれないかな。先に降りてていいから>
「わかった。待ってるね」
 そうしてキラとデカプリストは人知れず、佐世保鎮守府敷地内に潜入した。

 
 
 

 
 
 

「ふーん、本当に特別な深海棲艦なのね。こんなビクビクしてるの初めて見たわ」
「冷やっこいんだねぇ肌。なのにモチプニで、これはちょっと新感覚でクセになるかもだよー天津風」
「ヤ、ヤメロォ……触ルナァ……! きら、ヤメサセテ……」
「見れば見るほど響と瓜二つだし、対の存在と言われても納得ね」
「私と天津風にもいるのかな? どうなの、デカちゃん」
「知ラナイ! でかチャンッテ呼ブナ!」
 寂れたベンチと、それをスポットライトのように照らす電灯があるだけのただっ広い空間、普段から人目のつかない工廠裏手の広場で響を待っている間、デカプリストは二人の玩具にされ涙目になっていた。
 天津風にしげしげと観察され、プリンツにぺたぺた触られて。というか傍から話を聞いていたらしい二人が怖い物知らずというか、適応力が高いというか、危機意識皆無で揉みくちゃにしてるのは流石の一言だ。それでもって、揉みくちゃにされてもキラの言いつけを守って精神攻撃で反撃しない少女も、なんともいじらしいものである。
 そんな三人から少し離れたところで見守るキラとシンの態度は、対照的だった。
「あんた、俺と違って深海棲艦にボコられたんだろ? それからずっと戦ってて、よく話してみようなんて思ったな」
「そりゃまぁ、最初は怖かったのは確かだけど。でも……あんな感じだったし」
「……愛玩動物かなにかかよ」
「可愛いよね」
「変態不審者」
「なんでさっ!?」
 のほほんとしてるキラと、ぶすっとしてるシン。
 どちらも今は生身のまま工廠の外壁にもたれかかっていた。ストライクはこっそり充電中で、デスティニーは工廠内に置いてきた。デカプリストは本当に無害であると天津風とプリンツが認め、そこまで気構える必要はないとして降りてきたシンだったが、なんというかあんまりにも斜め上の展開すぎて頭がついて行けてない感じだ。
 彼からすれば、やっとまともな会話ができると思ったら……といったところだろうか。腕を組み、呆れたような目でキラを睨むシンはぶっきらぼうに糾弾する。
「ロリコン。特殊性癖」
「ちょっ、そこまで言わなくてもよくない? 大体シンだって、あの天津風って子と四六時中一緒って話じゃない」
「あいつは自称保護者だからな」
「だったら僕だって、響は普通に艦隊の仲間ってだけだよ」
「その割にはお熱だろ。これでも情報収集してるんだよ俺は。伊達にあんたの部下だったわけじゃない」
「ぅぐ……」
 久しぶりの会話がこんなので良いのかとも思うが、まぁギクシャクして変な感じになるよりはマシかと受け入れるキラ。受け入れると言えば聞こえはいいが、実際は言いくるめられているだけなのだけど。
 ここは大人しく両手を挙げて降参のポーズをとる。
「きらッ、コンナノ聞イテナイ! コノ二人追イ払ッテ!」
 時を同じくして遂に救難要請が来た。異端者二人が同時撃沈した瞬間である。
 横目でシンにお伺いを立てれば無言で顎をしゃくり「行けよ」と許可されたので、ふわふわの白髪をすっかりボサボサにされた少女の救出に向かう。すると脱兎の如く走ってきては腰にヒシっと抱きついてきた少女の頭を梳いてやり、天津風とプリンツにこれ以上は勘弁してあげてとお願いする。
「二人とも、そこまでにしてあげてほしいかな。もうそろそろ響が帰ってくると思うし」
 実際、準備をすると言った響が何処かへと走っていってから、間もなく約束の10分が経とうとしていた。
「はーい、仕方ないわね」
「残念。また遊ぼうねデカちゃん」
「でかチャンッテ呼ブナァ!」
 涙目で猫みたいに威嚇するデカプリストの姿に、ついつい笑いが漏れる。なんとも予想に反して賑やかな対話になりそうだ。
 これなら本当に、この鎮守府なら彼女の存在を受け入れてくれるのでないかという希望が持てる。いや、きっとそうだ。ゆっくり馴染んでいける筈だ、ここでなら。そして自分が護っていくのだと心に誓うキラであった。
「やぁ、賑やかだね。わたしも仲間に入れてくれないかな?」
 すると丁度、響が帰ってきた。
 穏やかな声音の台詞と共に、悠然と、しっかりとした足取りで工廠裏広場へ歩いてきた蒼銀の少女。その手には、
「響、それって……?」
「キラ、改めておかえり。また会えて嬉しいよ」
 お盆。
 無色透明の液体が少量入っている瓶が一つと、二つのショットグラスと、雑多な食材を載せたお盆。準備とはこれのことだったのかと得心するキラに向かって、響は歩いてきた。

 
 

 途端、静謐な雰囲気が場を支配する。
 空気が変わった。天津風とプリンツとシンは押し黙り、キラも一歩も動けなくなる。間違いなく響の一挙手一投足に、皆が呑まれていった。

 
 

 以前、一緒にお風呂に入った時に感じたものと同じ感覚が、少女の身体から溢れている。あくまで自然体。でも、力強い意思に彩られていて。……こんな顔をする少女だったのだなと、何かが腑に落ちた。
 そして青年の腰に抱きついたままだった白の少女の前に立って――にっこりと。思わずドキリとするような、震えが来るような、見事な微笑を浮かべて言った。
「Приятно познакомиться с вами, и я думаю, что это было долгое время.【Декабрист】, я очень счастлива」(はじめまして、そして久しぶりでもあるのかな。ディカブリスト、貴女に会えてとても嬉しいよ)
「……И я тоже. Никогда не думал, что увижу тебя такой. Но……Я рад,【Верный】」(……私モダ。コウシテ会ウコトニナルニナルナンテ、思ッテモミナカッタ。デモ……嬉シイヨ、う゛ぇーるぬい)
 流暢なロシア語。
 デカプリストも応じて、まっすぐ彼女の前に相対して、微笑む。
 映し鏡のような、生き写しのような二人は、予定調和のように、響き合うように二人だけの世界を形作っていく。キラの知らない二人がそこにいた。
「……ふふ、今のわたしはまだ【響】だ。まだ……たぶん、これからも、全部ひっくるめて。……ごめんね、探したけど安物しか残ってなくて。でもやっぱり、客人はこれでもてなすのが【わたし達】の流儀だろう?」
「うぉっか?」
「うん。ストレートで戴こう。……キラ、これの用意をお願いできるかな」
「……、……っ! わ、わかった」
 正直言って、驚いた。
 まさかここまで落ち着いているというか、堂に入っているというか、覚悟を決めてくるとは思わなかった。はじめて会った、しかも自分とそっくりな深海棲艦を前にして、まるで旧来の友人のように。
 お盆をキラに預けた響は、お互いが惹かれ合うようにして、デカプリストと指と指を絡めて両手を繋ぐ。コツンと額同士を合わせて、瞳を閉じた。スポットライトに照らされて闇夜に浮かぶ二人は、美しかった。
「……。行くわよシン、プリンツ」
「えっ、でも」
「邪魔しちゃ悪いでしょ」
「……そうだな」
 シンと天津風とプリンツが静かに立ち去っていく気配を感じて、キラもようやく身体に自由が戻る。
 二人の邪魔にならないようにお盆をベンチに置くと、ついでキンと冷えたガラス瓶の中身を二つのショットグラスに注いで、カットライムを添える。デカプリストがウォッカと言い当てたこれはもしかすると、11月18日に夕立が誤って飲んで二日酔いになったというお酒なのかもしれない。
 更に、材料だけ揃えられていた軽食の準備をする。薄切りで軽くトーストされていたバゲット数枚にクリームチーズと生ハムを乗せ、上からパラリと粗挽き黒胡椒を飾る。カナッペだ。他にもチョコレートとナッツ類を乗せたものも用意する。こんなものをスッと用意できる辺り、響は結構な酒飲みなのかなと思った。
 そうしてからしばらく、手を握り合ったまま黙りこくっている二人を眺めた。
 黙っているようで、会話しているのだろう。彼女達だけの言葉で。これに口を挟むことは憚られると、キラはただ眺めることしかできなかった。
 果たして、どれだけそうしていたのか。
「じゃあ、キラが用意してくれたのだし、祝杯を挙げよう」
 響が切り出し、二人は用意の整ったお盆を挟んでベンチに座る。
 座って、同時に、ウォッカで満たされた小さなグラスを掲げた。
「……」
「……」
「На будущее」
「И для тебя.」
 カチン、と、涼やかな音が不思議と広場に反響して、満たされて。

 
 

 そして、消えた。
 青い光の粒子の残滓と、暗黒色の鉄塊だけを遺して。

 
 

「……До свидания」
 デカプリストはいなくなった。
 グラスの中身と幾つかのカナッペと一緒に。白の少女は最後に笑顔を浮かべて、消えていった。

 
 

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