シンが元の世界で経験した二度にわたる世界規模の大戦はどちらも、そのインターバルにたった二年間しか置かなかったにもかかわらず、コーディネイターとナチュラルという種族とも民族とも言い難い二つのカテゴリーの対立を最大の要因としていた。最初の戦争では家族と生まれ故郷を、二度目ではそれこそ全てを失った後、シンは今こうしてここにいるわけだ。
「つ・・・つっ着きましたっ!」
「これがねェ・・・・・・」
「あそこに本当にナミがいんのかァ!?」
ナミを追ってきた彼等の目の前に現れたのはアーロンパーク。所々に鮫を模したようなデザインを配した巨大な建物が海岸線に居を構えている様子は、イメージとして海軍基地に近いものがあるのだが、正真正銘イーストブルーにおける最高賞金額2000万ベリーを誇る大物、『ノコギリのアーロン』が率いる海賊アーロン一味の本拠地である。
本来なら海賊がその島の玄関口に堂々と居座るなどまさしく暴挙なのだが、アーロンという海賊がかつては王下『七武海』の一人である魚人海賊団の頭ジンベエと肩を並べるほどで支部クラスの海軍ではまったく手に負えない存在であることと、極端な『種族主義』者であることがそれを可能にさせていた。
種族主義とは、生来持っている海生生物の能力の分人間より優れていることを根拠に魚人こそが万物の霊長、至高の種族とする思想である。ザラ派をはじめとするいわゆる強硬派に数多く存在するコーディネイター至上主義者やナチュラル軽視主義者とまったく同じ論法といえよう。
人間は生まれた土地や肌の色で相手を差別することが出来る動物なのだから、どこの世界だろうとこの手の問題はあって当然と言われればうなずくしかない。しかし、ここまで真正面から遭遇するとは夢にも思っていなかった。
「問題はこれからっす。まずナミの姉貴がどこに船をつけたかを探らないと」
「ならここから離れたところから上陸したほうがいいな。いくら支配してるって言っても所詮は海賊なんだから島の全域に常時見張りを立ててるなんてこともないだろ。なら変にうろついてるよりはさっさと島に上がったほうが安全だし確実だ」
「なるほど・・・さすがシンの兄貴!」
「でもよぉ、それで魚人に見つかったらどうすんだよ」
「おいおい、ウソップ。魚人ってのは半分は魚なんだろ? こんな海の上で見つかったらそれこそ逃げようも戦いようもないぞ」
「そ、それもそうだなっ」
「だろ?」
腰が引けていた二人をシンは言いくるめた。本当は一度引き返してヨサクが連れてくるであろうルフィやコックのサンジと合流するというのもあるが、そんなことをすれば怖くて戻ってきたのかと言われかねない。なんとも癪なので却下である。
一応の方針が決まったので、シンは黙ったままでいたゾロに話をふった。
「と言うわけだけど、それでいいよな」
「・・・・・・切り込むのか?」
「ん何でそうなるんすか!!」
「アホかてめェ! まだ何の手掛かりもつかんでねぇんだぞ!!」
「話はちゃんと聞けって・・・・・・それはルフィたちが来てからだ」
「って、お前もヤル気満々かよ!」
「感心して損したっす!!」
道すがらヨサクとジョニーが話した情報はおぼろげなものだったが、アーロン一味の行いが人々から歓迎されるような類でないことは容易に想像がつく。理不尽な暴力でこの島の人たちを家畜のように扱っているのだろう。
そうなると今までの経験から言って確実に自分はブチキレて彼らと騒動を起こすだろうともシンは考えていた。
戦闘になるのは間違いないが、さすがにこの戦力で未知の相手にケンカを売るほどシンはバカではなくなっている。仲間を待つという発想が出来るようになったのだ。
今暴走されても困るので三人でゾロを縛り上げる。少しするとココヤシ村というところの近くに止まっているメリー号が見えてきた。
早速船を近づけたのだが、
「あっ」
((魚人・・・!!))
とりあえず関わらないでおこうと思った矢先に見事に鉢合わせてしまった。運がないのかタイミングが悪いのか。ここはひとまずスルーすべく止まらずに通り過ぎたのだが、いかんせん見たこともない船が目の前を横切って不審に思わないほど相手も間抜けではなかった。魚人だけあって泳いで追っかけてくる。
「脱出!」
「御意っ」
「ちょっと待てお前らァ!!」
ウソップとジョニーはすぐさま逃げ出した。
シンとしてはゾロの縄を解いて迎え撃つという選択肢もないではない。海中から攻撃を仕掛けられるならともかく、船の上にあがってもらえれば負けることはないだろう。
「ちっ。あいつら後で会ったらただじゃおかねェ・・・・・・・シン、早く解いてくれよ」
「・・・・・・」
「おい・・・?」
だけど、とシンは考える。グランドラインから来たとはいえ、この海で海賊をやってる以上『海賊狩りのゾロ』を知らぬわけがない。ある程度名の通った賞金稼ぎが現れたとなれば魚人たちの意識は自然とそちらに集まるだろう。つまりここでゾロに捕まってもらったほうがこの後なにかと動きやすくなるわけだ。
というわけで、
「戦略的撤退!」
「待てコラァ!!」
あれで死なないんだからほっといても大丈夫、と傷の処置をしたのは自分であることも忘れてシンも海に飛び込んだ。絶対的な信頼があるからこその行為とはいえ、傷の縫合をしていたときとはえらい違いである。頭の切り替えの速さも大いに成長させたらしい。
「許せゾロ。お前は実に勇敢だったとルフィには言っておく」
「なんて運の悪い人だ・・・アニキのことは忘れねェよ・・・・・・!」
「おいおい・・・・・・まァ、あいつには頑張って時間を稼いでもらおう」
アーロンパークヘ舵を切った船を眺めながらそんなことをしゃあしゃあと言ってのけた後、三人は泳いですぐ近くの陸地に上がった。
彼らがたどりついたのはゴザという町、だったところである。
「え・・・」
「な・・・」
「こいつは・・・」
町の原型はかなり残っているといえるだろう。おそらくそこは町のメインストリートであり、毎日のように住人達が行き交っていたであろうことも即座にうかがえる。しかし、間違いなくこの町は壊滅していた。
なぜなら、そこにある建物のことごとくが、まるで空から降ってきたようにひっくり返って屋根から地面に刺さっているのだ。シュールレアリスム絵画に登場しそうなその光景は悲惨さと同時にどこか現実離れした滑稽さも感じさせる。
大型の工事用重機を使用したとしてもかなり大掛かりな作業になるようなことを単なる見せしめでやってしまうわけだから、たしかに魚人の力とはとんでもないものと言える。一般人と彼らの差はナチュラル・コーディネイターの比ではない。
シンがアーロン一味に対するイメージが現実と相違ないことを確信し、こみ上げてくる怒りをぐっと抑えながら町の奥のほうに進んでいると、
「ぎいやあああ!」
「待てェ!」
いつの間にかウソップが現れた魚人に追っかけられていた。
普通なら気配で気付いてもおかしくないのだが、目の前の景色に気をとられすぎていたらしい。
「お前も島流しの仲間かぁ!」
全速力で逃げるウソップに対してシンはただ突っ立っているだけなのだから、魚人が目標をそちらに変更するのは当然のことである。論理的な選択といえよう。が、この時ばかりはタイミングが悪かった。
相手の様子を伺いながらなんて性に合わないわけだし、ちょうど怒りも溜まってきたところだ。この辺で少しガス抜きをしておこう。そう考えてシンはニヤッと笑う。
「不審人物め! 観念しろォ!」
あとニ三歩で捕まるというところで、シンは体を低くして一気に魚人の懐に入った。そしてそのまま全身のバネを利用し、
「インパルスアッパー、弱め!」
相手の顎に見事なアッパーをきめる。
自分が攻撃されるとは、よしんばされても屁でもないと高をくくっていたこの魚人にとっさの防御など出来るはずもなく、正確にあご先を捉えた一撃により完全に昏倒した。
必殺技の威力調節が思いの外上手くいったことにシンは一安心と息をつく。
「ふゥ・・・」
「コラァ! 何てことしてくれたんだっ」
「ん?」
怒鳴り声が聞こえたので振り向くと、右の二の腕から左肩まで刺青をした女がかなり怒った様子で近づいてきていた。その後ろには男の子が一人とウソップもいる。
「旅人かなんだか知らないけど、勝手なことはしないでくれよ! これだから余所者は困るんだ!」
「勝手なことって・・・こいつをぶっ飛ばしたことか」
「そうだよ。下手に魚人に手を出されちゃ、変な疑いがかけられるのは私たちなんだ。迷惑なんだよ」
「ああ、それなら大丈夫さ」
「え?」
シンは倒れている魚人を指差した。
「正確に顎を打ったから間違いなく脳震盪を起こしてる。少なくともここ何分かの記憶はなくなってる筈さ。こいつらに自分が人間に瞬殺されるなんて考え付くか?」
「いや・・・死んでもないだろうね」
「なら不審者を追ってたことを憶えてたとしても、途中でまかれたって勝手に納得して終わりだ。あんたが心配するようなことは起きないと思うぞ」
シンは魚人たちの注意をそらすためにゾロを見捨ててきたのだ。自分からわざわざ騒ぎを起こす気はない。ルフィや昔の彼のようにただ怒りに任せるのではなく、やり方くらいは選ぶようにはなった。
「それは・・・そうかもしれないけど・・・」
「ま、いきなり言われても信用できないよな・・・・・・そうだ、俺の仲間を置いてくからさ、なんかあったらそいつを出せばいい」
「な・・・」
「おい、シン!! 何とんでもないこと言ってんじゃ!!」
女は言葉を失い、ウソップは絶叫した。なにしろシンの提案は仲間を人質として差し出すといっているのと同じだからだ。
「落ち着けって。この魚人はお前の顔なんて覚えてないんだから」
「それが確かかどうかわかがわからねェだろう!」
「それにあの人たちから話を聞いてこの島の現状を把握する必要あるだろ。それともお前が一人でこのあたりの様子を探ってくるか?」
「う・・・」
「じゃ、そういうわけで!」
そう言ってシンは歩きだしたが、そこで今まで黙っていた少年が突然口を開いた。一緒にいたようだから女の弟かも知れない。ただそれより気になっていたのは、彼の持っている眼の光というか雰囲気というか、とにかくそういった具体的に言い表せない類のものにとても覚えがあるということだ。
「なァ、にいちゃん! あんた魚人より強いのか!?」
「これくらいの奴ならな」
「じゃあ仇を討ってくれよ! この島の人たちはみんな魚人のせいでひどい目にあってんだ。あいつらこの島から追っ払ってくれよ!!」
「・・・・・・」
少年の口から出たのは考えてみれば当然の願いなのだが、なぜかシンは何も言えずに口ごもってしまう。
「なァ!」
「・・・・・・そういうことは自分でやるんだな」
不意に飛び出した一言はシン自身にも理解不能だったのだが、ただ、仇という言葉を聞いたとき、あちらの世界で墜した敵機の数々が現れて、心の裏側によどんでいたものをわらわらと逆撫でながら消えていったのは確かだった。
真っ黒な液体がじわじわと広がり、それに頭の中身が押し出されていくような感覚が広がる。
「ちょっ・・・おい! 待てよ!!」
急に自分の中にまっすぐ立っていたはずのものが消えたような気がして、シンは呼び止められるのも聞かず、逃げ出すような気持ちで走り出した。
何も考えずに走り続けて気が付くと、いつの間にかシンはメリー号の前まで来ていた。
羊の顔を模した船首が特徴的のオーソドックスな帆船。比べる相手が少ないのではっきりとは分からないが、海賊船の中では小さい部類に入るだろう。また、この船の出自を考えればおそらくは、家族と数人の使用人を乗せて近海の島を巡る旅行船かなにかだったのだろうし、設計者曰く型も古い。
これからずっとこの船で航海を続けていくとなると心配になってくる部分はあるにはあるが、船長をはじめとしたクルーがかもし出す略奪者としての気概がまったく感じられないのん気な雰囲気はシンがとても気に入っているところである。こちらに来て以来ようやく手に入れた彼の『家』と言ってもいいだろう。
しかしそのはずが、今はなんだか重苦しい。
ルフィが歌う調子っぱずれな鼻歌も、ゾロのいびきも、ナミが本のページをめくる音も、ウソップの声高々なホラ話も、そして自分が鳴らす楽器の音色も、何も聞こえてはこない。
静かな船内。
見知らぬ船を見ているような気がするといえば言い過ぎかもしれないが、中に入ろうにもなぜだか気が進まない。
それでもこの後まず間違いなく戦闘があるだろうから今のうちに着替えておこうとシンはメリー号に乗り込んだ。
マストのところにある戸から船底部の男部屋に潜り、共用のタンスの中にあるアンダーウェアを出してから自分のハンモックのそばにかけておいた赤服を手に取る。
ザフトの訓練所を卒業したときに渡されて以来こちらに来るまでの間、ほぼ毎日のように着ていたザフトレッドの軍服。おそらく人生の中で一番着ている時間が長い服だろう。シンが唯一あちらから持ってきたものであり、極端な話、彼の過去と現在を結ぶたった一つの接点でもある。
シャツとパンツを着替えて、上着を羽織る。
しかし今は始めて袖を通したときのように、いやそれ以上に肌越しからよそよそしさのようなものを感じる。
その原因は先ほどから胸の中にわだかまっているわからない感覚であろうということはシンにも見当が付いている。もしかすると、それがこの服に施されている防水機能を乗り越えて布地全体に染み込んでしまったのかもしれないともシンは思いついて、そして、やけに詩的な考えが浮かぶようになったもんだと軽く笑った。
ズボンとブーツを履いて着替えを終えると、そのままドカッと腰を下ろし大の字に寝転がる。心を落ち着かせようとジッと中空を見つめてみたが、次第にあちらであった出来事が浮かび上がってきた。
脱走したアスランを打ち落とす自分。
フリーダムに破壊されるデストロイ。
戦闘するオーブ軍とザフト。
彼の意に反して心は乱れ続けて気分は悪くなる一方。仕方なく寝返りを打ち目を瞑ってみたが、スクリーンがまぶたの裏側に変わっただけで終わる。
(さっきから何なんだよ一体・・・・・・)
裏切り者だと思ったからこそアスランを撃墜したが、かつてのオーブの友人達から見ればシンも立派な裏切り者であろう。
ステラを殺したフリーダムは許せないが、彼女の操ったデストロイがもとらした被害は甚大であった。
シンも家族を失ったときはゴザで出会った少年のように憎しみをたぎらせていたが、彼が入ったザフトはアーロン一味や連合軍と同じように、ある種の思想的理由を元にオーブへと進攻した。
この世に絶対の悪や善は無く、まして戦争中ともなれば見る場所を少し変えればその人の立っているポジションもまた変化する。あの時、シンは自分は被害者だと思っていたからこそ力を求めたしそれを振るうことにも躊躇しなかったのであって、それがいつの間にか自分も加害者となっていたというのなら、命がけの戦いも守ると言った誓いもすべて意味がなくなってしまうことになる。
あの少年は仇を討ってくれと言ったが、しかしあちらの世界において少なくない人々がシンを仇と思っていることもまた間違いないだろう。
「はァ・・・・・・」
ぐちゃぐちゃと泥沼にはまっていく思考にシンは嘆息するしかなかった。
昔の自分がいかに無茶苦茶なクソガキだったかは自覚していたつもりだったが、改めて目の前に突き出されるとやはりきつい。
モーガンの時もバギーの時もキャプテン・クロの時も今回も理性的な部分を発揮する場面はあったし、そういったこともきちんと受け止められることができるくらいには成長しているつもりだったが、どこかで過去のことを振り返ってもしょうがない、忘れたいという気持ちがあったのかもしれない。
この1年間、忙しい日々にかまけてあちらであった出来事をわざと触らないように、正面から見つめてこなかったツケといえばそうなのだろう。
しかしなんにせよ、
「今は先にやることがある、か・・・・・・」
周辺の様子を探ってくるとはシンが言い出したことであり、このままこんなところでウジウジと腐っているのではそれこそ昔と同じである。
「よし・・・!」
シンは体を起こして両頬をたたいて気合を入れる。
まずはナミがどこにいるかを見つけ出さないとここに来た意味がない。彼女が魚人たちと何らかの係わりを持っていることはアーロンという言葉を口にしたときの様子やジョニーとヨサクの話からも間違いなさそうなので、とりあえずアーロンパークに行ってみるのがいいだろう。ついでにゾロを助けおこうか。
少しでも気を抜けばあらぬ方へと暴走を始めそうな頭を抱えながら、何とかシンは男部屋を後にした。
彼は自分がいつ生まれたのか、正確に言うといつから存在していたかいまいち覚えていなかった。
他者と明確に区別できる一固体としての己を自覚するようになったのはつい最近のことのような気もするが、それ以前にも同じような感覚を何度か体感していた気もする。ただ、その時に感じていたものが今のものとまったく同一であったかまでは確信がもてない。
さらに茫洋とした意識だけならばはるか以前からあったようにも思う。
はっきりしているのは今の自分のあり方が本来のものとは違っているということくらいか。
しかしそんなことがわかったところで、何かが変わるわけではない。彼にとって重要なのは風向きと毎日の食事だけだし、自分の由来などそもそもランク外だ。精神的活動にはこれっぽちの価値も見出していない。
無意味な思索を行うなどという選択肢をそもそも彼は思いつかないだろう。
ビュウゥゥ――
急に向きを変えた風が体を鋭く通り抜ける。
この島に来てからまだ一週間と少し。この辺りの風はまだ完全には掴みきれていないが、それでもグランドラインの風と比べれば優しいくらいでまったく取るに足らない。
それはあの魚だか人間だかわからないような連中も同じ。
彼らの言うことを聞かなければならないというのは面倒くさいが、普段は何もしなくたってうまい飯を出してくれるわけだし、気に食わないことがあればさっさと出て行けばいいだけのことだ。厄介そうなのは変な鼻の男くらいで、それ以外は少し本気を出せば敵ではないだろう。
彼は今の生活になかなか満足していた。
ただ、少しばかりホームシックではあったのかもしれない。道端でたまたま見かけた赤い色の男に、なぜか故郷でよく自分の相手をしてくれていた三人組と同じ雰囲気を感じたのだから。
なんとなく彼はスピードを上げてそれに近づいた――。