ある召喚師と愚者_04話

Last-modified: 2010-03-13 (土) 21:44:41

ある召喚師と愚者
第四話“大好きだよ”

 
 
 

轟音。巨人同士のカーニバル。

 

『アズライオォォ――ゴッドナックル!!』
「スターライトォ、ブレイカァァァ!!」

 

ムルタ・アズラエルの巨人“アズライオー”と、高町なのはの攻撃は確実にジュエルシード暴走体を削っていた。
しかし無限とも言える再生能力を持つ怪物的な融合体は、アズライオーの拳をいくら食らっても倒れること無く。
高町なのはの恐るべき砲撃魔術の容赦ないエネルギーに焙られようと、ただただ暴れ続けた。
すなわちジリ貧。負ける要素はないが、時間の経過とともに街の被害と消耗は激しくなる。
つまりは不利だ。一体の巨人と一人の魔導師は、絶望的戦況に気づき始めていた。

 
 

一方、ルーテシア一行は昏々と眠り続ける青年の状態を彼の管制デバイスから聞き、黙り続けた。
はるか彼方で遠雷の如く行われる戦闘の轟音が響き、逃げ惑う人々のざわめきが聞こえる。
精神を崩壊せしめるほどの負荷を加えられ、音を立てて狂いだす青年――眠り続ける“彼”。
“緋色の騎士”という名前に押し黙ったゼストと、混乱した様子の融合騎アギト。
その中にあって感情を無くしてしまったような、美しい白皙の少女が口を開いた。

 

「アートマン。貴方に協力すれば……シンは助かるの?」
《肯定しよう、ルーテシア・アルピーノ。――ありがとう》

 

同時にデバイスコアが明滅し、少女の意識を速やかに電脳を通じてシンとリンクさせる。
それだけで少女の身体は糸が切れたように倒れ、ゼストがその幼い四肢を受け止めた。
いけしゃあしゃあと命懸けを行わせる大剣アートマンに、アギトが反発した。

 

「お、お前! ルー子を巻き込む気かよ!」
《そうだ。元よりこの狂気に無関係な者など世界の何処にもいない》

 

アートマンはインテリジェントデバイスの域を超えた流暢さで、ただ要点だけを述べた。

 

《融合騎アギト、騎士ゼスト。君たちの懸念は彼女の命だろうが、事態は切迫している。
ザムザザーやあの融合体の召喚は、すべて敵の意志によるものだ。このままでは……いや、おそらくもう間に合うまい。
ならばせめて、次の螺旋に備えるべきだ》

 

ガーディアンデバイス――守護者管制端末――すなわち、シン・アスカと螺旋を駆け抜けしモノ。
ある種の確信に満ちた声は、すべての魂魄に刻まれた終末の記憶を連想させた。
ゼスト・グランガイツはありったけの怒りを以て叫んだ。

 

「なんなのだ、いったい……何が来るというのだ!」
《“また”……世界が終わる。輪廻と言う形で忘却される》

 

アートマンの声はいっそ清々しいまでに、絶望に満ちていて。

 

そして――――空が割れた。
あっけなく虚数空間の闇が広がり、その向こうから現れる怪獣の如き巨体。
咆哮する異形は翼を持ったクジラの姿で、次々と空を突き破り数百から数千の群れが現れる

 

――AaaaaaaaaaaaaaaaaaaaEeeeeeAaaaa――

 

禍々しい吠え声が響き渡り、戦艦ほどもある体躯のそれが降下してきた。
その大きな翼から射出される無数の棘が、逃げ惑う人ごみへ雨のように落ち、次々と赤黒い肉と体液の噴水を咲かせた。
羽根鯨。天使と呼ばれる虐殺機構。

 

「これが……滅びだと?」
《……このウロボロスの如き円環を管理し存続させる――アルハザードの狂気の産物――》

 

天使を操る神=世界を滅ぼすもの。

 
 

《“ドミネイター”……それが主の未来を望む“私”の敵だ》

 
 

 

……青年は夢を見ている。
それはかつての記憶……シン・アスカという男の罪。
この極端な分岐によって運営される多元宇宙は、そもそもが始まってすらいない箱庭だった。
コズミック・イラという疲弊しきってなお殺し合う文明と、アルハザードという停滞した文明の交錯。
この二つの宇宙を生け贄に産み出された場所こそ、次元世界と呼ばれる多元宇宙であり――
……積層され陵辱され汚染され殺し尽くされなおも終わらぬ、螺旋する地獄の生誕だった。
どれだけヒトが足掻き歴史を積み重ね、犠牲の果てに平和を勝ち取ろうと……

 

世界は、滅ぶ。

 

それが【システム・ドミネイター】の意志であり、螺旋構造として定められた宇宙の理(コトワリ)。
幾度も幾度も、登場人物を入れ替え舞台劇のように続く歴史は、とある決まった時間に終わりを告げる。
フラッシュバックする光景は世界の終わり……朽ちた星で死滅させられる運命のヒト。

 

――Aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa――

 

大地は腐り空は穢れ、水は猛毒となって人間を駆逐し、天から降り注ぐ羽根鯨の滅びの歌声が響き渡る。
冒涜的美しさ――あるいは滅び。
銀河に拡がろうと羽ばたいた無数の人類種はコーディネイターもナチュラルも魔導師も死に尽くした。
宇宙を埋め尽くす絶対種の前には人類の産み出した如何なる兵器も無意味であることを、
いったい何千回の人生で目に焼き付けただろう。
羽根鯨……存在証明(エヴィディンス)。
天使と呼ばれ異界の理で存在し殺す、生命体と似て非なるもの。
禁忌の世界アルハザードが産み出してしまった兵器端末であり、
【システム・ドミネイター】の手足となる究極の絶滅促進群体だった。
その圧倒的暴力――おそらくヒトの身では絶対に辿り着けない領域という、
シンプルで絶望的な事実を見せつけられた戦いが、過去において何億回存在したのだろう。
そして守りたかった世界は崩れ去り、記憶も経験もリセットされた真っ新な魂となってやり直す。
何度もやり直した人生で、その度に守りたい人たちと幸せを手に入れた。その筈だった。

 

――古代ベルカと呼ばれた世界で、悲しみに飲み込まれて発動する“緋色の騎士”。
民を王を兵器を文明を大地を空を海を、そのすべてを灰に還した真紅の巨人【デウスユニット】。
神たる存在“ドミネイター”に操られる哀れな傀儡こそがシン・アスカ……それだけではない。
繰り返される終りなき螺旋を生み出したのは、戦争の無い世界を望んだ男――システムの一部となり果てる前の自分自身なのだ。
ヒトでありながら神なる力を望んだばかりに……すべての生命体と時空は弄ばれ、ドミネイターの支配から抜け出せずにいる。
この未来永劫のループの存在も知覚せずに、惰弱な意思によって生きるゆりかごの鳥……その在り方。
あるいはそれこそが。

 

『……我らの咎だ。シン・アスカ、“緋色の騎士”よ……
思い出せ、我々“SEED覚醒者”のみが持ちうる時空間認識と、それ故に与えられた神の模造を』

 

【SEED】――ある種の天才が持ちうる高次な情報知覚の形――最も究極に近い脳の在り方。
それを持つゆえに精神のみの状態で虚空を漂い、漆黒の闇に投影される数多の時空を認識するシン。
その彼へ呼びかけるのは、やはり知っている声だ。
大きく磨り減った感情と増大した使命感を抱えながらも、そいつはまだ己だったから。
わかりきったことを問うた。

 

「アンタは……」
『もうこの領域で自我を確立したか。流石だな』

 

暗闇から浮かび上がるのは、道化と死神を混ぜたような造形のマスクを被り表情を隠した男。
赤と漆黒で彩られた民族衣装じみた格好/演技めいた言い回しは、そいつが“誰”なのかを誤魔化すための飾りだ。
男の本質は、仮面が音も無く砕け散ると共に明らかとなった。

 

真っ黒な髪。
煌々と輝く赤い瞳。
白く色の無い肌に、何処か険しい眼差し。
正しくそれは、シン・アスカの似姿だった。

 

『……あるいははじめまして、か。我が名はワイズマン。
シン・アスカの複製情報によりSEED因子を持ち、完璧な調整によって生まれ落ちた合成存在……』

 

青年はシンと酷似した顔で、今の彼が浮かべることの無いだろう悪戯っぽい笑みを浮かべた。
電脳世界――アートマン内部の情報ライブラリでの邂逅を、運命だと言わんばかりに。

 

『幾星霜の螺旋の中で、かの支配者に貴様の代用として創られ、貴様と殺し合わされたのが俺だ』

 
 

 
 

ルーテシアの意識は電脳という途方もない記憶装置に入り、泳いでいた。
進むごとに情報の濁流が脳髄に流れ込み、幼いながら停滞した人格に定着していく。
それがアートマン、シンのデバイスの認識だと理解するのに時間はいらず……
……その情報量の負荷に驚愕した。

 

――守護者:“ドミネイター”によって選別され、半永久的に稼働する情報収集/攻撃端末。

 

――緋色の騎士:人類種の過剰な進化を抑制/イレギュラーファクターを殲滅する上位存在。

 

――アルハザード:調和を至高とする世界。オリジナルのCEと融合し次元世界を創造/ドミネイターの礎となった。

 

――コズミックイラ:争い憎むことを止めぬ余りに利用され滅んだ世界。マイロード及び当デバイスの起源。

 

「これがシンの……ううん、アートマンの記憶?」
《肯定。ルーテシア・アルピーノ、君の認識に教えよう、世界の真実を》
「……そこに、私は――存在するの?」
《我々は無数の周回と平行世界を観測してきた。君は我々に関わることで過酷な運命を背負う》
「……そんなことがありえるの?」
《肯定。まだ出会っていない可能性は君を祝福したはずだったが、介入者によって歪みつつある》
一呼吸。
《君の存在は、既にシン・アスカにとって重要だ》
「……どうして? 私はあの人をよく知らないし、あの人も私を知らないはず――」

 

アートマンは不意に、圧縮認識と言葉をルーテシアへ投げかけた。

 

《“このループ”では、そうだろう。だが、君はなぜ彼を助けようとしたか。
その答えはここ……忘却の海にある。だから――》

 

アートマンが送ったとある認識。
あまりにも現状とかけ離れたそれ。
だが真実という確信――ルーテシアはその記憶/感情/光景を受け入れる。
きっと感情なんて求めていない自分が、何時か何処かで掴んだであろう幸せ。
その中で見ることが出来た、すべてが素晴らしく。
だからきっとたった一つの真実で、何よりも尊くて。
絶対に忘れたくないのに、必ず忘れてしまうのが寂しかった。

 

《――ルーテシア・アルピーノ。マイロードを目覚めさせてくれ……未来の為に》
「うん……」

 
 


『さて、シン。貴様とてもう理解しているだろう? いったい幾度、ヴィジョンを見たのだ?
いずれにせよそこで悟ったはずだ。何度傷つき戦って生き抜こうと、あの滅びがある限り人類は未来に進めない』

 

確信に満ちたワイズマンの声に、シンの脳髄が痛んだ。たしかに、自分は知るはずも無いことを覚えていた。
羽根鯨の大群を相手に殺し続けた反逆の記憶、殺戮しか出来ない巨人を討ち取った記憶、滅んだ魔法世界に佇んだ記憶、
あの幼い少女の使役する虫と戦った記憶や、異形の巨人によって世界を滅ぼした記憶、
そしてCEでの記憶すら矛盾する断片が混じっていた。
夢だと思いたかったそれらも、己の身体が何故か備えていた魔法の力も、
あの何かを知っている大剣の意志も……すべてを、眼の前の存在は理解しているようだった。
だから、言い返せない。ワイズマン――もう一人のシンとでも云うべき合成人間は、聞きたくない類の事実を告げる。

 

『貴様の見たヴィジョンはすべて事実だ。あのドミネイターによって無限に続く螺旋の中で――』

 

膨大な圧縮情報を瞬く間に脳に送り込まれ、その負荷が起こす苦痛にゴロゴロと転げまわった。
尤も逃げ場の無い電脳空間でそれは無意味であり、苦痛は和らぎもしなかったけれど。

 

「ああああああああぁぁあっ!」
『――お前は数え切れない世界を抹殺してきた。まさしく我らの業』

 

ワイズマンはシンの胸ぐらを掴むと、その憔悴しきった瞳に向け力強い狂笑を送る。

 

『憎め。シン・アスカの抱えていた喪失感、守りたいものへの愛……
すべてはあの【システム・ドミネイター】の演出だ』
「ドミネイター……? なんだよ、それ」
『この時空に蔓延るすべての事象を制御する、悪趣味なゲームマスター。
何度もルナマリアが、いや、マユやステラが喪われたのは、アレの描く螺旋のせいだ』

 

その言葉に反応し、シンの目に暗い光が灯った。
まるで夜の闇のようなどうしようもなく穢れた光。
ネガティブな方向に向いた自己理解の、成れの果てだ。
己の胸ぐらを掴んでいた手が離れ、シンは男から距離をとった。

 

「お前……」
『俺も貴様と同じくCEでの記憶を持っている。だから思う、このループは消えるべきだと』

 

今まで胡散臭さの拭えなかったワイズマンの言葉だったが、この意志だけは真実のようだった。
彼は意を決したような間を取り、シン・アスカの心に刺さる台詞を放った。

 

『人間が争わずに住む世界など、あの支配者たる神を殺し螺旋を終わらせるまで不可能だ。
シン・アスカ。“我々は”数多のループを認識し、デウスユニットという力を持つ――力を、貸してくれないか?』

 

呪いのような囁きには、青年から思考を奪うだけの毒が込められていた。
“争わずに住む世界”……ほとんど反射的に、シン・アスカは口を開く。
キラ・ヤマトに従っても見えなかったそれが、あるいは叶うかもしれない――。

 

「俺は……やれるか」
『変えられるさ。そのために茶番を終わらせねばならない』

 

掛かった。ワイズマンが内心で勝利を確信し右手を差し出した。
こうなってしまえばどうとでもなる。自分を見失っているシンを引き込むことなど、あとは造作も無い。
現存する貴重な【デウスユニット】の使い手が手に入るのならば……あるいはこれから予想される犠牲など。
だがワイズマンの予測に反した方向で事態は動いた。突如、外界から通信があったのだ。
声はふざけたようで真面目な男のもの。

 

『あー、聞こえるかねワイズマン。どうにも表立って動き過ぎたらしい……想定より10ヶ月ほど早い。
羽根鯨……絶滅促進群体がゲートを作成し、そちらの騎士の居場所を特定しつつある』
『……あるいは目立ちすぎたか』

 

仮想空間であるアートマンの電脳領域に意識の殆どを割いていた彼にとって、
現実空間にいる共犯者スカリエッティののんびりとした状況報告は驚嘆に値した。
神のカケラである魔力素(エーテル)、それをリンカーコアを通さず利用する存在【デウスユニット】。
“ドミネイター”は己の支配下に無い神の模造を許さない。

 

「羽根鯨……おい、まさか――」
『諦めろ。おそらくこの時空は殺戮と滅びの後にリセットされる』
「ふざけるな! 幾らヒトが死ぬと思っている!?」

 

さて幾らだろう。一つの惑星が30億と仮定すれば、桁など簡単に変わるに違いあるまいが。
いずれにせよ羽根鯨との戦闘が始まれば、人類は勿論、デウスユニットとて完動状態に無い今は勝負になるハズも無い。
【デウスユニット】とは神話の時代に創られ時空を超えて存在する兵器であり、ドミネイターを倒しうる唯一の刃だが、
そのコンディションは使い手の覚醒によって大きく左右される、MSとは似て非なる魔導兵器だ。
敵も最初こそただの殲滅を予定していたのだろうが、今の今までロストしていたシン・アスカを見つけ、
予定を変更したに相違あるまい。何故ならば――この男こそが人間が自らの足で歩んでいた時代を終わりにし、
ドミネイターによる管理の時代を始めた最初の一人なのだから。
それほどの力、上手く利用すれば切り札となり得る。
よもやあのギルバート・デュランダルのように道を誤れば定かではないが。
ワイズマンは魔人そのものの笑みを浮かべ、命を奪う怪物を招き寄せたシンに微笑んだ。

 

『喚くな』
「っ!」
『どうやら想像以上に事態は切迫し、貴様は重要らしい。説得も出来そうにないとなれば……
貴様の記憶など幾らでも糊塗出来る――悪いが利用させてもらうぞ、傀儡としてな』

 

一歩、また一歩と後退る青年を追い詰める、シンと同じ顔をしていながら狂気じみた執念を持つ魔人。
だが、逆らい難い異常な圧迫感――この場所がある種の牢獄であり、ワイズマンの支配下にあるのは間違いない――を感じてなお、
シン・アスカの反抗心は衰えず明確な敵意を放つことで自我を濃くし、電脳領域の支配権を獲得しつつあった。
赤い双眸が、己と同じ顔の怪人を睨んだ。

 

「決めた。お前だけは殴る」
『やれやれ……足掻くな』

 

時間稼ぎにしかならないというのに。
この空間はシン・アスカがドミネイターより与えられた管制人格『アートマン』のものだが、今はワイズマンの支配下。
電脳をワイズマンが掌握出来たのは、奇襲的なハッキングと認証システムを騙しうる完璧な複製だったからだ。
要するに対策を講じられれば二度と行えない策であったが、かのデバイスだけでの機能奪還は時間がかかる。
ましてや電脳領域と言う危険な仮想空間に飛び込んでまで、シンを助けるような関係のものはこの螺旋にいない。
すなわち勝利条件は揃っている。どうせ期限などない戦いだ、もう一周ほど輪廻しても問題なかろう。
シンが間合いを見切って踏み込もうとし、それを予測していたワイズマンがカウンターで右手を伸ばす。
接触さえすれば、圧縮情報の定着で人格など作り変えられる――そう確信した刹那。

 

「――シン!」

 

見知らぬ少女の声が仮想空間に響き渡り、青年の背を推したようにも見えた。
シン・アスカの背後に、いる。
……馬鹿な、介入者だと!?
澄んだ赤い瞳/薄紫の長髪/白い肌――出来の良い人形的造形美。
ルーテシア・アルピーノ。取るに足らない存在。故に見逃していた要素。
思わず意識をそちらに向け、備えが疎かになった。

 

「舐めるなァ!!」
『なっ――』

 

突進してくるシン・アスカの意識体は、ワイズマンの予測を凌駕する速さ。
強烈な右掌底が顔面に食い込む――精密化された仮想現実の生むダメージ――肉体へフィードバックされ電脳掌握が乱れた。
倒れこみぐらぐらと揺れる頭で起き上がろうとすると、足場が崩れて行くような不快感。
僅かな隙に入り込んだ『アートマン』の分身が急速に拡大し、電脳の支配権を奪還しているのだ。

 

「ふざけるのも大概にしろ……俺はもう、誰も見捨てない!」
『……ふん』

 

……大した自信だ。守りきれたことなど皆無だろうに。
この場所に留まることが出来ぬと判断したワイズマン、その仮想空間での自我が薄れていく。
狂える執念に突き動かされていく、かつてシン・アスカと等しかった合成存在は最後に笑った。

 

『――――SEEDを真に覚醒させ……その目で見るが良い。
その惰弱な選択が、三千世界の生命、その尽くを死に絶えさせると――――』

 

呪いのように嘲笑し、ワイズマンは姿を消した。

 
 

 
 

残されたのは二人の人格存在……つまり青年と少女だ。
シン・アスカ……お伽噺の中心たる異形のもの。
ルーテシア・アルピーノ……運命に絡め取られしもの。

 

「なんで君が――」
「思い出せたから、だよ……」

 

すべてを悟ったようにぎこちなく微笑んだ、ルーテシア・アルピーノは綺麗だった。
向けられるのは親愛の情である――それほど親しくなかった彼女の急変/それを自然と受け止める己の変化。
戸惑いながらも少女に礼を言おうとすると、あの小生意気なよく喋る人工知能の声。

 

《申し訳ないが……マイロード、電脳からのサルベージが完了しそうだ。外界へのログアウトを実行する。
ルーテシア・アルピーノ――君と言うファクターに感謝を》
「お前……何を頼んだ!?」

 

身体が解けて消えていくのがわかった。
己の意志の転送……自我がこの仮想空間から消失していく。
どんどん遠ざかっていくような感覚に、ルーテシアの姿は見えなくなる。
それでも最後まで向けられる不器用な笑みに、彼は本能で悟ってしまう。

 

自然、口を衝いて出た言葉。

 

「“ルー”……君は、」

 

――俺とずっと前に会ったことがあるのか?

 

あるいは真実そうなのかもしれない、という想い。
それが何億回というループの中の、何時のことだったのかもわからない。
少女の声は優しく鼓膜を叩いた。

 

「その呼び方……ううん、それだけでいい。
いつか滅ぶこの世界で、この記憶を思い出せた……」

 

悟る。この少女はもうすぐ“いなくなる”。
力の限りを手を伸ばした――決して届かない手を。
さらさらと砂の城のように消えていくのは、ルーテシアの方だった。
聞き取れなかった言葉。

 

「××××××」

 

伸ばされた手は何も掴み取れず……意識が暗転する。

 
 

――何度、手を伸ばした?
――何回、俺は守れなかった?
――何億、同じことを繰り返す?

 
 

残酷な運命を呪う暇もあるまい。それほどの連続した悪夢。
瞼を開き、起き上がる。目を覚ませばそこは現実だと、シンはアートマンから聞いていた。
しかし現実に目の前に広がっているのは、血と肉と瓦礫と炎が織りなす地獄の風景。

 

「なんだよ……これ」
《…………》

 

繁栄と混沌の中にあったはずの都市は更地のように消え去り、人間という人間は原形を留めぬ肉塊として横たわる。
青く澄んでいた筈の空は、後光とともに現れた無数の端末兵器“羽根鯨”によって埋め尽くされ、面影を留めない。
吠えるが如き唄――異形の天使が歌うそれは時空を歪め、すべての事象を原初の混沌へと還元する。
シン・アスカはよろよろと起き上がると、大剣『アートマン』を右手に握りしめ、使徒の唄が響く現世を見た。
あるべき生者の姿が見当たらない。

 

「ゼストさん……アギト?」

 

ふらふらと彼らの姿を探し求め、瓦礫と血の海を踏み越えた。
いた――あった――血塗れのボロボロのコート=風穴が無数に開いた肉片混じりの身体。
黒鉄(クロガネ)で出来た力強い槍がゼスト・グランガイツの横に突き刺さっていた。
融合騎アギトはそのコアであったろう、超高度演算装置の臓腑を晒し、地面へ横たわり動かない。
いずれも虚ろな視線が宙を向き、顔には負の感情と理不尽に対する恐怖が映っていた。
震える。彼らの瞼を閉じさせる勇気もない自分が嫌だった。

 

「なんで――なんでこんな!」
《全次元規模での修正という名の殺戮……目に焼き付けろ、マイロード。
我々が隷属してきた【システム・ドミネイター】の狂気を》

 

当て所なくふらふらと歩もうとしたシンは、遠くで崩れ落ちる巨人を目にし愕然とする。
ムルタ・アズラエルの乗っていた、白銀のタイタン『アズライオー』。
記憶に眠る【デウスユニット】を何処か彷彿とさせる足が折れ曲がり、
腕が折れ飛びGAT-Xカラミティに酷似した顔が吹き飛んだ。
エネルギーがスパークとして零れ落ちた巨人はただのガラクタに成り下がり、
鋼鉄の巨人は折れ曲がった四肢で立ち上がろうともがく。
それを操るアズラエルの声は、恐怖と嫌悪に満ちた酷いものだった。

 

『くそォ、くそォォォォ! よくも僕の前で殺してくれたなあ!
宇宙の化物、羽根鯨!! お前らさえいなければ、コーディネイターなんか――』

 

その次の刹那、羽根鯨の巨体に押し潰され人型兵器は沈黙した。
700メートルを超える体長の、途方もない巨躯が装甲をすり潰し、フレームを粉砕。
断末魔の悲鳴を上げ、そのジェネレーターが生み出す魔力爆発がすべてを吹き飛ばした。
超弩級サイズの羽根鯨の表皮を貫き肉を絶つエネルギーの連鎖が、滅茶苦茶な爆風を周囲を薙ぎ払う。
ズゥン、と大地を揺るがす衝撃波が生まれ、弱りきったシンが地面へ投げ出される。
砂を噛み口の端が切れ、血の味が口中に広がった。
もう立つのも嫌だった。

 

「……なんだよこれ……ふざけるな……無意味じゃないか――」

 

自分が必死に生きてきた世界は茶番であり、神だかなんだかにこうも簡単に崩される。
なら――生きている意味などあるのか。
何度も繰り返される舞台演劇だ、いちいち真面目になることなど……。

 

《ならば、貴方はこの惨禍を運命だと受け入れるのか?
世界が終わりへ達する度に、“人間として”摂理の中で死ぬことも許されない無常を》

 

大剣『アートマン』は主の無気力を感じ取り、敢えて口を開いた。
真紅のデバイスコアが煌々と輝き、ただのデバイスの域を超えた進言を行う。
拳を握り締めて怒りを抑える青年へ向け、追い打ちを掛けるようにアートマンは言う。

 

《惰弱――選択する力を捨て、すべてを忘れ奴隷になる道を選ぶ。
貴方の護りたいものとは、その程度の安さ……あの少女も犬死だ》
「っんだと、お前! もう一回言ってみろ、ぶっ壊してやる!」

 

口を衝いて出た言葉は荒々しい。
けれど、諭されていることも理解している。

 

《マイロード。貴方の意志は、この犠牲を是とするか?》
「……わかった。アートマン、“次”でも俺は覚えてるのか?」
《私の電脳に貯蔵するか、ロードがSEEDを覚醒させればあるいは》
「無茶いうな」

 

喋りながら立ち上がり、最後に目に焼き付けようとルーテシアを探す。
どれだけ無残な遺体であっても、それが彼女への礼儀だと信じたから。
アートマンを手に血と瓦礫の山を踏み越え――。
おぞましい波動/鼓動が幽かに聞こえた。

 

《っ! 真後ろにアンノウン転移、避け――》

 

衝撃――胴体のBJを貫く触手/鋭利な槍の如き形状=致命傷。
激痛――声を上げようとする/逆流する体液が音を掻き消す。

 

《我々の知覚を掻い潜るなど……忌々しい、すぐに治癒――なに!?》

 

アートマンが魔力召喚によって肉体の傷を高速治癒させんとするが、
敵の肉槍が腹を貫通している上に、術式自体も何らかの要因によって狂っているらしい。
どくどくと溢れ出す血と内蔵の切れ端、そして手から零れ落ちた機甲剣。
実体を消失するアートマンへ焦ったように伸びる触手の群れ。

 

《……不味い……当デバイスを量子化――すまない――》
「あ、やま……るな、よ」

 

シン・アスカというイレギュラーの片割れ、真紅のデバイスコアが消失した瞬間。
青年の肉体――胴体と四肢に向け音速超過の刺突が閃き、バラバラに砕け散る。
正体不明――突如として奇襲を行った影もまた、役目を果たしたように消えていく。
結局のところ、何者にも存在・情報を悟らせなかったソレは、無感動な瞳ですべてを睥睨。
あとに残るものが、死であると確信するように。

 
 
 
 

宙を舞う首だけのシンは、魔力の残滓で数秒の間だけ生き長らえていた。
地上に叩きつけられ頭蓋が割れるまで、精々数フレームだったが。

 

思考する。

 

(忘れない……この夥しい死を……!)

 

記憶する。

 

(忘れて堪るか、ドミネイターのやり方を!)

 

感覚する。

 

死/喪失――シナプスサーキットを駆け巡る狂気じみた電流。
決して忘れたくない痛みと意志が、高次の知覚【SEED】を叩き起こし……覚醒。
虚ろな……否、虚空に存在する無限の輪廻/螺旋が廻り廻って認識を拡張。
その果てで見えたのは、もう電脳領域/現実に存在しない少女の最後の言葉。

 
 

“大好きだよ”

 
 

実感が湧かない言葉である。彼女と自分の関係など、ありふれた他人同士だったのだから。
あの幾星霜の歴史と螺旋を記憶したライブラリで、ルーテシアが何を見たのか。
自分は、シン・アスカはいったい……何を忘却の海に捨て――誰を喪ってしまったのか。

 
 

――知ろう、すべての真実を。

 
 

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