やがみけ_嘘

Last-modified: 2009-07-26 (日) 17:21:05

その時フェイトがキラと一緒に見た空はいつもの青ではなく緋色だった。
「私の瞳と同じ色だね」
海鳴市を一望できるビルの屋上。
緋色の陽光に照らされて伸びた大小の影が二つ。
金色に輝く髪を穏やかな風に流されるのをそのままに、フェイトは隣に並ぶキラを見上げた。
「うん……」
心ここにあらず、キラは物思いに耽りながらフェイトに視線を向けることもなく溜め息ともとれない返事をした。
「キラ?」
様子がおかしいので眉根を寄せたフェイトがキラの顔を覗き込むように背伸びをする。
「……何? フェイト」
さすがに注意を引いたのか、漸くキラはフェイトに顔を向けた。
一生懸命背伸びをする様が愛らしかったのか、体の力を抜くように短く息を吐いて表情を緩ませる。
そこにはもう、先程のような思い詰めたような表情は一切無かった。
キラはフェイトの頭に手を置くと乱暴にくしゃくしゃと撫でた。
「わ、わわ……」
不意を突いた彼の行動に驚いて目をつむり、抗議の声を上げる。
「乱暴だよ、キラ。髪整えるの大変なんだよ」
「いっそ切っちゃったら、その長すぎる髪」
冗談めかして変わらずフェイトの髪をくしゃくしゃにしながらキラは言った。
「僕ぐらいにさ? その方が動きやすいよ?」
「一応……私も女の子だから、それに……アリシアの髪だから」
「そっか、そうだよね」
撫でていた手を止め、キラはゆっくりと手を下ろした。
「母さんが、キラがアリシアにそっくりだって言ってくれた唯一のところだから……」
必死に訴えるフェイトの顔をキラは直視できず、夕焼けを見る振りして目を逸らした。
「ねぇフェイト……」
「何? キラ」
もうアリシアのプレシアのために戦っていくのはやめたら?
と言おうとしてキラは口を噤んだ。
変わりに
「君は、ジュエルシードを集めてプレシアの願いが叶った先、どうしたい?」
「考えてない……かな……アリシアが生き返って、母さんが笑ってくれて、それからリニスとキラが二人を微笑んで見守って、そうなってくれたなら私は充分……母さんの笑顔が見れたならその先はなくてもいい」
「その未来には、どうしてフェイトはいないの? アルフも」
キラは特に表情を変えず、緋色から紺色に染まりつつある空を見上げる。

 

「だって、そこに私の居場所はないんでしょ?
何となく……だけど、私には分かるんだ。
アリシアが生き返ったらきっと母さんはアリシアだけを見る。
見て、構って、笑って私は遠くでそれを見てるだけ……母さんの笑顔を見られるのは嬉しいけど……そんなのは辛いから」
目だけ動かして、キラはフェイトの顔を見た。
つついてしまえば崩れそうな儚い笑顔。
「あ、でも、アルフのことはキラが預かってくれると良いんだけど」
申し訳なさそうに泣き笑いのような表情を浮かべているフェイトにキラが囁くように言った。
「フェイト、もし君に居場所がなくなって辛くて苦しいときは――――――。
――――――――」

 

フェイトは目を覚ました。
「ゆ……め?」
夢と言うよりは思い出、記憶と言った方が正しいかもしれない。
それからゆっくりと周囲を見渡す。
「私……は」
管理局の医務室だと気がつく。
それまでの記憶が堰を切った奔流のように押し寄せる。
なのはと戦い、敗れたこと。その時、キラはクロノと闘っていた。
気を失い、海に落下するフェイトをなのはが抱き留めた。
その腕の力強さと暖かい体温も、はっきりと覚えている。
そしてその光景を見たキラは表情一つ変えることなく、なのはとフェイト、二人が集めたジュエルシードを、本来ならなのはに渡すはずだったジュエルシードを奪い、挙げ句フェイトの持つバルディッシュを傷つけて逃げた。
それにショックを受け、フェイトは届く筈のない腕をキラの背に向かって力なく伸ばしたのも覚えている。
そして管理局の艦、アースラに連行され、そのブリッジのモニターにプレシアの姿が映っていた。
そのプレシアの憎悪の顔も吐き出された罵声も、フェイトは思い出した。
そしてそこで記憶の回想は終わった。
感情よりも先に涙が溢れた。
寝台の脇に置かれた相棒をフェイトは手に取る。
それを両手で胸元に添えて静かに、時間も忘れて涙を流す。
どれだけ泣いていたのか、それはわからない。
ただ、フェイトに顔を上げさせたのはアースラの艦内警報とその原因を映し出すモニターだった。
「アル……フ?」
モニターに映っている場所は時の庭園。
そして時の庭園を守るようにして立ちはだかる数多の敵と戦うなのはとアルフ、クロノの姿。
その三人の姿がフェイトを僅かに奮い立たせた。
「このまま……泣いてればいいって訳じゃないよね」
フェイトはバルディッシュに問い掛ける。

 

バルディッシュは相も変わらず、いつもと同じようにフェイトの背中を後押しする。
フェイトはバリアジャケットを纏い、転移のための魔法陣を展開した。

 

時の庭園のルートはもう覚えていた。
フェイトはなのはに追いつくために飛翔魔法を駆使して追いかける。
室内は瓦礫が散乱し、灯りが落ちて闇が支配している。
フェイトが魔法を使って闇を照らし、突き進む先に灯りが灯っていた。
近づくにつれて正体が明らかになってゆく。
最初はアルフたちかと思った。しかし、灯りは動くことなく静止している。
「キラ……」
フェイトはその姿を見て名を口にした。
ぼんやりとした常夜灯を彷彿とさせる灯りのため、表情こそ見づらいが、それでも影と体格で判断がついた。
何事かキラはぶつぶつと呟いている。
「フェイト……どうしてここに?」
平静を装っているようだが口調から若干の動揺が読み取れた。
「キラこそ、私を待ってるみたいだった」
「来て欲しくはなかったんだけどね。君の魔力反応がしたから確かめにね」

 

「通して、私は母さんに会うんだ」
「あってどうするの?」
「母さんに会って……話がしたい」
「会ってもまた辛い思いをするだけだと思うけど……」
「それでも、母さんに会って伝えたいことがあるんだ」
「フェイト、今君をプレシアに会わせたくない」
「どういう「邪魔だからね」
フェイトの言葉を遮ったキラの足元に青い環状魔法陣が展開された。
「キラお願い、そこを通して!」
「通りたければわかってるでしょ?」
四つの青き光弾がフェイト目掛けて放たれる。
「バルディッシュ」
『フォトンランサー』
フェイトとキラの射撃戦が始まる。互いの魔力弾がぶつかり合い、爆ぜ、粉塵を巻き上げて光を伴う。
やがてフェイトは持ち前のスピードを活かし、得意な距離へ。
そんな最中、フェイトは違和感を感じた。
キラが明らかに弱かったから、自分の知るキラの強さではなかったから。
幾度か刃を交えたときだった。
何か砕ける音がした。
それから鈍い手応えがあった。
障壁やバリアジャケットのような抵抗ではなく、肉感を伴った抵抗。
バルディッシュの刃先がキラの肩に突き刺さっていた。
「キラ……バリアジャケットを……何で……それにフリーダムは?」
キラはバリアジャケットを着ていなかった。そしてデバイスもインテリジェントデバイスではなく、ストレージデバイスだった。

 

驚いた表情をフェイトに見せた後、何か悟ったようにキラは笑った。
「僕の……負けだね。いいよ、通って」
バルディッシュの光刃に照らされて、傷口からじわりと血が滲み出す。
痛みを堪えているのか額には汗が滲んでいた。
「フリーダムは?」
慌ててフェイトはバルディッシュを引っ込める。
「クロノって人に壊されたよ」
「どうしてそんな状態で戦ったの?」
「言ったでしょ? プレシアに会わせたくないって、邪魔するなって」
キラは肩を押さえて膝をついた。
「時間がないよ、プレシアはジュエルシードの力を使ってアルハザードへ向かうつもりだ」
「アルハ……ザード?」
「プレシアと……母さんと話をするんだろ?
なら、行って!」
行け、と手を振るキラ。しばらく迷った末、フェイトは飛び去る。
フェイトが十分に遠ざかったころ。キラしか居ないはずの場所で機械的な女性の声がした。
『キラ』
「大丈夫だよ、フリーダム」
そう言ってキラは立ち上がる。
「力強い眼だったね」
『そうですわね』
「あれなら大丈夫かな? 精神的に」
『どうでしょう……何であれ、彼女が決めたことです』
「だよね。あとはフェイトを見守ろう」
『はい』
瞬間、キラを青い閃光が包み込んだ。

 

キラはフェイトがフェイトとして目覚めた時には既にプレシアの手足として働いていた。
それがいつからなのか、何故なのかはわからない。
フェイトも尋ねようとしたことはなかったし、目覚めた時から今までずっと側にいたので不信感や警戒心を抱くこともなかった。
ただ、優しかったのがすごく印象的だった。
フェイトはなのはたちのもとへ向かいながらキラとの思い出を辿る。
フェイトが魔法を教えてもらったとき、分からないことを何度も何度も懇切丁寧に教えてくれた。
できると誉めてくれて頭を撫でてくれた。
プレシアに罰を受けそうになるといつも庇おうとしてくれた。
ボロボロになったフェイトを治療してくれた。
髪も洗ってくれた。

 

「だけど……」
管理局へと連行される際キラはフェイトを結果的には見捨てた。
助けようとはしてくれなかった。つい先ほども「邪魔だ」といって立ちはだかった。
「どうして……」
フェイトの表情は沈み、移動速度も幾らか遅くなった。
そんな時だった。
何の光かはわからない。
遠くに緋色の灯りを見たのは。
『フェイト、もし君に居場所がなくなって辛くて苦しいときは――――――。
――――――――』

 

ふと蘇るキラの言葉。

「キラは……何を私に言ってくれたんだっけ?」
わからない。
思い出せない。

 

『フェイト、もし君に居場所がなくなって辛くて苦しいときは――――――。
――――――――』

 

たった数日前のことが思い出せない。

 

キラは何て言った?

 

自問する。されど自答することは出来ない。

 

その言葉を聞いたとき、自分は嬉しかった?
悲しかった?

 

答えはわからなかった。

 

「ねぇ、フリーダム」
『はい?』
フェイトを一定距離を開けて追走するキラは不意に口を開いた。

 

「少し聞いてもいいかな?」
『はい』
「フェイトはプレシアの為に戦って幸せだったのかな?」
『わかりません。何故そんなことを?』
「いつかはもう覚えてないんだけど……、フェイトが言ったんだ。
プレシアの願いがかなったなら、自分はその未来(さき)はいらないって」
『ありましたわね、そんなことも……』
「どう思う?」
『どう、といわれましても私は所詮機械ですから』
「願いが叶ったら、フェイトはテスタロッサの家をでるのかな?
それとも、自ら眠りを望むのかな?」
『私はせめて前者であればいいと思います』
「フェイトは多分、後者を選ぶよ」
『分かっているのに私に聞いたのですか?』
「フェイトはいい子だから、従順で素直で、あんなプレシアでも大好きで……だからね、プレシアの為に願いを叶えたならきっとフェイトは……」
『あくまでキラの憶測でしょう?』
「でもアリシアが生き返っても、きっとプレシアがフェイトに微笑みかけるなんてことがあるなんて、僕には思えないんだよ」
『……』
「プレシアはきっとアリシアだけを見る。
そんなフェイトに居場所はないし、頼れる人もいない。友達も……。
だから……」
『だからあなたはフェイトを管理局に引き渡したのですね?
抵抗できないようにバルディッシュを傷つけて』
「……そう。それに高町なのはって子、フェイトと友達になりたいみたいだったし……」
『管理局の法で裁かれることは考えなかったのですか?』
「考えたよ。
でもね、何でかな……、クロノって子も、なのはって子も、フェイトにとってきっと大切な人になるってそう思ったんだ」
『根拠は?』
「ないね」
笑ってキラはそう答えた。

 

『何を笑っているのです?』
声を上げて笑うキラにフリーダムは疑問の声を上げた。
「馬鹿馬鹿しいと思ってね。根拠もないのに」
『大丈夫ですよ、キラが思っているより、フェイトは強い子です』
「そうだね……、強くなったよ……フェイトは」
思い出を辿り、懐かしそうに柔らかな表情をするキラ。
「そろそろ……お別れかな……」
『……』
キラが呟く。
フリーダムが声をかけることはなかった。

 

「何が世界最高の魔導師よ。使えないじゃない!」
プレシアはモニターに映る男に罵声を浴びせた。
「プロジェクトF.A.T.Eの原案をくれたのは感謝しているわ。
けれど、あなたが寄越したあの最高傑作は何て様なのかしら」
『おやおや、お気に召さなかったようだね?』
「管理局の魔導師には杖を破壊され、挙げ句、失敗作の師でありながら敗北。
敵はもうすぐそこまで来ているというのに」
ヒステリックに怒鳴り声を上げるプレシアにモニターに映る白衣の男はやれやれと肩をすくめる。
『キラ・ヤマト、私がある世界で入手した情報を元に遺伝子操作技術で作り上げた世界最高の魔導師……私は確信しているよ、彼は最高傑作だ。私に落ち度はない。
むしろ落ち度は君にある。プレシア・テスタロッサ』
「何ッ!?」
プレシアは睨みつけるようにして病的なまでに見開いた目で男を睨みつけた。
『私は確かに言った。君に彼を渡す際、彼はまだ目覚めたばかりだと、意志を持った人なのだと』
「それが……」
『彼があの様に優しくなってしまったのはね。君のせいなんだよプレシア』
「どういうことよ?」
『君は実験体……いや、フェイトを憎んでいるだろう?
大嫌いだろう?
それはもう殺してやりたいほどに……。
だから決して彼女を誉めはしなかったし、優しく接しもしなかった。
フェイトに微笑みかけたことがあるかい?
ないだろう?』
「何がいいたいの?」
はぐらかすような男の言葉に、プレシアは苛立たしげに問う。
『おやおや、君ともあろう人がわからないのかい?
では問おう、君は捨て猫が雨にうたれていたらどう思う?
それもまだ子猫、体は震え、生きるすべもまだ知らない』
「……」
質問の意図が理解できずプレシアは沈黙した。
『では質問を変えよう。
それがアリシアならばどう思うかね』
「すぐに駆け寄って抱きしめるわ。可哀想だもの」

 

『つまりはそういうことさ。君がフェイトを鞭打っているのを見て、彼は可哀想だと思った。
せめて自分だけは彼女を守ると、優しい兄であろうとそう思ったのさ』
プレシアは鼻で笑い飛ばした。
「何かと思えば……スカリエッティ、あなたの造った最高傑作は最高傑作でもなんでもないわ。
人造魔導師は感情を持っている時点で失敗作よ」
『もっともだがね。感情があるからこその爆発力が私は好きだね。
おや、そろそろ時間だね』
「待ってスカリエッティ」
通信を切ろうとする男をプレシアは呼び止めた。
「六つのジュエルシードでアルハザードへは行ける?」
『さてね、確実に来たいのであればその二倍は欲しいところだね』
そう言い残して、通信は切れた。
プレシアは側の溶液で満たされたカプセル内で眠る裸体の少女に話しかける。
「六つじゃ心許ないかもしれないけど……アリシア、アルハザードへ向かうわよ」
少女に話しかけた一瞬だけ、プレシアは優しく微笑んだ。
フェイトが欲して止まないものをカプセルで眠る少女はいとも容易く手に入れた。
「アルハザード? 有るかもわからないそんな世界には行かせませんよ」
そんなプレシアの背後で声がした。
グルンとプレシアの顔が声のした方へ向く。
そこには妙齢の女性がいた。
リンディ・ハラオウン艦長である。
「さぁ、今すぐ武装を解除して投降なさい。
それからジュエルシードをこちらへ」
「嫌、と言ったらあなたはどうするのかしら?」
狂気の笑みを浮かべてプレシアはカプセルを抱き寄せる。
刹那、時の庭園が、時空が震えた。
「あなた……まさか?」
「そのまさかよ!」
プレシアを囲むように六つのジュエルシードが配置される。
青き光を発し、その輝きの強さに比例して時空震も強さをます。
リンディはすかさず環状魔法陣を展開し、時空震を抑える。その影響でリンディは動けない。
「立場が逆転したわね!
さぁ、私とアリシアと一緒にアルハザードに行くのが嫌なら今すぐ、脱出なさいな」
高笑いするプレシア。
それを睨むリンディ。
だが、リンディは動けない。
念話を用いてエイミィに連絡を取り、現状を知らせるもクロノと民間協力者のなのはは時の庭園の動力炉を止めに向かっている。
(どうする?)
歯噛みするリンディとその悔しそうな顔を見て余裕の笑みを浮かべるプレシア。

 

プレシアもまた、自らの目的の為、魔力を制御する必要があるのでリンディに攻撃をしてこない。
しかし、リンディひとりで時空震はいつまでも抑えることはできない。
徐々に揺れが強くなっていき、時の庭園が崩壊を始める。
庭はもちろん、外壁や床も崩れ、その下に広がる虚数空間へと飲み込まれてゆく。
局員全員に撤退の命令を下そう。
リンディがそう考えたときだった。
耳をつんざくような轟音が轟き、プレシアの背後の壁が吹き飛んだ。
「母さん……」
フェイトだった。
「あなたは……」
リンディはつぶやき、
「何しにきたの?この役立たず!」
プレシアはフェイトに罵声を浴びせた。
フェイトの体が一瞬畏縮するようにビクンと震える。
が、彼女は一歩プレシアに歩み寄った。
「どんなに罵られても、どんなに罰を受けても、私は構わない。私はアリシアになれなかったから、それは私のせいだから……」
目に涙を浮かべ、また一歩プレシアに歩み寄る。
「ジュエルシードを集めるのも失敗した。
だから責められても私は構わない。
私はそれでも……」
また一歩、フェイトはプレシアに歩み寄る。
「それでも母さんが好きだから!」
時の庭園の崩壊の音がこの場を支配した。
天井に亀裂が走り、床がフェイトとプレシアを遠ざけるように裂ける。
「だから、母さんが……母さんさえよかったら、私はいつだって母さんの側にいるよ!
側にいて母さんを守るし、命令だって聞くよ!
罰だって受ける! だから」
痛々しいまでの悲痛な叫び。漸く思いの丈を全て吐き出し、フェイトは口は閉ざして声もなく涙を流す。
「フェイト……」
プレシアは彼女の名を呟いた。
「あなたは私にとって忌々しい役立たずの失敗作でしかないのよ!
側にいるですって?
何を偉そうに!
考えるだけで寒気がする!」
表情を憎しみの任せるがまま歪め、罵声を浴びせる。
フェイトはもう何も言わなかった。
言えなかったのかもしれない。
ビシっと一際大きな音がした。
プレシアの足元の床が砕けアリシアの入ったカプセルもろとも下の空間に広がる虚数空間へと落ちてゆく。
「母さん!」
フェイトは迷わず飛び出し、その頼りなく細い腕をプレシアへと伸ばす。
「フェイトちゃん!」
それと同時に今し方現場に到着したなのはとクロノ。
そしてなのはもフェイトに向かって飛び出す。
虚数空間に近づくに連れて魔力の結合が解かれていくのをフェイトは感じた。

 

必死に腕を伸ばすフェイトとそれに答えようとはしないプレシア。
「フェイトちゃん!」
「なのは、それ以上は!」
なのはの背にクロノの声が掛かる。
フェイトの魔力結合が解かれ、飛翔魔法が解除。
虚数空間の引力に引かれ、プレシアとアリシアのあとを追う。
刹那――――――
フェイトとプレシアの間に割って入った少年がいた。
虚数空間の魔力結合の解除が追いつかないほどの魔力。
力強い躍動。
「キラ!? フリーダム!?」
フェイトが目を見開く。
フリーダムは壊れたとキラは言った。
なのに……なんで?
とは聞く暇はなかった。
「君が選ぶのはこっちじゃない」
キラは丁度フェイトの胸の辺りに手の平を押し当てた。
「キ……ラ?」
「君はアリシアにはなれない。アリシアだって君にはなれない。
だから……君が謝る必要はないし、アリシアになろうとする必要も……ないんだよ?」
ほんの一瞬、キラが微笑んだ。
「さぁ、今度はフェイト・テスタロッサとして始めよう。
フェイト・テスタロッサとして歩み出そう。
そして君に手を差し伸べる人に……」
どこかで見た笑顔。
ドッっとフェイトの体が吹き飛ばされた。
「手を差し出そう」
なのはは吹き飛ばされたフェイトを受け止めようと身構える。

 

(あの顔は……)
フェイトの頭の中にいつかの緋色の風景が鮮明に映し出された。
『フェイト、もし君に居場所がなくなって辛くて苦しいときは……その時はテスタロッサの家をでて僕と一緒に暮らそう』あの時と同じ微笑みだった。
「(ご……んね。約束……守れな……て)
ノイズの入ったキラの念話。
フェイトの体をなのはが羽交い締めにした。
「フェイトちゃん!?」
なのはの手を振りほどこうとするフェイト。
眼下には完全に魔力結合を解かれたキラの姿。
「キラ!」
「フェイトちゃん!駄目だよ!」
「(フェ……ト、を頼……だよ)」
誰ともしれない声がなのはの頭の中に響いた。
フェイトは届いているかも知れない念話をキラに送り続ける。
何度も謝った。
プレシアに認められなければ、自分には居場所がない。
そう思いこんでいた。
(居場所は……あったんだ……)
プレシアはアリシアしか見ていなかった。
フェイトはプレシアしか見ていなかった。
キラはそんな二人を見ながらフェイトを常に気にかけていた。
「私も……母さんと一緒だ……」

 

「ふふふ、あなたはやはり失敗作ね」
虚数空間の闇に堕ちながらプレシアは隣を同じく落下するキラへと顔を向けた。
「世界最高の魔導師、あってはならない存在。
そんなものあるはずがないと私は思ったけれど……どうやらその予想は正しかったようね」
「過ぎたる力はやがて争いを呼ぶ。
だから、僕はいいんだこれで」
キィィイインと結合するはずのない魔力が結合を始め、闇を真っ青に染め上げる。
「プレシア・テスタロッサ、僕と一緒に消えてもらうよ」
「馬鹿な!? 虚数空間で魔法?」
「裏技は得意なんだ」
ニヤリとキラは笑みを浮かべた。
時空を揺るがす振動が消え、目を奪うほどに鮮烈な青が炸裂。
全ての虚数空間を飲み込み、消え失せた。

 

静寂が訪れる。
時の庭園から一望できる景色は雲一つ存在しない青空。
その静寂の中で管理局の魔導師たちは呆然としている。
先ほどまでの慌ただしさが嘘のように、崩壊を告げる音が無かったかのように無音。
リンディもクロノもなのはもユーノもアルフもフェイトも呆けていた。
『時空震……消滅』
エイミィからの通信が全員に事件の終わりを告げた。
「何が起こったのエイミィ?」
リンディは問うが
『わかりません。測定不能、判別不能の膨大な力を検知後……突然、こんな』
返ってきた返事は要領を得なかった。

 

時の庭園の庭で、フェイトは佇んでいた。
その隣にはなのはの姿もある。
「君は……、いなくなって初めて大切だと思える人を失ったとき……どんな顔をすればいいか知ってる?」
答えはわかっている。何よりも目に溜まった涙がその証拠だった。
ただ、別れ際、キラは笑っていたからフェイトは泣くのを躊躇った。
「キラくんはどんな人だったの?
フェイトちゃんにとって……」
なのはは相も変わらずにこにことフェイトに聞いた。
「キラは強かった」
模擬戦を思い出して
「うん」
「優しかった」
治療してくれた怪我を思い出して
「うん」
「たまに不器用で」
朝食を作ろうとして失敗したことを思い出して
「うん」
「おっちょこちょいで」
買い物にでかけて道に迷ったことを思い出して
「うん」
「意外と泣き虫で」
自分がプレシアに鞭で打たれた時に泣いているのを思い出して
「うん」
「私の髪を洗ってくれて」
一緒にお風呂に入ったことを思い出して
「お兄ちゃんみたいだね」
なのはは言う。
「お兄……ちゃん?」
兄、言葉上の意味はフェイトも理解している。
「うん、血のつながりはなくてもあの人は、キラくんはフェイトちゃんのお兄さん。
だから、自分の家族の人がいなくなったら、泣いてもいいんだよ?」

 

「泣いても……いいのかな?
キラは、笑ってたよ?」
「いいんだよ?
悲しいときは泣いて、嬉しいときも泣いて笑って。
キラくんはフェイトちゃんのお兄さんだから、フェイトちゃんの前では泣けなかったんだよ」
どこかなのはも瞳を潤ませ、フェイトを見ている。
「……」
フェイトの頬を一筋、涙が伝った。
それから先は一気に溢れ出た。
声を押し殺し、静かに涙を流す。
やがてなのはがフェイトに手を差し伸べた。
「前にも言ったよね?
友達になろうって」
「……、言ったね。君は」

 

『手を差し伸べてくれる人に』―――――

 

「だから、今度はちゃんと」

 

『手を差しだそう』

 

フェイトは涙を拭い、ゆっくりと手を差し出してなのはの小さな手を力強く握りしめた。
「君の言う友達……てどうすればなれるのかわからないけど私でよければ」
「まずは、名前で呼んで」
笑顔でなのはは言う。
「名前?」
「そう、なのはって」
一拍の間が空く。
先ほどまで無限に続くように広がっていた青空が、薄く茜色に染まりつつある。
「な……のは」
フェイトは呟くように名を呼んだ。
「うん」
「なの……は」
一度目よりも大きな声で
「うん」
「なのは」
三度目はそれまでよりも大きな声ではっきりと。
「フェイトちゃん!」
二人は両手を握り合い、涙を流しながら寄り添う。
いつかフェイトがキラと見た緋色の空を背景にアリシア・テスタロッサの失敗作としてではなく、フェイト・テスタロッサとしてフェイトは未来へ歩み出した。