クルーゼ生存_番外編第一話

Last-modified: 2009-07-10 (金) 01:23:50

 ザフトのアカデミーに入って最初の学期が終わった。週末に帰る家もないシンである。
将来自分の愛するものを守るための力をえる第一歩、それがこのアカデミーを優秀な成績
で卒業することなら、平日も週末も、机とコンピュータにかじりついて勉強することに何
の苦も感じなかった。
 最初はプラント生まれの連中からバカにされたりもしたが、それは毎週更新される成績
で克服した。
 プラントに生まれ育った二世代目コーディネーター達には、程度の差こそあれ、地球に
ナチュラルのお情けで住まわせてもらっているオーブのコーディネーターへの差別意識が
ある。自分達こそ、本物の能力と矜持を持ったコーディネーター、ということだ。
 確かにシンは、アカデミーに入ってみて、オーブのコーディネーター用学校で受けた高
校までの教育も、ナチュラルと一緒に通った大学も、ぬるいものであると知った。コーデ
ィネーターの知力にしろ体力にしろ、幼いときからスパルタで鍛えなければ資質が完全に
花開くことはない。シンの14歳という年齢は、本人の努力次第で生粋のプラント育ちの
エリートと張り合えるようになるだけの若さであった。
 週末は外出許可を取れば街に出ることもできるし、外泊許可を取れば実家に帰ることも
出来る寮生活だ。しかし勉強が忙しいので、たいがいの学生は月に一回くらい帰省してい
る。シンの同室の連中がそうだったし、週末の食堂や図書館の混み具合を見ても、それは
伺えた。
 今回の正月休暇、アカデミー自体が一週間完全閉鎖されるのだ。寮に居残りは許されな
い。四人部屋で仲良くしているヴィーノから、家に遊びにこいよと誘われたが、正直、両
親と妹がいるという幸せな家庭に招かれるのは辛すぎて断った。
 幸い親が遺産を残してくれたので、ホテルをとって勉強することはできる。シンが荷物
をまとめて部屋を出たのは、アカデミーが閉まる門限の直前だった。
 寮の出口で、金髪の美少年と出くわした。レイ・ザ・バレル、成績トップの少年だ。彼
も一度も帰省せずに寮で週末勉強していることに、シンは気付いていた。
「よい休暇を」
 ほとんど口を利いたことはないが、挨拶くらいする常識はシンにだってある。
「君はオーブからの移住者で、プラントに家がないと聞いている。
 正月休暇はどこですごすんだ?」
 話し方は丁寧だったが、内容にむっとする。
「家なき子でも、ホテルってもんがあるんだよ。
 お前は美人のママのおっぱいでも吸ってきな」
「--オレには家族がない。親の記憶はない。
 年の離れた兄はヤキン・ドゥーエで戦死した」
 レイの冷ややかな美貌から、冷ややかな現実がこぼれる。
「だが家ならある。シン・アスカ、君を招待したい」
「へっ??」
 レイの唐突な申し出に、シンは困惑した。
「どうせ一人で過ごす新年なら、二人でも同じだろう」
 確かにホテル代が浮く。シンの父親は金融数学の専門家で投資ファンドに勤めて高給を
とっていた。母親は材料工学の専門家でモルゲンレーテの管理職だった。彼らは十分裕福
であり、シンがプラントで好きな学問をして遊んで暮らせるくらいの遺産を残してくれて
いたが、できるだけ使いたくないというのが本音だった。遺産が減るということは、両親
との絆が失われていくことのような気がしてならない。
 だからこう答えた。
「じゃあ、遊びに行ってやるよ」
 にこやかに微笑を返したレイという少年への興味も、その一因だった。

 レイの家はアプリリウス市の5バンチ、静かな住宅街にあった。
 シンはプラントの不動産の値段は知らなかったが、落ち着いた町並みで、庭のある家が
続いているから、結構高級なのだろうと推測する。ただ現在のプラントの状況では、住環
境をよくすることより食料自給率を上げるほうがよほど大切だ。
 表札のない家、しかし庭には落ち葉ひとつなく、木々は春の芽吹きの時期を待っている
ようだ。プラントのコロニーの三分の二は地球の北半球中緯度地域の気候に調整されてい
る。他は南半球、そして赤道付近の気候に設定されたコロニーはリゾート用だ。常夏のオ
ーブ生まれのシンにとって、寒い正月というのは、家族でヨーロッパ旅行をしたときだけ
だった。そのとき、シンは茶色いコンタクトレンズを付けさせられ、
自分がコーディネーター、オーブ以外では排斥される存在だと実感したのだった。
 4ベッドルームの家はきちんとして、埃ひとつなかった。客室に通されて荷物をとき、
勉強用のコンピュータをセットしながら思う。
 レイはアカデミー入学以来4ヶ月この家に帰っていない。しかし部屋は客室まで掃除さ
れ、庭も人が住んでいるかのように手入れされている。ハウスクリーニングを頼んでいる
ということだが、一人暮らしとしてはきちんとしすぎているような気もする。
 レイは、ヤキン・ドゥーエで戦死したという兄が生存していて、ひょっこり家に帰って
きてもいつでも前と同じ状態で迎えられるようにしているのではないか? シンはセンチ
メンタルだと思いながら、可能性を否定しなかった。
 一週間のふたりの共同生活。寮生活で掃除と洗濯は慣れているが、炊事が問題だった。
レイは料理が出来たので、シンは彼の命令に従ってじゃがいもの皮むきやテーブルセッテ
ィングをした。後の時間はおのおの好きに使う。レイはシンに何も聞かなかったし、シン
も同じだった。正月休みとはいえ、アカデミーからは山のように課題が出ていた。ネット
でアカデミーのデータベースに入り、資料を集め、考え、レポートを書く。規則正しい三
食と三時のお茶、という生活だった。レイが紅茶が好きで、冷凍庫に幾種類もの茶葉をス
トックしていた。地球産のものもあり、シンは密かに舌を巻いた。
 コーディネーターは基本的に味覚や嗅覚がナチュラルより優れている。中でも特にその
感覚を遺伝子操作で強化された人たちがいて、プラントの食料業界、外食業界はその能力
を産まれ持った人たちの職場だった。なので養殖の魚、ブロイラー、大豆から作った代用
肉などを使って、きちんとした料理が作られる。アカデミーの寮の食事ですら、味付けや
香辛料の使い方は非常に巧みなものだった。
 シンはオーブから移住してきてアカデミー入学まで、ハーフボードの週払いホテルに滞
在していた。昼は外で食べるのだが、一回、久しぶりにステーキが食べたくなって、サー
ロインステーキを注文したことがある。値段を確認しなかったのがバカなのだが、ホテル
滞在3日分ほどの値段だった。プラント友好国である大洋州から輸入されたビーフは、オ
ーブで食べていたのと同じ、懐かしい味だったが、輸送費を含めると、値段は100倍だ
った。プラントの規模ではまだ牛のような大型反芻動物を飼育するのは難しい。ミルクも
代用品だ。シンはそのステーキの件を教訓として、食べ物に関してオーブではどうだった
と考えることを己に禁じた。
「新年料理の買出しに行くが、お前はどうする?」
 食費は半額ずつ出し合うことに決めていた。それはそうとして、プラントの新年料理に
興味がある。
「プラントの新年って、どんなことするんだ? 地球じゃ年が明けるときに
カウントダウンして、大人はシャンパン、子供はジュースで祝ってたけど」
「同じだ。あとは出身の国や地域の伝統を守る人は、12月31日のディナーか1月1日
の朝食に伝統食を食べる」
「同じなんだ、地球と」
「人間に変わりはないからな」
 こういう言い方をするあたり、シンから見てレイはクールともいえるし、コーディネー
ターとナチュラルの垣根をあまり意識してないようにも思える。
 一本の茶色がかった毛もない純粋なブロンド、深い海色の瞳、古代の名匠が彫り上げた
理想の美少年のような顔、そしてアカデミーで成績トップの頭脳と身体能力。彼の祖父母
は子供のコーディネートに一財産つぎ込んだだろうに。
「レイの祖先は地球のどこの出身なんだ? オレの祖父母は東アジアの日本出身だ」
「西大西洋連合だと聞いている。お前の家族は、何か新年の伝統食があるのか?」
「ああ。御節料理っていうの。数の子、ごまめ、黒豆の三品があればいいんだって教わっ
た。オーブには日本出身者が多かったから、簡単に手に入ったなあ」
 彼も妹のマユも、甘い黒豆以外は好きではなかった。今では携帯の中にしかいない妹。
「プラントでも手に入るさ。デパートに買い物に行こう」

 アプリリウス市で一番の繁華街である2バンチの高級デパートに買い物に行った二人は、
日本の御節料理を買ってきた。数の子は100g、ごまめは50gしか買えなかったが。
しかしその値段で大洋州産のローストビーフ用の牛肉を買うことが出来た。デパートでひ
としきり口論した二人だが、レイの「自分は正月用の伝統的な料理を知らないから」とい
う理由で、買い物を決めたのだった。
 軽い夕食をとってから、二人とも部屋に戻って勉強。そして11時30分ごろに居間に
下りてきた。大きなリヴィングにはグランドピアノがあって、毎日レイが弾いているのは
シンも気付いていた。
 シンは大枚をはたいて買ってきた日本の御節料理を冷蔵庫から出して皿に盛り付ける。
レイは、銀製のシャンパンクーラーにクラッシュドアイスを満たし、透明な瓶に白と金
のエチケットが張られたボトルを差し込んだ。
「オーブは島国だから、新年になると、港の船がいっせいに汽笛を鳴らすんだ。
ぼー、ぼーって音が響いて、当たり前だったけど、懐かしいや」
「プラントでは、芸能人がテレビでカウントダウンだな。そんな騒がしいのより、オレは
電波時計で自分でカウントダウンをしたいと思うが」
「それ、賛成」
 シンはプラントの芸能人をよく知らないのだ。全人類社会的に有名なのは、ザフトの新
型戦艦とモビルスーツを盗んで戦場に割り込んだラクス・クラインだ。彼女は地球ではテ
ロリストと見られているが、プラントではいまだ主義者というかファンも多いらしい。
 レイ・ザ・バレルという、とびっきりの優等生だが個人的に親しい友人がいない少年と
話すには、ラクス・クラインの話題は微妙すぎる。シンは、この三日間でレイが気に入っ

ていた。お互い触れられたくない部分があって、それを読んで行動できている気がする。
居間には家族の写真一枚とてない。それはおそらく、レイの部屋だけにあってしかるべき
ものなのだ。そしてそのたった一人の兄は、ラクス・クラインのテロリスト集団に殺され

たザフト兵である可能性は高い。三隻同盟にオーブが加盟していたおかげで、テロリスト
たちはオーブの国籍を得たらしい。オーブ人の両親からオーブで生まれた自分が、政府の
無策ゆえに家族を失い、プラントに移民した。そして連合とプラントの戦争にテロルな破
壊行為を行った人間達が、いまではオーブ市民だという。さすがに連合はアークエンジェ
ルのクルー全員の引渡しと処刑を求めて活動しているが。プラントはせいぜい賠償金の支
払いを求めている程度だ。これが国力の違いだ。
 そうするうちに時計が11時55分を指した。
 レイが二脚のシャンパングラスを出し、麻のナフキンでシャンパンのボトルの水滴を拭
いた。
「俺たち、まだ未成年」
「なら、お前はジュースを飲め。冷蔵庫に入っている」
 レイの真面目な物言いに、シンは破顔する。
 電波時計が0:00を指すと同時にレイがシャンパンの栓を抜き、ふたつのグラスに満
たした。
「C.E72年、おめでとう!」
 二人の言葉が重なり、グラスの澄んだ音が響いた。

 

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