クルーゼ生存_第22話

Last-modified: 2013-12-22 (日) 02:22:29

 ステラは海のほうが空より好きだったが、目の下に白い雲が波打っているのを見るのは
好きだった。色が違うが、海に似ている。
 エリア81からユーラシアに移動するのだという。
 ステラにとって、目的はどうでもよかった。スティングとアウルがいて、ネオがたまに
頭をなでてくれれば。
 しかし一緒に空中空母ボナパルトの展望室にいる大事な仲間二人は、ステラと同じ考え
ではないようだった。
「何考えてんだよ、ネオの奴。オレたちとコーディネーターを一緒に作戦行動させような
んて!!」
 背がどんどん伸びていて、そろそろ青年の仲間入りをしそうなスティングが嫌悪感丸出
しで言う。
 答えるアウルは、スティングに比べるとシニカルな態度をとっていたが、不快なのは同
様だった。
「ファントムペインは実験部隊だもんなぁ。俺たち、軍属だけど軍人って奴じゃねーし。
ま、他の連中より好き勝手できてる? つってもあいつらと一緒に戦えってのは、正直や
だね」
 彼らは幼い頃から優秀な強化人間になるための訓練や薬物投与と同時に、コーディネー
ターへの反感と憎しみを教え込まれる。自分たちは人類の敵・コーディネーターを殲滅す
るための戦士であるという認識を持たされている。
「コーディネーター、きらい」
 それはステラも同じだった。
「気持ち悪い」
 コーディネーターのコロニーに行ったことの記憶は、改変されていた。

 
 

ミネルバはガルナハンを抜けてディオキアのザフト基地へとルートを取っていた。西ユ
ーラシア地区は、元々大西洋連邦の風下に立つのをよしとしない歴史と気風があり、今回
の戦争ではコーディネーターに地球規模での災害--ユニウス7落下--を加えられたこ
とと、戦争に乗じて地球連合といいながら大西洋連邦の軍の力が強くなっていることへの
警戒、そして『神』という唯一絶対の価値観が打破されてから生まれた世代が多数を占め
る人口、そういう要素があいまって都市部ではさまざまな価値観と思想、それを共有する
もののネットワークが生まれていた。
 ディオキアにプラント議長ギルバート・デュランダルがミネルバ入港に合わせて宇宙か
ら降りてくる予定なのは、まだこの艦ではフェイスのアレッシィしか知らないことだ。
 最前線で戦う兵士の慰問というのが表向きの理由だ。そしてミネルバやユーラシアの部
隊はそれに信憑性をもたすだけの戦果を上げていた。議長の肝いりで作られた新造戦艦と
モビルスーツは、最初は人事を含め議長の玩具といわれたいたが、ユニウス7破砕の活動
から始まって、カーペンタリア攻防戦、赤道連合の民間人を地球軍が勝手に徴用していた
事件を暴いたこと、そして難攻不落で知られていたガルナハンのローエングリンゲートを
落としたことで、名前負けしない戦績をあげ、いまでは立派にザフトの地球での活動の象
徴とも言える艦になっている。
 しかしギルバートの来訪の本当の理由は、西ユーラシアの巨大軍需産業、アクタイオン・
インダストリーのオーナーとの面談だと、アレッシィは知っていた。
 『ロゴス』と呼ばれる軍事産業のトップの集まりは、自国には防衛のための武器を売り、
メンテナンスで稼ぎ、他国には戦争や内戦のための武器を売ることを生業としている。た
だ時代遅れの白人至上主義を奉じているため、東アジアの巨大兵器メーカーであるフジヤ
マ社、太平洋のオーブのモルゲンレーテとは付き合いこそあるものの、彼らを正式なメン
バーとしては受け入れていない。そんなナチュラルの中でも激しい差別意識を持つ彼らに
とって、コーディネーターは兵器開発の道具に過ぎなかった。ギルバートのアジア人のよ
うな漆黒の髪、コーディネーターであることを示すオレンジの瞳は嫌われるだろうが、あ
の骨色の白い肌は好かれるのだろう。プラントのなんでもありな外見特徴になれた彼には、
失笑したいようなことだったが。
 アレッシィは自室でコンピュータをいじりながら、そんなことを考えていた。ネット上
にはさまざまな政治結社が己の主張をばらまいている。
 テンプル騎士団、14世紀に財力を妬まれて滅ぼされた聖地巡礼守護の騎士団の人気はC.E.
になっても衰えず、後裔を主張する多くの団体が存在した。そして現在一番力を持ってい
る『テンプル騎士団』は、聖地エルサレムから異教徒を排除するために戦った騎士と、聖
なる地球から遺伝子操作された汚らわしいコーディネーターを排除することを重ねて主張
していた。
 もちろんナチュラルとコーディネーターの融和を図る団体もある。フリーメーソンは加
盟してメーソンリーになれば、遺伝子の違いなど結社の友愛の誓いの前には何の意味もな
いと主張する。そのほかでは薔薇十字団を名乗る団体、黄金の暁団などが融和派であり、
一番意味不明な陰謀論を撒き散らしているのがイルミナティの後裔を名乗る結社であった。
 そういう過去の秘密結社を名乗り、誰もがアクセスできるネットで宣伝合戦を繰り広げ
る連中を内心嘲笑っていたアレッシィは、突然、全身の激しい痛みに見舞われた。体中の
細胞が、もう新しく分裂することが無理だとばかりに悲鳴を上げる。
 彼は机に突っ伏し、しばらくは息も出来ず、発作が過ぎ去るのを待つ以外になかった。
数十秒が数時間に感じる痛みのあと、デスクの引き出しからピルケースを取り出し、白と
青のカプセルを口に放り込んでミネラルウォーターで嚥下した。そのまま椅子に体を沈め、
即効性の薬が効くのを待つ。この中途半端な時間は、彼にとって辛いものだった。しみじ
みと自分が欠陥品のクローン人間だと、思い知らされる。単にテロメアが短いだけならば、
細胞分裂の回数が健常者より少ないだけで、このような発作が起きることはない。つまり
己の研究資欲しさに違法なクローン人間製造を請け負ったヒビキ博士は、自分の持ってい
る技術をすべて使うどころか手抜きをして、アレッシィを作ったのだ。設計したとおりの
遺伝子を発現できるスーパーコーディネーターを作ることに血道を上げていた遺伝学者に、
同じ分野とはいえ少々畑違いのクローニングを発注したアル・ダ・フラガが、人を見る目
がなかったということだ。ただその見る目のない男の不完全なクローンであるニノ・ディ
・アレッシィことラウ・ル・クルーゼとしては、人間の愚かさを呪う以外に願いはなかっ
た。
(……発作は減っていたが、先天性の欠陥がなおるわけもない。精神的に以前より解放さ
れているから、少々楽ができた、というわけか)
 ラウ・ル・クルーゼであった頃を思い出して一番ストレスを感じるのは、自分の目的の
ためにパトリック・ザラに近づいたことだった。黄道連盟の時期から優秀で知られた彼が、
プラント独立を目指す強硬派政治家に目をかけられるのは当然のことであった。しかしパ
トリック・ザラの父権の強い性格は、ラウに葬り去った過去の亡霊であるアル・ダ・フラ
ガを思い出させた。そのストレスがなくなって、発作の回数は減っていたが、なくなるも
のでもない。もう少しまともなクローニングがなされていれば、自分の元となる細胞が採
取されたときのアル・ダ・フラガの年齢と人間の寿命、フラガ家の人間の没年齢を参考に
残り寿命を計算することもできるのだが。
 まあ、もう自分の寿命のことはいい。年の離れた哀れな一卵性双生児の弟に、もう少し
はましな人生を送らせるための作戦を練るほうが彼にとって大事なことだった。ラウ・ル
・クルーゼ、ニノ・ディ・アレッシィ、どちらも目的のために作り上げた人格だ。本当の
自分がどこにあるのか、彼にももうわからない。物心ついたときには、アル・ダ・フラガ
の理想の跡取りとなるべく教育されていたから、無邪気な子供時代の思い出などない。ラ
ウ・ル・クルーゼという名前にしても、ただの記号としてつけられたものだ。愛着はない。
彼が愛着を感じるのは、実験動物として飼われていた子供に友人と相談してつけた名前、
そして二年前の大戦で彼が最後に乗ったモビルスーツ、プロヴィデンスだけだった。空を
飛びかい敵を攻撃するドラグーンを持つ機体だけに、開発者はおそらく「天帝」の意を込
めたのだろうが、彼の耳には「摂理」と響いた。自然の摂理に逆らって生まれた自分が、
自然を超える意図の下に生まれた少年と戦うために乗るモビルスーツには、この上なく似
合いの名前だと思われた。

 
 

「作戦開始時間まであと二時間です。ノアローク大佐」
 事実を告げるだけでなく、何かいいたげなエルドリッジ少佐の伸びやかなメゾソプラノ
に、彼は耳を傾けた。
「コーディネーター部隊の三人は、精神的にも肉体的にも安定しています。パナマでザフ
ト軍との交戦経験を積みましたし、医師によるチェックでも、元ザフトのザラ少尉にすら
なんら精神的な影響は出ていないと」
「それはいいことだ」
 デヴィ・エルドリッジ少佐の白い軍服に包まれた完璧なボディライン、そして誇り高く
突き出した後頭部を強調するようなショートカットの縮毛、大きな黒い目とくっきりした
唇のせいでますます小さく見える顔。ネオは彼女のネグロイド特有の美しさが好きだった。
「ただ……私が言いたいことはすでにお分かりだと思いますが、エクステンディッド達は
今回の作戦行動に不満を漏らしています」
「彼らには、コーディネーターへの反感が植えつけられているからな。我々と違って、コ
ーディネーターを道具としてみるだけの知恵もない、ということだろう」
「はい。特にカオスに乗るスティング・オークレーが一番強い反応を示しています。あの
三人の中で、一般的な知能が一番高いのが災いしているようで」
「ステラのように、戦うためだけの知性を残したエクステンディッドというのも、まだ偶
然でしか出来ないのが現実だ。……まあ、あれの場合は、普段少々間抜けすぎるか」
「同意します」
 彼女はうすく笑いながら首肯した。ファントムペインは大西洋連邦軍の中のブルーコス
モス主義者から選抜されたもので構成される部隊であるから、パナマで自分の指揮下で戦
い戦果を上げたコーディネーター部隊とエクステンディッド部隊を比べれば、もちろんど
ころか比較できないほどエクステンディッド部隊に好意的である。コーディネーターはフ
ァントムペインでは、ヒトモドキ、家畜などと呼び習わされる。性欲をもてあました男性
兵士がコーディネーターのヴァーチャー少尉を肉便器にしているとは知っているが、「同
じ女性として同情」などという感情はこれっぽっちもない。あんなものを相手にするナチ
ュラルの男性兵士を、獣姦野郎と蔑むだけであった。しかしもしステラに性的な嫌がらせ
をする男性兵士がいたら、厳罰に処すだろう。彼女はエクステンディッドといえど、ナチ
ュラルなのだから。
「コーディネーター部隊三機とカオスで空から攻撃させ、ガイアとアビスは甲板からの援
護射撃ということで、彼ら6名だけで仕事をさせようと思ったが、私が直接出て指揮を取
ったほうがいい、君はそういいたいわけだ」
「はい。大佐にコーディネーター部隊の成長を艦で見ていただきたいのは山々ですが、相
手との戦力が互角であると想定しますと、リスクはできるだけ減らしたいのです」
「君の判断が正しいと思う。私のウィンダムも戦闘準備をさせてくれたまえ」

 

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