クルーゼ生存_第62話最終回

Last-modified: 2013-12-22 (日) 03:14:41
 

 首脳二人の合意により、停戦命令が出された。

 
 

 レイは心臓がぐわっと大きくなり、胸を圧迫するような思いのあと、全身の神経が悲鳴
を上げるのを感じた。いつかこの時が来ると思っていたが……。
 レジェンドを操る四肢の動きが一瞬止まった。この混戦状態では命取りだ。
 シン、ルナマリア、ミネルバのみんな。友達よありがとう。
 ラウ、ギル、俺が帰るのはメンデルのラボじゃない。『人間』の天国か地獄だ。
 そう思えるようにさせてくれて本当にありがとう……。
 レジェンドの美しい機体とともに、レイ・ザ・バレルの人生は終わった。

 
 

「レイ――!!!!!」
 シンが叫んで、近くの敵機を片づけたが、レジェンドのいた場所にはジャンクと空間が
あるだけだった。
「レジェンド、シグナルロストです」
 アビーの声に、アーサー始めブリッジがざわめいた。ミネルバのモビルスーツ隊は強い
い。あのデストロイ以外に傷をつけられるとも考えていなかった。
 10秒ほどおいて、停戦信号が入り、音声で自動的に全艦に流れた。
「あ……あとちょっとだったのに」
 つい艦長代理は口に出してしまった。管理職としては情けない行為だが、人間らしいと
アビーは思った。
 シンは停戦信号を聞いてもう何もする気になれず、月の重力にデスティニーを任せた。
 ゆっくりと荒涼たる灰色の大地に降下していく。地球の両アメリカ大陸がきれいに見え
ている。
(今日は満地球だったんだ)
 戦いに追われ、そんな暦に気がつかない日々も終わる。
 しかしそこには苦楽を共にした親友がいない。ぽろりぽろりと涙がこぼれる。
 とん、とデスティニーが月に腰を下ろした。足が一本ないから立つことはできない。
 シンがそのまま漆黒の宇宙に浮かぶ地球を見ていたら、目の前にインパルスが降りてき
た。
「ルナ……」
 シンはコクピットを開けると低重力を利用してぽんぽんとモビルスーツの上を飛び歩き、
地上に大きな砂煙をあげて立った。
 インパルスからルナマリアが降りてくる。二人は何も言わずに抱き合った。シンが押し
倒した形になって重なり、結局ルナマリアの膝にシンのヘルメットが来るところで止まっ
た。泣いて泣いて、シンのヘルメットの中はぐちゃぐちゃだ。前が見えない。頭の後ろを
ルナマリアがなでてくれていると思うと安心するところはある。だから、言ってしまう。
「ちきしょう! あと30秒だったんだ。停戦があと30秒早ければレイは、レイは――
し、死なないですんだのに」
 はき捨てるように言って赤子のように泣いた。
 ルナマリアもしゃくりあげているのがわかる。
 これまでの三人組はもう戻ってこないのだ。戦争が終わるというのにやるせなさを感じ
るルナマリアだった。シンとほとんど同じ体格だったレイ。シンの震えている肩はこれか
ら大きく男らしくなっていくだろうが、レイは思い出のなか、華奢で綺麗な少年のまま永
遠にのこるのだ。メイリンはイザークを失った時、なにを思ったのだろう。プラントの家
に帰ったら聞いてみよう。その資格が自分にもできたように感じた。
 しばらくは、こうしてシンを慰めていよもよいだろう。シンの悲しみは純粋で、伝わっ
てくる苦しみを共有していても辛くない。欠けてしまった三角形は、一生彼ら二人の心を
苛むだろう。幸せな家庭で育ったルナマリアにとって、初めての身近な人間の死だった。

 
 

「では、終戦条約の内容の話し合いに移りましょう」
 デュランダル議長はコープランド大統領に、プラントからの案を示した文書をさしだし
た。大統領は無言で書類をめくり、ところどころで苦い顔をした。ただ戦争で勝ったのは
プラントであるから、ここでごねると本当にネオ・ジェネシスが本土を焼くことになる。
本土攻撃を受けたことのない超大国の人々が、もしワシントンD.C消滅ということになっ
たら、コープランド罷免のための国民投票でも最悪リンチでもするのは間違いなかった。
・プラントの完全独立をプラント理事国すべてが承認、賠償金は0
・連合の月基地の放棄、ただし月面調査権を与える。その行使にはプラントと月面自由都
市の許可を要する
・被害にあったプラントのコロニーへの賠償金、1兆アースダラー
・旧オーブ連合首長国のプラント領化
・地球でのコーディネーター作成の再開
・連合領地内でのコーディネーターの人権確保
 等々(デスティニープランの施行検討という項目は、コープランドには目に入らなかっ
た)。連合にとって有利なことといえば、戦争を終えて国に帰れることだけだ。コープラ
ンドは歯噛みしつつ、『連合軍領地でのコーディネーター作成の再開』だけは断固として
拒否した。これを認めたら、この戦争で死んだ兵士たちはまったくの無駄死にではないか。
コーディネーターが宇宙に住むことは認める。オーブはいずれナチュラルが取り返す。そ
のためにもコーディネーターの人口を増やすような条項は受け入れられない。
 プラント側も受け入れられるとも無理やり受け入れさせるまで戦いを続ける意思は、
元々なかったようだ。正式な文書はプラントと連合の法務省がやり取りすることとなり、
一ヶ月後にコペルニクスで調印と決まった。
 コクピットの中でヘルメットを脱いでぐしゃぐしゃの顔を拭いたシンは、ルナマリアと
連れだって、ようやくミネルバに帰還した。遅れを責める者はいなかった。
 隊長が「報告書は二時間以内に」と言った声にいつもより張りがなく、顔色が青白いよ
うに見えたのは気のせいだろうか? しかし立ち去っていく背中は、強さと誇りをまとっ
た男の背中だった。
 ミネルバの母港だったアーモリーワンは消滅してしまった。同様の母港を持たない艦は
他の港に割り振られ、ミネルバはアプリリウスの軍事港に入った。条約違反機であるデス
ティニーの核動力部をデュートリオンに置き換える予定はあったが、メカニックにはもっ
と優先すべき仕事があったので後回しとなっていた。
 レジェンドのないハンガーはさみしかったし、一人の部屋はもっとさみしかった。レイ
は自分から口を開くタイプではなかったが、同じ部屋に親友がいるぬくもりを与えてくれ
た。コンピュータに入っているメールにざっと目を通す。
 知らない弁護士からのものがあって、開けてみた。
 そこには、「依頼人レイ・ザ・バレル氏の遺言執行人として、相続人シン・アスカ氏に
連絡差し上げます」とあった。

 
 

 マルキオはこの会戦に絶望しか感じなかった。アスランはSEEDを完全に解放したと思わ
れるが、薬物の力を借りてのことである。
 もう一方のシン・アスカはSEEDを戦いと対話に使ったようだが、内省に欠けていたのは
アスランと変わらない。
 SEED因子を持つものが精神的に人間世界に影響を及ぼす日は、いつか来る。彼はじっと
それを待とうと決めた。

 
 

 条約締結のスケジュールがほぼ固まりかけたころ、シンはデュランダル議長から呼び出
しを受けた。自分の悲しみに溺れていたが、彼も、いや彼のほうがずっとレイを失ったこ
とが応えているだろう。兄と一緒に俺を実験動物から助け出してくれた人だ語るレイは、
すこし嬉しそうだった。
 行政府で議長の執務室に案内される。
 久しぶりに会った議長は忙しさが全く応えていないように見受けられた。プライドの高
い人だなと、改めて思う。
「今日は君にこれをと思って」
 差し出されたのは箱に入ったフェイスの徽章。
「え、あ、その、自分に、でありますか?」
 議長以外の命令に従わない特権を持つフェイス。己を強く律し、プラントのために行動
する者のなかでもっとも優れた軍人の象徴だ。
「君以外にだれがふさわしい? 君はこの大戦でモビルスーツパイロットとしてだけでは
なく人間として成長した。これは君のさらなる成長への期待だ」
「……ありがたくお受けします」
「さっそく初仕事を頼みたい。条約締結に際しての私の護衛だ」
「了解しました」
 デュランダルは立ち上がると、シンの襟に徽章をつけた。シンは本当はここにもう一人、
金髪の少年がいるはずだったのだと思った。
 シンは軍服をクリーニングに出してブーツを磨いたが、ルナマリアがフェイス特権を利
用して新品を申請させた。
「歴史に残る公式の場に出るんだから。シンの軍服、もう小さくなってるし、体に合った
のでないといざというとき動きにくいでしょ」
 確かにそうだ。地球からブルーコスモス残党がコペルニクスに潜入しているという噂も
ある。
 厳戒態勢の中、デュランダル議長とコープランド大統領が条約に署名し、握手する両者
を多くのカメラが撮影した。これで本当に戦争が終わったのだ。
 シンは議長とともに引き上げ、月用の縦長で半分蓋のついたコップに入った冷たい水を
手渡した。たぶん以前はハイネの仕事だったのだろう。周囲からシンに任された仕事だ。
まるでお小姓みたいだと思ったりする。
「これで私の議長としての仕事は終わりだ」
「え? まさか退任なさるんですか」
「ああ、政治家はやめたよ。遺伝子学者に戻ることにした。プラントのためには二世同士
の出生率を上げるのが急務だ。今の技術ではコーディネーター同士の受精卵はさらにコー
ディネートできない。だから致死性の遺伝子が残ってしまう。もう一度コーディネートで
きるように鍵をはずす研究が私を待っている」
 デュランダルの顔にはシンが初めて見る表情が浮かんでいた。政治家の顔から研究者の
顔に戻ったのだ。
「すごい研究ですね」
「君は好きな人類の女性なら、誰とでも子供を作れるようになる。約束しよう」
 大きな骨ばった手で握手を求められ、シンは頬を赤らめながら応じた。
 世の中はこうして変わっていくのだ。
 変わっていくといえば、ニノ・ディ・アレッシィ隊長は条約締結日、あの場には印象的
な姿を見せていたのだがそのあとどこでも見かけたものはなく、ザフトの記録もすべて抹
消されていたという。

 
 

 シンは予想以上に多かったレイの遺産のうち、家を相続し、あとの金融資産はデュラン
ダル博士の研究と、戦災孤児のための育英基金に寄付をした。そしてレイがしていたよう
に、いつだれが帰ってきてもいいように、庭と家をクリーニングする契約を業者と更新し
た。

 
 

                                 ≪  了  ≫

 
 
 

≪エピローグ≫
 シン・アスカとルナマリア・ホーク(正式にはルナマリア・ホーク・アスカ)は、7年
ぶりに地球に降り立った。プラント領オーブに建設されたばかりの軌道エレベーターで降
りてきたのだ。大気圏突入のGもなく地球に降りられるとあって、プラントの熟年コーデ
ィネーター一世カップルに地球旅行ブームが起きている。
 彼ら二人にとっては少々贅沢だし、仕事で地球関連の部署に就く可能性だってあるのだ
が、あのミネルバの辛く苦しい旅を新しい思い出に置き換えようと、新婚旅行に地球一周
を選んだのだ。
 オーブ、カーペンタリア、ジブラルタルは新婚旅行だということでザフトの施設のス
イートルームを抑えたが、ルナマリアが一生の思い出だからと主張して、他の国でも高級
ホテルのスイートを取らされてしまった。
 シンはモビルスーツ隊の隊長を務める白服士官でフェイス、ルナマリアは戦争のあとは
デスティニープランを受けてデスクワークに移り予算管理の仕事をして、優秀だという評
価を得ているいる。
(だけど、自分の予算は削らないんだよなあ)
 シンはぼやきたくなった。シンの未来設計では子供は男の子と女の子一人ずつ、名前は
レイとマユ。ピアノを習わせて、兄妹で連弾させるのが夢だ。
 ザフトのリムジンが海に面したレストランにするりと横付けされた。
 礼を言って車から降りる。大胆に背中を見せた金色のスリップドレスのルナマリアを美
しい、いとしいと思う。エスコートする自分も堂々としてないとと心掛けて――内心ひと
つ年下を気にしているのだ――シンは新妻の手をとってレストランに入った。
 一番新しくミシュランの三つ星をとったレストラン≪ヒビキ≫、オーブの南国調のイン
テリアに古いヨーロッパの蝋燭のシャンデリア、テーブル一つを占領する巨大な銀のワイ
ンクーラーに差し込まれたシャンパンや白ワイン、ミネラルウォーター。やっぱり地球は
豊かだなあとシンは思い、この星に生まれたことを誇りに思った。
 まずバーに案内され、食前酒を勧められた。コーディネーターに飲めない体質の人間は
いないので、ふたりでシャンパンを頼み、乾杯した。
「俺たちの結婚に」
「私たちの新しい生活の門出を祝って」
 この会話を聞いて、バーテンダーが
「新婚のお客様ですか。そうとは存じず失礼しました。こちらは当店からのサービスにさ
せてくださいませ」
 といい対応をしてくれたので、二人は思わず笑顔になった。久しぶりの地球、コーディ
ネーターが1/3弱とはいえナチュラルのほうが多いオーブ、プラントにもサービス業に向
いた人はたくさんいるのだが、まだ地球に比べると文化そのものが貧弱なので、実力を発
揮できない状態だ。プラントのアプリリウスの一等地にこの店を建て、同じ値段で同じ料
理、サービスを提供しても店は続けられないだろう。簡単に言おう。プラントは戦争に勝
ったものの、地球の先進国より貧しいのだ。
「あ、あれ、カガリなんとかアスハ……」
 ルナマリアが呟いた。シンの赤い眼の先に、金髪の着飾った女性が見える。一緒にいる
のはピンクの髪を結いあげた美女で、シンはあの女はレズビアンだったのかと思った。
「と――ラクス・クライン!」
 忍び声でルナマリアが叫んだ。戦争のあとアスハの屋敷に居候しているという情報だっ
たが、状況に変化はないようだ。
「老けたな」
 ラクスのアイドル時代を信奉していないシンの感想は厳しかった。
 彼女らはバーを通らず直接席に案内されていた。
「そうかしら。オーブがプラント領になったっていうのに、賠償金を一ダラーも払おうと
もせず、お金持ちのお友達に居候なんて、いい御身分」
「でも、誇り(ディグニティー)がない」
 ディグニティーはシンの今の愛機の名前であり、ヨウランとヴィーノ(メイリンとほの
ぼの恋愛中)が設計した機体にその名を選んだのは彼本人だった。
 ルナマリアは大きく青い目を見開いた。
「そうね、私たちは自分で働いてここにきてる。あなたも私も、自分の人生に責任と誇り
を持ってるわよね」
 といって、ついばむようなキスをした。
「ようこそおいでくださいませ、アスカ夫妻。当店のオーナーシェフのキラ・ヤマトと申
します。本日はお楽しみいただけますよう。では、お席にご案内します」
 まだ30になっていない天才シェフがびしっとコックコートを着こなして、シンとルナマ
リアを先導した。軍事訓練を受けた歩き方だと、シンは思った。
 海の上のテラス席、向かいの島の明かりがよく見える。
 シェフのキラからメニューとワインリストを手渡されて、今日のディナーは予算を無視
して食べたい物を食べ、飲みたいものを飲もうとシンは思った(ルナマリアは三つ星レス
トランに予約を入れたときから、当然そのつもりだった)。

 

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