ミ「えっと、確かこっちだっけ……」
食事を配り終えたミーアは、シンに会おうとパイロットルームへと向かっていた。
途中、幾人かのクルーとすれ違ったが、その誰もが自分に向かって敬礼することにミーアは少し困惑していた。
受け入れられたことは嬉しいけど、私はラクス様じゃないのに……。
これまで『ミーアとして』求められたことのない彼女には、まだ自分の存在がどれほどのものであるかを自覚することは出来ないでいた。
一方、その頃。
シンとレイ、そしてルナマリアの三人のパイロットは作戦の最終打ち合わせを行っていた。
レ「……まず、ルナマリアがインパルスで出撃し、指定ポイントで待機する」
レ「そして、俺とシンがミネルバと共に基地に攻撃を仕掛ける」
レ「敵がこちらに引き付けられている間に、ルナマリアは基地に潜入し、レクイエムの管制室を破壊する」
レ「以上が作戦の大まかな概要だ。何か質問は?」
ル「レイ、管制室を破壊するだけでレクイエム本体は破壊しなくてもいいの?」
ルナマリアの質問に、レイは「ああ」と頷いた。
レ「この作戦はスピードが重要だ。本体を破壊するとなれば、当然時間がかかる」
レ「要はレクイエムを撃たせなければいいのだから、何も時間をかけて無理に本体を破壊する必要は無い」
よどみない口調でそう説明すると、レイは沈黙したままのシンに目を向ける。
レ「シン。お前は何かあるか?」
シ「いや、作戦自体には特に無い。ただ……」
レ「ただ?」
聞き返すレイに、シンは厳しい表情で口を開く。
シ「……レクイエムも重要だけど、ジブリールを逃がすわけにはいかないと思ってさ」
シ「ヤツを逃がしたら、何も意味がないからな」
レ「確かにな。レクイエム攻略と共にジブリールの身柄の確保はこの作戦の重要な目的だ」
もっとも、身柄の確保とは言ってもその生死は関係ないが。
レイはその言葉を胸の内だけで呟いたが、シンはまるでレイの思いを読み取ったかのように決意をあらわにする。
シ「ジブリール……今度こそ、ヤツを叩き潰してやる」
レ「意気込みは買うが焦るなよ、シン」
シ「ああ」
頼もしげに頷くシンには、気負いも焦りも無い。
これなら大丈夫だと、レイは小さく頷いた。
レ「では……」
レイが解散を告げようとしたとき、いきなりパイロットルームのドアが開く。
三人の視線が一斉にドアに向くと、そこには慌てた様子のピンクの髪の少女が立っていた。
レ「何の用だ、ミーア?」
ミ「あ、い、いいえ……べ、別に用ってことは……」
静かな声に問われ、ミーアはさらに慌ててしまう。
ミ「ただ……そ、その……シン……が……いる、かな……って思って……」
レ「……」
ル「レイ。ミーティングはもう終わりよね?」
ルナマリアが慌てふためくミーアに助け舟を出すように尋ねると、レイは「ああ」と答え、シンに向き直る。
レ「シン、これでミーティングは終了だ」
レ「俺はしなくてはならないことがあるので先に行く。作戦開始時刻までには遅れるなよ」
いつもと変わらぬ口調でそう言うと、レイはさっさと部屋を出て行ってしまう。
ル「あ~、私もインパルスの最終チェックに行かなきゃ」
ル「んじゃ、シン。お先っ♪」
シ「あ、おい……」
さらにルナマリアもいかにもわざとらしく用事を思い出すと、シンを残しパイロットルームを後にする。
一人残される形となったシンは、少し照れながらも入り口に佇んでいるミーアを招き入れ、自販機でドリンクを買って彼女に手渡した。
シ「……」
ミ「……」
飲み物を口にする二人の間に、沈黙が流れる。
話したいことは色々あるはずなのに、なかなか言葉が出てこない。
シンは先ほどすれ違い様に「頑張りなさいよ」と悪戯っぽくウインクしたルナマリアの顔を思い出した。
シ(何だよ、ルナのヤツ……姉貴ぶりやがって……)
無論、ルナマリアが何を言いたいかぐらい、シンにもわかっている。
だが、そのおかげでシンは余計にミーアを意識せざるを得なかった。
ミ「シン……もしかして、私、シン達の邪魔しちゃった?」
先ほどから黙ったままのシンの様子を伺うように申し訳無さそうにミーアが尋ねると、シンは慌てて手と首を左右に振った。
シ「あ、い、いいや。そんなこと無いよ」
シ「作戦は既に決定してるし、ミーティングで最後のチェックをしてただけだから」
ミ「そうなんだ……」
少しだけホッとしたミーアだったが、また沈黙が続くのを避けるように、ことさら明るく振舞ってみせる。
ミ「ね、この作戦が終わったら、少しは時間、出来るんだよね?」
シ「あ、う、うん。休暇ぐらいは貰えると思うけど……」
ミ「だったら、一緒にどこか遊びに行こう! 私、シンの好きなところに付き合うから!」
ミ「あ、でもミネルバがどこかに停泊しないと遊びにも行けないのかぁ……」
ミ「あ~ん、船の中だけじゃつまんないし、どうしよぉ~!」
コロコロと表情を変えるミーアに、シンはつい笑いを誘われる。
クスッと笑うと、シンは穏やかな瞳でミーアを見つめた。
シ「……ありがとな、ミーア」
ミ「え?」
シ「いや、何でもない」
ミーアの心遣いに感謝しながら、シンはふと遠い目をした。
シ「この戦いで……」
シ「この戦いでジブリールを倒せば、もう戦いも……」
そう言いかけて、シンは苦い顔になる。
シ「いや、戦いはまだ終わらない……か……」
シンの脳裏に、かつての故郷『だった』オーブの姿が浮かぶ。
だが、オーブは今やザフト、いやプラントにとって無視できない『敵』となっている。
オーブと戦うことにもはや躊躇いはない。『奴ら』が出てくれば、全力を持って叩き潰すまでだ。
だが、その戦いはかつてないほどに熾烈を極めるだろう。自分が死ぬことも充分にありえる。
死ぬこと自体に恐怖は無い。本当なら二年前、自分は家族と共に死んでいるはずだったのだから。
シ「……」
ミ「シン……?」
シ「え? あ、な、なに?」
知らないうちに思案に沈んでいたシンは、ミーアの声に我に返った。
気づけば、ミーアの顔が間近にある。
しかし、その顔はどことなく不安げだった。
シ「ど、どうしたんだよ、そんな顔して」
ミ「ううん、何でもない……ただ……」
シ「ただ?」
ミ「……何だかシンが遠くへ行っちゃうような気がしたから……」
シ「……!」
心配そうに自分を見つめるミーアの視線と声に、シンの鼓動が跳ね上がる。
まるで自分の姿ばかりか心の中までをも映し出したかのように、ミーアの瞳は揺れていた。
いけない。こんな顔、ミーアにさせちゃいけない。
シンはミーアを安心させるように、ややぎこちなくはあるものの優しい笑みを浮かべてみせる。
シ「大丈夫だよ……俺はどこにも行かない」
シ「だって俺、ミーアを守らなくちゃいけないからな」
そう、今の自分は死ぬわけにはいかない。
生きて彼女を守り、そして平和な世界を切り開かなくてはならないのだ。
シ「とにかく今は、レクイエムを攻略することだけ考えるよ」
シ「あんなこと、もう絶対にさせるもんか」
そう言って笑うシンに、ミーアはそっと手を伸ばす。
柔らかく、あたたかな手が頬を撫でるのをシンは黙って受け入れた。
ミ「シン、約束して」
シ「え?」
ミ「必ず帰ってくるって、約束して」
シ「約束……」
その言葉に、ふっとシンの胸の奥で鋭い痛みが甦る。
かつて守ると約束し、果たせなかった少女。
あどけない笑顔に隠された、死という運命から救おうとしながらも果たせず、腕の中で息絶えた少女。
―――約束したのに、俺は守れなかった。
―――俺は、嘘つきだ。
雪の降る静かな湖に少女を葬ったあの時の痛みを、シンはまだ忘れられないでいた。
ミ「シン……?」
シ「……」
自分に、再び約束を交わす資格があるのか?
その思いが一瞬、胸をよぎる。
だが、シンはすぐに考え直す。
―――そうだ、俺は嘘つきだ。
―――だが、だからこそ俺は二度と約束は破らない。破ってはいけないんだ。
今度こそ、約束を守ってみせる。
その決意を胸に、シンはミーアに力強く頷いて答えた。
シ「ああ、約束するよ」
シ「俺は必ずミーアのところに帰ってくる」
ミ「シン……」
いつしかミーアの顔は、先ほどよりもさらに近づいていた。
そっと目を閉じるミーアに、シンも目を閉じ、唇を重ねる。
シ「……」
ミ「……」
シンのぬくもりを唇で感じながら、ミーアはこのまま離れたくないと思った。
行かせたくない。ずっと傍にいて欲しい。
でも、そんな言葉はシンを困らせるだけだということはミーアにもわかっている。
だから唇を離すと、ミーアは懸命に微笑み、万感の思いを込めた一言を口にした。
ミ「……行ってらっしゃい、シン」
シ「ああ。じゃ、行ってくる」
そう言い残し、シンは部屋を後にした。
ミ「シン……」
一人残ったミーアは両手を組み、無事を祈るように小さな声であの歌を口ずさむ。
あの時はミネルバのクルーのためだったが、今はただ一人、シンのためだけに歌いたかった。
自分にできることは、こうして無事を祈りながら歌うことだけ。
でも、だから今は自分にできることをしよう。約束通り、シンが無事に帰ってくるように。
そう思いを定めると、ミーアは祈り、歌い続けたのだった…・・・。
……シンとミーアを残しパイロットルームを後にしたレイは、薄暗い一室にいた。
デ「やぁ、レイ。もうすぐ出撃じゃないのかね?」
レ「はい、ギル。その前にご報告しておきたいことがありましたので」
作戦前に、レイはデュランダルと連絡を取っていた。
ほのかに光るモニターの中では、デュランダルがいつものように悠然とした笑みを浮かべている。
デ「話はタリアのほうからも聞いている。ミネルバは彼女を新たな歌姫として受け入れたというじゃないか」
レ「はい。ですが、その功績は私のものではありません」
デ「そうかね? 全ては君の尽力があってこそだと私は思っているのだが」
レ「嬉しいですがギル、それは過大評価というものです」
デュランダルの賞賛の言葉にも、レイの態度は変わらない。
実際に状況を改善したのはシンとミーアだ。自分はその手助けをしたに過ぎない。
そうレイは考えていた。
デ「それにしても、まさか彼女にそれだけの『力』があろうとはね……」
デ「どうやら私は、彼女を少し見くびっていたようだよ」
レ「ギル、ミーアは……」
デ「ああ、わかってるよ。私も今更、彼女を担ぎ出すようなことをするつもりはない」
既に今のデュランダルにとって、ミーアは必要な『駒』ではない。
ならば、せいぜい邪魔にならない場所で役に立っていればいい。
デュランダルはそう判断していた。
デ「いずれにせよ、この作戦が終われば、次はオーブだ」
レ「はい」
デ「ジブリールを匿い、逃がし、プラントに壊滅的な被害をもたらす一因となったオーブを、プラントの国民は決して許さないだろう」
デ「そうだ、オーブといえば彼は大丈夫なのかね?」
デュランダルの問いに、レイはきっぱりと断言してみせる。
レ「はい。レクイエムの一件で、シンのオーブに対する感傷は完全に断ち切れています」
レ「オーブと、そして『彼ら』と戦うことに対し何の迷いもありません」
デ「それは結構。白のクイーンを守る騎士は強力だからね。こちらとしても強力な『駒』が必要だ」
レ「……」
デュランダルの言葉に、ほんの僅かだがレイの表情が動く。
だが、すぐに何もなかったように表情を消すと、レイはデュランダルに向かってうやうやしく頭を下げる。
レ「シンは必ずギルの期待に応えてくれるでしょう。ご安心ください」
デ「ああ、期待させてもらうよ」
デ「だが、とにかく今は目の前の作戦に集中してくれたまえ」
レ「はい」
デ「それと、わかっているとは思うがくれぐれもレクイエム本体には傷をつけないでくれよ」
レ「もちろんです。そのための作戦も立ててありますので、ご心配には及びません」
レイの返答に、デュランダルは満足そうな笑みを浮かべる。
あれだけの兵器だ、今度はこちらがせいぜい有効に活用させてもらわなければならない。
デ「では、勝利の報告を待っているよ、レイ」
その言葉を最後に、通信は途切れた。
レ「……」
レ「『駒』、か……」
静寂の中、レイはデュランダルの言葉を思い起こす。
確かにデュランダルにとって、シンは『彼ら』を倒すために必要な『駒』なのだろう。
レ「……」
わかっていたはずなのに、レイはその言葉にどうしても引っ掛かりを感じてしまう。
デュランダルに対する忠誠にはいささかの揺らぎも無いというのに……。
レ「っ!」
レ「くっ……うぅ……っ!」
またしても例の『発作』に見舞われ、レイはカプセル錠剤を飲み下す。
徐々にではあるが『発作』の間隔が短くなりつつある。
そのことを、レイは自覚せざるを得なかった。
レ「っく……っはぁ……はぁ……シン……」
レ「……全てを知ったら……っ……お前は……俺を憎む……だろう、な……」
額に汗を浮かべ、荒い息を吐きながら、レイはかつて口にした言葉を再び呟いた。
『出来損ない』の自分に代わり、デュランダルの創る未来のため、平和な世界のためにシンはこれからも戦い続け、勝ち続けなければならない。
負けることは許されない。負けはすなわち死を意味するからだ。
レ「……死ぬまで負けられない……戦い、か……」
もしこのような『出来損ない』の身体でさえなければ、自分がその役目を担うはずだった。
自らについてはとうの昔に諦めていたはずのレイに、己への不甲斐なさがこみ上げてくる。
レ「っ……すまない……シン」
何も知らない、ただひたすらに真っ直ぐなシンの瞳を脳裏に思い浮かべ、レイは沈鬱な表情で僚友に詫びた。
いくら未来のためとはいえ、シンには自分の代わりに過酷な運命を背負わせることになる。
レ「だが……だからこそ、俺はあいつに……」
そう、だからこそ、自分はシンにせめて何かを遺してやらねばならない。
シンが運命に潰されぬよう、傍にいて支えてやれるもの。
それは、一つ……いや一人しかいない。
レ「ミーア……君なら……」
大切な人を喪い続けてきたシンの、最も大切な女(ひと)である、ミーア・キャンベル。
彼女なら、きっとシンの支えとなってくれる。あの二人をずっと見てきたレイは、そう確信していた。
そして自分にできることは、そんな二人を少しでも手助けすることだけだ。
デュランダルへの忠誠とは別に、いつしかレイはそう考えるようになっていた。
レ「……」
静かに目を閉じると、レイは二人の姿を瞼の裏に思い浮かべる。
皆にラクスとして望まれたミーアだが、シンはミーアをミーアとして必要としている。
だからこそ彼女を、ミーアを『ラクス・クラインの偽者』というだけの存在にするわけにはいかなかった。
彼女のためにも、シンのためにも、ミーアは『ミーア』としてあらねばならない。
レ「フッ……偽善……いや、独善だな……」
己の考えに、レイの口元から自嘲の笑みがこぼれ落ちる。
だが、例え偽善や独善であろうとも、レイが二人にしてやれるのはそれだけしかなかった。
レ「シン……ミーア……」
レ「お前達なら……共に……未来を……歩んで、いける……だ……ろ……う……」
薄暗い部屋の中、疲れきったレイはうずくまるようにして床に座り込むと、そのまま深い眠りの中に落ちていった……。
シ「……レイ、ルナは?」
MSハンガーに向かうべく、シンはレイとエレベーターの中にいた。
レ「あいつは今回の要だからな。先に出た」
いつものように答えるレイには、先ほどまでの異変の影響は微塵もない。
だが、シンにはどことなくレイの様子が違うように感じられた。
シ「なぁ、レイ……」
レ「どうした?」
シ「いや、何となく顔色が悪そうだから、どうしたのかと思ってさ」
レイの白皙の顔が、いつにも増して白いようにシンには見える。
レ「別にどうもしてはいないが……流石に緊張しているのかもな」
レイは顔を隠すようにさりげなく髪をかき上げると、僚友に向かって小さく笑ってみせた。
シ「へぇ、やっぱレイでも緊張するんだ」
レ「まぁな。それだけ俺達の任務が重大だということだ」
レ「それよりお前はちゃんとミーアとの挨拶を済ませてきたのか?」
シ「!! な、なに言ってんだよ、レイっ!」
レ「照れることはないだろう。お前達のことはミネルバの皆が知っていることだ」
シ「レイっ!!」
見る見る顔を赤くするシンに、レイは今度は作ったものでない笑みを見せる。
他愛ない会話を交わす間に、エレベーターはMSハンガーに到着した。
レ「さぁ、行くぞ、シン」
シ「ああ!」
ドアが開くと、それまでの甘さが消え、二人の顔は戦士のそれへと変わる。
シ「レイ、必ずジブリールを倒すぞ」
レ「ああ。お前ならやれる」
シ「俺達、だろ?」
レ「フッ……そうだな」
互いに視線を交し合うと、シンとレイはそれぞれの愛機の元へと向かった。
コクピット内のほのかな灯りに照らされながら、二人の前方でカタパルトハッチが開いていく。
『進路クリアー。MS、発進どうぞ』
シ「シン・アスカ。デスティニー、行きます!」
レ「レイ・ザ・バレル、レジェンド発進する!」
互いの思いを胸に秘め、二人の戦士は漆黒の宇宙空間へと飛び立っていった。
<完>
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