地球と火星ー二つ星の戦争- 続編

Last-modified: 2014-08-11 (月) 14:31:40

ボーハムでの戦いの結果、「いまひと押し」と判断したビッグリングの連邦軍司令部作戦課は、第3、第7艦隊と軌道防衛艦隊を注ぎ込み、L3のヴェイガンを追い落とそうと計画した。

 

アンバットの戦い以来となる連邦側からの積極攻勢であったが、そもそも敵の根拠地とされるスランカムは125年にヴェイガンが一ヶ月あまりをかけて奪取したものである。
打撃を受けたとはいえ未だ相応の敵戦力が存在すると考えられる現状では、攻略に相応の時間を要するとされ、戦略予備たる第7艦隊と軌道防衛艦隊の全力を長時間、一つの作戦に張り付けておいてよいのかという問題があった。
そこで司令部は計画を改訂し、新編の第1降下師団が基地への突入と攻略を担当、第1、第3、第6、第7艦隊の分隊をもって攻略支援にあてる、とした。

 

第1降下師団は、132年末の司令部作戦課のマレール・バーツ中佐の構想に端を発するもので、輸送船や小型艇に分乗して宇宙を機動し、ヴェイガンに占拠されたコロニーや資源衛星に上陸、奪回することを目的としていた。
着想は艦艇ごとで臨時に編成される臨検隊や陸戦隊の拡大版といったものであったが、政治的な問題で認可はなかなか下りず、また人員や機材の問題もあった。
それがフリット司令部になって計画が具体化され、141年11月には基幹部隊として4個連合陸戦隊とMS2個大隊が編成、訓練が進められていた。
苦心して戦力は揃えたものの、研究段階より参画していた幹部要員以外はまだまだ練度に不安がある兵士が多いというのが実情であった。
だが、将来的に連邦軍に大きな威力を加える部隊であることは間違いなく、この作戦を一つの試金石とするべく投入が決定された。

 
 

141年12月11日、連邦軍はエセンに戦艦20隻、輸送艦8隻からなる機動部隊を集結させた。寄せ集めの部隊を統率すべく、ビッグリングからはフェルナンド・トロンプ参謀長が現地に赴き、代将として作戦の指揮監督にあたった。

 

当然、この連邦側の大々的な動きはヴェイガン側に把握されることとなる。
かねてより目立つスランカムを棄て、デブリ群に紛れたアクラム仮設基地への移転を企図していたL3方面軍司令官ペトリエ・ガラスは、ただちにファ・レーゼとファ・ケルスを出港させた。
大型母艦2隻の出港であり、もちろんすぐに連邦軍偵察部隊の感知するところとなった。だが、ヴェイガンにとって幸いなことに、連邦側は付近に母艦を持たなかったために追尾を断念することを強いられた。
ひとたび加速してしまえば、MSは艦艇に追い付くことはできないのである。
気を良くしたヴェイガン側は停泊中の残り2隻の母艦への人員・機材の積み込みが終了し次第、撤退するつもりであったが、その前に連邦軍の来襲を迎えることになった。
予定通りに撤退を進めたい司令部と、撤退は不可能と見て基地に篭って抗戦すべしと主張する一部の将兵の間で対立があったが、司令部が抗戦派の主張を一部受け入れることで決着をみた。

 

結果、ファ・アークを旗艦とする部隊が殿として抗戦し、これを陽動として同時に人員と物資を載せたファ・ブールと子艦2隻を脱出させる、という手筈とされた。

 
 

12月20日正午、連邦軍艦隊は本隊(戦艦3、輸送艦8)と支援部隊(戦艦17隻)に分かれ、スランカム周辺の宙域の封鎖を開始した。
先の敵母艦2隻の捕捉失敗を受け、司令部はこの方面におけるヴェイガンの活動の芽を残してはならぬとして、作戦部隊に敵の撃滅を念押ししていた。そのためトロンプは、まず港湾部を制圧して、敵の脱出や出撃といった動きを封じてしまおうとした。

 

支援部隊の戦艦9隻が艦砲による準備射撃のために基地に近づこうとしたところ、本隊正面の第2宇宙港から、大型母艦1隻とMS9機からなるヴェイガン部隊が出撃してきた。
この敵の目標は本隊であると判断したトロンプは、旗艦ディーヴァに将旗を掲げ、第7艦隊機動部隊を直率して処理にあたった。
さらにこの直後、他の三つの宇宙港からも敵部隊出現の報告が入った。それぞれがMS6,7機程度であったが、連邦軍は各部隊に無理に接近戦をさせず、複数機の射撃によって堅実に対処させることとした。

 

ヴェイガン側の殿部隊は、少数ながら士気はきわめて旺盛で、連邦艦隊に果敢な突撃を繰り返した。MS隊は損傷が重なると、自爆特攻を仕掛ける機体すら続出している。
しかし、衆寡敵せず、午後1時にはファ・アークが撃沈、直率していたガラス司令も戦死した。引き換えに、脱出部隊の3隻は無事に戦闘宙域からの離脱に成功した。

 
 

このとき、多数の艦艇とMSが入り乱れたスランカム宙域では、従来連邦軍が頼みとした熱源や宇宙塵の揺らぎからの探知は機能不全に陥っていた。
ガラスとその部下たちはまさに「我が身を殺して味方を逃がす」ことで本領を果たしたといえる。そんな戦い方は、これまでのヴェイガンからは想像もできなかった。
だからこそ、連邦側はすっかり出し抜かれた。初陣に意気込む第1降下師団はほとんど空城となったスランカムに殺到することとなり、無人の基地内で訓練の成果を披露することにもなった。
連邦側は、この戦いでいくつかの貴重な教訓を得た。
複数部隊による協同、敵基地への本格的な突入と、それに付随する一連の行程…連邦側が164年に訪れた困難を耐え抜いた要因の一端は、ここにあったのではないか。

 

いずれにせよ、一般には、このスランカムの戦いをもってノートラム戦役は終わりを告げ、両軍の将兵は「クリスマスまでに」ひとときの平穏を迎えることができたのである。

 
 

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