水の中に居るようなもどかしげな感覚。
体が泥の中に沈みこんでいるようだ。
ハサウェイが気づいたのは、痛みが作り出す幕のようなむずかゆさに、全身が覆われていたからだ。
ぼんやりと暖かな光を感じる……何も考えられる状態ではない。
男の声が聞こえる……。
「気が付いたようだね」
深く張りのあるバリトーンの声……この声は自分は聞いた事がある……。
「……どうだね? 私の声がわかるかな? ……ああ、声を出さなくても大丈夫だよ。頷くだけでもかまわない」
この声は……。
「ッャ……ァ」
喉がカラカラだ……声が出せないので頷こうとすると全身に鈍い痛みが走る。
「グゥッ!」
目の奥から火花が散る。
「無理をする必要はない……全身大火傷だからね」
ハサウェイは何とか声がする方へ目を向ける。
目が良く見えない……輪郭だけが辛うじて判断できる。
自分はベットに寝かされてるようだ……手足の感覚が無い。
すぐ脇には先程話しかけてきた男が椅子に座ってこちらの方を向いていた。
ウィーン
部屋の奥の自動ドアが開き看護婦らしく女性が入ってくる。
「あら? 気が付きました? もう大丈夫ですよ!」
「大声を出さないでくれ、ヘレナ……彼は今ようやく気が付いたところなのだよ……で、何かね?」
「デュランダル先生……折角の機会です。お戻りになられませんか?今は戦時下なので、プラント本土の医師は不足しているんですよ。
つまらない政治ゴッコはお止めになって病院にお戻りになればよろしいでしょうに?」
「私は外交官だよヘレナ……それにその事は私より先に“ドクター”に言いたまえ」
「あの方は性格は最悪ですけど医者としての腕は確かですわね。パイロットとしての才能もお有りになる。
でもデュランダル先生は遺伝子研究のスペシャリストにして医学博士、そして政治家。こちらの方が多才ですわよね?」
「ただの器用貧乏だよ。どれも中途半端だからね……」
混濁した意識の中でハサウェイは彼らの会話を聞き流しながら……アデレートではあれからどうなったのだろうか?と思った。
連邦の腐った閣僚が何百人死のうとかまわない……が、民間人にも被害は出たのだろうか?
自分は連邦が立ち上げようとしたあの忌々しい法案を阻止する為にアデレートの連邦議会に攻撃をかけたのだ。
地球を一部の特権階級が私物化できる法案。
それを阻止すべく「Ξガンダム」を駆って……。
地球に住む一部の特権階級の人間のエゴの為に結局はその何十倍もの人間が傷ついた地球に戻ろうとする……。
決局は“あの人”のやった事が何の警告にもならなかった……。
記憶が混濁し過去と現在がない混ぜになった状態でハサウェイは閃光のようにこれまでの記憶が頭に走る。
5thルナ落下、アクシズの奇跡、かつて愛した少女の死。
MSに乗り、この手で初めて人を殺したこと。
そしてあれから刻(とき)が流れ自分はマフティー・ナビーユ・エリンとなった。
ハイジャック事件で知り合った勝利の女神。気の合った友であり宿敵となった連邦の大佐。
マフティーの皆は無事脱出できただろうか?
自分は金髪の中尉のペーネロペーに撃墜(お)とされたのだろう。
そして今、あの世とやらで“あの人”前で無様に懺悔してるわけだ。
連邦のアデレートの連邦議会の会談は無事に終了し法案は可決。“マフティー”は敗北しました。
僕はあなたの遺志を継ごうとしましたが全部無駄になりました、と。
自分があの伝説のニュータイプ戦士だったら全ては上手くいき悲劇は回避できたのだろうか……。
ハサウェイの様子に二人は漫才?を中止する。
「おっと……すまない。君を無視していたね……さて自己紹介がまだだった私は……」
「大丈夫? 貴方は全身に大火傷を負っている……心臓の方にもダメージがあるわ。でも時間は少しかかるけど
後遺症は残らない。とまぁ、そこの名医が太鼓判を押していますけど」
「……ヘレナ」
デュランダルは頭を抑えながら溜息を吐く……だが、居住まいを正し
「さて、改めて自己紹介しよう。私はプラント最高評議会に所属する外交補佐官ギルバート・デュランダルだ」
ハサウェイは改めて自分を見つめる男をぼんやりと凝視した。意識が徐々にハッキリしてくる。
(“あの人”では……ないのか……?)
端正な顔に長髪だ……あの人は金髪だったがこの人は黒い……
喉が渇いた。
「……水」