機動戦士ザクレロSEED_第27話

Last-modified: 2011-07-28 (木) 19:24:40

 路上。急旋回から走り出し、一気に加速するエレカの助手席で反動に揺さぶられるエルは、太鼓の音を聞いたと思った。ドドドッと腹に響く連続音。
 しかし、直後にエレカの隣にあったビルの壁が砕け、破片を降らせるにあたり、自分達が銃撃されているという事に思い当たる。
「っ!」
「大丈夫、威嚇射撃だ! 外してくれてる!」
 エルが悲鳴を上げようとした気配を察して、ハンドルを握るユウナ・ロマ・セイランは言葉を短く切りながら叫んだ。
 本当に威嚇射撃なのか、それとも単に狙いを外しただけなのか、ユウナにわかる筈もなかったが、エルを落ち着かせる為の方便だ。エルが怯える様は美味しいが、それはもっと落ち着いた環境で楽しみたい。
 それに、威嚇射撃だろうと、単に外しただけだろうと大差ない。自分たちがまだ粉々になっていないという事実があるなら、それで十分だ。
 装甲車の砲塔につけられた機関砲……口径12.7mmか20mmか。何にせよ、エレカとその中の乗員を粉砕してお釣りが来る威力がある。苦しまずにミンチになると思えば、随分と味気ない。
 軍人さんは無粋だから、楽しむ事を知らない――そんな事を考えながらユウナは、ハンドルを切ると最も近い曲がり角にエレカを突っ込ませる。
 エレカが角を曲がってタイヤを滑らせた直後、角にあったビルの壁が砲弾に砕けて爆ぜた。
 当てに来たか? 瞬間、そんな疑念を抱きつつ、ユウナは次に曲がる道を探して道路に目を走らす。
 一見、通れそうな曲がり角は幾つもある。しかし、ここはかつて戦場になった場所だ。復旧作業はされていたが、それでも大穴や瓦礫で通行不能になった道は幾らでもある。
 普段、使っている道を使えれば楽なのだが、その道はほぼ直線で道幅も広い。敵に追ってきてくださいと言っているようなものだろう。
 そんな事を考えている間に、バックミラーには装甲車が先程の角を曲がってくるのが映っていた。
「ずるいな。性能が段違いだ。せめて、スポーツエレカなら勝負になるんだけど」
 ユウナは、舌打ち混じりに呟く。
 趣味人用のスポーツタイプならともかく、一般用のエレカなど、それほどスピードの出る物ではない。狭いコロニーの中では、さほどスピードは必要とされないのだ。そこそこのパワー、そこそこのスピード、燃費最優先でバッテリー長持ちというのが基本。
 一方、相手は軍用車。装甲と武装で重いが、動力のパワーは桁違い。それはスピードにも反映される。
「でも、重い分……小回りはどうだい?」
 ユウナは急ハンドルを切り、エレカを直角に近い角度で右折させた。タイヤが悲鳴のように軋み、路上に黒く四本の弧を描く。そしてエレカは、そこにあった細い脇道へと車体をねじ込んでいく。
 ビルとビルの狭間でしかないその道は掃除などされているはずもなく、小さな瓦礫を踏みつける度にエレカはガタガタと車体を揺らした。
「これでも、安全運転主義なんだけどなぁ。金免許狙ってたのに」
 揺れるエレカの中、ユウナは苦笑を浮かべる。
 ユウナは常に安全運転を心がけていた。何せ、法定速度を守っている車のトランクを開けようとする警官はいない。
 まあ、そんな安全運転主義も今日は返上だ。ユウナは、脇道から本道に走り出ると同時に、エレカをスピン気味に滑らせて方向を変え、速度を落とさずに本道を走り出す。
 と、直後に、出てきたばかりの脇道からコンクリートの破片を撒き散らしながら装甲車が飛び出して来るのが、バックミラーに映った。
「壁を削りながら抜けてくるなんて、ガッツが有るじゃないか」
 そんな台詞を言える程の余裕など無かったのだが、それでもユウナは肝が冷えていく感覚から無理にでも気を紛らわせようと無駄口を叩く。
 それから、ハンドルをねじ切らんばかりに回して、一番近くにある角を曲がった。
 その道は、隠れ家へは通じていないが、今はとにかく逃げなければならない。
「いやぁ、スリル満点だ。楽しんでるかい、エルちゃん……エルちゃん?」
 隣に座るエルに声をかけ、ユウナは彼女の異変に気付く。
 エルは、顔を蒼白にして、恐怖に震えるというよりも痙攣でも起こしているかのように身を震わせていた。
「あ……ママが……ママが……あの時も……こ、こんな……」
 エルは、説明にならぬ言葉を短く繰り返す。
 それでも何とかユウナが察する所、エルにはこの状況はトラウマ直撃だったらしい。
 そう言えば、エルは母親と共に逃走中、オーブ軍に追い立てられて最後には母親を殺されたのだったか。
 ユウナはそう思い返しつつも、エルを哀れむではなく、沸き立つ衝動を楽しんでいた。
 実に良い。そそり立つ。これで「命だけは助けて」とか言われたら、パンツの中にぶちまけてしまうかも知れない。
 だが、今はお楽しみタイムとは行かないのが難点だった。
「大丈夫だよ、エルちゃん。大丈夫……」
 宥めようと声をかけ、それで言葉に詰まる。今、事態を好転させる材料はない。
 背後に迫り来る装甲車の気配に、背中に冷たい汗が流れるのを感じながら、ユウナは明るい声を出して言った。
「きっと、御加護があるさ」
 何の加護なのかは、そう口走ったユウナにもさっぱりわからなかったが、その言葉を聞いてエルは顔を上げる。
 彼女のその視線の先には、宇宙空間に漂うザクレロ。トールのミステール1が居るはずだった。

 

 

 ヘリオポリス厚生病院。混み合った待合室の一角に座っていたカズイ・バスカークは、他の患者や見舞客、看護婦など待合室に居合わせた他の者達と共にテレビを見ていた。
 オーブ軍による強制収容を受ける支度をして、母親を見舞いに来て偶然に見たもの……それは、オーブ軍を蹴散らすMAの姿。
 更に続けて、ZAFTのMS部隊をも一蹴したそのMAは、続く放送でその姿を現した少女の配下なのだという。少女は、そのMAがヘリオポリス市民の為の力なのだと言った。
 人々は喝采した……となれば良いのだろうが、実際はそうはならず、カズイも含め、人々はあまり大きな反応は見せず、ただテレビを食い入るように見つめてる。
 熱狂しやすい人間は大概がアスハ派として骸になっていたし、残されたのは国家に裏切られて何かを信じると言う事に疲れている者がほとんど……故に、反応は今ひとつ盛り上がらないのだ。
 自分達を救う為にオーブ軍と戦ったMAがあったという事には、絶望しかなかった未来に道が拓けたかのような思いでいる。その事に対する感謝の思いもある。だが、それでも心が動かぬ程、人々の心は疲弊していた。
 それに、オーブ軍が撃退されたのは良いが、状況が大きく変わりすぎていて、次に何をしたら良いのかなどがサッパリわからない。強制収容を受ける為の準備が無駄になったとわかるくらいだ。
 だからこそ、今は熱狂するよりもテレビに集中して、情報を得ようとしているのだ。
 何をしたら良いのか、それを探る為にも。
 そこへ、次のニュースが飛び込んできた。
 画面には、廃墟に近い位に壊れたヘリオポリス市街を疾走する一台のエレカと、それを執拗に追うZAFTの装甲車が映し出される。市街カメラの映像だろうそれは少し掠れていたが、逃走劇の緊迫感を伝えるには十分な迫力があった。
 アナウンサーは、先程の少女がZAFTに追われているのだと緊迫感を持って実況する。
 それを聞いて、流石に人々に動揺が走る。
 せっかく、助けとなる人物が現れたのに、それが奪われようとしていた。喪失しようとして初めて、人々は危機感を感じたのだ。
 待合室内にざわめきが起こる。囁きあい、呻き、嘆き、そしてそのままテレビに視線を戻す。だが、幾人かは立ち上がって待合室を出て行った。
 提示された希望は夢だったと割り切って、日常の作業に戻るのかも知れない。
 だが、そうでない者もいるのだろう。
 カズイは、待合室を出て行く者達の背を見送って、そんな事を思った。
 怖いと思う。
 ただただ、そう思う。
 あの日の戦争を忘れてはいない。いや、忘れられない。
 死ぬのだ。戦場では誰彼の一切の区別無く死ぬ。
 そんな戦場に向かうであろう人が居る。理解は全く出来ない。
 カズイの父の様に凄惨な死を遂げるのか、あるいは生きても母の様に手足をもがれ全てを失う事になるのか。カズイはそれが怖くてならない。
 戦争とは、空を飛ぶ鳥の様な物だ。人は、地べたを這いずる虫けらに過ぎない。空から降りてきてついばまれればそこで全てが終わる。
 頭を隠し、地に潜り、戦争が何処かへ去るまで隠れていればいい。なのに、どうしてわざわざ、空の下へと這い出ていくのか? 全くわからない。
 だが一方で、戦いに向かった人を笑う事など出来ない……いや、そんな資格はないのだという事も、カズイにはわかっていた。
 彼らを非難出来るのは、何か戦う以外の他の手を打つ事が出来た者だけだ。戦う勇気もなく、かといって他に何も出来ず、テレビの前で不安に苛まれているだけカズイにはそんな資格はない。それくらいの事はわかる。
「情けないな」
 呟きが漏れた。
 今のカズイには、重傷の母を支えるだけで精一杯だ。他の事にはとても手が回らない。
 そんなカズイの周りで、様々な事件が起こっている。その一つ一つがカズイのこれからに大きな影響を及ぼすもので、座視してて良いものでは決してない。
 今日のこれも、きっとそうなんだろう。
 でも、それでも、立ち上がる事は出来なかった。
 カズイはいっそ逃げ出したかったのだ。何もかも……全てを捨てて。逃げ場所がないので逃げ出せないだけで、カズイは逃げ出したかった。全てから。

 

 

「可愛い子だったねぇ」
 テレビ前に置かれたソファに座り、太めの中年女性が一人、テレビに向かって呟く。
 緊張した面持ちで、歳に合わないドレスを着た少女……エルが、熱心に台詞を語るのを見て、彼女は僅かに微笑んだ。その微笑みは酷く久しぶりのものであったが。
「昔の、あの子みたい」
 娘が子供だった頃を思い出す。学芸会で舞台に立つ、幼い少女だった頃の娘。
 中年女性は視線を僅かに動かし、部屋の片隅に付いたドアに目を向けた。
 娘はそのドアの向こうにいる。ドアの向こうの子供部屋が、娘の宝箱へと変わっていく時を共に過ごした。
 あの日、流れ弾を受け、そのドアの向こう側は、娘もろともこの世から消えてしまったけれど。
 中年女性は目を閉じ、視線をテレビに戻した。
 いつの間に時間が経っていたのか、テレビは先程の少女の演説とは違う映像を映している。
 どうやら、何かがあって少女は外へと出たらしい。そして、ZAFTに追われている様だ。
「……あらあら。あれは何処へやったかしら」
 中年女性は苦笑めいた笑みを浮かべると、ソファの前のテーブルに乱雑に積まれたチラシの山に手をやった。
「あの子がいないと、片づかないから……本当、ダメね。あ、これよこれ」
 チラシの山から一枚の紙を引っ張り出して、中年女性は満足そうに頷く。
 その紙には『携行対戦車誘導弾取扱説明書』とあった。

 

 

 装甲車による追撃は順調だった。
 敗北主義者の政務官ギルバート・デュランダルを出し抜いた甲斐があったと、車列先頭を走る装甲車の兵員収容スペースのベンチに兵達と共に腰掛けて、守備隊司令はほくそ笑む。
「殺すなよ? 生け捕りにして、たっぷり締め上げねばならんからな」
 通信機のマイクを取って、余裕たっぷりに指示を下す事も出来た。
 通信は、短距離通信のみを許可している。港湾部にある指揮所からの通信は排除した。
 誰も邪魔をする者は居ない。いや、誰にも邪魔できるものか。獲物は最早手の中にあると言っても良いのだから。
 反乱勢力の首魁は必死に逃げようとしているが、ちゃちなエレカで逃げ切れるものではない。生け捕りの目論見がなければ自ら砲手か運転手を代わりたいと思う位に基地司令は高揚していた。
 が……その高揚を冷ます音が突然に響く。
 カーンと高い、装甲を叩く音。
 最初はそれが何かわからなかった。しかし、続けて一度、二度と鳴るその音に、守備隊司令は問う。
「何だ、この音は!?」
「銃撃されてるんです。ご安心を。装甲車は安全ですよ」
 問われた兵士は、何でもない事の様に答える。その兵士は、装甲車を使ったパトロールで何度か銃撃を受けた経験を持っており、そしてそれに効果がない事を知っていた。
 先のZAFT襲撃時、オーブ軍は市民にまで武器をばらまいた。また、戦闘終了後には、かなりの量の遺棄武器がヘリオポリス中に落ちていた。
 それらは、アスハ派によるZAFTへの抵抗活動や、反アスハ派によるアスハ派狩りなどに使用されてきたのだが、使用される事もなく秘匿されていた物が今日になって引っ張り出されてきたのだろう。
 装甲車の真正面に躍り出る様な者はおらず、建物の角や窓から散発的に銃撃が行われる。
 しかし、拳銃や自動小銃程度では、装甲車をどうにか出来るはずもない。装甲車の表面で火花が散って終わりだ。
「愚かなナチュラル共が、無駄な攻撃を」
 守備隊司令は、その抵抗を蔑み笑う。そしてわざわざベンチから身を起こし、後部ハッチにつけられている銃眼から外を覗き見た。
 すぐ後ろを走行する装甲車二両。その表面で時折、火花が散るのが見える。それが弾着の証なのだと察して、守備隊司令は満足げに頷きつつも、侮蔑の笑みを更に深くした。
 自分達に刃向かう者は全てナチュラルだ。ナチュラルなのだから、愚かで脆弱で当たり前なのだ。
 無力すぎるナチュラルを意にも介さず、反抗の首魁を討つ。思い描くそんな姿に、守備隊司令は自身のヒロイズムを満足させた。
「たわいのない。こんな連中を恐れる、政務官殿の気が知れないな」

 

 

 彼女は、車列の最後尾を行く装甲車の中にいた。
 ZAFTには長く勤めている。だが、兵士と言えば格好は付くだろうが、所属は会計課であり、軍務にまつわる書類仕事が任務だ。
 歩兵としての訓練も受けた事はある。しかし、それは戦えるという事を意味しない。それなのに、守備隊司令の命令で動員され、歩兵として装甲車に乗せられてしまった。
 そんな自分が纏うヘルメットと、握りしめる小銃が重い。
 装甲車に同乗しているのは、ほぼ全員が彼女と同様の立場の人間であり、つい先程までは戦いに赴く事など考えても居なかった者ばかりだ。誰もがその顔に不安を露わにしつつ、小銃を持て余し気味に抱え込んでいる。
 基地にいたほんの僅かな本当に戦える兵士達は全員、守備隊司令の装甲車に乗っていた。
 戦えない兵士ばかりを詰め込んだ装甲車……出撃前に、敵はナチュラルだから戦闘になっても鎧袖一触蹴散らせると勇ましい言葉を嘯かれてはいたが、それを信じていても怖いものは怖い。
 戦いの不安から逃れようと、別の事を考えようとする。
 今日、ついさっきまで手がけていた書類……補給に関する申請書で、今日中にまとめてデータ化してプラントに送らなければならないが、間に合いそうにないなと。
 残業かな? ああ、手当が出るわけでもないのに。
 休みが欲しい。次の休みは何時だっけ? プラントに帰りたい。
 お母さんが、子供を作れる相手を調べて結婚しなさいって言ってたっけ。こんな事やらされるなら、言う通りにしておけば良かった。
 いや、これが終わったらZAFTを辞めて、お母さんの言う通りに……

 

 

 街路の角で、廃ビルの窓で、残骸の影で。誰と言える程、人々は統一されてはいない。老若男女関係なく、ただ銃を持ち、恐怖に怯える事無く、されど狂気に陥る者無く、ただひたすらに銃撃を行う。
 戦いが日常の中に忍び込み、恐怖は慣れが麻痺させていた。
 未だ失うモノを持つ人はまだ正気で居られたのだ。全てを失った人には何も残らなかった。狂気に到る心さえ残っては居なかった。
 何でも良かったのだ。ただ、理由があれば良かった。それは、アスハ派狩りと言われた殺戮も同様だったのかも知れない。
 戦う事にだけ意味を見出す事が出来た。死ねば解放されるし、殺せば自身の失われたモノへの手向けとなる。
 襲撃に加わる全ての人の中に、歓喜の情があった。戦いは「祭り」に等しかった。
 拳銃、自動小銃、機関銃。雑多な火器が用いられ、装甲車の表面で弾ける。
 車列二番目の装甲車に、長く尾を曳く炎が突っ込んでいった直後、その装甲車は突然横腹に爆発を起こし、その衝撃で路上を横に滑った。
 更にそこへ後続の装甲車が突っ込んで互いを弾き飛ばし合う。
 体勢を完全に崩した状態で追突される形になった前の車両は、跳ねる様に宙に浮き上がり、横転して地面に叩きつけられる。
 後続車は衝突の衝撃で進路を曲げ、街路脇に積まれた瓦礫の山に突っ込んで、その身を埋める様にして動きを止めた。
 何が起こったのか?
「テレビで見てたんだよ!? 何だい、相手は子供じゃないか! あんたら、子供を虐めようってのかい。みっともない!」
 街路の端、太めの中年女性が道の脇に仁王立ちになり、空になったミサイルランチャーを片手に怒鳴っている。そして、気持ち良く怒鳴り終えると、ランチャーを持ったまま、集合住宅らしきビルへと入っていった。
 中年女性が去って僅かな間を置き、街路には方々のビルから人々が出てくる。大方は、その手に銃を持っており、彼らが今まで装甲車に攻撃をかけていた市民だというのは明らかだった。
 街路には、動きを止めた二両の装甲車。
 周囲を囲う市民達の中、誰かが装甲車に向かって一歩、足を進める。他の誰かも追随する。誰かが走り出す。誰かが雄叫びを上げる。
 皆が走り出す。雄叫びが怒号に代わる。

 

 

 目の前の出来事だった。
 一発のミサイルを浴びた装甲車が破壊され、もう一両もそれに巻き込まれて大破する。
 その光景が、どんどん遠くなる。と……その光景が遠くなる速さが鈍った。
「な、何をしている!? どうして止める!」
 破壊された後続の装甲車を為す術もなく見ていた守備隊司令は、自分の乗る装甲車が止まろうとしているのだと気付いて声を上げた。
「停車して、仲間の救出を」
「こ……ここで止まっては、敵を逃がすだろう!」
 守備隊司令は、兵士からの進言にヒステリックに叫び返す。
「そ……装甲車なら、中にいれば安全だ。敵を倒した後でも、十分に救出出来る」
 横腹に大穴を開けて横転している装甲車があるというのに、安全も何も有りはしなかった。
 ちらりと銃眼に目をやる。今まで隠れて戦っていた市民達が街路に溢れ出て、動かない二両の装甲車を取り囲もうとしているのが見えた。
 装甲車の中、兵達がどんな状態であるかは知れない。無傷とはいかないだろう。
 それに、攻撃を受けた車両には、戦闘員とは言い難い兵……守備隊司令が出撃時に掻き集めた後方要員達が多数を占めていた。
 救出に行かなければ、彼らは非常に危険な状況に陥る事となる。
 装甲車の機関砲を撃ちながら飛び込んでいってあの領域を占拠。兵を出して、二両の装甲車から負傷者を救出する。それは十分に可能な筈だ。
 だが、ミサイル攻撃があるかも知れない……つまり、敵が自分を殺す手段を持っており、自分が無敵ではないのだという事を知らされた今、敵の群れの中に飛び込む事は恐ろしかった。
 ……恐ろしい? コーディネーターの自分がナチュラルを怖がっているのか?
 守備隊司令が自分の考えに愕然とした時、脳裏にチラと宇宙の映像がかすめた様に感じた。虚空に殺戮を為すモノ……
「ひっ……」
 何故か、それ以上に思考をする事は出来なかった。
 だが、心の奥底から沸き上がってくる恐怖感は変わらない。
 戻って兵を救出するという指示は出せなかった。
 それを、敵の首魁を抑える事こそが至上なのだと理屈をつけて合理化する。
「は……早く追跡を再開しろ! 遅れれば、その分だけ味方を救出する時間が遅れるぞ! 早くしないか!」
「……了解しました」
 兵士は一瞬、抗弁する気配を見せたが、怒りを溜息と共に吐き出して命令に従った。
 仲間を見捨てろと言う命令を、安全な所から喚くしか能がない男に言われれば、そんな反応を見せもするだろう。
 それでも、従って見せたのはその兵士の矜持からだけなのかもしれない。他の兵士達も反抗の兆しを見せていたが、その兵士が従って見せる事で各々感情を抑えた。
 装甲車は再び速度を上げ、ユウナとエルの追跡を開始する。

 

 

「あっはっはっはっは! やるじゃないか、ヘリオポリス市民も!」
 装甲車に対する攻撃があった事は、爆発音とバックミラーで知る事が出来た。
「このコロニーに澱の様にへばりついた狂気! それに蝕まれた最高に素敵な人達だ。こうなったら、彼らを絶対に手に入れるぞ!」
 ユウナは高揚して声を上げつつ、装甲車の追跡を振り切る為に折り返しを繰り返していた進路を改め、進路をまっすぐに隠れ家としているシェルターへと向ける。
 エレカは修復が進んだ大型道路に出て、スムーズに街を走り抜けていく。
 巻き込まれなかった装甲車が止まろうとしている所までは見ていた。
 普通ならそうする。当たり前の判断なら、止まって味方を救出するだろう。そして救出した味方の治療の為に帰還する。そうユウナは考えた。
 だが、その考えは覆される。
 エレカが街を出ようとしたその時、装甲車はエレカの後方に姿を現した。
「な……見捨てた!?」
 時間的に考えて、それしか有り得ない。ユウナは、ZAFTが味方の兵を見捨てて追撃してきた事を悟り、白面のマスクの下の顔を青ざめさせた。
「しまった。あいつ等、馬鹿か、そうでなけりゃ英雄だ」
 エルとユウナを捕まえて、それで味方を見殺しにした罪に問われれば馬鹿。捕まえた功績で上手い事やれれば英雄。何にせよ、普通じゃ無いらしい。
 だが、それが解った所でどうしようもなかった。
 エレカは今、街を抜けて開発地域とされている平原に飛び出してしまっている。ここでは、身を隠す場所もありはしない。
「あ……ああ……ここで……ここでママが……ママが……」
 助手席のエルは、恐怖に目を虚ろにさせて譫言の様に呟いている。
 どうやら、過去のトラウマと、自分達の境遇が見事に重なっているらしい。
「冗談じゃないぞ」
 ユウナは、ハンドルを握る手に力を込めた。
 エルが壊れかけている。さすがに母を殺した状況の再現は、精神に過度の負担となったらしい。
 しかし、現状ではその再現を止めるわけにはいかなかった。
 遮る物のない開発地域。追ってくるのは、性能的にも戦力的にも段違いの装甲車。捕まればそこでお終い。
 とりあえずユウナはアクセルを目一杯踏んでエレカを走らせるが、装甲車との距離は縮まるばかりだった。
「お……にいちゃん……トールおにいちゃん……」
 助手席から、祈りの声が聞こえる。
 その声を聞きユウナは、恐怖に縮こまっていた竿がぐんといきり立ったのを感じた。
「ふ……ふふぅ」
 エルは、宝石の様に輝き、蜜の様に甘い、とても素晴らしい少女だ。“浮気”しないように我慢しなければならない辛ささえもが甘美なのだ。
 それを、こんな所で、あんな連中に壊されてたまるものか。
 ユウナは、そんな思いからエルを守ろうと頭を働かせる。恐怖に鈍っていた頭が、素早い回転を取り戻した。そして……
 その明晰な頭脳が弾き出した答は、『これは詰んでるんじゃないか?』だった。
 直後に、装甲車が放った機関銃弾がエレカの周囲を耕し、数発の弾丸がついでとばかりに運転席側の後ろ半分をもぎ取った。
「きゃあああああああっ!」
「ぐっ…………!?」
 振動。そして、回転する車体にユウナとエルは翻弄される。
 そしてエレカは、道から外れて止まった。かつて……エルの母が死した時と同じ様に。

 

 

 エルはずっと震えていた。その間はまるで、夢を見ていた様にも感じる……
 やがて、車は街を出る。この先は開発地域とやらで、何もない平原や森が続き、外壁に当たるまでは何の施設もない。
 車は、郊外の森の側を抜けていく。と、そこに来た時、エルはふと窓の外を見上げた。
 空から下りてくる人……MSの姿が見える。
 直後、背後から、先ほど屋敷を出る時に聞いたのと同じ連続音が響き、車がいきなりスピンを始めた。エルは助手席にシートベルトで留められたまま振り回される。
 ――僅かな時間、エルは気を失っていた。
 目覚めたエルは、まっさきに“母親”がいる運転席を見る。“母親”は……ハンドルにもたれる様に身体を倒していた――
 逃げないと……
 そう考えてエルは、エレカのドアを開けて外へと出る。
 それから、ふらつく身体を必死で動かして、運転席の方へとまわった。
「ママ! ママぁ!」
 運転席を開こうとするが、開かない。呼びかけても、中の“母親”は動かない。
 エルは必死で呼びかけながらも、その光景を何処かで見た様に感じていた。
 一度見た光景。一度繰り返した行動。そう、そして……確かこの後に……
「トー……ル……?」
 誰かが来てくれる。そんな気がした。

 

 

「ははっ……やったぞ!」
 守備隊司令は装甲車の中で一人喝采を上げた。
 装甲車はついにエレカを追いつめ、機関砲を浴びせて停止させるに至ったのだ。
「つ、続けて撃て! 殺せ!」
「今なら逮捕が容易に出来ますが?」
 守備隊司令の命令に、兵士が言葉を返す。
 相手には恐らく武器もない。容易く取り押さえる事が出来る。
 その進言に守備隊司令は少しだけ頭を働かせる。
 逮捕するのは良い。そっちの方が手柄が大きくなる。何か情報でも引き出せれば、さらに手柄となるだろうが、それには生かして捕らえる必要がある。
 捕らえる為には何をしなければならないか。兵士達を向かわせる。それは良い。兵士達が戦ってくる分には、何も恐れる事はない。
 兵士達を向かわせるにはどうしたらいいか? 装甲車のハッチを開けて……
 そこまで考えた所で、守備隊司令の中に恐怖が沸き上がった。
 ハッチを開けるという事は、守備隊司令自らが外敵に姿をさらす事になるではないか。それに逮捕なんて悠長な事をしている間に、またミサイル攻撃を受けたらどうなるか……
「ダ! ダメだ! 危険だ! さっさと殺してしまえ! 終わらせて、基地に帰るぞ!」
 敵が狙っているのだ。自分を。
 心の奥底から、何かが這い出てくる気配がする。
 恐怖の魔獣は、その無機質な目で虚空から獲物を見つめている。
「あ……安全な場所へ。早く……見つかる前に……」
「守備隊司令殿?」
 兵士は怪訝な表情を浮かべて首を傾げた。
 幾ら何でもおかしい。常に冷静であるコーディネーター……プロパガンダに過ぎないのだとしても、これ程に取り乱す事があるのか?
 無能が服を着て歩いている様な人物が自分達のトップだという事を認めたくない気持ちはあるが、それにしてもこれはあまりにも常軌を逸しておかしいのではないだろうか?
「何かあったのですか?」
 兵士は以前に一度だけ見た、ナチュラルの新兵が戦闘の恐怖で恐慌状態になっている様を思い出した。あの時は笑ったものだったが、守備隊司令の様はあの時の新兵の様だ。
「う……うるさい! 早くしろ! いや……私が。私がやる。退けろ!」
 守備隊司令はわめきたて、兵士を押しのけると操縦席に隣接するガンナーシートに歩み寄る。そして、そこに座していた砲手を押しのけて、自分が座った。
 目前のモニターには、サイトと大破したエレカが映っている。手元には、機関銃の操縦桿。それを強く握り、トリガーに指をかける。
 守備隊司令の身体の震えが移って、モニターの中の映像が細かく揺れた。だが、この距離で動かない目標が相手ならば、多少の震えなど大した影響でもない。
「ははは……私を煩わせるからだ。死ね!」
 守備隊司令は、操縦桿のトリガーを引こうと……

 

 ――それはやってきた。

 

 直後、装甲を貫いて届く轟音と振動。そしてモニターには、冷徹な光を宿す単眼と鎌状の腕を持つ鋼鉄の魔獣が映り込む。
「は!? ひっ……ひぃいいいいいいっ!?」
 それが何なのか脳が理解するよりも早く、守備隊司令は悲鳴を上げていた。
 ――それはやってきた。
 喰らう為に。滅ぼす為に。屠る為に。
 心の底が理解する。魔獣が来たのだ……
「ふ……ふわっ! くひゃあああああああああああっ」
 意図してではなく、反射的に握り込んだ手が操縦桿のトリガーを引く。
 機関銃弾は眼前の魔獣の身体の上で弾け、全身を炎の粉で彩る。
「止めろ! 止めてくれ! 何だ? 何なんだお前は!? 何故……何故、私の所に」
 守備隊司令はトリガーを引き続けながら叫ぶ。だが、魔獣は答えない。
「何故……」
 直後、魔獣は装甲車に飛びかかった。モニターの中の魔獣の姿が一瞬で大写しになり、そして装甲車の中は激震に呑まれる――