機動武闘伝ガンダムSEED D_SEED D氏_第五話(前)

Last-modified: 2007-11-10 (土) 21:15:16

タリア「と、いうわけで、そちらの力をお借りしたいのです。直接の関わりがない私では説得できないでしょうし」
アズラエル『……衛生管理はどうなっているんですか、彼らは… まあいいでしょう、話はこちらでつけます』
タリア「感謝します、ムルタ=アズラエル」
アズラエル『いえいえ。これ以上の撮影の遅滞は致命的ですしね』

ヴィーノ「なあ、まだノロウイルス騒ぎ収まってないらしいぜ」
ヨウラン「マジかよ? もうすぐ五話の撮影なのに」
ルナ「それじゃ、ダコスタもバードマン役ができないってこと!?」
レイ「まずいな。チャップマン役はバルドフェルドで決まっていたはずだ、奴に関連する人間が他にいたか?」
ルナ「アイシャさんはマノンさんで鉄板だし…」
ヨウラン「どうするつもりなんだろ、かんちょ…監督」
シン「おーいルナ、そろそろ撮影だぞ」
ルナ「おっけー。あ、ねえシン、ダコスタの代役、誰になるか知ってる?」
シン「全然。監督も教えてくれないし、アーサ…カメラマンが『知らないほうが生のリアクションを撮れる!』って力説してさぁ」

アビー「いいんですか監督、これじゃ後々の台本にまで…」
タリア「決めたわ、アビー」
アビー「はい?」
タリア「どうせジュール隊を引っ張ってきたことで台本に無理が出てきたんだもの。こうなれば一から見直さなければ」
アビー「そ、それって配役全部見直しってことですか!? 途中で無理矢理変更したシナリオがどんなことになるか…!」

かくして、『機動武闘伝ガンダムSEED D』の台本には急遽、大掛かりなメスが入れられたのだった。
果たしてどうなることやら。

アーサー「本番入りまーす! 3・2・1・Q!」

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「さて…準備はいいか? 良ければお前達に、このガンダムファイトを説明させてもらうぞ。
 そもそもは六十年前に遡る。大戦争で汚れきった地球を後に宇宙に上がった人々が、コロニー国家間の全面戦争を避けるため、
 四年に一度、各国の代表を『ガンダム』と名付けられたロボットに乗せて、『ファイト』と称し!
 戦って! 戦って! 戦い合わせ!
 最後に残ったガンダムの国がコロニー国家連合の主導権を手にすることが出来る…
 ……何ともスポーツマンシップに溢れた戦争だよ。
 これで人類が滅びに直面するような危機は避けられた。だが残された問題が一つ。
 ファイトの舞台は地球。そう、俺達が住む汚れきった地球だ…
 以上がガンダムファイトの骨子だ。
 だが今回の大会は、どうも普段とは様子が違うらしい…」
「そこのお前! この写真の男に見覚えはないか!?」
赤い鉢巻と赤いマントに身を包んだシンが、いきなり写真を突きつけてくる。
半ばから破られた写真。褐色の髪の少年が、誰かと肩を組み、じゃれあうように笑っている。
相手が誰なのかは、破られていて分からない。
ドモンはそれを受け取り、少し考え込む仕草をしたが、すぐさま皮肉めいた笑みを浮かべる。
「この写真がどんなファイトの嵐を巻き起こすことになるのか? …それを知っているのは底意地の悪い神様くらいのものだろう。
 今日のカードはネオロシア代表、ボルトガンダム!
 ファイターはプリズナー…即ち囚人、だそうだが…果てさて…」

ドモンがマントをばさりと脱ぐ。
下から出てきたのはピチピチの全身黒タイツ、即ちファイティングスーツだ!

「それではッ!
 ガンダムファイトォォ! レディィ…ゴォォォ――――ッ!!」

第五話「大脱走! 囚われのガンダムファイター」

ネオロシアの町は、極寒と言うに相応しい。

貧困とガンダムファイトは、世界規模の文明の平均化をなくし、地方ごとの生活スタイルを取り戻させていた。
財力のない国は、コロニーの暮らしのような人口の快適さを作る手段を持てないのである。
それは地球にとってはエコと言える――そんな意見を言う人間は大抵コロニー育ちで、地球の現状を知らない者たちだ。
未熟な技術ゆえに過去の公害を再現してしまうことの方が圧倒的に多い。
ルナマリアもまた、今回地球に降りてくるまでは、地球の問題は環境団体が大げさに言っているだけの話半分、と思っていた。
だからここに至って防寒着を買い込む羽目になったのである。
いくらコーディネイターでも、人間、大きく言えば恒温動物であることに変わりはない。
北国、それも絶えずブリザードが吹き荒れる国でミニスカートなど、ミスマッチもいいところだ。
幸い資金は必要経費で落とせるので、躊躇いなくスパッツとロングコートを買った。
なんでも材料はカモシカの毛皮らしい。
コロニーの感覚にすれば超高級品だが、この町ではこれしか売っていなかった。
資材と技術のない場所では、天然物より石油加工品の方が高価なのである。

「うー、さぶー」
重い灰色の空の下、昼でも暗い針葉樹林。ぴょこぴょこ、とコアスプレンダーの中から赤い毛が覗く。
「もう、馬鹿シン、どこに行ったのよ」
ルナマリアはコアスプレンダーのコンピューターと格闘していた。
シンがこのネオロシアの町に来たことまでははっきりしている。
だが、目撃情報とコアスプレンダーがあっても肝心のレーダー反応がない。
シンの行き先は地球の上、と言い切ったルナマリア、地球の広大さを知らないわけでは決してない。
よく行方不明になる相棒のために、彼女は内緒で赤鉢巻に発信器をつけさせてもらっていた。
断りを入れると、いつぞやのパスポートのように捨てられるかもしれない、と思ったのだ。
「どこも故障してないのよねぇ… ひょっとして気付かれたのかな…? まさかね」
そんな注意深さが彼にあるわけがない。
だとすれば…
「なくした? それとも電波障害でもあるのかしら? 吹雪で電波が消えてるとか…」
無駄に推測ばかりが浮かんで消えていく。
いい加減に腰がきつくなってきたので、思い切り背伸びをした。
(メイリンが見たら『若さがない』なんて言うかもね)
ふと妹を思い出す。しばらく会っていないが、元気だろうか。『彼』にとことんついて行くと言っていたが…

あまり思い出したくない記憶まで浮かんできた。自分の思考から逃れるように、窓の外を見る。
針葉樹林の向こうに、海と小さな島が見えた。
その島の中には、ネオロシアの囚人収容所がある。
いくら貧しくても国は国、あのトダカやソフィア達のように、人々はそれなりに暮らしている。
司法は働いているし法律もある。
無法になるのはファイト期間中、それもガンダムファイターに対してだけだ。
だからここも、無期懲役の囚人を容れる場所として機能し続けている。
しかし……

「どうしてこうも…っ…警察には縁があるんだ!? 俺が一体何をしたってんだよ!」
よりによってその収容所の、しかもマンホールの下で、ルナマリアの探し人は悪態をついていたのだ。

話は数時間前に遡る。
ネオロシアに入り、ファイターを探して対岸の町に入ったシンは、いきなりこの収容所に連行された。
デジャ・ビュであるが、ネオイタリアでの出来事とは違い、懐かしい顔はいない。
取調室でも彼らはひたすら高圧的に迫ってきた。
「さあ言え! お前はガンダムファイターで、この町に我がネオロシアのファイターとファイトするために来た!違うか!」
「何度も言ってるだろうが! 俺はただの…旅行者…!」
「まだ言うか小僧!」
容赦なく警棒で打ち据えられる。
余程暴れてやろうかと思ったが、両手の上に両足まで縛られて椅子に座らせられている以上、
下手に抵抗すればチャンスを潰すことになる。
こっそり外すまでの間は大人しくしているしかない。
警官が力任せに警棒を振るう。シンの体がとうとう椅子からずれ落ち、床に転がった。
(コイツ…絶対殴る…!)
そう決意させたとは知らず、警官はシンの頭を踏みつける。
「さあ、お前のガンダムのありかを言え!」
「知らないものは…知らないんだよっ…!」
「この…!」
「待て。そいつはただ町をうろついていただけなんだろう?」
「ですが所長、こいつはしきりに誰かを探していたということで…!」
「それだけでファイターと決めるわけにもいくまい」
所長が慎重な姿勢を見せる。逡巡の気配と共に、頭から警官の足が退かれた。
しかし…

「いいや。その少年はファイターだ」
新たな声がする。
シンは床に転がったまま、声の主をにらみ付けた。
こちらに背を向けて椅子に座っている、マントを羽織った長身の女性。
取調室の貧弱な電灯でも、その長い黒髪は見事と分かった。
鴉の濡れ羽色、という言い回しは知っているが、実際にこの目にしようとは。
振り向かぬまま、女は続ける。
「我々の情報網を疑うというのか? その少年はネオジャパンのファイターに間違いない」
「しかしですね…」
所長は反論しようとするが、女性の方を向こうとはしない。
畏怖を女性に感じている、とシンは見て取った。自分自身もまた、彼女の声には圧倒されるものを感じたからだ。
ごく自然な威圧。
所長はプレッシャーから逃れるべく、没収したシンの持ち物を広げ、視線をさまよわせた。
と、その視線が一枚の紙切れの上で止まる。
五つの国名が書かれている。

ネオイタリア。ネオアメリカ。ネオチャイナ。ネオフランス。ネオロシア。
そのうちネオロシア以外は×印で潰されていた。
裏返してみれば、それは古い写真である。半分に破られ、褐色の髪の少年が写っている。
所長はかがんで、床に倒れたままのシンに写真を突きつける。
「誰だ、この少年は。隠すとためにならんぞ? ん?」
瞬間、シンが思い切り拳を振るった。所長はもろに眉間に食らい、よろけた。
不安定な体勢からの一撃だったので、それほど威力はなかったが、それでも急所に入れられれば怯む。
シンは跳ね起き、写真を掴み取ると改めてもう一撃入れた。今度こそ所長は吹っ飛び、床に倒れ伏した。
それを警官は、ただぽかんと見ていた。
目の前の光景が信じられなかったのだ。いつの間に少年の四肢が自由になっているのか。手錠をかけたはずではなかったか。
この警官にもう少し余裕があれば、外された手錠が床に落ちているのを見ていただろうが、そんな暇はなかった。
「さっきはよくもやってくれたな!」
声と同時に拳を叩き込まれる。二発、三発、四発、五発… 人間サンドバッグにされた警官はよろめき後ずさり、倒れた。
シンは怒りを吐き出すように息をつき、足早に取調室を出ようとする。
「どこに行くつもりだ、シン=アスカ?」
ドアノブにかけようとしていた手が止まる。
振り向けば、あの女性が椅子に腰掛けたまま、こちらを見ていた。手には鞭。二つの目がシンを射抜く。
――蛇に睨まれたカエル、とはこのことだろうか。頭の片隅でシンは思った。
この女性には威厳がある。自分が他者よりも上の立場であることを自然とし、それを受け入れている…王者の風格。
こいつは危険だ。本能がそう叫ぶ。
「ここは海に囲まれた島だ。逃げ場などないぞ」
「完全に外と切り離されてるわけじゃないだろ。本国にいたはずの俺がここにいるのがその証拠だ」
反論できたのは、自分の中に譲れないものがあったからだろう。
女性が笑う。嘲るように、そしてどこかいとおしむように。
(俺を自分のペットとでも思ってるのかよ!)
反感が募る。
「じゃあな。そいつら早く手当てしてやれよ。でなきゃどうなっても知らないぜ」
「何故私には手を出さない?」
「あんたは俺に何もしてない。それだけだ」
違う。
手を出せないのだ。怖いから。
自分の心を認めたくなくて、シンは乱暴にドアを開け、外に出て行った。
ドアの閉じる様を見ながら、女性は一層笑みを深くした。

「二度と御免だ、あの女は…!」
マンホールから顔を出す。サーチライトが通り過ぎたのを確認、すぐさま地上に身を躍らせ、草むらに駆け込んだ。
「それにガンダムを探して…何が狙いだ、こいつら」
ネオイタリアのように、ガンダムを追い出そうとするなら話は分かるが…
考えても仕方ない。今はとにかく、この島を出ることだ。
サーチライトが途切れた瞬間を狙い、シンは飛び出した。ひた走る。
と…
「諦めてください」
どこか機械的な男の声がした。

崩れかかった建物の階段に、人間が立っている。
偶然、一瞬だけサーチライトが彼を照らした。
色素が薄い。だが体は屈強だ。腕には、その体躯に見合った大きな手錠。
ある程度以上手が離れれば自動でビームチェインがつながる、コロニーで使われるような最新式だ。
彼もまた囚人なのだろう。
「あなた一人では、どうやってもこの島からは抜けられません」
まるで事務的なことを話すように――実際、彼にとっては事務なのだろう――彼は淡々と告げた。
それが妙に勘に障る。
「抜けられるかどうかは俺が決める。どうやらあんたも囚われの身らしいが…寝ててもらうぜ!」
シンは体を低くし、男に突撃した。みぞおちに拳を一撃。それで手早く眠らせるつもりだった。しかし…
どん。
鈍い音。シンは目を疑った。
さらに数発、拳を入れるが…
どん。どん、どん、どん。
「お、俺のパンチが!?」
つい先程も警官二人を倒した自分の拳が通用しない。
殴っても殴っても、まるでコンクリートブロックでも殴ったような感触しかしない。
半ば呆然と男の顔を見上げれば、相変わらずの無表情だ。
彼が両手を組む。振り下ろされるそれを、シンは眺めることしか出来なかった。

「そこまでだ、フォー・ソキウス。その少年にはまだ聞かねばならぬことがある」
「了解しました、ロンド=ミナ=サハク様」

(あの…女…!)
その思考を最後に、シンの意識は闇に沈んだ。

「……ですが隊長…いえ……それくらい分かってますよ! でもいくら外国のことには口出しできないからって…!」
コアスプレンダーの中で、ルナマリアは声を張り上げていた。無線の向こうからは、嫌になるほど冷静な男の声がする。
「……了解しました。今しばらく様子を見ます。……何考えてるんですか隊長っ!
 私だって己の立場はわきまえてます! それじゃ切りますよっ!」
ふつり、と声が途切れる。再び無音となったコアスプレンダーの中で、ルナマリアは何度目になるか分からない溜息をついた。
「事件は現場で起きてるんだ! って言ってやりたいわ…」
レバーに覆いかぶさるように腕を組み、身をもたせかけ、ルナマリアは呟いた。
見上げれば、空は相も変わらず灰色。だがルナマリアが見ようとしているのは雲の向こうに浮かぶ国々だ。
「こんな感じなのかな…地球の人たちって…」
ふうっ、と息をつく。白い息だ。
機内の温度が下がっていたことに気付き、慌ててヒーターを強くした。道理で手の動きが鈍くなっているはずだ。
「危ない、あやうく風邪ひくところだったわ」
ロングコートを着たまま、今度こそルナマリアは組んだ腕に頭を乗せた。
少しずつ機内が暖まっていく。
「馬鹿シン…どこで何やってるのよ…」
少女はぽつりと呟いた。

――シン! シン=アスカ!
(……さい…)
――どうした、あの男はどうした! 早く探し出せ! そしてあのデビルフリーダムを!
(うるさい…)
昏々と眠る壮年の男。鮮やかな金髪も、精気に満ちていた目も、今は色彩のない世界にある。
触れようとしても触れられない。ガラスの壁が邪魔をして。
それが消えれば今度は、凍りついた小さな右腕。つながっているはずの胴体は…ない。
――そうだ、シン君。彼を助け、彼女を生き返らせるにはその方法しかないんだ。
(うるさい…!)
――それが出来るのは、君だけだ。君だけなんだよ、シン=ヒビキ君!

「うるさい! 俺をその名で呼ぶなぁッ!!」

気がつけば、シンは室内にいた。灰色の天井が冷たい印象を与える。
辺りを見回せば、三面コンクリート、一面鉄格子。部屋の中には毛布と簡単な便器。
典型的な牢獄である。気がつけば自分も囚人服になっていた。
シンはゆっくりと深呼吸をした。どうやら夢を見ていたらしい。…いつもの、あの夢だ。
「どうかしたのか? 随分とうなされていたな」
隣の独房から声がする。女の声だ。それもどこかで聞いたような…
(フレイ=アルスター!?)
反射的に身構える。が、壁の向こうの声は一つ呆れたように息をついた。
「何もしやしない。君は私とは別の部屋だろう」
「……いや…人違いをしたんだ。悪かった」
「思ったより素直だな。あんな剣幕で怒鳴っていたにしては」
「…………」
シンは口を尖らせ、ぷい、と横を向いた。その気配を感じたか、隣からまた声がする。
「気を悪くさせたなら謝ろう。だがな、一つ忠告させてくれ。ここに入った以上、何もかも諦めたほうが良い」
「……はぁ?」
諦めろ。それのどこが忠告だ?
「君はガンダムファイターだろう?」
「…………」
「隠しても無駄だ。ここには四年に一度、君のような人間が入ってくるからな…罠にかかって」

壁の向こうからの声は、ナタル=バジルールと名乗った。
曰く、ネオロシアは対岸の町にネオロシアのファイターがいると情報を流し、他国のファイターをおびき寄せている。
町に入ったらすぐさま逮捕し、この収容所に放り込む。
こうしてネオロシアは戦わずに勝利を重ねることが出来る。
サバイバルイレブン中は何勝しても変わらないが、決勝で当たる人数を減らし、
何より『絶対に負けない』ことを考えれば有効な手だ。
「それでネオロシアのファイターは満足なんですか?」
「さあな…。ファイターにも色々いる。闘いが好きな者、勝利だけに拘る者、何か目的を果たすために否応なく戦い続ける者…」
「……ネオロシアのファイターはどのケースなんです?」
「私も知らない。こんな牢獄で年を取るだけの女が、そこまで事情通だと思うか?」
「あ…すみません。その、何でも知ってるみたいに思えたんで…」
思わず頭をかきながら謝ってしまう。
隣からは、かすかに笑ったような気配がした。

ロンド=ミナ=サハクは、収容所の窓から外を見つめていた。
相変わらず色彩のない空だが、何を期待しているわけでもないのでなんとも思わない。
むしろ彼女が気にしているのは…
「さすがでございますな、ミナ様。我々の手の者を囚人の中に潜り込ませ、諦めの感情を植えつけさせ、
 ガンダムの居場所を吐かせる……きっとあれも上手くやることでしょう」
「迎合は要らん」
「はぁっ!」
所長は素早く一礼する。だらだらと汗を流して。ミナはそれを振り向くことなく、変わらぬ空を眺めていた。

翌日の労働時間に、シンはナタルの姿を見ることが出来た。
年齢は二十代半ば。短く切り込んだ黒髪、きつい目元。一目で几帳面な女性と分かる。
それなりの服を着て、清潔な環境におきさえすれば、かなりの美人と思えたが、半面近寄りがたさがある。
真面目さが度を過ぎて男を逃がしてしまうタイプだろう。
「シン=アスカ、何故こちらに来る?」
「え?」
「男の作業場はそっちだ。ガールハントでも企んでいるのか?」
「ち、違います! 失礼しましたっ!」
危うくナタルについていきそうだったシンは、飛ぶように走り去っていった。
彼の背中を見送るナタルは、自分の言葉に苦笑した。
まさか今になっても冗談が言えるとは。
会話は人の頭を回転させる。牢獄生活の長いナタルにとっても、
シンとの語らいは頭に新たな刺激をくれる――歓迎すべきものだった。
(牢獄でガールハント、か… 『彼』ならやりそうだが、さすがに『彼女』が黙っていないだろうな)
かすかに笑みを浮かべ、ナタルは仕事場に向かう囚人の流れに乗る。
(懐かしい記憶だ… 二人とも、元気にしているだろうか?)

その日、シンはかなり憂鬱になって戻ってきた。
原因は分かりきっている。
「その様子だと、見たんだな? あれを」
シンは答えない。
仕事場に行く途中に見たもの。直立不動のまま、分解されていくガンダム達。
「ネオロシアの連中は、ああやって他国のガンダムを解析して、自国のガンダムにフィードバックしている。
 強いわけだ、他国の機密を盗んでいるんだからな」
ナタルは盗みという点で怒っている。だがシンは違った。
(分解されたガンダム達…)
本当ならもっと戦えるはずだったのに、こんなところに押し込められ…
技術の進歩という名目で、研究者に好き勝手に弄くられ…
何故かは分からない。だがシンの中の何かが、あの光景に怯えている。
(何でこんなに気になるんだ。ガンダムって言ったって、極論しちまえばたかがマシーンなのに)
そう強く思っても、悪寒は消えない。

「そう…ガンダムを作った技術者達には、その点で悪いのだが…」
シンが反応を返さないので、ナタルが話を続ける。シンにはありがたいことだった。
「ファイターにとっては、ここは極楽とも言えるな。大会中に姿をくらましたファイターは国家反逆者。
 ここを出られたところで、今度は追われる身になるだけだ」
「自由はない、と言うんですか?」
「ああ」
「そんなのは気の持ちようじゃないですか。自由なんて…」
自分の声が低くなっている、とシンは自覚する。
どうしてこうも、ナタルとの話は自分の心を抉るのだろう。
「自由なんて、あると思えばあるし、ないと思えばないんですよ」
「悟ったようなことを言うな、君は」
「そういうナタルさんだって、裏事情に随分詳しいじゃないですか。ナタルさんこそファイターだったんじゃないですか?」
「馬鹿を言うな。私はただの…は…」
「……?」
「は、犯罪者…だ」
不自然な沈黙が降りた。
「嘘が下手ですね」
「本当だ! そ、それより、いい加減諦めたらどうだ? 何もかも諦めて、ガンダムの居場所を吐けば、楽になるぞ」

楽になる? 本当に?
シンの脳裏に、金髪の男性の姿が浮かぶ。続けて、褐色の髪の女性――無邪気なセミロングの少女――
焼け跡に残された白い腕――全てを見下し笑う、写真の少年!
シンは思い切り、壁に拳を叩きつけた。
隣で驚いたような気配がしたが、気にも留めない。
「……逆に苦しくなるだけだ…」
呻きは地獄の亡者の如く。
隣の独房にいながら、ナタルはシンの中に滾るどす黒いものを見た気がした。

次の日、今度はちゃんと最初から、シンも男性用仕事場に行った。
簡素なつくりの大衆食堂の一角に腰掛け、なんだか分からない赤いスープと固いパンで食事をする。
好きになれない味だが、食べられるものなら胃の中に収めたいと思う。
あっという間に平らげ、食器を下げようと席を立つ。
ふと、隣に腰掛けている男を見た。
髭は伸び、髪もぼさぼさで、何より目に生気がない。
(負け犬…)
そんな言葉が頭に浮かび、シンは逃げるように視線をそらした。
見たくなかった。
と、そらした視線の先に、見覚えのある男がいる。
薄い色素。屈強な体躯。生気はあるのに無表情。
「あいつ!」
食器のことなど忘れ、テーブルに飛び乗ると、夢中でシンは走り出した。
途中食事を駄目にされた囚人に文句を言われるが、見向きもしない。
彼――フォー・ソキウスがシンに気付いたときは、もう遅かった。シンに飛び掛かられ、倒される。
「!?」
「お前っ! お前のせいで俺は!」
胸倉を掴んで喚いていると、
「貴様、何をしている!」
背後から看守が駆け寄ってくる。
シンは振り向きざま、肘打ち一閃。看守を沈め、彼から素早く銃を奪い取る。
「動くな!」
駆け寄ろうとしていた他の看守は動きを止めた。
「動くなよ…俺はここから出させてもらう!」
ぎらぎらと目を光らせ、シンは宣言した。ゆっくりと足を運び、場を離れていく。
看守も囚人も動かない。ただ一人、ソキウスを除いては。
ソキウスは起き上がり、口元をぬぐうと、いきなりダッシュをかけた。
看守に気を取られているシンに体当たりし、そのままもつれ込む。
「っ…お前はまた!」
「静かに。明日、作業が終わる時間に私のところに来てください。ここを出ます」
「何!?」
素早い耳打ち。問い返すより早く、看守が近づいて警棒を振るった。小さく呻いたシンの手から銃が離れた。
続々と集まってくる看守。まるでリンチのように、うずくまるシンを殴り続ける。
立ち上がったソキウスは、やはり無表情でそれを見ていた。

「懲りない奴だな、君も」
作業終了後、全身に打ち身を作ったシンを見て、ナタルは呆れたように言った。
「このままでは殺されるぞ? ガンダムの居場所など早く吐いてしまえば良いのに」
「……そんなことより、ナタルさん、ここを出たくありませんか?」
「な!?」
「お世話になったお礼です。一緒にどうですか?」
「何を…夢物語を言う。ここは海の上だぞ!? たとえ車を奪ったところで、どうやって本国まで行く! 無理だ!」
(あの女と同じ事を言う…)
げんなりとする。それを知らず、ナタルの声は続ける。
「いいかシン=アスカ、諦めきれないのは分かるがな、世の中には個人の情熱でどうしようもできないことは
 一つや二つどころでなく、ある! これはそのうち最も強固なものの一つだ。
 無様にしがみつくより素直に諦めた方が身の為だぞ」
ごそごそと身動きする音がする。それっきり、隣からは何の気配もしなくなった。寝てしまったのだろう。
シンは口を尖らせた。
「せっかく教えてやったのに、何だよその言い草」
ぼやきながら毛布に包まり、目を閉じる。今夜はまた一段と寒い。
(ナタルさんは逃げられないって思い込んでるだけじゃないか)
そう思った途端――

世界が割れた。

『早く! 早く走れ!』
フラッシュバック。
それまでの全てが壊れた、あの日の光景。
崩れる建物。閃き消える白い光。耳をつんざく不協和音。
ファイトに巻き込まれ、瓦礫と炎に包まれ、両親が一瞬で消し飛んで。
震えて動けない自分に、あの子供は何と言っただろう。
『お前は走れないって思ってるだけだ。その立派な足があるだろ。生きているんだろ!』
それでも動かない自分を、彼は無理矢理引っ張り……
『アレックス君!? その子は!?』
『トダカさん! こいつ、すぐそこにいたんです。お願いします!』

(分かってるよ。今更あんたに言われなくたって…)
目を開く。天井がかすかに滲んでいた。