武装運命_第20話

Last-modified: 2022-05-31 (火) 22:12:28

 階下。

 

「…………負けたな」
「へ?」

 

 不意に呟いて携帯音楽機の電源を突然落とし、緑髪の青年が立ち上がる。
 ヘッドホンを外して胸のポケットに手を突っ込み弄る事数秒、抜き出した掌に握られていたのは。

 

「武装錬金」

 

 髪色と同じ、くすんだ緑の核鉄。
 それが、青年の誓句により姿を変える。
 緑の外殻が開き、内側に潜んでいた深く濁る濃緑の構造体を曝け出した。
 ずるる、くすんだ緑が六角の棒へ変化し、その先には濁濃緑の刃。
 上背を超える程巨大な、大鎌であった。
 腕を広げたよりも長い直線と六角で創られた刃、柄と交差するポイントには2枚の巨大で扁平な六角がくっついている。
 厄介極まる気配を感じ取り、生徒会長は机の上の資料を掻き集め部屋の隅へ転がり飛んだ。
 その直後。
 ――ビョウゥン!!
 颶風が奔る。
 横へ一気に振り薙がれた大鎌は、猛烈な大気の対流を引き起こし室内を滅茶苦茶に掻き荒らしてしまった。
 なんて事を、叫び掛けた生徒会長は気付く。
 大鎌が無い。
 まさか、外目掛けて放り投げたのか? 窓を割る事無く?
 部屋の荒れ方と裏腹に傷一つない窓硝子を見、生徒会長は背筋に氷柱が突っ込まれたような気を感じた。
 物理的不可能をいとも簡単に超越する、それが武装錬金。
 投げ飛ばしたままの姿勢で待つ事数秒、青年は体を起こし無言で窓に背を向けてしまった。
 そのままのそのそと扉の方へ向かう。

 

「…………え、何?」
「仕事終わった。帰る」
「は!?」

 

 今度こそ叫ぶ生徒会長某。
 目の前には、洗濯槽に放り込まれたかのようにしっちゃかめっちゃかな有様と化した部屋がある。
 これを一人で片付けろと!?
 手伝うくらいしてけよ、そんな悲鳴が漏れるも伝わらなければ意味は無い。
 青年はとっくに部屋から消えていた。
 一人残された生徒会長が、がっくり膝を折る。

 
 

 惨々たる有様の屋上。
 やっと終わったとルナマリアが安堵の息を吐き、ステラも続けて緊張を軽く解いた。
 戦いの気配に兎角不慣れなルナマリア。例え数分の交戦だろうと、極度の緊張を強いられればそれはもう疲労してやまないのだ。
 悪い事したかね、少しばかり胸を痛ませるハイネ。
 クロトが現れた時点でステラと一緒に逃げるよう言えば良かったのだろうが、相手が扉の前に居たせいでそれは叶わず。
 向こうを退かした時にはすっかりハイネも出来上がっていて、指示を飛ばす事をすっかり失念してしまった。
 こういうトコが隊長に向かないんだ、自嘲交じりの嘆息。
 まぁ、何はともあれ、後はクロトを踏ん縛ってしまえば今回のこれは片付くだろう。
 皆がそう思う中、ミーア一人だけは険しい顔のまま空を仰いでいた。
 指から生やした茨がきりきり蠢く。

 

「そろそろ騒ぎがでかくなってくる頃だ。さっさと撤収しようや、コイツは俺が持ってくから」
「ああ、解った。ルナ、平気か?」
「ん…………ごめんね」
「謝るのはこっちだ、怖い思いばっかさせてごめんな」

 

 小声で呟いたルナマリアに肩を貸すシン。
 反対側をステラが支える。
 と。

 

「――――っがあああァぁぁぁぁぁああぁあああああぁぁ!!」

 

 突如、それまで意識を失っていたクロトが吼えた。
 四肢が襤褸屑と化した痛みのせいか悄然とこそしているが、不遜な表情は先と全く持って変わらない。
 むしろ、より爛々と炯々と輝いて見えるくらいだ。
 一番近かったハイネが、すぐさま核鉄を起動し不測に備える。

 

「ち、目ぇ覚ましやがった」
「えぁひゃははははははハ! 愉快! 痛快! 大殺界ぃ!!」
「…………ふん」

 

 口から苛立ちと溜息が漏れた。
 青杖を蛇腹剣に変え、クロトの首筋へ突きつけるハイネ。
 いっそブッタ斬ってやろうかなんて不穏な考えが過ぎったが、吐かせたい事もあるので自重する。

 

「起きたなら起きたでいいや、予定繰り上げっか。
 『堕月之女神』について知ってる事洗い浚いブチ撒けやがれ」
「はひゃはあははははあはあ、言うと思ってんのかよぉオ! 言ったらヤツらに何されるかわかんねぇじゃんかぁア」
「へェ、ホムンクルスも制裁は怖いんだな」
「あっひゃははひゃあは! これ以上なんかやられる前にィ、さっさと退場しとくぜぇエ!」

 

 止める間も無し。
 自決、と叫んだクロトは、顎を開けて舌を前に突き出し。
 ――ガリッ!!
 ひと思いに、噛み千切ったのだ。
 ぶわりと鮮血が散る。
 シンとステラは息を呑み、ルナマリアに至っては顔面蒼白で今にも倒れそうだ。
 が。

 

「はははははハイネ! いいい今べべべべべべベロがが」
「落ち着け、見てろ」
「へ!?」

 

 動揺の余り呂律が回らないシンに、しかしハイネは平然としたままである。
 何故なら、

 

「…………っだぁあががががぁ! いっでぇええぇえぇぇぇぇエ」

 

 ホムンクルスは、舌を噛み切った程度では死なないのだ。
 痛みで思考が上手く回転しなかったせいか、それとも最初から頭の出来が悪かったのか。どちらにせよ下策といわざるを得ない。

 

「な?」
「………………こいつ、もしかしてバカなんだろうか」
「まぁアジトの位置くらいは知ってんだろ」

 

 呆然と呟くシン。
 苦笑いしながらクロトの頬にぺちぺち蛇腹剣を当てるハイネへ、ふと、ミーアが声を掛けた。

 

「ちょっと」
「あ?」
「妙な気配が近付いてんだけど」

 

 きな臭いわ、ぼやき一つ。
 訝しむ表情で首を捻り、警戒を続けたままふと空を見遣ると――――

 
 

 ――ぶぉん、どず。

 

 重く、分厚げな音が、堕ちて。

 

「………………へ?」

 

 ルナマリアの喉から掠れた息が漏れる。
 無理も無かろう、現実に理解が追いついていないのだ。
 クロトの左胸を、巨大な異形の鎌が貫いていた。
 左胸に刃が突き立つ光景は、否応無しに明確な『死』のイメージを喚起させる。
 ホムンクルスの章印が機能しなくなるのは、人の心臓が機能しなくなるのと同じ事。
 例外なく末路は命を喪うのみ。
 そんなモノを突然見せられたのだ、視覚的衝撃は計り知れなかった。
 足がふらつく。
 脳が現実を認識した瞬間、防衛機制が働きルナマリアは意識のブレーカーを落とした。

 

「ルナっ!」

 

 シンが叫び、ルナマリアを抱えて飛び退る。

 

「ぇあははははははははは! シャニ、シャニ、ありがとうよ、覚えてやがれぇあははは!」
「Jesus!」「Fuck'in!」
「あははは、はは……ボクは、ボクはねぇえ…………!」

 

 ハイネが頭を抱えて嘆き、ミーアが顔を顰め毒づく。
 馬鹿笑いしながら、クロト・ブエルはあっさり命の火を消してしまった。
 何も、語ることなく。
 亡骸にして鉄屑と化した体が動かなくなった、その直後。
 ――ごぎん!
 大鎌の柄と刃が交差するポイント、そこに張り付いていた一対二枚の扁平な六角形が垂直に跳ね上がった。
 艶が無い暗緑色の六角は、空中で頂点に達した後ぐんと軌道を変えて回転しながら別々の場所目掛けて踊り舞う。
 片方はハイネの胴を薙ぎに掛かった。
 片方はミーアの茨を潰しに掛かった。
 二重に響く舌打ち。
 ハイネは身をぐんと屈ませて回避に専念し、ミーアは回転する六角を茨で叩いて勢いを減じさせる。
 転がったシンとルナマリアを掬い上げ、ステラは屋上の扉を蹴り破った。
 逃げの一手を取ってくれた部下に内心で感謝しつつ、ハイネも大きく跳び退って息を整える。
 床を踏む音が二つ。
 無数に床から茨を生やしたミーアが、舌打ちした。

 

「っだぁ、メンドくさい! 薔薇薔薇に引き裂いてやろうか!?」
「やめとけ! この回転じゃ下手に縛っても千切られるぞ!」

 

 すっかり紅色に変わった髪をざわめかせ、苛々しながら緑の六角を捌き続ける。
 擦れる鉄塊。
 体を真っ二つにしようと突っ込んできた六角盤をぎりぎりで避け、ハイネはその横面に前蹴りをブチ入れた。
 運動エネルギーに異常なベクトルが混じり、回転軸も歪む。
 やや動きが鈍麻した六角盤へ、ミーアがもう一方を跳ね飛ばした。
 二枚の重なった刹那。

 

「幕はとっくに落ちてんだ!」
「いい加減黙んなさいよッ!」

 

 全ての茨を一気に体へ引き戻したミーアは、集めた触腕全ての力を一本の棘針に変えて手の甲から生やす。
 蛇腹剣を元の青杖の状態へ戻したハイネは、杖の先端部分に回転するよう脳裏で令を出す。
 両サイドでステップ。

 

 そして、くわんくわん曲がった回転を続ける六角盤へ、
 ――ズッ ゴン!!
 乾坤一擲、二人は渾身の力を込め針/杖を叩き付けた。
 全身捻り回して勢いを付けた一撃は、見事に二枚の超鋼を貫いて床へ縫い付ける。
 みし、軋む音。
 装甲の継ぎ目を二箇所穿ち止められたせいで回転出来なくなった六角盤は、数度ほど震えた後動かなくなった。
 それを思いっきり足蹴にし、ミーアは舌打ちする。

 

「あぁ、服が破けちゃった」
「心配すんのはそこかよ…………しかし、マズったな」

 

 呟き、下を見るハイネ。
 そこには大鎌が一本床に突き立っているのみ、既にクロト・ブエルというホムンクルスは灰燼へと帰してしまっていた。
 口封じか、はたまた粛清か。なんにせよ向こうのアジトを知る手立ては一つ減っってしまった。
 クロトが黄泉路でこちらを指差しながらゲラゲラ馬鹿笑いしている光景が脳裏に浮かび、勝手に想像しておきながら大層腹立たしくなる。

 

「始末書モンだぜ、みすみす口封じを許しちまうとは」
「うっふふ、ざまあw」
「草生やすな。つかお前も覚えてないの?」
「残念、そっちの方は覚えてないわ。顔やられた時だって、逃げてる間は半分意識無かったし」
「そーかぃ」

 

 ミーアに背を向け、やさぐれた調子でハイネが呻く。
 して。

 

「…………けど、嘗められたモンね。巫戯蹴んじゃないわ」

 

 ふと漏れた呟き。
 それを聞き咎めたハイネが首だけ後ろへ向けた時、ミーアは棘針を切り離して校庭と逆側のフェンスによじ上っていた。

 

「あっ! おま、何処行く気だよ!?」
「良い様に出し抜かれたまんまなんてゴメンよ。鎌投げた方はまだ近くに居る気がするし、追うわ」
「追うって、無謀な事をまぁよ! 止めねぇからせめてラクス・クラインの所在言ってけ!」
「うっさいわね、この国周辺にある昔の研究施設とか調べてみたら?」
「ちゃんと教えろよコラぁ!」
「ヒントは言ったわよ! そんじゃまたねっ」

 

 びっとサムズアップ一度、そのまま跳躍。
 止める暇さえ無く、あれよあれよという間にミーアは森へ紛れてしまった。
 持ち上げかけた所在無い手を下ろし、髪を掻き上げて嘆息。
 とにかく、収穫が薄い。
 今日語られた分だけで彼女の持つ情報を引き出し切ったとは言い難く、『堕月之女神』の方も奪われた核鉄を取り返しただけで触れ幅は依然マイナス。
 彼女曰くの「また」を期待するより他は無しか。
 しかし、こちらの旧研究施設。最後の最後で爆弾を投げていったものだ。
 ふと下を見ると、校庭が騒がしくなってきている。
 姿を見られぬようにはしたが、取り敢えずは退散した方が得策だろう。
 無残な有様の床、何時の間にか大鎌と六角盤が消えていた。

 

「参ったね。こりゃ一筋縄じゃいかないか」

 

 武装解除で自分の手元に戻したか、そう思うも疑問が浮かぶ。
 武装錬金は、解除時にパーツが一部でも使い手の元に無いと、武装解除をした際に直接手元へ戻らず武装錬金があったその場所で核鉄に戻ってしまう。
 こちらを襲ってきた以上はあの鎌も敵方の武装錬金だったのだろうが、流石に二つも核鉄を投げ打つほど阿呆ではなかったか。

 

 まぁ、良い。
 冷厳な戦士の目で争痕を見遣り、ハイネは何事も無かったかのように屋上のドアを開ける。
 報告、事後処理、今後の対策、そして始末書。

 

「…………Oops」

 

 山ほどある仕事に、青年戦士は頭を抱えたくなった。

 
 

 偽りの蒼天を抱えた砂時計。
 その下に位置する白亜の巨邸で、二人の男が対面で座していた。
 片や、制服を身に纏った壮年。
 片や、普段着のままの壮年。

 

「…………まさか、今になってお前が戻ってくるとはな。それも、こんな形で」
「ああ、俺もだよ…………思えば、皆には申し訳ない事をした」
「今更だ。謝罪も贖罪も出来はせんぞ」

 

 グラスを手に取って傾け、琥珀色の液体を煽る制服の男。
 たん、机上へ戻されたグラスの中で氷が揺れる。
 普段着の男はというと、疲れが滲み出た顔に微笑を浮かべるのみ。

 

「機会さえも与えられない、か」
「本来なら極刑でも然るべき所を、軟禁だけで済んでいるんだ。十分に重畳だろう」

 

 制服の男の渋い声。
 見る者が見ればわかったろう、部屋の内装がとある場所に良く似ている事を。
 それだけではない。屋敷自体の外装もその場所と同じ、庭に薔薇園がある所まで一緒だ。
 かつてオーブに在り、そして今は亡きクライン邸そのものであった。
 いや。
 正しくは、この屋敷こそが本来のクライン邸であり、オーブのそれはここを模し造られたのだ。
 そう。彼こそ、元プラント評議会議長――シーゲル・クライン。
 オーブでの一件の後、秘密裏にプラントへ送還された彼は錬金戦団から通達を受けこの屋敷に軟禁されていた。
 無用な混乱を避けるため、プラント国民には彼の帰還も軟禁状態である事も秘匿されている。
 錬金術は世界の裏側に位置するモノ。
 それが理由である以上、彼が軟禁されるに至った罪状を公表する事は出来ないのだ。
 ――――では、そんな男を軟禁するよう指示出来たもう片方の男は、一体何物であるのか?
 大分色の薄れた頭髪。
 紫を基調とした品在る衣装。
 ぎゅっと眉間に寄った皺は深く、強面の印象を一層濃いものにしている。
 溜息に混じるのは苦味と呆れ、そして一握の回帰か。

 

「しかし…………俺達に何も言わず、勝手な事をして」
「言ってどうなるとも思えなかった、それにお前という前例が居てしまったからな。俺は弱い男だった」
「ふん、全くだ。一人寡婦のままアイツを育てた俺の立場が無いぞ」
「言い訳のしようも無い」
「…………まぁ、大事な者に先立たれる苦しみは知っているが」

 

 苦笑いのようなものを口の端に浮かべ、男は目を細める。
 彼は、シーゲルと同じく妻を亡くしていた。
 だが彼には健啖な息子が健全に成長しており、シーゲルの娘――ラクスのように命が危ぶまれる事は起こっていない。
 連れ合いに続いて命を分けた娘までも喪失する、その恐怖たるや。
 男は、シーゲルが道を違えたのに同情的であった
 だから。
 だからこそ、一層、許せないのだ。

 

「お前の娘にも、キャンベルの娘にも、一生削ぎ得ない罪を刻んだのだ。重いぞ、来世に至っても償いきれるか」
「来世を信じるのか? …………いや、すまん、茶化す気は無かった。
 出来る事をしていかねばならない、とは思っているさ。尤も、この状態で何が出来るかが問題ではあるが」

 

 不躾な台詞が飛び出した口に睨みをくれると、シーゲルはすまんと謝り言い直した。
 この状態とは、軟禁という環境だけを指してはいない。心にも関係している。
 本を読んでも映像を見ても酒を飲んでも、胸奥の暗澹が消えないのだ。
 それは恐らく、罪の意識がこびりついて離れないから。
 終わりの見えない贖罪が、臓物を絞め殺さんばかりにぎりぎりと苛む。
 辛く、苦しく、終焉無き業。
 そんなモノを抱えて、平常でいられる方がおかしい。

 

「…………だが、まぁ、戻ってきた直後よりはマシな顔になった」
「そんなに酷かったか?」
「ああ。まるでこの世の終わりを見た顔だったぞ」

 

 その言葉に、喉奥で噛み潰した苦笑いを鳴らすシーゲル。

 

「当たらずとも遠からず、だな。たかだか数十年の生だが、その中でも一番の絶望があった」
「絶望出来るうちはまだ良い。諦念こそが人を殺す」

 

 重々しくも何処か寂しげに呟く男。
 第三者が居れば、大きい筈の二人の背が小さく見えたろう。
 と。
 ――きぃ。
 木製の扉を軋ます音がし、続けて人一人が室内に早足で入ってくる。

 

「議長」
「む、ユウキか」

 

 ユウキ、そう呼ばれた来訪者たる男は、生真面目そうな顔にやや疲れを滲ませつつ二人の傍に歩み寄った。
 途中一瞬だけシーゲルを見るも、その目は無機質。
 それに一抹の寂寥を覚え、シーゲルは自嘲で頬を歪める。

 

「どうした、急の報告か?」
「はっ。特務隊士ハイネ・ヴェステンフルスより、増員の要請が来ています」
「増員? しかしオーブには、既に彼奴も含め3人を派遣していた筈だが。貴重な前線戦士、余りプラントから離れて貰っても困る」
「…………これを」

 

 乗り気とは言い難い様子の男に、ユウキは一つの記憶媒体を手渡す。
 それを訝しみつつ受け取り、鞄に仕舞っていた端末を取り出して挿入。
 読み込み終わるまで待つ事数秒。
 映し出された報告に、男は目をかっと見開いた。

 

「なんと…………!」

 

 掠れた呻き声が上がる。
 その電子報告書には、男が今回の派遣に際して内心で危惧していた事象が記されていた。
 オーブの禁錮施設破壊。
 無期懲役に処されていたホムンクルスの脱走、並びに『堕月之女神』への迎合。
 拘留中であったラクス・クラインの失踪。
 そして、ハイネ・ヴェステンフルスに同行し『堕月之女神』の調査に当たっていた戦士二名の、殉死。
 深々と溜息を衝き、机に肘付いて頭を抱える。

 

「核鉄を奪われたか。相手が相手だ、必然であるとはいえようが…………失態だな」
「はっ、申し訳ありません」
「いや、これはお前に言っても詮無い事だった。後であの野放図を呼びつけよう」

 

 億劫そうに顔を上げ、強面に更に渋みを混ぜる。
 思い出されるのは、やたら長ったらしい黒髪を靡かせて呵々と笑う、華奢なようで意外と大柄かつマッシヴな優男。
 あの豊かな毛髪に恨めしいモノを覚えたのも一瞬、すぐ表情を繕い直す。権謀術数に生きた男の特技だった、褒められはしなかろうが。
 シーゲルは何も言わない。
 戦団にも政にも携る事無き身、本来ならこの場が彼の家である事も関係無しに即刻追い出されていてもいい。
 それをされない、或いはそうするよう言わないのは、己が去ったあとに男が彼へ助力を願うだろうと踏んだユウキの判断だ。
 だから、穏やかならざる心中を隠す。
 戦団の一員たるユウキである。裏切り者であるシーゲル・クライン、本音を言えば己がくびり殺したいくらいなのだ!

 

「――――で、本題は何だ?」

 

 巌のような顔が、ユウキを見据えた。
 が、こちらも然る者。
 一握たりとて臆さず、今度は己の我を伝える。

 

「奴を介さずわざわざ私の元に直接足を運んだのだ。それなりの理由が在るのだろう?」
「…………慧眼、御見逸れ致しました」
「世辞はいい」
「はっ。しかし内容に守秘項目があります故、この場で口頭説明は出来ません」
「だから、これか」
「不実をお許し下さい」

 

 ちらりとシーゲルを一瞥しつつ深々と腰を曲げるユウキの態度に、男は苦笑を浮かべ、しかしすぐ顔を引き締めた。
 先程開いた報告とは別の場所にカーソルを移し、隠してあったファイルを表示。
 押し黙り、目を動かす事数分。
 して、全ての文を見終わった男は。
 ――にやり
 巌の顔を、笑ませた。
 嘲笑ではない。
 苦笑ではない。
 失笑ではない。
 須らくして、それは、破笑。

 

「は、はは、そうか! ユウキ、お前も彼奴をそこまで買うか!」
「力量、経験、共に充分かと」

 

 静謐なユウキの言葉に、男は笑みを一層濃いものとする。

 

「良いだろう。この件、奴に打診しておく」
「はっ、感謝致します」
「まだ通ると決まったわけではないのを忘れるなよ? 取り敢えずお前は先に本隊へ帰還しろ、私はまだこいつに話が在るのでな」
「了解しました!」

 

 びっと砥がれた敬礼をし、ユウキは男達に背を向け部屋を辞した。
 彼が三度シーゲルを再び見る事は無かった。
 ばたむと扉の閉まる音。
 僅かの間静寂が部屋にわだかまり。

 

「すっかり嫌われてしまったようだ」
「仕方在るまいよ。自分で蒔いた種だろうに」
「違いない」
「…………で、聞いていて解ったろうが、改めて言うぞ。手伝え」
「あぁ、今更断る事は出来んよな」

 

 苦笑い一つ浮かべ、シーゲルは眼前のグラスを取った。
 男も同じくグラスを取る。

 

「これが酒なら良かったんだが」
「この後に仕事を控えた男へ言うか?」
「おっと、そうだったな。すまんすまん」

 

 グラスの中身は、一滴もアルコールの混じっていない純然たる紅茶であった。岩氷が浮かべてあるのはあくまで雰囲気作り。
 今度はちゃんとしたものを一本開けよう、そんな口約束をしつつグラスを持ち上げる二人。
 喉を潤した液体は、懊悩苦難溢れる前途と裏腹に爽やかな風味を残していった。

 
 

 夜、寮の食堂にて。

 

「よー、聞いたか? 学校の屋上がエライ事になってるらしいぜ」

 

 もぎゅもぎゅ白米を頬張るシンの脇に、ヨウランが自分のトレーを置きながら話しかけてきた。
 向かいにはレイとヴィーノが腰掛ける。

 

「ん、あぁ…………らしいな」
「淡白な反応だね。まぁシンにはあんまり興味ある話じゃないかな」
「そ、そんな事はないぞ! わーきになるー」
「棒読み乙。食事の肴には丁度良いし、少し話すか」
「妙に難しい物言いするねレイくん」
「何、気にする事は無い」

 

 優雅に焼き魚をほぐして口へ運びながら、泰然と言ってのけるレイ。
 いつもと変わらぬ彼の姿に、皆が頬を引き攣らせた。
 微妙な数秒の間が空き、口火を切ったのはヴィーノ。

 

「まぁ、そんな難しい話じゃないけど。ヨウランの言ったとおり、屋上が凄い事になってるだけで」
「そこら中がベッコベコに凹んでて、なんか斬ったような疵まであるとかゆー話も聞いたぜ」
「暫くは屋上で物を食べられないらしい。残念な事だ」
「そうそう、それに変質者も出たってね」

 

 変質者。
 その言葉に、一瞬シンの箸が止まる。

 

「お、そっちは俺初耳だぜ」
「だろうな、こちらはほぼオフレコだ。屋上荒らしの犯人認定を受けて捜索中らしい」
「屋上荒らしの犯人認定? そんなんどーして解るのさ」
「簡単な話だ。その者が屋上から飛び降りてくるのを見た生徒がいる」
「はァ!? ウチの学校4階建てだろ!?」
「目撃者が結構居るのよ。斯く言う僕も見たしね、校舎裏の森に走ってく影」
「あ、危ない話だぜ」

 

 全くだ、二つの意味を込めた言葉が脳裏に浮かんだ。

 

「なるほど。下手をすれば、この周囲にまだ件の者が隠れている可能性もあるか」
「おっま、怖い事言うんじゃねーよレイ! よく考えりゃこの話の何処がメシの肴になるんだ!?」
「ならないな、よく考えなくとも」
「腹立つわほんまー」

 

 喋くりながらも食事を進める3人。
 だが、シンは先程から一言も発さず黙々と口の中に食事をもぎゅもぎゅ詰め込んでいる。
 何事だと言わんばかりに注視してくる友人。

 

「………………ふ?」
「ふ、じゃねーわい。何をそんな急いで食ってんだよ」

 

 答えるつもりで口腔に溜まった食い物を飲み下そうとするシンの背に、声が掛かった。

 
 

「よぉ、食い終わったか?」
「んもふ」
「まだか」

 

 寮監ハイネ・ヴェステンフルス、登場。
 のそりとシンの横の椅子に腰掛け、机に頬付き食事が終わるのを待つ。
 シンが少し急ぎ気味に飯を掻き込み出した。
 その様子に何か不穏なものを感じ、ヨウランは敢えて軽い調子で質問。

 

「…………なんかあるんで?」
「んにゃ、大層なモンじゃねーさ。ちょいと特訓をネ」
「特訓とな。前時代的な気配がして良いですね」
「レイ、僕ぁ君の琴線が何処にあるかわからないよ」
「――っふ、ごっそさま!」

 

 妙な具合に話が逸れた辺で、手を合わせる音と食事終了の挨拶が耳朶を打つ。。
 ちゃっちゃとトレイを片付けてしまい、シンは気合入れよと自分の頬を一度叩いた。

 

「待たせてゴメン、ハイネ」
「おう。たかが数分たぁ言え出遅れた事は事実だ、追っ付ける覚悟決めろよ!」

 

 すっかり目に馴染んでしまったにやり笑いを浮かべ、意気揚々とハイネは歩き出す。
 後ろで小走りしようとしたシンの背に、再び声。

 

「シーン。なんだか解らんけど、死ぬんじゃねーぞー」
「…………ああ、勿論」

 

 何気なしに言われたであろう言葉。
 だがそんなものでも、案じられているのがわかると、嬉しく感じて。
 親指を天に衝き向けて、シンは今度こそ駆け出した。
 それを遠巻きに見詰める瞳が二対。

 

「シンも頑張るわね…………なんか、置いてかれてるみたい」

 

 憔悴した顔のルナマリアと、そんな彼女を心配そうに見るステラだ。
 本当はステラもシンの特訓を手伝いたかったのだが、今日回収した核鉄と寮に住む生徒達の護衛を仰せつかったためにこうして寮の中にいるのである。
 まぁ正しくは、余りにも無体なハイネの台詞に戦慄と多大な惧れを抱いたため残らざるを得なくなったのだが。

 

“連中も嗜好自体は人間とそう変わんないらしくてな、やっぱ食う物は若かったり瑞々しかったりする方が美味いと考えるようなんだわ。
 だから、学校はトップクラスに狙われ易いのさ。特にここは寮っつー夜食保管庫まである、まさしく倍率ドン更に倍だ”

 

 こんな事を言われてなお平然と特訓に付いて行けるほど、ステラの根性はひん曲がっていない。
 それにもう一つ。
 ステラは、先程から塞ぎ込んだままのルナマリアが心配だった。
 物心付いた折から様々な“死”に触れてきたステラと違い、ルナマリアには直接“死”を感じるような場面に出会った経験がほぼない。
 プラントに住んでいた頃飼い猫を1度喪った事があるそうだが、それと今回は全くベクトルが違うのだ。
 ヒトガタのモノが死ぬ、それも他者に殺されるという光景は、それまで普通に生きてきた者にしてみれば激烈極まる事件に他ならないだろう。
 己みたく死に慣れて欲しくは無いが、かといってこのままでも困ってしまう。
 折角友達になれたのだ、出来れば前のように明るく闊達な姿を取り戻して欲しいのだが。
 ふむぅ、嘆息が響いた。

 
 
 

 ――――闇は人を不安にさせる。
 しかし、眠りの安寧は闇の中にこそ在る。
 人は嫌でも闇に身を預けねばならぬ。
 空に星が瞬こうと、ネオン輝く街へ繰り出そうと、眼を閉ざせばそこは闇。
 戦士見習いは先達と修練に励む。
 傷ついた乙女は涙で枕元を濡らしながら眠る。
 懊悩する女戦士は無言で核鉄を守る。
 薔薇姫は夜天の下を怨敵追いひた走る。
 そして悪意ある者はただ忍び寄る。

 

  夜の闇に、紛れて――――

 

                           第20話 了

 
 

 

 

後書き
 何が8月中に更新するだよと自らの不手際を嘆きつつ、20話投稿。
 今日はシンの誕生日だそうで、もう少し出番を作ってあげたかったのですが、展開の都合上お預けに。
 次は原作で言う所の斗貴子さん単独戦闘。よろしければお付き合い下さい。ギギー。