第五話『蒼のエーテル』

Last-modified: 2009-10-15 (木) 20:24:27

 揺れる宇宙と脈打つ心臓の鼓動。
 耳鳴りと胸を掻き毟る焦燥感だけがうず高く積もり上がり、激戦で傷ついた内臓から
吐き出され、むせ返るような血臭がコクピット内に立ち込めても、ティエリア・アーデ
は、不思議と意識を失っていなかった。
 流した血は致死量にも関わらず、意識レベルは覚醒値を保ち、現状を委細承知とばか
りに認め、両腕を握り締め唇を噛み締めている
 装甲を失い傷ついたナドレは、太陽炉を排出し、残れた粒子はーは残り僅か。
 このまま宇宙を放流し緩やかな死を迎えるのかと漠然と思いながらも、ティエリアに
は、奇妙な確認にも似た予感があった。
 そう、まだ、自分達のソレスタルビーイングの戦いは終わってはいないと、胸の奥で
疼く直感が沸々を鎌首をもたげ、ティエリアは、反撃の予兆と言える高揚感に胸を高鳴
らせていた。

 

「まだ終わってはいない」

 

 イオリア計画の目的の中に自分達の滅亡が含まれいようと、この惨劇が例え予定調和
の出来事であろうとも、終わっていない、まだ負けていないと、今度は確信を込めて目
を見開く。

 

「ロックオン…」

 

 茫漠たる光の渦に飲み込まれ、声一つ聞かせず、ティエリアの恩人はこの世から消失
した。
 ティエリアは、ロックオンの皮肉交じりの微笑を思い浮かべ涙を流すが、胸に灯った
思いは、幾許の間も無く無残にも消える。
 しかし、ティエリアは彼の存在に救い救われ、そして、最後にはかけがえの無い大切
な何かをに残してくれた。

 

「ロックオン・ストラトス!」

 

 ティエリアは、悲しむのはこれが最後だと言わんばかりに、郷愁を振り払うように巨
大な声を張り上げる。 
 悲しむ事よりも大事な何かを受け取った自分は行動するしか有り得ない。
 呪いより強固な絆がティエリアの鋼の心臓に刻まれ、彼、彼女は、慟哭の雄叫びを上
げ、絆を求めるように手を掲げた。
 しかし、伸ばした手は虚しく空を切り、掴めた物は何も無かった。
 だが、今はそれで良いとティエリアは自嘲気味に呟き、一人静かに黒い宇宙へと精一
杯の宣戦布告を掲げる。
 装甲を削り取られ、四肢を失ったナドレの胸から血のような潤滑油が漏れ、宇宙に涙
雨を振らせていく。
 ただ、砂漠に浮かぶ一粒の砂のように、ナドレは、緩慢な動きのまま宇宙の風に導か
れ、ゆっくりとだが一時、舞台から退場した。

 

機動戦士ガンダムOO-FRESH VERDURE-
第五話「蒼のエーテル」

 

「ネーナ・トリニティ、何故ここに居る」
「何って…なにがよ」

 

 突き動かされるようにドライを走らせて見れば、辿り着いた場所は、何のことはなく、
ネーナの命の恩人である、刹那・F・セイエイの元だった。
 特徴的な青みがかった装甲は所々で焼け落ち、自慢の実大剣は刀身の中程からポッキ
リと折れ、見るも無残な惨状だったが、反面エクシアの周りを漂う黄金の破片が純正太
陽炉の濃緑の粒子に反射し、激戦を勝ち抜いた勝利者を称えるように美しく輝いていた。

 

「アリー・アル・サーシェスは?」
「分からない」
「そっ…」

 

 素っ気無く答えたネーナは、エクシアの周囲に漂う金色の破片に目を向けた。
辺りに浮かぶMSの装甲らしき残骸の量は、少なく見積もってもMS数機分はある。
 MSの編隊を相手にしたのか、それともMS数機分の質量に相当するMAを相手にし
たのか。
 刹那に聞けば早い話だったが、ネーナはサーシェス以外に興味が無かったのか、それ
とも、もうこの戦い自体に興味を失ってしまったのか。
 まるで、他人事のようにうそぶきながら、エクシアを見つめた。
 恐らくトランザムシステムを使ったのだろう。
 圧縮粒子を最大開放する純正太陽炉搭載機にのみ与えられた荒技は、機体にかかる負
荷も大きく、そう何度も使える機能では無い。
 設計限界を超える高速稼動により、エクシアの関節から白煙が立ち昇り、太陽炉から
漏れる光は弱々しい。
 甚大な損傷を受け粒子残量が著しく低下したエクシアは、普段の雄々しい姿と比べる
と酷く頼りなく見えた。
 
「倒したの」
「あぁ…倒した」

 

 通信から聞こえてくる刹那の声は、荒い息を吐き、憔悴し切っている。
 トランザムシステムを用いても尚、ここまで消耗する相手とはどのような怪物だろう
か。
 当時最新鋭機だったスローネが霞む程、インフレを起こしてしまったMSの性能に、
ネーナは馬鹿馬鹿しいと心底苦笑しながら、一旦肩の力を抜いた。

 

「…終ったの?」
「分からない」
 
 ネーナは、ひとまず戦闘が終結のかと質問したつもりだったが、刹那から帰ってきた
言葉重く苦しい響きを含んでいた。
 目の前の敵は倒した。しかし、未来永劫と続く終わりの無い争いの幕が上がったよう
な気が拭えず、刹那はエアクッションの効いたシートに持たれ込み、呆然としながら大
きく息を吐いた。
 
「分からないか…かもね」

 

 ネーナも色々なモノを失った今だから思う、思える事がある。
 やはり、戦争根絶など夢物語では無いのか。
 大きすぎる力は争いと憎しみを産む。
 ガンダムと言う存在が世界を一つに纏めようとしているが、そこには大国同士のエゴ
が絡み合う複雑怪奇で歪な関係が浮き彫りになろうとしているだけのこと。
 ガンダムマイスターが己の命を賭けて戦っても、後に残るのはマネーゲームのような
妥協と打算の産物が生み出した歪んだ世界だとしたら、悔やむに悔やみ切れない。
 そんな世界の為にロックオンは死なねばならなかったのか。
 刹那は見た。
 見てしまった。
 四方を大量のGN-Xに囲まれ縦横無尽に飛び交う粒子砲と、そして、スローネ・ツヴ
ァイの誘導兵器に貫かれるデュナメスの姿と爆発炎上するGNアームズ二番機を、流星の
ように射出される太陽炉の影を、そして、刺し違える鬼気と共に発射された極大のGNキ
ャノンが、ツヴァイの下半身を融解させた光を。
 周囲を包む閃光が消えた後には、ツヴァイの姿は見受けられず、刹那は慟哭と共に"敵"
に対する殺意を開放してしまった。
 大儀も信念も戦争根絶と言う平和への意志も無く、失った物を憎しみで埋めるかのよう
に闇雲に剣を振るい結果、後に残ったモノは誤魔化し切れない虚無感と胸にぽっかりと開
いた大きな穴だった。
 無数の皹の入った刹那の心は今や崩壊寸前だった。
 大事な仲間を失くし、信念も憎しみと悲しみで汚してしまった。
 憎しみで剣を振るい人を殺めた刹那が、幾ら戦争根絶を主張しても、熱を失った風のよ
う薄ら寒い響きしか持たない。
 刹那が人で居られた境界線は、私利私欲では無く、あくまで戦争を根絶する為に命を奪
って来た自己弁護の為だ。
 ギリギリの所で押し止めていた虚しさが堰を切ったように漏れ出すが、泣く事は愚か、
我慢する事しか知らない稚拙な情緒は、彼に涙を流す事を許さなかった。
 刹那が、忘我するように無垢の宇宙を見つめる中、スローネのコクピットに活動限界
を告げる警報が鳴り響く。

 

「ネーナ・トリニティ!」
「煩いわね。活動限界よ活動限界。もうまともに動けないの。システムも生命維持モー
ドに移行したら、通信だって出来なくなる…わよ」
「そうか、そうだったな」

 

 太陽炉を積むエクシアは、半永久的にエネルギーが尽きる事は無いが、今のスローネ
の動力は擬似太陽炉ですらなく試作品のGNコンデンサだ。
 むしろ、ここまで粒子がもった事の方が驚きだろう。
 
「どうするの」 
「…帰る」
「何処へよ」

 

 刹那はトレミーへとは即答出来なかった。
 いや、唇は僅かに動いたが、汚れた自分が仲間の元へ帰るのは何より怖かった。
 受け容れて貰えるだろうかと思うと同時に、堪えようの無い罪悪感が心底から駆け上
ってくる。
 フェルトは、ロックオンの事を好いていた。
 仏頂面で他人の感情の機微に疎い刹那でも分かったのだ。
 不器用でも、思いの欠片が僅かにも伝わっていなかったとしても、間違いなくフェル
ト・グレイスは、ロックオン・ストラトスを好いていた。
 恋心を抱いていた。
 そして、ロックオン・ストラトスは、刹那の目の前で死んでしまった。
 刹那がもう少し早く駆けつけていれば、もう少しMSの操縦が巧ければ、もうすこし
、いや、刹那・F・セイエイがもっと強ければ助けられたのでは無いだろうか。
 ロックオン・ストラトスは、肉も骨も欠片一片も残さず、塵一つ残さずこの世から消
滅した。
 それは、本当に人の死に方に相応しいかったのだろうか。
 刹那の脳裏には、光の海に消えたデュナメスの最期が焼きついている。
 幼き日、ガンダムと出合ったあの時は、光の渦に消え行く友の死に様を美しく、そし
て、羨ましいと感じた。
 光によって罪を浄化され、汚れ無き姿のまま、友は神の元へ召され永遠の救いを得た。
 本気でそう考え、思い込もうとしていた。
 しかし、改めて友の死を目の当りにした刹那は、自分の考えがいかに馬鹿げているの
か痛感してしまう。
 何処の世界に存在すら残さず消滅する死に方が美しいのか、
 残された人間は、旅立ってしまった人へ別れの言葉を言う事も出来ない。
 好きだった思い。
 愛していた記憶。
 何に怒り、何を憎み、何に絶望したのか。
 遺体とは、人が存在した証、故人の清濁の全てを内在した"生きた"証だ。
 生きた証がこんな簡単に平然と無慈悲に失われる行為に何処に救いがあるのか。  

 

(何がガンダムだ…俺はガンダムにも人にもなれなかった)

 

 爪が肉を押し込める感触が、ノーマルスーツの上からでも鮮明に感じられる。
 真っ白なカンバスにこびり付いた染みは、拭っても拭っても拭いきれず、いつの間
にか真っ黒に染まってしまった。
 カンバスの紙を張り替えようとも、内から滲む黒い染みが永遠に刹那のカンバスを汚
し続けるだろう。
 胸を掻き毟りたい衝動に駆られ、そして、同時に襲ってくる罪悪感と無力感が刹那を
苛み、濁ってしまった瞳で無限に広がる宇宙を恨めしそうに見つめている。
 
「"帰るわよ"」

 

 慣性で流れ接触したのか、それとも刹那が藁をも縋る思いでネーナの手を取ったのか。
 いつの間にか接触回線が開かれ、正面でネーナが不出来な弟を視るような瞳で刹那を
見つめている。

 

「帰る…」
「そうよ帰るのよ」
「何処へだ。俺が何処へ帰れると言う。こんな俺が…」

 

 帰れない。帰れるわけが無い。
 信念も仲間も信頼も、一緒に戻って来ると言う約束すら守れなかった。
 自己嫌悪の波が津波のように押し寄せ、信念と誇りを剥ぎ取られた刹那の脆い心を容
赦無く押し流していく。
 波の間に潜んだ巨岩が飛礫となり、刹那の身も心も粉微塵にしようと打ち付ける。
 フェルトの笑顔や心配そうに見つめる顔が浮かび、まるで、刹那を責めて立てるよう
に無垢に微笑む。
 心の優しいフェルトは、きっと刹那の事を責めないだろう。
 涙こそ流すかも知れないが、必死に我慢して、刹那に「無事で良かった」と心から迎
えてくれるだろう。
 そして、誰も居ない場所で泣くに違いない。
 その場面がありありと想像出来る現実に刹那の心は折れ曲がり、無力な自分に殺意す
ら抱いてしまう。
 反射的にエクシアの自爆機能を起動させようと手を伸ばし、反射的に端末にコマンド
を打ち込むが、いざ、最後のコマンドを打ち込もうとすれば、手が氷柱のように固まっ
てしまい微動だにしない。
 ネーナを巻き込んでしまう事や太陽炉の損失、託された想いが死を拒んだなどと高尚
な願いでもない。
 きっと、敵に撃たれ戦いの中で命を失うのならば平気なのだろう。
 しかし、いざ自ら手で命を断とうと、死の瞬間を目前にすれば、体が竦み、体中の力
が空気の抜けた風船のように死のうとする気持ちが萎えてしまうのだ。

 

「俺は死ぬことすら出来ない臆病者か」
「はぁ?」

 

 項垂れ自嘲気味に呟く刹那に、ネーナは心底分からないと言う呆れた声を漏らす。
 理解するつもりも努力もしないのか、ネーナは小馬鹿にしたような声で、ドライでエ
クシアの腕を掴んだ。

 

「馬鹿なこと言わないでよ。ボケたのあんた?帰るってんなら、決まってんでしょ、あ
んたのホームへよ」
「仲間<ホーム>…」

 

 ホームの意訳は多種多様に存在し人の主観に左右される。
 地球、故郷、実家、家族、刹那は、そのどれも選択せず"仲間"を選択した。

 

「そうだ…帰ろう」
 
 死へ恐怖に打ちのめされたのか、感情が麻痺して何も考えたくないのか。
 それとも、ネーナの一言で正気に引き戻されたのか、胸に抱えた後ろめたさはあるが、
帰ろうと素直に思う事が出来た。
 仲間を失った罪は罰として刹那の心を一生苛むだろう。
 ロックオンばかりでは無い。刹那達のもう一人の兄貴分であったラッセも死んでしま
った。
 死体こそ確認していないが、大破したGNアームズ一号機の惨状を省みれば、無事で
あるとは到底思えない。
 刹那は戦争の代償と割り切るには、あまりに多くの物を失くしてしまった。
 少なくとも今日は、今だけは戦う事を忘れて眠りにつきたい。
 戦争への想いも仲間も戦う意思も、全てを忘れ泥のように眠り、そして、起きてから
何をすべきか考えたい。
 刹那は、茫然自失のまま、ホームへ帰る為にエクシアのスロットルをゆっくりと押し
倒す。
 だが、神は彼に束の間の安息すら許さなかった。 

 

「会いたかった、会いたかったぞ少年」

 

 突如、愉悦に満ちた大声がオープン回線に割り込み、赤い光を携えた黒い閃光が、エク
シアとスローネの直上から出現する。
 
「この沸き立つ高揚感!漸く理解したぞ少年。この気持ちまさしく愛だ!少年、いやガン
ダム!」

 

 モニターの中で小さな光点でしか過ぎなかったMSが、瞬きの合い間に巨大な威容を現
し、赤い粒子が宇宙に乱風のように咲き乱れる。
 竜巻のような流れを伴い一機の黒いMSが燦然とエクシアの前に舞い降りた。

 

「フラッグ!だが、新型か!」

 

 茫然自失と言いながらも骨の髄まで染みこんだ戦士としての習慣が、無意識に剣を構え
ドライを庇うようにエクシアに戦闘態勢を取らせる。
 登録されたデータには該当機種は存在しない。
 背中から立ち昇る赤い粒子は、謎のフラッグが擬似太陽炉搭載機であると如実に告げて
いた。
 刹那の前に立ち塞がったフラッグの装甲は、擬似太陽炉の出力に耐える為に、従来のフ
レームに比べ二倍以上に大きさに増設されている。
 継ぎ接ぎに継ぎ接ぎを加えたフラッグの装甲は、プレートを組み合わせる西洋の騎士を
彷彿させ、擬似GN粒子を一点に集約した巨大ビームサーベルの刀身は、剣と言うよりも
、馬上から敵を射殺す大槍のようだ

 

「何者だ!」
「敢えて言おう、グラハム・エーカーであると!」

 

 オープン回線に流れ込んでくるグラハムの名に刹那はハッとし意識を尖らせた。
 ユニオンの誇る超トップエリート。
 専用のカスタムフラッグを駆り、何度無く刹那達を苦しめた因縁の相手だ。
 故郷であった金髪の青年は、油断の無い視線で刹那を睨み付け、瞳の奥に宿った戦意を
堂々とぶつけて来る。
(グラハム・エーカー…作戦に参加していたのか)

 

 各国のトップガンが終結する戦いで、グラハムを見なかったのは違和感があったが、乱
戦の戦場では取り立て珍しい事では無かったが、力を出し尽くした今、彼の乱入は予想外
の痛手だ。
 ガンダムが完調の状態でも手こずる相手だと言うのに、粒子も武装も使い切った状態で
は話にもならない。

 

「勝敗は決した。俺達の勝ちだ」

 

「勝敗の時節は私にはなんら関係無い事。私は私の意志でこの戦場に存在している。馴れ
合いは断固拒否する!」

 

 せめて、ブラフにでもなればと刹那は強気な態度に打って出たが、グラハムの意外過ぎ
る返答に刹那は面食らってしまう。
 剣を交えたのは数度しかなくとも、馬鹿正直までに公正で騎士道精神に溢れるパイロッ
トが、仲間の事など知った事では無いと言い切ったのだ。

 

「私怨で戦うつもりなのか!」
「そうだ。愛は愛を重過ぎると理解を拒み、やがて憎しみに変わっていく。行き過ぎた信
仰が内紛を呼び、愛を失った魂が叫び、憎しみの連鎖を再び繋ぎ続ける。貴様も知ってい
るはずだガンダム」

 

 グラハムの言葉が刹那の胸を抉る。刹那の故郷は幾度と続く宗教戦争の末に滅び、アザ
ディスタン王国として再編された。
 石油燃料の枯渇や宗教紛争、欧米列強による中東危機などの外的要因はあったとは言え
紛争の根底にあったのは、人と人との繋がり、愛に他ならない。
 刹那の故郷は、愛で滅びた多くの国の一つだ。

 

「それが分かっていながら、何故貴様は戦う」
「ふっ、軍人の戦いの意義を問うとは…ナンセンスだな少年」

 

 まるで、興ざめと言わんばかりにグラハムの刹那にへの呼び方が、ガンダムから刹那に
変わる。
 
「…貴様は歪んでいる」

 

 刹那とグラハム。
 戦いを憎むが故に剣を取った刹那と戦いに悦びすら感じるグラハム。
 信念と主義が舌戦でぶつかり合う中、魂の慟哭とも言える言葉が刹那の精神を焼き、違
う意味とは言え、戦いの虚しさの原因を骨身にしみた人間同士であるが故に、刹那は、こ
の場、この時において、グラハムと未来永劫に理解し合えないと悟った。

 

「貴様は歪んでいる」
「大事な事なので二回言ったか、ガンダム」

 

 刹那の地の底から響くような怨嗟の雄叫びに、グラハムの心が悦びで打ち震える。

 

(そうだ。こうでなくてはならない)

 

 信念を捨て、矜持を捨て、仲間を捨て、ガンダムと決着を着ける為に全てを捨てた。
 地位も名誉も輝かしい将来すら、目の前のガンダムとの決着に比べれば、路傍の草以下
の存在だ。
 全てを捨て、純粋な脅威と存在し、己の目の前に立ち塞がってくれねば修羅道に堕ちた
意味が無い。

 

「そうだ。世界など関係ない。国家の威信など関係ない。私は私の為に、エゴと我の為だ
けにガンダム、貴様を倒す!」

 

 フラッグの背後に立ち昇る凶悪な殺気は、異様な重圧となって刹那に襲い掛かる。
 気・剣・体・全て揃った鬼気迫る様子は、刹那の皮膚を総毛立たせ、無意識の内に筋肉の
筋が強張るのを感じた。

 

「さて、おしゃべりはここまでだガンダム。そろそろ力は戻ったかな。あの力は今一度使
うには暫しの時間が必要なんだろう」
「あの力だと」
「とぼけるなガンダム。金色もMAとの戦いしかとこの目で見せて貰った。MAを圧倒した
赤い流星。剣を交えるに相応しい力だ」
「出のタイミングを計るか…小癪だな」
「勘違いして貰っては困る。全力で急いだが間に合わなかっただけだ!」

 

 いけしゃあしゃあと堂々と言ってのけるがグラハムだが、ハッタリの類では無く恐らく真
実なのだろう。
 刹那がトランザムを使いアレハンドロ・コーナーを倒したのを偶然目撃し、戦い場に降り
立つ。
 ここまでこれば、神の悪戯を疑いたくなるが、グラハム・エーカーは、敵を倒す事一点の
みにおいて高潔だ。。
 敵を観察し出方を伺う戦術の初歩は踏襲しない。
 全身全霊で敵に挑み、その結果例え返り討ちにあったとしても笑って死ぬ。
 生き恥を晒すくらいなら死を選ぶ攻撃性は、確か東洋の言葉で武士道と言ったのを刹那は
思い出していた。

 

「戯言を…それこそ、貴様を油断させる為の罠だとすればどうする」
「それは有り得ないなガンダム」
「何を根拠に」
「勘だ」
「か、勘…だと!」
「と言ったが、種を明かせば通信が通じていることこそがその証。ガンダムが纏うGN粒子
が極端に消耗しているからこそ、互いの声が聞こえ通じ合える。皮肉な話だな少年」

 

 これは一本取られたとばかりに、刹那はコクピット内で忍び笑いを漏らし、擬似GN粒子
で構成された紅い大剣を見つめる。
 
(まるで、血の色だ)

 

 正気に戻り、センサーの反応を見れば、デュナメス、キュリオス、ヴァーチェの反応がい
つの間にか消失している。
 そればかりか、マイスター達の帰るべき場所であるトレミーの反応すらも消失し、周囲の
存在する機体は、刹那のエクシアとネーナのスローネ、そして、眼前で大剣を構える改造型
のフラッグのみだ。
 
(俺は一人になったのか)

 

 音が伝わらない真空と言う特殊な条件を除いても、周囲は耳が痛くなる位に静けさに満ち
ている。
 心に荒涼たる風が吹き荒み、命一つ残らない暗黒の空間が酷く煩わしく感じる。虚しさと
静けさの中で、荒い息遣いが刹那を捉えて離さない。
 ふと、刹那はここで死ぬのも悪くないと思えた。
 戦いだけの人生で、今迄運良く生き残ってこれた。どうせ、壊す事しか出来ない運命なら
ば、最後の血の一片まで敵を壊し続ければいいとさえ思う。

 

(そうだ…敵は破壊する。破壊こそが新生の幕開けだ)

 

 救いも良心の呵責も純粋な破壊衝動の前では何の意味も持たない。
 奪い、壊し、突発的な衝動に身を任せ、目の前を敵を完膚無きまでに破壊したいとさえ思
える。
 しかし、刹那は怒りに呑まれながらも、ドクン、ドクンと弱々しいながらも脈打つ命の鼓
動を確かに聞いていた。
 ゆっくりと後ろを振り返ると、機能停止寸前のスローネが目に入る。
 濃緑の粒子が腰部のGNコンデンサから弱々しく漏れ、刹那は、鉄の体の中のネーナ本
人を垣間見た気がした。

 

「ネーナ・トリニティ」
「なによ…」」
「お前は生きているのか?」
「あんた馬鹿?散々だけど生きてるに決まってるでしょ」
「そうか…生きている」

 

 生きていると呟くと、刹那は自分の中で、失くしたと思った大事な"何か"が中でもう一
度息吹くのを感じた。
 折れかけた意思が蘇り、血と肉に戦意と言う熱が通い始め、刹那はもう一度グラハムを
見つめ返した。

 

「少年…私が望むのは"ガンダム"との"決着"のみだ」
「…感謝する」
「構わんさ」
「ちょっと、あんた、何するつもりよ!」

 

 苦笑するグラハムを他所に、刹那の操るエクシアが、ドライの胸に手を置き、力強く彼
方へ押しやられ、ドライは慣性に従い、宇宙を駆け抜け、見る見る内にエクシアから遠ざ
かっていく。

 

「ネーナ・トリニティ…生きろ」
「冗談でしょ」

 

 ネーナは慌ててフットペダルを踏みこむが、粒子の切れたドライは文字通り鉄の塊だ。
 巨大な操り人形は、主の呼び声には答えず無言で巨躯を封印し、流れに身を任せ宇宙を
流れて行く。

 

「そんな、勝ち逃げみたいな。許さないわよ、刹那・F・セイエイ!」

 

 刹那の声が届くと同時に粒子残量が完全に底を尽き、緊急用動力によりスローネのメイ
ンシステムが生命維持モードに移行する。

 

 電力節約の為に、非常灯のみが点灯したコクピットの中で、ネーナは過去最大級の怒り
にまみれていた。

 

「最低!信じらんない!終わってるわよあんた!」

 

 こちらの気持ちなどお構いなしに勝手に考え、勝手に行動し、挙句の果てに命を助けた
気でいる。
 馴れ合う気は毛頭無かったが、こんば馬鹿な終わり方認められるわけが無い。
 刹那・F・セイエイは、自己陶酔に加え自己完結型の最低の男だ。
 怒りに打ち震え感情の抑制が利かない。ネーナは、何度も操縦桿とHAROを殴りつけ
、蹴り飛ばし、子供が癇癪を起こしたように喚き散らすが、ネーナの怒りも虚しく、ドラ
イはただ流れていくだけだ。

 

「…刹那!」

 

 しかし、そんな中でも分厚い装甲の外で刹那の息遣いが聞こえたような気がした。

 

「悪いが俺は死ねない。まだ、死ねない」

 

 例え一人になろうとも戦い続ける。
 この気持ちがあれば、今から進む道が悲しみと後悔に満ちていようともきっと戦ってい
ける。
 茫漠たる思いは、宇宙の遥か彼方に消え去り、母なる地球目掛け流れていくネーナが目
に入った。

 

『この馬鹿刹那、あんたなんか最低よ!』

 

 GN粒子影響下の中で、通信が届くわけも無い。
 だが、刹那は、まるで、耳元でネーナが怒鳴り声を上げたような気がして、無意識に微
苦笑を浮かべた。
 遥か遠く、母なる地球へ向け、ゆっくりと流れるネーナを見つめ、刹那は再び剣を取る。
 ネーナは、視る事は無かったが、赤い流星が宇宙に舞い、そして、ソレスタルビーイ
ングの戦いは一度幕を下ろす事となる。
 そして---流星が散り世界は静けさを取り戻す。

 

 アザディスタン王国第一執務室。

 

「マリナ、聞こえてるの?」

 

 アメリカのCBCテレビから流れているのは、ソレスタルビーイング壊滅作戦『フォー
リンエンジェルズ』の実況中継だ。
 しかし、番組名は実況とうたっているが、内容はこれまでのガンダム関係のソースの総
浚いでしかなく新規映像など微塵もない散々な有様だったが、CBの行方を知る細い糸に
は違いなかった。

 

「聞こえてるなら返事ぐらいしなさい」
「ごめんなさい、シーリン。ニュースが気になって」

 

 どんな数奇な運命か、機動兵器ガンダムを有するCBと中東の小国とアザディスタンは
保守派のマスード・ラフマディー拉致事件を皮切りに何度も関わって来た。
 今でこそ嫌疑は晴れてるが、マリナとガンダムパイロットの関係を国連軍から厳しい詰
問を受けた事もある。
 たまたま時節の幸運が重なり証拠不十分で不問に問われたが偶然は偶然にしかずぎず次
はどうなるか分からない。
 マリナにはもっと国の代表として自覚を持って公務に望んで貰わねば困る思いと御輿と
担ぎ上げられた親友を不憫に思う事もある。
 だが、例え御輿であるとしても、担ぎ上げられてしまったが最後、御輿は御輿として機
能しなければならない運命だ。
 今の母国の現状を考えても、マリナに泣き言を言っている暇は無い。 
 化石燃料が枯渇し経済が立ち行かず、軌道エレベーターの恩恵も受けれないとなれば近
い将来アザディスタン、いや、中東諸国は、欧米列強の自我に取り込まれ、衰退を一歩を
辿る事になる。
 切れる外交カードが無いのなら、せめて、御輿であるマリナには清廉潔白であって貰わ
ねば困る。
 少なくともテロリストであるCBのガンダムパイロットと繋がりがあると噂されるなど
あってはならない事なのだ。

 

「手紙?誰からかしら」
「ソランさん、知り合いかしら」

 

 ソランと言う響きにマリナの眉が跳ね上がり、シーリンの呼びかけを無視してテレビに
齧りついていた癖に、手紙を半ば奪い取るような形で持っていかれれば、シーリンも面白
くは無い。

 

「ソランなんて私は知らないけど、一体どちら様?」
「私の祖母の古い友人。最近会ってなかったけど、どうしたのかしら」

 

 本人は隠せていると思っているようだが明らかに行動が怪しい。
 幼少から使い続けている机から、震える手でペーパーナイフを取り出し、慎重極まる手
付きで手紙を開ける様子は、どう見えも普通ではない。
 まるで、待ち人からの返事を心待ちにしていた乙女のようにさえ見える。

 

「今時紙媒体って、随分古風な方ね」
「そうね、彼無口だから」

 

 彼と言う事は男性だろうか。
 だが、マリナの家系図、親戚や交友は全てシーリンの頭脳にインプットされているが、
ソランなどと言う名前の男性に心当りはない。
 僅かなプライベートを覗けば、マリナとシーリンが別々に行動する事は殆ど無く、いや
、皆無と言っても過言では無い状態で見知らぬ男性かた逢瀬を重ねる事は難しい。
 可能性は零ではないが、やはり、現実的とは言えない。

 

(まぁ、害にならないのならいいけど)

 

 もう、マリナも良い年齢だ。 
 アザディスタンの適齢期は早く、早い者ならば成人の十五歳で身を固めるのも珍しく無
いが、王族と言う特殊な条件を除けば、封建社会真っ只中ではあるまいし、王女も自由に
恋愛する権利はある。
 政略結婚と言う古風な戦略も一時は議題に上がったが、
 こんな貧しい国の王女では政略の足しにもならず、そうなれば、マリナ個人を気に入っ
て貰わねばならないが、何も知らぬ片田舎の王女では他国の権力者達の食指は今一つ
感触が悪いのも事実だ。
 勝手な言い草だが、シーリンも女だ。
 好きな男性と添い遂げたいと思いは少なからずあるし、誰か一人を犠牲にしてアザディ
スタンが救われるレベルならばこれほど国の未来を憂いてはいない。
 シーリンは親友の恋心を否定する気は毛頭無かったし、相手がガンダムのパイロットで
もなければ誰でも良い。
 投げやりな言い方かも知れないが、王女の責任を全うしてくれれば勝手にすればいいと
さえ思っていた。
 シーリンは、盛大な溜息を付き、飲みかけの冷めた珈琲を口に含み、陰鬱な表情で眼下
に広がる街並みを見下ろす。
 そこそこに近代的なビル群が立ち並び、景観こそ近隣諸国と何ら変わりは無いが、国内
に跋扈するテロリストの影は後を断たず、内需は悪化の一歩を辿っている。
 このままのペースでは後十年、いや、五年以内にアザディスタンの内政は崩壊し国と言
う体裁を保てなくなるだろう。
 その前に抜本的で革新的な手段を講じなければ、アザディスタンは滅んでしまう。
 最もそんなサヨナラ満塁ホームランのような劇的な最終手段があればの話ではあるが、
少なくとも今の消極的な対話中心の外交姿勢では永久にこの国は変わらないだろう。
 オービタルフレームの遥か向こう側、宇宙の何処かで国連軍とCBの最後の戦いが繰り
広げられている。
 彼らには気の毒かも知れないが、彼らの存在は世界には猛毒だ。
 誰しもが一度は考える戦争根絶、恒久和平を武力によって実現する存在が矛盾した存在。
 皮肉にも彼らが流させた血によって世界は一つに纏まろうとしている。
 彼らの存在が世界に何を与え、何を変えたのか。
 全ては薄暗い霧の中で蠢き、未だ全容すら見えてこない。
 しかし。いかに彼らの存在が大きかろうと、世界にとって猛毒ならば、アザディスタン
にとっても猛毒と同じだ。
 毒は毒として静かに退場願わねば、抵抗力の無い小さな国々は毒によって溶け、命を落
とすだけだろう。
 世界の平和を願っているのは、シーリンとソレスタルビーイングも同じだ。
 だが、志は同じ物だとしても、シーリンの世界とはアザディスタン王国で彼らに取って
の世界とは人の生きる世界その物を指すのだろう。

 

(憂鬱ね)

 

 形と出会いこそ違えば、シーリンとソレスタビーイングは近しい友に慣れた存在かも知
れない。
 それ故に宇宙の何処かで彼らの命が消えようとしていると事を思えば、憂鬱の一つでも
覚えようものだ。

 

「らしくないわね…」

 

 ここ数日、砂漠に飲まれたアザディスタンには珍しく、景気の悪い事に雨が不機嫌なま
でに降り注いでいる。
 恵みの雨は、水源確保に持ってこいだが、シーリンは雨如きに奥底に抱える懊悩を見破
られた気がして、冷めて不味くなった珈琲を陰鬱な表情のまま喉に流し込んだ。

 

「マリナ、そろそろいい加減に、マリナ!」

 

 机に蹲り肩を揺らすマリナを見て、シーリンは顔面を蒼白にする。
 暗殺と物騒な単語が頭を過ぎり、手紙の中に毒ガスが込められているなど、良くある手
口だ。
 大慌ててでマリナに近寄り、容態を診れば、ただ、マリナは涙を流して嗚咽を堪えてい
るだけだった。
 ほっとするのも束の間、一体どんな内容が手紙に書かれていれば臆面も気にせず泣き腫
らす事が出来るのか。
 シーリンは、どんな顔でマリナに接すればいいのか、困り果ててしまい、無言で背中を
さすり、ハンカチで涙を拭いてやる。
 
「マリナ…」
「なんでも、なんでもないの」
「何でもないってことないでしょ。急にどうしたのよ」
「なんでも…ないの」

 

 くしゃくしゃに握り締めた手紙を胸に握り締め、マリナが空を見上げるとシーリンの努
力も虚しく、瞳に溜まった大粒の涙が頬を伝い勢い良く滑り落ちた。
 今、宇宙では国連軍との戦いに刹那が命を賭けて戦っている。
 刹那の苛烈過ぎる意志は、彼の脆さと同時に、衰えていく母国を目の前にしながら、何
の手段もプランも持たず、無力感に打ちのめされる日々に風穴を開け、萎えかけた戦意を
取り戻してくれ。
 マリナには、刹那が間違っているとは言えなかったが、正しいと断言する事も出来ない
でいる。
 力に力で対抗すれば両者の軋轢と生み、待っているのは滅びの道だけだ。
 マリナも黙って滅ぼされるくらいならば、戦って意義を勝ち取る手段も考えなかったわ
けではない。
 しかし、マリナには、刹那の考えを肯定する事も否定する事も出来ず、己の我を通せる
程の勇気も持ち合わせていないのが現状なのだ。

 

「刹…那…」

 

 ポツリと呟いた一言は幸運にもシーリンに届く事は無かった。
 憐憫でも同情でも無い、苦さと憧れを込めて呟いた一言は、マリナと刹那の関係は現し
ているように思える。
 刹那がマリナに送った手紙には、ただ一言、「ありがとう。さようなら」とだけ書き綴られ
ていた。
 ありがとう。
さようなら。
 たったこれだけの言葉の何処に平和への思いがあるのか。
 普通の人のが見れば、狐に包まれたような表情を取るか、もっと言えば馬鹿にされたと
思うかも知れない。
 だが、マリナには、刹那の気持ちが痛い程分かった。
 戦いに身を窶し、悲しみを背負った刹那が一生懸命考え、ありったけの気持ちを込めて
吐き出した言葉が「ありがとう」なのだろう。
 その一言を搾り出すのに彼にどれだけの苦悩があったのか、マリナには伺い知る事も出
来ない。
 思想、機会、感情、立場、生い立ち、物理的な距離等の様々な要因を含め、刹那とマリ
ナを隔てる溝は深く重い。
 だが、遠く離れてしまった現在があるからこそ、マリナは刹那の気持ちを客観的に、い
や、的確に受け容れることが出来た。
 ほんの僅かな優しさであろうとも、隣人にあます事無く伝える事が出来れば戦争などき
っと起こらない。
 起こらないが、たったそれだけの事がどんなことよりも難しいと言える。
 有史以来人類はお互いを傷つけ、戦争のによる莫大な恩恵に預かり、文明の発展を遂げ
てきた。
 闘争と殺戮の歴史こそが、人類の進化の大多数を占めて来た。
 しかし、言い換えれば、人類は互いに傷つけあわなければ、前に<進化>む事も出来な
い未成熟な生物なのだろう。

 

(刹那…何故、貴方と私の運命はこんなにも重ならないの)

 

 残念ながらマリナには、人類の不出来を嘆く暇も人の思惟に絶望する程年老いてもいな
い。
 今は、ただ、刹那の声を聞きたい。
 マリナの前に突然現れ、現実と過去を見せつけ、戦う意志をくれた少年にもう一度会い
たい。
 直に触れあい、自分の考えと想いを余す事無く伝えたい。
 ただ、今のマリナでは嗚咽を堪え、手紙に込められた悲しみに涙を流すだけであった。

 

 ---4年後、西暦2312年

 

「どうだネーナ、こいつの調子は」
「相変わらずのじゃじゃ馬。これで出力の二十パーセントって言うんだから設計者の正気
を疑うわ」
「違いない」
 桃色のノーマルスーツに身を包んだネーナは、ハンガーで仁王立ちするMSに目を向け
た。
 格納庫の奥には、特別製の拘束具に身を固められた新型MSが安置され、青色と基調を
装甲板、腰に装着された二対の実大剣は見る者を圧倒する。
 工業規格製品に見られがちな質実剛健の趣こそ無いが、丸みを帯び曲線で構成された
機体は、量産機には無い一品物の風格、ある種の職人のこだわりのような気概が見て取れた。

 

「OOガンダム…か」

 

OOガンダム。
 一度は、国連軍によって滅ぼされたソレスタルビーイングが、もう一度戦争根絶を掲げ
る為に用意された、新生ソレスタルビーングの御旗となる機体だ。
 CB技術部の持てる技術とデータを全て集約させた新型ガンダムの一機だ。
 シールドは依然調整中なのか、OOの隣で今も作業中のようで、溶接の光がバチバチと
昇っている。
 ふと、ネーナがラボのラウンジを見上げると、強化ガラスの向こうに桃色のノーマルス
ーツに身を包んだ王留美の姿が瞳に映った。

 

「王留美?あのお嬢様がどうして?」

 

 ガラスの向こうで手を振る王留美にネーナは、愛想笑いを浮かべ、データ処理を続ける
イアンの端末を覗き込む。
 ディスプレイの隅に、王留美の顔が映りこみ、ネーナは背筋に嫌な感触を覚えた。
 本音を言えば、ネーナは王留美が嫌い、いや、苦手だった。
 片手で数える程しか会った事は無いが、王留美のネーナを見つめる険のある視線には毎
回ご勘弁願いたいと思うし、特に人を食ったようなと言うか、中身を見透かそうとするあ
からさまな視線が気に食わない。
 ここまで執拗にあからさまな敵意を向けられれば、流石のネーナも辟易してしまうし、
何より、穏やか過ぎる笑顔のまま向けられる害意と言う物は、感情表現豊かなネーナにと
って未知の領域であり想像の外の感情だった。

 

「滅多な事は言わないでくれよネーナ。王留美はCBのエージェントだが、同時に大事な
スポンサー様なんだ。新型が見たいと言われれば、見せないといけないのが、現実って奴
だな」
「はいはい、そりゃよかございました」

 

 今は気に食わないスポンサー様よりもOOガンダムだと、ネーナは、処理されたデータ
を食い入るように見つめる。

 

「新システム…やっぱり安定しないわね」 

 

 端末にはGN粒子の励起状態を表示するアプリケーションが走らされているが、OOの
出力を表現するグラフは、不定形状に固定され安定していない。
 
「ゲインを瞬間的に振り切ったと思えば、次の瞬間には起動指数を割るか。こうまで不自
然だと、テストパイロットに問題があるんじゃないのか、お嬢ちゃん」
「失礼ねえ。私は善人じゃないけど、実験とちる程間抜けじゃないわ。システムが不安定
なのはハード的な問題でしょ。こっちに振らないでよ」
「違いない。今のは技術屋失格だ。黙ってスルーしてくれ」
「はーいはいはい…でも、ツインドライブシステム。二機の太陽炉を同調させ粒子加速増
大させる新技術。その際の出力は二倍では無く二乗化され、トランザムシステムに並ぶイ
オリアからもたらされた遺産の一つか…何回聞いても眉唾よねぇ、現に動いてないし」
「失礼な動くが安定しないだけだ。そりゃ実戦で使うとなれば考えもんだがな。現在の状
態でもOOはエクシアの三倍強の出力はあるんだ。新型としては及第点だと自負しとる」
「それは伯父様達の成果でしょ。今のOOガンダムは、ツインドライブの性能をこれっぽ
っちも使ってないの。そんなの意味無いじゃない」
「ごもっともだ。確かに意味が無い。毎回手痛いなお嬢ちゃん」

 

 エクシアを改良新造させたプロポーションをしながらも、エクシアとはOOガンダムに
は絶対的な差異がある。
 CBのガンダムタイプには太陽炉は通常一基しか使用されない。しかし、OOガンダム
にはツインドライブシステムの根幹を支える太陽炉が両肩に装備され燦然と輝いている。
 太陽炉などの器官技術はイオリアにおんぶに抱っこのCB技術者だが、MSの基本設計
はイアン達生え抜きの技術者達が携わっている。
 機体単体の性能を褒められれば、素直に嬉しい物だが、肝心のシステムと連動しなけれ
ば宝の持ち腐れだろう。

 

「これで、わしらの持つ全ての太陽炉のマッチングは済ませてしまったわけだ」
「残された太陽炉は、エクシアのみか…ったく、あの馬鹿一体何処をほっつき歩いてるん
だか」

 

国連軍との最後の戦いから四年。
 ネーナの前から姿を消した刹那は依然見つかっていない。
 刹那ばかりだけでは無い。
 ロックオンは死に、アレルヤも行方不明。
 ガンダムマイスターの内、三人を失ったCBは刃を失った剣に等しく、国連軍の追撃を
恐れ、地下に潜ったネーナ達は、彼らを大手を振って探す事も出来ずにいた。
 ネーナ達、残された人間に出来る事は、彼が戻る事を信じ反撃の狼煙を上げる為に、彼
らの機体を作り続けるだけだ。
 
「データ登録終了。起動試験ご苦労さんお嬢ちゃん。後はゆっくりシャワーでも浴びて休
んでくれ。なんなら、わしと一緒に入るかお嬢ちゃん?」
「変態中年…デスヨと奥さんにチクるわよ」
「…勘弁してくれ」

 

 茶目っ気と嫌味を程よくブレンドしたネーナの視線に顔を引きつらせ、イアンは端末を
閉じ、OOの整備をハロ達に指示を出し溜息を付いた。
 本当は人の手による整備の方が遥かに効率的データ採取や整備マニュアルの改訂には技
術的には遥かに有意義なのだが、人員や資金の問題よりも人員不足が致命的な問題として
CBの運用に影を落としている。
 この秘密ラボにもイアンとネーナ、医療班とソフト開発担当のアニューの五人しか滞在
していない。
 国連軍との戦いでCBの人員も随分と減ってしまった。
 質の問題ではなく単純な純粋な量の問題なのだ。
 四年前は、もう少し無鉄砲に勢いと理想だけで進んでいけたはずが、今はやたらと昔を
考えてしまう。
 イアンは、目頭を押さえ「たった四年で随分と歳を取ってしまった」と自嘲気味に呟い
た。

 

「お嬢ちゃん」
「なによ、汗臭いから早くシャワー浴びたいんだけど」

 

 だが、嘆く暇があれば、今は前に進む事だ。 
 でなければ無数の屍の上に立っている自分達が、道化以下の存在に成り果ててしまう。
 死んでいった者達に報いる為にも、今はがむしゃらにでも前へと進む勇気が必要なのだ。

 

「三時間前、エージェントから連絡があった。近々カタロンの部隊がアロウズ直轄の収容
所へ襲撃をしかけるらしい」
「へぇ。民間上がりのレジスタンスが最精鋭の部隊に喧嘩吹っ掛けるの…負けるわよ」
「やって見れなければ分からないと言いたい所だが、旧式の機体ではアロウズには勝てな
いだろうな」
「見捨てておけないってわけ?相変わらず我らがCBはお優しいわね」」
「ティエリアの指示だ。エージェント経由で警告はしたらしいが、どうも押さえ込めんら
しい」
「あの眼鏡、相変わらず甘い過ぎね」

 

 カタロンとは圧政を敷く地球連邦に立ち上がった、反地球連邦組織の名称だ。
 構成員の殆どが地球連邦の直轄特殊部隊『アロウズ』の存在に異を唱えた、ユニオン、
人革連、AEUの軍人達だが、練度は兎も角、旧式の機体ではアロウズの標準装備である
擬似太陽炉搭載機には、大きな遅れを取る頃は間違いない。
 襲撃作戦には、それ相応の人員を投入するらしいが、やはり、勝敗は"比"を見るより明
らかだろう。

 

「恐らくこれがアロウズとの始めての実戦になる。Oガンダムの整備も上々だ。いけるか
お嬢ちゃん?」
「誰に物聞いてるわけ、伯父様。これ以上お預けだったら、機嫌の良い猫でも爪だしちゃ
うんだから」

 

 ネーナは、戦意を隠す事もせず、猫のようにすっと目を細め、まだ見ぬ敵に向け薄く笑
う。その様子が捕食寸前の獰猛な猫科の肉食動物のように思え、イアンは、思わず身震い
してしまう。

 

「分かった、分かった。あまり年寄りは威嚇せんでくれ。お嬢ちゃんの覚悟は四年前に嫌
と言う程聞かされた。そして、わしらは行動として見てきた。今更信用だ信頼だなんて言
葉は陳腐だったな」
「ご明察、決意表明はしたから、後は行動で示すだけなのよ、私の場合は」

 

 暫く実戦から遠のいているとは言え、ネーナは、あの悪名高きトリニティの一員だ。
 味方となった今は頼もしい事この上無いが敵だったらと思うとイアンは背筋が寒くなる
思いだ。
 
「それで、お前さんのコードネームはどうする?やはり、トリニティの名を使うのか」
「そうね、私、もうトリニティ(三人)じゃないしね」

 

 トリニティであるネーナは、四年前に死んだ。
 今、この世に存在するネーナは、サーシェスに対する憎しみと刹那への執着で出来た、
ネーナ・トリニティの残滓にしか過ぎない。

 

「それにあの馬鹿から、もう無駄に殺すなって言われてるしね」
「そうか…なら、どうする?」

 

 破壊の後に新生が訪れる。
 以前のソレスタルビーイングは、国連軍と世界の歪みによって破壊された。
 ならば、破壊を受け入れ、来るべきに備え耐える時間は終わりを告げた。
 ネーナの脳裏に四年前の刹那の顔が浮かぶ。 
 あれかた四年も経った。ネーナのチャームポイントだったソバカスは消え、少女の面
影こそ残しているが、ネーナは出る所はしっかりと出た大人の女性に一歩も二歩も踏み
込んでいる。
 身長も七センチも伸びた。バストのカップも二つも増えた。ヒップは大きくなり過ぎ
た気もするが、小さすぎるよりは良いだろう。
 四年前、刹那とネーナの身長は、殆ど変わらなかったが、今はどうだろうか。
 自分がこれだけ分かりやすく成長したのだから、刹那はどうなっているだろうか。
 良い男に育っている、むしろ育って貰わねば困るとネーナは思った。

 

(まっ、会ってからのお楽しみか)

 

 何せセカンドキスまで上げた相手だ。
 腕を組んで恥ずかしくない位には、身長は伸びていて貰わねば困ってしまう。
 逸る気持ちを抑えながら、ネーナは「再開の時は近い」と明確な予感を抱いていた。

 

「伯父様、私、コードネーム決めたわ」
「了解だ。それでどうする?」
「私の名前はネーナ。ただのネーナ。新生ソレスタルビーイングのネーナよ」

 

 華のような笑みを浮かべ、何処までも挑戦的な瞳のまま、ネーナは、呆気に捉えるイ
アンを他所にOOガンダムを睨みつけていた。

 

? 戻る? [[次>]]