紅い十字架_01話

Last-modified: 2008-09-02 (火) 18:28:25

 まだ肌寒さを残す、日が昇りきらない早朝。裏路地の中を行く彼女は、重たい身体を引きずりながら
「これだけあれば当面は不自由しないでしょう」
戦利品を抱きしめて悦に浸っていた。
戦利品とはすなわち洋服である。
彼女の両手は煌びやかな洋服で一杯だった。
時々、持ち切れなかったそれが、するりと間を抜けて落ちていく。
「……何故、戦闘に不向きな衣服しか集めなかったのか、ですか?
戦闘中は機動鎧か機械鎧を装備するのですから、平時において何を着ていても問題無いでしょう。
貴方は私の趣向にまで口出しするのですか?
それは越権行為ですよ」
突如として独り言をはじめた。
傍から見れば、ただの危ない人としか映らないが、本人は至って真面目のようだ。
それに本当は独り言ではない。
彼女には話し相手がいた。
戦場においては最高の支えとなる相棒。
しかし、
「貴方は私の補佐デバイスであるのですから。
主人たる私をもう少し信用して頂きたいものです」
『それが出来たらこちらも最初から楽が出来たと宣言させてもらう。
こちらが提示したプランを足蹴にしたことはどうでもいい。
が、そうした上で君が選択したプランが、こちらのものと大差無いのは何故か』
 きっと、日常生活においては最大の邪魔となる。
彼女は憎らしいぐらいに抑揚の無く落ち着いた、その癖、若さを感じさせる男性の声を聴き、そう思った。
こいつは絶対に筋金入りのお節介だ。
彼女は新品特有の匂いで満たされた洋服に顔を埋めて拗ねてみた。
『……それも‘学習’の一環ならば、大いに間違っていると宣言する。
我が仮の担い手、イグレーヌ。その行いには君が学ぶべき気品がない』
「余計なお世話です。私はあらゆる事象を学ばなければなりません」
『その中に、洋服に顔を埋めるという行動は決して含まれないだろうと警告させてもらう。
それといい加減にどれを着るか選べ。
人通りの少ない場所とは言え、可能性が無いわけではない。
大体、今の格好は何の冗談か』
「何か問題が?機動鎧を使うわけにはいかないでしょう。
あれではこんな狭い場所には入れません」
『……いや、いい。
気にしていないならば何ら問題無い。
が、その行いにもまた気品がないと行っておく』

 

「余計なお世話です、剥き身の剣よ」
 イグレーヌ。
彼女は勝ち得た衣服から適当なものを選び、身に纏い始めた。
そんな彼女の身体は、どこか煤汚れていた。

 

 

 とある街。
この街では今、一つの怪異が横行していた。
夜な夜な街の上空を、虹色の霧が覆うというのだ。
それは街全体を包むほどの規模というが、目撃者は限られた人間だけ。
今から三日前、最初にそれを見た者達以外にはそれは見えないのだという。
限られた証言だけ。しかも信憑性は低い。これでは機関も本腰を入れることも出来なかった。
だからこの怪異は、小さな噂として街に息衝こうとしていた。

 

―第97管理外世界 一日目 Nameless―

 

 それは遠い日の記憶。
 あるいは惑いの虚像。

 

 赤と紅が交錯する。
切り結ぶ度に剣先からは炎が噴出し、地上へと堕ちていく。
何の罪も無い、無垢な人々の住む地上へ……。

 

 彼らを護りたかった。
だから戦った。

 

 彼女を護りたかった。
だから戦った。

 

 結果は馬鹿らしいにもほどがあるものだ。
戦えば戦うほど護るものからは遠ざかっていくという現実。
それに気付いたのは全てが終わった後だった。
自分達が幾ら大義名分を翳して戦っても、それが誰かのためになったのか。
違う。
それは所詮、押し付けに過ぎない。
自分は、あなた達の為に戦っているんだという自己満足。
理由なんてなんでもよかったのかもしれない。
大業を与えてくれた人。
あの人の言葉や行動は正しかったのか。
今は分からない。
けれど、本当は同じだったんだろう。
俺が負けた彼らとあの人は。

 

 人は結局、押し付け合いの中で生きている。
 そんな世界に、俺は未練なんて無いから……

 

 俺は、生きるのを止めた。
 止めた、はずなのに……。

 

 耳を突くサイレン。
少年は鬱陶しげに前髪を払って目覚めた。
飛びっきり最悪な夢を見ていた気がする。
それも子供が思い描く、幼稚な漫画みたいな内容の。
「どうせ子供っぽいなら、もっと楽しいのを見せてくれよ」
疲労と空腹による消耗。
今日はどうやらそれだけではないようだ。
変に身体が熱かった。
外気は今日も肌寒さを感じさせる。
確かにそれを体感しているのに、芯から燃え上がる感覚がそれを殺しているのだ。
「変な、ものでも食べたかな」
もう何日も、まともなものなんて食べていなかった。
騙し騙し食べていたものの食感、味も臭いも、全部が悪寒となって帰ってくる。
少年にも分かっていた。
自分の身体の破綻が近いことは。
救いなんかは求めていない。
それに縋ることを、彼の心が拒んでいた。
記憶なんてないのに。
罪なんて、感じる必要もないはずなのに。
「……僕は、悪くなんか……ないのに」
ならば、この罪悪感は何だろう。
この焦燥感の出所は何処なのか。
頬を冷たいものが伝った。
今のこの姿を誰にも見られたくないと思う。
だから彼は今日も一人、橋の下で涙する。

 

「何で、泣くんだよ」

 

―それは君が人間だから

 

「何で、悲しいんだよ」

 

―それは君が人間だから

 

「……何が、怖いんだよ」

 

―それは君が……
『人殺しだから』

 

「―!」
 深い闇の底から、声が聞こえる。

 

―君は多くのものを殺した。
 敵だから殺した。
 悪だから殺した。
 仇だから殺した。
 許せないから殺した。
 それらを、
『‘命令’という免罪符で殺した』
「違う!僕は……‘俺’は!」
 頭を抱え、掻き毟る。

 

―何も違わない。
 君は解き放たれる‘言葉’を探していた。
 それを与えてくれる場所を、人を求めていた。
 それを得た時、君は‘完全’になった。
『オメデトウ。君は最高の兵器だ』
 その声は少年の心を抉って侵入する。
「‘俺’は兵器なんかじゃ、ない!」
 皮が切れ、血が滲む。

 

―何故、否定する。
 それを望んだくせに。
 奪われたものは取り戻せない。
 分かりながら燃え上がる憎悪。
 止め処ない悔恨。
 あの時、護る力があったならと、
『そう思い、渇望したのは誰だ?』
「悔しくて!
悲しくて!
だから戦う力が欲しかった!
そう思うことの何が悪い!」
 少年の口から吐き出される言葉は彼のものでありながら彼のものではない。
口だけが別の意思に突き動かされて暴走する。

 

―悪くはない。
 しかし行き着いた先は何だ。
 君は何をした?
 何が出来た?
『何も出来なかっただろう』
「嘘だ!
‘俺’は助けた!
人を!
国を!
世界を!」
 その叫びに、少年の思考は介在しない。
途方もない違和感。しかし止まれない。
彼の顔は何時の間にか、紙くずのようにぐしゃぐしゃになっていた。

 

―それは君の理想だろう。
 理想を現実に、そのまま投影出来るほどに器用だったか?
 違うだろう。
 君は助けられなかった。
 人を。
 国を。
 世界を。
 それは全部、君が自分に吐いた嘘だ。
「……違う。
 違う!
 俺は……俺はぁっ!!」
 焦点を失っていく瞳。
弱まる心。
それと反比例して拡大する歪んだ慟哭。

 

―認めるんだ。
 自分の行いを。
 認めるんだ。
 自分の生命を。
 模索しろ。
 自分が‘ここ’にいる意味を。
『意味がないとは言わせない。
 何故なら君は―』
 そこまでだった。
少年に聴く事が出来たのは。
何故なら少年は、恐怖のあまりに意識を手放していたから。
彼の身体はもう、力を失っていた。

 

―……早かったか。
 でも私は信じているよ。
 君が気付き、立ち上がることを。
 ‘言葉’を与え、背負わせた私だから知る。
 ここで終わる君ではないということをね。

 

 少年の破綻は近い。
 自ら入った檻が、破られていく。

 

 

 通行量も多い街の中にサイレン音が反響する。
一台二台と、パトカーが一線へと集中していく。
何事かと注視する人々。丁度、出勤、あるいは登校中だった彼らはここで今日、‘人外’と遭遇する。

 

「――す!」
 頭上から響く若い女性の声。
頭上?
皆が訝しんで空を見上げると――

 

 装飾豊かな青いドレスを着た女性が宙を舞っていた。
彼女は空中で華麗に回転すると危なげなく着地。
車道を人間には到底出せないはずの速度で駆け出した。
 綺麗な女性だった。でもそれは人間じゃなかったと通行人は口を揃えて証言している。
この世界の何処に、パトカーの追撃をやり過ごす速度で走ることの出来る人間がいるというのだろう。
世界記録に喧嘩売るどころではない。
人体の限界を容易く突破する走力だった。
彼女は何事かを叫び続けていたが、彼女自身が立てる足音と言う名の爆音と、パトカーのサイレンに掻き消され、誰にも聞き取られることはなかった。

 

―第97管理外世界 一日目 Igrene―

 

 彼女は飛ぶ。 
追走者を振り切るため、彼女は己に限界を超えることを許容した。
ビルを飛び越えながら、彼女は走る。
『君の穴だらけの知識に基づく立案を鵜呑みにしたミスだ。
謝罪を聞き入れるだけの余裕があるのなら、どうか許して欲しい』
「それは謝罪ではなく皮肉でしょう」
追いかけてくるのはこの世界の警察。
だがそれだけではない。
先程からイグレーヌは、もっと性質の悪い輩の接近を感知していた。
「さてはて。この類は、やはり噂に聞く管理局の方でしょうか」
『そのようだ。
彼らにとって、私達のような存在は厄介だろうからな。
大体、すでに私達は時空転移を行った先で罪を犯してしまっている』
「……あれは仕方なかったと弁明します。
店内には責任者もおらず、押し通すしかなかったのです」
『衣服の確保の為か』
「そうです」
躊躇いなく言い切った。
彼女の腰に指された意思持つ剣は、そんな主を恨んだ。
イグレーヌは衣服の確保のため……強盗を行った。
閉店した店に押し入り(正しくは壁を吹き飛ばし)、そこにあった綺麗な服を片っ端から強奪したのだ。
為すべきことがあって、それの障害となるだろうから対処した。
彼女にとって、手段は目的によって正当化されるのである。
 が、正当化した手段と言うのがコレとは。
『……流石に庇いきれない』
「庇ってもらう必要はありません」
言うが早いか、イグレーヌの足元に白色の光が収束していく。
彼女の眼差しに奔る険を、相棒たる剣は目ざとく察知した。
『続けるか』
「退くはずがないでしょう」
彼女の言葉に迷いはない。
たとえ自身の行いが何時か己を追い詰めることになったとしても、彼女は後悔しない。
何故なら、そう生きることしか教えられていないから。
「我が主をお救いするまで、私は‘停まれない’のです!」
 瞬間、彼女の身体は文字通り吹っ飛んだ。
相手の追尾を振り切るための逃走。
それは彼女が現在出せる、最高の速度だった。
 粉塵を上げ、彼女は走る。
その先に退路があると信じて。

 

 

『――目標捕捉。何時でも行けるよ、クロノ君』
「……行きます、艦長」
 退路など、ないのかもしれない。

 

 同様に、あの少年の前にも。

 

 

 己が内に潜む恐怖に少年が怯え、イグレーヌと追跡者が街中を騒がしている頃、誰にも気付かれぬままに一つの怪異が姿を現した。
それは深緑の鎧のようにも見えた。
2mを優に超える、重厚な鉄器の集合。
兜の頭頂部から伸びる剣のような角。
両肩から張り出し、反り上がった突起。
胸部に配された排気口からは白色の光が絶え間無く放出され続けている。

 

『此方ZAKU。目標漂着点に到着。
 これより、対象Aの排除に移る』

 

 鎧は動き出す。
少年に終末をもたらす者として。

 

―第97管理外世界 一日目 Igrene―

 

 確かに凌いだはずだった。
つもりだった。
『その考えの浅はかさが、君を滅ぼす』 
剣の言葉が、酷く響く。
 詰めを怠ったのか。
距離を取った時点で、何処かへと飛ぶべきだった。
そうしなかったから、彼女は今、地に這いつくばっていた。
しかも閉鎖された結界の中で。
「……管理局じゃない」
イグレーヌは睨んだ。
それは鎧としか形容できなかった。
いや、それよりもこれに相応しい名を、彼女は知っている。
「モビル、スーツ」
かつては彼女もそうだった。
自分の起源を忘れるはずも無い。
だが目の前に立つ敵は、それとも違う異質なものだ。
MSを強引に人並みの大きさにまで縮めたような姿。
それでも分かる。
大型の盾と黒塗りの両刃剣。
両肩から突き出る、歪曲した突起。
なにより、群青に染め上げられた全身。
これは、‘この機体’は。
「グフ・イグナイテッド。いきなり‘コレ’を差し向けてくるとは。
彼らも本気ということですか」
斬りつけられた右肩を押さえながらイグレーヌは立ち上がった。
血は、流れていない。
 ―グフ・イグナイテッド。
今はこの鎧をそう呼ぶしかない。
グフは一歩一歩、イグレーヌとの距離を縮めていく。
別に甚振っているわけではない。
警戒しているのだ。
『こちらの世界の機関を振り切ったことで油断したようだな。
貴様がどのような存在であるかを弁えていれば、このようなことにはならなかった』
グフから発されたのは男の声。
その声は、何処か震えていた。
「……その震えは、己の行いに自信が、誇りが持てないからこそのものと見ます。
‘こちら側’に就けとまでは言いません。
ですが、その胸に抱いた理想がまだあるのならば、道を開けてください」
『断る。
これは正式な任務だ』
男の声がまた響く。
今度は何の迷いも無かった。
「はぁ……。これまでの会話を総合するに、貴方は‘人間’なんですね」
意味不明な呟き。
だが相手にはその意味が伝わったらしい。
わずかにその巨体を揺らすと、擦れた声で返した。
『……気付いていたか』
「私みたいなのは量産できる型じゃあないでしょうしね。
しかしデバイスとしての利便性を切り捨てて、鎧としましたか。
我が創造主の発想からは大きく離れているようですが」
『確実性を取った結果だ』
男は言い切った。
確実性か。
面白くない言葉だ。
‘実験機’の成れの果てである彼女にとって、それは縁遠いもの。
「分かりました。
貴方を敵として、排除させていただきます」
最初からそうすればよかったのだ。
自分に与えられた役目。
それは主を護る為に戦うこと。
その為には世界の法則すら捻じ曲げる覚悟がいる。
相手はこんな結界まで用いてきた。
逃がす気は毛頭無いのだろう。
最初の障害としては申し分ない。
 心ではなく、己の機能が叫ぶ。
 迷うな。
 戦えと。

 

「参ります!」
 刹那、彼女の身体を眩い光が覆った。

 

―第97管理外世界 一日目 Nameless―

 

 胃液の苦味を感じるのが先だったか、アスファルトを転がりまわるのが先だったか。
突然、彼は住処にしていた鉄橋下から10mも蹴り飛ばされた。
雪達磨式に、止まることなく落ちた彼の意識は一瞬だけ落ち―
「がっ!」
 脳裏に閃いた光によって、強制的に再起動させられた。
今のは何だ。
考える間もなく次の攻撃が迫る。
―敵だ。
何故自分が襲われているのか、理解することも出来ないままにそう認識した。
「なん、なんだよ」
視界が霞むが構ってはいられない。
次も食らえば、確実に死ぬからだ。
何が最善かは分からない。
とにかく動け。
鳴り響く警笛。
脚が縺れながらも横に逃げた。
わずかに遅れて着弾し、地面を砕いた赤い光の威力は語る必要も無い。
人に当たればどうなるかなど、分かりきったことだ。
だから少年は恐れながらも――。
『‘俺’なら、もっと上手くやれる』
 高揚していく自分を必死に抑え付けていた。
こんなのは自分じゃない。
自分は、望んではいない。
そう何度も考えることで、声を薄める。
そうして薄めれば薄めるほど、少年の動きは体裁を失っていく。
避けようと駆け出す度に躓いては転ぶ。
それの繰り返しだった。
『どうした?そんなもんじゃないだろう。
お前が‘俺’なら分かる筈だ。
何処から敵が来るのか。
敵が何なのか』
「分かるわけないだろう!
分からないから逃げてるんだ!」
『そうか?
なら、なんでお前は敵の攻撃をかわすことが出来る。
ドラグーンによる連続攻撃を。
素人には到底無理だ。
お前は知らず知らずに俺の力を使っているんだよ』
「なんだよそれ!
僕は何も知らないんだ!」
 少年は否定するが、彼の動きが声の主の指摘が正しかったことを証明する。
またかわした。
かわせたことに、少年は怯え始める。
「……どうしてだ」
遂に少年は内なる声に語りかけた。
逃げたかった。
けれどもう、逃げ切れそうに無かったから。

 

「どうして、僕にこんなことが出来る」

 

『お前が知っているからさ。
この攻撃を。
戦いの中で何度と無く受け、何度と無く掻い潜った』
「……だから?」
『お前は、この攻撃に対してなら負けは無い』
「……負けない?」
『……あぁ。負けない』 

 

 その響きは甘い。
少年の心に、強く響く。

 

『お前が恐れているのは負けること。
目覚めて、それでまた負けることが怖いだけだ。
何度と無く戦い、そして敗者になったお前だからこそ理解する。
勝利こそ正義。
勝利こそ自由。
勝利だけが、お前の運命を変えてくれる』
「運命を、変える」
 何時しか少年は、煌く光の雨の中を軽やかに舞うようになっていた。
それこそが本来の姿と言わんばかりに、彼の姿は輝いている。
これが視るということ。
避けるということ。
「戦うということか」
『そうだ。
お前は戦う。
戦わなければならない。
だから呼べ。
お前の力の名を。
掴め。
その手に再び、抗いの力を』

 

「……呼ばなくちゃ」
 静かに少年は瞳を閉じる。
全てが必殺という嵐の中で。
諦観では決して無い。
それは次への希望。

 

 この戦いに勝利する為の、第一歩。

 

「来い……‘デスティニー’」

 

 少年はまた、その手に剣を取る。
身体を包み出す光に臆することなく。
分かっている。
これが‘変わる’ということだ。
距離はあれど、呼べば答える。
『そこに、心があれば』
 そして、時は止まった。

 

<ZGMF-00VL・DESTINY、起動確認
 ユニゾンデバイス・イグレーヌを強制召還
 セットアップ開始
 ZGMF‐00VL・IMPULSE・FORM
 起動シークエンスに移行>

 

少年の目蓋の裏に映る文字列が、彼にこれから起こることを伝えてくる。
何一つ理解できないはずだけど、全てを理解できてしまう矛盾。
これはそういうものなのだ。 
そんな風に今、教えられた気がする。
 ならば身を任せよう。
その先にあるものを掴みたいから。 
少年の詠唱が始まる。

 

「我、運命を背負いし者なり。
誓約のもと、その鎧を解き放て。 
身体は器。
心は鍵。
今こそこの手に不動の力を」
 #br
『インパルス……セットアップ』
 言い知れぬ歓喜と共に、それは姿を現す。
 離れた片割れを引き寄せて、自らのあるべき姿へと。
 再び時が動き始めた瞬間、少年の身体はたしかに赤い光に貫かれ――四散した。

 

 

その様子を遠方の結界より覗き見る鎧があった。
確かにそれはあの新緑の怪物の姿だったが、色が違う。
今は全身を黒に染めていた。

 

「……対象Aの排除を確認。
ドラグーンの回収後、この領域を離脱。
そちらの援護へ回る」
 こことは別の場所で同じく任務に当たっている同胞へと通信を入れる。
これが終われば、二人とも御役御免。
晴れて自由のみだ。
‘元友軍の英雄’を手に掛けたくなどなかったが。
……背に腹は代えられぬといったところか。
せめて今は黙祷を。
故郷に裏切られた少年の冥福を彼が祈った―

 

「おい……やってくれたのはお前だな」

 

時、鎮魂の想いを打ち砕く呪詛が響いた。

 

「―!?ぐぬっ!」
 反転するよりも先に、頭部に痛打。
蹴りを食らったか。
しかし何故。
ここは結界。 
目立ちすぎる身を隠すためのベールの中のはず。
「利かないんだよ。
俺には」
 また響いた。
この声は、酷く耳を打つ。
誰だ。
これは誰だ。
考える間もなくニ撃目。
今度は明らかに魔法によるものだ。
眩い閃光が装甲表面を焦がした。
 ふっと止まった攻撃。
男はようやく体勢を立て直した。
そして見やった先には――

 

 紅い悪魔がいた。

 

 深紅の、特徴的な制服。
 その各所に散りばめられた機械的記号。
 重要箇所のみを選別して貼り付けられたようなそれは、機能美を感じさせた。
 両手に握る二振りの青い大剣をちらつかせ、結界内の空に静止するその姿のなんと恐ろしいことか。
 それが口を開いた時、男が悲鳴を上げなかったのは奇跡だったかもしれない。
いや、当然か。
男は悪魔を視野に入れてしまった時から、それに呑まれてしまっていたのだから。

 

「礼を言うよ。
あんたのお陰でここに戻れたんだから」

 

 ―悪魔。
いや、男が殺すべき、殺したはずの少年は笑う。
とても嬉しそうに。
その笑顔には、優しさなど一片も無かった。
そんな彼の頬に、血涙のようなラインが奔る。
 #br
 少年。シン・アスカの罅割れた笑みが、男の脳裏に刻み込まれた瞬間だった。

 

 

  この事件に、少女達が関わってくるのはもう少し先。
今はまだ、彼女らはこちらの渦の外にいる存在。
やがて出会うことになるその日まで、三人は互いのことを知らぬまま進むことになる。