紅い十字架_02話

Last-modified: 2009-04-20 (月) 18:06:21



 

C.E.74

 

 人は何時だって、他人に怯えている。
 人は何時だって、他人を求めている。
 相反するようだが、この矛盾を内包するのが人の心。
隣人愛を謳う人も、何処かで他者には壁を作る。
その壁こそ、自己を証明する最後の砦だから。

 

 プラント最高評議会議長、ギルバート・デュランダル。
一つの戦争の勝利者にして、一つの戦争の敗北者。恐らくはC.E.史に名を残すであろう人物だ。
彼は討たれた。平和の、自由の敵として。つまり、悪だったから。
元々、善悪の判断とは相対的なものだ。何が正しくて何が過ちかなど、明確に規定することなど出来はしない。
結局は勝者が定める物差しこそが正しいのであって、それ以上でもそれ以下でもない。
生き方が上手な人間とは、最後に誰が指標となるか、読み切ることが出来る者のことを言うのだろう。

 

「そして私は、私達は読みきれなかったということだよ」
 男は酒を呷る。
名高い美酒の筈だが、味は分からない。

 

「随分と捨て鉢な物言いね」
 男に寄り添う女が言った。
何処か男を窘めているように聞こえる。

「捨て鉢にもなるさ。
今の私は、家族と呼べたかもしれない子すら護れなかった亡霊……敗残者なのだから」
それでも男は頑なだ。彼は多くを失い、光を失っている。
情を抱いた少年はもうおらず、成すべきことも半ばで砕かれた。
自分の行いが反発を生むと分かっていても、やらねばならなかったというのに。

 

「私の覚悟など、この程度のものだったのだよ。
だからこのまま消えていくのも、致し方無い。
世界に、この時代に、ギルバート・デュランダルは必要ないのだから」

 

「その敗残者に、私は救われたわ」

 

 ようやく上がってこれた。これで目的の一つは達成したことになる。
我ながら惰弱な精神の持ち主だ。あの程度の攻防で主導権をあっさり明け渡すとは。
好都合ではあったが、拍子抜けでもある。
……ちっ、やはり駄目か。こいつも目覚めようとしている。
この男に現状が打破できるか怪しいが、デバイスの性能を信じて賭けてみるか。
このままでは俺が消えてしまいかねん。
あの男の計画通りに動いてやる義理はないが、しばらくは付き合ってみるか。

 

「議長、これが事実なら」
「事実なのだよ、ハイネ」

 

「私達の今度の敵は、私達自身だ」

 

 

 少年―シン・アスカは混乱の極みにあった。
目が覚めたというのか何なのか。
いきなり吸い寄せられる感覚とともに‘底辺’から浮上した意識。
するとどうだろうか。
変な鎧と格闘戦を演じているではないか。
自分はなんだか変なコスプレをしているし。
「……わけ分かんないぞ」
嫌な汗を流しつつも、シンは脳天目掛けて振り下ろされた斧を光剣で止めて見せた。
この剣も、何故かMSの標準装備だったビームサーベルに似ている。
一体何の冗談なのだろう。
相手はどうしてこんなに殺る気満々なのだろうか。
疑問は尽きないまま、シンは戦い続ける。 
 ……目下のところ、俺が何でこんなところにいるのかを―

 

『余所見をせずに敵を!』
 さっきから耳元で煩いこの小さな女の子が教えてくれる、のか?

 

 靄が掛かった世界の中で光が交錯する。赤と緑。激突の瞬間、打ち負けたのは緑の方だった。
「ぐぬっ!」
緑の鎧―ここはあえてザクと呼ぼう―が苦痛の悲鳴を漏らす。
怯んだ隙を突いて、青い大剣を振るう少年―シン・アスカは猛進。躊躇い無く振り切った。
シンとしては色々と思うところもあるが、殺す気は最初から無い。
こいつには聞かなければならないことが沢山あるのだから。
だから先程からの攻防でも、剣の腹を使ってとりあえずそれっぽく振り回しているだけなのだ。
ナイフの扱いは訓練学校時代、同期一と謳われたのだが、生憎これは大剣である。
勝手が違うというものだ。初手からしばらく、勢いと威力で押し勝ってきたが、ここにきて早速限界が来た。
ザクは大剣の大振りを華麗な空中前転でかわし、逆にシンの真下へと回った。
『マスター、闇雲な攻撃は隙を生みますよ!』
「……」
 まただ。
シンは直下からの射撃―シンのよく知る"ザク"の武装、ビーム突撃銃のようなものから放たれた―を避けて天高く飛翔しつつ、
どれだけ動き回っても肩に張り付き続ける小人を睨んだ。
『マスターがあのザクに勝てているのはデバイスの性能と魔力量、速度だけなのであり―』
「……なぁ」
『話の腰を折らないで下さい!』
―そう喚かれてもなぁ。シンとしてはこっちが怒鳴りたいところだと言いたかったが、そうも言っていられない。
いよいよ相手も、シンの"底"を見抜いてきたのか、動きに戸惑いがなくなってきた。
足元を掠める射撃の正確さもどんどん増してきている。このままでは不味い。
どうやら自分は、とんでもないところで目覚めてしまったようだ。というか何故、何の疑問も無く、霧中の空を駆け回っているのだろうか。
状況把握は後回し、と思っていたが、そうも言っていられなくなった。
状況把握開始。シンは一応会話は成立しそうな小人―イグレーヌに平謝りしつつ、胸に直撃コースで飛来した一発を大剣で弾いた。
「色々と聞きたいことはあるけど、まずアンタ、味方なのか」
喚き散らした挙句、いきなり耳たぶを噛まれては堪ったものではない。
中々に酷いことを思いつつ、シンが問い掛けると、イグレーヌはぽかんと目を丸くし、次の瞬間、宝クジ一等と大穴馬券が一度に来たかのような驚きと歓喜に震えた。
『味方ですとも!私は貴方をサポートするために作られた人格プログラム、―』
「だぁっ!そんなのいいから!」
シンが怒鳴る。途中までは聞いていたが、それどころではなくなった。
 シンの視界を突如として埋め尽くしたミサイル群。突如、ザクの背面から飛び出してきたのだ。
殺到する爆発物に、シンの思考はパンク寸前だった。
「うおわぁっ!」
モニター越しには見続けていたはずの放火に、一瞬でも怯えてしまったシン。
封じたはずのトラウマが開かれようとした。
『――!』
イグレーヌは主の変化を敏感に感じ取った。待ちに待った自己紹介と意気込めば、
出鼻を挫かれ、我に返ってみるとミサイル群―ファイヤー・ビーに囲まれているこの状況。
デッド・オア・アライブとはよく言ったものだが、確実にデッド寄りだった。
まだやるべきことは何もやっていない。今から始まるのだ。こんなところで終わらせてなるものか。
今はシンを護る為。イグレーヌは全力で答えた。

 

『<敵性の特定開始―ザク・ウォーリアと断定>
 <対応可能兵装検索―十二件合致>
 <使用可能な兵装データを引用します>
 <引用開始―各シルエットのデータ所得に失敗しました>
 <……引用再開―ビームライフル・ショーティー>』

 

 僅かコンマ5秒。
気付けばシンの手元には大剣に変わり、飾り気の無い二丁の拳銃が握られていた。
「な、なんだ?」
『使い方は通常の拳銃と変わりません。行動を』
急に落ち着き払ったイグレーヌの言葉に、シンもやるべきことを見定める。
「っ!結局は―」

 

「こんなんばっかかよ!!」
 威力よりも連射力。シンはファイヤー・ビーの幕に銃撃で挑みかかった。

 

 爆発し、霞の世界を染める赤。風圧がシンを吹き飛ばす。
「うぁっ!」
対応するには近すぎたのは分かっているが、ああしなければ確実に粉微塵にされていた。
晴れない黒い煙の中を、あの鎧が突っ込んでくるのが分かる。

 

『今!』

 

『<ビームライフル・ショーティー使用継続を進言>
 <却下―兵装の切替を推奨>
 <認証―ビームライフル・ショーティー分解>
 <引用開始―フォールディングレイザー>』

 

次にシンの手に握られたのは飾り気の無い、ただのナイフ。
『使い方は……お分かりですね』
「―これは」
形状に引っ掛かりを感じながらも、また大剣を出されるよりはマシだ。
何故、こんなものがひょいひょいと飛び出してくるのかという真っ当な疑問は無視して、無理矢理に納得してシンは立ち向かう。
ザクが構えたのは斧、違う。あれはただの斧ではない。シンの中で、朧げな違和感が繋がった。
「おい!これは"フォールディングレイザー"なんだよな!?」
『はい、"フォールディングレイザー"です』
―フォールディングレイザー。シンのよく知る武装だ。そして、ある意味もっとも手に馴染んだ武器でもある。
その特性を信じるのならば、
「本当にこれがそうなら……いけるか!」
フォールディングレイザーを握って、シンは無防備にもザクに飛び掛かる。
あまりにも急な突撃にザクは戸惑ったが、それならばと迎え撃つ。
斧―ビームホークの刃がぎらつく。ザクにとっては必殺の間合い。そこにシンが到達した時、決着は付く。
確かに肝を冷やしたが、それも最初だけ。まだ素人だ。ザクはこの戦いに、負けるなどとは到底思っていなかった。

 

 この瞬間までは。

 

『<危険度上昇>
 <パイロットの生存を優先>
 <却下―シルエットシステムの限定解除及び使用を推奨>
 <承認―欠損データ修正―代替案としてエールストライカーを引用>』

 

 何かがかち合う音と共に、シンの背中が火を吹いた。
「―うぉっ!?」
急激な加速につんのめりながらも、"予定通り"、フォールディングレイザーを突き出した体勢でザクに迫る。
イグレーヌの言ったとおり、速度では勝っていた。それもザクの反応可能な領域から逸脱した速度で。
 激突の瞬間、右手で突き出したフォールディングレイザーがザクのビームアックスの形成刃を破り、
「ぐぉっ」
「もう―!」
 闇雲に振りぬいた左の斬撃が、右肩を鎧ごと斬り裂いた。
「(やった―!)」
シンが一息吐いた、その時、

 

『あまり、いい気になるなよ?』

 

 彼を呼び覚ました、あの声が――。

 



 

 また、誰かに呼ばれた気がした。
「――ター!聞こえ―か?……マスター!」
 気のせいじゃない。確かに呼ばれている。
「あなたがいなければ……この―は――」
この、声は。

 

『起きろ、鈍間が』
 誰何する前に、何か硬い物と硬い声で起こされた。

 

 シンが目覚めてみると、ザク―というか鎧を着込んだ人間がどんよりとした目で、シンを甲冑の中から睨んでいる―は青い光の輪みたいなもので何十にも縛られていた。
少なくとも状況は好転したようだとシンは安堵した。けれど、他の変化と繋がらない。

 

「あぁ、良かった……」
見知らぬ、青いドレスを着た女性が、何故かシンに抱きついていた。
「暖かいなぁ」とか青少年っぽいことをシンが考えるよりも先に、
『なんだ。生きていたか』
色々と台無しな無粋な声がシンの脳裏に響いた。
「だ、誰だ?」
『お前に抱きついている女の腰元を見ろ』
腰元?よく分からないが、シンはとりあえず視線を落とした。
 落として、沈黙する。
「……」
『なんだ、分からんのか』
「分かるけど、認めたくないっていうか……」
『……全く。これでは先が思いやられる』
よく分からんのはお前のほうだ。シンは心中、毒吐いた。
 誰が、剣が喋るなどと考えようか。しかし、実際喋っているのだから仕方が無い。
身動ぎせず、縛られたまま倒れこんでいる鎧男と、女性が腰に備えている喋る剣。
ついでに、勝手に変な衣装に衣替えさせられている自分自身。
どれが、一番理不尽かなど、論じるだけ無駄と言うものだった。
思考をそこで打ち切って、シンは女性―イグレーヌと向き合った。
「……マスター?」
そんな不思議そうな目で見られても困る。マスターって何?
問いたいことがありすぎて、何から聞けばいいか分からなかったが、まず聞くべきはこれだろうと決め、口を開いた。
「ここ、何処だ?」
するとイグレーヌはテキパキと答えた。
「ここは地球、正確には第97管理外世界です」
そうか。シンはやたら頷き、次の質問に移った。
「それで、アンタ誰?」
この問いにイグレーヌは感極まったように震えながら、所在無げに浮いていたシンの両手を掴んで言った。
「私の名はイグレーヌ。あなたの剣となり盾となる為に生まれたデバイスです」
そうか。シンはまた生返事を返す。
「そうか……そうなのか」
シンの頭が目まぐるしい速度で回転する。
これは悪い夢だとか、性質の悪いドッキリだとか、とにかくこの状況をどうにか整理しようとする。
夢にしてはリアルすぎる。ドッキリはもっての他。企画しそうな友人は数人いたが、それにしても壮大すぎるし、
そもそも彼らとはもう"会えない"。
「夢で……夢であってくれ!」
 今も心配そうにこちらを見ている女性、イグレーヌはシンのことを“デバイス”と言ったが、
シンには“デバイス”が何であるかの知識が無い。最初からすれ違うことが定められた二人だった。

 

『……詳しいことは私から説明しよう』
 嗚呼、議長閣下はこうなることすら見越して私を遣わせたのか。
かつては彼の、今では世間知らずのお嬢様の懐刀をしている“彼”は、自分の存在意義をようやく知った。
 私の中の彼が目覚めるまでは、精々代わりを楽しませてもらおう。

 

 紆余曲折の末に、ようやくシンは満足のいく説明を受けることが出来た。
理知的な雰囲気を漂わす、だけの美女のほうはやはり当てにならなく、結局は喋る剣、カリバーンからの解説だったが。
『すまなかった。こちらとしても度重なるイレギュラーの末の合流だったのでな。
まさかそちらが、何の知識も持たされていないとは考えていなかった。
彼女を許してやってくれ。悪気は無いのだ』
カリバーンにフォローされ、イグレーヌは項垂れる。
「……すみません。ようやくマスターに出会えたので、つい」
「つい」じゃねぇよ。明らかに巻き込まれた形のシンは少々気が立っていたが、噴火しそうになる自分を抑え込み、愛想笑いを浮かべる。
こいつらに、悪意は無いんだ。むしろ味方と言ってもいい。……言いのだが。
関わるとさらに面倒なことになる。シンは、聞かされた一種の冒険譚に圧倒されていた。
「ほ、本気なのか?
アンタら、本気で俺を」
『悪いが全て事実だ。
シン・アスカ。君は与えられた使命によって、これから修羅の道を歩くことになる。
襲ってきた敵も、それの尖兵に過ぎない』

 

『救ってもらうよ、シン・アスカ。
君に、C.Eの世界を』

 

 この世界には、魔法と言うものがある。
掻い摘んでしまえば、そういうことらしい。

 

 

「送り込んだ彼は、しくじったらしいよ」

 

「……そうか。
予定以上にシン・アスカは卓越していたということだろう。
伊達に騎士団の両翼を落としてはいない」

 

「で?
これからどうするのかな。
あまり派手に動くと管理局とかに気付かれちゃうし」

 

「もう気付かれているさ。
彼らも無能ではない。
ラクス様がこちらを落ち着かせてからの交渉をと考えていたが、そうもいかないようだ」

 

「何れ始まる大戦の為に、あの“デスティニー”がどうしても必要となる」

 

 動き出した運命。
シンはまだ、輪の外側にある。 

 

 

知らされたのはすでに亡き故郷の末路。
何もかも失った少年に、悪魔の力が契約を迫る。
妥協か侵略か。
覚醒の日はまだ遠く―

 

第二話 『侵略する者』
 

 

「あんた達は俺と同じで、矛盾してるよ」

 

甘言はきっと この身を滅ぼす劇薬