鎮魂歌_第08話

Last-modified: 2007-11-17 (土) 19:21:07

キラはバニングス邸の森に立っていた。
体はほとんど完治していた。跡が少し残る程度だが、運動には問題なく、薮井医師からのOKも出てい
る。長く体を派手に動かしていなかったキラは、屋敷では手伝いを、森でリハビリをする毎日だった。
完治までに、初歩の初歩あたりの魔法知識については1週間をかけてなのはより授かっていた。
あとは実践あるのみ。
キラの瞳が閉じられる。
まるで森という深緑と一体化したかのような静かな精神で魔法陣をイメージ。

赤い輝きが、キラの足もとで回る。
円を要とした、ミッドチルダの魔法陣だ。

空を見据え、手にした拳大の石を放り投げた。
間髪入れず、右手をかざす。
その手の形は、まるで見えない銃を握るような形。

キラの脳裏に閃くのは、微かな記憶。
それはモニターを見つめる自分だ。
電子の画像の中では、骨組のような人型が特定の動きを繰り返している。キラはそれを眺めていた。
いや、その動きにキラ自身、時折手を加えている様子もある。
そのモニターの中に綴られている文字は、Motion Data。
何の動きのデータを作成しているかまでは分らない。

画面の中の人型が腕を上げる動作。
画面の中の人型が人差し指を何かにひっかける動作。
画面の中の人型が人差し指を引き絞る。
その記憶をなぞるかのように、掲げたキラの右人差し指が引き絞られた。
まるで、トリガーに力を込めるかのように。

赤い小さな魔法陣が生まれる。まるで銃口のようだ。
瞬間、魔法陣から赤い魔力が線となって走り、放りあげた石を弾いて宙を跳ねさせる。
立て続けに、さらに3度引き金を引くような動作。
2度、小さく赤い魔法陣が生まれては、そこから赤い光線が撃ちだされて上空の石を射た。

(1回失敗……)

未だ、空を舞う石へ向けて、1回の不発を反省しながらさらに精神を研ぎ澄ませる。
引き金を引く記憶の中の人型と、自分自身の動作を重ねて、もう3度のトリガー。
全弾命中だった。
さらに、さらに狙いと心を鋭く集中させて、トリガー。
赤い魔法陣が生まれるたびに、赤い光線が飛翔し、そのたびに石は上空へ上空へと押しやられていく。

いったん、キラは手を休める。
そして駆けた。
木々を縫って、目的は石の落ちてくる地点。
落下する速度が徐々に速くなる石を正確に捉えながら、キラの脳裏にはまた違う記憶。
いや、正確には見ていたモーションデータの延長だ。

画面の中の人型が腰へと手を伸ばす。
現実でのキラが腰へと手を伸ばす。

画面の中の人型が腰の円筒状の柄を握り締める。
現実でのキラが何もない腰で、しかし何かを握りしめた。

画面の中の人型が円筒状の柄を抜き払う。
現実でのキラが腰で握りしめた何かを抜き払う。

キラの腕と落下する石の高さが一致する。

振り抜いたキラの手に握られていたのは、赤い赤い魔力のサーベル。
魔力を単純に、しかし強力に放出する形で形成されたサーベルは、石と交差する一瞬だけ姿を現す。
小気味のいい音を立てて、勢いよく弾き飛ばされた石が木に突きささった。

「ふぅ……」

一蓮の訓練を終え、キラは一息つき、随分と体が動くようになってきたと自覚する。
それに魔法も。
ほとんど、魔力を複雑に使う事はまだキラには無理だった。
そこで、キラが直感的に魔力の扱いを思いついたのが、そのまま放出するという事。

イメージのままに魔力を絞り込み、指向性を与えて放射すると言う事である。
実際に、行ってみれば極々体は自然に動いた。そして仕上がったのが今しがたの訓練通りの魔法であ
る。記憶を辿ったかのように脳裏に浮かぶ人型の通りに体を動かして、ビームのように魔力を射出する
のだ。

およそバリアジャケットについても及第点のもらえる構築はできるようになっている。
ただバリアジャケットを纏う事はできるが、それを記憶する媒体――デバイスがないのだ。
つまり、纏うためにはいちいち生成しなければならず要領が悪い。
それゆえ、バリアジャケットを生成する訓練以外では別段バリアジャケットは着用しなかった。

正直、キラは魔法と言われて空を飛ぶとかお菓子を出すなどと考えていたので驚いている。
なのはから受けた教えのほとんどは穏やかな理論などの学術的な話なのだが、実際に使うとなるとこれ
が戦闘に特化したなのはの教えである。気付けばキラの魔力を、どう戦闘に運用するのが効率いいの
か、という内容と化し、それを吸収してキラはここまで動けるようになった。
何度か「ユーノ君がいれば……」となのはが呟いていたが、キラには誰だか分らない。
どうもなのはの魔法の先生らしい。

さて、なのはに魔法を教わっている間々に、キラはいくつか記憶の断片を拾う事ができた。
おぼろな誰かの顔。とぎれとぎれの誰かの声。
ちょっとずつ、思いだしてきている。
そんな記憶の中で、確かに自分はどこかで体を鍛えていたという確信があった。

砂浜。
走る。
夕焼け。
ばてて。
片目に傷を負った誰かが笑っていた。

フトのしごきに耐えられ―――
今日はここまで―――
俺はひとあし先に戻っ―――
ーヒーでも淹れておい―――

(でも、途切れすぎててなにがなんだか……)

誰かの歌声と子供たちの後姿。
両眼がふさがった穏やかな顔。
優しげな女性の口元。

随分と、いろいろと思いだしている。
が、どれも決定的ではない。
誰も彼も名前さえ思い出せず、どうにか思い出せる顔も、まるで色あせているかのように実感につながら
ない。

(魔法を学ぶにつれ、思いだしてきてるけど……全然魔法について思い出せないや……どういう事なん
だろう…?)

魔法を学ぶ上で、数学や物理学に触れる内容がある。
それらの式や図を用いるとき、キラはまるで何年も扱っていたかのうように的確で豊富な知識を頭から引
きずり出せた。しかしそれも数学や物理学の範囲内だけで、実際に魔力を用いてくるような話になると全
くの素人なのが分かる。
これではまるで、数学や物理学を専攻する学生に魔法を教えているようだ。
では学生だったのか?
と言われて見ると、デバイスの話になると、やはりここでも素晴らしい理解力をキラは発揮する。魔力によ
るフォームチェンジの原理等々にはついていけないが、構造やコンセプトといった、言ってみれば兵器的
な話に触れればなのはよりも鋭い観察眼や見解を示す。
まるで兵装に関与する技師のようだった。

(何者なんだ……僕は…)

総合すれば、理数系を修めた機械整備を担っていた人にでもなるだろうか?

そうやって思考の渦へと沈むと、とたんキラは不安に襲われる。
僕は誰?
こんな身近な疑問が、深く暗い。
そんな気分を払うのは、決まって体を動かすか、なのはから学ぶ魔法であった。
だから、

(どうせ、悩んでも思い出せないんなら……)

そう吹っ切れて魔法の練習を繰り返すのだった。

また、記憶の中の人型の動きをトレースして自分の動きに反映させては、赤い魔力のライフルを撃ち、赤
い魔力のサーベルを振るう。
無心で動き回っていたが、ふとそう言えばとキラは思い出す。

(なのはちゃんが、今日って誰かが帰ってくる日って言ってたような……えぇっと…ハラオ…?)

結局、誰が帰ってくるかまでは思いだせずに訓練に没頭した。

「嘘や……」

本局の、ある会議室。
茫然と、はやては呟いた。その視線の先には、アースラから引っ張ってきた戦闘記録。

一室をまるまるアースラスタッフが借りきっての集合である。さらにメンバーにははやて、シャマル、ザ
フィーラとなのはを加えたものだ。ただ、怪我の治りきっていないフェイトだけは欠席している。
その特級戦闘員たちの集いで、中央のプロジェクターに映し出されていたのは先の第83管理外世界で
の戦いだった。あれから8日を経た今だが、現場を担当していたクロノだって信じたくない内容が淡々と
流れ続けている。

そして、一番信じたくないのははやてだっただろう。

「こんなん嘘に決まってる……こんなヴィータ偽物や…シグナムも……シグナムもまだこの世界におるは
ずや……」

蒼白な顔色を隠せず、はやてはどうにかこうにか言葉を紡いだ。

いまだ車椅子に乗るはやての体は、震えている。その肩を心配げにシャマルが手を添えた。

「はやてちゃん……」
「はやて……信じたくないだろうが、このヴィータは本物だ。シグナムも捜索は続いてるが…」
「せやったら! ……せやったらこの仮面の男の人のせいや! ヴィータは絶対こんな事せえへん!」

クロノの冷たげな声に、ついはやても声を荒げてしまう。クロノとてその冷たげな声の裏で溶岩のように
怒りを沸騰させているのがはやてには理解できた。できたが、それでもはやては声を荒げなければ泣き
だしてしまいそうなのだ。

「その通りよ、はやてさん。ヴィータにしろシグナムにしろ、このトライアという男が原因の一つに間違いな
いわ」
「……せやったら…この人は今どこにおるんですか?」
「わからないわ……でも、この1週間の内、何度か魔力反応を捉えているわ。そして、ある世界の付近か
ら動こうとしていないわ」
「どこですか!」
「はやてちゃん、あなたの世界よ」
「え……」

驚くはやて。しかし、シャマルとザフィーラの表情は変わらない。変わらずに重い。
ヴィータとシグナムと続けば、誰の目にも明らかだろう。
次は、

「次は……私たちの番というわけですね」
「…おそらくは」
「そ、そんな…!」
「クロノ君…なんとかならないの?」

不安げななのはに、クロノはあくまで冷静な言葉と態度と表情だった。

「管理局で護衛や警戒は徹底的にやるさ。だが現状では、後手に回らざるを得ないな…」
「でも魔力反応は何度も掴んでるんでしょう?」
「それは何度かクルーゼという男と交戦をしているのをキャッチしただけだから」
「……フェイトちゃんを助けてくれた?」

「そうだ。今、生前のプレシア=テスタロッサの周囲からあの男の素性も探っているが……まだ正体が掴
めていない。トライアたちと敵対している様子ぐらいしか、分ってないな」
「分らない事だらけだね…」
「………」

まさにその通りだ。分からない事の方が圧倒的に多い状態に、クロノも閉口するしかなかった。

「クルーゼさんと協力できないかな?」
「それは分らないが、接触はしようと思っている……ただ、神出鬼没すぎる。僕もアプローチをかけようと
したんだが、現場につけばもういないんだ。トライアが僕たちを避けようとすぐに逃げるから、彼もそれを
すぐに追う」
「追い付けないの?」
「残念だが、エイミィでも無理だった。そうだな……フェイトのソニックフォームくらいのスピードがあれば、
交戦の反応を捉えてどうにか間に合うかもしれないが……」
「フェイトちゃん……もう、お見舞いに行っても大丈夫だよね?」
「あぁ、きっとフェイトも喜ぶよ」
「私も治療のお手伝いをします」

シャマルがぎこちない笑顔で入ってくる。車椅子を押してだ。どう見ても、その笑顔は無理が見えた。
なのはは心配げにはやての表情を覗き込むが、少し落ち着いている様子だ。

「クロノ君……アースラはこれからどうするの?」
「……引き続きあの3名が持つロストロギアの奪取を言い渡されている。アースラは地球を――正確に
は、闇の書の時と同じように僕たちの住んでるマンションを拠点に捜索する」
「あたしも手伝う!」
「君は護衛の対象じゃないか」
「で、でも! ヴィータの捜索任務中や! ヴィータを確保する任務やねんから、アースラと一緒におった
方が…」
「屁理屈を言うんじゃない! レティ提督から新しい連絡があるまで大人しくしているんだ」

もうクロノは叱りつけるような口調だった。
対するはやても必死だ。どうあっても自分の手で家族の異変をどうにかしたいと思っていた。
レティ提督に直談してでも、アースラスタッフにねじ込んでもらおうとさえ考えている。
そんな2人に口を挟むのは、おそらく最もクロノの扱いに長けたエイミィだった。

「じゃあ、クロノ君がはやてちゃんの護衛をすればいいんじゃないかな?」
「ふざけるんじゃない」
「ふざけてないよ。はやてちゃんたちがアースラチームと一緒になって動けば、向こうも手だししにくいで
しょ?」
「これまでヴィータもシグナムも1人だった所を狙われているんだ。3人1組になっている今なら、そもそも
手出しがしにくいだろう」
「じゃあ、敵が手出ししにくいんだから、はやてちゃんも加わればいいんじゃないかな?」
「それでもはやてがのこのこ動きまわれば狙われるに決まってるだろう」
「だからクロノ君とアルフも一緒になればいいんじゃない」
「クロノ君、私も手伝うから」
「なのはまで……」

苦い顔をするクロノだが、その実、はやてたちをアースラに加えるのは悪い案ではないと思えていた。
エイミィの言うとおり、ザフィーラにアルフと自分、さらにはなのはまでを合わせればよほどの事がない限
りは防ぎきる自信もあるし、悪く言えばはやてを餌に出来るかもしれない。
しかし、フェイトの事があったのだ。
もうフェイトのような負傷者を出さないためにも、危険度が低いければそちらの方が今のクロノには魅力
なのだ。

「しかし……」
「クロノ、はやてさんが心配なのも分かるわ。でもね、あなたがはやてさんを心配するのと同じくらい、は
やてさんはヴィータの事を心苦しく思っているのよ」
「艦長……それは分かりますが……」
「そう、分るのならいいわね。エイミィの案を採用しましょう」
「いや、だから分かりますけど……」
「はやてさんは一時アースラに編入する形でヴィータの捜査を進めて頂戴ね。行動は常にザフィーラかク
ロノのどちらかと共にしてもらいます」
「艦長!」
「クロノ、これは命令よ。あなたははやてさんの護衛を兼ねてトライアの足取りを追います。はやてさんも
ヴィータとシグナムについて捜査する事は、トライアたちを追う事に直結するわ」
「…………分かりました」

命令。その一言でクロノは折れる。無念そうな、しかしどこか仕方ないという思いをした顔だ。

「それじゃあ、私はレティに詳しく話をしてくるから。後から正式に命令が下りるわ。それまでとりあえず全
員本局にはいてください。では解散」

それだけ言ってリンディは手を叩き、にっこり笑って会議室から出て行ってしまう。
有無を言わせぬ流れである。
およそ現状をはやてたちに報告するだけに終わってしまった。
つまり、管理局としては何かしら有効な手がかりも手立てもないのだ。
アースラが担当していたロストロギアの正体も、トライアらの素性も、クルーゼについても、何も分かって
いない状態。
場は重苦しい空気だった。

「フェイトちゃんのお見舞いに行こか」

そんな空気を蹴り飛ばそうとはやてが口を開き、各人が頷く。
そんな中で、

「あの、私ちょっとリンディさんに用事があるから先に行ってて」

なのはだけ、リンディの後を追って扉の向こうへと消えていった。

「リンディさん!」
「なのはさん?」

呼びとめれば、リンディは少し驚いたようになのはを見る。
いの一番にフェイトの所へ行くと言いだすとばかり思っていたからだ。
なのはは真剣な表情でリンディに切り出した。

「聞いてほしい話があるんです」

そしてリンディへと相談し始める。
キラの事を。
キラの怪我、所在、記憶喪失、そして何よりも魔法を教えた事実を。