鎮魂歌_第21話

Last-modified: 2007-11-17 (土) 19:29:07

「ひっどい怪我だね……」
「大した事はない」
「強がるんじゃないよ」

ツン、とザフィーラのただれた背を押せば、ビクン、と反応。

「………大した事はない」
「はいはい、治療するから。前からね」

男って馬鹿だねぇ、とばかりに溜息を一つ。
アルフがザフィーラの胸板の裂傷と背の火傷に治癒の魔法をかけるのは、50メートル級の卵を逃してそれほど時間も経たぬ頃合いだ。
即座にアルフやロッテ、クロノが追おうとしたが怪我人と消耗を考えて断念。エイミィの報告を待ったが、彼女のサーチもむなしく卵の行方は見失ったらしい。
結局、ガイアの処分に時間を使い、現在、各人の手当てに至る。
ここまでに、クルーゼは早々にプレシアの杖をリカバリーの一言に修理、再度飛び立とうとしたのだが、

「……」
「……その手を、放してもらえないかな?」

クルーゼのジャケットの裾を掴むフェイトは首を横に振る。

「あの……怪我を…」
「道中に治せる」
「わたしに……わたしに治させて下さい」
「必要ない」
「…お願い、します」

ギュッと、裾を掴む手が強くなった。
奇妙な沈黙がクルーゼとフェイトの間に流れ、しばし。
結局、ガイアを処分し、海からキラも引き上げてクルーゼの退路を断つように集まり始めた管理局員らを見て、クルーゼが折れる事になる。

「……お願いしようか」
「はい」

うつむきがちだが、可憐な笑顔がフェイトに咲いた。
そっと鋭利な裂傷にフェイトが手をかざせば淡やかな光。治癒の輝き。
暖かいような、柔らかなような、心地いいような。まるで、母のような。

「ククッ……」
「? あの、他の痛い所ありますか?」
「いや……」

母親もいない身。馬鹿な事を刹那でも考えたと、クルーゼは自分を嗤った。
心配げなフェイトの表情から目をそらすが、クルーゼは己の唇がまるで微笑んでいるような形であるのを自覚できなかった。

「それで……引き止めた本当の理由は、これなのだろう?」
「あ……」

フェイトの治癒の魔法が揺らいだ。
クルーゼが手の杖をフェイトへ向けたのだ。
母と呼んだ人のデバイス。プレシアの杖。

「何故私がこれを持つのか……大方、プレシア=テスタロッサの関係から調べていたのだろうね?」
「その子の厚意は、そんな打算的なものじゃないさ」

割り込んでくる声はクロノ。
続々と、アリア、ロッテ、ザフィーラ、アルフ、そしてキラもクルーゼの周囲へと集まってくる。

「あなたが初めて会った時にフェイトを助けてくれたようなものだ。もっとも、管理局としてはあなたの言う通りの事をしたがね」
「それで、何かわかったかね?」
「いや、さっぱりだ。あなたは一体、何者だ?」
「……いいのかな、そんな質問に時間を費やして?」
「現状じゃトライアたちに追いつけるか分からない。なら、少なくとも同じ目的の人間の話を聞きたくてね」
「取り囲んでおいて話? まるで尋問だな、管理局」
「もっと詳しい事情を聞かせてくれるなら、こちらも紳士的な対応になるさ」
「……フン」

丁度、フェイトの治療が終わる。
不安げな顔をするフェイトの肩に、ありがとう、と一言を添えながら手をやれば、クルーゼはプレシアの杖を待機状態にしてから腕を組んだ。即座に有事に反応できない姿勢、という意思表示なのだろう。

「いいだろう。だがその前に私も1つ、言いたい事がある」
「……そちらの言い分から、聞こうか」
「キラ=ヤマト君」

一同の視線が、キラへと集中。
急な名指しにびくりとなるキラだが、クルーゼと目が合ってさらに緊張の度合いが強くなる。
じっと、見返す瞳に力が入る。喉が乾いてくる。体温が自分で分かるほど上がっている。心拍が乱れる。
―――クルーゼを恐れている。

「君は一蓮の事件から離れた方が良い」
「…え」
「何故だ?」
「今からの話もそうだが、きっと彼の記憶に触れるだろう。失ったままにした方が良い記憶も、あると言う事だ」
「しかし、彼は今まで記憶を取り戻すために努力してきた。それを、はいそうですか、と言うにはな」

キラに代わってクルーゼへと疑問を差し挟むクロノだが、その声はキラに届かない。
クルーゼの一言一言がキラの体に深く食い込んでくる。
その声、その喋り方、全てがキラの本能を刺激するのだ。
危険、恐怖、嫌悪がチラリ、チラリと頭と体と心に滲んでめまいがする。

「キラ、どうした……顔青いよ」

ロッテの声さえ、遠い。
弱々しく首を横に振って、キラは精一杯言葉を紡ぐ。

「大丈夫です……僕は大丈夫です……だからクルーゼさんも…話してくれませんか…?」
「………いいだろう」

一寸だけ、クルーゼが逡巡した風に間を置いて、答えた。
その響きは、どこか投げやりだ。

「それで、いったい何を聞きたいのかな?」
「……あなたは自分がどの世界の出身か、分るか?」
「第83管理外世界」
「それがキラの出身で―――なんだと」

思わず、聞き返すが聞き返す必要がないほどその世界は知っている。
前回、闇の書のあった世界。
クライド=ハラオウンが死んだ世界。
シグナムの消えた世界。
クルーゼと最初に接触した世界。

「バカな…あの世界に魔法技術は」
「ない」
「何故使える…?」

ロッテとアリアさえ動揺が表面に表れている中、クロノも動揺しながら、しかし毅然にクルーゼに挑む。
正直、リンディの心の傷を広げないように遠のけていた地区がビンゴだったという皮肉に、クロノは悔しさばかりが溢れるがそれも心の奥に押し込めて質問を追加していく。

「私も光の卵に選ばれていたと言えば、信じるかな?」
「!?」
「もっとも、辞退したがね」
「つまり、1度死んで復活を望まなかったのか?」
「その通りだ」
「……なんで、生きてるの……」

青ざめた顔で、キラが呟いた。儚い声音だ。
まるで、悪夢でも見ているような口調だが、その場にいたほとんどはそのままの意味でクルーゼを見た。
光の卵は復活を餌にして死者を闇の書に攻撃させる。
ならその前提として復活を望まない者がいれば?
ほとんどの者がそう考える中で、キラだけが違った。
何故、生きているのか?
まるで殺した人間が生き返ったかのような、ニュアンス。
キラ緊張がさらにきつくなっていく。
そのたびに、まぶたの裏に見えてしまう種子のヒビが多くなっていくような気がする。
そのたびに、感情が溢れる。楽しみ、悲しみ、喜び、怒り、あらゆる感情を伴う記憶が、あの種子の向こうにきっとある。

あるのに。
あるのにキラはこう思うのだ。
――砕けないで
嫌な予感がする。砕ければ、きっと嫌な想いを、思いだす。
『失ったままにした方が良い記憶も、あると言う事だ』
クルーゼの言葉が何度も耳に響いては消えていく。

「ヤマト、本当に大丈夫か?」
「…大丈夫です」

それでも、キラは耐えた。
今日までの不安を、きっと終わらせる。必死に探した記憶に、手が届くのだ。
――もっと思い出すぞー! って思わなきゃ!

(うん…そうだね、アリサちゃん)

ふと、思い返すのはアリサの言葉。それだけで、少しだけキラは勇気が出た。
思い出す勇気が。クルーゼを恐れない勇気が。

クルーゼの言葉は続く。

「光の卵のマスターを断ってすぐに私は廃棄された。その先は…正しければ虚数空間と言ったはずだ」
「虚数空間……まさかそこで見つけたのか?」
「そうだ」

待機状態のプレシアの杖を指でなぞりげ、クルーゼが頷く。

「このデバイスから魔法を学び、それから虚数空間をから出た」
「どうやって?」
「正直に言えば、私にも分からない。気付けば私がいたのは第83管理外世界だったのだから」
「……それで」

いくらか訝しげな視線をクロノはクルーゼへ向けるが、とりあえず先を促す。
隠し事やごまかしがあったとして、今は裏を取る術がない。

「そう睨まないでくれたまえ。気付いたのはちょうど、最初に君たちと接触する直前だ」
「フェイトを助けた時か。何故奴らを追う?」
「……」

クルーゼが黙った。
視線をキラに向け、まるで苦笑するように唇が釣り上がる。

「『在ってはならない存在』と言うものが、あると思うかな?」

ひときわ大きくキラの心臓が撥ねた。
間違いなく、聞き覚えのある言葉。それが、聞き覚えのある声から発せられたのだ。
汗が引かない。頭が痛い。震えまでし始めたキラの脳裏に、知らない情景がいくつも流れては消えていく。
さながら走馬灯。
それが記憶であるという事に、キラは数秒気付かなかった。
もはや、今見ている景色は遠く、今聞こえている声も遠い。ただ徐々に染み込んでくる記憶が鮮明。

「何を言っている?」
「ただの道理さ」
「……意味が掴みづらいな。たとえばどんな存在が、在ってはならないんだ?」
「死者」
「……なるほど、あなたは死人が生き返るという事に反発がある、と?」
「まさにその通りだ。死んだ人間は、何も出来ない。ただ、見守るしか出来ないのだよ」
「……ならばあなたも」
「そうだ…私も在ってはならない存在だ」

自嘲気味な笑い声がクルーゼから洩れた。
現実が遠いキラにとって、その声だけは鮮明に聞き取れる。
聞き取りたくない。
まぶたの裏によぎる種子は、どんどんそのヒビを微細なものにしていく。
砕ければ、記憶が溢れるのは分かる。
分かるのに。

「矛盾しているな」
「……フフフ、なに、私もすぐにいなくなるさ。それが道理だ。ただ、それも光の卵を消してからになる。あれは、決して認めていい存在ではなかろう」
「決着がついたあと、自決するつもりか?」
「それもいいがね……しかし、1つ、面白い人間と出会ってね」
「……ヤマトか」

全員の視線にさらされるキラだが、クロノたちはいていないようなものだった。
まるでクルーゼと対峙しているかのよう。
ピシリ、と幻聴が聞こえた。
瞬きの時、キラが見た物は欠け始めた種子。その隙間から流れ出てくるのは自分が生まれ、育つ過程。
ヤマト夫妻に養われ、アスランと出会い、サイたちと学んだ日々。
あらゆる記憶と名前と景色が巡るのに、キラは素直に喜べない。
ぽっかりと、穴が空いたようにある人物だけが思い出せない。
吐き気もめまいも通り超えて、気の遠くなるような奇妙な気分で、ただその人物だけぼやけたまま。
思い出したくないのだと、キラの冷静などこかが分析する。
いずれ、戦いの記憶が怒涛のようにキラの頭に蘇る。
ガンダム、アスラン、マリュー、ムゥ。
いくつもの修羅場が眼前に現われては霧散していく。

思い出したくない。殺したくなかった。
喘息のような呼吸をキラは止められない。それでもクルーゼから目が離せない。
いずれ、クルーゼが記憶に現れる。
クローン。スーパーコーディネイター。在ってはならない存在。憎悪と呪いの叫びをムゥと聞く。
そして加速していく記憶の中、キラはクルーゼを殺した。
何かが抜けていた気がする。いや、抜けている。誰かが欠けている。
何故クルーゼを殺した?
そこまで来ても、やはり誰か1人、ぽっかりと穴が空いたように思い出せない人物がいる。
誰?

「そうだ。キラ=ヤマト…」

クルーゼの声に、水でもかぶったように目が覚めた。
記憶の波は一瞬。
まるで永遠のような何年もの記憶は、それでも現実に数秒しか進まない。

「彼にとって、私は大切な人間の仇なのだから」

キラの脳裏で、また少し種子が欠けた。
ふわりと、赤い髪がなびくのを見た気がした。

「あ」

それでもまだ思い出せない。
それが誰なのかを。
想いだしたものは、ただ憎悪のみ。

「あああああああああああああ!!!!」

心の奥底で数年かけて鎮めた憎しみと悲しみが今、当時の鮮明さでキラの胸を焦がしていく。
気付けばキラはクルーゼへ踏み込んでいた。右手が疾風の速度で唸る。赤い魔力が実に奇麗に揺らめきながらクルーゼの顔面へ走り、

「何をするんだ?!」

クロノに止められる。
重いそのゲンコツにクロノでさえ事を驚いくほどの威力がある。
フェイトとアルフから突然の凶行と見られる横で、ザフィーラ、ロッテ、アリア、そしてクルーゼは冷静だ。
そのままフープバインドでキラを縛り、ひと先ず動けなくはする。バインドにあがきながら、キラは叫んだ。

「殺した……」
「なんだって?」
「なぜ殺したんだ!」
「な、何の事だ……誰を?」
「分からない……それだけが思い出せない……誰だったのかが思い出せない。でも……殺した………なぜ殺したああああラウ=ル=クルーゼ!!!」
「クックックッ、誰を殺されたか、覚えていないとは傑作だな。哀れな事だ。あの娘も、君も」
「あなたは!! あなたという人は!!」
「………管理局、君たちは手を出さないでもらいたい」

クルーゼの手元が閃けばプレシアの杖が再び起動。
強くもがくキラの力に、簡素にかけただけフープバインドはすぐに解かれるだろう。
さらにバインドを重ねようとしたクロノに対して、クルーゼが杖の先端を向けたのだ。

「何を馬鹿な…」
「ここからは、私たちの決着―――いや、決着はもうついていたな。そうだな……ただの、けじめだ」
「うあああああああああああ!!!」

粉々に砕いたバインドの幕を割って、キラが突っ込んだ。
同速度を用いて距離を調節しながらクルーゼが赤い刃を捌き、上空に昇る。
あっという間に管理局員らを取り残してキラとクルーゼが空を駆けて行った。赤と白が煌き、ぶつかり、何度も交差していく。

「な、なにしてるのさ! 早く止めないと…」
「止まらん」

一寸、間がなければまともな反応もできなかったアルフへとザフィーラは静かに言った。
クロノも、飛び出そうとするのをロッテに抑えられて不服そうである。

「奴らの因縁だ」
「……男って馬鹿だねぇ」

今度こそアルフは口に出してから溜息を吐く。