黒い話

Last-modified: 2014-03-10 (月) 15:38:09

なぜ私はあの時にシンを止めなかったのだろう。



シンには色々なことが起こりすぎた。

精神的に不安定になっていったことは私にもわかった。

それまでもひどかったけれど、

坂道を転げ落ちるように彼がさらに不安定になったのはあの日からだと思う。

あの日、彼はごめんなさいと言った。

それからの彼は目に見えてさらにひどくなった。一気に悪くなった。



今のシンの目は正面の一点を見ているだけ。

言葉を話すこともできず、一人で立つこともできない。

何かを目で追うこともできない。

今日、私がそばにいることもわからないかもしれない。



私はなぜあの時ごめんなさいというのを止めなかったのだろう。

彼がこんなになるのなら、言うのを止めたのに。

彼がこんなに強いショックを受けるなら。

彼は本当にごめんなさいと言うのが嫌だったのねと思った。

もうとりかえしがつかない。

でもそう思いながらもまだ私は彼が回復することを少しだけでも信じている。





今日も私は彼のいる施設に来ていた。

私は彼のいる部屋で彼の世話をしていた。

彼のご飯をスプーンですくう。そして彼の口に入れる。

ご飯を入れると少しだけど口を動かす。昨日よりも少し動かしたように私には見えた。

精神的ショックが強くても彼は元に戻ると私がいつものように考え始めた時、

彼らは現れた。



「こんにちは、ルナマリアさん」



ラクス=クライン! キラ=ヤマト!

続いておともの人たちが部屋に入ってきていたけれど、

私にはおともの人たちはどうでもよかった。

何で二人がここにいるの!?



なぜあなたたちがここに? 今はコロニーのために忙しいはずの人たちなのに。

私には考えられなかった。こんな所に来る時間も無いくらい忙しいはずなのに。

それにいつぞやキラに会った時だってアスランの仲介という形だったはずなのに。



私の疑問に対し、ラクスはこう答えた。

「シン=アスカの処置が決定しましたので。それを伝えに」



私は信じられなかった。シンへの処置?

ラクスやキラがそれを伝えるためだけに来たというのも信じられなかったけれど、

シンへの処置と言ったのにも信じられなかった。



「シンへの処置ってどういうこと?」 

「罰は受けねばなりません」

「罰ってどういうこと? 彼は今、こんな状態なのよ。

それなのにまだ彼に何かしろというの?」



ラクスはすぐにまた答えを返してきた。

「ええ。その通りです」

「もう一回言うわ。今の彼はこんな状態なのよ。何かできると思う?」

「ええ。できます。彼にはプラントの未来において、重要なことをしてもらいます」



重要なことって?

私にはさっぱりわからなかった。

あきれて何も言うことができない私に代わって彼女は告げた。

「彼には罰として、プラントの出生率を上げるための実験に参加してもらいます」





出生率を上げるための実験? 何よ、それ。

私はわけがわからなかった。



「彼には実験台になってもらいますわ」

ラクスはすまなそうに言った。伏せ目がちとはこういう状態なのだろう。



「実験台ってどういうこと?」

私が聞くと彼女は話を続けた。

「話すことができなくとも、自分の足で立つことができなくとも、

行なうことができる実験はたくさんあります。

プラントのために調べなければならないデータはまだまだたくさんあるのです。

ところが普通の人に協力していただけるような実験には限度があります。

そこで彼には普通の人ができない実験をしてもらいます」



「普通の人ができないって、まさか彼を殺すということなの!?」

「いえ、彼を殺すようなことは決してありません。貴重な被験者です。

ただ色々と悲惨な目にあうのは確実です。

普通の方には受けてもらえないような非合法な実験によって。

それこそ死んでしまったほうが良いような、そんな目に」





「そんな!? 嫌よ、そんなの!」

私は大声を出してラクスの胸ぐらをつかんだ。

「仕方ありません。もう決定事項なのです。

それに出生率をさらに上げるために、誰かがこうしなければ。

貴重なデータを取るために」

ラクスはさらにすまなそうに言いながら、私の腕を振りほどいた。



そう。

彼らが言っているということは、

おそらくこれはプラント上層部の中でも決定事項なのだろう。

ひょっとしたらそのための書類にはんこを押したのは彼らかもしれない。

そして私がいくら嫌だと訴えてもシンはその実験とやらを受けさせられるのだろう。

強制的に。

それはわかっていた。

頭でそれは理解していた。



だけど私はそんなの認められない!





嫌! 何でなのよ!? シンはそんなに悪いことをした!?

何でなのよ!?



そう思っているとここで初めてキラが口を開いた。

「誰でもこういうことを言うのは嫌だよね。

でも誰かがそうしなければいけないから今日ここに来た。

それにプラントの出生率の問題は重要な問題だから。

僕らが今日ここに直接来たのは、それが彼への礼儀だと思ったから」

そう話すキラの表情はラクスと同じ、もしくはそれ以上に暗かった。





何でそんな実験やらなければいけないのよ!

出生率はそんなに大事だっていうの? 今それをしなければならないっていうの?

なぜシンなのよ!

彼が悪いことをしたっていうの?

彼がこんな風になっているから?

今の彼が何も言うことができない、何もすることができないから

むりやり悲惨な実験をさせられるってこと?

私には考えられない。彼らがそういうことを言えるのも私には信じられない。



「彼を何年そうやって縛り付けておく気なの?」

私はキラをにらみつけながら聞いた。

「何年か何十年か、もしかしたら死ぬまでか。

絶対に殺さないようにするってことは聞いている。だけどそれもどうなるか。

彼は社会的に抹殺されるってことになる」





何よそれ!

彼の心が今以上に壊れてもいいっていうの!?

私はすぐに返事ができなかった。



「今日は今から彼を連れて行くために来たんだ。

僕らも今から施設の視察に行く」

長い沈黙の後にそう告げるとそこでキラはいったん話すことをやめた。



私はその言葉にピンと来るものがあった。

「それって逆ね。施設の視察に行くから、ついでに彼を引き取りに来たんでしょう。

彼の今の状態を見に来たんでしょう。

道理であなたたちがこんな所に来ると思った。私は納得したわ」





「納得していただけました? ではシンをこちらに。

彼は私たちが責任を持ってプラントのための実験台に」



何を考えたのかラクスはこう話すと、

おともの連中に合図を送ってシンを連れていこうとした。

「ちょっと! 何言ってるのよ! 私はそんな意味で言ったんじゃない!」

私がこう叫ぶ間にもシンが運ばれていく。

私は止めようとした。そんな私にキラが語りかけてきた。

「こんなことを話すのは嫌だけど、もう君は彼のことを忘れたほうがいい」



嫌よ! 何でそんなことを言われなければならないのよ!

シンはこんなことしか使いみちがないっていうの!?

違うのに! 違うのに!

ひどい!



「たとえひどいと思われようとも僕には覚悟がある。

嫌われてもやらなければいけないことがあるということ。

そして僕がそれをやらなければいけないという覚悟が」





私はシンを忘れるのは嫌だった。



「嫌よ。忘れるのは嫌」

しばらく考えてから、私ははっきりと拒絶した。

「話はもうやめましょう。

実験の成果が出たらその成果を連絡いたします。

彼の実験がどれほどプラントの役に立ったかはあなたも知りたいところでしょうし。

もちろん彼の実験が終了したら彼がどうなったのか連絡いたします。

もし彼の子どもができたらあなたにも連絡いたしますわ。

ですからこの場はもう、やめにしましょう」





ラクスの言葉を聞いて考えた。

私は覚悟を決めた。

「私も実験台になるわ」

私はラクスの目を見てはっきり言った。

「およしなさい」

彼女はあきれたという表情をした。

「あなたがそんなことを言うとは予想外でした」

「私も彼のそばにいる」

彼が連れて行かれる以上、私が彼のそばにいるにはこういう方法しかなかった。



ラクスは諭すように言った。

「いい加減にしましょう。彼と違ってあなたは将来があるのですよ。

そういう言葉を言ってはいけません」



彼には将来がなかったっていうの!?

私の心の中は怒りでいっぱいだった。





「彼を連れて行くのなら、私も行くわ」

キラもラクスも二人とも困った顔をしていた。

先に口を開いたのはラクスの方だった。



「悲惨な目にあうのですよ。普通の方にはされない、非合法な実験をたくさんされるのですよ」

「覚悟のうえよ。

どうせ私が嫌がっていてもむりやりシンを連れて行くのはわかっているし」



「ダメだ」

キラがそこで口をはさんだ。



「なぜ? 被験者が一人増えるからいいじゃない。

社会的に抹殺されるのも覚悟のうえよ。実験によって、私が壊されるのも」

私が聞くと、彼はこう諭した。

「よけいにダメだ。社会的に殺されるとか実験で壊されるとか言うのはよしたほうがいい。

彼のことを考えてみればわかるはずだ。彼は君が不幸な目にあうのを喜ぶと思う? 

もっと彼のことを考えるんだ」





考えていないのはどっちよ!

不幸な目にあわせておいて!



「彼だけじゃなくて君まで悲惨な目にあったら、彼は悲しむと思う。

守ることができなかったら、それは彼にとって死んだも同然じゃないかな。

だからダメだ」



そんなこといったら私だって彼を守りたかった。

だけどそうできないんじゃないの!?

 

「いい加減にして。私は彼と一緒に行くわ。それが彼を連れて行く条件よ」







「わかりました」

「ラクス!?」

キラは驚いて彼女の顔を見た。

 

私は話を続けた。

「それで彼のそばにいられるのなら」

「ええ。私、ラクスの名前にかけて誓いますわ。

とりあえずあなたもシンもおそらく実験で亡くなることはないでしょう。

貴重な実験台をわざわざ死なせることはないですから。」



「だけどその代わり色々とひどい目にあうということでしょ?」

私が聞くと彼女は言葉を選びながらまっすぐ私を見て言った。

「ええ。その代わりあなたがいつ壊れても知りませんよ。

普通の方がしない実験ということはそれだけ危険ということです。

それでもいいのですか?」





「それでもいいわ。ありがとう」

私は言いたくもない感謝の言葉を述べた。



私の頼みを聞いてもらったらお礼を言うのは当然のはず。

だけど本当にそんな言葉を口にしたくはなかった。



ふと私は彼が本当にごめんなさいと言いたくなかったんだなと思った。



彼の姿が頭に浮かぶ。

私は彼と一緒に連れて行かれるんだなと思うと、急に足に力が入らなくなった。

私は床にへたりこんだ。



私はこれからどうなるのだろう。

彼はこれからどうなるのだろう。

そう思ったら無性に悲しかった。











しばらく日にちがたった後、ラクスは実験の担当者の一人と通信していた。

「なるほど。私も被験者が一人増えたのは予想外でしたし。

ではこれからも私の指示通りに。

実験を真面目にやっていただけるとうれしいですわ」



担当者が了解した旨を告げると、彼女は話を続けた。

「私は彼らをあなたのおもちゃとしてそちらに置いているわけではありません。

早く成果を出していただきたいですわ。

一刻も早くプラントのために実験を何回も試して出生率を上げなければ。

決してこのようなことは表には出ません。

しかし私はあなたの肩にプラントの命運がかかっていることを知っていますわ」



彼女なりの言い方で励ました後、思い出したように言葉を付け加えた。

「プラントの市民の喜ぶ顔を見るために出生率を上げる方法を早く確立したいですわ。

私もその市民の中の一人ですけれど。

私も彼との子どもを早く欲しいですものですわ」