TPOK_20話

Last-modified: 2009-09-24 (木) 20:47:49

「何をしに戻ってきたのかしら?」

 

時の庭園。必要最低限の明かりしか灯らぬ玉座の間でフェイトはプレシアを見上げていた。
冷然と見下す目に対し、バルディッシュを差し出すように掲げる。
瞬間、プレシアが読めるように宙空にミッドチルダ語の羅列が結像されては滝のように流れ落ちていく。
バルディッシュに備えられたプログラムの一部抜粋だ。苛立ちを交え、寒々とした目で見ていたプレシアの顔色が変わる。
プログラムの内容は、プレシアが生命の危機に瀕し得る状況に応じて治癒の魔法が飛び出す仕組み。
そして、以前プレシアが咳こんだ時に自動で発動した条件は、プレシアがかなり危険な状態である事も読み取れた。

 

この事実をバルディッシュの底から引き上げたフェイトは、シンとアルフに断わりなく家を飛び出た。
度肝抜かれながらも、母の症状にいてもたってもいられなくなったのだ。
そして、願いを込める。

 

「ジュエルシードを使ってください」

 

一切の迷いなく、懇願と切望を込めてフェイトがプレシアを見据えた。その言葉も、心底から望む事をうかがえる力強さが伝わる。
プレシアはジュエルシードがそろえば病の抑止にすると言った。ジュエルシードを連動させる事で安定した動作が可能だからだ。
そして、まだジュエルシードはそろっていないとも言う。

 

はたして自分が全てのジュエルシードを集め終えるまでプレシアは無事か。
フェイトの心配はその一点にあった。だからその危惧をなくし、プレシアの時間を稼ぐために腐心をしたい。
リニスが残した記述から読み取る限り、プレシアの状態は間違いなく危険だ。養生をすべきだとかそんな事態をすでに超えている。
そんな時にこそジュエルシードを使わずにどうすると言うのか。

 

しかしそのようなフェイトの考えもプレシアからすれば愚かしい事極まりない。
ジュエルシードは娘のために使わねばならなのだから。自分に使う余裕などない。早く期待できる次元振を起こせる数をそろえねばならぬのに。

 

「足りないわ、フェイト。まだ足りないのよ、ジュエルシードが」
「でも母さん…このままじゃ母さんの体が…」
「足りないと言っているのよ。母さんが心配なら、急いで残りのジュエルシードを集めて来てちょうだい」
「その間にまたあんな咳が出るかもしれないと、リニスが残したプログラムから分かります。ですから母さん……まずは母さんの体の事を考えましょう」
「そんな暇はないわ。ジュエルシードよ。あのロストロギアさえあれば万事が解決するの。分るわね、フェイト?」
「でも…」
「フェイト」

 

不機嫌さを隠さず、しかし根気よく説得してもフェイトは折れない。
フェイトとの会話に冷ややかさばかりを詰め込むプレシアだが、それが一層強くなる。
人形の分際で。
そんな思いがひどく増していく。それに伴い要らぬ遺産を残したリニスに対しても苛立ちが募っていく。
使い魔やクローン風情が思い通りに動かないばかりか、その行動がプレシアへの気遣いから発生しているのがまた不愉快だった。

 

「あなたは私の言う事を聞いていればいいのよ」
「……」

 

フェイトが黙り込んだ。瞳には一途にプレシアを想う気持ちが溢れている。
年齢に似合わず自分を押し殺すフェイトだが、それは自分の事よりもプレシアを優先しているからだ。
今回はそれが災いして頑固な態度をとる。だから素直に従わない。
それもプレシアの苛立ちを触発してくる。

 

「フェイト」
「聞けません」
「…なんですって?」
「ジュエルシードを使ってください。今は体の事を考えましょう、母さん」

 

気づけば手の中の杖を鞭に変じてフェイトを打っていた。短い悲鳴を聞いて、それからようやくプレシアは己の赫怒を自覚する。

 

「ねぇ、フェイト。駄々をこねないでちょうだい。そんなに聞き分けのない子だったなんて母さん悲しいわ」
「でも」

 

言葉の途中でまた打った。フェイトが転んだのも構わずさらにもう一度鞭を振るう。

 

「フェイト、あなたの意見は聞いていないわ。あなたはジュエルシードを集めてくればいいの」
「それよりも、まずは母さんの体です! 母さんほどの魔導師ならジュエルシードをきっと上手く使って…」
「黙れ」

 

まるで亡者が口を聞いたかのよう。プレシアの言葉にまるで温度がない。
その憎悪と憤怒をはっきりと受け取ってフェイトは息を飲む。
しかし、それでも主張は変えない。誰よりも大切な母のためだからだ。

 

「フェイト、言う事を聞きなさい」
「ジュエルシードは集めます。それよりも母さんの体が大事なんです」

 

また鞭が飛ぶ。痛みにフェイトは歯を食いしばるがその眼はプレシアの説得をあきらめていない。
自分の体よりもアリシアが大事なプレシアは聞き届けない。
しかしフェイトも自分よりもプレシアが大事だから命令に従わない。

 

「ジュルシードを使ってください」

 

バルディッシュからひとつ、ジュエルシードを取り出せばプレシアに差し出した。
奪うようにプレシアがジュエルシードを握り締めた。

 

「もうひとつも出しなさい」
「そのジュエルシードを使ってください」
「フェイト」
「使ってください」

 

鞭を雨のように浴びせられた。一打ごとに悲鳴が迸るが、なお耐える。懇願が通るまで絶対に意思を曲げない。
ひとまず鞭の手が止まるのを待ってから説得を続ける……そう考えていた矢先だ。鞭が止んだ。
口元に手を当てているプレシアがそこにいた。もともと白かった美貌は青白さが際立つ。

 

「母さん…母さん!」

 

フェイトが飛び出すよりも先にバルディッシュが輝いた。まるで見えない誰かが持っているかのように、ひとりでに動きだす。
矛先が定まれば、淡やかな灯がプレシアを包んでいく。
余計な事をするな。眼だけで意思を表示するプレシアだが、動けない。支えようとするフェイトを振りほどこうとしてもできない。
崩れ落ちて倒れそうになるのを堪え、玉座にもたれかかるので精いっぱいだ。
やがて、ほどよく回復の光が染み渡った時分、プレシアが盛大に咳こんだ。口元を押さえる手から赤い色が覗く。

 

プレシアじみて顔面蒼白になったフェイトが、落ちてしまったジュエルシードを拾い上げ、あてがう。
母の回復を願おうとした矢先、プレシアに叩かれた。そんな一挙一動にもプレシアは息も絶え絶えだ。

 

「母さん! お願いですから!」
「ジュエルシードを集めてきなさい…」
「母さん!」

 

ジュエルシードをもう一度、プレシアへ差し出す。雷電が、ほとばしった。プレシアの電撃。
簡単な電撃のはずなのに、大魔法でも使って消耗したようにプレシアが咳こんだ。
フェイトがしびれてジュエルシードを取り落とすが、そんなフェイトよりも魔法を使ったプレシアの方が痛んでいる。
本気だ。プレシアは本気でジュエルシードを使わない気でいる。そしてミッドチルダにも帰ろうとしないだろう。

 

フェイトの目に涙が浮かぶ。死相と見紛うほどに、プレシアの面貌からは嫌な予感しかしない。
ミッドチルダに強引に連れて帰るほどの事ができるか思案に迷った。
今しがたの魔法による抵抗を考えると、無理だろう。プレシアが下手に動けばそれだけで悪化の一途だ。
やはりジュエルシードで一時的に回復を期待した方が良いはずだ。そして、それをプレシアはどうしても厭う。つまり、どうしよもない。
それを悟ってフェイトはさらに涙を零す。零しながら、不思議と体は軽かった。心がこんなに重いのに、妙にバルディッシュを掲げる動作が滑らかになる。魔力が充実する。今ならば実力以上の力が出せる。

 

「フェイト?」

 

転送魔法陣を敷くフェイトの様子に、プレシアも嫌な予感をしっかり得た。
魔力の漲りと魔方陣から読むに、フェイトは超距離を跳ぶ気だ。ジュエルシードのある海鳴に帰るのではないだろう。

 

「フェイト、待ちなさい、フェイト!」

 

フェイトの考えがプレシアには読めた。だから静止の命令ももはやフェイトに意味はないとは分かっている。
プレシアの鬼気につらそうな、悲しそうな表情でフェイトが跳んだ。

 

 

空の半分が宵闇、空の半分が茜色という黄昏前の時刻。マユとはやては台所にいた。
野菜を切って、魚を捌き、夕食の準備である。
一日だけだが八神家を空けていたヴォルケンリッターのみんなが今日帰ってくる。
だからはやては張り切っていた。マユとシャニがいたとはいえ、一番最初に家族として迎えた四人がいないと寂くないはずがないのだ。
包丁の音ひとつとってはやての心情を察し、マユも頬がほころんだ。

 

「やっぱりちょっと昨日は寂しかったね」
「うん」

 

嬉しそうな顔で、はやてがマユにうなずいた。そして、次の瞬間、ハッとなって手を振った。

 

「あ、いや、マユちゃんとシャニくんがいたからわたしはそんな、全然寂しくなかったよ!」
「ふふ、無理しなくてもいいよ。絶対にはやてちゃんにはシグナムさんたちの誰かがついてたもん」
「……ほんとうは、ちょっと心細かったかも。でも、違うんよ? マユちゃんたちやったらあかんってわかじゃなくて…」
「シグナムさんたちと一緒だと、なーんか心強いもんね」
「うん、護ってくれてる…ってよく分かる…」

 

まるで短い期間しか八神家を見ていないマユにも、あの四人のはやての守護が理解できる。
本当の家族ではないから、きっと本当の家族よりも濃く強くはやてを包んでいるのだろう。
鍋を見ながらマユはそう思う。そして、リビングのソファーで寝ているシャニも、同じことを知っていた。
四六時中寝っぱなしのシャニでも見えるのだ。
さらに言えば、シャニはヴォルケンリッターをはやてが包み込んでいるとも見ていた。シャマルを大切に思うシャニは、それが少し妬ましい。

 

そんな妬ましさも忘れ、シャニは昨日からただ眠り続けた。
常日頃シャマルがいる時以外ほとんど寝ているのではないかというほどシャニは眠るのだが、シャマルがいないと本当に寝っぱなしだ。
怠惰か異常かは分からない。シャマルが治癒の魔法を施す副作用かもしれず、下手に刺激できないのだ。
だからできるだけ寝かせている。
お話をできないのは寂しいとも思うが、その分はやてはマユと深く親交を固められた。

 

そしてシャニの過去や経緯は凄絶なものであると薄く予感できる。
だからシャニの前では元いた世界の話なんかをしにくいのだが、眠っている隙にその話題でマユと盛り上がれるのだ。
聞けば聞くほど、オーブという国は立派で素敵だった。なぜ戦火にさらされたのか、理解できない。
ザフィーラなんかは「時代だろう」としかコメントを残さず、はやてもマユも納得できなかった。

 

国の話とともに、家族の話もマユはよくした。自慢話だ。よくできた兄の話。
家族の話。兄の話。ともにはやてはうらやましく思う。
そして、だからこそ、家族の行方を憂うマユを心から心配した。

 

今回ヴォルケンリッターが丸一日八神家を空けたのも、マユとシャニの世界を探しに遠出する。という名目だ。
実際は、リンカーコアを大量に奪取するための遠征だったわけだが…まさかその舞台こそがマユとシャニの世界とは夢にも思わなかった事だった。
マユが心底から「自分がいなくなった後の家族とオーブ」について知りたがっているのが分かるだけに、ヴォルケリッターらとて期待を裏切る前提で動くことは不本意である。
それでも、そんな信義に悖ろうともはやてのためにリンカーコアを手に入れたかった。今はマユたちよりもはやて。それが優先順位である。

 

「お魚、もう焼いちゃう?」
「うーん、ほんとやったらもう帰ってきてるから焼き始めようと思っててんけど…」

 

まだ誰も帰ってきていない。いささか、嫌な予感がはやての胸の奥に芽生える。
帰って、くるのか?
はやての顔が険しくなるのと同時に、勢いよくリビングのソファで眠っていたシャニが起きた。オッドアイは壁の向こうの玄関まで視線を走らせているようだ。

 

「ただいま帰りました」

 

そして、シャマルの声。シャニが迎えに駆け出した。ほとんど野性の動きだ。
ふんわりとした、いつものシャマルが帰ってきた。嫌な予感なんかを感じた自分が馬鹿らしくなってはやてが苦笑する。
当然だ。みんな、帰ってくるに決まってる。

 

「おかえりなさい、シャマルさん」
「おかえり、シャマル」
「……まだ、帰ってきているのは私だけみたいですね…」
「そやよ」

 

シャマルの表情が少し暗がりマユを見つめてくる。
それでマユは悟った。自分たちの世界は見つからなかったんだ、と。

 

「見つからなかったんですね…」
「ごめんなさい、遠くに出向いたんだけど、次元世界は広く多すぎるの…」
「いいんです、探してもらってるだけでも、ありがとうございます」
「ごめんなさい…ごめんなさい、マユちゃん、シャニくん」

 

もろもろに対して、いたたまれなさと後ろめたさにまみれながらシャマルは謝罪の言葉を口に出す。
本当は探していない。今現在の時点では探すつもりもない。なのに期待だけをさせる。惨い事だ。
そしてなによりも、リンカーコアは奪わないとはやてとの誓いを破っている懺悔。

 

「どうでもいい」
「シャニくん…?」
「…元にいた世界とかどうでもいいから、離れる方が嫌だ」

 

じっとシャマルの瞳を覗き込むシャニだが、はたしてそれは気に病むなというメッセージか、ただの本心であったのか。
どちらにせよ、はやても同じ気持ちだった。実はマユとシャニ、ずっといればいいという思いもあるのだ。
ただそれ以上に、マユが家族のところに帰れたらいいと願っているだけである。

 

「それじゃあ、お夕食の準備手伝いますね」
「ええよ、ええよ。シャマルはゆっくり休んどき」
「シャニくん、とっても寂しがってましたから相手してあげてください」
「…黙れよ」
「照れとる、照れとる」
「…うるさい」

 

ほどなく、ヴィータとザフィーラが帰ってくる。いつものにぎやかさが八神家に戻ってくるのだ。
ただひとり。
シグナムだけが帰ってこない。

 

 

ほどいた髪をかきあげてから掬った水を顔に叩きつける。
文明のない静かな世界。そんな森林に細々と流れるせせらぎにシグナムはいた。

 

休息である。

 

コズミック・イラと歴史を刻む世界でシャマルがまず逃げ、次にザフィーラとヴィータがペアになって跳んだ。
つまり殿をシグナムが務めたのだ。
それ故、管理局の追跡が最も執拗で振り切るためにかなり時間がかかってしまっている。
もうシャマルたちは八神家に帰っているはずだ。後は自分だけ、そう思って水のしたたる顔を拭い、気を引き締める。

 

警戒にかなり神経を尖らせていた。
まるで不慣れだが、近隣に次元跳躍の気配があればいの一番に感知できるだけの探索魔法は張り巡らせてある。
熟練度はシャマルに比べればまるで足りず、数十分としかもつまい。つまりそれだけの時間が休憩時間と区切っているのだ。

 

ロストロギア捜索に編成された局員のリンカーコア大量奪取。
終わってみればかなり余力が残っていた。あれだけのリンカーコアを集めておきながら、犠牲はヴィータのグラーフアイゼンだけだ。
破格と言っていい。ザフィーラが動けなくなるぐらいのことは覚悟していたのだ。
いくらか運が向いていたというのもきっとあるだろう。
デバイスの修復に時間を使うため、ヴィータが動けなくなってしまうのは痛いが、十分許容できる。
ヴィータを抜くことでこれからのリンカーコア集めにまた支障は出るだろうが、それ以上にリンディ・ハラオウンのリンカーコアを奪ったことはヴォルケンリッターにとってかなり大きい。
これにより見えてきた。666ページが、見えてきたのだ。
紆余曲折はあったが、いけると確信ができるほどだ。

 

今年中には完成する闇の書の手ごたえにシグナムの頬が猛々しく緩む。
はやてを救える。
それからは、きっとヴォルケンリッターは叱責と憎悪の嵐にさらされる事だろうが、それさえ清々しい。
糧とした者に対して申し訳なさがないわけではない。それでも主を救うためだったと考えるとどうしても仕方がないと思えてくる。
それほどにはやてはあたたかい。
ここで絶えて欲しくないと思えるほどのぬくもりなのだ。
きっと、何百年を戦闘の冷たさの中ですごしていた事と関係ない。
出会い方が違っていても、確実にはやてを助けるために行動を起こしていたとシグナムは断言できる。

 

もっと別の道があっただろうか。
ふとシグナムは考える。
はやてを助けるために尽力を振り絞るというのは変わるまい。
ただ、はやてと約束したリンカーコアを奪わないという誓いを破る以外の道。

 

あったが時間がなかったと、シグナムは思った。
それから頭に浮かぶのはリンカーコアだ。あれはイレギュラー中のイレギュラーだろう。
手に入る時に手に入れておかなければ、もうこちらに転がってこないと考えてしかるべきだ。
だから仕方ない、とシグナムは達観できる。ヴィータはいくらか諦めきれていない。
もっとも捜索に積極的ではないというだけで、シグナムも見えている場所にあればきっと全力でジュエルシードに食いつくだろう。

 

「む…?」

 

ぴり、と空気が張り詰める。
誰かが、次元を跳躍してやってくる気配。
管理局か?
と思うのも束の間。この跳躍は個人だ。管理局はまず複数人でチームを組む。
次いではっきりと魔力の波動を感知する。
シグナムの血が沸いた。
知っている。
この魔力は知っている。

 

無意識のうちにシグナムは全速力で空に翔んだ。見える。金色の光。金色の魔力。
黒衣が空を駆けるのが見える。フェイト・テスタロッサ。
気付かれた。バルディッシュが構えられる。その表情は、痛恨の失態を犯した者のそれだ。
ミドルレンジの距離でシグナムが止まった。レヴァンティンは抜いていない。しかし抜刀している時分と大差ない鬼気がシグナムから漲っている。
動けない。フェイトはバルディッシュを構えたまま固まってしまった。

 

「久しいな、テスタロッサ」
「シグナム!?」
「ザフィーラにやられたリンカーコアが戻ってそう時間は経っていまい。だというのにずいぶんと魔法を行使しているようだが…?」

 

フェイトは動けない。黙ったまま。実力は一枚も二枚もシグナムが上だ。下手に先んじてどうこうなる相手ではないのは骨身にしみている。
失敗した。
シグナムに発見されてからの短い間でフェイトは何度も悔いていた。

 

プレシアを助けられるとすれば管理局。まず第一候補がこれだろう。
そして、管理局に接触するためにフェイトはかなり次元跳躍を繰り返している。発見するためではない。逆に発見してもらうためだ。
どの世界が観測世界、または管理世界なのかフェイトは正確に覚えているわけではない。
だから跳躍を繰り返し、向こうからこの異常な転送魔法をキャッチしてもらおうとしたわけである。

 

結果としてコンタクトをとってきたのがシグナムだったのは不幸としか言いようがない。
失敗した。
だからフェイトはもはやそう思う他なかった。
しかもシグナムの様子が以前と明らかに違う。前回あった余裕のようなものがまるで失せ、虎とでも対峙してる気分だ。
鬼気迫る、とでもいえばいいのか、とにかく以前よりも強い迫力と気迫に満ちている。
これまでの戦いで消耗したままなのだ。だからフェイトという実力者を相手に、シグナムも常時以上の緊張がみなぎっている。

 

「私の要求は分かるな?」
「ジュエルシード…」
「そうだ」

 

渡すのも手だ、とフェイトは思う。取引として、無事にここを通してもらう。会話をして悪徳の人物ではないとフェイトも感づいている。
おそらくジュエルシードを渡して逃がしてもらう。それがもっともリスクが少ないだろう。
だが、

 

「…できません」

 

またフェイトが失敗した、と痛恨の念に打ちひしがれる。
ふたつあった。ふたつあったのだ、ジュエルシードは。温泉旅館で見つけたものと、そこでなのはから奪ったもの。
だがひとつは時の庭園に置き去り。つまり手元にひとつしかない。ふたつあれば、ひとつをシグナムに渡してしまってもよかった。
失敗した。
このひとつは、手放せない。
管理局と接触したとき、ジュエルシードを提出するのとしないのでは対応はまるで違うはずだ。
特級のロストロギアの危険と時の庭園の位置さえ伝えれば、まず早急な対応が期待できる。
だがフェイトひとりの証言だけでは、裏を取るための時間がいくらかかかるのは想像に難くない。
だから渡せない。

 

「シグナム、一度しか言いません」
「なんだ?」
「時間がありません。見逃してください」
「奇遇だな、私も時間がない。ジュエルシードを大人しく渡せ。それが最善だと分かるだろう?」

 

交渉決裂。フェイトも腹を決めた。
ここで、速攻でシグナムを凌いで逃げる。それがフェイトの結論だ。
バルディッシュに封印されたジュエルシードの力を一部解放しようと蒼いきらめきが満ち満ちる。

 

「バルディッシュ、ジュエルシードドライブ!」
<Yes sir . 0.001% drive . Igni 「させん!」

 

フェイトとしては最速のつもりだった。バルディッシュも最高の演算でジュエルシードの力を引き出そうとしたはずだ。
それよりも、なお速いシグナムの神速。
抜き打ちに振りぬかれたレヴァンティンは怖気がするほど冷たく、美しく見えた。
バルディッシュ本体を断つ軌道。フェイトの良好な視力がそれを見てとり、バルディッシュを握る手をひねって受けた。

 

いや、受けたなどとおこがましい。レヴァンティンの斬閃にとってバルディッシュなど障害物としての意味を成していない。
本体こそ避けたが、バターのようにバルディッシュが切断されるのをフェイトは見た。
そして、そのまま腕一本を跳ね飛ばす勢い。身をひねる。かわした。完全ではない。フェイトの二の腕に一筋の線が走る。
二呼吸を置いて血がほとばしった。
強い。
明確な差。
レベルの違い。
勝てない。
負の感情が湧きあがり、それを思考で処理する前にレヴァンティンの切っ先が突きつけられる。
妖しい刃に総毛立ちながらフェイトが一段高くに飛翔して逃げた。逃げきれない。ふくらはぎがぱっくりと裂けた。

 

腕の血が止まらない。ふくらはぎの血も吹き出てくる。それらよりも先にバルディッシュを復元。
二の腕の裂傷を抑えるが、血はとめどなく溢れてくる。そして今更のように痛んでくる。新鮮な血もかなりあった。つまり傷は深い。

 

「強いな、テスタロッサ……そのせいで、殺してしまうかもしれん。怨むなよ」

 

完全ではないが避けた事を褒める口調。はったりでもなんでもなくシグナムが言う。
そしてそれをフェイトははっきりと理解できる。戦慄に震えた。
怖い。恐ろしい。
逃げたい。逃げられまい。

 

ただ、付け入る隙はある。殺してしまう可能性というだけで殺すつもりはまだない。
速く鋭いシグナムの斬撃だが明らかにフェイト本人の急所までは狙っていない。
腕一本。そのぐらいは奪うつもりかもしれないが、そこまでと考えているのかもしれない。

 

ならばそれでもいい。腕一本。犠牲にしてシグナムを凌ぐ。そしてすぐに離脱すればまだ間にう合う。
きっと間に合う。プレシアを救える。自分はどれだけ痛んでもいい。プレシアに鞭打たれても、腕を失っても、プレシアさえ助かれば。

 

風が変わったような気がした。
フェイトの覚悟と焦燥、シグナムの鬼気と緊張。張り詰めていく。ほんの少しだけふたりは動かない。
ほんの少しだ。目に鮮やかな色の血を流すフェイトはただ動かないだけで体力が失われていく。
バルディッシュ握る手が血で滑らぬようにだけは気をつけながら、フェイトがシグナムをにらむ。
視線を受けてシグナムも気力が充実していく。消耗している様子だが一瞬の出力は衰えまい。

 

ふたりの視界が狭まる。見えているのはお互いのみ。音もなくなっていた。
心が静まる。落ち着いた鏡のような凪いだ精神。なのに昂っていく。
静寂な高揚がピークに達するのをふたりははっきりと感じた。

 

どちらが先に踏み込んだか、定かではない。カートリッジが飛んだ。
レヴァンティンから炎が噴き出す、シグナムが中空を踏み込む、剣の一閃。
バルディッシュの石突から受けた。縦にレヴァンティンが斬り込まれる。バルディッシュを傾け、絶妙の体裁きをフェイトが実現。
呼吸と脱力は、生涯最高だったに違いない。それでレヴァンティンがあらぬ方向へ逸れた。逸れた軌道にあったフェイトの肩肉が削げ、骨もけずれた。

 

レヴァンティンを受け流された屈辱以上に、フェイトの上手さをシグナムが心の中で感嘆。その次の瞬間、背筋が凍える感触。
バルディッシュからほとばしる蒼い魔力。ジュエルシードの力の発現。
逃げられない距離。
防御できる威力ではない。
どうする?
どうする?
どうする?
一瞬がやたらと長くシグナムは感じた。今のバルデュッシュはそれほどの危機だ。
持ち上がっているヘッドから金色ではなく蒼い魔力刃が覗く。すぐに膨れ上がる。
その刃は、まるで巨人が使う物であるかのように巨大であった。蒼い三日月が現れる。

 

身をよじったシグナムだが、腕一本が飲み込まれる。レヴァンティンを持たない手だ。あれほど強固だったレヴァンティンの鞘とともに、呆気なく消滅した。
腕一本を奪うつもりが、逆に奪われた。なんの事はない。ただフェイトの覚悟の方が上だっただけ。

 

根こそぎの甘さがそこで消えた。リンカーコアを奪うために殺さぬまま戦ってきた日々が白紙になったかのよう。
フェイトがさらに巨大な巨大な蒼い刃を返す途中で目を見開いておののく。
シグナムの鬼気がさらに濃く強く暗く冷たく痛いものになるのを感じたからだ。だがバルディシュは止まらない。
もう一太刀だけ、シグナムに入れればここを離脱できる。
瞬間。

 

「?」

 

巨大な巨大な蒼い刃が落ちていく。手放したわけではない。しっかり握っている。
バルディッシュをフェイトの手がしっかり握っているのが見えている。つまり握っている手が落ちているのだ。
そこでようやくバルディッシュを持つ腕が断ち切られているのを自覚した。
なんと迅い剣か。
これが本当のシグナム。
一切の加減を取り払ったシグナムの本領。斬られた者はそれを理解できないほどの剣技。
腕をとられた憎しみはなかった。おあいこだ、とフェイトは思った。そして、むしろ自分を相手にその実力をすべて見せてくれた感謝が滲む。
そうそう見れるものではあるまい。きっと自分は得をした。

 

ごほ、とフェイトの口から血が吐き出だされる。
落ちていく腕に気を取られすぎていた。レヴァンティンはフェイトの胴まで袈裟がけに食い込んでいる。
通過する臓腑を切り裂き、断面からフェイトの体内が覗く。

 

「!!!」

 

息ができない。空気が吸えない。呼気の代わりに血ばかりが大量に出てくる。
苦痛に悲鳴を上げようとしてまた派手に吐血。抑えようとした手も動かない。
痛みよりも灼熱感。シグナムと目が合った。シグナム自身、ここまでするつもりがなかったと思っているのが良く分かる。
それでフェイトは悟った。

 

死ぬ。

 

体から力という力が抜け落ちていく。吐血するごとにごっそりと生命が出ていき、胴の断面からもきっと命という命がこぼれてしまっているのだろう。
視界に闇が降りてくる。目はしっかり開いている。分かる。瞼はまだ開いている。なのに、暗くなっていく。
斬られたところは熱く感じるのに寒い。凍えそうなほど、寒い。風を切っているからだろうか?
そこに来てようやく飛翔魔法がとっくに解けて落下している事を理解する。
飛ばなきゃ。
母さんを助けなきゃ。
最後の最後まで、頑張ったけど指一本動かない。
それからすぐにフェイトの意識は混濁に紛れていく。

 

間違いなく助からない。殺した。絶対に生存の可能性はない。それほどの太刀を自分に出させるだけの天才だったと、シグナムはしみじみ思う。
やるせないが、仕方がなかったと思いこまねば。一度だけ、瞳を閉じた。
まるで弔うような心地。
瞼の裏が純白に染まった。そして何か強烈なプレッシャー。
目を開ければ、フェイトを抱きかかえる誰か。
目が合った。紫紺の双眸は怒り狂っている。
プレシア。
体表をのたうちまわる紫電はまるで術者の心情の現れのよう。

 

「貴様は…?」
「……殺す」

 

殺意に冷風が吹き抜け、それに乗った紫電がシグナムの肌を叩く。ぞっとするほどの魔力だ。
片手に杖を、片手にフェイトを。
差し向けられた宝杖。シグナムがそこではっきりと死線を感じた。

 

「レヴァンティン!」
<Panzerschild>

 

目を開けてられないほどの雷光。
一国を滅ぼすことも、運営してしまう事もできるであろう電力がたったひとりの大魔道士から、たったひとりの騎士に向けて放たれた。
まるで紙の盾で砲撃に挑むような気分だ。パンツァーシルトをレヴァンティンに任せ、シグナム自身は全速力で逃げていなければ今ごろ炭にでもなっていただろう。
超々近距離からやかましい雷鳴がとどろくのを聞きながらシグナムは油断なく構える。

 

咳が聞こえた。プレシアから。明らかに異常な咳。それでも必死で杖を握りしめ、フェイトを抱きしめ、そしてシグナムを睨みつけたまま。
この咳が好機とは思えない。プレシアの禍々しすぎる鬼気は一向に衰えていないからだ。
それでも、攻撃するためのきっかけにはなっているはずだ。シグナムの踏み込み。片腕というアンバランスをものともせず、シグナムの斬閃は美しい。

 

杖がレヴァンティンと噛み合う。咳は止まっている。というか必死でこらえているようだ。
刃を返す。カートリッジロード。紫電一閃。
レヴァンティンが届く前に、圧縮した魔力が指向性を持って爆裂した。方向性を絞ったフォトンバースト。
纏った炎が掻き消えて、レヴァンティンが弾き飛ばされる。指が二本、爆裂で弾け飛んだ。それでもレヴァンティンは離さない。
プレシアは、次の呪文を怨念とともに唱えていた。
詠唱途中だというのにほとばしる雷電の量から次の一撃の大きさがうかがえる。

 

せめて両手であれば。
よぎった考えをシグナムは払拭する。ただ薄っぺらい負け惜しみだろう。
それにあっても何とかなったかどうか分からない。フェイトを殺して、この魔道士の逆鱗に触れた事がそもそも間違いだったのだ。
レヴァンティンを引き戻すが、フォトンバーストで肉が吹っ飛んで骨が覗く腕ではいまいち動きが鈍い。
一呼吸速くプレシアの雷が完成する。
電気で逆巻く髪の向こう、プレシアの鬼面は泣いていた。

 

「すみません、主」

 

シグナムの視界を光が満たす。