マイスター運送。
会社としての規模は決して大きくはないが、政府のお膝元で日々仕事をこなす優良企業である。
創立者はイオリア・シュヘンベルグといい、今から300年も前の人物になる。
名門大学で教鞭を取り、世間にも名のしれた学者であり、自らが関わった太陽光発電の研究でノーベル賞の候補者になったこともある。
が、突然学会を去り、知人を募って小さな運送会社を興したのが、実にその候補者として選ばれた直後のこと。
本人はその理由を語らず、人々はこぞって推測を並べ立てたが、結局事実は公にされず、やがてイオリアの名前は時の流れの中に埋もれていった。
そして彼のマイスター運送は、300年後の今日も仕事を続けている。
血族後継の縛りもなく、高い業績をあげたわけでもないこの会社が、今の今まで他社に飲み込まれることなく立派に運営が保たれてきたのは、その時代時代ごとのまとめ役の手腕と、経営理念が確かなものであったからに他ならない。
ならない、のだが。
本当はここまで存続してきたのには、もう一つ隠された理由がある。
そう、決して外部の人間が知ることのない、理由が。
◆ ◆ ◆
「刹那・F・セイエイ、出勤完了」
「おう、おはようさん、刹那」
マイスター運送のドライバー、刹那・F・セイエイは、漆黒の髪と中東系特有の浅黒い肌を持つ青年である。
歳は20を越えたばかりで、人によっては美男子にも見られる容姿だが、無愛想過ぎるのが玉に疵で、同僚以外の交友関係は広くない。
運転の腕前の方は文句無しで、その気になれば特級免許が必要な大気圏往復型の大型高速貨物艇も楽々と乗りこなすことが出来る。
「何だか元気が無いな、朝飯ちゃんと食ってきたのか?」
朝、刹那を本社事務所でまず一番に迎えたのは、ロックオン・ストラトスという名前の男で、やはりマイスター運送のドライバーの一人だが、その中でも最年長であり、ドライバー達の纏め役を担っている。
口を開けば気のいい兄ちゃん、という感じの彼だが、彼には別のポイントがある。
「よし、今度一緒に朝飯食いに行こうぜ。いいモーニングを出す店を知ってるんだ」
「ああ、あそこだろ? ダイクン記念公園の裏手にある」
「そうそう、メニューが豊富で安いんだよ」
「俺もちょくちょく使うな、ランチもいけるぜ、量があるし」
ロックオンと会話しているのは、刹那ではない。
「そういうわけだ、刹那」
「そういうことだ、刹那」
ロックオンと話しているのは、これまたロックオン。
別に一人二役をやってるアブない人なわけでもない。
刹那の目の前にいる、ロックオンを名乗る青年は、二人いるのだ。
兄、ロックオン・ストラトス、本名ニール・ディランディ。
弟、ロックオン・ストラトス、本名ライル・ディランディ。
双子の彼らは、初見の人なら間違いなく見分けられない程にそっくりな容姿をしている。
「やあ、おはよう、三人とも」
「ああ、おはようさん、アレルヤ」
刹那に遅れること数分、また一人の青年が出社してきた。
彼の名前はアレルヤ・ハプティズムといい、見かけはいたって温厚そのものの好青年である。
「昨日は出張ご苦労さん、遠出だったから疲れただろう?」
「……遠くに行くのは全然問題ないんだけどね」
「何だか含みのある言い方だな」
「仕事先がね……」
「人革重工の極東第一支社だっけか」
しかし、ある意味彼はマイスター運送一の問題児でもある。
理由は至極簡単、彼は『ひとり』ではない。
「一緒に行った人間がね、その」
「ああ、あの娘か」
「……うん」
彼の中には、もうひとりの『彼』がいる。
ハレルヤという名前で、言わば別人格であり、普段は表に出てこない。
「どうしても、彼女と顔を合わせると、ね」
「色々大変だな、お前も」
もともとは彼は他の人間と同じように、人格は単一だった。
が、ある複雑な事情により、穏やかなアレルヤと、好戦的なハレルヤの二つに分かれてしまったのだ。
そして、その複雑な事情に絡んでくるのが、人類革新重工の企画超部、セルゲイ・スミルノフの部下である銀髪のとある娘である。
彼と彼女の間には、一言では語れないモロモロのジジョウがベルリンの壁の如くそそり立っている。
「これも運命だよ」
肩を少しすくめて、苦笑するアレルヤ。
銀髪娘ことソーマ・ピーリスとは、犬猿とまではいかずとも、仲は決して良くはない。
もっとも、彼自身はソーマのことを嫌ってはいない。
彼女が抱える、自分と同じような問題を理解しているので、むしろ同情、いや親しさに近い感情さえ持っている。
が、彼の中のハレルヤはそうではない。
ソーマを見ると、半ば無理矢理表面に出てきて、挑発したり口喧嘩を始めたりするのだ。
そうなってしまうと、ソーマの中に眠っているマリー・パーファシーが出てこない限り、騒動は終わらない。
「いずれハレルヤもわかってくれるさ、ソーマも」
「難儀だな」
「ああ、難儀だ」
「……」
ハレルヤの過去については、刹那をはじめとするマイスター運送の社員はあらかた事情を知っている。
しかし、だからと言って、簡単に力になれるわけでもない。
本人同士でしか解決出来ないことというのは、この人の世にいくらでも転がっているのだ。
ちなみに、ソーマ・ピーリスがあからさまに敵視しているのは、彼と現在新婚旅行中の某人の二人しかいない。
「どうした四人とも、入口に屯して」
と、ここでマイスター運送が誇るドライバーチーム最後の一人がやってきた。
女性と見紛うばかりに整った容姿、眼鏡の奥の鋭い眼つきが特徴の青年、ティエリア・アーデである。
「ようティエリア、おはようさん」
「おはようさん、ティエリア」
陽気に声をかけてくるロックオン兄弟に手を挙げて応えると、ティエリアは刹那とアレルヤにも挨拶をする。
色々と抱えるものが多いこの会社のドライバーの中で、彼の秘密は特に大きい。
過去の経歴は一切不明、現在の社長であるスメラギ・李・ノリエガですらそれを知らない。
幼少の頃、前社長が施設より引き取って育てた、とされているが、それにしても謎の部分が多い彼なのだ。
時に『コンピュータ殺し』とも言われる人間離れした情報処理能力を見せ、感情が激発した時に見せる『金目』状態では、まとめ役のロックオン兄ですら制御出来ない苛烈な人間となる。
「さて、ここで留まっているわけにもいかないだろう、スメラギさんが待っている」
「大丈夫じゃないか? どうせ二日酔いで、朝礼がぐだぐだなのはいつものことだぜ」
「スメラギさんだって毎晩お酒を飲んでいるとは限らないけど……」
「……」
性格も背景も異なる五人。
だが、互いの間にある絆は強く、信頼は深い。
「だが、他の者はもう来ているはずだ」
「ラッセが宿直だったかな?」
マイスター運送の本社に勤める人間は、意外に少ない。
社長のスメラギ・李・ノリエガ、
事務とナビゲーションのフェルト・グレイスとクリスティナ・シエラ、
会計のアニュー・リターナー、
営業のリヒテンダール・ツェーリ、
副社長及び医師のジョイス・モレノ、
整備のイアン・ヴァスティ、リンダヴァスティ、
倉庫管理と警備、及びサブドライバーのラッセ・アイオン、
これらが、マイスター運送の『中枢部』ということになる。
一応各地に支社はあるのだが、支社というより車庫的なもので、大手運送会社に比べると、その規模は至って小さい。
「とりあえず、気を抜かずに行くぞ、皆」
「とは言っても、あれからまだ何もスメラギさんは言ってきてないぜ」
一週間程前、ドライバーたちは仕事の途中で、急遽本社に呼び戻された。
そこでスメラギから、「近々、重大な発表があります」と直接聞かされたのだ。
だが、今もってその『重大な発表』はスメラギの口からは出ていない。
「おい、刹那」
「……何か? ロックオン」
刹那はロックオン兄のことを『ロックオン』と呼び、弟の方を本名の『ライル・ディランディ』で呼ぶ。
兄貴も本名で呼べばいいのだが、そうしないのは、刹那なりに理由が色々とあるのであろう。
「今日あたり、スメラギさんからあると思うか? 発表ってやつが」
「それは、わからない」
「そうか、最近のお前はやけに勘が鋭いから、わかるかとも思ったんだが」
「未来がわかれば、苦労はしない」
「ま、確かに」
ロックオン弟ことライルが煙草を吸い終えるのを待って、ドライバーズは社屋の奥へと入った。
なお、マイスター運送は所定の場所以外では全禁煙になっている。
もっとも、煙草を吸うのはライルしかいないが。
酒飲みは社長を筆頭に何人かいるが……
「じゃ、いこうか、今日も」
「ああ、そうだな」
前を行く四人の背中を見つつ、刹那は小さく笑った。
ここに勤め始めた時の彼は、喋るという行為をほとんどしない少年だった。
まして笑うなど、月に何度もない。
が、今ではこうして、それなりに感情を表に出すことが出来るようになっている。
それは、周りの人間が醸し出す空気のあたたかさによるところが大きい。
「……」
刹那は制服の襟を手で直しつつ、思った。
さっき、ロックオン兄からスメラギの発表について聞かれたが、実は今朝、目覚めた直後に、理由もなく頭に浮かんできたことがある。
『スメラギ・李・ノリエガが今日、何かを話す』と。
何故そういう考えが脳内に現れたのか、彼にはわからない。
わからないから、ロックオン兄の質問に「わからない」と答えた。
根拠の無い予知など、予想にもならない。
彼自身が言ったように、未来がわかれば苦労はしないのだ。
「ありゃ、スメラギさん、今日に限ってちゃんと朝礼に出てきてる」
ロックオン弟の声を聴きつつ、刹那は彼らと社長室のドアをくぐった。
続いて、「皆、遅いわよ?」「いつもならそれを言うのは俺達なんですけどね」という会話が耳に届いてくる。
そして、視界の中に、彼にとって大切な人たちの姿が入ってくる。
「刹那・F・セイエイ、出勤完了」
刹那は呟いた。
微笑みながら。
この日、刹那は知る。
マイスター運送が現在まで存続してきた、本当の理由を。
プリベンターとパトリック・コーラサワーの出番はまだひっぱります―――
【あとがき】
コンバンハ。
何度でも言いますが、風味は入っても全シリアスにはなりません、絶対にですサヨウナラ。