A.C.S.E_第10話

Last-modified: 2009-05-10 (日) 16:38:14

 ――振り向けば、世界の総てが無くなっていた。

 

 本来の定義での世界が崩壊していた訳では無い。世界そのものは何事も無く存続している。ただ”自分”にとっての世界(家族)が、世界(世界)から零れ落ちてしまっただけ。
”自分”にとっては総てでも、世界にとってはピースでしかない。故に世界は存続する。
 ”自分”の大切な人達から命が零れ落ちて、物言わぬ肉塊に成り下がった事など、まるで気にせず存続す、

 

 ――堪え切れずに声を上げる。

 

 声帯を引きちぎるような絶叫は、けれども轟音に掻き消されて誰の耳にも届かない。何処にも届かない。世界は”自分”を気に掛けない。その悲劇をただ内包して、何事も無く存続する。
 そうして”自分”がいかに矮小なのかを思い知る。泥だらけの顔を上げて、足元で這いつくばる”自分”を無視して災厄を振りまく輩どもを睨み付ける。■色の両目からはとめどなく涙が流れ続けて留める事を知らない。無理に留めるつもりも無かった。というか留めるという考えすら浮上しない。傷だらけの両手を地面に対して掴みかかる様に握りしめるが、抵抗にすらならず華奢な指先でより一層血が滲むだけに終わった。

 

 ――、い
 その絶望を知っている。

 

 ――、が欲しい
 その無念を知っている。

 

 ――■が欲しい
 その欲望を知っている。

 

 ああ、そうだ■は、この何もかもが理解できる。吐きそうなほど痛烈に納得できる。気が狂いそうなほど共感できる。解らない事の方が少ないなんてどういう事だ。酷く何処かで見た様な情景がただ進行する。紐解けないものはまるで無く、流れているその情景を■はただひたすらに把握しながら知覚する。
 でも一つ。ただ一つ。たった一つ。致命的に解らない事がある。

 

 ――――これは、誰の■■■(■■)だ?

 

 結局その疑問に解答が得られる事は無く。■の意識は、何時もの様に現実へと復帰する。
 目覚めと同時に感じたのは、いつものような纏わり付く様な嫌悪感ではなく、脳髄にこびりつくような困惑だった。

 
 

「……こっちが、俺が偶然見つけた遺跡の石像」
 特技を実際に運行しているレイ・ザ・バレルの執務室。職務用の、それなりの大きさを誇る端末の前に、シンとレイは居た。レイは椅子に座り、シンはその傍らに立っている。
モニタの右半分に表示されているのは前回の任務でシンが偶然発見した例の――MSに酷似した意匠を持つ石像、それの記録映像。あまり鮮明では無いが、もうこれしか残っていない。肝心の現物はシンが脱出した後に起こった大規模の崩落で完全に土の中に埋もれてしまったからだ。
「そしてこっちが古い資料の中から見つかった壁画の画像、だ」
 レイが手元のキーを叩き、石像の画像の隣に別の画像を表示させる。かなり略式されてはいるが、額のブレードアンテナやツインアイ、口部のダクトの形やクチバシの様なパーツ。そして右手の銃と左手の盾と、石像の方と多大な共通点が見られる。
「肝心の伝承は思わせぶりな文章がいくつか残っているだけで要領を得ないが、”これ”に対する呼称は残されていた。何でも”ガンダム”とかいうそうだ」
「ガンダム? ……何か、どっかで聞いた事というか、見た事あるような……」

 

 レイの隣でモニタを覗き込みながらシンが呟く。どうもその単語に妙なひっかかりを覚えている。積極的に聞いたり言った覚えは無い、だが知っている気がしていた。
「……そうだ、そうだよ! OSの頭文字だ!」
 思考に閃光が弾けるような感覚と共に、その引っかかりが解決する。シンの言葉にレイが頷いた。思い出されるのはMSのOS、その起動画面だ。もう何度も見ている画面。システムが立ち上がる際にモニタに表示されるOSの名称、その頭文字。

 

 ――G.U.N.D.A.M

 

「……こっちで調べられる限り調べたが、OSの頭文字が”ガンダム”と読める機体の多くが、この壁画や石像と似たような特徴の頭部を持っている。お前の場合はインパルスとデステイニー。俺はレジェンドでこの”単語”を目にしているが、そのどれもが頭部の形状がこの発掘されたモノと似たタイプだ」
「……なあ、これって”偶然”で片付けていいのか?」
 シンが呻くように呟いた。何度見ても、いや、見れば見るほどこの壁画や石像はMSという存在を表しているようにしか見えないし、思えない。
 全く”別の”世界に原因不明の現象で飛ばされた。これまでの前提が崩れる可能性――つまり、こちらと向こうが何らかの関係がある可能性を考えてしまう。
「今の時点では何とも言えないだろう。向こうとこちらでは文明の絶対数が違うからな、たまたま向こうと似たような文明が存在していた、という可能性もある」
「そっか……」
 まあ、とレイが一言吐き出すように言い、モニタに表示されている画像を消す。そのまま椅子を回転させ、シンに向き直る。
「考えるのは俺の仕事だ。お前がこちらに意識を向ける必要は無い。すべき事、できる事だけを考えていろ」
「……ああ、わかったよ」
 シンは俯きながら呟く。少し時間を使って、事柄を思考の外に追いやった。顔をあげてレイを見る。相変わらず隙の見つからない仏頂面だった。この鉄面皮マジにどうやるんだろうか、とか心の中だけで呟いてみたりする。
「じゃあとりあえず機体の調整――」
「待て。その前に教官としての仕事があるだろう」
 ビクリ、と身体を痙攣させて、シンはその顔を歪ませる。流そうと思っていたが、レイはしっかり覚えていたらしい。
「それ、本当に俺がやるのか?」
「お前以外に誰が出来る言っておくが俺は無理だからな。そこまで余裕が無い」
 特技には資材と技術者こそあるが、パイロット自体は極端に少ない――というか実質シンだけと言ってもいい。質量兵器禁止という制限でシン以外が運用を許されていないという事もある。それにMSが流れ着く際は基本的に中破から大破状態であり、中のパイロットが無事であるケースは極めて稀だ。生き延びたパイロットやMSに乗っていない状態で流れ着いたMSの操縦技術を持つ者も居るが、その総てがMSに乗る事を拒否している。
 だって彼等には戦う理由が無い、守っていた国や家族はこの世界には無い。命をかける理由もないのに、危険に身を晒す意味が無い。
 それに実戦を経験した者なら解る筈だ、MSの戦闘は酷くあっさり人が死ぬ。何時死んでもおかしくない。それを”しなくていい”世界に居るのに、

 

 ――わざわざ棺桶に乗り込むなんてバカのする事だ。

 

「あれ。でもちょっと待てよ……えーと、あー何だっけあの子えーと……ノ、ノー……」
「ノイン」
「ああ。そうそう、それ……あの子は何でまたMSの操縦を習うんだ? 俺以外は運用の許可が降りて無いんだろ、動かせるようになっても意味無いだろ?」
「……まあな。確かにお前の言う通り、彼女が”使える”ようになっても、許可自体は在りないだろうと俺も思う。とはいえここ(特技)のトップが、彼女にMSの操縦を可能な限り教え込めと言っている。生憎と俺はそれを否定できるほど権力が無い」
「ふーん……しかしなあ、教えろって言われても……どうすりゃいいのか正直さっぱりなんだけど……」
「専念しろとは言わない。無視しないでいてくれればそれでいい。今のところ期限も決められていないしな。こちらとしても何か”している”と報告できればどうとでも誤魔化せる。形だけでいいからなにかしておけ」
「了解……まあ、どうにかするよ……はあ……」

 

 げんなりした顔で吐き出す様に呟いたシンを見てレイが微かに、本当に微かに笑う。けれども今後の事で思考の大半を占有されていたシンは、結局それに気が付かなかった。

 

///

 

 
「……………………」
 対艦刀(シュベルトゲベール)が自機(ダガーL)に向かって突き出される。モニタに映る敵機――対艦刀を握っているのも、こちらと同じダガーL。
 シンは機体を僅かに逸らす。突き出された対艦刀が何も無い空間を通り抜け、機体重量をかけての刺突を盛大に外したダガーLが前につんのめる様に転倒した。
「……………………」
 地面にうつ伏せにぶっ倒れて手足をバタバタさせるダガーLを、シンのダガーLが見下ろす。右手に持っていたビームカービンを向けた。速くも遅くも無く、ただ確実に照準を付けて、トリガー(発射)。
 銃口から迸るように発射された高熱の弾丸はまず背部に接続されたバックパックに直撃、貫通して本体に。推進剤をたらふく詰め込んだ箇所に熱量が叩き込まれる。必然、大音量と衝撃を周囲に撒き散らしながら、ビームを撃ち込まれたダガーLが爆散した。
「……………………………………どうしよう。まるで話にならない」
 流石に全部を最初から解れとはいわない。でも基礎を教えた後、何度かのシミュレーションを経て少し解った。たぶん、根本的に向いてない。
 ”相手”は鋼のヒトガタを血肉の四肢と同じように扱っている。肉体と人型ロボットの違いを理解できていないのだろう。
 何故解るかって、シンも同様のタイプだったから。先程の動きは初期、本当に初めてMSに乗ったシンによく似ていた気がした。懐かしさを覚えたほどだ。
 だからこそシンは必死で覚えたのだ。人の何倍も覚えにくいのなら何倍も時間をかけて、覚えるまでやればいい。

 

 ――つまり、この少女に教え込むのも相応の時間がかかるという事で。

 

 シミュレーションが終了したという事実がモニタに表示されている。表情を変えずに淡々と呟きながら、シンは手元のコンソールを操作、重苦しい音ともにハッチが開く。シミュレータから降りて、溜息をつきながらガリガリと頭を掻いた。
 シンの時と同様に、重苦しい音がして隣のシミュレータの搭乗ハッチが口を開ける。開いたはいいが中に居るであろう人物はなかなか降りてこない。シンは急かす気にもならず、そのまま黙って待っている。
 少しだけ時間がたって、赤髪の少女がのそりと顔を出した。他人の気持ちにあまり敏感でないと自覚があるシンにも解る。物凄く解りやすく、ノインという名の少女は不機嫌気な顔だった。眉はハの字で、眼尻は若干吊り上がり、口はへの字。あと全体的に”むすっ”としたのが見ているだけで感じ取れる。
「とりあえず、休憩。んで、ちょっと来い」
 シンの言葉に対してノインの返事は無かったが、否定の意も無かった。少女がシミュレータから飛び降りる。淀み無い動きで、危なげな様子はまるで無い。運動神経が良いのか、普段から身体を動かし慣れているのか。どちらなのか、当然シンには知る由も無い。
 ノインを引き連れて、休憩室まで移動する。何がいいか聞いたら何でもいいと言われたので、シンは自分と同じものをもう一つ。自販機から出てきた紙コップを、両手で持ったそれの片方をノインに渡す。それからシンはノインの向かい側に腰掛けた。
「一つだけ、アンタに聞いときたい事がある」
 シンとノインの視線は思いっきりぶつかっている。先程からシンは会話の度にノインに睨み付けられている気がする。多分、いやこれは間違いない。まるでシンという存在が気に入らないかのように。敵意とすら思える感情を、シンはその金色の瞳から感じている。
「…………何だよ」
 数十秒待って、ようやく返ってきた言葉は酷く刺々しい。
「お前、何でMSに乗りたい。もし本当はやりたくないんだったら遠慮せずに言え。習う気が無い奴に構ってる程、俺は暇じゃないんだよ」
 質問はシンプルに。推測したのは、ノインが無理やりやらされているという事。シンはノインに、初対面の相手に恨まれる心当たりがない。ならばと辿り着いたのがそれだ。もしやりたくないのにやっているのだとしたら、シンという存在が鬱陶しく思えるだろう。
「違う! 私は本気だ! そうでなけりゃわざわざこんな所に”お前ら”何かに――!」
 急に。唐突に、それまで黙りこくっていたのが嘘の様にノインが叫ぶ。それこそシンに掴みかかる勢いで。ノインはそこまで言ってから、急に慌てた様に前のめりになっていた身体を無理矢理といった感じで止めて、それまでのように黙った。先程までと比べると、少し気まずそうではあったが。

 

「……ま、いいや。とにかくアンタが本気ってのは解った。でも、じゃあ何であんなもんに乗りたがる? 俺はアンタがどういう経路でここに来てんのか知らない。ていうかそこについては全く興味が無い。だけど、習いたいって事は、アンタMSが”どういうもの”か知ってるんだよな。じゃあ何であんなモノ(兵器)に関わりたがる」
 シン・アスカはノインという少女の事を何も知らない。別に深く知ろうとも思わないが、それだけははっきりさせておきたかった。
「――だ」
 シンの言葉にノインが言葉を発した。呟いたといった方が正しい。上手く聞き取れなかったシンが聞き返すと、今度はノインはよりはっきりと、まるで宣誓するかのように断言した。
「家族の、ためだよ。悪いか」
 舌打ちしなかった自分を褒めてやりたいと、シンは思う。シンにはあまり余裕が無い。現状、自分を引き上げるので一杯一杯だからだ。だから、正直”これ”は本当に乗り気じゃなかったのだ。誰かの為に時間を割くなんて、やりたくないし向いてもいない。
(……聞かなきゃあよかった)
 そもそも、だ。質問するって行動自体が間違いだったのだ。変な好奇心なんか持って、聞いてしまった事をシンはとても酷く後悔する。あくまでそんな事知らないというスタンスで、適当に手を抜いて、ただやってるフリをすればよかったのに。長い――唸り声の様な吐息を絞り出しながら、両手で頭を抱え込んで黒髪を強引にわしゃわしゃと掻き乱す。
(あ゛ー、くっそ…………)
 ノインの言葉は酷く抽象的だ。具体性なんて何もない。何故MSが彼女の家族に繋がるのか、実際よくわからない。でも、そんな風に言われてしまったら、そんな目でそうもはっきり言われてしまったら。

 

 ――もう絶対に手を抜けない

 

 それはノインの本気を、そういう意思を馬鹿にする行為だからだ。それは出来ない。シンにはそれは絶対に出来ない。出来る訳がない。
「な、何だよてめえ! バカにしてんのか――!?」
 いきなり顔を伏せたシンの様子がその理由を嘲笑っているとでも受け取ったのか、ノインが声を荒げる。ガタという音は彼女がベンチからいきなり立ち上がった為に発した音だろう。
「ああそうかよ、そう言う事なら、やってやるよ」
 黒髪に突っ込んだ手はそのままに、シンは顔を上げる。必然、シンを睨みつけるノインと視線が衝突した。指の隙間から覗く真紅の瞳は、それまでの……シンが普段心がけている”平坦”なものでは無い。シン・アスカの本質たる激情の光を灯らせた瞳。狩人よりも獣の側。殺意の視線に居抜かれて、ノインがビクリとその身を強張らせる。
「――本気で、お前を”一人前”にしてやるよ」
 それだけ宣誓して、シンはノインから視線を外す。立ちあがって、紙コップの中の液体を一気に飲み干した。少し冷めていた。空になったコップをゴミ箱に投げ捨てる。
「へ、あ、ああ……」
 発言の内容とまるでかみ合わない、ノインを獲物と捕えたかのようなシンの視線。そのギャップに戸惑ったのか、ノインは彼女自身が驚く程素直にその言葉に返答していた。
「あ、ちょ待てよ!!」
 そのままズカズカと休憩室を後にしようとするシン。ノインはそれを追おうとして、自分の手にコーヒーの入った紙コップが存在する事を思い出す。舌打ちをして、シンと同じように一気に飲み干そうとする。つまり、一気に液体を喉に流し込み――瞬間、ノインは口に入れた液体全部を盛大に吹き出した。
「ぶっふぁ――!! うえっほ、げっほ!! 苦っ! にっがぁ!! 何だこれ!? 本当に飲み物かこれッ!?」
「あー……やっぱ苦いのかあ。今の俺はこれで丁度いいんだけどなあ、うーん……」
「ッ、てめっ、わかっててこんなもん渡しやがったのか!?」
「何でもいいって言ったのはお前だろ」
「――ッ! ッ!!」
 何を今更とさらりと言って、シンは再度歩き出した。ノインは顔を真っ赤にして、地面をドカドカと踏みつける。手の中の液体全部を零してしまった紙コップをぐっしゃぐっしゃに握りしめて、感情の爆発を必死に押さえ付けて、シンの後を追った。
 眼前のシン・アスカの後頭部に”全力”の拳を叩きこみたい衝動に駆られつつも、ノインはそれを抑えてシンの後を追う。
「くっそ、覚えてろよ……! 必要な事が終わったら、真っ先に潰してやる……!!」
 口の中でもごもごと呟かれた彼女の言葉は、シンの耳には届かない。

 

///

 

 
「前回診た時より進行してる」
「そうですか」
 眼前の、安っぽいパイプ椅子に腰掛ける白衣を着た男性の言葉に対し、シンは平坦な声で返答する。シン自身も男性と同じパイプ椅子に腰掛けている。シンの服装は普段着でも戦闘服でも六課の制服でもない。病人が着る様な簡素な造りの検査着だ。
 シンの眼前でカルテを眺めつつ戸惑った様な唸り声を上げる男性は、単純に言うと”医者”だ。シンの担当医に値する人物である。ただしこちらの世界の人間では無く、シンと同じく流れ着いた人間だった。
 向こうの世界で医者だったからと言って、こちらの世界でも直ぐ医療行為を行う権利が与えられる訳が無い。ただシンの眼前の男性はそれでも医療の道を行きたかったらしく、現在こちらの世界でも”医者”として働ける事を目標としているらしい。
 では何故現在は医者としての資格を持っていない人間がシンの担当医なのかと言えば、その男性が”コーディネイター”の事を熟知する医者――つまりプラントにて医療行為に従事していたからだ。シンの様なコーディネイター、いわゆる遺伝子を改竄された人間はこちらの世界では認可されていない技術で生まれている。そんな人間にこちらの医療機関が対応している訳が無い。その辺りを踏まえ、コーディネイターを診慣れているその男性に限定的な医療行為を行う権限が一時的に与えられていた。
「進行というよりも悪化って言った方が正しいかもな、お前の場合……特に目立って見られるのが筋肉組織とか神経の発達。それ以外にも挙げ出すと色々と。こんなもんは絶対に自然現象じゃない。身体を鍛えた事による成長じゃなくて、身体構造そのものがより高次なレベルに造り変わり続けてる」
「はあ」
「最初に兆候が出始めた――お前があの妙な能力(MSウェポン)身につけた直後に比べたら、進行速度と進行の度合いが確実に上昇してる。今までも十分異常だったけど、此処にきて一段と加速してるな……いい加減、自分の身体能力が人間離れして来た事に自覚が出てきたんじゃないか?」
「いえ……特には? ないですねえ……?」
 何となく右手を握ったり開いたりして、シンはその動作を確認する。そうは言われてもシン自身はいまいち実感が無い。流石に日々を無駄に過ごしている訳では無いので、少しはそういった能力が上昇している自負はある。けれどもそれが劇的なものには感じられないのが本音だ。強くなれるというのなら、シンとしてはもっと盛大に景気よく進行して欲しいところではある。
(下らない事考える暇も無い位、急に変わればいいのに……)
 思った事は言葉にはしない。変化は確かに起きている。けれどどれもその規模は微量だ。それがどうしようもなくもどかしい。好ましいものなのだから、受け入れてしまえばいい。そうわかっているのに、未だ躊躇っている部分が心の何処かに存在している。
 だから。そうやって考える事が無駄になる位に、致命的に、手遅れになるまで一気に進行してほしいと、そう想う。
「なあ本当に身体に――痛みとか異常とか、何かしら兆候とかないのか? 肉体を根本から造り変えるような変化が起き始めてるんだ。どっか他に負荷がかかってても不思議じゃないんだが」
「いえ、別に。特に問題はありませんけど。まあ強いて言えば食事の量が増えた位ですかね。ああ、後ぐっすり眠れるようになりました。何ていうか、寝れば大体身体の疲れは取れるって言うか――夢見は最高に悪い事が多いですけど」
 味を判別する機能に障害があっても、それは現在のシン・アスカにとって”問題”にはならない。そもそもこの障害が発生したのは、MSウェポン――MSの力を個人サイズに落とし込む能力が発言した時から発生したモノだ。
 だからこそ、尚一層問題では無い。この能力が無ければシンはG型が出るまでコクピットの中でずっと待機、なんて笑えない事態になっているのだから。五感の一つ――それも視覚や聴覚等に比べればさして重要でない味覚が多少減衰していても、何の問題も無い。
「まあ、良いんじゃないですか。特に問題とか異常が出てる訳じゃないですし」
「お前呑気だなぁ……ああ、それと。前の戦闘でやらかした腕千切り。あれもう絶対やるなよ」
「え、何でですか?」
「当たり前だこの馬鹿野郎。もし元に戻らなかったらどうするつもりだったんだ。完全に保証が無い、理論だけの事をあっさりやらかしやがって」

 

「でもちゃんと元に戻ったじゃないですか」
「……ああ、そうだな。確かに元通り”復元”してるな。たぶんこれは治癒や再生とはちょっと違う現象だ」
「はあ」
「俺も最初は再生してると思ったんだがな、だとしたら腕が”新造”される訳だろ? でもお前の生えてきた”左腕”は、それまであった”左腕”そのものだった。一旦千切れて消失したにも関わらず、前と全く同じ位置に傷跡とかがあるんだからな。だから、千切れる前と全く同じ状態に復元されたって表現が一番正しい訳だ」
「へえー」
「…………お前ちゃんと聞いてるか? とにかく、よくわからん現象なんて起こさせないのが一番なんだ。見えない所で負担がかかってるって可能性もある」
「はーい」
「ったく、こいつは……」
 あくまで平坦に、というか平坦にしか返さないシンに対し、担当医は呆れたように呟いた。どれだけ異常な事なのかを理解しているのか、していないのかはシンの様子からは窺い知れない。
「じゃあ、終わったんなら俺もう行きますね、色々やる事残ってるし」
 医者がそれ以上新しい話題を持ち出さないと見て、シンは話を打ち切って立ち上がった。やる事は山積みで、時間は無い訳では無いが無駄にしたくなかった。
「とにかく。何かおかしいとこあったら直ぐ連絡しろ、いいな」
「わかりました、じゃ」
 医者の言葉に対し、シンは片手をひらひらと振りながらそう言って、診察室を後にする。そのまま真っ直ぐロッカーへ。検査着を脱いで、中にかけていた六課の制服に手早く着替える。受付ロビーをそのまま素通りして、外へ出た。
 ふと建物を振り返る。シンが今まで居たのは聖王教会の系列の医療施設。主に検査等がある際は、設備などを借りるためいつもこの施設で行われている。設備が特別充実している訳では無いし、利用しやすい場所にある訳でもない。
 ただ”ここ”が一番都合がいいらしい。その辺りの事情はシンは全く知らない。ただ、もう馴染みの施設の一つであるといえた。
「そういえば、最初に担ぎ込まれたのも此処だったっけ」
 シンが愛機ごと――世界を越えて墜落したあの日、この世界に初めて来た日。それなりの怪我を負っていたシンはこの施設に運び込まれた。思えばあの日からもう随分時間が過ぎている。
 随分時間が過ぎたのに、シンは未だ目指すところには遠く届かない位置に居る。舌打ちをして、踵を返した。その自覚があるからこそ、とにかく行動しなければならない。
 迎えに来ている特技の車両が停まっている場所まで歩いている途中、傍らに生える樹木に目が付いた。正確にはその樹木の大分上方に引っかかっている赤い風船だ。何処かの子供が持っていた物が飛ばされて引っ掛かったのだろうか。
 見上げる。赤い風船は随分と高い位置にある。シンの背丈の何倍の位置だろうか。普通に考えて、取るには梯子か何かを持ってくるか、風船の位置までよじ登るのが正解だろう。

 

 その場から、ゆっくりと後ずさった。

 

 タン、と踏みきって、走る。”踏み切る”地点は決めてある。そこに至るまでの短い距離で身体を可能な限り加速させる。再度、さっきよりも強く、踏み切るというよりも踏み抜くつもりで足を地面に叩き付ける。
「っと」
 ズダン、という音は着地音だ。膝を曲げて、深く沈みこむような姿勢でシンは地面に着地する。ふーと息を吐きながら立ち上がる。今更ながら周囲に誰かいなかったかを確認するために首を巡らせた。特に誰も居なかった事実に安堵しつつ、シンは改めて駐車スペース目指して歩き出す。

 

 シンが右手で持つ赤い風船が、風に吹かれて揺れている。

 

///

 

 
 ダガーの修理と補給も終わり、シンは再び六課へと戻って来た。ノインに関してはギリギリまで付きっ切りで教え込み(ひたすらボコボコにし続けたともいう)、後は訓練メニューをいくつか言いつけておいた。当面はそれでいいだろう。今後の事はもう少し考える必要がありそうだが。

 

(とはいっても、俺基本六課に居るし……そもそも教えるって事自体がイマイチ……)
 右手で保持した対艦刀(シュベルトゲベール)を肩に担ぐようにして身体に預ける。さっきの模擬戦で叩き落とされて端っこの方に転がっていたビームブーメランを拾い上げて、マウント部である左肩の増加装甲にマウントする。盛大にボーボー燃える剣に思いっきりぶっ叩かれたので故障でもしているかと思ったが、幸い目立った損傷はないようだ。
 出し惜しみをするつもりは無く、そもそも出来るほど強くも無い。ひたすらあっちこっちに投げまくったビームサーベル十二本をようやく拾い終えた。一見すると懐中電灯にでも見えるビームサーベルを、シンは左腕で抱えて歩きだす。
 MSウェポンはシステム発動時に巻き込んでやれば、機体本来の搭載限界以上の武装を保持する事が出来る。だが一旦取り出した武装は”再格納”できない。やるのならば一度システムを落とし、巻き込む(収納する)武装と機体を再度リンク状態にして立ち上げ直す必要がある。
 故にシンは背中のスラスターから青光を吹き出し、地面を滑る様に高速移動。まずは真っ直ぐ格納庫へ向った。予備の武装やパーツの整備を続けているスタッフ達に短く挨拶して、ダガーのメンテナンスフレームに取りつく。引っ張り出したケーブルの先端を口に咥え、MSウェポンのシステムとフレームを同調。
 ”システムコンバート”。
 抱えていた武装、それと身体の各部に装着されていた武装が赤い光を散らしながら空気中に溶けるように消失した。同時にごどん、という重い音。発信源はメンテナンスフレームの各部、武装の設置用ハードポイント。先程までは何も無かったその位置に、現在はシンがさっきまで装備していた各種武装が固定されている。
「もういっちょ」
 システムコンバート。今度は機体。目を閉じている訳では無いのに視界が完全に消失する。消失するのは感覚も。身体と精神を一時的に切り離されているような感覚だ。
 視界が復帰する。赤い瞳に映る景色は格納庫の内壁でなくコクピットの内装に変わっている。姿勢は直立からコクピットシートに座っている状態に。コンソールを叩く。
「全武装再リンク――フルセット確認。システムコンバート」
 各種武装が格納状態になっている事を確認して、シンは再度機体を身体の中に押し込める。肉体の感覚が消え、また直ぐに戻って来る。視界が捉えるのはコクピットの内装でなく格納庫の内壁。シンの身体の各部に出現している装甲、そのラインを走っていた赤い光がゆっくりと消えていく。
 MSウェポン状態では別にMSの持つ装甲総てが出現している訳では無い。胴体、肩や腕、足首程度だ。武装のハードポイントがある場所も含まれる。それらはMSの装甲がそのままくっついているのではなく、その形状が鎧の様にアレンジされて出現する。
 だから”MSを着ている”というより”MSを元にデザインした軽鎧を着ている”と言った方が正しいだろう。
 用事(武装の装填)を終えて、シンは格納庫を後にする。少し歩いてから足を止めた。待たせている相手が居るので速く戻らねばならないし、シンとしても速く”続き”をやりたいところである。ならば何故足を止めたか。
「さて、ちょっと試してみるか」
 呟きながら目を細める。周囲に誰もいない事を一応確認する。現在シルエットは装備していない。故に武装は腰のライフルとサーベル。後は左腕にマウントされたシールド、そこに付けられたアンカーのみ。
 MSウェポンは各種武装やバックパックユニットをシステムに格納する。故に戦闘中の換装や、ロストした武装の補充が可能となる。これだけでも現行の換装に比べたら十分に有益なものである。

 

 ――システムに格納されたシュベルトゲベール対艦刀を使用したいとする。

 

 その場合にまずはシルエットSを呼び出して、背部のコネクタに接続。それが正常に行われた後にマウントされた対艦刀を引き抜く――というのが正当な手順だ。既に他のシルエットを装備していた場合、そこに現在の装備を切り離す手間が加わる。
 要は、その暇が惜しい。
 虚空に右腕を突き出す、突き出した先の、掌の位置の”座標”を設定する、格納された武装、シルエットSという群体定義から対艦刀を隔離する、それのみに限定して――
「システムコール」
 漏れた呟きと同時にシンの突き出した右腕、その先端、掌の前で赤い光が瞬いた。漏れ出した光は縦に横に走り抜け、空中にワイヤーアートを描き出した。掌の前で描かれた立体、柄の形をしたそれを握る。接触部分から実体化、シンの触覚が金属の質感を知覚する。握りしめた柄から駆け上る様に赤いラインが走っていく。

 

「――――”シュベルトゲベール”」
 シンの身の丈ほどもある対艦刀が音も無く、ただ赤い光を撒き散らしながら虚空から引き抜かれた。
 正確にはシンが出現に併せて引き抜くような動作で腕を振ったので、引き抜いたように見えるだけ。本当は柄から切っ先へと順に実体化されている。
「……つっ」
 一瞬だけ頭に刺すような痛みが走る。それは本当に一瞬で、シンが声を上げた時にはもう消失していた。今までと違う使い方をしたので何らかの負荷がかかったのかもしれない。
 シンはこれまで散々能力を使用しているが、MSウェポンという能力は何がどう働いてどうなっているのか、未だ不明である。ただ網膜に各種映像が直接映ったり、強制起動で五感に影響が出た事を鑑みるに、おそらくはシンの脳に何らかの形で影響を与えているのだろう。現に今も頭痛がした事だし。
「もうちょっと設定詰めて調整すれば、実戦でも十分――いや、かなり使えるなこいつ」
 心の中に一瞬よぎった不安、副作用とか代償とかいう名前をしたそれを考えの外に追いやって、シンは対艦刀を軽く振り回す。電力を流し込まれた対艦刀が赤い熱光を発生させる。想定されていない取り出し方でも武装に影響は出ていない。通常通り使用できる。
「後は、仕舞えたらいいんだけど。ていうか、もうちょっと小さい武器で試せば良かった……」
 実験の結果に満足しつつも、シンは溜息混じりに呟いた。対艦刀だけを仕舞い直すためにまた格納庫に戻るのは気が進まず、肩に担いで行くことにした。シンの背中で青光が灯る。スラスターの光を伴って、シンは目的地目指して地面を滑る。
 先日の初出動以降、フォワード陣の訓練メニューは様変わりしている。それまでのチーム戦主体から、個人技能を伸ばすためのものに。スバルはヴィータ、ティアナはなのは、エリオとキャロはフェイトと言った風にそれぞれ付きっ切りで指導に当たっている。それぞれが何をやっているのかシンは一応把握はしているが、その辺りはあまり関係が無い。とにかく重要なのは当分シンは一人で勝手に訓練できるという事実だけだ。
 それで、個人技能の訓練に混ざれるわけがないシンが何をしているかというと。
「すいません、お待たせしました」
「気にするな。大して待っていない」
 地面にガシャンと金属音を鳴らしながら降りたシンに対し、待ち合わせていた人物がそう返す。ライトニング分隊の副隊長、シグナム。髪は桃色でポニーテール、独特の意匠を持った服(バリアジャケット)、左手には鞘に収まった長剣が携えられている。
「あれ、ヴァイスさん。何してんですか?」
「ちょいと様子をな。別に邪魔しに来たわけじゃねえから心配すんなって」
「へー……」
 そう言ったヴァイスに対して返答する。シグナムとヴァイスの前には空中に浮かぶ形でいくつかのウインドウが出現していた。そのウインドウには現在訓練中のフォワードの面子、それと教える側のなのはやフェイト、ヴィータも映っている。
 またシンがシグナムと待ち合わせたこの場所は訓練エリアが見渡せる位置にある。これまでは主に市街地で設定された訓練スペースは、現在森林地帯の様相で構築されていた。
 少し離れた此処からでも解る程、魔力光が飛び交っているのが肉眼で確認でき、ウインドウに映る訓練が実際に行われている事を示している。
「それにしても……やー、やってますなあ」
「ああ。初出動がいい刺激になったようだな」
 ウインドウを眺めながらヴァイスが呟いた。シグナムもそれに肯定。おそらくウインドウに映るフォワード陣の事を言っているのだろう。シンもウインドウに表示されている映像に注意を傾ける。確かに映るフォワードの四人は皆、必至に与えられたメニューをこなしている。
「いいっすねえ、若い連中は」
「若いだけあって成長も速い。まだしばらくの間は危なっかしいだろうがな」
「……あのレベルでもまだ危なっかしい何ですね、シグナム副隊長に言わせると」
「ッハハハ。まあここの人たちは皆レベル高いからな。連中に実力がないって訳じゃねんだが」
 ぼそりとしたシンの呟きにヴァイスが応える。実際何度か戦っているシンとしては、新人とはいえフォワードの四人は十二分に強いと思っているのだ。あくまで連中とシンとでは能力の特性が違うだけで、実質飛び抜けて差は無いだろう。だというのに四人とも日に日に強くなっていく。それでもまだ評価は”あぶなっかしい”と来た。完全に未熟者の扱いである。
(……やっぱ上の連中は桁が違うか。加えて他の連中にも本当にその内抜かれそうだし、あーもー……)

 

 言葉にするのは躊躇われ、重苦しい溜息を吐き出した。保有する能力の性質がまるで違うのだから比較するのもおかしな事ではある。だがそれでもシンが一向に強くならず他の面子が順調に成長している現状を憂わずにはいられない。
「何だ何だー? 景気悪い面しやがってー?」
「あ゛ー、うるさいですねえ、ていうか頭触んないでくださいよ」
 不覚にも重苦しい気持ちが表情に出ていたのだろうか。何やら面白いもので見つけた様なニヤついた笑みを浮かべたヴァイスがシンの頭をがしがしと掻き乱した。シンもそれをバシバシとはたきつつ払いのけるが、ヴァイスは何やら興が乗ったのか止めようとしない。
(――よし、無視しよう)
「ところでシグナム副隊長。本当に参加しないでいいんですか? 向こう(フォワード陣)の方に。俺の方に時間使ってもらっといて今さら何ですけど」
 反応しろよーとヴァイスに頭をがっしがっしやられながらも、シンはシグナムに向き直り平然と会話を切り出した。数瞬ほど迷って、シグナムはまずヴァイスに手だけで止めてやれとサインを送る。
「ああ、問題ない。私は古い騎士だからな。スバルやエリオの様にミッド式が混じった近代ベルカ式とは勝手も違うし、剣を振るうしかない私が、後衛(バックス)型のティアナやキャロに教えられる事も無いしな」
「そういうものなんですか。近代でも古代でも同じベルカ式なんじゃ?」
「いや、そういうものだ。同じに見えてそれなりに違う。まあ、それ以前に私は人にモノを教えるという柄では無い。戦法など届く距離まで近づいて斬れ位しか言えん」
「ハハハ、すげえ奥義ではあるんすけど……ま、確かに連中にはまだちいと早いですね」
「真理だと思うんですけどねえ……」
「まーお前さんは滅茶苦茶実践しまくってるからなあ。戦闘の時とか凄い勢いでかっとんでいくし」
 シグナムの唱えた”奥義”に対し神妙な顔で頷くシンに対し、ヴァイスが呆れたように言った。再度シンの黒髪に手を伸ばそうとして、今度は先ほどより強く手を弾かれた上に殺気を混ぜ込まれた視線での迎撃、ヴァイスは慌てて一歩下がる。
「とにかく気にするな、どうせする事も無くて暇を持て余していた身だ。むしろ動かんと身体も鈍るしな。とはいえ出向が入れば流石にそうも言ってられんが」
 フ、と笑いながらシグナムがそう言う。シンとしては実力者を存分に拘束できるとうのは魅力的な事で、願ったりかなったりではある。
 が。
(前に、小さい方の副隊長が、もう一人は事務仕事が遅いとか何時まで経っても覚えが悪いとか愚痴ってたような…………)
 そっちら辺は大丈夫なのだろうかとふと思い出してみたりする。眼前のシグナムは余裕気に微かな笑みを浮かべている。たぶん大丈夫なんだろうという結論を出して、シンはそれ以上深く考えない事にした。
「ではそろそろ行くか」
「――はい」
 剣の鞘をカチャリと鳴らしながらのシグナムの言葉に頷く。だらりと下げていた対艦刀を担ぎ直した。それまで脳内を駆けずり回っていた雑多な思考を駆逐、頭の中をクリアにしようと徹底する。瞳を細めて、頭の中を造りかえるかのように整理する。眼前で剣を持つ相手(敵)を、いかに効率よく撃破できるか。ただそれだけを考え、
「お、そうだシン、後で昼飯一緒に行こうぜー」
「……いやです」
 さっきの頭わしゃわしゃの分と精神集中に水を差された分をまとめて視線に込めて、手をぶんぶん振りながらそう叫ぶヴァイスをギッと睨み付けた。

 

///

 

「はーい、じゃあ午前の訓練終了ー!」

 

 なのはのその声を聞き届けて、フォワード陣の四人がいっせいに地面に崩れるようにへたり込んだ。そんな四人の前にはなのは、ヴィータ、フェイトの三人。服装は教導服のなのは以外は、フォワードの四人と同じトレーニングウェアである。
「はいお疲れー! ……個別スキルに入ると、ちょっとキツイでしょ?」
「ちょっとと……いうか……」
「その……かなり……」
 なのはの言葉に対し、荒い息をつきながらティアナとエリオが返答する。二人とも上官相手に遠慮しているというよりも、それだけ言うのがやっとといった様子である。

 

「フェイト隊長は忙しいから、そうしょっちゅう付き合えねえけど……私は当分お前らにつきあってやっからなー」
「あ……ありがとう、ございます……」
 愛用の鉄槌をカチャリと鳴らしながら、ヴィータが”やる気満々”な様子で四人に向けて言い放った。さっきまでヴィータと相対していたスバルはその訓練の苛烈さを知っていて、それが一層加熱しそうな気配を感じ取り、苦笑いを浮かべながら返答する。
「それから、ライトニングの二人は特にだけど、スターズの二人もまだまだ体が成長してる最中なんだからくれぐれも無茶はしないように」
『はいっ!!』
 訓練に対して酷くやる気な横の教官二人に苦笑しつつ、フェイトから四人を気遣っての言葉。それに対して四人は疲れを感じさせぬ声で返答した。
「じゃあお昼に……あれ」
「……あー、あいつらか。こっち来たな」
 なのはが言葉を途中で切る。ヴィータも何かに気づいたように呟いた。続いてフェイトも二人と同じ方向を見る。
「……? どうかしたんですか?」
「……あれ、何か聞こえる」
「あ、本当だ……怒鳴り声?」
 ティアナが首を傾げて問う、それと同時にスバルとエリオも何かに気が付いたように呟いた。以前状況を把握できていないのはティアナとキャロ。困惑した様子の二人に気付き、ヴィータが茂みの向こうを親指でぴっと指しながら呆れたように言い放つ。

 

「模擬戦大好きなバトルマニア二人が、こっちに向かってきてんだよ」
 

 

 まず、身の丈ほどもある対艦刀を持ったシン・アスカが吹っ飛んできた。凄まじい勢いで滑空するかのように木々の間を通過してきたその身体が、地面と衝突して盛大に跳ね上がった。同時にその身体から青い光が噴出す。光に押されて加速したシンの身体が無数に乱立する木の一本へと直進する。
 次いでシグナムが姿を現した。吹っ飛んだシンを追ってきたのか、未だ宙を舞うその姿を捉え、握った剣を構え直す。地面を蹴り、空中へのシンへと追い討ちをかけるべくシグナムが跳躍する。
 一方のシンが木に衝突。接触の瞬間に幹に叩き込まれているシンの足、幹が撃ち込まれた足を中心として盛大に陥没する。横向きになったシンの体が沈む。撃ち込まれた足を更に押し込むように、けれど身体は弾き出す様に。
 シンは自分目掛けて迫るシグナムをしっかりと視認、横向きのまま横向きに”跳躍”する。スラスターの光がそれを助長する。爆発的な威力を叩き込まれてそれなりの太さのあった木に大穴が開いた。ゆっくりと傾いでいく木を背に、シンが両手で保持した対艦刀を振りかぶる。
「っだらああああァァ!!!!」
「――――ッ!」
 対艦刀の斬撃が、追撃に来たシグナムへの迎撃として叩き込まれる。刃に炎を奔らせた魔剣(レヴァンティン)と、赤い熱刃を灯らせた対艦刀(シュベルトゲベール)が衝突して周囲に閃光を撒き散らす。
 拮抗は数秒だけ、押し切れぬことを悟ったのか、シンが対艦刀の柄から手を離す。支えを失った対艦刀が吹き飛ばされる前に、シンがその刀身を踏みつけて一気に上空へと跳躍する、スラスターの青光が散った。シグナムがその姿を追う、シンが腰からライフルを二丁引き抜いた。シグナムが追撃へと移るよりシンのトリガーの方が速い。緑色をしたビームの雨がシグナムに降った。展開された障壁がビームを受け止める。
「システムコール――シルエットL!!」
 シンの叫ぶとほぼ同時、空中に出現したのは大砲を繋ぐバックパック。それが即座にシンの背中に接続される。右肩には増加装甲の形をした複合兵装、そしてライフルを引き抜いて空になった腰部ウェポンラックには新たに緑色をした大型のライフルが装填された。左手の通常ライフルを投げ捨てながら背中の大砲を引っ張り出す。
「誰がそっちの得意な距離で付き合うかよ!!」
 ビームライフルとは比べ物にならない程の熱量を持った光の束がアグニから解き放たれる。真っ直ぐとシグナムを目指したそれは、しかし対象を射抜く事なく地面に突き刺さる。跳躍による回避、シンの右手のライフルが吼える、けれど障壁に阻まれた。
『Schlangeform!』
 電子音声と共にレヴァンティンの刀身がいくつもの小型刃へと分割する。ワイヤーで繋がれたそれら幾つかの小型刃がまるで蛇のように不規則にうねりながら空中にあるシンに向かって宙を這う。刹那の暇で間合いを詰めた刃の蛇が、シンの身体の左側を占めていた緑の大筒へと絡みついた。

 

「――チッ!」
 舌打ちと同時、バックパックごとアグニが身体から切り離される。地面へと落下する緑の大砲から刃の蛇が離れ、再度シン目掛けて直進する。今度は小型盾から発射されたアンカーが迎え撃った。空中で鋼の蛇とアンカー先端部のハサミがぶつかって、絡み合って、拮抗する。
 シンが右腕のアンカーをシグナムに向けて撃つ。未だ宙にあり不自然な体勢での発射のせいかやや逸れていたアンカー、シグナムは僅かに身体を逸らしてやり過ごす。
 シンが酷く愉快気に哂った。シグナムの後方に転がっていた対艦刀の柄にアンカー先端のハサミが食らいついた。武装側に残留していた電力が命令を遠隔受信して赤い刃を発生させる。アンカーを巻き取りながらシンが思いっきり右腕を引き戻す。熱刃を灯した対艦刀が地面を引き摺られながらシグナム目掛けて迫り来る。
「くらえよ!!」
「レヴァンティン!!」
 シグナムが握るレヴァンティン、その柄から伸びてる刃の蛇が凄まじい勢いで引き戻される。シンがやっているのと同様に、伸ばしたモノを引き戻す。当然柄の先に絡みついたロケットアンカーもそれに引き摺られる。
「ぐっ――!?」
 アンカーと繋がる、未だ空中にあったシンの身体も大きく引き摺られる。スラスターだけで滞空していシンの身体がすっ飛ぶように投げ出される。右腕の小型盾から伸びるワイヤーへとその揺れが伝播し、シグナムへと迫っていた筈の対艦刀は見当違いの方向へと逸れ、手近な木を一本両断した。
「くそっ!」
 シンの両腕からワイヤーが伸びたままの小型盾が脱落する。スラスターの青光を周囲に撒き散らしながら、急速制動。次いで右腕に未だあったライフルを投げ捨てて、新たに装填された大型のライフル二丁を両手で腰から引き抜いた。
「詰められる訳にはッ!!」
「そんな暇は与えてやらん!!」
 シンが迫るシグナムにライフルを向ける。遅い。既に距離はショートレンジ、剣士の間合い。振り抜かれた刃がライフルを横殴りに殴りつける、銃身から発射されたビームが見当違いの方向へと伸びる。シンの手が衝撃に耐え切れずに左のライフルを取り落とす。
 ほんの少しだけシンが後退に成功する、一見してそれは無意味。そこは未だ刃物の距離で、銃の距離では無い故に。武器を持ち替えている暇は無い。
「終わりだ!!」
「――……!!」
 シグナムの咆哮と共に、炎を引き連れて振りかぶられるレヴァンティン。
 シンの右手のライフル、その銃身でバチィンと音。
 金属がぶつかり合い擦れ合う騒音が周囲へと響き渡った。シンの胴体目掛けて直進した魔剣が、ライフルの銃身から展開された刃が受け止めている。ライフルに組み込まれた力場発生装置がその分厚く無骨な刃に通常を大幅に上回る切断能力を付与し、魔導の炎を纏う剣との拮抗を可能とする。
 現在シンが持っているのは『M9009B 複合バヨネット装備型ビームライフル』、本来は砲戦特化機体であるGAT-X103APが装備する大型ライフルである。
 先日の特技側での補給にて、シルエットLに新たに加わった物だ。シルエットLのメイン武装であるアグニは威力が高いが隙も多く、それを補う為に用意された。そのままでも通常のライフルより高威力、更に平行に連結させる事で火力を向上させる機構も持つ。砲戦においての選択肢を増加させるだけでなく、内蔵された銃剣を展開する事で今回の様に”砲戦装備のまま接近戦に移行”した場合にも対応する事が出来る。
「バヨネット(銃剣)付か! 次から次へと……!!」
「おおお……!!」
 技術も何もない、機体のパワーに任せてシンが銃を押し込んだ。押し切るのが目的では無い。そもそも押し切れる訳も無い。目的はバヨネットの根元にある銃口、それをシグナムへと向ける事。一瞬でもそれが叶えば至近距離での射撃が可能となる故に。
 シグナムもその狙いを察知しているのか、押し込まれた銃剣を魔剣で持って押し返す。空中で互いに不自然な姿勢のまま数瞬だけ硬直。だがフェイク、シンが左手で素早く腰からサーベルを引き抜く。ビーム刃が発生するのを待たずに、手を伸ばせば届く距離にあるシグナムへの胴体へと突き出した。ようやく電力が循環して熱刃が発生、がら空きのシグナムの胴体へ――突き刺さる前に阻まれていた。
「鞘ァ!?」
「……使わされるとはな」
 シンが左手で握る筒から発生した熱刃が、シグナムが逆手に構えたレヴァンティンの鞘によって阻まれる。シンの右手の銃剣がシグナムの左手の魔剣と拮抗し、シンの左手のサーベルがシグナムの右手の鞘と拮抗する。

 

「紫電」
「やっべ……ッ!」
「一閃ッ!!」
 シンの眼前を排出されたカートリッジが舞う、危機察知が遅すぎた。魔剣の刀身を奔る炎が膨れ上がる。シンの右手に握られていた銃剣付きビームライフルが弾き飛ばされる。今度こそ武装の再装填が間に合わない。片腕だけの魔剣のスイング、おそらく当てる事に傾注した一撃。右手でサーベルを引き抜こうとした、当然間に合わなかった。左のサーベルは未だ鞘に阻まれている。炎を纏った魔剣の刃が、シンの胴体に叩き込まれた。
「どぅあああぁぁッ!?」
 ぶち当たった衝撃を殺す術も無く、”もろに”喰らったシンが地面へ向けて砲弾の様にすっ飛んでいく。地面に到着する前に木の枝や幹に何回か遭遇し、遭ったそれらを破壊。ようやく辿り着いた地面を長々と抉り、太い幹にぶち当たる形でようやくシンの身体は停止した。
「勝負あったな」
「ですね」
 シンが起き上がろうとするのと同時に、その咽元にシグナムの言葉と共に魔剣の切っ先が突きつけられる。それを見て、自身の敗北を素直に認めたシンが溜息混じりに呟いた。
 シグナムが剣を引き、鞘に収める。それからシンは土埃を払いながら立ち上がって、まずは左手に残留していたサーベルを腰のハードポイントに戻した。
「敵いませんね、相変わらず」
「最初に比べて随分と動きも良くなった。先程でも鞘まで出す気は無かった。そう悲観するものでもないぞ」
「ですかねえ。いまいち近接戦闘は納得できてないんですけど……」
「能力絡みは私には何とも言えん、が。筋は悪くない、思い切りもいい、それに取立て何が未熟とも感じない。お前に足りないのは”経験”だな、やはり」
「地道にやるしかないて事ですか」
「そうなるな。まあ、焦ってもどうにかなるものではないのは確かだな」
「…………うーん」
 そこで会話は終了した。シンは身を屈め、周囲に投げ散らかした武装を黙々と拾い集め始める。シグナムはその様子をやや呆れた様子で眺めていたが、ふいに傍らの集団に気が付いたのか首を巡らせる。
「む。そっちは区切りか?」
「まーな」
「あれーシールドが無い。どこ行ったシールド」
 なのは、ヴィータ、それと地面でへばったままのスバル達四人を見つけ、シグナムが挨拶代わりに声をかけた。ヴィータがそれに応じ、なのはも片手を上げて挨拶を返す。
 一方。シンは茂みに上半身を突っ込んでガサガサやっていた。

 

///

 

「あれ、何で全員揃ってんですか?」
「どうもこっちの訓練区域まで来てしまったらしいな、つい夢中になって位置に確認を怠ったようだ」
「そうですか」
 拾い上げたシールドを腕にマウントし直しつつ、シンが素っ頓狂な声を上げた。先程までの勢いは欠片も残っておらず、いつものやや生気に欠ける様に見える仏頂面を形成している。シグナムの言葉に対し抑揚の無い声で返答して、拾った中でマウントできるものは装備し、出来ないものは抱える。
「あんた、やっぱおかしいわ……」
「あ、あははは……」
 ティアナは頭を抱え、スバルは苦笑い。何事かとシンがエリオとキャロを見ても、二人とも苦笑いだった。
「なんだよお前ら。そりゃ確かに手も足も出ないけどさ、俺だって進歩してない訳じゃないんだぞ、実際シグナム副隊長にシュランゲフォルム使わせて――」
「違うわよ、そっちじゃないのよ……」
「? ……じゃあ何だって言うんだ?」
「…………わかんないならいいわよ」
 ”ボロ負け”したせいで微妙なリアクションを取られたと判断したシンが反論する。けれどその言葉に対し、より疲れた様子になったティアナは投げやり気に会話を打ち切った。

 

「いや、シン君すごいなあって……やっぱり、私たちよりずっと先に居るよね」
「……はあ? ボロ負けしてるだろ、というか俺そんなに強くないぞ、まだ」
「じゅ、十分凄いですよ」
「………………? ??」
 スバルとエリオの言葉に困惑する。シグナムにいい様にやられてしまった自分が、何故こうも高評価なのか理解できない。シンは頭をがしがしと掻きながら首を傾げる。
 ふとキャロがじっと見ているのに気が付く。何の思惑があるのかわからないが、目を逸らす理由も無い、数秒ほど続いたそれはキャロが目を逸らす事で収束した。
「まあ、もういいや、よくわかんないし。で、そっちはどんな感じだよ」
 考えても無駄と判断する、会話を打ち切りつつ、次の話題へと誘導するつもりで切り出した。いきなり押し黙るよりはそっちの方が自然だと思ったし、少し興味もあったからだ。
「へとへとー……」
「今までも結構、いや十分きつかったんですけど、個別スキルに入ってからは、一層……」
 疲労を思い出したのか改めてぐんにょりするスバルとエリオ。隣でティアナが何かぶつぶつ呟いていた、キャロはぷいと顔を逸らしている。
「へえ……そっちはそっちで大変そうだな。でもまあ、そっちはしんどい分だけ還ってくるんだから、いいだろ」
「そっちはって……シン君は?」
「俺がいくら頑張ったところでモビルスーツの性能が上がるかよ。だからせめて技量を何とか上げようとやりくりしてるんだ、今は」
「ふーん」
「…………ナカジマ。お前、よくわかってないのに頷いてるだろ」
「えへへ、ばれた?」
「………………」
 スバルと会話すると何故こうも頭痛が誘発されるのだろう。
「そっちは順調ですか?」
「ああ、まあな。といっても斬って斬られてを続けているだけだが」
「すいません、シンの事はシグナム服隊長に任せっ放しにしちゃって」
「それは別に構わない。私もいい運動になる」
「まあ俺魔法使えませんから、高町隊長に教わる事なんもないですからね」
 なのはとシグナムのやり取りに対し、シンが仏頂面のままぼそっと割り込むように呟いた。相変わらず愛想の欠片も無いシンの様子になのはが困ったように苦笑いを浮かべ、シグナムは呆れたように頭を振った。
「あっ。あー……ああー」
 不意に”その事”を思い出して、シンが妙な呻き声を上げる。右手で髪をわしゃわしゃと乱すように掻いて、そのまましばらく唸る。シン・アスカは魔法が使えない、だから教導官の高町なのはに教わる事は無い。”魔法”、に関しては。ただ少し、今はそれ以外のことで用があるといえばあるのだ。不向きなことなんぞやらされてしまっているせいで。
 そんな風にシンが奇行を続けている間、ずっと赤い瞳の視線を向けられていた高町なのはが不思議気そうな顔をする。
「どうかした、シン?」
「あーあーあー………………いや、やっぱいいです、ハイ、なんでもないです」
「? そう?」
 明らかに何か在る様子でなんでもないとなのはに返答。シンは多少強引でも打ち切ろうとなのはから視線を外し、軽く溜息をついた。
「はあ……やっぱなあ、なんかなあ、柄じゃないんだよなあ……」
 模擬戦の類を申し込むのならどうとでも出来るのだが、いざ向かない事のために動こうとするとなかなか上手いように動けない。シンはもう一度、今度は深々と溜息を吐いた。
「――」
「何ですか」
「……何でもねーよ」
 視線を感じて振り向いてみれば、何やら微妙にもやもやした感じの表情をしたヴィータとばっちり目が合った。特に棘も無いシンプルな問いかけには、顔を背けながらの短く味気ない返答。
 普段の罵り合いは発端を辿ればシンが原因で、先制がシンである事が多い。ただ泥沼化した現在では会っただけで小競り合いが始まってしまう。それが今の”普通”。けれどヴィータは明らかに覇気そのものがなく、そもそも目が合ってからは何故かシンを見ようとすらしない。

 

「今日、なんていうか……大人しいですね、副隊長」
「……うるせーな、ほっとけよ」
 質問には刺々しい返答が。未だヴィータは視線をシンに向けない。この違和感を払拭しようと質問したのに、より違和感が増してしまった気がする。
「…………ナカジマナカジマ」
「ん、なにー?」
「あの赤いの、今日何かおかしくなかったか?」
 こそこそとスバルに接近し、顔を近づけて内緒話の趣を。ひそひそ声でシンはスバルに話しかけた。
「ええ? 別に訓練はいつもど通りだったよ? うん、私ものすっごいぶっ叩かれた」
「でも今なんかおかしいだろ、何か覇気が無いぞアレ、確実に」
「……本当ですね、さっきまで普通だったのに。どうしたんでしょうか」
 ひょこ、とエリオが首を突き出してひそひそ話に参加する。
「やっぱそう思うよな。普通もうちょっとキャンキャンうるさいのに」
「そ、その表現はどうかと思う……」
「だって本当だろ」
「――シンさんが来てからおかしくなったと思いますよ」
 エリオの横にひょいと顔を出し、キャロが内緒話に参加した。さっきまで視線を外していたキャロは今ではシンを普通に見ている――それがビー玉みたいな無機質な感じなのに思うとこがない訳ではない。
(まあ当然なのか、これ)
 キャロはシンの事を怖いと言った。それがシンの凶暴性に対してなのか、それともMSという兵器そのものなのかは解らないが、とにかくキャロはシンの事を快くは思っていないのだろう。ただ他人にどう思われようともシンは行いを変えるつもりは無い。だから誰に何を思われても、どんな態度を取られても、
「そうか? タイミング的にはそうなんだろうけど」
 気にしないようにしないと。
「アンタ、何かやったんじゃないの?」
 スバルの横に出現したティアナがジト目でシンを見ながら疑わしげにひそひそと喋る。二人から五人にまで膨れ上がり、円卓内緒話へとランクアップした現状で会話はひそひそと継続される。
「そういえばシン君ってよくヴィータ副隊長にちょっかいかけるよね、何で?」
(うわ、さすがスバル。聞きにくいと思ってた事を)
(平然と聞いてる……)
「私もそう思ってました、仲いいですよね、お二人」
「いや別に何も。向こうが何かと絡んでくるから、抗戦してるだけだぞ、俺は。あとなかはよくない」
「えー嘘だー、絶対なかいいよー」
「嘘ですね、なかいいです」
「…………違うよな。な、エリオ」
「え、僕ですかっ」
「……アンタ、何か焦ってない?」
「誰が。勘違いもその辺にしとけよ、ったく」
 やべえ分が悪い。
「ていうか論点がずれてるだろ、何であの赤いのが気味悪いくらいに大人しいのかの話なのに」
「別にズれてないでしょ、あんたが何かしたってのが有力なんだから」
「だから何でそうなる。俺が覚えがない以上それは違うだろ」
「いや、あんたの場合無意識でなんかやってる可能性もあるわ、うん」
「で、結局なんでシン君って副隊長と仲がいいの?」
「オイ待て。何でそっちに戻したナカジマ」
「もうついでだから白状しちゃいなさいよ、その方が議題が円滑に進む気がするわ」
「だから別に何も無いって言ってるだろ。大体、誰が好き好んであんなちんちくりんと関わるかよ。あんな役職と見た目が釣り合ってない様なのに」
「あ、私も最初それちょっと思った。何も知らなかったら頭撫でてたと思う」
「スバル、あんたねえ……でもその辺は、別に珍しくはあるけどおかしいって程じゃないとは思うけどね。私も詳しい事は知らないけど」
「だってヴィータ副隊長かわいいよ?」
「まあでも、役職と能力知らない人から見たらそう見えるのかもとは思うわねー」
「えー、小生意気なだけだろアレ」

 

 ひそひそひそ。後で思い返すと、この辺でもうエリオとキャロは離脱している。フェイトの後ろに避難していたと言う方が正しいか。
「――――――――オイ」
 底冷えするようなその声で、シンとスバルとティアナがびくりと硬直した。思わずヒートアップしていたので三人とも迂闊にもというか、

 

「丸聞こえなんだよお前っらああああああ!!!!」

 

 要は、本人がその場に居るのを、忘れていたのだ。

 

///

 

「おろ、シン。何してんだ? 他の連中と飯喰いに行ったと思ってたのに」
 六課側格納庫の隅で小型の端末を弄り回すシンを見つけたヴァイスが、シンの方へと歩いてくる。
「用があるって抜けてきました。MS戻さないといけないし、混んでる時に大人数で行くのも厄介でしょ」
「ほーん……で、その頭のコブはどうしたよ」
「猛獣に絡まれたんですよ。非常に災難でした」
 シンは手元のキーをぺちぺちやりながら、特にヴァイスに向き直るでもなく気だるげに呟いた。ヴァイスは納得したようなそうでないような曖昧な相槌を返す。
「あと何か俺が飯食ってると食欲が失せるって言われるんで」
「それは違いねえ」
 散々赤い食卓に付き合わされたヴァイスが強い口調できっぱりと断言した。その様子にシンは少し不満げに唇を尖らせる。けれども直ぐに、通常通りの極力感情を抑え込んだような仏頂面へと回帰する。
「全く、見てくれだけで判断して」
「何回も喰わされた事あるわ! 無理矢理な! そんでその都度死にそうになってんだぞ俺は!?」
「えー、そうでしたっけー?」
「こいつは…………しかしまあ、お前でもちゃんと気遣うんだなぁ」
「はい?」
 せせら笑うように言ったシンに対し苦渋の表情をしていたヴァイスが、言葉の途中でその顔と口調を変える。
「つまりはアレだ、他の面子気遣ってるって事だろ?」
「……何でそうなるんですか」
 ニヤつく感じでそう言ったヴァイスに対し、シンは本心から疑問に首を捻る。
「だってそう言う事じゃねえか」
「まさか。単純に騒がしいのが嫌いなだけですよ」
「ハイハイ、そう言う事にしといてやるよ」
「だから違うって……ああ、もう、いいです。どうせ言っても無駄だし」
 シンは本当にそう思っているからそう言っているのに、ヴァイスは態度を変えようとしない。もう流れが変わらない事が何となく感じ取れたので、そこで会話を打ち切った。
 ヴァイスの存在を無視して手元に端末に傾注しようとして、けれどそれを中断する。視界が青い体毛を持った四足の獣を捉えたからだ。
「あれ、ザフィーラさん。どうしたんですか、昼時なのに。もう終ったんですか?」
「いや、まだだ。私はもう少し後で行く」
 格納庫でザフィーラを見かけるということ自体が珍しく、シンは思わず声をかけた。ザフィーラの返答はいつも通り淡々とし、最後に散歩の様なものだと付け加えた。
「へえ。そりゃまた何で?」
「流石に人がごった返す時間に獣の私が居ては他に迷惑だろう。主は気にするなと言ってくれるが私にも分別はある」
「いや人型に戻りましょうよそこは」
「そーいや何でザフィーラさん人型になんないんで?」
 シンが即座に言い返す。ヴァイスはシンの言葉に苦笑いをしつつ、自身の疑問をザフィーラに問う。
「言っておくが、私は本来こっちの姿が普通だ」
「「………………まじすか」」
 ザフィーラの言葉にシンとヴァイスは目を見開いて驚愕する。驚きのあまり二人とも間抜けかつ平坦な声になっていた。互いに顔をあわせ、知ってた? いえ全然等と視線で語り合っている。その様子を見て、ザフィーラが呆れたように溜息を吐いた。

 

「んじゃもうちょいしたら三人で行きます?」
「俺ヴァイスさんと行くなんて一言も言ってないですけど。ていうか嫌です」
「何だ、お前達もまだか」
「俺ァちょいと用事が長引いちまいまして」
「俺はMS戻しに来たのと、午前中の分のまとめを」
「……そうか」
 端末から目を離さない少年、貨物によりかかる男性、そしてお座りをした獣。非常に不可思議な組み合わせの男三人が、何の変哲もない会話を続けている。

 

///
 

 

 特技の通路を、特に人通りの少ないそこを歩きながらレイ・ザ・バレルは思案する。
 機動六課部隊長である八神はやてが陸士部隊への協力取り付けに行っている、との報告を受けている。これは想定の範囲内であるし、特技の妨げになるアクションではない。
 少し気になるのは八神はやてが協力を取り付けた陸士108部隊に、シンが所属していた事があるという事。とはいえ目立った不祥事を起こしていないから、余計なことを吹き込まれる心配も無いだろうと結論付けた。
(六課の経営陣には警戒はされているが、特別疑われている訳でもないと見てもいいな)
 そう判断付けた。先日の聖王教会での会談を盗聴した際からも特技が目をつけられていない事は確認できた。現時点ではこの辺りに特別注意は必要では無いだろう。
(例の執務官は……本部で改修されたガジェットの調査か、直行すれば鉢合わせできれば間に合うな。たぶん改修された残骸の仕込みに気付くだろうから……ここらでこっちにも手を付けておくか)
 思考が決着すると同時に、レイは目的地に到達した。相変わらず足の踏み場もないその様子に心中だけで嘆息しつつ入室。ドアが閉まって室内が外界と隔離された後にレイは部屋の主に話しかけた。
「経過は」
「解読の方ならさっぱり。頼まれ事ならバッチリ」
「そうか」
 部屋の主が投げて寄越したモノを、レイが掴み取った。
 やり取りは最低限。相変わらず視線すら交わされない。
「言われた通り、あのマッドサイエンティストに対してありったけ詰めといたわ。まあ管理局の記録よりは上質だとは思うよっーと。にしても……ドクター、ジェイル・スカリエッティ。ロストロギア関連を始めとして数え切れない罪状で超広域指名手配されてる一級捜索指定の次元犯罪者。こんなキチの情報、餌にしても誰に使うのやらーね」
「管理局の監視装置に潜り込めるか」
「でける。どこ?」
「ガジェットの残骸を調査している執務官が居る筈だ、探せ」
「はいはーい、一応別枠だから手当よろしくなー」
 引っかかりも無く進む会話。ガガガガガガガとキーが蹂躙される音。それ以外に室内に音は無い。
「お居た居た……って、こいつ?」
 監視カメラの映像をジャックしたのか、管理局内と思われる映像が空中に出現したウインドウに表示される。部屋の主は素っ頓狂な声を発しながらウインドウに映る金髪の女性を指差した。
「そうだ。場所がわかればそれでいい。後の筋書きはこっちで決める」
「え、何何々――っはっはん。おにーさんが何しようとしてるか大体わかった気がするわ。いやあ隅に置けないねえー? こんな真っ当でない雇われ使ってまで点数稼ぎかー?」
「勝手に憶測しておけ」
「っへっへー」
 気味の悪い声を上げて部屋の主が笑う。その様子に特に何のリアクションを返すでもなく、用事の終了したレイは部屋を去ろうとする。
「それにしても、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンかー。はてさてこの場合この人の事を何て言えばいいんだろねえ」
「知り合いか?」
 部屋の主が呟くように発した声で足を止めたレイが、何気なく発したその問い掛け。それに対し部屋の主は思わずといった様子でレイの方を振り向いた。初めて二人の視線が正面からかち合う。部屋の主はその赤い瞳を純粋な驚愕でまん丸とさせながら、呆れたように言葉を紡ぐ。

 

「――え。何それマジで言っちゃってんのおにーさん、いや容姿で気付けっての。視覚情
報=ヒント=答えみたいなもんじゃね、ボクとこの人の関係性なんて」

 

///
 

 

 その空間は決して狭くは無い。むしろ十二分に広い。様相は研究室とも管制室とも取れる。配置された機器類は操作するのにも専門的な知識を必要とうする物ばかりで、またあちこちにばら撒かれる様に置かれている資料も、素人には何が書かれているかおそらく理解はできない類のものだろう。
 だというのに。部屋のやや隅の位置に陣取った白衣の男は、自分の周囲だけを徹底的に散らかし――というより物を雑多に配置して、端的に言えばスペースの無駄使いをしていた。うず高く積み上げた紙の箱も、道具を詰め込んだボックスや、何かしらの薬品が乗ったトレーも、周囲に囲いの付いたデスクも、もう少し”広げて”配置すれば見るだけで感じる圧迫感は解消される事だろう。
 部屋自体はやや薄暗い。だけども白衣の男性の周囲だけは飛びぬけて明るい。電気スタンドがあるからだ。強い白色の光は、何やら微妙な動作を続ける男の手元を照らしている。
「……あの、ドクター」
「すまないが少し待ってくれないか。今重要なところでね」
 ようやく絞り出した、そんな風の女性の問い掛けに対し、白衣の――ドクターと呼ばれた男が返答する。その口調が有無を言わさぬものだったせいか、女性の方はそれで黙ってしまい、それから数分ほど沈黙が続く。白衣の男性は何やら大仰に息をふううと吐き出し、手にしていたモノをそっと作業用のデスクの上に置いた。
「ふ、ふふふ。ようやく此処まで来た。後は、後は頭部のブレードアンテナを、この何物にも突き刺さりそうな程に尖らせたこのパーツを………………で、どうかしたのかね。ウーノ」
「はい、では――」
 何やら怪しいというかトリップした様に呟いていた男は、急にその声色を変える。ようやく正当な返答をしつつ、先ほど問いかけを発した女性へと向き直った。
 白衣の男性の名はジェイル・スカリエッティ。違法技術の研究やそれらを応用した発明品、そして現在管理局を騒がせているガジェットドローンの製造等、”追いかけ回される”理由には全く不自由しない男である。そしてスカリエッティと会話している女性はウーノ、スカリエッティの秘書的な役割を執り行う、スカリエッティの”娘”の一人だ。

 

 ――事の発端は少し時間を遡る。

 

 管理局側ではガジェットと同等、もしくは上位存在として認識されているG型だが、実際は異なる。もう少し正確にえいば”上位”存在であるという事は恐らく間違いないが、管理局の認識である”製作者”が同じという点は間違っている。ガジェットドローンはスカリエッティがレリックを始めとしたロストロギアの探索、及び彼の”娘達”の支援を目的として制作したもの。対してG型はその、スカリエッティが開発したガジェットドローンを”勝手”に乗っ取って自分の身体とした存在。故にG型はスカリエッティの支配下に無い。その動きを予測する事も当然不可能である。事実、出くわした通常のガジェットは障害物を片付ける様に破壊されている。
 故に、ウーノはスカリエッティに提案したのだ。万が一G型が障害となった場合に備えて、対抗手段を用意すべきだと。それまでのG型は”特技”と呼称される機関が運用する人型機動兵器、モビルスーツによって悉く破壊されているが、”特技”は”管理局側”の機関だ。互いの”責任者”は繋がっているが、あくまで利益関係の一致というだけ。今までを考えるに”有事”の際、きっと特技は管理局に付く。その辺りを考慮してもG型以外にもその特技のMSを倒す事態も十二分に起こりうる。
 故に、スカリエッティ側の陣営にもMS――もしくはそれに相当する戦力が必要だと、ウーノはスカリエッティに提案した
 当初はその提案にスカリエッティは乗り気では無かった……のだが、ある時期を境に急にスカリエッティはMSをベースにした人型機動兵器の開発に躍起になり、ウーノが建てていた予定の倍以上の速度で開発を進行させていた。現在ではもうコアパーツは完成し、一次フレームはもうほぼ完成して組み上げまで、二次フレームも設計の最終調整。此処まで来たらもうスカリエッティがする事は残っていない。
「ヴァルキリィが本格的に製造へと移行した現在、もう通常の業務へ戻られてもよろしいと思うのですが……」
「ふむ」
 何がスカリエッティを変えたのかは、意外と容易に推測できた。何せ異常な速度での作業が始まるのとほぼ同時期、彼の私室同然の研究室には紙箱が積まれていき、工具類が日に日に充実していき、気が付けば手作り感あふれる作業机。
「いやはや、戯れで始めてみたが、なかなか面白いものだね」

 

 掌に乗るサイズのプラスチックで構成された人型ロボットを眺めつつ、スカリエッティが呟いた。おそらく最初は言葉通り戯れだったのだろう。参考、もしくはモチベーションを上げるために手を付けた、その程度でしかなかった筈だ。
 けれども、今現在に至っては、それ(プラモデル)を作成する暇を捻出するために他の研究や作業を尋常でない速度で片付けている。そんな風に感じるのは、きっとウーノの気のせいでは無いだろう。
 ウーノが投げたさっきのも問い掛けも、どちらかというと確認が主だ。別にウーノはスカリエッティのやりたい事を否定する心算はなく、ただそれが他の業務と並行して継続されるほどスカリエッティにとって重要かどうか、それを確認したかったのである。
「――さて。ヴァルキリィが大変なのはむしろ此処からさ。確かにコアファイターとベース(素体)は完成した、けれどもオプションの類はまだまだ開拓の余地がある。それに此処から先は”実際に動かせる”――操縦者からの意見も取り入れての調整が必要だろうしね、積んでみた”アレ”とのマッチングもある」
 スカリエッティは椅子をくるりと回転させて作業机に向き直る。
「申し訳ありません、ドクターのお考えも知らずに出過ぎた事を」
「何、構わないさ。造って終わり、というのも味気ないからね。どうせ造るのだから納得のいく仕様にするまでの、私の我儘の様なものだよ」
 ヴァルキリィはともかく趣味(プラモデル)が、通常の研究を確実に圧迫しているという現実問題があったりする。だが目をキラキラさせてプラスチックの立体パズルを弄り回すスカリエッティを見てしまうと、ウーノも強く言えないのが本音だった。
「提供された機体が残っていればもう少し手間がかからなかったのですが……」
「ああ、G型に持ち逃げされたアレか。いや、どうだろうね。あっても私はアレを使う気にはならなかったと思うよ」
「何かご不満が? それなりの高性能機であったようですが」
「素体自体はとても好みなのだがね。特にあの不格好な、そう、何で飛べるのかわからない分離形態とか素晴らしいじゃあないか――けれどもそれを殺しているのが頂けない。使うのならば根本的に改修するつもりだったさ、新造と大差無いレベルでね……そもそも何て名前だったかね、あれは……デ……デス何とかンパとかだった気がするが。もう面倒だからデンパで構わないか」
「はあ……」
 その辺りの――技術者としてのこだわりをウーノはいまいち理解できず、ただ返事を返すのみとなった。スカリエッティはそれで話は終わったと再度作業机の、その上に置かれたプラスチックモデルに向き直り、今までよりも更に慎重にその指を動かしている。
「後はこのパーツを――」
 ギンギンに尖った角のようなパーツをそーっとそーっと、手にしたプラスチックモデルの頭部、額辺りにはめ込もうとするスカリエッティ。何やら見ているだけで鬼気迫るものを感じ取れたので、ウーノも何となく手を止めてその行く末を見守、

 

「ドォクタアアァァァァァ――――!!!!」

 

 けれども外に居た人間には室内の張りつめた空気など知った事では無く。室内に何処か幼さを感じさせる怒号が響き渡る。突然の来訪者はドアを叩き壊さんばかりの勢いで開いて登場した。
「あ゛」
 スカリエッティの指下でぽきっ、なんて小気味いい音が鳴っているなんて露知らず、来訪者はスカリエッティの方向へとドカドカと足音を鳴らしながら侵攻する。
 研究室に入室してきたのは、銀色の髪を持つ少女だった。女性というには成長が足りていない。体格も小柄で、顔にも幼さが残っている。ただその幼さに不釣り合いなモノが――飾り気の無い黒の眼帯が少女の右目を覆っている。服装は身体に貼りつく様なラバースーツ、その上にこれまた飾り気のない灰色のコート。服装も、容姿も、この薄暗い研究施設には釣り合わない。ただ少女の瞳の中で灯る、強い意志を感じさせる光が周囲の雰囲気など押し退けているようでもあった。
「チンク? どうしたの一体」
「どうしたもこうしたもあるか! 任務から戻って来て見れば、ノーヴェが敵陣に一人で放り込まれているじゃないか! これは一体どういう事だ!」
「……ああ、その事ね。心配は要らないわ、向こうはこちらの素性を知らないし、一応管理局とは少し離れた――こちらにとって融通の効く場所だもの」
「ウーノ、そうは言うがな……! 何でノーヴェだ、そう言う事は私やトーレの方が適任じゃあないか」

 

 最初はスカリエッティ目指して侵攻していたチンクは、ウーノの言葉に足を止め、口論を開始する。部屋の隅で真っ白な灰になっているスカリエッティには二人とも気が付いていなかった。
「それこそ相応しくないわ。現在の主力である貴方達がいざという時に動けなくてどうするの? こちらの素性が知られていない以上そこまで危険な任務では無いし、それにノーヴェは自分で志願したのよ?」
「し、しかしだなぁ……やっぱり私が代わり、」
「それにマッチングテストの結果からもノーヴェが一番適任なのよ。貴方も数値は高いけれど――ペダルに足が届かなかったでしょう」
「……ッ!」
 それでも何かしらの理由で食い下がろうとしていたチンクが、ウーノが止めと放った絶対的に過酷な現実を叩きつけられ、崩れ落ちるように膝を折った。
 スカリエッティの開発したシステムの実験は適当なMSの残骸からコクピットブロックを抜き出し、それにシステムを直結した実験装置でもって行った。当然実際に操縦した訳では無く、ただ座っただけだ。だがチンクはその際に身体的特徴(要は背丈がちっちゃい)故にペダルに足が届かないという痛烈な事実を、突き刺される様に知る事となったのである。
「――――まあそのあたりはすこしかんがえていることがあるのだがね」
 真っ白に燃え尽きてこの世の全てに絶望したかのような哀愁を漂わせながら机に突っ伏したスカリエッティが会話に割って入る。スカイエッティが真っ白になっていた事を知らなかった二人、チンクとウーノは声に対して振り向き、その燃え尽きた灰同然の姿を見て揃ってビクゥと肩を強張らせた。
「まっちんぐてすとでいいけっかをだしたきみをねむらせておくのももったいないことだしぼうぎょせいのうでおとるきみとああいううそんざいはぞんがいあいしょうがいいとわたしはおもうのだよ」
 顔は未だ机に突っ伏したまま上げてはいない、ただ顔を机の表面に擦り付けるようにぐりんぐりんと左右に動かしながらスカリエッティは呪詛の様に言葉を呟く。
「う、ウーノ、ドクターに一体何があったんだ。何ていうか、いつも以上に普通じゃないんだが……」
「わ、私にもよく……」
 顔を寄せ合ってヒソヒソ話すチンクとウーノ。視線の先ではうふふふあはははとお脳がお花畑な感じで笑い続けるスカリエッティ。
「まったく、まーったくもう。この私がこんな初歩的ななミスを犯そうとはね。先人達の失敗談を見て嘲笑っていた過去の自分が酷く愚かしく思えてくるよ……ふ、ふはははは。ああ、わかっているとも。無論今の私の技術ならば完全に修復できるとも。だがね、そうではないのだよ……このやってしまった感は、それでは払拭されないのだよ……」
 ぶちぶち呟いた後に急に遠い眼をして、天井の隅をまるで星空の様に眺め出したスカリエッティ。見守るウーノとチンクはもはや若干怯え気味ですらある。
「――話を戻すがね」
 急に真顔になり、シュピンと華麗に椅子を回転させたスカリエッティがウーノとチンクに向き直った。その変わりようにビクりとした二人だが、スカリエッティはその様子を気にせず発言を開始する。
「君(チンク)の言う事もわからないでもない。コネクションがあるとはいえ、敵地の様なものだしね。それにそろそろ向こうが私の存在に気付いている頃だろう。けれどもまだ君達は本格的にその存在を知られていないし、今の段階では到達されないだろう。言ってみれば”今”しかないのだよ、機会はね」
 チンクもその言葉には納得しているのか、特に否定も返さず、俯いて黙る。それでも何処かに納得できないという――チンクのその感情の揺らぎを見て、スカリエッティは満足げに微笑を浮かべた。
「しかしながら、そんなに気になるのなら、」
 そのチンクの様子に、まるで悪戯を思いついた子供の様な顔で、スカリエッティはその提案を持ちかける。

 

「――――様子でも見に行ってはどうだね?」

 

 彼の願いはただ一つ。
 世界よ、ただ面白くあれ。
 延々と無限に飢えるこの脳髄に、娯楽を提供し続けるがいい。

 

///

 

 今の、機動六課にて一隊員として日々を過ごすシンにはいくつか日課がある。朝の体術訓練や機体の整備がそれに当たる。本来機体の整備はシンが必要な作業、調整の類でもない限り、基本的に手伝わなくてもいい事にはなっている。シンの役割はあくまで調整されたMSを駆ることであり、それを妨げないために無数の整備スタッフ達が居るのだから。
 前。ザフトに居た頃は整備なんてほとんどやっていなかった。シンはあくまで”パイロット”として過ごしていたから、それは別にやらなくてもいいだろうと。
「チッ……あちこちイジってはみたけど、やっぱ反応速度とかはどうしようもないか。結局機体そのものをどうにかしないと。ブースト機構も向こうで見せてはもらったけど、どこまで使い物になるか……当面は手数を増やすのと、動作の正確性と柔軟性を……後動作パターンももう少し……」
 独り言を呟きながら、シンはコクピットの中でコンソールを叩く。服装は六課の制服ではなく、他の整備スタッフと同様のツナギ姿だ。あちこちは油と煤で汚れていて、既に使い古した感が漂っている。他の整備スタッフに混じって、機械油塗れの部品を触っていれば自然とそうなる。別に洗っていない訳では無いが、洗っても落ちないのでもう諦めた。どうせ汚れるのだし、汚れてもいいように着ている服なのでそれは問題ない。
 自惚れる心算は無いが、シンはMSというモノの扱いについてある程度の自負がある。だからこそ、こちら側でいざ”これ以上”を目指してもどうすればいいのか、それに対しての答えに戸惑った。
 そして選んだ結果は、コクピットの中から動かすMSだけでなく、機械の塊のMSを知ろうと試みる事。レバーを『どう上手く引けば上手く動くのか』から『こういう動きをするからレバーをこう引く』という思考に至るために。無論本格的な事までは手伝えない。あくまでMSの構造からも視点を持ちたいという、いわばシンの我儘みたいなものだ。
(……これしか拠り所が無いってのもあるんだけど。依存って言うのかな、こういうの)
 今のシンにはMSしか、それを動かせるという点でしか価値が無い。だからこそその存在に対して今までよりももっとずっと、深くのめり込もうとしているだけなのかもしれない。色々考えたのも結局は建前で、とにかく何か、それらしい事をやっていたい、それだけなのかもしれないが。
「――スカさん、アスカさーん」
「あ、はい。何ですか」
 呼ばれている事に気が付いて、慌てて返事をしてコクピットから身を乗り出した。少し離れた位置に居る整備主任の男へと返事する。
「今日はもう上がってもらって構いませんよー、後こっちでやっときますからー」
「わかりました」
 返事をしてから再度コクピットに引っ込み、開いていたデータを保存して閉じる。作業を終えて、シンは広げていたノートやメモといった私物を手早くまとめると、コクピットから出た。
「……すいません、無理言って手伝わせてもらって」
「はい? いえいえ、むしろこっちがすいませんね。パイロットの人に手伝ってもらっちゃって」
「いえ、俺も、結構色々体験できてるんで助かります」
「いやそう言ってもらえると。俺の知ってるパイロット連中は別に態度が悪いんじゃないですけど、基本整備にゃあ我関せずなやつが多かったですからねー」
「信頼してるって事なんじゃないですかね、メカニックの人達を」
「あー……そういう見方もできますか、ハハ」
 そんな風に会話をして、シンは格納庫の出口へと歩き出す。数歩歩いたところでシンはあ、と声をあげて立ち止まり、先ほどまで会話していた整備主任を呼びとめる。
「そういえば。特技の方で、お兄さんですっけ? とちょっと話したんですけど」
「――あのバカ兄貴が何かしてくれやがりましたか」
 それまでの明るい様子から、急に雰囲気がどんよりとした整備主任に少し驚きつつもシンは思い出した――先日の特技でのやり取りについて質問する。

 

「何かあの人に『チェンソーとパイルバンカーどっちが好きです』って聞かれたんですけど、あれ何だったんですか?」
「すいませんちょーっと今の話詳しくお願いしていいですか」

 

///

 

 腰に届くまで長く伸びた金髪を揺らして走るとまではいかなくとも、確実に急ぎ足で歩を進めていたフェイトが立ち止まる。

 

 フェイトが急いでいたのは、回収されたガジェットⅢ型の残骸から浮かび上がった一人の人物。今回の事件と何らかの関わりがある可能性が高いその人物について、これから隊舎で緊急会議を行うからだ。
 ならば何故立ち止まったのかといえば、車両の駐車スペースに通じる連絡通路に人が居たから、それもまるで通りかかるフェイトを待ち伏せていたかのように。
「えっと……特技の……」
「レイ・ザ・バレルですよ、フェイト・T・ハラオウン執務官」
 通路の壁に身体を預けていたレイがそう言い放つ。
「もしかして私に何か用事、だったかな。だとしたら悪いんだけど今急いで――」
「ご心配なく、お時間は取らせませんので」
 レイはそう言ってフェイトに歩み寄る、フェイトはレイの真意を掴みかねて硬直していた。すれ違うまで二人の距離が接近したところで、レイが小型の記録媒体を差し出した。フェイトはそれをほぼ反射的に受け取る。
「ジェイル・スカリエッティに辿り着いたようですね」
 フェイトがこれ(記録媒体)が何なのかと問うより速く、レイが囁く様に呟いた。もしこの場に第三者が居たとしても、レイが何といったのかは聞き取れないくらいに小さな声。
 レイがフェイトの横を通り過ぎ、通路の向こうへと歩いていく。故にさっきまでは縮まっていた距離がゆっくりと開いていく。
「――――ッ!?」
 その言葉の意味を数瞬かけた理解したフェイトが、弾かれるようにレイの方を振り向いた。レイはその様子を察知して、けれども振り向かない。
「こっちが知っている分を渡しておきます。見るも見ないも貴方の自由。信じるも信じないも貴方の自由という事で」
「ま、待って! 何でこれを――いや、どうしてその事を知ってるの!?」
 立ち止まったまま叫ぶフェイトと対象に、レイは通路の向こうへと歩いていきながら返答する。振り向いてはいない。二人の視線は合っていない。
 ふいにレイが足を止める。

 

「さあ、何故でしょう」

 

 結局振り返らずにそれだけ言って、今度こそ立ち止まらずに、レイは通路の向こうへと姿を消した。その場には事態が理解できず呆然と立ち尽くすフェイトのみが残される。
「すいませーん、フェイトさんー! 用意に手間取っちゃって……あれ、どうかしたんですか?」
 今度は別方向の曲がり角からフェイトの補佐を勤めるシャーリーが姿を現した。通路のど真ん中で立ち尽くしているフェイトの様子を見て、怪訝な面持ちでシャーリーが首を傾げて問いかける。
「シャーリー、これ、再生できる?」
「ええ? はい、端末は持ち歩いてますからできますけど、何なんですか、これ?」
「わからない」
「え?」
「…………わからないから、確かめないと」
 少年が消えた方向を見つめながら、フェイトがぽつりと呟いた。

 

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