Azrail_If_186_第02話

Last-modified: 2007-11-09 (金) 21:53:28

普段とは風体がだいぶ異なる。

 トレードマークの青いスーツは地味な茶の背広に取り代わられており、
前髪は全て後ろへ流して額を出している。
 加えて、目元にはサングラスをかけており、一見すると完全に別人だった。

 ジブリールは少し面食らった。

「……どこのマフィアかと思ったぞ。ハリウッドにでも出演するのか?」
「そうですねえ、それも面白いかも知れませんが。
あいにくこれは変装でして、私の趣味ではありません」
「それは残念だ。……いつからそこに居た?」

 ――少しくらい愛想笑いをしたっていいじゃないか。

 全く楽しくなさそうに言い合う2人に、ユウナは薄ら寒いものを感じていた。
とても口を挟めない。

 顔色を悪くしたユウナをアズラエルは一瞥し、それから最大限相手を馬鹿にする時の、
とっておきの笑顔をジブリールに向けた。

「最初から居ましたよ。ミスタ・セイランが空港まで出迎えてくださいましてね、
そのまま同行させていただきました」
「えっ?」
「なに?」

 挑発的なトーンに、ジブリールは不快感を覚えて眉を吊り上げた。
 急に話題に出されたユウナは、驚いて目を瞬いた。

「ええ。何しろ密入国の君と違って、
僕は正規の手続きを踏んでここに『亡命』してきましたから。
いや、全く、君はセイラン代行のご厚遇に感謝するべきですよ」
「な――」

 暗に、お前は後回しにされたのだとアズラエルは告げた。

 大人気ない嫌味だ。彼はふとそう思って苦笑したが、ジブリールは気付かなかった。
 元々気が立っていた彼は、まんまと挑発に乗って、屈辱に顔を歪めた。

「あ、アズラエル理事、そういう言い方は……ジブリール殿も苦労をされたのですから」

 だしに使われて焦ったユウナが、心にもないフォローをする。

 アズラエルは、オーブ代表も気苦労が絶えないな、と思いながら、彼に笑いかけた。

「そうですね。同じロゴスですから、私も苦労はしましたよ。
……で、誰が良い面の皮ですって?」

 独り言のように呟くと、彼はジブリールに目を向けた。

 ギルバート・デュランダルだ、と正直に答えるほどジブリールも馬鹿ではない。
 そのまま沈黙したジブリールに、アズラエルはサングラスを外しながら
部屋の中へ踏み入った。

「全く、この期に及んでまだそんなことを言っているようだから、
君はいつまで経ってもコーディネイターに勝てないんですよ」
「……私を侮辱しに来たなら帰れ、アズラエル」

 一瞬で逆上しかけた自分を何とか押し殺して、ジブリールは低音で切り返した。
 だが、今更その程度で怯むアズラエルではなかった。

「私は糾弾しに来たんですよ、ジブリール」

 足を止め、彼は正面からジブリールを睨み据えた。
 彼は怒っていた。憤怒に、双眸がぎらぎらとした光をたたえていた。

「世迷言を真に受ける? 情けない限りですって?
してやられた君に言えた義理ですか」
「私が出し抜かれたと?」

 完全に攻撃する口調になったアズラエルに、ジブリールはかえって
少し冷静さを取り戻した。
 立場上、この手のなじりや罵りには慣れている。彼は表情を険しくすると、
アズラエルの目を睨み返した。

「違いますか? 完全に後手に回った結果、今やロゴスは世界のお尋ね者だ。
落ち度がないとは言わせませんよ」
「何の手立ても講じなかったそちらに言われたくはないが」
「ふん。私の助けは要らないと言って、
1人で勝手にブルーコスモスを動かしていたのは誰です?」

 横でそのなじり合いを聞いていたユウナは、そこで軽い驚きを覚えた。

 ――アズラエルはブルーコスモスに関わってはいなかったのか。

 ユウナは、ここ最近の「暴走」とでも言うべきブルーコスモスの動向に、
少なからずこの男が噛んでいると思っていた。
 それが違うという。

 では、西ユーラシアを焼き払わせたのは?

 はっとして、ユウナは厳しい視線をジブリールに向けた。

「……ジブリール殿?」

 ユウナの目つきが懐疑的な色を含んだことで、ジブリールはまずい、と感じた。

 貴重な受け入れ先であるオーブの代表の心証を悪くすることは、得策ではなかった。

「ユーラシアでのことを言っているのなら、あれは必要な対処だった。
あの地域に親プラントの政権など作られる訳にいかんのは、そちらも分かっている筈だ」

 アズラエルの片眉が跳ね上がる。

「だから市街地を吹っ飛ばしたと? 無差別に?」
「ザフトを追い出すためだ」

 ジブリールは即答した。

 そもそも彼は根っからのコーディネイター嫌いで、
地球にプラントの勢力が居ること自体に嫌悪を感じる類の人間だった。

 それを追い出す為ならば、手段を選ぶべきではない。彼は、本心からそう考えていた。

 ユウナは、これは狂っている、と絶句し――アズラエルは眉間を押さえて嘆息した。

「――呆れた。君は本当に何も分かっていないんですね」
「何だと?」

 いっそう顔つきを険しくするジブリールを、アズラエルは哂って、
それからしみじみとこう思った。

 ナタル・バジルールがここに居たら、きっとまなじりを吊り上げて、
詳細にジブリールの無知を是正しようとするだろう、と。

 しかし、彼は彼女ほど親切ではなかった。

「暴徒化した連中を見なかったんですか?
彼らはユーラシアの虐殺に何よりも怒っている。
あれがつけ込まれる隙になったと何故分からないんです?」
「それはデュランダルが中継を流したから――」
「彼が流さなくたって、どうせすぐにインターネットで世界中にバレましたよ。
今はそういう時代です」

 みなまで言わせず、アズラエルは相手の反論を叩き潰した。
 彼はジブリールの視野の狭さに腹を立てていた。
      、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
 この男は、敵がコーディネイターだけだと思っている。
 憎悪が目を曇らせたとしても、アズラエルにはとうてい許容できるミスではなかった。

 ジブリールが渋い顔をして言葉に詰まる。
 握りこぶしを作って、アズラエルは更に一歩、相手に詰め寄った。

「いい加減に認めたらどうですか。君の無知と無理解がこんな事態を招いたということを」

 ジブリールは目を見開いた。ユウナも流石に顔色を変える。

「あ、アズラエル理事、お言葉がすぎます」

 そう咎めた彼をちらりと見やって、アズラエルは頭を振った。
 ここまで言ってしまった以上、彼も引っ込みがつかなかったのだ。

 屈辱と怒りで、拳が白くなるまで握り締めて押し黙るジブリールに、彼はこう続けた。

「君はいつもそう言いますね。
プラントが、ザフトが、コーディネイターが……そんなに偉大なものですが、あれらが。
全ての責任を押し付けられるほどに?」
「何が言いたい……」

 その声に思わずぞっとして、ユウナは一歩後ろに下がった。

 これはまずい。爆発する、と彼は思った。

 アズラエルもそれには気付いたが、彼はあえて無視した。

「自分の手落ちも何もかも、悪いことは全てコーディネイターの所為――
そんなだから、反省しない君はいつも負けるというんですよ!」

「貴様!!」

 とうとう激発して、ジブリールはアズラエルに掴みかかった。
 シャツの胸ぐらを掴み、そのまま壁に押し付ける。
アズラエルは小さく呻き、ユウナはひゃあ、というような悲鳴を上げた。

「貴様こそ勝手なことを――2年前、
おめおめとプラントの独立を許した貴様が何を言う! アズラエル!」

 周囲を憚らない大声で、ジブリールは罵倒を叫んだ。彼は今度こそ逆上していた。
 流石にこれにはアズラエルも頭にきて、彼は相手の襟を掴み返した。

「私情で判断を誤って――何人も殺した君と同じにされたくはないですね、ジブリール!」
「減らず口を……!」
「お、落ち着いてください!」

 堪りかね、ユウナは2人の間に割って入った。

 何かを叫びかけた口のまま、ジブリールははたと気付いて動きを止めた。
アズラエルも同様だった。

 どちらともなく掴んだものを離す。

 とりあえず、客人2人が気を静めたことにユウナは安堵した。

「お二人とも、苛立つのは分かりますが、今は冷静になるべきです。そうでしょう?」
「確かに。すみませんね、ミスタ・セイラン」

 アズラエルは若干の決まり悪さを感じて、割に素直に謝罪した。
 ユウナは、そう思うならこんなところで喧嘩なんかするなよ、
という本音を胸にしまい込んだ。

「いえ……ジブリール殿も、行政府で父がお待ちしておりますので。
そちらへ行っていただけますか?」
「……分かりました」

 ジブリールは浅く頷いた。彼は全力疾走をした直後のような疲労を感じていた。

 あまりものを考えたくない気分だった。
彼は無言のまま、ユウナに命じられた職員と共に部屋を出て行った。

 職員の顔は、蒼白を通り越してどす黒くなっていた。

 アズラエルとユウナは、しばらく何を言うでもなく沈黙していたが、
やがてユウナが嘆息と共に口を開いた。

「……あれは、やり過ぎですよ、アズラエル理事」

 アズラエルは、そうですね、と苦笑した。

「私もあんな人格攻撃をするつもりはなかったんですが……事が事だけに、つい。
貴方にはご迷惑をおかけしましたね」
「それは構わないのですが……しかし、あれは本当なのですか?」
「うん?」
「ユーラシアの件が、彼の独断だというお話です」

 ユウナの質問に、アズラエルはあっさりと頷いた。

「ええ、そうです。ここ最近のブルーコスモスは、ほとんど彼の独裁状態でしたね」
「……ロゴスはそのことは?」
「知っていましたよ。だから切り捨てようかという話も出ていましたし」

 そうする前に襲われてしまいましたけどね、とアズラエルは肩をすくめた。

 諮問機関の一種であるブルーコスモスの暴走は、
ブレイク・ザ・ワールド以降はもはや公然の秘密だった。

 何しろ、言っていることが明らかにおかしくなっていたからだ。

 それでも連合首脳部が意見を聞き入れたのは、ロゴスの影響力以上に、
ジブリール個人の弁舌能力によるところが大きい。
 これは純粋に彼の実力だったのだが、事これに関しては最悪としか言い様がなかった。

「なにぶん、彼も最後の方は人の意見を殆ど聞かなくなっていましたから。
流石にユーラシアのことは、止めた人間くらい居た筈なんですが」

 そう言って、アズラエルは溜め息をついた。
彼はブルーコスモスを擁護したい訳ではなかったが、厄介だとは思っていた。

 ユウナはといえば、ジブリールの理解に苦しんでいた。

「はあ……とんでもないですね。どうしてそんなことになったんでしょう?」

 お世辞にも気が強いとは言えない彼は、誰の意見にも耳を貸さないということが、
感覚的に理解できなかった。むしろ彼の場合、誰の話も聞かずに1人で決めて
しまうことの方が、よほど度胸を必要とする。

「そうですねえ……まあ、彼はちょっと人間不信なところがありますから」
「人間不信?」

 ユウナはきょとんとなった。
 アズラエルは淡々と説明した。

「彼には利害関係以外に信じられるものがないんです。
まあ、ロゴスになるような人間は大概そうですけどね」
「と、仰いますと?」
「世の中が全て打算で動いていると思っているんですよ。だから利害の調節機関で
あることをロゴスに望むんです。あるいはあれくらい疑り深い方が
経営者としては良いのかも知れませんが……指導者としては難がありますね」

 側近を信じられなくなった独裁者の末路は、悲惨だ。

 常に裏切りと暗殺に怯え、夜も眠れぬ日々が続く。周囲も粛正の危険に怯え、
お互いに疑心暗鬼で過ごさなければならない。

 最後には全ての味方を失って、孤独の内に生涯を終えるのだ。

 やはりあの男に盟主の座を譲ったのは失敗だったかも知れない、とアズラエルは思った。
 他方、それを聞いたユウナは、その彼を不思議に思って見ていた。

「……アズラエル理事? 失礼ですが、貴方は?」
「はい?」
「いえ、ロゴスになるような人間は大概、と仰る割に、他人事のように言われているので」

 アズラエルの物言いは、完全に自分とは無関係のものを語る時のそれだった。
ユウナはそこに疑問を抱いたのだ。
 ああ、とアズラエルは得心すると、少し考え込んだ。

「そうですね……確かに、個人的には彼の考えに共感しないこともないのですが……」

 そう言いながら、だがその考えは間違っている、と断言する自分が居ることに
アズラエルは気付いた。

 何故そう思うのか、彼は自分で首をひねったが、やがて脳裏にいくつか顔が浮かんで
くるにつれ、その根拠を自覚した。

 あまりに単純な理屈だったので、彼は思わず笑ってしまった。

「何と言いますか。ちょっと、救いがたい馬鹿の知り合いが居るんですよ」

「ば、馬鹿、ですか?」

 奇妙なことを言い出したアズラエルに、ユウナは面食らった。
 アズラエルはわざと大真面目なふうを装って頷いた。

「ええ。本当に馬鹿なんです。
あまりに馬鹿なので、打算も理屈も通用しないというくらいに。
ああいう人間がこの世に存在することを考えると、
あまり利害や計算を絶対視するのも柔軟性に欠けるかと思いまして」

 立て板に水。

アズラエルは気付いていなかったが、どこか嬉々として他者の罵倒を並べ立てる
彼の姿を見て、ユウナは絶句した。
 そして返答に困った挙句、一番無難と思われる選択肢をえらぶ。

「はあ……そんなものでしょうか」
「そんなものでしょう。私はそう思っていますが」
「そ、そうですか」

 粗末な相槌を打ちながら、ユウナは、
この男はやり手というより単に変人なのかも知れない、と思った。

 そんなユウナの感想などつゆ知らず、アズラエルは既に別のことに頭を巡らせていた。

 今後の対策について考えようとすると、ふと例の「馬鹿」たちのことが脳裏をよぎった。

 ――もう会うこともあるまい。

 アズラエルはすぐに彼らのことを思考から締め出した。