Azrail_If_186_第07話

Last-modified: 2007-11-09 (金) 21:54:19

96時間以内に以下の要求に対する回答をせよ。

1、ロゴス運営者であるムルタ・アズラエル、
ロード・ジブリールの両名の所在を明らかにすること。
 2、1に示した2名の身柄をプラント政府に引き渡すこと。
 3、その他、オーブ国内に拠点を持つ、プラント及び地球連合各国に対して敵対的な
武装勢力についての情報を開示すること。
 4、プラント・ザフトによる3に示した勢力の制圧作戦に協力すること。
 5、ダーダネルス沖海戦、クレタ沖海戦、ベルリン戦において目撃された所属不明艦
及びその麾下の部隊との、オーブ連合首長国代表
カガリ・ユラ・アスハ氏の関係について明らかにすること。
なお、各戦闘の呼称については地球連合軍の公式発表に準拠する。

 以上。

 オーブに突きつけられた「請求」は、このようなものだった。

 ――身も蓋もない。

 最初にそれを聞いた際、アズラエルの感想はその6文字に集約することができた。
プラントの――そう、プラントだ。大洋州連合や東アジア共和国のものではない――
要求は極めて露骨であり、単純明快だった。

「つまり重要な項目は下の3つなんです」

 紙コップのコーヒーを片手に、
行政府の休憩室で椅子に腰掛けながら、アズラエルは「独り言」を呟いた。

「え? 何? ごめん、今ちょっと周りがうるさくて……」

 その「独り言」に「はからずも」応じる声があった。
ちょうど背中合わせになる格好で、アズラエルの背後に座っている男だ。
 携帯電話など耳にあて、傍目には通話先と会話しているように見える。

 見た目も名前もオーブ人であり、
行政府の職員でもあるこの男は、実は赤道連合と直通のパイプを持っていた。

 分かりやすくいうと、スパイなのだ。

 オーブには、アズラエルの母国たる大西洋連邦の中央情報局に相当するような、
いわゆる「情報機関」というものが事実上、存在しない。
 それらしき機関はないこともないが、
他国の諜報活動に対しては非常に脆弱で、その証拠がこの男だ。

 つまり他国の諜報員に、
国家中枢にこれだけ近い場所にまで侵入を許しているということだ。

 オーブにとっては大失態という他はなかったが、アズラエルにとっては好都合だった。
 でなければ、こうも簡単にこの男と接触することはできなかっただろう。

「あの『偽者』が本当に偽者か否かさておき、この所属不明艦――まあ貴方相手に
誤魔化す必要はないでしょうから『アークエンジェル』と呼びますが」
「うん、うん……そうそう、分かってるよ」

 男はあくまで電話をしているというポーズを崩さない。

 アズラエルもあくまで独り言をいっているというポーズを崩すまいと努めたが、
本業ではないため、どこまで演技できるかは謎だった。

 ――まあいい。気にしたら負けだ。

 ひそかに深呼吸を1つして、アズラエルは自説を展開した。

 要するに、プラントが潰したいのはロゴスではなく、「アークエンジェル」なのだ。

 考えてみれば当たり前の話で、国内産業の殆どが国営であり、ロゴスの浸透がほぼ無い
プラントが、わざわざ気炎をあげてその排除に走るメリットはゼロだ。
 何か別の狙いがある筈であり、この「請求」を見る限り、
プラントはそれを白状したも同然だった。

 「アークエンジェル」がオーブと何らかの関わりを持っている――個人資産の枠を
超えた運営費をオーブが拠出している、というような――というのは、
国際社会では一般的な見方だ。

 だがオーブが公式にそれを認めず、またその証拠も掴めない現状で、自国への危険を
排除するには、何か口実を作って強引にオーブへ調査の手を入れるのが手っ取り早い。

「そこへ転がり込んできたのがロゴス問題という訳です。
プラントに本気でロゴスを潰す気などありませんよ」

 アズラエルは断言した。

 彼の推論は大筋で正解を言い当てていたが、あえていうなら1つだけ穴があった。
 ラクス・クラインの存在を見落としていたのだ。

 まさか替え玉を立てておいて本物を押さえていないとは、
流石のアズラエルも考えていなかった。
 ただそれは赤道連合のスパイも同じだったので、
この落ち度が問題になることはなかった。

「はあ、しかしね……駄目だよ、
ご息女は『カンガルー』も『パンダ』も嫌いなんだ。他をあたってくれ」

 ――それは分かりました。しかし、大洋州と東アジアはどう説明するのですか。

 遠回しにスパイは訊ねた。アズラエルはコーヒーを口に含みながら頷いた。
「『カンガルー』はお星様を追いかけているだけです。
『パンダ』の狙いは、南進でしょうね」
「…………」

 一瞬、スパイの言葉が止まる。
かかった、とアズラエルは拳を握り締めた。

 「パンダ」――つまり東アジア共和国が見越しているのは、
赤道連合領への勢力拡大だとアズラエルは踏んでいた。

 歴史的に、東アジア共和国と赤道連合は、土地と海を巡って対立する関係にある。
 とはいえ、地力が全く違うため、赤道連合が単独で東アジアに対抗することはできない。
この国は常に大西洋連邦の勢力を領内に駐留させることによって、
大陸への牽制としてきたのだ。

 ただしこれは前大戦までの話で、
戦後の赤道連合はカーペンタリアのザフトと協調するような動きを見せていた。
要するに、大西洋からプラントに乗り換えようとしていたのだ。

 そのプラントが、東アジアと手を組んだ。

 赤道連合にとって、これはゆゆしき事態だった。

「オーブの地理的な重要性は大きいですよ。
ここを押さえれば、カーペンタリアに蓋をすることができる」

 ちゃぷちゃぷと手の中のコーヒーを弄びながら、アズラエルは続けた。

 仮にオーブが陥落した場合、
東アジアは嬉々としてそこに軍を駐留させるだろう。治安維持という名目でだ。

 無論プラントや大洋州も牽制はするだろうが、
自国に危険が及ばないところまで干渉するかどうかは疑わしい。
 安易な期待は、命取りになりかねないのだ。

「……そうだなあ。どうだろう。あ、そうだ、あれはどうなってる?」
「そちらもブレイク・ザ・ワールドの被害が大きいんでしょう。
挟撃されるのは避けるべきではありませんか……?」

 暗に、プラントは赤道連合を捨てるつもりですよと、アズラエルは告げた。

 スパイは電話をかけるふりを続けながら、ひそかに険しい顔をしていた。
背を向けているアズラエルは気付かなかった。
 やがてスパイは適当に電話の演技を切り上げると、席を立って休憩室を出て行った。

 ――やれやれ。ちゃんと伝わったんですかね、あれで。

 緊張を解いた途端、どっと押し寄せた疲れに辟易しながら、アズラエルは思った。

 慣れないことはするものではないが、
こうも動かせる駒が限られていては自分で動くしかない。
 ほっと人心地つくと、アズラエルは今度はユウナの元へ向かった。

 当のユウナは、アズラエルの姿が見えないと部下に報告を受け、
半ばパニックを起こしかけていた。

「理事がいない!? 何やってんだい、こんな時に」
「も、申し訳ございません!」
「謝らなくていい、早く探してきてくれ。……くそ、何考えてるんだあの人は」

 恐縮する職員を叱咤して叩き出し、ユウナは肩を落としながら溜め息をついた。

 彼は政務室ではなく、行政府の別の一室にいた。
苛立ちを顔ににじませながら、無造作にソファに腰を下ろす。

 ここ数日の激務とプレッシャーで、彼はだいぶやつれてしまっていた。

 何しろ、有効打になりうるカードが一枚もない。

 各国と水面下で交渉しようにも、ダーダネルス以降の「偽者」騒動ですっかり
失墜した信用は取り返しがたく、殆ど門前払いを食らったのだ。

 オーブはテロ支援国家。それが世界の目から見た自分たちの姿だった。

 ――何なんだよ、あいつらは。何がしたいんだ? 何がしたかったんだ……?

 ユウナは、「アークエンジェル」の目的も、ラクス・クラインの思惑も、
カガリ・ユラ・アスハの理想も知らなかった。

 ユウナは「アークエンジェル」を憎んだ。「偽者」を心底憎悪した。
 これはオーブと彼らが無関係であると証明できなかったユウナたちの
手落ちでもあったが、それでも憎悪したのだ。

 しかし彼には、他人を恨み続けるだけの余裕も体力もなかったので、
すぐにその憎しみは霧散してしまった。

 ――ああ。もう駄目かも知れないなあ。

 その代わりこんな諦念が度々頭に浮かんできて、ユウナはそれを振り払うのに苦心した。

 彼は元より平穏な時にこそ活躍するタイプの政治家であり、
オーブ国民3000万人の生命安全を一身に背負うには向いていなかった。

 彼は正直、疲れていた。

 逃げ出そうにも、重圧が過ぎて足が動かない。
そんな自分の姿を妄想する程に。

 押し寄せる疲労感に、ユウナが深い溜め息を吐き出した時、部屋の扉が開いた。

「代行! お連れしました」
「やあ、すみません。何かご用でしょうか」

 アズラエルだ。傍らには先程ユウナが送り出した男を伴っている。

 ――そもそも、こいつが来てからロクなことがない。

 ユウナは密かに苛立ちを覚えながら、視線だけでアズラエルを見やった。

「理事……出歩かれるならそう仰っていただけませんか?」
「申し訳ない。用を足そうと思ったら、道に迷ってしまいまして」

 まさかおたくの国に潜伏しているスパイと接触してきました、と白状する訳にはいかず、
アズラエルは適当に嘘をついた。

 ユウナは仕草で向かい側のソファをすすめる。
アズラエルはそこに腰掛け、彼と向き合った。

 そのまま話を切り出しかけ、ふとアズラエルはユウナの手元に目を留めた。

「ミスタ・セイラン? 手をどうかなさったのですか」
「え?」

 言われるままユウナは両手を見下ろした。
 別に怪我をしている訳ではない。

 しかしその手は情けなく震えており、ユウナは顔を引きつらせた。

 ――何だよ。がたがた震えて滑稽だって言いたいのか?

 アズラエルは何の気なしに指摘しただけだったが、
それがユウナの若干捻じ曲がったプライドを刺激した。

「……あなたは、とても落ち着いておられるようですね、アズラエル理事」
「はい?」

 重低音を吐き出したユウナに、アズラエルは妙な気配を感じて首を傾げた。

 ユウナはちらりと壁際に控えていた1人と目配せした。
その男は頷き、静かに部屋を出ていく。

 その姿が見えなくなったのを確認してから、ユウナはひたと相手の双眸を見据えた。

「僕は正直、今までにないプレッシャーを感じています。
この通り、手の震えが止まらないくらいにね。
どうしてこんなことになってしまったんだか……」

 独白のようなユウナの言葉に、アズラエルは居心地の悪さを感じた。

「お察しします」

 咄嗟に上手い切り返しに窮して、彼はそう答えた。

 ――誰の所為だと思ってるんだよ!

 ユウナは心の中で絶叫しながら、怒りを噛み潰して無表情を作った。
彼は終生、二度はないであろう凄みのきいた表情をしていた。

「お気遣いどうも」

 短く呟くと、ユウナは席を立って、手近な窓辺に寄って手を付いた。

「ところで理事、僕は知らなかったのですが、
あなたのファミリーネームはイスラムの天使の名前だそうですね」

 世間話のようにユウナは問いかける。

 ――また嫌な言い方をしますね。

 アズラエルは経験的に、事態が非常にまずい方向に流れつつあることを悟った。
 話を切り出すどころではない。頭の中で警報が鳴り始める。

「……"Azrael"のことですか? 音は似ていますが、つづりは違いますよ」
「オーブ語、まあ日本語ですが、
それだとどちらも同じく『アズラエル』と聞こえるのです」

 警報。警報。警報。

 背中を向けて話すユウナの姿に、
アズラエルはこめかみの辺りがちりちりするのを感じた。
 ユウナは窓の反射越しにそれを観察しながら続けた。

「ものの本によれば、『告死天使』とも呼ばれるそうで」
「どういうことでしょうか」
「死を告げる天使という意味です」

 音もなくアズラエルの背後で扉が開き、そこから数名の男たちが部屋に入ってくる。
 彼らがアズラエルの側に陣取ったのを見止め、ユウナは懐に手を入れた。

 手が震える。

 ――ままよ!
 ユウナは一気に手を引き抜くと、振り向きざまそれをアズラエルに突きつけた。

「あなたが――我々の告死天使ではないと、僕には確信が持てなくなりました」

 アズラエルは瞠目した。

 ユウナの手に握られているもの。そして同時に、後ろで誰かが構えたもの。
 それはどう考えても、銃に他ならなかった。