Azrail_If_186_第09話

Last-modified: 2007-11-09 (金) 21:54:37

「そもそも、これは非常にプリミティブな議論なんです」

 結局、睨み合いに根負けして銃を引っ込めた――といっても背後では依然として
数名が銃を構えたままだが――ユウナと向き合って座り、アズラエルは切り出した。

「議論……ですか?」
「でなくば神学論争でしょうね。『ロゴスは平和の敵か否か』という」

 いささか茶化すように言葉を変えながら、
アズラエルは、学生時代のディベートを思い出していた。
 正確には、そのディベートが行き詰まった時、
ゼミの教授が笑いながら口を挟んできた時の言葉をだ。

 ――そうだ、こう言っていた。

『諸君、諸君、落ち着きたまえ。熱心になるのは結構だが、その証明は――』

「いわゆる悪魔の証明というものを要求しているのですよ。デュランダル議長は」

 ユウナは目を丸くした。

 悪魔の証明。
 それは議論や弁証の場で絶対にやってはいけない禁忌の1つだ。

「そんな馬鹿な。だって彼は、証拠があると……」
「どんな証拠が?
1つでも具体的な情報を、信頼できる機関の承認の元で公表しましたか?」

 アズラエルが問い返すと、
 ユウナは即座に返答できないことに気付き、はっとして口元を押さえた。

 ――思いつかない?

 まさか、とユウナは慌てて思い直す。
 そんな馬鹿な話がある訳がなかった。

 ユウナは青くなりながら、デュランダルの言葉を必死に回想した。

 古よりロゴスは世界に混乱を招いてきた――嘘だ。
ロゴスは再構築戦争後に成った組織だ。時間は遡れない。
 様々な証言からジブリールの罪は明らか――ならどうしてその証言記録が出てこない?
 ベルリンの被害が――民間人であるロゴスに軍の指揮権はない。
勝手に従った軍人が悪い。
 ユウナは愕然として顔を上げ、アズラエルと視線を合わせた。

「……結論からいくと、
私がいくら否と言ったところで、それを証明することはできません」

 アズラエルは平坦なトーンで続けた。

「例えばそこの壁際に悪魔は見えませんが、
見えないからといって居ないとは言いきれない。
『いるかも知れない』という可能性が無限に考えられるからです。
しかし逆のことは簡単で、悪魔の実物を連れてくれば悪魔は実在すると証明できます。
ゆえに悪魔の実存を議論する際は、
必ず『存在する』と主張する側が証拠を出さなければならない」

 ユウナは神妙に聞き続けた。

「ロゴスについても同じです。
ギルバート・デュランダルが『ロゴスは平和の敵である』と主張するならば、
彼にはその証拠を示す義務があります。私がロゴスの活動記録を全て公開したところで、
必ず『まだ隠し持っているかも知れない』という反論がついてまわりますから」

 それではいつまでも「かも知れない、かも知れない」と
議論は平行線を辿り、永久に結論は出ない。
 ゆえに「無いこと」の証明は、議論の場では厳重に禁じられているのだ。

「しかし、デュランダルはここまで1度も具体的な――いや、状況証拠すら挙げていない。
ただ、証言が得られた、関与は明らかだと主張しているに過ぎません。
現状、現行法ならば、私は法廷で彼と争って勝つ自信があります」

 アズラエルは堂々と断言した。

 いわば、「証拠不十分」。

 要するに、これは情報戦なのだ。
 相手の情報を撹乱し、世論に混乱をもたらして、自陣営に有利は流れを作り出すための。

 すっかり惑わされていた自分に気付き、ユウナはどっと汗が吹き出るのを感じた。

「り……理由がない! そんなことをして誰が得をするんだ?
プラントはともかく、大西洋連邦や東アジアがどうして同調するんですか?」

「主には世論と、対プラント・大洋州への配慮でしょう。
東アジアは、それが国益にかなうからです」

 さらりと返して、アズラエルは先程赤道連合のスパイに話したのと、
ほぼ同じ内容を繰り返した。

 大洋州は追従を。東アジアは、オーブ諸島そのものが欲しいのだと。

 しかし、とアズラエルは更に付け加えた。

「とはいえ、プラントとの協力体制は一時的なものでしょう。
赤道連合相手に事が終わったら、今度はオーブの海を巡って、
例によって衝突が起きるでしょうから。
最終的には、環太平洋地域すべてにまたがる覇権国家でも目指すんじゃないですか」
「どうしてそんなことを……」
「あの国は中央アジアや旧日本、台湾の併合政策に失敗している上、
プラント独立とブレイク・ザ・ワールドで被った経済的損失の所為で内情が不安定なんです。
もともと、多民族国家ですしね。
不満のガス抜きに、赤道連合領内の航路の確保……理由はいくらでもあります」

 例えばマラッカ海峡。シンガポール海峡。
 ともに海上輸送の要地だ。

 広大な陸地面積を持つ東アジアは、
陸上輸送の莫大なコストを削減するため、海が欲しいのだ。
 それはコズミック・イラ以前から続くあの国の方針であり、
ユウナもそれはよく知っていた。

 何故ならオーブ人は、
そのために海を奪われ、この南方の島国まで落ち延びてきた民族だからだ。

「勿論、そんなことになったら大西洋連邦が黙っていません」

 アズラエルはユウナの反応を待たずに、どんどん話を進めていった。

「ユーラシアが弱っている今、
大西洋のカウンターパートになりうるのは東アジアだけですから、
その勢力拡大を許す訳にはいきません。推測ですが、
プラントが東アジアに接触したのも、恐らくはこの辺りに理由があるのでしょう」

 これまでずっと、3すくみの状態である種の安定を保ってきた地球の秩序は、
プラントの登場によって打ち砕かれてしまった。
 それを巧みに印象操作し、
「善のプラント」というイメージを作り上げたデュランダルの手腕は、見事だと言えるだろう。

 ――だが所詮はイメージだ。暴けば必ずボロが出る。

 あらためてそう思いながら、アズラエルは駄目押しの言葉を口にした。

「ミスタ・セイラン、仮にあなたが私をプラントに引き渡したとしても、
東アジアがこの地域に進出しようとすれば必ず大西洋の妨害に遭います。
話し合いでどうこうなる段階じゃないですから、
軍事的な衝突になるでしょう――オーブの地においてね」

 それはユウナの、戦争だけは避けようとする目論見が、儚くも潰えるということだ。

 アズラエルはさして同情もしていなかった。
 彼にもそんな余裕はなかったからだ。

「私も、ロゴスも、既に舞台の重要人物ではないのです。
私を差し出しても、もはや彼らは退かないでしょう」

 すると、沈黙が落ちた。

 ユウナの頭の中は、真っ白になっていた。
 状況が、彼の処理能力を超えていた。

 人間は本当にどうしようもなくなった時、笑うしかなくなる。

 まさしく進退窮まって、ユウナは自暴自棄のような笑みを浮かべた。

「……やっぱりあんたは死神だ。結局、僕らに死を告げるんじゃないか」

 ユウナはそう呟いた。
 壁際で銃を構えて突っ立っていた数名が、息を呑んで顔面蒼白になる。

 ――おい、どうしてそこで絶望するんだよ。

 一気に葬式会場のようになった室内に、アズラエルは慌ててユウナに声をかけた。

「しっかりしてください。諦めるのは早すぎます」
「何がですか!」

 瞬間、ユウナは思わずかっとなってその場に立ち上がった。

「手ならもう尽くしましたよ!どこもかしこもテロ支援国だからって
うちは門前払いだ。今更話なんか聞いてもらえない!」

 と、 声を荒らげる。
 子供のような反応に、アズラエルは呆気に取られて硬直した。

 ユウナは何だかんだと言っても
やはり若輩であり、アズラエルより10も年下の青年なのだった。

 ――面倒なやつだ。子供ってのはこれだから良くない。

 アズラエルは舌打ちしそうになりつつ、
スーツのポケットから数枚のメモを取り出し、差し出した。

「そんなことはありません。これを見てください」

 そこには何人かの氏名と、連絡先と思しき数字の羅列が記載されていた。

「……電話番号? 誰ですか?」
「我が社の連絡員です。かけたら全員繋がりました」

 パイプラインがまだ生きているようで助かりました、
とアズラエルはメモをテーブルに置き、ユウナに座るよう促した。
 再び2人は座して向かい合った。

「さっき調べてきたんですが、うちの会社のネットワークがまだ生きています。
まだ間に合います。これを使ってください」

 降って沸いたような解決策に、ユウナは奇妙なものを見るような目を向けた。

「会社? ロゴスではなく?」

 疑問でいっぱいの胸を抱えて、彼はアズラエルを問いただした。
 アズラエルは頷いた。

「ええ、うちの財団の系列です。そこから赤道連合に働きかけるのです」

 元はといえば、あのスパイと接触するのにアズラエルが使ったのも、この繋がりだ。

 ただ今のアズラエルが赤道連合にできるのは警告のみだが、
オーブは国家として差し出す対価がある。
 具体的にいうと、領海だ。もしくは貿易上のメリット、規制緩和。

 これを使わない手はない。
 アズラエルはそう考えていた。

「東アジアの膨張に真っ先に晒されるのは赤道連合ですから、
上手くやればこちらに引き込めるかも知れません」
「しかし、赤道連合が味方になったとしても、あの3国を相手にするのは……」

 しかし、ユウナは懐疑的だった。

 これは別に深い理由があってのものではなく、
彼は疲労でほとんど思考停止していたのだった。

「何も2対3にこだわる必要はないでしょう。
思い出してください、オーブが落ちて困る国はもう1つあると私は言った筈です」

 アズラエルは、辛抱強く続けた。

「それは――しかし、大西洋連邦が動きますか?」

 ユウナは、まだ渋っていた。

 ――これは、芝居の1つでも打たないと駄目か。

 アズラエルは一瞬で自分の演技力に賭ける決断をすると、即答した。

「動きます」

 流石にこれには驚いて、ユウナはじっとアズラエルの顔を凝視した。

「必ず動きます」

 アズラエルはもう一度、同じことを繰り返した。

 ――どうしたらいいだろう。

 ユウナは、ショート寸前の思考回路を動員して、
何とか相手の言葉を検討しようと試みた。

 何か、決定的に、何かがおかしいような気がしていたのだ。

 実際その予感は的中していたのだが、何しろ彼には運がなかった。
 というより、アズラエルが強運の持ち主だったのか。

 ドンドンドン!

 「!?」

 廊下を引き裂いてやってきた銃声に、ユウナの思考は断ち切られてしまったのだ。