「ひょっとしてジブラルタルの連中に信頼されてなかったかな?」
バルトフェルドはやれやれと吐き捨て、書類をデスクに放り投げた。隣にいた艶やかな黒髪を肩に流した美しい女性が首をかしげてきいた。
「どうかしたの、アンディ?」
「どうもこうもないよ。先日〝バクゥ〟を撃破されたばかりだってのに、それを見越したかのように補給部隊が到着したんだ。ナイーブな僕の心はちょっぴり傷ついちゃったよ。慰めて欲しいな、アイシャ」
彼はそう言って、アイシャと呼ばれた女性の腰を抱き寄せる。ふと、目の前にいたダコスタがおほん、と咳払いをした。
「おや、いたのかいダコスタ君」
「……その書類を持ってきたのは私なんですが」
バルトフェルドは、まったく反省した素振りなく「ごめんごめん」と言って、ため息をついた。あの『砂漠の虎』が、わずか三日で七機もの〝バクゥ〟を失うなどと、誰も予想しないだろう。あの『砂漠の虎』が、である。しかし、今回ばかりはそれを予想したものがいたのだ。
「〝ザウート〟六機、〝バクゥ〟九機、そして――」
バルトフェルドは舷窓か甲板を見やった。〝レセップス〟にたった今到着した輸送機から、多数のモビルスーツたちとともに見慣れない形のモビルスーツが現れる。輸送機のタラップを降りてくるパイロットに混じり、六人の赤いパイロットスーツを見つける。
「そしてクルーゼ隊の九人のエースたちか……。季節はずれのサンタさんでも来てくれたのかね?」
ダコスタも内心は上官と同じ感想だ。副官を務めてきた自分ですら、このような事態は想定していなかったというのに、いったい誰が……?
バルトフェルドがからかうように言う。
「とは言ったものの、地上戦の経験ないんだよなあ、彼ら。かえって邪魔になりそうな気もするが……?」
「エリートですから」
ダコスタもあいづちを打った。正直、やっかいなお荷物を預かったという気分だ。クルーゼ隊生え抜きのパイロットともあれば、プライドも高いだろうし、扱いにくいに違いない。部隊の和を乱す存在になる可能性があった。するとバルトフェルドは突然、こう言う。
「クルーゼ隊ってのが気に入らん。俺はあいつ、嫌いでね」
「……って、ラウ・ル・クルーゼがですか?」
『仮面の男』ラウ・ル・クルーゼといえば、泣く子も黙る名パイロットとして『砂漠の虎』と並び称されるほどの男だ。もちろんダコスタとしては、バルトフェルドほどではないと思ってはいるが。
だがそれだけに、二人の間にはなにか確執でもあったのだろうか? ――と驚いたダコスタだったが、上官から返ってきた答えにがっくりする。
「ひとに目を見せないやつなんて信用できるか」
シンプルかつなんの根拠もない意見だった。
ともあれ彼らは、宇宙からの到来者を出迎えるため、甲板に出た。輸送機の離陸とともに、風が巻き起こって、甲板に細かな砂を吹き付けた。
「うわ、なんだよこりゃ! ひでえとこだな!」
新来者の一人、ディアッカが声を上げ、手をかざして砂混じりの風を避ける。
その後ろでは、ミゲルとミハイルがやれやれと肩を落としている。
バルトフェルドがそんな彼らに声をかける。
「砂漠はその身で知ってこそ――ってね」
九人の新来者は振り返り、砂でやられた目を瞬かせて、人の悪い笑みを浮かべながら近づいてくる人物を透かし見た。
「ようこそ〝レセップス〟へ。指揮官のアンドリュー・バルトフェルドだ」
九人のパイロットは、とたんに背筋を伸ばし、敬礼した。
「宇宙《そら》から大変だったね、歓迎するよ。――少なくとも、『魔弾』と『ドクター』は、ね?」
バルトフェルドは相変わらず一言多い口調で言った。そしてイザークの顔をじっと見つめ、いきなり言う。
「戦士が消せる傷を治さないのは、それに誓ったものがあるからだ――と思うが、違うかね」
上官の歯に衣着せぬ物言いに、ダコスタはひやりとする。だがイザークは迷うことなく言った。
「はい、『足つき』を落とすために、ここにいます」
「――バルトフェルド隊長、いきなり不躾で申し訳ありませんが、我々はすぐにでも砂漠戦の訓練に入りたいのです。どなたかに、教官役を頼みたいのですが」
きりっとした様子でアスランが言った。バルトフェルドは、彼らを見てにっと面白そうな笑みをこぼす。この笑みにダコスタは良い思い出が無い。彼はごくりと身構えた。
「教官、かね? だがこの艦には赤を着るものはいないぞ?――君たちを除いてねェ?」
しかし彼の挑発的な物言いに、反応するものはいなかった。またアスランが言った。
「――承知しております」
――これは驚いた。とダコスタは意外そうに彼らを見やった。あのクルーゼ隊の面々が……。勝手に、どうせプライドの塊なんだろうと想像していた自分を恥じた。
ふいに、バルトフェルドは楽しそうに笑い声を出し始めた。
「良いねえ。そういうの嫌いじゃないよ。すぐに準備させよう。――ダコスタくん、頼んだよ。彼らに砂漠でのいろはを教えてやってくれたまえ。」
「へっ!? あ、了解しました!――って、えぇっ!?」
考え事をしていたダコスタはふいをつかれ、すっとんきょうな声を出してしまう。だがそれに気にしたそぶりもなく、彼は続けた。
「ほら、行った行った。頼んだよ。――にしても、大部隊じゃないか。いったいどうしたんだろうねえ」
また面倒ごとを……とがっくりと肩を落としているダコスタを見ようともせず、彼は話しながらぶらぶらと歩き、甲板に降ろされた総勢二十四機のモビルスーツを見上げる。
「んー。ジブラルタル基地の司令は、ラクス・クラインのファンみたいですよ」
ラスティが緊張感なく言った。それに続くようにニコルが言う。
「本国では捜索が打ち切られましたが、それを良しとしない前線の兵士たちがいっぱいいるようです」
「なるほど。――さしずめ君達は、囚われのお姫様を助け出すために集まった勇気ある騎士団というわけだ。いいよ、本当にいい。そういうの大好きだ」
また楽しそうに笑う、そして最後に気になっていたであろうことを聞いた。
「で、この早すぎる補給はなんなんだろうねえ?」
「私が進言しました」
また黒髪の少年だ。アスランの物怖じしない視線に、バルトフェルドは鋭く睨み返してみせる。
「僕は舐められているのかな?」
「あの『砂漠の虎』だからこそ、意味があると判断したまでです」
堂々と向き合うアスランに、バルトフェルドはため息をついた。ダコスタには意味がわからなかった。『砂漠の虎』の力量を知っているのなら、本来なら敗北を見越した補給など進言しないはずだからだ。だというのに、この男にはバルトフェルドを蔑んだり侮ったりするような様子は微塵も感じられない。
ふいに、バルトフェルドが目を細め、言った。
「そんなに凄いのかい……?」
その質問に、アスランは悔しそうに表情を変える。そして、搾り出すように答えた。
「…………はい」
だが彼らとは逆に、バルトフェルドは滅多に見せることの無いほどの、狂気と取れるすれすれの笑みを口元に浮かべ、まだ何もしてなかったダコスタを見ようともせずに、嬉しそうにに声をあげた。
「……最高じゃないか。――さ、ここの施設は好きに使ってくれていい。満足が行くまで堪能してくれたまえ。ほぅらダコスタくん! 何やってんの。行った行った」
九人が一斉に敬礼をして、ダコスタに連れられて甲板を後にした。
その時、ダコスタは見た。バルトフェルドの表情に、今まで一度たりとも見せたことの無いほど目を煌めかせた上官の姿を。
「ふふっ。今日は良い日だ。会ってみたいなぁ……」
……今日は酷い日になりそうだ。ダコスタは心の底からそう思った。
PHASE-11 宿敵の牙
「じゃ、四時間後だな」
威勢よく車から飛び降りたカガリが言い、続いてキラ、カナード、フレイ、最後にアムロが降りたった。いつもカガリのそばにつき従う大男――キサカが、「気をつけろ」と念を押す。
「そっちこそ――アル・ジャイリーってのは気の抜けない相手なんだろ」
カガリは少し心配そうな顔で、キサカらが向かう交渉相手の名を出す。
前の車に載っていたナタルがこちらに振り向き、「レイ中……」と呼びかけて慌てて「……ねん」とごまかした。ここで「中尉」などと呼びかけたら、せっかく現地の人間らしい変装してきた意味が全くなくなる。隣のトノムラがうつむいた。後部座席ではメリオルがうわ言のように「レイ中年……」と言いながら笑いをこらえている。
「た、頼み……ます」
顔を真っ赤にしてナタルは言い、慌てて前へ向いた。サイーブやキサカらを乗せたジープは走り去り、それを見送ったキラたちは、なんとも言えない表情でアムロを見やる。彼はぽりぽりと頬をかいてから、「さ、行こうか」と言って歩き出した。
この街はバナディーヤ。タッシルよりさらに東にある、『砂漠の虎』の駐屯地だ。砂漠特有の明るい陽射しの下、人々が行き交い、物売りの声が響く。キラはぼうっと、その活気あるようすを見ていた。ふと、何時になく不機嫌そうな顔をしたカナードが目に止まる。
「……どしたの?」
「砂漠は好かん。第一、なぜオレがこんなことをせねばならん」
相変わらずの彼が、楽しそうに街を歩くフレイに引っ張られるアムロを睨み言った。キラは苦笑して答える。
「だって、うちで一番強いのは君じゃないか。アムロさんも生身では敵わないって言ってたしさ」
その言い草が余計に彼の神経を逆撫でしたのか、もう一度舌打ちをして顔を逸らした。
「おい、なにボケッとしてんだ!」
声のするほうに目をやると、カガリがむくれた顔で彼を待っている。
「おまえらは一応、護衛なんだろ」
タッシルからの難民をかかえ、また先日来の戦闘で消耗した〝アークエンジェル〟と『明けの砂漠』は、物資の補給を必要としていた。そこで、彼らが派遣されたのだ。カガリは現地のマーケットへ日常品を揃えに、キラとカナードは彼女の護衛。
アムロはその監視役……、もとい、我侭な子供たちの世話役としてくる事になった。ちなみに、我侭な子供の代表はフレイだ。最近構ってもらってないという理由だけでアルスターの名前を出して無理やりついてきたのだ。――そして残りの面々は、一般の店舗では手に入らないものを調達しに行くことになった。
雑踏の中、慣れた様子のカガリについていきながら、キラはささやきかけた。
「……ほんとにここが『虎』の本拠地? ずいぶんにぎやかで平和そうだけど……」
緊張感のないキラの問いかけに、カガリは鼻に皺を寄せて彼を見ると、「ついて来い」と顎をしゃくった。雑踏をかき分けて、数分歩き、角を曲がったところで見たものに、キラは思わず足を止めた。窓に張り渡されたロープには洗濯物がひるがえり、子供たちが駆け抜けていく。
輝くように白い土壁の続く路地、その真ん中に、ごっそりと地面を抉り取ったような爆撃の跡があった。周囲の風景が平和そのものであるだけに、その地に刻まれた破壊の跡は、際立って見えた。カナードが「ほう」と楽しそうな笑みを浮けべた。
「平和そうに見えたって、そんなものは見せ掛けだ」
苦い口調で吐き捨てたカガリの目は、瓦礫の向こうに据えられている。壊れた建物の上に、巨大な艦が突き出して見えた。〝レセップス〟――アンドリュー・バルトフェルドの旗艦だ。
「――あれが、この街の本当の支配者だ。逆らう者は容赦なく消される。ここはザフトの――『砂漠の虎』のものなんだ……」
キラは呆然と瓦礫の散らばる地面と、そして平和そうな街並みに目を向ける。ふと、彼は疑問を口にした。
「それでも……見せ掛けだとしても、平和な街並みを作ることができるってのは凄い事なのかな?」
横にいたアムロが答える。
「そうだね。一見平和そうな街並みを作れるというのはたいしたものだ」
彼の腕を掴んでいたフレイが、首をかしげて聞いた。
「それがなんで凄い事なんです?」
「こういう偽りの平和すらも得る事のできない街が山のようにあるのさ。従ってさえいればそれなりの『平和』を提供する……フェアな男なんだろう、『砂漠の虎』というのは」
淡々と述べるアムロの横で苦虫を潰したような顔をしているカガリを、カナードはつまらなそうに睨みつけてから〝レセップス〟を眺めてひとりごちた。
「……やはり砂漠は好かん」
「おーい坊主ども、使えるかーっ?」
マードックの大きな声が、格納庫の高い天井にまで響く。ぎこちなく動く〝ストライク〟と〝デュエル〟を遠くから扉のところから眺めながら、彼は片手を腰に当ててため息をついた。
「どうなんでしょうねえ。坊主がナチュラル用のOSを組んでくれたのは良いですが」
横で胡坐を組んでいたムウが、それを聞いて「うーん」と唸った。
「ま、実戦では無理だな」
ひょうひょうと言うムウに、マードックは「シミュレータじゃそこそこだったんですがねえ」と頭を書きながら言う。彼の横で考え込むようにマリューが言った。
「でも、OSはまだ不完全だって言ってなかったかしら?」
「確か彼らの動きのデータを見直してからもう一度組みなおすとかなんとか言ってましたな」
「ああそうだ。けどなあ……。ま、あの中ではトールってのが一番だわな」
ムウがやれやれと答えた。
「一応嬢ちゃんが戻ってきたら乗せてみせるけど、期待はできないな」
彼の言葉に、マリューはふと強引にアムロたちにフレイのことを思い出し、ため息をついた。
「アルスター事務次官もあんな感じだったのかしら……。ホフマン大佐も気の毒に」
遠くで、ぶつかって転びそうになって慌てている二機の〝G〟を眺めてにやにやしながらマードックが後に続く。
「ですが、アムロの旦那には良い息抜きになるんじゃないでしょかね。坊主たちにだって、戦わせっぱなしですし」
「そーなんだよなあー。いいなぁアムロは。んもー、アムロのバカバカバカーン!」
大げさに腕を大の字にして、そのままベタっと仰向けになったムウとほぼ同時に、サイの〝ストライク〟とトール〝デュエル〟がしりもちをついた。
機体から降りたサイとトールを、ミリアリア、カズイが迎えた。
「おっつかれさーん。 大丈夫だった?」
「俺たちよりはうまく動かしてたよね」
彼らの笑顔に、サイはやれやれと返す。
「いや、実際大変だったよ。思うように動かないよなあ」
「ほーんと、やんなっちゃうぜ」
相槌を打つトールが、また動き始めた〝ストライク〟に目をやった。
「今度はフラガ少佐が乗るのかあ」
ふぅっとため息をつくトールに、カズイが思い出したように言った。
「そういえば、タッシルの復旧を少し手伝うとか言ってからね」
四人は、それなりの動作で歩いて外に向かう〝ストライク〟を眺めた。ふと、サイがつぶやくように言った。
「キラは凄いよな。あんなに簡単に扱ってさ」
「……どしたの?」
ミリアリアが怪訝そうに声をかけた。サイが首を振って答える。
「いや……俺たちじゃ、あいつの力にはなってやれないんだなってさ」
寂しく言うサイだったが、突然後ろからふわっとした声がしたのでそちらに目をやった。
「みなさまー。おつかれさまですわ~! ふふ、差し入れですっ」
にこっと笑みを浮かべた手には、サンドイッチの乗ったトレーが持たれている。だが彼女はいつもの服にエプロンをして、頭には三角巾を巻いた姿だった。
「ありがと、ラクスさん。っていうかその格好どうしたの?」
ミリアリアがサンドイッチを手に取りながら聞いた。
「良くぞ聞いてくださいましたわっ。わたくし、炊事とお洗濯とお掃除をしてますの」
えへん、と胸を張って言うラクスに、一同は「はあっ?」と驚いた声をあげた。そこへマリューとマードックが会話をしながら近づいてくる。サイがあきれて言った。
「プラントの歌姫が家事を、かあ……」
「うひゃー、凄いなそれ」
トールも驚いたように言う。
「大西洋連邦のお嬢様に、プラントの歌姫かあ……宇宙一贅沢な戦艦かもね。艦長には許可とったの?」
カズイがぼそりと言った。ラクスは「もっちろんですっ」と笑みを浮かべて、側に来ていたマリューたちに「ですわよね」、とかける。
「ええ。こちらとしても助かるわ。人手が足りなくて困ってたのよ」
「副長さんは反対してたけど。ま、旦那が言いくるめてくれたおかげだな。結構やり手だよ、あの人さ」
マードックがしみじみと言う。
「それでは、わたくしはお仕事の続きがありますので失礼いたしますわ」
ふわふわと言って、きた道を戻っていくラクスを、マリューはやれやれと軽く息をついた。
「はぁ~……」
キラはカフェの椅子にへたり込んだ。その脇には大きな買い物袋がいくつも並んでいる。その隣には、キラのそれよりも更に大きな買い物袋をぶらさげたカナードの姿もある。いつものようにキラに対抗していたらこんなになってしまったようで、流石に後悔の念が浮かんでいる。
アムロも大きな荷物を降ろし、雑貨市で捨て値で売られていた『巨人たちの黄昏』と題された本を興味深げに読み漁る。荷物をすべて男性陣に任せ、わいわいと買い物を続けていたカガリが、買い物リストを検討している。
「これでだいたい揃ったか――おいフレイ、お前さっきからなに読んでんだ?」
「んー? 〝世界の歌声ベストテン・特別号〟っての」
「はあ?」とすっとんきょうな声をあげるカガリに、フレイが説明した。
「ラクスの頼み物よ。捕虜やっている間に自分の人気がどうなったとか気になってんじゃないかしら? あの子アイドルだし」
「ふーん。で、どうなんだ?」
たいして興味も無さそうにカガリが聞いた。
「んとね、なになに――プラントの新星ミーア・キャンベル。健気な姿が我々に元気を……だってさ」
「わからーん。――なあカナード、お前はわかるか?」
突然話を振られて、苛立たしげに彼は答えた。
「知るかっ」
「あはは、馬鹿だなお前ー」
けらけらと笑って言うカガリに、カナードは苛立って立ち上がろうとするが、すぐに気だるげな表情になって座り込んでしまった。キラは心配そうに言う。
「無茶するからだよ。大丈夫?」
「……オレは無茶などしていない」
そんなにぐったりとした表情で言われてもなあ……。と心の中で思ったが、表情には出さないようにするキラであった。
ふと、パラパラと本を読み飛ばし終えたアムロが小さくため息をついた。
「どんな本なんです?」
とキラが問うと、アムロは一度苦笑し、まるで、思っていたのと違ったと言わんばかりに首を振った。
「どこにでもあるファンタジー小説だったよ」
そう告げてから思い出したように「読むかい?」と付け足す。
ファンタジーかー……などと思っていると、彼らの前に、給仕がやってきてお茶と料理を並べた。薄いパンの上に、トマトやレタスなどの野菜とこんがり焼いた羊肉のスライスが載っている。さっきカガリが人数分注文していたものだろう。
「……なに、これ?」
キラが珍しそうにたずねる。
「ドネル・ケバブさ! あーっ、腹減った。さ、みんな食えよ! このチリソースをかけてだな――」
カガリがソースの容器を手にした瞬間――
「あいや待った!」
突然脇から声がかかり、キラとカガリは驚いて、フレイは迷惑そうに、アムロとカナードは一瞬目を細めてからそちらを見やった。
「ケバブにチリソースなんて何を言ってるんだ、キミは! ここはヨーグルトソースをかけるのが常識だろうがッ!」
拳を握りしめて力説するその男は、派手なアロハシャツにカンカン帽という、アラブ風の民族衣装がいまだ多いこの街ではなんとも目立つ服装をし、大きなサングラスをかけていた。どうやら北欧系らしいが、旅行者なのか現地に住み着いたよそ者なのか――いずれにせよ、うさんくさいことこの上ない。
カガリが思わず「はぁ?」と聞き返すと、男はさらに両手を振り回し、大仰に訴える。
「いや常識というよりも、もっとこう――そうっ! ヨーグルトソースをかけないなんて、この料理に対する冒涜に等しい!」
「……なんなんだお前は」
カガリが呆れている横で、カナードがアムロに視線で合図を送るがアムロはため息をついて力なく首を振った。
「カガリ、目合わしちゃダメよ。こういうかわいそうな人は相手にするとつけあがるんだから。変質者よ変質者」
カナードが小さく舌打ちをしたのが聞こえないかのように、フレイが嫌な顔をして言った。
「君……きついねェ……」
男はがっくしと肩を落とした。カガリはその隙に、ドネル・ケバブにこれ見よがしにチリソースをぶっかけ、男が「ああッ!」と悲痛な叫びを上げる。
「見ず知らずの男に、私の食べ方をとやかく言われる筋合いはない!」
もっともな意見であるが、見せ付けるようにアグッと頬張ったあと、見ず知らずの男に顔をしかめてみせるあたり、大人気ない。
「あーっ、うっまーいっ!」
「ああ……なんという……」
男はこの蛮行に打ちひしがれているようだが、こちらもかなり大人気ない。
「ていうか近づかないでください。大声出しますよ」
軽蔑するような眼差しで男を見つめながら、ヨーグルトソースをかけていくフレイに、男はサングラス越しからでもわかるほど目を輝かせた。なんと大人気ない。
「こっちの口の悪いお嬢さんはこの世の理を理解しているようだ。うむ、料理の神様もお喜びになっているだろう。違いがわかる優れたものこそ、真の味を理解するのだよ」
全身で満足そうに唸る男に、カナードが「ほうっ」と声をかけた。
「おい、貴様。このチリソースとやらよりも、ヨーグルトソースってのほうが優れているのか?」
「もっちろんだとも! さあ、君もきたまえ、選ばれたもののみがこれる大いなる道へ!」
両腕を広げて壮大なポーズを取る男の言葉に、「ふむ」と考え込んでいるカナードを尻目にしてアムロはそそくさとチリソースをかけ、何かを思い出すようにしながら食べ始めた。
「――キャノンは赤かったものな……」
周囲の状況を全て無視して、黙々と口に運ぶアムロに、男は呆れて声をかけた。
「……キミ、友達いないだろ」
むせ返っているアムロを無視して、カガリと男はキッとキラを見た。
「ほら、お前も」
「ああッ待ちたまえ! 彼まで邪道に落とす気か!? 友達できなくなるぞ!」
「なにを言う! ケバブにはチリソースが当たり前だ! ほら、友達ができるぞ!」
「いいや、ヨーグルトソースだ。ヨーグルトソース以外考えられない! 一生友達できなくなるぞ!」
――人の友人関係を勝手に決めないでほしいなあ……。と、内心がっくりきてるキラの前で、カガリと男が二つのソースが入った容器を握りしめている。しばし皿の上で争いを繰り広げたあげく、二種類のソースをぶっちゃけた。
「ああっ……!」
「…………むっ!?」
しかし、二種類のソースは、キラのケバブの上に飛び散ったかと思いきや、それよりも早くカナードが彼のケバブをひったくっていた。彼はそそくさとそれにチリソースをかけ、キラに手渡した。
キラは感激してカナードを見た。
「あ、ありがとう。カナー――」
「オレはヨーグルトソースをかける。違いがわかるからな」
……本当に大人気ない。それでも満足そうにケバブを口に運び、がぶっとかぶりついた。が、一瞬彼が苦い顔をする。
「……どしたの?」
キラが心配そうに声をかけた。カナードは小声で「……まずい」と顔を顰める。
「ほーら見ろ! やっぱりチリソースなんだよ!」
「むむ、キミは外道を行くものか!」
大笑いをしながら指を指されて、カナードは不愉快そうにカガリを睨んだ。キラが自分のチリソースのかかったケバブをじっと見てから、ぱくっと口に運ぶ。
「あ、美味しい」
そう言ってほっと一息をついたキラに、カナードは悔しそうに殺気を送ったが、まあいつもの事なので無視していると、彼は肩を落として自分のケバブを食べ始めた。
「――しかし、すごい買い物だねえ、パーティでもやるの?」
いつのまにか男は、彼らのテーブルにしっかりと腰をおちつけていた。カガリがまた噛み付こうとしたがカナードがゴスッと彼女の横隔膜に軽く手刀を抉りこむ。
「ああ、そんなところだ。この近所に友人がいてね。子供たちを連れて会いにきたのさ」
アムロが平然と言った。カガリが呼吸困難に陥りながらカナードを恨めしそうににらみつける。
「ふーん、友人ねえ……」
男は楽しそうに彼を見やったが、ふと言葉を切って外に目をやった。
「――お、ま、え、なーッ!!」
ようやく激痛から回復しぶち切れて大声を上げたカガリと、関わらないようにしてケバブを食べていたフレイをアムロは両脇に抱えた。次の瞬間――。空気をつんざく鋭い音を立てて、店の中に何かが飛び込んできた。すかさず同席の男がテーブルを跳ね上げ、アムロがその陰にカガリとフレイを引っ張りこんだ。
テーブルに乗ってたケバブとお茶が、カガリの上に盛大に降りそそいだが、構わずアムロはその頭を押さえるように伏せさせる。彼が側にいたキラに、「頼む」と言って二人を渡した。
同時に、店内に撃ち込まれたロケット弾が炸裂した。悲鳴が上がり、キラたちは襲ってきた爆風や破片をテーブルの陰に身を縮めてやり過ごす。
「――無事か!?」
帽子を吹き飛ばされた以外は傷一つない同席の男が、足首のホルスターから拳銃を抜きながら大声でたずねる。すぐ側でアムロとカナードの「ばれてるよ」「だろうな」という声も聞こえる。――ばれてる、とは……?
「死ね、コーディネイター! 宇宙の化け物め!」
「青き清浄なる世界のために!」
襲撃者たちが口々に叫ぶ怒号を聞き、カガリが「〝ブルーコスモス〟か!?」と目を見開く。
〝ブルーコスモス〟とはコーディネイターを排除しようとする勢力だ。この男たちはその中でも極右の過激派グループだろう。だが――ということは、彼らの目標は……?
テーブルの陰から、同席の男が身を乗り出して撃つと、襲撃者たちの銃口は一斉に彼へ向けられた。
そのとき、客の一人が、隠れていた物陰から立ち上がり、襲撃者の一人を撃ち殺した。いや、一人ではない。 店のあちこちから、同じように応戦している者がいた。客――というより、客に偽装して潜んでいた何者かであろう。
「かまわん、すべて排除しろ!」
彼らに向けて、同席者は命じる。さっきまでの軽薄さが嘘のような、命令することになれた鋭い声だ。キラは混乱して男の姿を見上げていたが、ぐっとカナードに肩をつかまれる。彼は小声で言った。
「貴様は何もするな」
「な、なんで?」
「こいつが『虎』だ」
――『虎』……?
ふと考えたキラだったが、まさか、と顔を上げた。そう、この男こそが『砂漠の虎』なのだ。
気づくと銃声はやんでいた。『排除』は終わったらしい。
「隊長! ご無事で!?」
例の同席者に、店内にいた仲間らしき者たちが声をかけた。口元に奇妙な笑みを浮かべている隊長と呼ばれた男に、アムロが言った。
「迂闊だった。俺の勘も鈍ったものだな」
「そうかい? 君だって僕が来たときから気づいていたんだろう?」
彼の目が、サングラスの奥で鋭い光を発した。アムロがああと納得し、乱れた髪をくしゃりとかく。
「ここがあなたの街だということを忘れていた、アンドリュー・バルトフェルド」
フレイがびくっと身を竦ませた。彼女が掴んでいるキラの腕に力が篭る。かたわらでカガリがはっと息をのむ音が聞こえた。
「……あるところにはあるものだな」
アムロが特に感激した素振りもなく、目の前の豪勢なホテルの感想を漏らした。
「あっはっは。お褒めの言葉として受け取っておくよ。――さ、どうぞ。うまいコーヒーでもご馳走するさ」
アンドリュー・バルトフェルドは、アムロの後ろで冷や汗をかいているキラたちを見て、軽く笑みをこぼした。キラたちは、唯一平然としているカナードの影にさっと隠れるように体を引いた。
バルトフェルドが歩き出したので、アムロとカナードがそれに続く。キラたちは顔を見合わせたあと、腹をくくって後を追うことにした。先を行くバルトフェルドの姿に気づくと、兵士たちが敬礼する。ひとつのドアが開き、二十歳ばかりの赤毛の兵士が飛び出してくる。
「隊長! 〝ブルーコスモス〟に狙われたんですって!?」
「そこまで知ってるなら、わざわざ僕に確かめる事もないでしょ」
「だからひょこひょこ街へ出るのは止めてくださいと――」
「ダコスタくん、客人の前だよ」
「あ……これは失礼いたしました」
ダコスタと呼ばれた兵士は小言を中断し、キラたちに目礼した。その前を悠然とバルトフェルドは通り過ぎ、取り残された赤毛の兵士がため息をつくのが聞こえた。
「気にしないでくれたまえ」
バルトフェルドはあいかわらず気さくな調子で言う。
「僕なんかにはもったいない、いい副官なんだが、どうも人生の楽しみ方を知らなくてね」
「あの……街へ出るときは、いつもああなんですか?」
おそるおそるキラはたずねる。「ん?」とバルトフェルドは眉を上げたあと、笑った。
「ああ、あの黒子くんたち? 鬱陶しいからよせと言うんだけど、やめないんだよね」
「……苦労するわけだ」
アムロがぼそっと言ってため息をついた。
「おかえりなさい、アンディ」
ふいに柔らかな声が聞こえ、キラたちは驚いて顔を上げた。いく手に現れたのは、艶やかな黒髪を肩に流した、美しい女性だった。
「ただいま、アイシャ」
バルトフェルドが彼女のほっそりした腰に手を回し、キスするのを、キラたちはどぎまぎしながら見守った。横にいるカナードは、相変わらず不機嫌そうにしている。
アイシャと呼ばれた女性は、彼らに向き直り、にっこりと微笑む。軍隊にいるからか機能的なジャンプスーツ姿ではあるが、逆にそれが彼女の体つきを際立たせている。
「この子たちね? アンディ」
くすっと笑みをこぼしながら、カナードとフレイの肩に手をかける。
「……オレは男だ」
こめかみに青筋を浮かべながら言うカナードに、アイシャは「あら?」と言ってカガリを見直した。
「……私は女だ」
これでも女性としての意識があったのか、盛大に落ち込むカガリに、うふっと微笑みかけ「失礼」と言って彼女の肩に手を触れた。フレイが同情の視線で彼女を見つめる中、バルトフェルドが楽しそうに言う。
「どうにかしてやってくれ。チリソースとヨーグルトソース、それにお茶までかぶっちゃったんだ」
「あらあら、ケバブね?――さ、いらっしゃい」
アイシャが優しく彼女たちを連れて行こうとする。フレイが「い、いやよ」と抵抗したが、アムロは彼女に優しく言った。
「いまさら君たちに危害を加えるような真似はしないさ。――そのつもりなら、あの銃撃戦の時に殺られている。心配しないで良い」
あくまでも余裕の姿勢を崩さないアムロの様子に観念したのか、彼女たちはアイシャに連れられて別の部屋に向かって行った。すでに一室に入りかけたバルトフェルドが「おーい、キミたちはこっちだ」と彼らを呼ぶ。キラは後ろ髪を惹かれる思いだったが、アムロとカナードはそんな様子なく言われたままに部屋に向かった。キラは慌ててそれに続く。
「僕はコーヒーに一家言あってね」
バルトフェルドは言いながら、さっそくサイフォンをいじってる。
「まあ、かけたまえ。自分の家だと思ってくつろいでくれよ」
――そうは言われたものの、どう頑張っても自分の家とは思えない。明るく広い広場は、彼の執務室なのだろうが、中庭に面した側は全面がフランス窓になっていて、窓に背を向けてアンティークらしい書き物机が置かれている。たぶんこの机だけでひと財産するだろう。
壁にはどうやら本当に火が焚けるようになっている暖炉まであった。ごく標準的な宇宙移民の家庭で育ったキラは、こういう雰囲気になじみがない。
――とか思っていたらいきなりカナードが一人がけの贅沢なソファーにどかっとすわり、足を机の上に投げ出して不機嫌そうに寛ぎはじめた。凄いや、などと思っていたら隣にいたアムロもカナードほどではないがまるで自宅のようにくつろぎはじめた。ひょっとして自分が情けないだけなのだろうか、と本気で心配してきょろきょろと視線をあちこちにやる。
ふと、目に入った大理石のマントルピースを注意深く見ると、そこにはキラにも見慣れたものが置いてあった。胴のなかばから翼の骨格を突き出した、誰もが一度は目にしたことのある奇妙な生物の化石――そのレプリカだ。
キラがレプリカを見つめていると、背後から声がかかった。
「〝Evidence01〟――実物を見たことは?」
見れば、バルトフェルドは既にアムロたちの前にカップを置き、ソファーで寛いでいるところだった。アムロも声に釣られてこちらを振り向く。キラは首を振った。
「いいえ……」
バルトフェルドはしみじみそれを眺め、訊いた。
「なんでこれを『くじら石』と言うのかねえ? これ、鯨に見える?」
「え……そう、言われても……」
キラに文句を言われても困る。だが『虎』と称される男は大真面目で、レプリカの翼部をさして力説した。
「ここのこれ、どう見ても羽じゃない。ふつう鯨に羽はないだろ?」
「ええ、まあ……でも、よその星の生物ですから……」
〝Evidence01〟――俗称『くじら石』は、この地球で進化した生物の化石ではない。外宇宙から偶然もたらされた、地球とはまったく異なる生命の証拠だ。
「そうじゃなくてさ、僕が言いたいのは、『なんでこれが鯨なんだ』ってことだよ」
キラが答えに困っていると、アムロが何かを考えながら言った。
「たぶんそれを発見した人物には、それが鯨に見えたのかもしれない。――鯨が好きだったのかどうかだとか、そういうことまでは知らないが……ロマンってのはそういうものだろ? 宇宙に鯨がいる。その人はそう思えて嬉しかったんだと思う。ひょっとしたら……鯨を海に生きるものの象徴として見ていたのかもな?」
バルトフェルドが楽しそうに「ほうっ」と声をあげた。
「だからさ。宇宙《そら》を星の海だと見立てて、そこにいる生き物の象徴として、鯨を選んだのかもしれないってことさ」
「ふむ……。確かに、そういう考えもできるかもしれない。それに『トビウオ石』とかじゃあピンと来ないもんなあ」
真面目にこの人たちは何を言ってるんだろう、とキラは思ってしまいしどろもどろした。そんな様子に気づいたのか、彼は話を変えた。
「あ、で、どうだい、コーヒーの方は?」
言われてキラは、手渡されたカップに口をつけた。……苦い。
彼の表情をうかがっていたバルトフェルドは、気を悪くするようすもなく、「ふむ、きみにはまだわからんかなぁ、オトナの味は」と、悦に入って言い、自分は美味そうに真っ黒い液体をすすりながら、「どうだい?」とアムロたちの方を見ながらソファに腰を下ろした。
「ン? ああ、美味いと思う」
アムロの答えに満足そうに頷いているバルトフェルドの向かいに、キラは遠慮がちに座る。
「そっちのキミは?」
「……不味くはない」
「そりゃ良かった」
そう言ってバルトフェルドは再び、マントルピースの上に視線を戻した。
「――まあ……楽しくもやっかいな存在だよねぇ、これも」
キラは聞きとがめる。
「やっかい――ですか?」
「そりゃあそうでしょ。こんなもの見つけちゃったから、希望――っていうか、可能性を信じるようになっちゃったわけだし……」
「…………?」
相手の言葉が理解できず、キラは首をかしげる。
「『人は、まだ……もっと先まで行ける』――とね」
「それって――」
はっとしてアムロに目をやった。
あの時独房の通路で聞いた彼の言葉が脳裏に蘇る。そして、キラはバルトフェルドをじっと見つめた。
「ぼくも……、ぼくも信じてます。種族の壁なんて乗り越える事ができるって」
彼は一瞬意外そうに驚いてから、嬉しそうに「そうか」と頷いた。
ひかえめなノックの音に、キラたちは振り向いた。ドアが開き、アイシャが入ってくる。後ろにいたフレイが、アムロを見て嬉しそうに駆け寄ろうとしたが、カガリにぎゅっと腕をつかまれ呆れた顔で振り向いた。
「――こういうところだけは女らしいのね」
「だ、『だけ』はよけいだ!」
アイシャが笑って、彼女を前に押し出す。と――キラはぽかんと口を開けた。
「ほっほーう」
バルトフェルドが立ち上がって、じろじろと検分する。カガリは髪を結い、薄く化粧を施されたうえに、裾の長いドレスに身を包んでいた。日焼けの後が惜しいが、そういう格好をすると別人のようだ。
フレイも同じように裾の長いドレスを着ていたが、上半身にピッタリ吸い付くタイプの所為か体のラインがはっきりとわかる。それにこの形のドレスは背中が丸見えのはずだ。髪はポニーテールにしていて、動くたびにふりふりと揺れるのがまた可愛らしい。
「おんな……の子」
キラが思わずつぶやくとフレイが目元をぴくりとさせ苛立ち、カガリがかっとなってわめく。
「は?」
「てっめえ!」
「馬鹿かお前は」
すぐにいつものようにカナードがあざけるが、これはもう慣れたので無視した。が、女の子一人を喜ばせるような感想をいえない自分が情けないことには変わりは無い。
バルトフェルドとアイシャが笑いながら、二人を座らせ、コーヒーをすすめる。
「似合っているよ」
アムロが優しく言った。フレイは顔を赤らめて喜んで見せ、カガリはソファーに顔を埋めて恥ずかしがっている。その時、先ほどとは違う硬い音のノックが聞こえてきた。
「隊長、訓練内容のレポートを提出しにまいりました!」
「お、入ってくれ」
「失礼します」と真面目そうな声が響き、ドアが開いた。アイシャと入れ替わるようにやってきた黒髪の青年を見てキラは目を見開く。
「アイザックのやつはまだミゲルとミハイルさんに絞られ――っ!? キ、キラ!?」
「…………アスラン」
「おや、お友達かね?」
驚愕して固まっている二人をからかうように、バルトフェルドが言った。
「その声は……いつかの勘違い男か」
その言葉に、突然のことで錯乱状態にあったアスランは更に困惑した。
「キラが……二人?」
「やだ、なにこの人。頭おかしいんじゃないの……?」
フレイが軽蔑したように睨んでからアムロに隠れるようにしがみつく。
「なんだよこいつ。いきなりやってきて失礼なやつだな」
カガリが腰に手を当てて目をやった。
「さ、三人目!?」
「は?」と訳のわからない顔をしていたカガリだったが、しばらく考え、やがてそれを意味する言葉がわかったのか、顔を真っ赤にして怒鳴った。
「だから私は女だァ!」
「キラが女だと!? 馬鹿な、そんなはずはない!」
それが二人の親友の再会であった。
心の準備どころか予想だにしない出会いに、キラはどうして良いかもわからず無言でソファーへと促されるアスランの横顔を見つめることしかできない。
いくつかの事務的な報告をバルトフェルドにした後、アスランはちらちらとこちらを伺い、意を決して聞く。
「……隊長、彼らは……?」
「え? ああ、トモダチ」
あの赤毛の部下が苦労するわけだ、とキラはしみじみ思った。
さ、て。どうしようか。本当は面倒なことなど起こさず、少し様子を見て帰ってもらうつもりだったのだが、ここにクルーゼ隊の少年が来たとなれば話しは違ってくる。それに、この長髪の少年は特に危険だ、とバルトフェルドは感じていた。
歩き方、視線の向け方、一挙一動全てをとっても紛れも無い『本物』だ。生身でやりあったら、バルトフェルドとアスランの二対一でも、無傷で制圧は難しい。
恐らく他の少年少女たちの命を度外視すれば、彼一人でも数日かけて、闇から闇に紛れこのホテルを制圧されてしまうかもしれない、と買い被るほどにバルトフェルドは彼らを気に入っていた。すなわち、彼はかなり優秀なコーディネイター。恐らく彼の弟と思われる少年のほうも同じだろう。
ま、どのみちこちらから何かをするつもりは無い、それはバルトフェルドにとって『面白くない』ことだから。だが、隣の真面目な少年は違うようで、どうやって言いくるめようかと思考したところで、バルトフェルドは考えるのをやめた。急にめんどくさくなったからだ。
「じゃあそろそろ帰りたまえ。今日は話ができて楽しかった」
「た、隊長、彼らは――!」
予想した通りの反応にバルトフェルドは苦笑した。
「ここは戦場ではない。そうだろう? 歌姫の騎士様?」
押し黙るアスラン。バルトフェルドは、この少年をかっていた。きっと良い指導者になるという確信があるのだ。だから、そんな彼の経歴をこのような、たとえば捕虜交換といったもので汚したくない。彼は、その手でラクス・クラインを救う、そういう英雄になってもらいたいから。後、そうじゃないと面白くないから。
彼らがそそくさとドアに向かうのを見、ふいにまた興味が沸き、その背に声をかけた。
「名前、聞いてもいいかな?」
一瞬の間があり、巻き毛の男が振り返った。
「アムロ・レイだ」
やはり、とバルトフェルドはにっと口元をゆがめた。最近連合が大々的に広めようとしている、ある噂を耳にしていた。曰く、ナチュラルの身でありながら、モビルアーマーでコーディネイターの乗る〝ジン〟を単機で薙ぎ払う、伝説の英雄だとか……。
もちろん、それを信じるものは少ない。バルトフェルドでさえ、実際に砂漠での戦闘を目にするまでは半信半疑であったのだから。恐らく連合内部ですら、それを真に受けるものなど皆無に等しいだろう。だが、バルトフェルドには確証があった。
目の前にいる男の筋肉のつき具合は、まさしく『モビルスーツパイロット』のそれであったから。恐らくは、連合で開発したモビルスーツのテストパイロットか何かか? と疑ってみたが、すぐにその思考は捨てた。彼の過去を明らかにしたところで、それは意味の無いことだから。
アムロが続ける。
「長髪の子がカナード・パルス、隣の子がキラ・ヤマト――」
おや、兄弟かと思ったが……? というのが最初に浮かんだ疑問であったが、次の言葉を待った。
「カガリ・ユラに、フレイ・パラヤだ」
ま、そりゃそうだよな、と一人納得し、バルトフェルドはちらとアスランを見る。
「キラ、お前が地球軍にいる理由があるのか……?」
何も気づいていないことにこっそりと安堵の息をつき、そのまま状況を見守る。
キラが悲しげにうつむく。
「違うよ、アスラン……。戦争だから、さ」
「何が違う! 地球の連中は、何の罪も無いコーディネイターを殺し、家畜にしようとしているんだぞ!」
アスランがかっとなって言うと、キラがつらそうに顔をしかめた。
「そう言って、ザフトの人たちは何の罪も無い地球の人たちを殺しているのに……」
そう、それが見解の差というものだ。正義と正義のぶつかり合い、それこそが戦争。
「おかしいよアスラン。君は自分がされたことの怨念返しをしているだけなんじゃ……」
言いすぎだ、とバルトフェルドが感じた時には、アスランが激昂しキラに掴みかかろうとしていた。同時にカナードが前に出てアスランの出した拳を掴み取る。早いな、と思うとカナードがにいと意地の悪い笑みを浮かべた。
「そうだ、それでいい。貴様ら下等種はそうやって安い挑発に乗ってくれれば、ここで殺りあうことだってできるな?」
ぎり、と二人が睨み合うような形になる。赤毛の少女が
「ちょ、ちょっと……やめなさいよっ」
と小声で咎める。その様子に、バルトフェルドはアアと小さな感動を覚えずにはいられなかった。なんということだろう、この子達は、コーディネイター、ナチュラルのわだかまりを超えてそこにいるのだ。
「アスラン君、やめたまえ」
バルトフェルドが優しく言う。
「しかし、彼らは!」
「『敵』の見解だよ。君がいちいち気にすることは無い」
意識して敵という単語を選び言うと、アスランははっとして目を見開き、やがて悲しげに視線をそらした。
「それじゃ、また戦場でな」
彼らが部屋を去った後も、バルトフェルドの不思議な気分は抜けなかった。手を取り合うナチュラルとコーディネイター。友人同士で敵対する道を選んだコーディネイター。
この戦争の真理を見てしまった気がした。希望と絶望が同時に混在するような、おかしなな感覚であった。