「ふう、なんとかなりましたね」
ジブラルタル基地のドックに降り立ち、ニコルはつぶやいた。すぐ側にいたアスランが声をかける。
「ああ。〝レセップス〟は良くもってくれたよ」
そう言ってから苦笑して見せる彼の肩に腕が回り、ラスティが親指を突き立てて見せてから笑みを浮かべた。
「生きていることは素晴らしいってね。まあ、一応あのジャンク屋には感謝しないとな」
砂漠のど真ん中で〝レセップス〟の機関が停止し、じりじりと追撃部隊に追い詰められてる中、あれは夜中だったろうか、ニコルたちに救いの手が差し伸べられたのだ。
それが、ジャンク屋であり、名前を何と言ったか……。最近地球に下りてきたばかりだそうだったが。
「そういうことだ。生きてさえいれば、必ずラクスを……!」
一人意気込むアスランに「真面目だねえ」と呆れてラスティは割り当てられた自分の部屋を探して歩き出した。皆もそれに続こうとしたところで、また背中に声がかかった。
「あーあーもう。俺の〝バスター〟がぼろぼろだぜ」
気だるげにやってきたのはディアッカだ。隣にはイザーク、シホの姿もある。――砂漠での戦いの後、最も奮戦していたのが〝バスター〟だ。傷を負った『虎』を撃つべく、連合の戦車隊やゲリラ部隊などの追撃が幾度もあり、その度に〝レセップス〟から弾幕を張り、撃退して見せたのだから。〝ザウート〟部隊も実に頑張ってくれた。
「腰抜けどもめ。俺たちが手傷を負っていなければ挑んでくる事ができないのか、奴らは……!」
「小癪なやつらです。……さすがに疲れました」
不機嫌そうに顔を顰めるイザークに、シホがあいづちをうつ。そんな彼らに、また声がかかった。
「それが戦争というものだぜ、お前ら」
ミゲルだ。橙に塗られた〝バクゥ〟は、撤退戦でおとりの役割もやってみせたのだ。隣にいるアイザックは、今にも倒れそうなくらいな様子でふらふらと歩いている。
「〝ザウート〟じゃあ……足が……遅すぎてえ……」
「砲撃仕様だからな。ほら、行くぞ」
ふらふらのアイザックがミゲルに腕をつかまれ、引きずられるように歩いていった。その後を、生き残った〝バクゥ〟や〝ザウート〟のパイロット達が苦笑を浮かべながら続く。これでもアイザックは隊の仲間達に気に入られているのだろう。
ジブラルタルには、一面の青空が広がっていた。
PHASE-13 仰ぎ見る刻
「まあ! 海ですわ! ここが地中海というところなのですね」
ぱんと手を胸の前で嬉しそうにあわせ、ラクスが言った。
〝アークエンジェル〟は地中海を進んでいた。着水し、両弦で水面を切り裂きながら進む姿は、まるで当初より海を航行するために作られた船のように自然に見える。〝レセップス〟を突破し、アフリカ大陸を離れた彼らは、そのまま北へ抜け、ユーラシア大陸へと向かう航路にあった。
海上に出て間もなく、マリューはクルーが交代で甲板に出ることを許可した。――例によってナタルはいい顔をしなかったが。厳しい戦闘を潜り抜けた後の休息の意味もあるのだろう。
ふいに、キラが身を乗り出して遠くを見つめた。
「あそこに向かってるのかな?」
「うーん……? おっ。島が見えるな」
サイも同じように身を乗り出し、言った。
「……クレタ島か」
相変わらず不機嫌そうにカナードが言った。みなが一斉に「クレタ島?」と首を傾げたのを見て、それくらい知っておけと言いたげに彼は舌打ちをして語りだす。
「地中海で五番目に大きな島だ。――そうか、スエズ基地からもそう遠くない……補給を受けるならばあそこ、というわけだ」
どうだ、とばかりに胸を張って自信に満ちた様子で彼は説明した。みなが感心し、声をあげる。
「補給かあ、モビルスーツとか来たりしてな」
「私はそれよりも泳ぎたいなあ」
「どんなお魚さんが食べられるのでしょう」
サイ、ミリィ、ラクスがそれぞれ嬉しそうに声を上げた。
期待に胸を膨らませる友人たちを微笑ましく思いながらも、キラは彼方に見えるクレタ島に思いを馳せる。今度こそ、自分たちへ平和を知らせる使者であって欲しい、救いの手であって欲しい、そんな思いを込めながら――。
そんな彼の背中に無造作な声がかけられた。
「なんだ? おまえらも甲板に出てたのか」
彼女はつかつかと近づいてきて手すりに向かって並んで立ち、驚いているキラの顔を覗き込んだ。カガリ・ユラ――レジスタンスたちに加わって戦っていた少女だ。砂漠の地を離れる時、彼女はレジスタンスたちと別れ、〝アークエンジェル〟とともに航海する道を選んだ。
正確を期すれば、その申し出に困惑し、渋るマリューたちに『どうしても連れて行け』と言い張って、ほとんど無理やりのようについてきたのだ。そしてその後には、いつも影のように従うキサカの、大柄な姿もあったのである。
彼女は目線を遠くの海に移して慄然と言った。
「――暇なんだな、お前ら」
遠慮のかけらも無いその言葉に、キラたちはむっとした。いきなりやってきて何を言うんだろう。もう少し遠慮というものを――
そう考えたところで、カナードの見事なローキックが彼女の両脚に飛び、カガリはバランスを崩して落ちそうになった。慌てて姿勢を戻し、彼女はその相手を睨みつける。
「――お前、何するんだ!」
「蹴った」
「そうじゃないだろ! あ、いや間違ってないけど。だー、もう、そうじゃなくて! いきなり蹴るなよ!」
あまりと言えばあまりの襲来に、キラたちは自分の心の中から先ほどの苛立ちが消えていくのがわかった。流石にこれはかわいそうだ。同時にありがとうカナードと。
子供のようにわめく彼女を見ようともせず、カナードは何事も無かったかのように海を眺めている。それが余計に腹が立ったのか、カガリは前へ出て不満の言葉を発しようとしたが、ふわっと後から何者かに回りこまれ口を紡いだ。
「カガリさま。ケンカはメッですわ」
ラクスが人差し指をカガリの目の前にふわっと突き立て、優しく笑みをこぼした。カガリは唇を尖らせて反論する。
「でも、アイツが――」
「メッですわっ」
「で、でも――」
「メッ!」
つん、と額をつつかれ、カガリは悔しそうに一歩後へ引いた。
ふいに、彼女の背後でドアが開いた。カガリが振り向くよりも早く脱兎の勢いで苛立たしげにやってきた赤髪の少女が思いっきり頭をはたく。
金色の髪がふぁさっと揺れた。
「痛ってえ~……! 何すんだよ!」
「こっちの台詞よ! こんなとこで何してんのよこの馬鹿!」
拳を握りしめて怒りをあらわにしているのはフレイだ。怒っていても可愛い。
カガリは「はあ?」と訳のわからない顔をして首をかしげたが、どうやら虫の居所が悪いフレイを更に苛立たせるには充分な効果があったようだ。彼女ががもう一度カガリの頭をすぱんっと叩いた。
「――何すんだよ!」
「あんたアムロさんに呼び出し食らってんの忘れたの?」
はっとカガリは頭を上げた。その様子にキラは納得した。みんなで甲板に出るときにトールだけ「用事があるんだ」と言って来なかったのはこのことだったのだ。
「……忘れてた」
カガリの表情は焦りの色が浮かんでいる。
フレイが呆れたように声をかけた。
「ほんっと馬鹿。キサカさんって人はしっかりしてるのに……」
ぎくっと身を震わせるカガリの横でサイが苦笑する。
「でも実際キサカさんは凄いよ。艦内の力仕事をほとんど受け持ってくれてるし、機械にも強いみたいなんだ」
カガリのなんともいえない表情を見て、キラも苦い笑いを浮かべた。
「それよりも行かなくていいの?」
「そうだっ! ほら行くわよ!」
慌ててカガリの耳をグィィッつまんだ。クっでもなく、きゅっでもなく、グィィッである。キラは少したじろいだ。
「い、痛そう……」
実際カガリも、「離せ! 自分で歩けるから離せ! 痛いって!」と言いながら苦渋に満ちた表情だ。
無表情のまま海を眺め続けるカナードを尻目に、少年たちは嵐のようにやってきて嵐のように去っていく少女達を呆れた表情で眺め、ため息をついた。
「と、言うわけでだ。君たちには『足つき』の追撃部隊として動いてもらうことになったよ」
基地のブリーフィングルームで、アスランたちは右腕を包帯で吊ったバルトフェルドから新たな作戦を告げられていた。その彼に寄り添うように、長い黒髪の女性、アイシャが立っている。少し距離を置いて、先ほどまで負傷兵の手当てをしていたミハイルの姿もある。
「追撃部隊……ですか?」
ニコルが首をかしげた。
「表向きは、ね。――ぶっちゃけて言っちゃおうか。君たちはラクス・クラインを救出する正義の騎士団ってことさ」
「よ、よろしいのですか!?」
アスランが驚いて食って掛かる。本国では既に救援は打ち切られたという話は既に耳にしている。それがアスランにとってどれだけ辛いことだったか……。だが、政治という大人の問題に自分が口を挟むべきではないと、無理やり納得させていたのだ。それにその様な事は自分達の隊長――ラウ・ル・クルーゼが許すはずも無い。
驚愕したアスランの様子に驚こうともせず、彼は調子よく続けた。
「ラウ・ル・クルーゼくんが左遷されちゃってねえ。実は地球に降りてから、君たちは僕の部下になってたみたいでさ」
一同が「へ?」と情けない声をあげた。……左遷、とは?
バルトフェルドは少年達の驚きようが面白かったのか、軽く笑みをこぼした。
「クルーゼ隊、解散しちゃってたんだってさ。いやあ、災難だったねえ」
「なっ……」
思わず声を上げてしまった。だがそれ以上言葉にはならない。まさか……そんなことになっていたとは……。
アスランの仲間達もまた、「そ、そんな」「なんだとお!」「おいおい」「あっはは、ダっセぇ」などと思い思いの感想を口にしている。ミゲルやミハイルといったベテラン組みも驚いているようで、額に手を当ててがっくりとうなだれていた。
「ほんとは僕も行きたいんだけどね、〝スピットブレイク〟だとかいう面倒なもんのおかげで動けないんだ」
彼らは、「はあ……」と感想を述べながら、次の言葉を待った。バルトフェルドは、片目でウィンクをしつつ不敵な笑みをこぼす。
「それじゃ、ザラ隊結成ってことでよろしく!」
「はあっ!?」と一斉に声が上がった。
正直話が早すぎてついていけない。ラクスの救出を再会できるのはとても嬉しい。だが
エリートの証である『クルーゼ隊』が解散していて、『バルトフェルド隊』扱いになっていて……『ザラ隊』――。
バルトフェルドが意外そうな顔をして少し身を引いた。
「あれ、わかりづらかったかな? それじゃもう一度。――アスランくんが隊長で、ザラ隊結成ってことでよろしく!」
「そうじゃなくて! 私などより……もっと、ミゲルとかミハイルさんとか、相応しい者がいるではないですか!」
今度こそアスランが食ってかかった。度重なる『足つき』との戦いで、自分の無力さは嫌というほど痛感している。その度に窮地を救ってくれたのが、ミゲル・アイマンやミハイル・コーストと言ったエースパイロットたちなのだ。だというのに、そんな彼らを差し置いて自分が隊長だなんて、そんな馬鹿な話が……。
実際彼の副官ダコスタも大いに呆れているようで、大きな汗を流しながら体全体でがっくりとしている。バルトフェルドは気にした様子も無く、ひょうひょうと言った。
「名前だよ、名前。囚われのお姫様を救うために立ち上がった正義のナイトは、防衛長官の息子であり彼女の婚約者、アスラン・ザラ。こういう肩書きってのは重要だよ? 士気もあがるしね。それにこのほうが面白い」
最後の一言が少し癪にさわりかけたが、アスランは押し黙った。確かに、そういう名目は大事なのかもしれない。たとえお飾りの隊長であったとしても、民衆のヒーロー、すなわち偶像として活躍もできれば、本国への明るい話題へも繋がるだろう。しかし……。
固まっているアスランの前にイザークがさっと立ちはだかり、ふんと不敵に笑う。
「良いだろう。貴様には借りがある」
まだ気にしているのかこの友人は、と言いたくなったが黙っておく事にした。
「ま、よろしく頼むぜアスラン。俺できれば後方支援が良いなあ。できれば『メビウスの悪魔』以外を受け持ちたいぜ」
さらりと述べたのはディアッカ。普段はこんなだが、いざという時は本当に頼りになる……はずだ。
そんなディアッカをラスティがくねくねと動きながら鼻で笑った。
「臆病者なやつだ。俺はモビルスーツなら任せとけと言っておくぜ」
「……言ってること大して変わってませんよ」
胸を張って言う彼に、ニコルが呆れたようにつぶやいた。ニコルなら大丈夫だろう。ラスティは普段の行動からして色々と駄目だ。腕は確かなのだが、いざという時にしか真面目にやってくれない。今になって、よく赤になれたなと関心したが、その思考はすぐに捨てた。昔からの親友に対して思って良いことではない。そう思い立つくらいには、アスランの頭は真面目で固いものである。
「じゃ、じゃあ僕は戦車隊を相手にします!」
意気込んで挙手をしながらアイザックが言った。彼はやる気もあるし性格も良い、実力もあるの。が……いつも損な役回りばかりだ。そういう星の元に生まれたのだろうか?
「……『足つき』にはいないわよ」
几帳面に突っ込みを入れたのはシホだ。隊内の紅一点でありながらもなかなかの実力者だ。ディアッカやラスティのようにふざけたりせず、イザークのように短気でも無い。非常に有能だと思う。
ミゲルがにっと笑みをこぼして言った。
「ま、よろしく頼む。――信頼はしてるぜ?」
それにミハイルが続く。
「私もだ。同じように、私の腕も当てにしてくれて構わんよ」
この二人にそう言ってもらえるのは本当にありがたい。彼らは正真正銘のエースなのだから。その発言には多大な信頼を寄せる事ができる。
皆が言い終わるのを待ってから、バルトフェルドが満足そうに立ち上がった。
「ようし、話はまとまったな。それじゃ人員はこちらで用意するから、それまでゆっくりしていてくれ。艦は〝レセップス〟をあげるよ」
「ちょ、ちょっと待ってください隊長!」
今度はダコスタが言った。いや、彼が言わなければアスランが言っていただろう。〝レセップス〟とは、『砂漠の虎』の旗艦であると同時に、レセップス級大型陸上戦艦のネームシップでもあるのだ。その名は大きい。
だが彼は、その場で固まるアスランらを完全に無視して付け足した。
「だって僕ら、しばらくはここから動けないしさ。だったら使ってもらったほうが良いと思ったんだがねえ。そのうち補充も来るだろう――たぶん」
一同が固まるなか、うんうんと頷いたバルトフェルドはデスクに置かれたコーヒーを口に運び、満足そうにつぶやいた。
「お、モカハラーも良いなあ」
少年たちの中に、コーヒーの感想をわかるものはいなかった。
「――たしかに、ユーラシア連邦は地球連合に組しているが……」
〝アークエンジェル〟艦橋では、キサカを前に、マリューたちと航路の再検討をおこなっていた。彼は言葉を切り、手元の資料を見てからちらっとマリューを見やる。
「しかし――あきれたものだな、地球軍も。アラスカまで自力で来いと言っておいて、補給もよこさず、挙句の果てにはクレタ島で負傷した部隊の救援に迎えとは……」
痛いところを衝かれ、マリューは苦い表情になる。
キサカの言うとおりだ。この艦と〝ストライク〟は、今後の戦局を占う大事な切り札のはず――なのに、地球連合軍総司令部は救援どころか補給もよこさないのだ。それどころか、わざわざ針路を変え、ザフトに破壊された部隊を救えだなどと……。
「戦闘は、極力避けるのが賢明だろうな」
キサカはモニターに映し出された地図に目をやって、言わずもがなのことを言い、ムウがやれやれと頭をかいた。
「でも、もう少し行けばジブラルタルの連中が待ち構えてるかもしれないぜ? 補給がもらえると踏んでこの航路を取ったが……当てが外れたかな?」
マリューはうんざりとため息をついた。
遅れて格納庫にやってきたフレイとカガリは、先に来ていたトールに「よっ」という挨拶に返そうとしたが……。
「遅いぞ貴様ら! 何をしていた!」
きりっとした面持ちで、ナタルが立っているのに気づいて、二人はぎょっと身を縮ませる。フレイはこの女が嫌いだ。高圧的で、いつの頃からか自分を品定めするような目つきでフレイを見るようになり、それが不快であった。
隣にいたアムロが、やれやれと肩をすくめる。
「そうぴりぴりしなくても良いだろう中尉。――集まったようだね」
「話ってなんだよ?」
カガリがぶっきらぼうに聞いた。相変わらずふてぶてしいと言うか、たくましいというか、毅然とした態度で胸を張る。アムロはそれに気を害した様子も無く……何かを言おうとしているのだが視線を泳がしたままだ。
――ためらっている? というのがフレイの率直な感想。
ナタルが見かねて言った。
「貴様たちの中から、〝デュエル〟のパイロットを選出する。シミュレーターの経験は全員あるな? 次の目的地に到着するまで訓練をしてもらうことになった」
機械のように放たれた言葉の羅列にフレイの顔が凍りつく。〝デュエル〟? パイロット? 訓練? 一体何を言っているのだろう。
アムロが表情を曇らせる。
「……すまない」
目の前のナタルが何を言ったのかようやく理解し、トールが非難の声をあげる。
「ちょっと待ってくださいよ!」
「わ、わたし嫌よ!」
フレイも反射的に声を上げた。一体どうしてわたしがモビルスーツなどに乗らなければならないのだろう。そんなものは、キラやカナードにやらせておけば良いのに。第一なんで男のサイやカズイを差し置いて女のわたしが……。
そんな彼女たちをよそに、カガリはそのまま胸を張って一歩前へ出た。
「――決まりだな。〝デュエル〟のパイロットは私がやる」
金髪を揺らし凛と言う。フレイは彼女がそう言ってくれたことに内心ほっと胸を撫で下ろした。そうだ、戦いたいものが戦えば良いのだ。自分が戦う必要などどこにもないし、戦える力だってあるわけがない。
目を丸くして驚いていたトールが、さっと彼女の前に出て言った。
「駄目だ。俺がやるよ。――さっきは驚いちゃったけど、女の子たちに戦わせるよりは俺が頑張ったほうが……」
トールがそう言うのは……友人思いの彼だ、不思議なことではない。だがこれで自分に白羽の矢が立つ事は無いだろう。
ほっと胸をなでおろしたフレイに目もやらず、ナタルが声をあげた。
「訓練の成績で決める。それは既に決定された事柄だ」
「なんでだよ! 戦いたがらないやつらを出したって役に立たないぞ!」
憤慨してカガリは反論した。
ちらとながし見たナタルと視線が交差する。思わずフレイはびくりと震えた。
……なぜ彼らの中から選ばないのだろう。三人いて、二人が戦う意思を示している。だというのに……なぜ……。これではまるで――。
「力のあるものにやってもらう」
――力。そんなもの、わたしにあるわけない……。
ナタルが憮然と言う。カガリが声を荒げ、食いかかる。
「だから、なんでだよ!」
アムロは先ほどから口を紡いでいたが、視線は申し訳無さそうにわずかに下に向けられている。
また、厳しい表情のナタルと目があった。
ああ、そうか――この女……。
フレイは直感的にわかってしまった。こいつはわたしを戦わせようとしている。
体が震えだす、二度と経験したくないと思っていたあの恐怖を、また? どうしてわたしが、ただのナチュラルなのに、戦った経験なんてまるでない、ただの女の子なのに……!
泣きそうになったまま、アムロにすがりついた。
「わ、わたし嫌です! なんでわたしが……」
理由は……たぶんとしか言えないが、地球軌道上でのことと砂漠でのことが関係しているのかもしれない。だがアムロは、「すまない」と頭を垂れるだけだ。頼りにしていた男性の裏切りに、フレイの目から自然と涙が溢れてくる。同時に、そうかと理解してしまった。
この人は、いざというとき、どうしても選択を迫られたとき、わたしを捨てれる人なんだ、と……。
決してフレイやみんなを大事に思っていないという事ではない。彼はきっと……ひょっとしたら、我が子のようにフレイたちを想っていてくれてるのかもしれない。でも、彼はそれを捨てることのできる強い意志と覚悟を持っている。
それは間違いなく強さであり、フレイには全く理解のできない感情である。だが、彼女の感じたそれが、本当に正しいことであるかを知る術は無い。幼子が父や母に叱られた時に誰もが感じるそれであるだけかもしれない。
すなわち、誤解かもしれないと思う間も無く、ナタルが気にも留めず言った。
「アルスター二等兵、貴様は先の戦いで、偶然とはいえあの『砂漠の虎』を撃退し、〝イージス〟にも損害を与えている」
「そんなの……知らないわよ!」
フレイが金切り声を上げた。あんなのはただの偶然だし、もう一度やれと言われてもできるはずがない。だがナタルはそれを無視して続ける。
「本来ならば貴様が〝デュエル〟のパイロットとして決定されるはずだったのだが……フラガ少佐とレイ中尉が、その目で実力を見なければとおっしゃってくださったのだ。感謝はされど、文句を言われる筋合いはない」
淡々と述べる彼女を、フレイは目を赤くしながらにらみつけた。この女は許せない。心の中で激しい憎悪の炎が燃え上がってくる。
「わたしはアル――」
「アルスター二等兵だろう? よく知っている。だが貴様も軍人になったのだ、軍の命令には従え!」
軍人――その言葉に彼女は愕然とした。もう民間人ではないのだ。軽い気持ちで艦に残ると言った事を今になって後悔したが、それは遅すぎた。
「バジルール中尉。そんな言い方をしては――」
「レイ中尉は甘すぎます。そんなものでは、このさき生き残る事はできません!」
アムロの言葉を遮るように、ナタルの鋭い声が格納庫中に響き渡った。フレイは彼女をギッと睨みつける。
「あんた、ナタル・バジルールっていったわよね……」
「憎んでくれて構わん。ただちに訓練に取り掛かれ!」
その言い草が、妙に癪にさわった。
絶対に許すものか、今日という日のことを……。
「違うよ、そうじゃないってば! パシッブソナーは基本的に――」
「いや、そんなことないって」
さっきからパルとチャンドラはソナーの計器版を前に、ああでもないこうでもないと議論している。当のソナー担当者であるトノムラは、二人の差し出ぐちに「ちょっと、うるさいよ!」と声を荒げ、横目で見ていたメリオルがくすっと笑みをこぼした。
水中の索敵、調査のために、バナディーヤで仕入れてきたソナーだが、宇宙軍の訓練しか受けていない彼らだけに、仕様書と手引書片手に悪戦苦闘している。その様子を見てミリアリアとサイは苦笑し、マリューもやれやれと息をついた。
そのとき――。
「レ、レーダーに反応っ!」
突然カズイが声を上げる。マリューは怒鳴った。
「総員、第二戦闘配備!」
上空から〝アークエンジェル〟めがけて飛び来たったのは、ザフトの大気圏内用モビルスーツ、AMF‐一○一〝ディン〟だ。〝ジン〟の機体をベースとし、大気圏内での飛行に適したように軽量化され、浮力を得るため背には巨大な六枚の翼が展開する。空中を縦横無尽に飛び回るその姿は、薄い羽を広げたトンボのようにも見える。
二機の〝ディン〟は〝アークエンジェル〟を確認し、時を置かず攻撃してきた。
訓練の準備に入っていた〝スカイグラスパー〟二号機がすぐさま飛び立ち、マシンガンのように撃ち放ったビームで撃墜した。
〈おいおい、俺の出番は無しかよ?〉
不満たらたらと言った様子で、発進しようとしていたムウ機と敵機がいなくなった空中を旋回するアムロ機の会話が聞こえてくる。
〈言うなよ。迅速に対応できたのなら、それで良いだろ?〉
彼らにとってはモビルスーツの一機や二機など問題ではないのだろう。マリューは緊張を崩さずに命令する。
「監視は怠らないで! レイ中尉は、先行して別働隊の捜索を」
〈了解〉と短い返事をして、アムロの〝スカイグラスパー〟はまじかに見える〝クレタ島〟へ針路を取っていく。
〈俺はどうすんのよ?〉
ふいに、ムウに声をかけられ、マリューが慌ててつけたした。
「フラガ少佐は待機をしていてください」
〈ほーい〉という返事が聞こえたところで背中越しの扉が開く。振り向くと慌てて駆け込んできたナタルが目に飛び込んできた。
「申し訳ありません! 敵は――!?」
振り向いたクルー達は必死の形相のナタルに苦笑した。あれ? という顔をして呆けている彼女に声をかける前に、アムロから通信が入った。
〈こちらアムロ・レイ。連合の部隊と思われるものを発見した。だが――〉
言葉を詰らせたアムロに、マリューは嫌な予感をしながら聞き返した。
「――何かあったのですか?」
〈ン、いや。かなりの大部隊のようだ。戦車隊に輸送機に――みたことのないモビルスーツの姿もある〉
その報告に、艦橋にいた全員が一斉に首をかしげた。
「損害を受けているのですか?」
〈損害は無いようだ。〝ディン〟や〝アジャイル〟と思われるものの残骸が転がっている〉
……訳がわからない。自分達は、ザフトに追われた負傷部隊を救出に来たのではなかったのだろうか?
〝アークエンジェル〟が〝クレタ島〟に近づくと、先ほどの部隊の全貌が明らかになってきた。三機の大型輸送機に戦車隊が連なり、一機の白く塗られた識別不能のモビルスーツが自分達を歓迎するかのように佇んでいる。
ややあってから、ようやく通信が入った。
〈どうやら今度こそ味方のようだな〉
モニターに映ったのは、どこか安心感を漂わせてくれる雰囲気を持った大人の男性だった。がっしりとした体つきで、オールバックにまとめが黒髪を鬱陶しそうにしている。日に焼けた肌が、どことなく野生的な雰囲気を醸し出している。
〈おっと、自己紹介が遅れたな。地球連合軍第37戦車隊所属、エドモンド・デュクロ大尉だ。聞いてた通り、美人だな?〉
威風堂々とした物言いに唖然としたクルー達はまた首をかしげた。マリューが怪訝気味に言う。
「――我々は、負傷兵の救援に来たのではないのですか?」
エドモンドは、良くぞ聞いたと言いたげに笑みを浮かべた。
〈ハルバートン閣下は骨を折られたそうだ。何しろアラスカでは諸君らを放置することが決定していたからな。それで――俺たちの部隊を君達に救助してもらうことにしたのさ〉
彼の発言を聞いて、マリューはようやく理解した。なんとも単純な作戦だが……馬鹿馬鹿しすぎて思いもつかないようなことを本気でやってみせたのは、知将と呼ばれるハルバートンだからこそだろうか? ふいに、どこかの国で聞いた『馬鹿と天才は紙一重』ということわざが思い浮かんだが、
尊敬する上司を馬鹿呼ばわりする事などできるはずがないので、それは思考のすみに捨て置いた。
ナタルもようやく事情を飲み込めたのか、非難の声をあげた。
「そ、そんなことを!?」
すぐさまエドモンドはモニター越しから手で彼女の言葉を制し、調子よく告げた。
〈物は言い様ってことだ。実際ここまで来るのは大変だったんだ。山越え谷越えとね。輸送機には帰る燃料が残っていないから、早めに救助してくれることを願う〉
言われたマリューはほっと胸を撫で下ろし、安堵の息をついた。――自分達は見捨てられたわけではなかったのだ……。
彼女は表情を改め、口元に微笑を浮かべて言った。
「了解しました。〝アークエンジェル〟は貴殿らを歓迎いたします」
〝クレタ島〟に停泊した〝アークエンジェル〟の格納庫内は、突然の補給物資の到着でごった返していた。
「おいおいなんだこりゃあ! 弾薬に食糧に新型のストライカーパックに、モビルスーツだあ!?」
マードックが子供のように目を輝かせ興奮している姿を〝ストライク〟のコックピットからキラは見つめていた。ゆっくりと歩いてくるヘルメットを被ったような頭部をした見慣れぬ白いモビルスーツに飛びつかんばかりの彼に苦笑してから、キッとモニターを見つめなおす。キラはいま、怒っているのだ。
「――で、なんでフレイがそんなのに……」
モニターの中で赤い女性用のパイロットスーツを着た少女が顔を背けた。キラはむっとして続ける。
「フレイ、なんで君が……!」
〈――知らないわよ……〉
そう低くうめくと、彼女は膝元に顔をうずめ、泣かしてしまったのだと理解したキラはぎょっとして言葉をつまらせた。
「あっ……ご、ごめん」
まさか泣かれるとは思わなかった。フレイを責めたのは間違いだったのだろうか……。別のモニターから舌打ちが聞こえてきた。
〈……情けないな、貴様〉
「だ、だってさあ! えーと……カナードは何でだと思う?」
〝デュエル〟との通信を切り終えたのを確認してから彼は聞いた。
〈何がだ?〉
「フレイが〝デュエル〟に乗ってる理由。なんでフレイが……」
カナードはふむ、と考えるような素振りをしてから述べた。
〈――砂漠での戦いで、この女は『虎』を撃退して見せたのを覚えているな?〉
言われて、あの時自分を打ち倒して〝アークエンジェル〟に向かった〝イージス〟と〝ラゴゥ〟を撃破した〝デュエル〟の姿を思い出す。
「でも、あれはいくらなんでもまぐれだろ?」
〈ああそうだ。が、まぐれでも『虎』を倒したという事実は変わらん。何の実戦経験も無いやつと、偶然とはいえ敵のエースを倒したやつと、戦わせるならばどっちを取るだろうな?〉
彼の馬鹿にするような口ぶりにキラはそっと顔をうつむかせた。もしも自分が選ぶ立場だったとしても……後者を選ぶだろう。フレイにかける言葉が……見つからない。
ふと、〝ストライク〟の足元にトールの姿を見つけ、〝ストライク〟から降り立った。
「トール! どうしてここに?」
キラの驚きをよそに、友人は彼は表情を曇らせる。
「キラ……。――すまん」
いきなり謝られたキラは、「え?」とすっとんきょうな声をあげる。彼は続けた。
「バジルール中尉にさ、俺と、カガリって子とフレイの三人の中からパイロットを決めるって言われて――。俺、駄目だったよ。すまん」
彼はそう言って悔しそうに頭を下げた。言葉の意味をようやく理解したキラが目を丸くする。
「そんな……」
トールの所為なんかじゃない。そう言いたかったが、それ以上口が動かなかった。キラはフレイを守りたかった。大切な人を……だというのに、大人たちはその少女を戦争に出すと言うのだ。キラには大人たちの考えていることがわからなくなってしまった。
補給部隊の彼らを出迎えるために、マリューたち艦橋から格納庫へ降りてきた。武器や弾薬、食糧がたっぷり詰まったコンテナが所狭しと並べられている。新型のモビルスーツまである。さらに戦車隊のオマケつきだ。
「これは……凄いわね。ハルバートン閣下に感謝しないと」
「この量は……」
マリューは嬉しそうに笑みをこぼす。流石のナタルも、あまりの補給物資の多さに目をぱちくりさせているようだ。まさか自分達に内緒でこれほどの物資が用意されていようとは。
先ほど通信越しで出会った男がやってきて、二人に声をかけてきた。
「救助感謝しますってところですかな? ラミアス艦長どの」
「こちらこそ、救助できて光栄ですわ」
お互いに軽い冗談を言い合い笑みをこぼしている二人の後ろで、ナタルは眉をしかめて黙り込んでいた。エドモンドの背後にいる若い男が生真面目に告げる。
「大尉、我々は物資の搬入を手伝います」
「おっと、そうだったな。それじゃあ詳しい話は後でってことだな艦長。とりあえずこれが補給物資のリストだ。――俺も行くぞレイエス」
落ち着いた口調で言った彼は、レイエスと呼ばれた青年兵士の後をゆったりとした動作で追って行った。その奥から、マードックの感激しきった声が聞こえてくる。
「おいおい新型かよお!? なんだこりゃ、スベスベのお肌ぁ!」
白い新型に見守られる形で入ってきた青と赤に塗られたモビルスーツに頬をすり寄せ興奮しているマードックに、ブライアンが「班長、落ち着いてくださいって!」と声をかけている。
マリューはそのモビルスーツを見て、目を丸くした。
「まさか、もう量産化が……?」
独り言のようにつぶやいた彼女に、先に青い新型を調べていたハマナがやってきて呆れた口調で言った。。
「機体は完成してるみたいなんですがね……OSは〝ヘリオポリス〟にあったころの〝ストライク〟と大差無いようですぜ。こちらで組めってことなんでしょうかねぇ」
結局はそういうことかとマリューはため息をついたが、ナタルがずいっと前へ出た。
「パルス中尉とヤマト少尉が組んだOSがあるな? 〝デュエル〟からそのまま移せば良い」
「ま、やってみますがね」と言ってから、ハマナはマードックたちのところに歩き出す。着艦した〝スカイグラスパー〟から降り立ったアムロが、ムウと何かを話しながらこちらに歩いてきた。
「良いパイロットなのだな?――っと、艦長。ずいぶんな量のようですね」
こちらに気づいたアムロに、マリューは微笑みかけた。
「ええ、これで随分と楽になるわ。――良いパイロットとは?」
「ン、あの白いモビルスーツのパイロットのことです。僕は詳しく知っているわけじゃないのですが……」
ちらりと視線で白いモビルスーツを指してからアムロが言った。ムウが呆れてで彼の肩をぽんと叩く。
「それなりには有名なんだぜ? なあ艦長、知らないか? 『煌めく凶星J』っての」
『煌めく凶星J』、その名はマリューも聞いたことがあった。たしか――元、プラントの工学博士である地球出身の第一世代コーディネイター。盛り上がる戦争の機運に嫌気がさし、開戦と同時期に地球に帰還して地球連合に組した凄腕パイロットのことだ。
「ええ、名前は聞いたことあるわ。たしかコーディネイターのジャン・キャリーって……。でもそんなパイロットをよく上の人たちが手放したものね」
考えてみればおかしな話だ。放置が決定しているような部隊に、どうして貴重なモビルスーツパイロットを補充として送れるのだろうか? 自分たちの戦力すら危ういというのに?
アムロがそうか、と頷いて言った。
「厄介払いだろうな」
「厄介払い?」
マリューは顔を上げアムロを見やる。彼は続けた。
「連合にはコーディネイターを嫌うものも多い。だから、それにつけこんでハルバートン提督はやってくれたという事なんでしょう。どの道〝アークエンジェル〟にはヤマト少尉やパルス中尉がいるから今更気にする事もないだろうし――」
彼はそう言いながら、白い新型から降りてこちらへ向かってくる男に目をやった。
「僕達からしてみれば、単純に良い戦力として見ることができる。適材適所って言い方が一番あっているかもしれない」
隣で「なるほどねぇ」と腕を組んでから、「んじゃ、さき戻ってるぜ」と部屋に戻っていくムウを尻目に、マリューは当の本人に顔を向ける。やってきた男にアムロが声をかけた。
「――ジャン・キャリーさん?」
聞かれた男は白いヘルメットを脱ぎ去りさっと敬礼した。
「本日付けで〝アークエンジェル〟所属となりました、ジャン・キャリー少尉です。よろしく頼みます」
白い肌に金髪をオールバックにまとめ、眼鏡をかけた真面目そうな壮年の男性がキリッした面持ちで言う。アムロは微笑み返した。
「ン、戦闘隊長を任されているアムロ・レイ中尉だ。この艦は子供も多い。あなたのようなベテランが来てくれたことを嬉しく思う」
ナタルが疑わしげにジャンを見つめるなか、さわやかに言って握手を求めたアムロに、ジャンは眉をしかめた。
「……私はコーディネイターです」
「知っている。優秀な人間が来てくれたことは嬉しいよ、よろしく頼む」
アムロは目を丸くして驚いている彼の無理やり手を取って、強引に握手をした。彼の驚きを無視してアムロが奥にある白いモビルスーツに目をやる。
「見たいことがない機体だが、キャリー少尉の機体は新型か? 〝デュエル〟に似ている」
呆けていたジャンははっとして返事をした。
「――はい。技術革新があったようで、モビルスーツの量産がだいぶ早まった模様です。私のがGAT‐○一D一〝ロングダガー〟、量産が始まった〝ストライク・ダガー〟の上位機種です」
「量産が始まったですって!?」
マリューが驚いて口を挟んだ。本当におかしな話だ、〝ストライク〟はまだここにあるというのに一体どうやって……。ジャンは真面目な口調で告げる。
「それが、どうも不可思議なのです。機体の量産は進んでいるのですが……OSが不完全でして」
マリューとナタルは顔を見合わせ考え込んだ。いったいどういうことなのだろう。ジャンが続ける。
「それと、奥に見える青と赤に塗られたマシンが、〝ダガー〟と呼ばれるモビルスーツです」
ジャンが顎で指した。ベッドに横たわったその巨人は、青と白の四肢、胸部は氷のようなダークブルーと燃えるような赤のツートン。頭部は〝ロングダガー〟と同じく目をバイザーに覆われていたが、その内部にはうっすらと〝ストライク〟と同じように人の目を模した双眼《デュアルアイ》が見える。
「――GAT‐○一A一〝ダガー〟。〝ストライク〟の形式番号から取って、〝105ダガー〟などと呼ばれているようです」
彼の解説に、アムロが興味深げに頷いた。
「〝ダガー〟、か。ストライカーパックを装備できるようだな? 目もある」
「ええ。この機体はかなり急なロールアウトだったようで、頭部には原型となった〝ストライク〟のものをそのまま流用しているようです」
「なるほどな」と頷き楽しそうに機体を見つめていたアムロだったが、やがてはっと表情を変え、申し訳なさそうに赤毛の髪をくしゃっとかいた。
「すまない、夢中になってしまっていたようだ。――艦長、彼らを休ませてやりたいのですが」
マリューもはっと顔をあげた。自分もまた、新型のモビルスーツに見惚れていたのだ。我が子同然とも言える〝ストライク〟の後継機〝ダガー〟。となればあれは孫と呼べるのだろうか……、などと考えていただけに気恥ずかしい。
「え、ええ。ご苦労様でしたキャリー少尉」
マリューとアムロは互いに顔を見合わせ苦笑した。そこに、一瞬フラッシュのようなものがたかれ、同時にシャッターを切る音がした。
「へへっども!」
にこやかに笑った男は、黒髪の明るそうな顔立ちをした青年で、前髪には金色のメッシュが入れられている。その風貌は……なるほど、フリーのジャーナリストのようだ。
「来て早々幸先いいや! 良い写真が取れたぜっ」
嬉しそうに自分のカメラを見つめる男に、ナタルが怒鳴り声をあげた。
「貴様っ! どこから忍び込んだ!」
彼女がつかつかと彼の前に出る前に、ジャンが制して言った。
「彼はジェス・リブルという名のジャーナリストです。なぜかわかりませんが、相当の範囲で自由を許可されているらしく……」
一度苦い顔をしてからジャンは深いため息をついた。どうやら彼もジェスという男に手を焼いているようだ。アムロはそれを横目で見ながら、奥からやってきたキラに声をかけた。
「キラ、すまないが彼に艦内の案内を頼みたい」
唐突に言われたキラは、「え?」と声をあげ、やがて意味がわかったのか慌ててアムロ達のところへやってきた。
「えと、キラ・ヤマトです。よろしくおねがします」
元気なく言った彼の横では、ジェスに連合からの承諾書を見せられ、唖然としているナタルがいる。
ジャンが軽く笑みをこぼした。
「ああ、よろしく頼む」
キラは彼を連れて格納庫を後にしようとするが、その前にアムロが彼の肩にぽんと手を置き、小声で言った。
「あまり気負わないほうがいい。フレイのことは……僕に任せてくれ」
キラはびくっと体を震わせる。
「で、でも……フレイは……!」
「君に二人分の命を背負わしたりしない。それとも、僕を信じてくれないのかい?」
微笑を浮かべながら言うアムロに、キラは慌てて否定した。
「そ、そんなことは……」
「なら、頼む」
そう言ってアムロは〝ダガー〟に向かって歩き出した。ふいに、まだ元気の出ない彼に声がかけられる。
「へーぇ、訳ありかあ。ま、よろしく頼むぜ! ついでに俺にも案内してくれよ!」
元気良く言ったジェスを不審そうに見つめながら、キラはマリューに聞いた。
「えと、何なんですか?」
「案内してあげて」
また厄介ごとがもぐりこんできた。マリューも頭が痛いのだ。
「あ、はい……。こっちです」
キラの様子に、マリューは胸がちくりと痛んだ。フレイたちの件には彼女も一枚噛んでいたのだ。好き好んで戦場に立たせているわけではないが、それでも時折考えてしまう。自分達は、あんな子供に人殺しをさせているのだ、と。マリューは更に肩を落としたが、艦長として情け無いところを見せるわけにもいかない。すぐさま姿勢を正し、きびすを返して艦橋へ戻っていった。
「――脳波制御装置を使っている?」
アムロが眉をしかめて声をあげた。
〝ダガー〟をメンテナンスベッドに寝かせ、各パーツをボードでチェックをしているマードックのそばで彼が続ける。
「〝エフ〟型のデータが反映されているのか?」
「どうなんですかねえ……」
マードックは頭をぽりぽりとかきながら、〝ダガー〟を見上げた。アムロが怪訝そうに声をかける。
「何か問題でも?」
……大有だ。しばらく黙りこくっていたマードックだったが、もう一度〝ダガー〟を見つめてから深いため息をついた。
「いわゆる……『ブラックボックス』っていうんですか? そういうのが多すぎるんですわ。一応〝エフ〟のデータを反映、ってありますが……怪しいもんです」
言いながらも、マードックは確信していた。これは『違う』と。何が違うのかはよくわからない。だが……何かが大きく違うのだ。外見からでは判断できない何かが。
異質だと言ってもいい。
特に問題なのは、コクピット部分だ。球体状のコクピットが胸部に埋め込まれており、それがまた異様な形をしている。おかしな機材で埋め尽くされているものの、まるでコクピットの壁全てがモニターとして使えそうな……。
アムロは〝ダガー〟を見上げ、独り言のようにつぶやいた。
「――まさかな」
血に飢えた巨人の喉が、獣のように低く唸ったような気がした。
少年に艦内の案内をしてもらっているジャンは、格納庫で出会った若い青年の言葉を思い出していた。コーディネイターだと告げた自分に対して何食わぬ態度で接してくれた戦闘隊長――。
ふと、前にいた部隊長の言葉が脳裏によぎる。
『所詮君達のようなコーディネイターは、地球にはいらないんだよ』
顔に傷を追った壮年の男、コーネル大尉……冷徹な人間だった。
ジャンのパーソナルカラーは白。だがそれには、〝ザフト〟のモビルスーツと見分けるためという表側の意味と――連合からも白く目立ち『監視するためという』裏側の意味をも込められていたのだ。
〝不殺主義〟――相手を殺さずに行動不能にする。それがジャンの戦い方だった。わざわざ相手を殺してしまう必要がどこにある、戦う力を失った者に止めをさす理由がどこにある。どんな人間にも生きたいという意志があるのなら、自分はそれを尊重したい。
――あの日、ジャンは負傷した。そして自分の元へやってきたコーネルが言ったのだ。
『〝不殺主義〟だとか綺麗事抜かすのはよしたまえ……コーディネイターはずば抜けた能力を持っている逃せばまた大きな脅威となるのだぞ!』
そんなことは言われなくてもわかっている。だが、ジャンにはその男の表情が信用できなかった。人を守るのが軍人だというのなら、殺す事を楽しんでいるかのような顔をやめてほしい。人を軽蔑するような目つきをしないで欲しい。それと同時に確信もしていた。この男は、『正義の為に』戦っているのではない。『戦う為に』正義という剣を振りかざしているだけにすぎないのだと……。
『君の負傷も、相手の命を奪っていればなかったのではないかね……?』
ああ、その通りだ。だが……私はいくら傷ついても良い。誰にも死んで欲しくないのだ、傷ついて欲しくないのだ……。これを綺麗事と笑いたいのなら好きにすれば良い。ならば私はその綺麗事を貫き通そう。人の命を奪って良い理由など、あるはずが無いのだから――。
私のこの考えを、この新しい部隊で理解してくれるものはいるのだろうか? それはわからない。だが……コーディネイターである私のことは……仲間として見てもらえるのだろうか? 対等に接してもらえるのだろうか? ジャンは胸の底で、とうに捨てたはずの希望がふつふつとわきあがってくるのを感じていた。
意を決して、目の前を歩く少年に声をかけてみる。
「……君は私の事を、なんとも思わないのかね?」
「どういうことですか?」
唐突な言葉に、キラは怪訝そうに首を傾げた。
「私は、コーディネイターだ。君からしてみれば云わば敵のようなものだろう?」
「コーディネイターなんですか!?」
少年の言葉には大きな驚きが含まれている。それを見てジャンは表情を曇らせた。……やはり駄目か。どうやら自分は――いや、コーディネイターは永遠に厄介ものらしい。もしやと思った最後の希望も、遂に打ち砕かれたのだ――。
「あ、あの、ぼくもコーディネイターなんです! そっかあ、やっぱりぼく以外にもいたんだっ!」
顔を綻ばせて喜ぶ彼に、思わず「は?」と聞き返してしまった。すぐ隣にいたジェスが、「おお、こりゃ良いぜっ!」とシャッターを切っている。
ジャンははっと我に返って言い返す。
「コーディネイター!? まさか……だが……」
なんということだろう。いや、他にもいるだろうとは思っていた。だが……まさかこんなところに……。ふいに、背中越しから不機嫌そうな声が聞こえてきた。
「邪魔だ、どけ」
黒い髪の、長髪の少年だった。彼の視線はコーネル大尉のものに似ている。相手を忌み嫌い、軽蔑するような目だ。「……すまない」と道を譲りながらも、同胞に会えた感動は消え去っていた。
キラは口もとをとがらせて彼に食いかかる。
「ちょっとカナード、酷いじゃないかあ!」
だがカナードと呼ばれた少年は不機嫌そうに鼻を鳴らしただけで、彼らを無視して奥へと歩き出すだけだった。……ナチュラルとコーディネイターの確執はそうそう埋まるものではないのだ。同胞に会えたことは本当に嬉しい。しかしこの少年だって、普段からあの目で見られていたのだろう……。どこに行っても同じなのだ。二つの種族の対立は……。
キラが「あの、すいませんでした」と言い、少しばかり憤慨した様子で両手に腰を当て、また唇を尖らせた。
「まったく。彼はなんかいつも怒ってて。フォローするぼくの身にもなって欲しいですよ」
やはり、ナチュラルからの差別はどこでも同じなのか。このような幼い少年たちの心にも深い憎しみの悔恨を残してしまっている……。
「ナチュラルとコーディネイター、どこへ行っても変わらないな……」
そんなジャンの思考を完全に無視して、キラは嬉しそうに笑みをこぼした。
「いえ、ぼく達二人ともコーディネイターなんです」
……開いた口が塞がらなかった。彼らはコーディネイター同士で憎み合っているのだろうか? いや、それならばこの少年の嬉しそうな表情はなんなのだろう。なんでこの少年はその彼を語るときこんなに嬉しそうにしているのだろう。ひょっとして、あの少年はただ単純に怒りっぽいだけなのだろうか?
ジェスが「すっげえ……!」と感嘆の声をあげた。
「『大天使』を護る双子の兄弟! こりゃほんとにすげえや! あーこれで俺にもモビルスーツがあればなあ……!」
元気良く悔しがっている彼にキラは照れながら
「あ、兄弟ってわけじゃなくて……でもやっぱりそう見られてるのかなぁっ」
とにやけた顔を作る。そんな彼らを尻目にはっと我に返ったジャンが慌てて聞き返す。
「で、ではあのアムロ・レイという男もコーディネーターということで良いのかな?」
そうだ、これならば……なんとか納得もいく。連合のコーディネイターが纏め上げている部隊だからこそ、この自分に対する和やかな雰囲気も――
「いえ、アムロさんはナチュラルです」
「な、なに?」
ジャンの頭はますます混乱した。連合の軍艦に、コーディネイターの双子? が乗っていて……この少年の様子を見るに、どうやら自分のような差別だとかそういうのはあまり見受けられないようだ。いや、それは良い。喜ばしいことだ。で、その部隊の戦闘隊長はナチュラル……いやいや、それも問題は無い。
というか連合の軍艦なのだから当然だろう。何も問題は無いのだ。それでそのナチュラルの男はコーディネイターの彼らに信頼されていて……まあ、先ほどの印象の通りならば信頼もされるだろう。
良い事だ。でもこの少年は同じコーディネイターの兄? なのか? に嫌われていて……いや、あれはただ怒りっぽいだけなのだろうか。……自分は今何を考えようとしているのだろう。どうやら完全に混乱してしまったようだ。
思考が全然まとまらない。こういうときは、ただ単純に感動しているジェスという男がうらやましく思えてくる。
キラは、「あ、そっか」と声を上げ、ジャンたちに目をやった。
「えーと、『メビウスの悪魔』って言ったほうが分かりやすいんでしょうか?」
「メ、メビ?――ってちょっと待てぇっ!」
今度はジェスが声を上げた。いや、ジャン自身もかなり驚いているのだが、早すぎる展開に思考が追いついていかない。当然『メビウスの悪魔』の名は知っている。恐らく今の地球連合で知らない者はいないだろう。だが、それは良い意味での知名度ではなく――。
ジェスはカメラを握りしめながら、震える声で問いただす。
「『メビウスの悪魔』ってのは……あ、あれだよな? モビルアーマーで、モビルスーツを十機だの二十機だのを落としたとか言う――」
キラはうーんとひとしきり考えてから、こくりと頷いた。
「はい、それくらいは落としてると思います」
「え? あー……ドッキリか? これはドッキリか? あのオカマが仕組んだ罠だったのか!?」
キョロキョロと辺りを見回しながら言う彼に、キラは呆れて首をかしげた。
「な、何言ってんですか?」
ジャンが深く息をついて、そして気を落ち着けて……もう一度深呼吸をしてから説明してやった。
「連合の間で、『メビウスの悪魔』という名が知られ始めてからな、キラ君」
「はい」
キラは、あいづちをうって次の言葉を待っている。
「――その存在を信じたものは、誰一人としていなかったのだ」
「ええー!?」
驚愕の声をあげたキラを見てジャン確信した。本当に実在したのか、と。
ハルバートンに拾われてここに派遣される前、部隊のとある小太りの兵士が言った。
『どう考えてもこれは無いだろ……』
その口調には呆れと落胆が入り混じっている。その隣にいる細身の男が言った。
『……どうよ、こういうの』
ジャンは何事かと、彼らが見つめるテレビモニターにやった、するとそこには――
〈たった一機の〝メビウス〟で、ザフトの〝ジン〟を蹴散らした『謎の英雄』が――〉
明らかに暗いニュースが多い中、美人ニュースキャスターが明るい笑みを浮かべてここぞとばかりに連合の戦果を持ち上げる――否、捏造するいつもの番組だった。だが今回ばかりは酷い。いくらなんでも馬鹿げている。
とくに『謎の英雄』の辺りがあまりにもチープだ。つまるところそれは、今まで連合軍に所属したことの無く、誰の目にも留まることもなく、それでいて連合の誰もが敵わなかった敵より遥かに強い謎の民間人、ということになる。
馬鹿げている。それだけは、そこにいたもの全てが共通して持った感想だったのだ。こんなものを放送しなければならないほどに連合の情勢は悪化していたのかとも思ったのだが……懲りずに幾度となく放送されたそれは半ば伝説となり、地球連合には謎のスーパーマンがいるなどという噂まで出てきたのだ。もちろん、皮肉が込められた笑い話としてであるが。
だが、やがてその話題の熱も冷め、今では『メビウスの悪魔』が上げる戦果の放送は冷ややかな視線を浴びるだけだった。番組では勝手に『白き流星』だなど存在しないヒーローに異名を作り上げていたのだが――。
ジャンは頭痛がしてきた頭を押さえながら力なく首を振った。
後ずさりしたジェスの背中が通路の壁に重なり、どさっと音を立てる。
「すっげぇ……。ここ、すげぇぜ! っていうかアイツがそうだったのかよ!? お、俺ちょっと格納庫戻ってくるわ!」
飛ぶように駆けて行く彼の背中を呆然と見送ろうとしていたジャンたちに、ふわりと天使のような声がかかった。
「まあ、お勤めご苦労様です、キラさま」
「あ、ラクス」
「何ィーッ!?」
奥でジェスが思いっきりすっ転んだ。強引に体をこちらに向けようとして足を滑らせたのだろう。なんだかもう驚きすぎて逆に冷静になってしまっているこの状況が恐ろしい。下手したらトラウマになってしまうかもしれない。だが辛うじて表情には出ていない。そのことに内心安心しつつも、ジャンは気づいた。背中が汗だくだ、と。
そういえば眼鏡も少し曇っている。それなりに高価だったのだが、ひょっとしてつかまされたのだろうか? そのうち買い換えなければならない。いやいや、曇るのははたして眼鏡が原因なのだろうか? そんなことよりさっさと当てられた部屋に行って、荷物の整理をしてシャワーを浴びたい。
「あら? お友達がいっぱい増えましたのですね! わたくし、嬉しいですわ~」
桃色の声がジャンを無理やり現実へと引き戻した。もう全身が汗だくだ。
キラは驚いた彼らを気にした様子も無く、二人を説明した。
「こちらの人がジャン・キャリーさん。奥で転んでる人がジェス・リブルさんだってさ」
「よろしくお願いいたしますわ、ジャンさま、ジェスさま」
ふわりと天使のような笑みを浮かべた彼女はとても可愛らしい。プラント一の歌姫と言われるだけのことはある。そう、彼女は〝プラント〟のアイドルなのだ。……ちなみにここは連合の軍艦である。
いったいなぜ……? 行方不明だとは聞いていたが、それがどうして地球連合が技術の粋を結成して作り上げた最新鋭艦〝アークエンジェル〟にいるのだろう。それに、どことなく楽しげだ。
――これはキラたちが知らないことであるが、実はラクス・クラインが連合の捕虜になったということを知るものは非常に少ない。連合の中にも彼女のファンはいるし、コーディネイターの戦士もいる。ラクスが捕らえられたと聞いたら、それらが一斉に反旗を翻すかもしれないという危険があったのだ。
仮にそこまでいかなくとも士気には必ず関わってくるだろう。ラクス・クラインという少女の魅力は、ナチュラルが想像している以上に根強い。
ジャンは気を落ち着ける暇も無く、とりあえず声をかけてみた。
「ラクス……クライン……さん?」
そうだ、まだ偽者だという可能性も残されている。他人の空似だってよくあることだ。まだまだそう慌てる必要も――
「はいっ。よろしくおねがいいたしますわ」
……本物だった。現実はこんなにも……こんなにも……なんだこれは。確かに間違いなく『現実は残酷』という言葉に当てはまる。……でもそういう残酷さであってほしくはなかった。
「しゅ、取材をー! インタビューをお願いします!」
そのままふわふわと微笑んでいるラクスに、ジェスがだっと駆け寄った。
「まあ、いけませんわ。ちゃんとマネージャーを通していただかないと……」
思わずジャンが聞き返す。
「マネージャー……い、いるのですか?」
ラクスは一度「あら?」と首を傾げてから、恥ずかしそうに自分の頭をこつんと小突き可愛らしい舌をちらりと出した。
「まあ、わたくしったら。今は捕虜なのを忘れていましたわ」
……どうやら私はとんでもないところに来てしまったようだ。桃色の空気が流れる中、ジャンは呆然となりながらも心の中でそうつぶやいた。
格納庫でトールとカガリに囲まれたフレイは、アムロに連れられて赤と青のモビルスーツの前にやってきていた。彼らを見てマードックが片方の眉とひょいと吊り上げる。
「こっちに嬢ちゃんを乗せようってんですか?」
「ああ。彼女には、〝デュエル〟よりもこっちの方が良いはずだ」
淡々と説明するアムロに、フレイがぎゅっと抱きついた。
「わたし、嫌です! 何でこんなのに乗らなきゃならないんですか!?」
アムロは泣きつく彼女を一度抱き寄せてから、声を落とす。
「――すまない。それにたぶんだが……このマシンなら君を護ってくれると感じた」
彼女は涙を拭おうともせずに「そんなの……」と吐き出すように言う。
マードックとしても、正直彼女には同情していた。キラのようにコーディネイターでもなければ、カナードやフラガのように正規の軍人でも無い。そしてカガリのような戦う意思すら持っていない……。こんな娘に戦わせようというナタルの気が知れない。
トールがきっと顔を上げて言った。
「あ、あの! 俺じゃ駄目ですか!」
健気な子だ。マードックは申し訳ない気分になってしまう。
アムロは彼の頭にぽんと手を置いてから、奥にたたずむ灰色の機体を見据えた。
「〝デュエル〟には僕が乗る。君には――」
「旦那が……じゃなかった、中尉がですかい?」
「ああ、すぐに訓練に取り掛かりたい。〝ダガー〟の方もね」
言われて、マードックは〝ダガー〟に目をやった。この機体にだけ、まるでどこか別の空間からすっぽりと切り分けられたような違和感を感じる。何故こんなものがここにあるのか、というかすかな疑念と直感。マードックの感じた『こんなもの』が、果たしてどういうものであるのかなどわかるはずも無く……。
そこまで考えてから彼は思い浮かんだいくつもの馬鹿げた絵空事を否定するようにして一度首を振り、アムロの問いに答える。
「OSの移植は完了してますが……大丈夫ですかね? 正直うちは中尉の〝スカイグラスパー〟のおかげで持ってるって言っても過言じゃあ無いと思うんですが」
それは彼の本心でもあった。ムウの腕も確かに凄い。だがモビルアーマーや戦闘機で二桁に及ぶほどのモビルスーツを圧倒できるのは、今まで出会ってきたパイロットの中でもアムロだけだ。それほどの実力を持った生粋の戦闘機乗りであるアムロが、突然モビルスーツに乗ったのでは、本来の力を発揮する事は出来ないはずだと踏んだのだ。
そんな彼の心配を察したのか、アムロは「慣れてみせるさ」と言ってからフレイにさっと目をやる。
「フレイ、訓練には僕が付き合うから、とりあえずは起動させてみてくれ」
まだフレイは何か言いたそうだったが、強く目をつぶってから震える声で「はい」と言い、寝かされた〝ダガー〟のコックピットに潜り込んだ。その動作はぎこちない。
「トール、カガリ。君達には〝スカイグラスパー〟に乗ってもらう」
二人が「ええ!?」と驚いた声を上げた。アムロが続ける。
「トール、君にはキラの〝ストライク〟とチームを組んでもらう」
そう言ってからさっとトールの側により、「彼のことを頼んだ」、と付け加えた。
トールは決意を決めたように、「……はい!」と言ってから力強く自分に充てられた機体へ駆けて行く。本当に友達思いの、良い少年なのだろう。
彼の背中を見送りながら、アムロはさっとカガリに耳打ちをする。
「――カガリ、フレイのことを頼む。仲良くしてやって欲しい」
突然言われたカガリは、「えっ?」と声を上げた。アムロの手が彼女の肩にぽんと置かれる。
「君にはフレイの〝ダガー〟とチームを組んでもらう。ストライカーパックも装備できるようだしね。――ハマナ、この子を頼む!」
新しく配備された〝スカイグラスパー〟の整備についていたハマナに向かってアムロが呼びかけた。彼に「さあ」と促され、カガリはしぶしぶと機体のところへ向かっていく。
それを見送ってから、アムロも〝デュエル〟に向かって歩き出した。彼の背中にマードックが声をかける。
「新型のストライカーはどうします!」
「後で良い! まずはモビルスーツの訓練を優先する!」
彼に充てられた機体の真下にまで来たアムロは〝デュエル〟を見上げ、見据える。『メビウスの悪魔』を前にした〝デュエル〟の姿からは、華奢な体躯から想像もできないほどの威圧感を感じられる。
マードックはごくりと唾を飲み込んだ。この男なら……モビルスーツだろうと扱えてしまいそうな気がするのだ。
艦内の案内が終わり、ようやく自分の部屋にたどり着くことができたジャンは、思い切りため息をついた。今日一日で出会ったことが多すぎる。流石に疲れた。
どうやら荷物も到着しているようで、安心した彼はベッドの上に腰を降ろした。そのまま横になって寝てしまおうかと思ったが、来客を告げるインターフォンが鳴ったのでそれは諦めた。
扉を開けると、そこには金髪の、整った顔立ちの男性が、持ち前の二枚目を台無しにしてしまいそうなほどの軽薄な笑みを浮かべ、へらへらとにやけていた。たしかこの男は――。
「これはムウ・ラ・フラガ少佐。本日付で――」
「ああ、そういうのは気にしないでいいぜ」
慌てて敬礼しようとしたジャンを片手で制し、彼はにっと口元を吊り上げた。
「どうだいこの艦は。面白いところだろ?」
ムウの表情からその質問の意味を読み取ろうとしたが、それは適わなかった。ジャンは正直な感想を口にした。
「それは――ええ。正直驚きの連続でした」
「はっはっは。ま、そうだろうなあ」
そう言ったムウの表情は楽しげだ。ジャンも釣られて笑みをこぼしそうになるが、彼の表情が急に引き締まったのを見てそれは止めにした。
「――知ってるぜ、お前さんのことは」
そう言った男の目は……知らない目つきだ。敵意とも侮蔑とも違う視線。まるでどこか遠くを見据えているような――。彼が続ける。
「なあ、〝不殺〟っての、やめる気はないか?」
唐突にムウが言った。
それは幾度となく言われてきた言葉だった。だが、相手から感じる雰囲気は、今までのそれとは違う。彼の真意が読めない――。
「……理由を伺ってもよろしいでしょうか?」
ジャンが慎重に聞いた。
「いやなに。お前さん、ずっと一人で戦ってきたんだろ?」
そう、ジャンはいつも一人だった。たった一人で最前線に投げ出され、戦意を失った敵を後方にいる味方が撃ち滅ぼす。いつものことだ。
「でもこれからは違う。お前さんは一人じゃなくなるんだ」
そう言うムウの視線は厳しい。ジャンは黙って言葉の続きを待った。
「俺なんかより一回りも二回りも年上のお前さんだ。当然譲れないもんがあるってことはわかってるさ。でもよ――」
ジャンはそこまで聞いて確信した。この男もまたアムロ・レイと同じように、今まで出会ってきた連合兵士とは全く違う人間なのだと。
「見ての通り、この艦には子供が乗っている。パイロットだって……できるって理由だけでやらされてんだ」
それは悲しい事だ。同時に許しがたいものでもある。何としても彼らを護らなければ――
「あいつらを護ろうって思うんならよ。ためらわずに撃ってくれ」
自分の心を読んだかのような言葉に、ジャンはぎょっとした。
「で、ですが……」
「あの坊主どもには――特に穣ちゃんには、敵を殺さずに倒す腕なんてないぜ」
もうムウの顔には、先ほどのような軽薄な笑みは浮かんでいない。
「ですが! だからと言って殺す必要があるのでしょうか?」
それこそが、ジャンの〝不殺主義〟の真髄だ。奪う必要の無い命を刈り取るなど、それは虐殺でしかない。
「いや、あるね」
ムウがさらりと言った。
「なぜ!?」
「簡単なことさ。俺たちは大人で、その力がある」
だが、力を好きに振舞ってしまえば、それはただの――
「……あの坊主達を守る為に使う力は、本当に暴力と呼べるものなのか?」
――まただ。この男は自分の心の内を読んだように言葉を発する。これが……空間認識能力というものなのだろうか? いや、そんなはずはない。空間認識能力ならば自分だって持っている。ただ、〝ガンバレル〟適性が無かっただけなのだ。
「さっきも言ったように、坊主達に〝不殺〟をやり遂げる実力なんてない。だが……キラっていうやつは、お前さんのやり方を聞いたら真似をするかもしれないぜ。それが仲間達にどれだけ危険を与えることかもわからずにな」
ムウの声色が、険しいものに変わった。――仲間。そういえばそんなもの手に入れたことがなかった。今思えば周りにいた連合兵もまた、敵だったのかもしれない。
「俺はお前さんの撃ち漏らした敵に後ろから撃たれるのはごめんだ。もしも坊主や穣ちゃんたちがそんなことになったら、俺はお前を許さん」
そう言った彼は、もう軽薄な雰囲気は全く無かった。今目の前にいるのは間違いなく連合のエース『エンデュミオンの鷹』その人である。
「〝不殺主義〟、大層なもんじゃないか。そういうのは嫌いじゃ無いぜ? でもよ、所詮は綺麗事だ」
「……綺麗事は、いけないことなのですか」
ジャンは思わずつぶやいた。血で汚れた戦争の中で、綺麗なままの何かがあるということは素晴らしいことのはずだ。殺さずに勝利する、こんなにも素晴らしいことがあるだろうか? 誰の命も奪わずに――。
「だからよ、俺はこう言ってんだ。『あの坊主達の代わりにお前さんの手を血で汚してくれないか』ってな」
あの坊主達――キラのことだろう。いや、その中にはカナードという少年も入っているのかもしれない。
ジャンははっと思い当たった。そうだ、あの子たちは今まで人を殺していたのだ。恐らくはできるからというだけで、無理やり戦場に立たされて……。いや、ひょっとしたら自分から――?
「友達を守るため、だとよ」
一度、あの優しそうな少年の顔が脳裏に浮かぶ。ジャンはようやく思い当たった。彼の幸せそうな笑顔に奥には、そんな苦労が隠されていたのだ。その思いがあるからこそ――。ムウが少しだけ表情を緩めて言った。
「あいつらの為にさ、お前さんのやりたいことを諦めちゃくんねえかな?」
ジャンは……憎しみの連鎖を断ち切りたかった。人を殺せばその家族が、友が、恋人が相手を憎むだろう。力を持つ者ならば、復讐にも――。殺したから殺されて、殺されたから殺して、それで最後には何が残るのだ……。ジャンはまた深い思考の中に落ちていった。
ムウがふっと緊張を解いた。
「ま、考えといてくれ」
彼が来たままの軽薄な笑みを取り戻して部屋を後にしようと扉の前へ歩き出す。ジャンは思わずその背中に声をかけた。
「少佐は……なぜそのようなことを私に?」
気になった。単純な興味として、あの少年達をここまで気にかけるこの男のことが。
「いやなに、あの坊主たちの事で四苦八苦してる戦闘隊長殿を見てりゃ、俺も一肌脱ごうって気分なるもんさ」
あの戦闘隊長――アムロ・レイ。どうやら彼は本当に子供達のことを考えているようだ。
ここは『違う』、ジャンはそう感じた。ここは今まで見てきたどんな場所とも、どんな戦場とも、どんな部隊とも『違う』。これこそが、自分の求めていた世界なのではないだろうか? ナチュラルもコーディネイターも関係無い、あるのは人として、大人として大切な存在を守ろうとする意思だけだ。
ムウが「それじゃな」と言ってだらだらと通路の奥へと消えていった。ジャンは敬礼するの忘れた事を後悔したが、相手は全く気にしていないようだ。思わず彼は苦笑した。
そのままジャンは部屋を出て、何かに取り付かれたかのように歩き続けた。もうシャワーを浴びる気にはなれなかったし、このまま寝てしまうのも惜しい気がしたのだ。ただ、今は、今あった出来事の事を考えていたい。
ふらふらと、どれくらい歩いただろうか? 食堂の前に差し掛かったとき、会話の内容が漏れ聞こえてきた。
「――それでは最後の質問です」
この声はジェスの声だ。どうやら本当にジャーナリストだったようだ。そして相手は――。
「わかりましたわ。どんな質問でしょう?」
ラクス・クライン。プラントの歌姫……。未だに信じられないが、そこにいるのだから信じるより他はない。
ジェスが続ける。
「この艦のことをどう思いますか?」
「……どう、とは?」
おかしな質問をする男だ。ジャンは悪いとは思いつつ、聞き耳を立てた。
「好きか嫌いかってこと」
……本当におかしな男だ。この艦にはこんなのが集まっているのだろうか? だとしたら……数奇な運命だ。
ラクスが幸せそうに言った。
「わたくし、プラントに戻りたいという気持ちも確かにありますわ――」
当然だろう、彼女はコーディネイターで、それと敵対している地球連合の艦なのだから。
「でも、ここにいる方たちのことは、みんな大好きです」
ジャンは思わず息を呑んだ。そのまま次の言葉を待つ。ひょっとしたら、この少女が自分の答えを出してくれるかもしれない、そんな淡い期待を抱いて――。
「その為にザフトの方達が命を散らすのは、悲しいことです……」
ラクスが悲しげに言った。わかっている。聞きたいのはその先なのだ。
「それでも、わたくしにはここの方達に、『戦いを止めてくれ』と言うわけにはいきません」
――それはなぜ?
「彼らもまた、わたくしと同じ想いを持っているから――」
同じ、想い……。それこそが、仲間というものなのだろうか。
「でも彼らは戦うのです。わたくしたちのために、自ら人殺しの汚名を被りながらも」
これが、ジャンへの決定打となった。ラクスが続ける。
「人一人の力で、世界を変えることなどできませんわ。だから彼らは、せめて目の前にいる人たちだけでも守ろうと、必死に銃を取るのです」
彼女の声は悲しげだが、どこか遠くへ想いを馳せるかのようだった。
「わたくしには、そんな彼らを慰めてあげることくらいしかできないのです……」
ならば、戦う力を持つ自分の役目は――。彼女が続ける。
「ですから……ジェス様。わたくしはこの艦とこの艦にいる方達の事は、〝プラント〟にいる方達と同じくらい――」
やけに耳に残る、優しい素敵な声だった。
半ば無理やりに〝ダガー〟のコックピットに押し込められたフレイだったが、今では不思議と落ち着いていた。コクピットシートの座り心地は〝デュエル〟などとは比べ物にならないほど柔らかく、優しく包み込んでくれるように感じることができる。クッションから何まで、材質から違うようだ。
そのコクピットは不自然なほど広いのだが、パイロットシートの後には見たことの無いような機材で埋まっているため、自分が動ける範囲の広さは〝デュエル〟と変わらないようだ。
ふと、そのシートの後にある機材の奥の方に光るものを見つけた。たくさんのパイプ状のものが入り乱れたそれは、脳みそにも似ていて不気味である。だが今は好奇心が優先された。彼女はシートから立ち上がり隙間に体を挟めながら手を伸ばす。かなり奥の方に挟まっているため中々届かない……。
宝物を見つけた子供のように夢中になって、彼女はひたすら手を伸ばした。指の先がチェーンのようなものに触れたが、二回、三回と空を切る。そして、ようやく手が届いた。彼女は顔を綻ばせてそれをさっと引き抜く。
――それは、黒焦げのロケットだった。
「……なに、これ?」
かちかちと、丸みを帯びた部分――本来なら写真が入れられている部分だ――を弄っていると、蓋にあたる箇所がぱかっと開いた。
その中身に彼女ははっと目を見開く。外観同様に黒こげだろうと思っていたそこに入っていたのは――
「綺麗な人……」
中に入っていた写真の状態は、綺麗だった。明らかに不自然なほど……。映っていたのは、金髪を肩の辺りで切りそろえ優しげに微笑む可愛らしい少女だ。
写真の中の少女に微笑みかかけられたフレイはしばらくそれに見惚れていた。ふと彼女は思う。自分はこれまで、こんなに素敵な笑みを浮かべたことがあっただろうか――。……無い。悲しい事に彼女はそう断言する事ができた。
――今日はフレイの五歳の誕生日。この日だけは、いつも小うるさいお髭の執事長も、少しばかりお姉さん面をする、まだ九歳になったばかりのメイド見習いもここにはいない。父と、母と、自分と。三人の家族だけで迎える幸せな誕生日。まだ母は帰って来ない。でも寂しくなどなかった。
四歳の誕生日の時のように、母は笑顔で帰ってきてくれるのだ。プレゼントを山ほど抱えて……。ほら、きっともうすぐ――。
その日、母は帰らぬ人になった。
父と誰かが緊迫した様子で話していた内容は今でも覚えている。
『……今頃になって、何をしようと言うのだ……』
父は普段の様子からは想像もできないほど冷たく暗い口調で言った。傍らにいた金髪の男が声を荒げた。
『だから言ったでしょう、止めておけと。……僕は、ちゃんと反対したんですヨ』
どこか人を舐めたような口調だが、その声色には苦渋と強い苛立ちが滲み出ている。彼がそのままの声色で続けた。
『ああいう人ですら、殺されるんです。……コーディネイターになんか関わるから……!』
父は更に表情を落とした。先ほどの男は一度舌打ちをして、今度は少しだけ真面目な口調で言った。
『もう愛想が尽きました――僕は僕なりのやり方でやらせてもらいマス』
『だ、だがそれでは!』
扉を開けて出て行く男を、父は慌てて引きとめようとした。
――そこから先は、よく覚えていない。だが……。金髪の男が言った〝コーディネイター〟という言葉は、自分の中に焼きついたのだ。
母に何があったのかはわからない。覚えているのは――優しい笑顔とほんのちょっぴり気の強い性格。フレイの中にいる母の姿は、それだけだった。
父はいつでも優しかった。フレイが寂しくないようにと、紳士的な執事に加えて、自分と近い年齢のメイド見習いをフレイの世話係にしてくれたのだ。それに、欲しいものは何でも買ってくれた。でも――。
父は家にいる事が滅多に無かった。彼は世界中を飛び回り、あらゆる人を救うために尽力を尽くしていたのだ。もちろんその中には〝コーディネイター〟も含まれている。
〝ブルーコスモス〟のテロが起きればその原因を突き止めに行ったし、戦争が起きないように幾度と無く〝プラント〟へ赴いた。偶に帰ってきたと思えば、父は疲れきったような表情で……。それでも、フレイの顔を見ると嬉しそうに笑みをこぼし、言ってくれたのだ。『やあフレイ。良い子にしていたかな?』と。
それがたまらなく嫌だった。――父を苦しめているコーディネイターは、それ以上に……。
大好きな父に自分だけを見て欲しかった。母を奪ったコーディネイターなんかの為に必死で走り回り、その所為で自分を見てもらえないのが許せなかった。
七歳の誕生日を終えた夜、ふと目が覚めたフレイは導かれるまま広間へと差し掛かった。そこからは灯りが漏れている。ドアの隙間から覗いた先には、父がいた。父は……自分にみせたこと無いほど悲しい顔をして、母親の写真に語りかけていた。
もう、コーディネイターの事は大嫌いになっていた。
〝ヘリオポリス〟の僚で暮らすようになってから、彼女はテニスサークルに入った。いつの日か、父が自分の試合に駆けつけてくれる事を夢見て、必死に練習をした。大好きなパパの前で無様な姿を見せるわけにはいかなかったから。活躍している姿を見せたかったから――。
父は、一度も来なかった。
それでも、クリスマスにはどんな理由があろうと必ずプレゼントを山ほど抱えて会いにきてくれたのを今でも覚えている。とても、嬉しかった。だが――
C.E.70 四月一日、それは起こった。
〝エイプリル・フール・クライシス〟――。ザフトは地球全土に、核分裂を抑制させる効果を持つニュートロンジャマーというものを地中深くに撃ちこんだ。
そして核分裂炉の原子力発電をエネルギー供給の主としていた地球上の各国家はそれが使用できなくなったために地球全土で深刻なエネルギー不足が問題に陥り、地球の総人口の一割近くに相当すると言われるほどの餓死者、凍死者出した。
ある国では、重要な施設――病院にすらエネルギーが行き渡らなくなり、多数の患者が死亡した。ある国では、同時期に巨大な大地震が起こり、押し寄せた津波に全てを持っていかれた。人名の救助すらできず、老人も、子供も、赤子も、男も、女も、全てが平等に土と瓦礫に呑みこまれたまま何ヶ月も放置されたのだ。
ある国では、電力をめぐって内乱が起きた。一部の地域への独占や横領に不満を募らせた国民が軍隊と衝突し、やがてその国は焦土と化し、地図から名を消した。地球は、地獄となったのだ。
優しい父はまた立ち上がった。世界中のナチュラルと、そして地球に住むコーディネイターたちの為に世界中を飛び回ったのだ。
その年のクリスマス、父は来てくれなかった。
〝エイプリル・フール・クライシス〟から八ヶ月立っていたにも関わらず、来てくれなかったのだ。余程の激務なのだろうという事は容易に想像がついた。
それほどまでにも人々の為、世界の為にと戦い続けた父だったが――、ついにあの日、自分の元へ駆けつけてくれた。〝アークエンジェル〟の艦橋で見た父の姿がどれだけ愛おしかったか――。嬉しかった、自分のために駆けつけてくれたことが本当に嬉しかった。
その日、父は死んだ。彼女の目の前で……。
力が無いのが悔しかった。大切な父のために何一つできなかったのが悲しかった。あの時自分に力があれば、全てを守りきることができたのだろうか? コーディネイターに殺された母を守ることができたのだろうか?
……無理だろう。彼女の冷静な部分がそう告げた。
アムロ・レイはとてつもなく強い。優しい彼は、紛れもなく力を持っている。その力は他の誰をも寄せ付けない圧倒的なものだ。コーディネイターのキラ・ヤマトもまた、戦える力を持っていた。彼は――最後まで、父の為に……。その結果キラは重症を負った。
これだけの力が揃っていたのに、守れなかったのだ。想いだけでも、力だけでも、そしてその両方を持っていたとしても……。
初めてできたコーディネイターの友達――ラクス・クライン。死ぬ間際の父は、そのことをとても喜んでくれた。今まさにコーディネイターに殺される瞬間だったというのに、そのコーディネイターと友達になれたフレイのことを。
ムウ・ラ・フラガが、あれはクルーゼ隊だと言っていた。白は隊長機の証だと言う事くらい〝アークエンジェル〟の艦橋に入ってから学んでいる。ならば、あの機体に乗っていたのがラウ・ル・クルーゼなのだろう……。
仮面の男が父を撃つ光景を今でも夢に見る。いや、夢にではない――確かにあの時見たのだ。〝シグー〟がマシンガンを撃つ瞬間、モビルスーツのコクピットに座る仮面の男が、ぞっとするほどの冷たい声で、父と――母の名を呼んだのを。
ザフトの名パイロット『仮面の男』……。それが何故母の名を知っていたのだろう。何故、撃った後にあんな悲しそうな表情をしたのだろう。それに仮面の下のその顔は、どこかで見た記憶が――
――それを知りたい。そう思った。
ふいに、アムロから通信が入った。
〈フレイ、何かわからないことはあるかい?〉
優しい人だ、とフレイは思う。いつも自分の事を気にかけてくれる、パパの次に素敵な人。
「……はい。少しだけ頑張ってみます」
モニターの中のアムロがほんの少し驚いた表情をした。
〈……すまない。――キラも君の事を気にかけていたようだ。後で礼を言っておくといい〉
そういえば彼も自分の友達だったかもしれないと思い出し、少し暖かい気持ちになった。彼女は黒焦げのロケットをパイロットスーツのポケットにしまい――そこには『お守り』も入っている――前を見据えた。
素敵な贈り物をしてくれた神様に感謝しつつ、彼女は端末を不慣れな手つきでいじり機体を起動させていく。モニターに浮かび上がった赤い文字列が飛び込んできた。
―ーGeneral Unilateral Neuro‐Link Dispersive Autonomic Maneuver
フレイの目は、モニターに輝く頭文字を拾い上げていた。
「……ガン……ダム?」
同じく文字を視線で読み取った彼が、何かに思いを馳せるような、悲しみと絶望を押し殺すような、そんな表情をわずかに浮かべ視線を落とした。心配になったフレイは思わず声をかける。
「……アムロさん?」
彼ははっと我に返り、いつもの優しい口調で言った。
〈……いや、何でもない。起動はできたかい?〉
「あ、はい」
命を吹き込まれたかのように〝ダガー〟のバイザーに青い光が灯り、奥に隠された双眼《デュアルアイ》が一瞬強く輝く。ゆったりとベッドから立ち上がり、力強く駆動音を上げる。その駆動音は、獣の喉から発せられる呻き声のようだ。
またあの時の歌が、聞こえたようなきがした。