CCA-Seed_◆ygwcelWgUJa8氏_37

Last-modified: 2013-01-04 (金) 12:51:57

 概ね、人の善意とは正当さを欠いたものであり、それが愛する人に向けられているものならば尚更だ。良かれと思ってやった行動の中に、自分のエゴが入り交ざり、それは必ずしも最良の結果を生むとは限らない。
 即ち、フレイ・アルスターは自己のエゴを正当化していた。
 提案者は、カナード・パルス。それにサイが乗り、あの時あの場でフレイは聞かされたのだ。
 〝メンデル〟のという施設の『可能性』を。研究者達の狂気を。
 それは、悪魔の取引であったのかもしれない。
 だが、迷う事無く彼女はそれに応じた。愛した人を救いたい、その一心で。そこに、彼女のエゴがあった。フレイは彼を救いたいと心から思っていたが、それは所謂『無償の愛』などといった高尚なものではなく、代価を求める『恋心』と『欲望』からの行動である。
フレイは、キラの肌の質感を愛したのだ。あの滑らかな指で、触れられたいと、その手を握りたいと、抱きしめたいと、愛して欲しいと。
 大衆は善意では動かない。原動力にこそなれど、それを持続させる為にはそれぞれの得というものが必要だ。もしも得無くして何かをし続ける事が出来るのだとしたら、よほどの夢想家か、革命家か、もしくはただの考え無しである。
 だから、人を動かすには理由が必要だった。
 アーガイル財団は、更なる医療の発展、病気で苦しむ人々の救済の可能性、四肢を失った者達への新たな体。
 アルスター不動産は、アーガイル財団のこれから成す偉業、もしくは人類の禁忌への先行投資。
 スーパーコーディネイターを創り出した悪魔の所業を、彼らはその少年を救うために、引き継いだのだ。
 そして、再びパンドラの箱が開かれる。
 だが、最後の一押しが必要であった。
 それが、ムルタ・アズラエルと言う邪魔者をどうするか、である。
 カズイから興味深いことを聞いた。アズラエルは見ての通りあの艦橋《ブリッジ》で無警戒だ。小言や嫌味、自慢話の中で、彼が目敏く聞きつけた一つの情報がある。 
 ムルタ・アズラエルと彼の父、ブルーノ・アズラエルとの関係だ。
 曰く、社の存続の為ならば親と子の情などは簡単に切り捨てる事ができる、だそうだ。どこまでが本当なのかはわからなかったが、結果的には藁にも縋る思いで、彼女はブルーノに連絡を取ったのだ。無論一人でではない。その場にはカナードも、サイも、カズイもいた。全員で、ブルーノと戦うつもりだったのだ。
 今にして思えば、老練な経営者に対して浅はかだったとは思う。だが、予想に反してブルーノは協力的であった。理由はわからない。ただの酔狂か、息子に対しての嫌味か、もしくは全く別の理由か。
 
 結果として、アルスター家はアズラエル社に対して何もしていない。
 ブルーノが、彼の息のかかった役員を通じ、短期間であるがムルタ・アズラエルの孤立の為に協力してくれた。
 複数のメディアにも嘘を報道『させた』。簡単に買われる使い捨ての自称学者などいくらでもいる。
 そして、ムルタ・アズラエルはたった一人で〝ドミニオン〟に乗艦しているのだ。彼さえ、騙すことができればそれで良い。ほんのちょっぴりでも不安にさせる事ができるのなら、それだけで良いのだ。
 世間からの孤立が、情報の制限が、そして父という存在が彼の判断を誤らせた。それは、ブルーノの筋書き通りであった。アズラエルらは何らかの経営団体(詳細は教えてくれなかったが)に所属しているようで、彼もまた用済みになれば途端に『消される側』に回ってしまうのだと言う。
しかし、フレイはブルーノの言葉の全てを信じているわけでは無い。彼の言葉のどこかに、嘘をついているような雰囲気を感じたからだ。そしてフレイはその直感により幾度も命を救われてきた経験から、その感じた事を肯定している。
それでも、フレイは表面上はブルーノの指示に従ったのは、彼らへの興味など微塵も無いからだ。目的の為には、あらゆるものを利用させてもらう。
 これは賭けだ。わたしの浅知恵と、お前の重ねた悪行と、どっちが勝つかの。
 そして、フレイは賭けに勝った。
 今頃は、地球の報道機関が頭を下げている頃だろう。誰を雇ったのかはわからない、名前も性別も年齢も知らないが、あの学者達は二度と世に出れないだろう。だが、そんな事は知った事では無い。道端に転がる小石よりも価値の無い塵だ。
 もうムルタ・アズラエルは気づいた頃だろうか。彼はどんな顔をしているだろう。ふふ、馬鹿なやつ、もう遅いのよ。わたしは既に、ここにいる。この〝メンデル〟にキラを連れて来た。
 このわたしが。
 あの時、お前が〝ドミニオン〟を〝メンデル〟に向ける許可を出した時点で、わたしの勝ちは決まっていたんだ。
 サイの善意も、カナードの罪悪感も、何もかもを利用してフレイは目的を成し遂げようとしている。全てを捨てても良い、もう一度彼の指に触れたい。今度こそちゃんと、その両腕で抱きしめて欲しい。温もりが欲しい。それだけの為に。
 それは論理ではなく激情であった。理不尽に対する理不尽である。
 あらゆる嘘、虚構で塗り固め、今日、この瞬間の為だけにフレイは行動してきた。家の信頼? 人類の禁忌? 悲劇? 知った事か。
 もう二度と、わたしの世界を壊させはしない。
 だから、フレイは目の前にちらつかされた希望に、一時とはいえ多くの友人の事を忘れた。地球のカガリの事も、ラクスの事も見えなかったのだ。それはもうじき十六になろうとしている少女にとってはごく普通の思考であり、恋焦がれた人からの便りを待ち続ける女のそれであろうから、責める事はできない。
 
 それでも、医師の一団に同行を申し出、実際に自分でその地獄の情景を目にしようとしたのは賞賛に値する事だろう。
 医師団に混ざってフレイが足を踏み入れたのは、巨大な円筒形の建造物だった。大半がアーガイル財団の者達だとは言っても、所詮は末端の人間だ。この中の誰かが新たな悲劇を生み出すかもしれない。
 フレイは何も言わなかった。自分の事を棚に上げて、彼らを軽蔑しただけだ。
 エントランスホールらしき部屋の前で足を止めて中を窺った。円形のホールに人影は無く、しんと静まり返っている。医師の誰かが「おお」と感嘆の声を漏らす。フレイはきょろきょろと目を配りながら、どんどん先に進んでいく医師達の後を追いホールに歩み出た。
そこは吹き抜けになっていて、天井から外光が取り入られ、照明が無くても周囲の様子は見て取れた。中央に太いシャフトのような円柱がそびえ、柱の周囲を螺旋型にモチーフがめぐっている。
 医師達が階段を上るとフレイもそれを追った。
 通路をたどり、吹き抜け部分に渡されたブリッジをわたりきる。
 更に施設の奥を目指す。
 禁断の聖域、神を気取った、愚か者達の夢の跡。
 フレイは、別れ際のラウの言葉を思い出していた。
 
 『元々は、母体に左右されない完璧なコーディネイターを作るための研究施設だった。同時に遺伝子の謎を解明し、産まれ出たナチュラルからコーディネイターへ、そしてその逆すらも可能とすべく、多くの愚か者達が集った――』
 
 彼がレイや自分の素性を教えてくれた後、〝プロヴィデンス〟に乗り込む間際に告げられた真実。
 フレイもまた、その愚か者の一人なろうとしている。
 ふん、と鼻をならし、構うものかと心の中で吐き捨てる。どれだけ汚れても、わたしはキラと一緒にいたいから。
 やがて吹き抜けの手前のドアに差し掛かり、フレイはそこで歩みを止めた。ドア脇のプレートには
 ――BL4+ HUMANGENE
    MANIPULATION LAB
 と刻まれている。
 
 『研究は難航した……。所詮は夢物語、次第に人は離れ、研究資金は底を尽きかけていった』
 
 医師達が扉をくぐる。中には異様な光景が広がっていた。フレイは思わず息を呑む。
 部屋の床はなにか青い液体をたたえた、おそらく冷却槽になっており、直径百五十センチほどの竈《かまど》のような装置が一ダースほど浸かっていた。装置の上にはずらりとモニターが並び、どうやら装置の状態を随時モニタリングするもののようだ。その装置は施設が閉鎖された今も生きているらしく、モニター上ではフレイには理解できない 文字や数値が流れ、なにか――胎児のような映像が映し出されている。
  『そんな時だった――とある愚か者が現れたのは……。己の死すらも金で買えると思い上がったその愚か者は、自分以外の全てを否定し、自分という存在を残すべくここに足を踏み入れた』
 
 冷却槽の中央には十字に通路が設けられ、奥の部屋へと続いていた。棚にはガラス瓶がいくつも並び、中には標本が浮かんでいる。フレイはそれがヒトの胎児のものであることに気づく。
 
 「――素晴らしい」
 
 医師のうちの誰かがそういった。
 別の女性医師が胎児の標本を悲しげに見つめる。
 
 『アル・ダ・フラガ――。それが、その愚か者の名だ』
 
 再び静かな足取りで彼女達は歩みだす。
 
 『最も最初に作られた、言わばファーストクローンと呼べるそれを、研究者達はファーストコーディネイターから肖り、ジョージと名づけ、その成長を見守る――はずだった』
 
 彼女達が歩みを止めると、再びドアに差し掛かった。ドア横のプレートには、『Prof.Ulen Hibiki M.D.,Ph.D.』と刻まれている。
 
 『アル・ダ・フラガが、それを許さなかった』
 
 ソファの横に写真立てが転がっている。そこには二人の赤ん坊を抱いた若い女性が映り、フレイはその女性の顔を見る。そこに映っていたのは――
 
 『ジョージは産まれて間もなく、人為的に肉体を青年のものへと成長させられた。――その結果どうなったと思う? 言葉も喋れず、歩けもしない、若干二十歳を超えた赤子の誕生だよ。すぐにそれは失敗だったとわかったさ、骨と皮しか無い大人の赤子などで、あの男が納得するはずもないのだから』
 
 ――かつて、フレイの屋敷にあった写真に、彼女の父母と親しげに映っていた女性。キラ達の母。
 
 『そして、『私』が作られた。ジョージのような失敗を犯さないよう、万全を喫して――』
 
 ここが、彼を創った男――ユーレン・ヒビキの……。
 
 『ヤツの残した闇の残り香は、ある研究者を狂気に走らせた』
 
 好きな男の父親の部屋といっても、フレイは何の感情も沸き上がらなかった。ただ、無感動のまま、資料の物色を始める医師を冷めた目で見据えていた。
 
 『最初は、ただこの研究を無駄にさせたくない――それだけだったのかもしれない。だが、一つの幸運と不幸が同時に訪れた』
 
 フレイは小さくふんと鼻をならし、壁に背を預け寄りかかった。
 遅れてやってきたカナードが部屋の前に差し掛かり、フレイに声をかける。
 
 「アルスター、どうした?」
 「……別に。あんたも見てったら? ここ、ユーレンって人のいたとこなんだってさ」
 
 カナードがすっと目を細める。彼は短く「そうか」と返し、医師達の興奮した様子に冷ややかな視線を送る。
 
 「メリオルさん、どう?」
 
 あえてフレイは彼の感じているであろう様々な感傷を無視して口を開いた。カナードが視線を落とす。
 
 「……命に別状は無いよ。お蔭様で、な」
 
 フレイは少しカナードの事を嫌いになっていた。わたしの男をよくも、という憎悪に近い感情が沸きつつあった。それはメリオル・ピスティスに対しても同じことだ。もしも、もしもあの子がこのまま帰ってこなかったら、お前達も道連れにしてやる。絶対に、許さない。
 
 「すまない、もう行くよ」
 
 カナードが足早に部屋を去る。その背中を視界に入れながら、ラウの言葉を思い出す。
 
 『〝SEED因子〟――それが果たして、本当にそう呼ばれるものなのかなど、誰にもわかりはしない。だが、人の脳にある〝たが〟を外す事のできる――リミッターのようなものを、ユーレン・ヒビキは我が子の中に見つけたのだ』
 
 別の医師団が、ユーレンの部屋を通り過ぎ奥へと進む。その足音はまばらで不愉快だ。
 
 『その特別な『何か』を、ユーレンはジョージと私で培ったクローン技術で複製させるために動き出した』
 
 思い出しながら、フレイは無機質な天井を仰ぎ見、目を閉じた。
 
 『『まず初めに』、ユーレン・ヒビキはその因子を宿した己が『娘』の複製から始めた』
 
 これで良い。たとえこの後どのような悲劇が生まれようとも、何が創られようとも――
 
 『彼女――カガリ・ヒビキこそが……彼女だけが、ユーレンとヴィアの間に宿ったたった一つの命――キラ・ヒビキなど、最初から存在していなかったのだよ……。カガリこそが、ただ一つのオリジナル……。だが、ユーレンはカガリの受精卵を複製し、男と女、様々なパターンを作り出した』
 
 ――わたしだけ不幸なのは嫌。
 ふふ、と乾いた笑いが口元から漏れる。
 誰であろうと、邪魔はさせない。
 わたしだけの世界。
 もう二度と、誰にも……。
 
 
 
 
PHASE-37 ボアズ攻略戦
 
 
 
 
 一週間が過ぎた。
 結果として、それはそこにあった。
 いくつもの、標本として。
 年齢ごとに。
 性別ごとに。
 それらは『保存』されていた。
 最も相応しい対象から、切り取り、埋め込み、活性化させ、命の輝きを宿し、まるでモビルスーツを修理するかのように、それはキラ・ヤマトの肉体の一部となる。
 闇の所業。
 その気になれば、脳以外のあらゆる『パーツ』を入れ替える事すらも出来るだろう。そこに、本人の意思など無い。
 それでも、カナードが口を挟めなかったのは、奇跡的にメリオルが意識を取り戻し、当時の記憶を保ったままであったからだ。心配されていた精神汚染も見受けられず、彼女は今、〝ドミニオン〟の副長に復帰する為に検査を受けている。
 カナードは確かに見た。ほんの一瞬、フレイの瞳に明確な負の感情が宿ったのを。かつて自分が彼に抱いていたものと同じ感情……。それは、『どうしてお前なんだ』と言う理不尽に対する理不尽な憎悪。
 じゃあ、一体どうすれば良かったんだ……。カナードは少しばかり心と体に疲労を覚え、〝ハイペリオン〟のコクピットシートに背中を預けると、ぎしとシートが沈み、わずかに擦れ漏れた音は歪んだ心が漏らした悲鳴のようにさえ思えた。
 アズラエルの実父、ブルーノ・アズラエルは急死したそうだ。病死だとは聞いていた。無論カナードはそれを疑ったが、アズラエルの慌てた様子からして、どうやら本当に病死らしい。少なくとも、アズラエルが手を下したわけでは無さそうだ。アズラエルはその件に関して独自に調査を進めているらしい。
 報道番組で虚偽の発言をしたとして、ある学者は非難の声を浴びせられ、耐え切れずに自殺したそうだ。年齢は三十代半ばの、妻子の居る男性だと聞いている。
 無論、カナード達は戦争をしているのだし、ましてやモビルスーツのパイロットなのだから、今まで撃った敵にも当然家族や恋人はいただろう。しかし、そう言う事を言っているのでは無い。
 カナードも、キラも、トールも、人を撃つと言う事を理解し、一種の覚悟を決めた上で戦っている。
 だが、彼女は違う。
 それは、無自覚な悪意。
 彼女にとっては、自分に概ね関係の無い命は、ドラマのエキストラの一人であったり、ゲームで無限に沸いてくるノンプレイヤーキャラクターであったり、あるいは道端の小石であったり――即ち、無価値に映っているのかもしれない。
 危ういな、と口の中でつぶやいてから、カナードはそのまま力なく天を仰いだ。
 ……言い出せない事が、一つだけある。
 ナタルも、メリオルも、トールやカズイ、サイ、アムロだって、今〝デュエル〟の整備に取り掛かっているマードックだって知っている。
 フレイだけが、知らない。
 キラの肉体は、恐らくは完治と言えるかもしれない。拒絶反応の心配は、カナードはしていなかった。紛れもない『本人』のそれを移植したのだから。が、キラに移植されたと言う事は、それの元にはその分が無いということになる。その残骸がどうなったのかは、カナードは知らない。知りたくも無い。
 多少肌の色が違うのは、一切日の光や外気に晒されていなかったからだろう。病的なまでに真っ白な新しい左腕と左足。歩くための筋肉も育っていない。
 が、それは想定されていたことだ。
 問題は――
 
 
 
 それは、いつもの日課であった。
 フレイは〝ナイチンゲール〟の訓練を終え、セレーネらの事務的な会話に答え、シャワーを浴びて、キラの医務室へと足を運ぶ。鳥型ペットロボのトリィがベッドの端で首を傾げ、そのままキラの寝顔をじっと見つめる。その緑の背をつんと突いても、トリィはまた首を傾げるだけだ。
 フレイは少年の色の違う細い左腕をそっと撫でる。そのままつつと肩まで撫で、首筋を伝って顎をなぞり、唇に触れた。
 目が覚めたら、舌を入れて押し倒してやる。
 そんな拙い妄想と欲望を満たすためだけに、フレイは日々通い続けていた。
 もう誰にも渡さない。誰にも傷つけさせない。この子はわたしのだ。戦争なんて終わらせて、二人だけで……。
 フレイは怖いのだ。大切な人を、もう一度失ってしまうかもしれない事が。
 でも、あなたが起きてさえくれれば、全てが元通りになる。きっと、大丈夫。目が覚めて、声をかけて、わたしを抱いてくれれば、何もかもが上手く行く。そうじゃないと、嫌だ……。
 だって、大尉もサイも優しいだけで、わたしを抱いてくれないもの。トールは好みじゃない。カナードなんて大嫌い。キラと同じ顔をしている癖に、わたしに優しくしてくれない男なんて……!
 脳内で何度かキラに抱かれた後、熱を帯びた下腹部を椅子にぎゅっと押し付け、フレイは今日は一日中ここにいて彼を眺めていようなどと考えていた。
 いつ目覚めても良いように。その瞬間を、誰にも渡さないように。
 
 
 
 目を開けると、知らない女性がそこにいた。視界がぼやけていて誰なのだかわからない。
 
 「あっ……」
 
 柔らかな声で女性が声をあげた。
 自分がどうやって帰ったかも、よく覚えていなかった。頭が酷く痛む。体が重く、起き上がることができない。視界はまだぼやけたままだ。
 この人は、誰なんだろう。漠然とした思考は形を成せず、ぼやけたままの視界と同じように四散した。
 女性がキラの手を握る。彼女の手つきは優しく、それでいて何かに怯えたようにして震えていた。
 キラはその『くすんだ茶色の髪をした女性』をじっと見据える。彼女の姿が、二重になって見え、その顔は分厚い不透明な板を挟んだように霞んでいる。
 女性が言う。
 
 「あ、えっと……だ、大丈夫、よね? ねえ、わたしわかる? あの、わたし……」
 
 知っている人……? が、キラはその女性の髪の色を知らない。視界はまだぼやけたままだ。女性の肌は土気色に見える。
 
 「ねえ、わたし、さ……。ええと――」
 
 女性は何かを逡巡したように、言葉を詰まらせる。知らないはずのその女性の声を、知っているような気がした。
 
 「……フレイ?」
 
 短い沈黙。
 口にして、そんな馬鹿なと苦笑した。このくすんだ髪の色をした少女が、フレイだなんて……。
 ぼやけた視界の中で、土色の髪の女性が、わずかに動く。
 
 「あ、当たり前でしょ! わたしに決まってるじゃない」
 
 キラはぞっと身を震わせた。
 視界が、ぼやけたまま治らない。まるで泥水の中にいるようで……。
 フレイ……?
 声は、似ている。いや、丸っきり同じだ。キラの知っているフレイの声。
 
 「……キラ?」
 
 フレイらしい人の声色に、怪訝の色が混じる。
 キラはおもむろに自分の両手を視界に入れる。どちらも同じ、気色の悪い土色をしていた。その輪郭はぼやけたままでわからない。少しずつ、記憶が紡がれていく。焼かれたはずの左腕が、ある……?
 
 「ねえ、大丈夫……?」
 
 心配げに覗き込むフレイの土色の髪がキラの左腕に触れる。艶やかで滑らかな、彼女の髪。キラは、右の手で自分の左手の輪郭をなぞった。それはぞっとするほど細く、弱々しい何か。
 
 
 
 妄想は所詮妄想でしかなく、いくら頭の中で想定と行動を繰り返したとしても本人を目の前にすればそんなイメージトレーニングは無意味であり、フレイは赤面したまま上手く言葉を続けられなかったのはついさっきまでの話だ。
 様子が、おかしい。
 何だろう、この違和感は。
 励ましの言葉や嘘はいくつも用意していた。きっとこの子は、自分の『違う左腕』を見て心を痛めると思ったから。自分を責めるのだと思ったから。
 だが、目覚めたばかりのキラは違った。
 どうして目の前にわたしがいたのに、わたしだってわからなかったのだろう。違うはずのその腕を見て、何も思わないのだろうか。顔をこちらに向けてはいるものの、瞳は確かにフレイに向けられているはずなのに、キラはわたしも見てくれていないような、見れていないような……。
 一抹の不安。
 クスクスと知らない幼子達が嘲笑っているような気がした。
 目の前の少年の視界が泳ぐ。焦点があっていない。
 
 「あ、メリオルさんは……?」
 
 思い出したかのように言う彼に、微かな嫉妬の炎が胸を焼いたが、表情には出さないように努めた。キラはこうして無事だったし、今回だけは許してあげる。
 
 「ん、大丈夫よ。意識もはっきりしてたし、後遺症とかも無いみたい」
 「そっか、良かった……」
 
 キラがほっとして息をはいた。
 ――後遺症……。
 言ってから、フレイは気づく。
 キラは、どうなのだろう。後遺症とか、そういうの……。
 トリィがふわと飛ぶ。キラがそれに触れようと、おもむろに左手を伸ばす。
 彼の手は、すかと空を切り、トリィがちょこんとキラの腰の辺りに着地した。
 ぞわと悪寒が走る。
 ……あれ?
 圧倒的な違和感。
 キラが悲しげに視線を落とす。
 
 「ねえ、今……」
 
 わたしだと、気づかなかった。自分の体の様子に気づいていない? トリィに触れられなかった。それは、どうして……?
 
 「……ごめん」
 
 キラが悲しげに言った。
 どうして、謝るの……? ねえ、キラ。どうして……。
 そこから先は、言葉にもならず、思考にもならず、後からやってきた軍医達からただ淡々と、脳に負った障害という事実を打ち付けられただけであった。
 
 
 
 報告書をパラパラとめくりながら、格納庫《ハンガー》を目指すアズラエルはブルーノ事を考えていた。病死などという戯言を信じるつもりはない。妻が第一発見者となってしまったのは不幸な事だが、お抱えの医師が早々に病死と断定してしまったのはおかしな事だ。直前の行動も気になる。
何故、父はアルスターの肩を持つような真似を……? 『すまなかった』とはどういう事だ。言い間違えや聞き間違いでは無いはずだ。何者かに殺された……? それこそ、ありえない話だ。だが、もう一つ気になる情報も得ていた。あの赤い巨神の一撃で、〝ロゴス〟のメンバーがブルーノを除き全滅した事だ。そして――。
 少しずつ、全貌が見えてきた。しかし、まだ核心には至っていないと言うのが感想だ。まだ何かが引っかかる。理由付けに、もう一ピースが足らない。それは果たして……。
 おずおずと付き従うキラに横目で捉える。視覚、色覚、味覚に障害を負ったと聞いている。特に色覚が、駄目なのだと。
 軍用のデバイスで辛うじて視力を補ってはいるものの、どうやら彼の視力の低下は日に日に進んでいるようで、近いうちに完全に失明してしまうのだとか。無論、単純に視力が、というだけなら、例え盲目であろうと一般の生活に支障が無いレベルに補うことのできる電子デバイスはある。
しかし、彼の視覚障害は感染症や眼球の損傷(正確には、彼の本来の左目は既にその機能をうしなっていたので交換されている)ではなく、脳神経に原因があるのだから、それは致命的である。
 もう彼は、あの子のあでやかな髪の色を見る事は無いのだろう。
 健気に彼の世話をする彼女の様子は見ていて痛々しく、自分を騙してくれた事への苛立ちなどはすっかり萎縮してしまっていた。
 流石のアズラエルも、同情してしまったのだ。見知った相手だからこそ、尚更である。それでも、アズラエルがフレイに対して、所謂大人げの無い『仕返し』とやらをしなかったのは、他に理由があった。彼自身も、〝メンデル〟とまでは言わないが、可能な限りの治療を受けさせてやるつもりではあったのだから。
〝ドミニオン〟に乗艦して、もう随分とたつ。少しばかり、肩入れしすぎているかもしれないという自覚はあった。
 ハッチが開き、格納庫《ハンガー》に安置された一機のモビルスーツを視界に入り込む。
 
 「〝フリーダム〟……?」
 
 背中に翼を背負った鋼鉄の天使。その姿は見紛う事なき〝フリーダム〟。キラが驚きの声を漏らすと、アズラエルはその反応に満足してにっと笑う。
 
 「イーエ。正確には、これは〝ストライク〟でス。アムロ君用に月面で開発が進められていた特別機――〝ストライクファントム〟。差し詰め〝F型《最終型》〟って所ですネ」
 「〝ファントム〟、ですか?」
 「ええ。今は正式名称が決まって〝ドラグーン〟となりましたが、それの搭載機ですヨ。でも、もううちの主力は〝ウィンダム〟に移ってますからネ? でスから、これは最後の〝ストライク〟タイプということデ……ただ先の戦闘で破壊されちゃいまいましてねェ……」
 
 その点だけは、残念でならない。〝ナイチンゲール〟のデータにあった〝νガンダム〟をベースに、アムロと施工を重ねた結果、新たな〝Hi-νガンダム〟なるものを作りえたはずであったのだが……。
 だが、その大破した〝ストライクF〟に目をつけた男がいた。〝ドミニオン〟整備班班長マードックだ。彼が部下の者達とコソコソと何かを算段している現場にアズラエルが遭遇し、彼らの妙案(本人達に取っては趣味の範疇かもしれないが)に乗った結果、こうして全く新しいモビルスーツが誕生したのだ。
 
 「坊主かー! どうだ、良いだろぉー!?」
 
 格納庫《ハンガー》に響き渡る大声に、アズラエルはやれやれと声の方向を仰ぎ見た。〝ストライクF〟の胸元から、マードックがどんと飛び、無重力の床に乱暴に着地する。彼はそのままにいと口元に笑みを浮かべ、キラの髪の毛をくしゃくしゃとした。
 
 「ははは、どうだ坊主、良いだろう、な!?」
 「え、ええ」
 
 ともみくしゃにされながらキラが苦笑した。マードックはうんうんと頷いてから、少しばかり真面目な顔になる。
 
 「坊主、お前の事は聞いている。だがな、俺達はお前が自分の意思で戦うんだって決めた瞬間を、その過程を、ずっと見てきたんだかんな。止めるつもりはもう無い。だから俺達は戦う為に、今あるもんを全部コイツにつぎ込んだんだ」
 
 アズラエルはこっそりと一歩身を引いて距離を取る。キラがぎこちなく笑顔を作る。
 
 「はい……ありがとうございます」
 「ん、結構だ! 後は、俺達はコイツの感想を、坊主の口から聞かにゃな!?」
 「わかってますよ。それで、無事に帰って来いって事なんですよね」
 「うん? 生意気になったなっ!」
 
 マードックが豪快に笑うとキラも釣られて頬を緩ませ、懐かしむような瞳で青い翼の〝ストライク〟を見据える。
 
 「でも、これじゃ〝ストライクファントム〟ってよりも〝ストライクフリーダム〟ですよ」
 
 マードックがふむと考えるようなそぶりで同じく〝ストライク〟に視界を向ける。アズラエルは声をかけた。
 
 「では、その名前で登録しておきまス?」
 「良いんですか?」
 
 きょとんとして彼が言うと、アズラエルは「勿論デス」と返した。
 
 「〝ファントム〟ってのはどちらにしても愛称みたいなもノですからねェ。それに、〝フリーダム〟なら〝F型〟っていう格好はつきますしネ。だから、思う存分働いてもらいまス。僕としましても、コレのシステムには興味がありますのデ」
 
 マードックが言ったとおり、正にこのモビルスーツはキラ専用であった。彼に合わせたパイロットスーツが、そのまま視力補助デバイスとなり、物理的に〝ストライク〟と連結し、脳波制御に近い反応を可能にする……予定である。正真正銘の生体CPUだ。
 ただ、元々はアムロ用に開発された機体なので、各部にはこちら側で解析した簡易版の〝サイコフレーム〟を搭載しているが、果たしてこれがコーディネイターの彼に意味があるのかは疑問が残る。ま、それでも廃品利用としては十分でしょ、と心の中だけでつぶやいた。
 キラは笑みを浮かべ、ぺこりと頭を下げた。
 その姿は彼女同様に儚げで、思わずアズラエルは視線を反らした。
 こんなコーディネイターばかりなら、こうはならなかっただろうにと一瞬だけ思考し、すぐに何を馬鹿なと切り捨てる。
 この少年がどんなに優しくても、気高くても、過去は変えられない。生まれでた確執と憎悪は、消える事は無い。それを煽るのに一役かったアズラエルであったが、その役割が偶々アズラエルであっただけで、彼がやらなくても別の誰かがやっただろう。
 そういう確信が、彼にはあった。
 ならば、コーディネイター側の最後の希望とやらは、今ハルバートンが秘密裏に掛け合っているという、彼らかもしれない……。
 どちらにしても、アズラエルは自分と自社と家族とついでに地球の為に、行動する事には変わりは無い。
 今も、昔も――何も変わらないのだ。
 
 
 
 月面での戦闘の状況、今がいつで、あの後どうなったのかは既に知る事ができていた。自分の身に、何が起こったのかも……。
 キラの心に、後悔の気持ちは一切無かった。それどころか、心にはさわやかな風が吹き、誇らしささえ感じていた。キラは、あの時、あの瞬間、〝レクイエム〟を破壊し、メリオルをも救うことができたのだから。ほんの少しだけれども、キラは父と母に感謝しても良いかもしれないと、そんなことを思い始めていた。
多くの兄弟の命を吸い、創られた、たんぱく質でできただけの人型マシンなのかもしれない。ヒトの範疇を逸脱した、バケモノなのかもしれない。
 でも、その力で、ヒトを守れた。
 本当に、嬉しかった。
 この腕と足が、誰のものなのかは、カナードやフレイは言葉を濁していたが何となく想像はつく。
 それでも、今なら前を向いて、生まれる事すら叶わなかった何人もの自分に言えるような気がする。
 ごめんなさい、ありがとう、と。
 フレイが生きてそこにいてくれるのは、キラにとっては最も喜ぶべき事だ。君の心が、ぼくを救ってくれた。
 キラは、フレイを愛していた。
 だから、彼は彼女に何も求めない。
 不思議な気持ちだった。
 心がぽかぽかと温かくなる。
 彼女を想うだけで、安らかな気持ちになる。
 だから、もうじき完全に視力を失ってしまうかもしれないというのに、キラは少しも怖いとは思わない。
 覚悟を終え、消化し、糧となり、キラは逃れることのできないだろう自分の未来の闇の世界を肯定した。
 ぼくはまだ、戦える。
 宇宙要塞〝ボアズ〟に、ザフトは全勢力を終結させているだろう。月から〝アークエンジェル〟を中心とした連合艦隊と、〝アルテミス〟に終結した別働隊、二手に分かれて〝ボアズ〟を攻略する。
 キラは〝ストライクフリーダム〟じっと見据え、〝ドミニオン〟が月から出航する時のことを思い出していた。
 
 『――ありがとう、キラ・ヤマト』
 
 かつてキラを捕らえようとしたガルシアが深々と頭を下げた。ガルシアが続ける。
 
 『メリオルのことを聞いた。その所為で君に何があったのかも――』
 
 やがて彼は前を見、姿勢を正し、彼の持つ最高の敬礼をキラに向け、言った。
 
 『約束しよう。いつ、どこにいても、例え宇宙《そら》の果てだろうとも、君が望めば、俺はそこに駆けつける。絶対にだ』
 
 傍らの青年――カナードの幼馴染だったらしい――が同じく敬礼し、「ありがとよ」とぎこちなく微笑んだ。
 その少し後、キラが〝ストライクフリーダム〟のテスト飛行を行う前に、カナードが言った。
 
 『オレにお前を止める権利なんてありはしない。だから、せめてオレより先に死ぬなと、それだけ言わせてくれ』
 
 ――ありがとう。
 ぼくがぼくでいられる場所を信じて戦う日々に手を伸ばす。
 昨日を振り払い、力を脱ぎ捨て、何も見えないここからもう一度始まりを打ち鳴らそう。
 君の言葉を信じて、この宇宙《そら》の中に漕ぎ出そう。
 赤も、黄も、緑も無くなり、セピア色となったキラの世界で、唯一つ残された色が、ある。
 その色が、鮮やかに輝いている。
 〝フリーダム〟の翼は美しく、永遠に変わることの無いその青は、キラの心に残った最後の色。暗闇の最中でも、その青はキラの命を称えてくれている。
 フレイは、偶に宇宙《そら》が蒼く見えると言っていた。そこには人の意思が溢れているのだ、と。
 ぼくに、宇宙《そら》の色はわからない。でも、君の見ている青と同じ色を、ぼくはこの翼に見ていたい。
 それが叶うのなら、ぼくはいつまでも戦える。
 だから、もう迷わない。
 それは、キラの決意であった。
 
 
 
 再び世界が動き出す。
 アスランは〝ミネルバ〟で慌しく指示を飛ばしていた。もはや、ザラ隊は大所帯となっていた。人員は更に増え、〝ミネルバ〟を中心にして五隻のナスカ級戦艦がしずしずと並び、やや後方に八隻のローラシア級が追従している。
 同時に〝ボアズ〟から五隻の超大型空母ゴンドワナ級がぬらりと姿を現した。全長千二百メートルのその巨体は〝ミネルバ〟すらもすっぽりと影に隠れてしまうほどであり、まさに動く要塞と呼ぶにふさわしい情景をかもしだしている。
 だが、アスランはわずかにいらだっていた。
 
 「だからさ、〝ジャスティス〟で先陣をきって部隊の士気をあげなきゃいけないだろう!?」
 
 彼が声を荒げると、同じくしてイザークが反論する。
 
 「馬鹿言うな! 貴様の命は、貴様が思っているほど軽いものでは無い!」
 
 艦橋《ブリッジ》クルーがちらと目をやる。アスランはかまわずまくし立てた。
 
 「だから〝ジャスティス〟の新型の、〝インフィニットジャスティス〟とかいうのを受け取ったし、テストもした! それの何が不満なんだ!」
 「指揮官がいきなり出るってのか!」
 「俺が行かないでどうする!」
 「貴様ッ!」
 
 イザークがぐいとアスランの胸倉をつかむ。
 
 「そういう物言いは、俺のような使い捨ての兵士が言えば良いんだ! 貴様は、戦争の後もちゃんと生きて、それでコーディネイターをどうにかしようっていうのなら、後方に陣取ってくれればそれで良い!」
 「だが、戦いは今始まるんだぞ!?」
 「貴様は後方で指揮を執れ!」
 「示しがつかないって言ったろう!」

 アスランは譲るつもりはなかった。イザークの言い分はおそらく正しい。だが、それ以上に、アスランはおのれの戦いを、行動で示さねばならないと思っている。部下を見殺しにして、ましてやイザークたちを置いて下がれなどと――
 
 「――そういう甘いお考えだから、出し抜かれる」
 
 ふいに、VIP席のラクスが冷たく言い放つ。皆が彼女を見る。
 
 「わたくしが行けばそれで事足りるのでは? ラクス・クラインが先陣をきるのです、ならば、戦場にアイドルは二人も不要でしょう?」
 「それは――」
 
 力強く、それでいて芯の通った――凛とした声。
 思わず、アスランは言葉に詰まった。ディアッカが口笛をひゅっと吹き、ラスティが「へぇ」と感心したように声を漏らす。
 
 「あなたのご様子、わたくしのお友達なら『馬っ鹿じゃないの』と一蹴するでしょうが、あなたのお気持ちも理解しているゆえ、わたくしもそこまでは言いません、しかし――」
 「だ、だったら、俺が前へ出て、君が下がれば良い、そうすれば――」
 
 アスランがもらした苦肉の策に、ラクスは不機嫌に顔をゆがめた。
 
 「――それで、わたくしに、何をしろと? まさか艦隊の指揮を執れなどとおっしゃらないでしょうね?」
 
 押し黙り、アスランは視線をわずかに落とす。ぐうの音も出なかった。ディアッカはついに笑い出し、さっとラクスの側に寄り添った。
 
 「アッハッハ、悪いアスラン、俺やっぱこっち派だぜ」
 「ああ、ずるいです! 僕もそっちに!」
 
 とアイザック。
 
 「おいおい待てってお前ら。そこはずっと昔からラクス・クライン一筋だったこのラスティ・マッケンジー様に譲るべきだろう?」
 
 ラスティが快活にちゃちゃをいれ、ディアッカがアスランににっと白い歯を浮かべた。
 
 「お前の負け、じゃない?」
 
 ミゲル、ミハイルがふっと苦笑し、シホがやれやれと首を振った。イザークが再び言う。
 
 「貴様は〝ボアズ〟へ行け、〝ミネルバ〟もつかせる」
 「ん、俺たちは?」
 
 ラスティがひょいと首をかしげると、並走するエターナル級戦艦〝エターナル〟、ナスカ級戦艦〝ヴェサリウス〟に視線をやった。
 
 「古巣に戻るだけさ」
 
 アスランがしぶしぶ了承すると、彼らは皆ゼルマンの〝エターナル〟へと出向していった。同時に〝ミネルバ〟は後退し、〝ボアズ〟守備隊の〝ザク〟部隊と合流した。
 
 
 
 月面の決戦から一ヶ月。戦争が、再び始まった。〝ボアズ〟宙域に進入した〝アークエンジェル〟艦隊は一斉に戦闘配備に入り、皆が慌しく動き始める。
 先発隊の〝ピースメーカー〟隊により、一斉にミサイル弾幕が張られ、〝ボアズ〟前面に張り巡らされた機雷がいくつもの閃光をあげる。
 
 〈キラ・ヤマト、〝フリーダム〟行きます!〉
 〈トール・ケーニヒ、〝ソードカラミティ〟出るぜ!〉
 
 既に涙は山ほど流した。愚痴も弱音も泣き言も全て吐ききった。
 
 〈カナード・パルス、〝ハイペリオン〟、出す!〉
 
 仲間達の出撃していく様子を端目で捉えながら、ちらとモニターに〝デュエル〟の様子が映し出される。腰のアタッチメントにビームライフルを装備し、背にシールドを構え、二丁のバズーカを構えカタパルトへ進んでいく。
 やや遅れてシンの〝アカツキ〟、ステラの〝ガイア〟、アウルの〝アビス〟、スティングの〝カオス〟と続き、いよいよフレイの番となった。
 結局、好きだとか言えなかったな……。この一ヶ月の事を思い出し、フレイはなんだか情けない気持ちでいっぱいになった。
 〝ナイチンゲール〟の左腕部に専用の大型シールドが装着され、主兵装のメガビームライフルを右手に持つ。
 意気地無いなあ、わたし……。隙はいくらでもあったのに。押し倒す機会だって、何度も……。二人きりの時に背中から抱き、好きよと伝えるだけで良いはずなのに、何も、できず……。
 機体のロックが外され、〝ナイチンゲール〟は一歩踏み出す。
 ほんと、好きなんだけどな……。それは、紛れもない真実。恋心は、彼女の胸をちりちりと焦がす。ほんのちょっぴりだけれども、胸が苦しい。言いたいのに、言えない。
 
 〈針路クリア! 〝ナイチンゲール〟発進よ、フレイ!〉
 
 〝ナイチンゲール〟の単眼《モノアイ》に光が灯り、同時に内部の〝ウィンダム〟の双眼《デュアルアイ》が力強く輝いた。
 
 〈〝ナイチンゲール〟出るぞぉ! 〝ナイチンゲール〟発進だ!〉
 
 外部マイクがマードックの慌しい声を拾い上げる。ぱっとモニターにセレーネが映り込む。
 
 〈少尉、発進後すぐに〝スターゲイザー〟をつけます。〝ミラージュコロイド〟を使い〝ナイチンゲール〟の背につく形ですが、貴女の言う事しか聞いてくれないので慎重に頼みます〉
 
 彼女の言うことは間違いだ。〝スターゲイザー〟はカガリの言うことだってきっと聞いてくれるだろうし、ミリアリアにも同じだろう。
 ただ、気まぐれなだけなのだから。
 
 〈ご無事を祈ってます。この子も、貴女も〉
 
 セレーネが優しく励まし、通信が切られる。
 そうだ、カガリは元気にしてるかな……。ラクス、大丈夫かな……。またみんなで一緒に遊びたいな……。
 キラがまだ、わたしを見る事のできる間に、一緒に、たくさん、みんなで……。
 目を閉じ、息を吐き、前を見る。
 ……頑張ろう。
 思い描いた幸せな空想を、現実のものとする為に。
 また、みんなと笑いあえる日の為に。
 もう一度、モニターにミリアリアがぱっと映り込む。彼女は小声で優しく囁いた。
 
 〈大丈夫よ、フレイ。きっと大丈夫。だから、無事に帰ってきてね〉
 
 その言葉はどこまでも温かい。
 うん、そうだ。大丈夫。きっと、何とかなる。
 もう一度目を瞑り、フレイは今までの出会いと別れを思い出し、その全てに向けてそっと言った。
 
 「……ありがとう」
 
 前を見る。既に戦闘は始まっている。
 遠方でいくつもの爆発があがる。
 覚悟といえるほど大層なものは無い。自分を犠牲にする事なんて、きっとできないだろう。それでも、フレイは頑張ろうと決めた。
 挫けてしまわないように、立ち止まってしまわないように……。
 
 「フレイ・アルスター、〝ナイチンゲール〟行きます!」
 
 一瞬強烈なGが彼女を襲うと、すぐに〝ナイチンゲール〟は無限の星空に放りだされた。煌びやかなスラスターが尾を引き、キラ達と合流する。わずかに背に重みを感じ、〝スターゲイザー〟が取り付いたことを確認した。
 
 
 
 「来たか――各機、準備は良いな!」
 
 イザークは機雷が突破されたのを確認し、皆に激を飛ばした。
 
 〈おーよ、任されて!〉
 
 ラスティがにっと口元を歪める。
 
 〈気合入るねえ〉
 
 それにディアッカが続くと
 
 〈みんな、頑張りましょう!〉
 
 とニコルが皆を勇気付ける。
 
 〈ぼ、僕だって!〉
 〈アイザック、無茶はするなよ?〉
 
 と油断無く告げたのはミゲルだ。
 
 〈無茶でもやれとは、誰の言った言葉だったか〉
 
 ミハイルもまた軽口を叩き、みなの緊張をほぐそうとする。
 シホがわずかに潤んだ瞳でこちらを見据える。無理も無い、大群と大群。つかの間の休息を終えての決戦なのだ。
 
 〈あの、先輩――〉
 「心配するなシホ。俺たちならやれる」
 
 わずかに彼女は視線を泳がせ、〈はいっ〉と笑顔をきらめかせた。
 艦隊指揮を任せた〝エターナル〟艦長のゼルマンが指示を飛ばす。それを囲うようにミネルバ級二番艦〝ビーナス〟、三番艦〝ベスタ〟四番艦〝ジュノ〟が立ち並んだ。
 
 〈ミーティア、リフト・オフ!〉
 
 その号令とともに、〝エターナル〟および追従する〝エターナル〟級艦首側部に備えられた砲台のカバーが外れ、船体から静かに放たれた。〝ミーティア〟と呼ばれる八つの砲台は自動制御で変形しながら、ザラ隊面々のモビルスーツを迎え入れる。――Mobilesuit Embedded Tactical Enforcer――は全長九九・四六メートルにもなる強化武装パーツだ。
アーム部には一二○センチ高エネルギー収束火線砲二門を備え、後部推進ポッドの上部と両側には全部で七七門にも及ぶ六○センチ・エリナケウス艦対艦ミサイル発射管、また両側部から九三・七センチ高エネルギー収束火線砲が突き出している。
さらに長いアーム部の先端からはMA‐X二○○ビームソードが出力できる。この強化武装パーツを装着することにより、モビルスーツには本来望み得ないほどの推力、そして火力を手にした。
 だが、イザークの考えてる事は全く別の事であった。
 この戦いで〝プラント〟の、コーディネイターの未来が決まるかもしれないからだ。
 何故なら――
 
 「アスラン、上手くやれよ……」
 
 後方に下がった友人に向けて、イザークはひとりごちた。
 
 
 
 「〝ゴッドフリート〟てっー!」
 
 数百を超える火線が連合の艦隊を襲い、僚艦のアガメムノン級〝ワシントン〟が爆散していく。
 
 「――敵機、来ます!」
 
 カズイが慌てて報告すると、漆黒に塗られた巨大なモビルアーマーが再び迫る。
 
 「弾幕を張れ、近づけさせるな!」
 
 ナタルがぎりと指示を飛ばすと、傍らのアズラエルが「やるな……」と短くうめく。
 群がり来る〝ゲイツ〟を四方からの攻撃が襲い、その主の〝ガンバレルダガー〟が真横から〝ザク〟に両断されると、〝ストライクダガー〟の大群がその〝ザク〟を蜂の巣にしたが、その〝ストライクダガー〟隊は別方向からのミサイルの雨に晒され全機が各部位に直撃を受け爆散していく。
その攻撃の主の黒いモビルアーマーから放たれた長大なビームサーベルが更にもう一隻のアガメムノン級を両断し、そのまま〝ドミニオン〟へと針路を取ると同時に、モビルアーマーの真横から、真紅の巨体が高速で体当たりを仕掛け、そのままサーベル発生部を切裂いた。
 こうもたやすく接近されるとは――!
 ナタルはぎりと奥歯を噛み締め、拳に力を込めた。
 敵新型のモビルアーマーは、圧倒的な火力と加速力で一気に先遣隊を壊滅させ、〝アークエンジェル〟艦隊の懐にもぐりこんだ。そのうちの突出した黒い三機が、次々と僚艦のドレイク級らを撃沈していく。
 圧倒的な質。それが、ザフトの武器である。
 それを、何とか打ち砕かなくては……。
 だが、戦力の全てをぶつけるわけにはいかない。
 この後には、宇宙要塞〝ヤキン・ドゥーエ〟も、〝プラント〟本国も残っているのだから……。
 連合は、出し惜しみをしながら勝たなければならないのだ。この圧倒的な質に対して。
 
 
 
 〈この絡み方……ま、た、貴様かァ! 糞餓鬼!〉
 「あは、おばさんじゃん! 糞ババア!」
 
 接触回線から漏れ聞こえる懐かしい声に、フレイは普段言いもしないような下劣な口調と内容で嘲った。そのまま腹部〝ローエングリン〟を撃ち放ち、陽電子の嵐に貫かれた敵の巨大な外部パーツが誘爆していく。慌てて中央から一機のモビルスーツが飛び出し、AIがそれを識別し、その単語を読み取る。
 
 「――〝リックドム〟!? 〝ドライセン〟!?――どっちよこの馬鹿!」
 
 がつんとシートを足で蹴りつつメガビームライフルを撃ち放つと、〝ドム〟と表示されたその重モビルスーツは巧みな回避で後退していく。
 
 「逃げる気!? 卑怯者!」
 
 捨て台詞に言い放ってやると、通信越しに相手の女が怒鳴り返す。
 
 〈悔しかったら追って来い小娘!〉
 「――冗談!」
 
 誘い込まれるのはごめんだ。フレイは撤退していくそれに興味を失い、もう二機の暴れまわる巨大な高速飛行物体に視線をやる。同時に火線があがり、同じくして中央から〝ドム〟が逃げおおせた。
 
 「大尉と、フラガ少佐か……へえ、少佐もやるじゃない」
 
 舐めたような口調で気を落ち着かせると、〝ハイペリオン〟、〝フリーダム〟、〝ソードカラミティ〟が〝ナイチンゲール〟を中心にして陣形を組みなおす。
 
 〈オレ達は先行するぞ!〉
 
 カナードが指示を飛ばすと、〝フリーダム〟らもそれに続く。
 
 「ミリアリア!」
 
 〝ドミニオン〟に通信を入れると、すぐに返事は返ってきた。
 
 〈ハルバートン提督からも指示があったから、大丈夫!〉
 
 金色のモビルスーツ〝アカツキ〟が一機の〝ジン〟を屠り、そのまま後退し〝ドミニオン〟の援護に入る。〝カオス〟、〝ガイア〟、〝アビス〟が同じくして〝アカツキ〟と陣形を組むと、今まで彼らがいた宙域に〝ストライクダガー〟隊が展開し、防壁の穴を埋める。
 
 「〝スターゲイザー〟、行きなさい!」
 
 過保護かもしれない、とは思わなかった。やらずに後悔するなんて、嫌だから。
 背中越しの白銀のモビルスーツがぱっと飛び立ち、そのまま加速をかけ〝アカツキ〟に切りかかろうとしていた一機の〝ザク〟を拳で殴り潰した。
 後は、信じるしか……!
 フレイは〝ナイチンゲール〟のスラスターを吹かせ、キラ達の後を追った。それでも、ちらと背後を振り返り全天周囲モニターにシン達が映るようにしてしまうのは、彼女が戦いに徹し切れていない証拠である。
 同時にユニコーンの〝デュエル〟が並走した。
 
 〈各機、聞こえるか、僕達はこれより戦闘空域を一時離脱し、〝ボアズ〟の真横から奇襲を仕掛ける〉
 
 アムロが短く告げると、すぐさまカナードが抗議の声をあげた。
 
 〈だが、この位置からで機体のエネルギーが持つのか?〉
 〈〝ナイチンゲール〟のパワーを使えば、それも可能だ〉
 
 アムロが自信に満ちた声で言うと、〝デュエル〟のマニュピレーターが器用に〝ナイチンゲール〟の首元をがちりとつかむ。
 
 〈設計したあんたが言うならそうなんだろうが……〉

 と〝ハイペリオン〟も同じように〝ナイチンゲール〟にひっつくと、〝ソードカラミティ〟、〝フリーダム〟がそれに続く。
 
 〈基礎こそやったが、陽電子砲何かはアズラエル達の悪ノリだよ。僕は外したかった〉
 
 んもう、勝手なこと言っちゃって。フレイはぷくっと頬を膨らませ、フットペダルを踏み込んだ。心地の良い加速感がぐぐぐと体をシートに押し付け、シートが軋みそのGを和らげる。戦場の光があっという間に遠くなり、四機分のモビルスーツの重さをまったく感じさせないそのパワーに、改めてフレイは感心した。
 
 〈不細工なのに凄いな〉
 
 カナードが感嘆したが、フレイは不機嫌になって反論した。
 「ちょっと! この子の悪口言わないで!」
 〈褒めたろ?〉
 「不細工って言ったじゃない。馬鹿にしてっ」
 〈……悪かったよ〉
 
 つんとシートに深く座りなおすと、キラがわずかに考えるようなそぶりをして口を開く。
 
 〈ハルバートン提督の作戦って言いました?〉
 〈そうだ。敵の新型は手強い。だから僕達で内部をかく乱し注意をひきつける〉
 
 なんだか良いように使われてるような気はしたが、少し不愉快な気持ちになってついでに顔に出ただけで止まったのは、成長の証だと勝手に納得し、フレイは更にぐっとペダルを踏み込んだ。
 
 
 
 ゆうに百を超えるミサイルの弾幕をめがけ、オルガは〝カラミティ〟の全砲門を一斉に撃ちはなった。同時に〝パワー〟の〝ウィンダム〟隊から〝ドラグーンミサイル〟が放たれ、ミサイルの弾幕を張り巡らす。〝エグザス〟部隊が〝ガンバレル〟を一斉に放ち、網目のようなビームで膜を作りミサイルを着実に阻止していく。
 大したもんじゃねえか、と口の中で小さくつぶやいてから、〝アークエンジェル〟の甲板を蹴り虚空を飛ぶ。
 
 「おいおっさん! このままじゃきりがねえぞ!」
 〈おっさんじゃない! ほんっとお前は隊長に向かって好き勝手言うよなあ!〉
 
 ムウが憤慨し、M五四アーチャー四連装ミサイルランチャーをばら撒き弾幕を作る。
 
 〈お前らは三人で連携取ってればそれで良いんだよ!〉
 「取っちゃいるだろうが!?」
 
 言うが早いか、補給を終えた〝レイダー〟が〝アークエンジェル〟から発進し、
 
 〈オルガ遅せえぞ、乗れ!〉
 
 と乱暴に言い放つ。
 
 「遅せえのはてめぇだクロト!」
 
 モビルアーマー形態の〝レイダー〟の背に乗り、そのまま一気に加速する。
 だが、巨大な敵モビルアーマーの加速力は〝レイダー〟のそれを凌駕しており、距離は一向に縮まらない。
 
 〈あのでけぇの、糞早え!〉
 「さっさと追いつけよ!」
 〈やってんだろ!〉
 
 その時、遠距離から放たれた強力なビームの粒子が見事な弧を描き、敵モビルアーマーの進行を遮った。
 
 〈シャニか!? オルガ撃て!〉
 「うるせえ!」
 
 再び〝カラミティ〟の全砲門を撃ち放ち、放たれた無数のビームがようやく一機の敵モビルアーマーを貫いた。それは左舷ビームサーベルのようなものを強制パージし、中心の〝ザク〟が分離するとその巨大なモビルアーマーの抜け殻そのものが特攻ミサイルとして〝アークエンジェル〟に迫る。
 
 〈やっべえ! オルガ止めろ!〉
 「うっせえ馬鹿野郎! この位置じゃ〝アークエンジェル〟にも当たる!」
 
 するとぱっとビームの網目が巨大なモビルアーマーを貫き、やがてその巨体は噴煙をあげ誘爆をはじめた。きらりと船体を輝かせたムウの〝エグザス〟が、虚空を舞い放たれた〝ガンバレル〟を回収する。
 
 〈良くやったお前ら!〉
 
 ムウが激励の声をかけると、クロトがけっと言い捨てる。
 
 〈おっせえよ糞親父!〉
 〈じじいー〉
 「遅せえんだよおっさん!」
 
 シャニ、オルガと非難の声を浴びせると、ムウが
 
 〈お前らなあ! しまいにゃ泣くぞ!〉
 
 とあきれ果てた。
 
 
 
 〈いやぁー!〉
 
 数発のミサイルに撃たれ〝ガイア〟が弾き飛ばされる。PS装甲が持ちこたえたがその衝撃までも抑えることはできない。
 
 「ステラ!」
 
 シンが〝ガイア〟を庇うようにして躍り出る。〝アカツキ〟の七三F式改高エネルギービーム砲で巨大なモビルアーマーに狙いを放ち応射していくも、爆発的な加速で一気に距離をあけ、それはすぐさま視界から姿を消した。
 
 「早い……!」
 〈後ろだ!〉
 
 シンが驚嘆していると、すぐにスティングが叱咤の声を飛ばす。はっとするも、既に眼前に先ほどとは別の敵モビルアーマーが巨大なビームサーベルを放ち迫り来る。
 
 〈避けろぉ!〉
 
 アウルが驚愕して叫ぶが、シンに手立ては無く――
 ふいに、前方の景色がぐらりとゆがみ白銀の巨人が躍り出た。その巨人――〝スターゲイザー〟はスラスターを全開に吹かせ、巨大なモビルアーマーそのものをその身で受け、抑え付け、押し返していく。〝スターゲイザー〟の体からヴォワチュール・リュミエールが放たれ、その巨大な躯体を輪切りにした。
 背中越しの〝ガイア〟がMA‐BAR七一XE高エネルギービームライフルを構え、モビルアーマーに向けて連射し、シンも慌てて七二D五式ビームライフル〝ヒャクライ〟を撃ち放つと、同時に中心から〝ゲイツ〟が分離し、モビルアーマーに残された全弾をばら撒き逃げおおせた。七十を超えるミサイルの弾幕がシンたちを襲う。
 同時に後方からそれらをなぎ払うようにして強力なプラズマ粒子が撃ち放たれ、すぐにそれが〝ドミニオン〟の〝ローエングリン〟だと気づいた。撃ちもらしたミサイル群を、〝スターゲイザー〟から放たれたヴォワチュール・リュミエールが触手のようにして一基一基丁寧にそぎ落としていく。
 
 〈みんな、〝ドミニオン〟から離れすぎないで!〉
 
 ミリアリアがわずかに叱責し、シンは気合を入れなおした。
 みんな、頑張ってるんだ。
 マユだって、〝ドミニオン〟にいる。こんなとこで負けられない、死ぬわけにはいかない……!
 
 
 
 後方の〝ミネルバ〟艦橋《ブリッジ》で、タリアは〝ミーティア〟が繰り出す圧倒的な火力とその光景に呑まれていた。ザラ隊に配属されただけでも九機を超えているが、当然それ以外にも名立たるエースパイロットたちに配備されており、それが繰り出す無尽蔵の弾幕は連合の艦隊を寄せ付けない。
 ――凄い。
 それに、この戦力差。やはり、月面での戦いで戦力を温存していたのが大きかった。
 ……勝てるかもしれない、というわずかな希望。
 ごくりとつばを飲み込むと、索敵担当のバート・ハイムがぎょっと目を凝らした。
 
 〈こ、高熱源体! 数は五、本艦後方より接近!〉
 
 タリアは心ここにあらずだったことを激しく後悔した。今、ここも戦場であったのだから。
 
 「ミサイルか!?」
 
 彼女が問うと、バートは索敵モニターから目を離さず正確に告げる。
 
 「いえ、この動きは――」
 
 ごくりとタリアは次の言葉を待った。あうあうと副官のアーサーがきょろきょろとさせる。
 
 「モビルスーツです!」
 「各隊に通達! 本艦はこれより迎撃体制に入る!」
 
 モニターに映像が表示され、敵の位置を指し示す。
 デブリ帯――? たった五機で、そんな所から……? 意表をつくのは、戦いの定石である。しかし、これでは地の利は圧倒的にこちら側にある。
 あの中を通ってくるのだとしたら、まだ猶予はあるはずだ。それならば、レイと基地守備隊の〝ザク〟で連携を――
 だが、バートの言葉にはまだ続きがあった。
 
 「デブリの中を……あ、ありえない――」
 
 珍しく怯えを孕んだその声に、タリアは「正確に報告なさい!」と叱責する。バートがこちらに向き直り、目を見開いた。
 
 「先頭の一機は、後続機の三倍の速度に達しています!」
 
 ぞくり、と嫌なものがタリアの背中を駆け巡る。
 
 「映像、出ます!」
 
 バートが接近する機影をメインモニターに表示させる。そこには、無数のデブリを蹴り進み更に加速をしていく白の機影。やや遅れて赤い巨体が彗星のごとくが煌く。
 
 「し、『白い悪魔』――」
 
 アーサーが怯えを孕んだ声で言う。戦闘の〝デュエル〟が廃棄された宇宙《そら》の塵を、岩を蹴り飛び更に加速する。皆が一瞬呆けたようにそれに視線を釘付けられる。
 ぎらりと〝ナイチンゲール〟の単眼《モノアイ》が輝いた。
 はっと思う間もなく、目視できる距離に赤と白の機影を捉える。
 
 「迎撃! 対空防御! CIWS起動!」
 
 タリアが慌てて指示を出すと、すぐさま守備隊の七機の〝ザク〟が迎撃に向かう。そのまま高速で接近した〝デュエル〟が隊長機のコクピットを貫き、ひるんだ三機の〝ザク〟を〝ナイチンゲール〟腹部から放たれた陽電子砲がなぎ払う。MA‐M八ビームトマホークを抜き去り斬りかかる三機の〝ザク〟を、〝ナイチンゲール〟がたてつづけに両断し、七つの火球が〝ミネルバ〟前方であがった。
 〝デュエル〟はそのままの速度を維持し一気に〝ボアズ〟中枢へと単機で針路を取る。〝ナイチンゲール〟はそのまま〝ミネルバ〟にビームライフルを向け、放たれるハリネズミのような弾幕をかいくぐり一基また一基とミサイル発射管、CIWSを破壊していく。
 
 「モビルスーツ隊は!?」
 
 タリアが言うと、網目のようなビームの膜が〝ナイチンゲール〟を襲った。紅の機体が単眼《モノアイ》をぎらりと向け、通信士のメイリンが「〝レジェンド〟、出ます!」と緊迫した様子で告げた。
 
 
 
 「〝デュエル〟には突破された!?――だが、〝ナイチンゲール〟!」
 
 レイは新たな愛機、ZGMF‐X六六六S〝レジェンド〟を加速させ、〝ドラグーン〟を全基射出した。それは、〝プロヴィデンス〟の後継機。シルエットこそは〝プロヴィデンス〟と大きな違いは無いが、〝プロヴィデンス〟で得たデータを高いレベルで昇華させており、それは正確にレイの意思と操作に反応し敵を狙い撃つ。〝ナイチンゲール〟がたまらず距離をとると、〝ミネルバ〟は後退していく。
 
 「メイリン、遅いぞ!」
 
 レイが声を荒げると、ややあってようやく六つの〝インパルス〟が姿を現した。MA‐BAR七八F高エネルギービームライフルで応射しつつ距離をあけると、〝ナイチンゲール〟がビームサーベルを投げつけ同時に腹部陽電子砲を撃ち放つ。たまらず〝レジェンド〟に回避運動をとらせると、先ほど投げつけられたビームサーベルが〝レジェンド〟のMA‐BAR七八F高エネルギービームライフルを切り裂いた。
 
 「このくらい!」
 
 〝ドラグーン〟で網目の膜を張るとわずかに〝ナイチンゲール〟が加速にブレーキをかけ、その隙目掛け死角から潜り込むようにして〝ソードインパルス〟の十五・七八メートル対艦刀〝シュベルトゲベール〟で巨大なビームライフルを抉り切る。
 〝ナイチンゲール〟は〝インパルス〟を蹴り飛ばし、翼のスラスターを全開にさせて一気に加速し距離をつめる。ちらと視界に捉えたようやく追いついたらしい後続の三機目掛けて〝ドラグーンインパルス〟を迎撃に向かわせ、〝レジェンド〟は単機で〝ナイチンゲール〟を迎え撃った。
 MA‐M八○Sデファイアント改ビームジャベリンで斬りかかると、敵は手首からビームサーベルを抜き去りそのまま二つの光の刃が虚空で交差した。辛うじて光刃を逸らしなぎ払うも、〝ナイチンゲール〟は二対の腰部フロントアーマーから隠し腕を出し、両手と合わせて合計四つのビームサーベルで〝レジェンド〟に襲い掛かる。
その斬撃の乱舞にたまらず距離を取るべく〝ドラグーン〟で弾幕を張ったが、同じく敵機体の〝ドラグーン〟が射出され、〝ドラグーン〟同士の応酬が始まる。〝ナイチンゲール〟の腹部陽電子砲に光が灯り、レイははっとしてMMI‐GAU二六・一七・五ミリCIWSをばら撒いた。
数発が陽電子砲に直撃しパワー効率をダウンさせることに成功する。〝ナイチンゲール〟は弱々しい陽電子砲をわずかに散らせた。再びビームジャベリンを構え、〝ナイチンゲール〟に斬りかかる! だが、すんでのところで同じくして網目のようなビームの膜が〝ナイチンゲール〟を守護するようにして張られ、レイはいらだった。
ちらと流し見、その出所が〝フリーダム〟の新型であることに気づき、口の中で「トゥエレブめ!」と毒づいた。だが〝フリーダム〟から放たれた〝ドラグーン〟ユニットは、フレイの放つそれに比べて機械的なものであり、軌道を読むのはたやすい。レイは脳波制御で〝カオスシルエット〟を操り、EQFU‐五X機動兵装ポッドのみで〝フリーダム〟の全〝ドラグーン〟を押さえ込んだ。
 
 「下がれキラ・ヤマト! 貴様の出る幕ではない!」
 
 だが、〝フリーダム〟はレイの〝ドラグーン〟をかいくぐり、〝レジェンド〟の懐に潜り込んだ。レイは戦慄した。
 こいつは今、命を捨てた! この瞬間、自分が死ぬか、俺の〝ドラグーン〟を抜けるかを、確証も無く賭けたんだ! その狂気にも似た覚悟と決意に、レイはわずかな怯えを覚える。こいつに脅しやフェイントは通じないのでは無いか、と思えるのだ。がつりと〝フリーダム〟と衝突し、その双眼《デュアルアイ》が力強く輝く。
 
 〈君を、ここで撃つ!〉
 
 決意を込めたキラが言う。
 
 「できるか!」
 〈できる!〉
 「コーディネイターのお前に、俺の〝ファンネル〟はかわせない!」
 〈人の犯した過ちは、ぼくと一緒に消えてもらう!〉
 「――お前!?」
 〈フレイと戦うのなら、君も道連れだ!〉
 「ど、う、か、な!」
 
 レイは渾身を込めて〝フリーダム〟を蹴り飛ばすと、再び〝ドラグーン〟で狙い撃つ。放たれた砲撃を舞うようにして回避し、〝フリーダム〟は距離を取った。ふいに、背後に悪寒が走る。
 
 〈わたしを、無視する余裕が、あった?〉
 
 言葉の波動ではなく、接触回線による通信。底冷えするようなフレイの声に、レイは身をこわばらせた。〝レジェンド〟の肩に、〝ナイチンゲール〟が宙吊りの状態で触れている。
 
 「お、俺は、ナンバーゼロなんだ……!」
 
 それは、おのれの呪いか、あるいはラウと同じという誇りか。
 
 〈〝ドラグーン〟を止めなさい、レイ。言っておくけど、この距離ならあなたよりわたしの〝ナイチンゲール〟は早く動けるし、機体の制御を奪う事だってできる〉
 
 ぎらりと単眼《モノアイ》がレイをにらみつける。この女は、俺を撃つのをためらっている? いや、撃つ気など最初から無かったというのか……?
 〝ナイチンゲール〟がビームサーベルを逆手に構え、ビームの刃を煌かせる。
 
 〈レーイ?〉
 
 冷たい口調でフレイが問う。
 
 〈聞いてるう?わたしのは、な、し〉
 
 戯れている……! 命のやり取りをしているのだというのに、この女!
 同時にぱっとミサイル群が一斉に放たれ、虚空の戦場を染め上げた。
 
 〈レイ、無事か!〉
 
 ミゲル・アイマンの声にはっと顔をあげると、通信越しのフレイが短く舌打ちし、放たれたミサイル群に〝ドラグーン〟で応射する。すぐさま〝レジェンド〟は反転し〝ナイチンゲール〟を蹴り飛ばした。
 
 「お前こそ、俺を無視してミゲル・アイマンと戦えるつもりだったのか!」
 
 わずかに苛立ちを孕んだ〝ナイチンゲール〟が翼部に残されたままの〝ドラグーン〟を固定砲台として弾幕を張りつつ、〝フリーダム〟らと合流し、そのまま〝ボアズ〟岸壁の影へと消えていった。
 
 「先輩、みんなは!?」
 
 レイが通信を入れると、ぱっとモニターにミゲルの頼りがいのある笑みが映り込む。
 
 〈『白い悪魔』が来たとなれば、俺達の出番だ。イザーク達も既に交戦を始めたが、状況はあまりよくないな。押されつつある〉
 「それは、ジュール先輩たちが――? 〝ボアズ〟が?」
 〈残念なことに、両方だ。――〝ミネルバ〟は?〉
 「無事です!」
 〈なら、お前は良く〝ミネルバ〟を守ってくれた。アスランは〝ボアズ〟なんだな?〉
 「はい!」
 
 レイは〝ドラグーン〟を〝レジェンド〟背部の円盤状のバックパックに戻し、〝インパルス〟達も〝シルエット〟モードに変形させ補給の為に〝ミネルバ〟に向かわせた。
 
 
 
 〝ドミニオン〟艦橋《ブリッジ》で、戦果の報告に聞き耳を立てながらアズラエルはふむと考え込む。後手に回っているかもしれない、というのが率直な感想である。 
〝ミーティア〟というらしい巨大マシンは脅威であり、連合艦隊の損害は決して少なくない。物量で消耗戦に持ち込めば勝機はあるものの、まだザフトは宇宙要塞〝ヤキン・ドゥーエ〟に無傷の艦隊が残されているのだ。――そして、もうひとつ……。
 その残された手を、アズラエルは既に知っている。アムロ達を向かわせた〝ボアズ〟の更に後方、何も無いはずのその奥深くに、あることを。
 
 「ザフト軍、撤退していきます!」
 
 カズイが不審げな声で報告する。気づくとザフトの艦隊とモビルスーツは一斉に退却していて、ナタルがいぶかしげな表情を作る。
 ――来たか……。
 アズラエルはごくりと息を呑み次の来るべき報告を待った。メリオルがはっと何かに気づく。
 
 「〝ボアズ〟後方に巨大な物体!」
 
 突如、〝ボアズ〟後方に何かが揺らめいた。まるで雲を衝いて月が姿を現すように、巨大な円形が反射光に浮かび上がり、そちらに向いたアズラエルは目を凝らした。〝ボアズ〟の後方――そんな離れた場所にありながら、肉眼でもはっきりと見ることが出来る。
 
 「なんだ、あれは? あんな巨大なものに、なぜ今まで気づかなかった……!」
 
 ナタルが驚愕の声をあげると、現れた巨大な構造物は鋼の色を磨かれた銀のように煌かせ、それはPS装甲の起動を表していた。
 
 「――閣下、あれは一体!?」
 
 ナタルが〝パワー〟へと通信を入れさせると、通信モニターに真剣な面持ちのハルバートンが姿を現す。アズラエルは両の手をぎゅっと膝元で握り、ちらとハルバートンに視線をやった。
 
 「――デュエイン・ハルバートン少将。信じますよ……?」
 
 状況のわからないナタルが疑念の目をアズラエルに向けるのを無視して、彼はハルバートンをにらみつける。ハルバートンは短く〈無論だ〉と返した。
 アズラエルが再びその巨大な構造物――〝ジェネシス〟をにらみつけると、筒状になったミラー基部の奥、カートリッジの内部で核の巨大な力がはじけ、強烈な閃光が発せられた。その光は一度、正面の円錐形一次反射ミラーに集められ、次に巨大な二次反射ミラーに跳ね返されて迸る。戦場に、太く強烈な光が駆け抜けた。発せられたその白い光は、そのまま艦隊の真横を駆け抜け、地球と月の間を通過しやがて拡散した。
 予め聞いていた一射目は威嚇だという情報。間違いではなかったようだ。アズラエルは思い切り息を吐ききり、背中に嫌な汗をかいていた事に気づく。無論、対抗策は用意していたが、それでも艦隊全てを救えるようなものではなかった。
 
 〈――えす、これは警告ではない。繰り返す、これは警告ではない〉
 
 〝ボアズ〟から全方位チャンネルで伝えられた通信内容は、本攻撃の標的は地球であり、連合の降伏を呼びかけるものであった。
 だが、ここまでのハルバートンの読みは全て正解している。ならば、次の手は―― 
 ナタルがわずかに逡巡している様子を尻目に、アズラエルは正面に向き直る。
 
 「全軍、進撃です」
 
 皆がぎょっとしてアズラエルを見やる。
 
 「しかし、理事――!」
 
 ナタルが抗議の声をあげる。メリオルがじっと固唾を見守る。カズイはちらちらと様子を伺い、サイは目を閉じ何かをじっと考えている。ミリアリアがごくりと息を呑んだ。
 
 「地球を撃たれるわけにはいきません。ならば、我々のやるべきことは一つ――『アレ』を落とす、違いますか?」
 
 彼らが返事をする前に、〝パワー〟とそのモビルスーツ隊が前進し、再びザフトに攻撃を仕掛ける。
 その様子を見て覚悟を決めたナタルが〝ドミニオン〟前進せよと指示を飛ばし、サイが短く「了解!」と答える。
 アズラエルは、ハルバートンの情報を信じきってはいない。だから、アムロ達には本気で『ジェネシス』を叩いてもらう必要がある。
 可能なら、連合の圧倒的勝利でこの戦い、終わらせたいからだ。
 
 
 
 〝ボアズ〟の影に隠れたキラたちは、一瞬の光線に思わず動きを止めた。遠距離大型砲……? 味方は、みんなは――? キラの胸のうちに確かな焦りが芽生える。あれは、一体――。
 
 〈――γ線〉
 
 フレイが怪訝な声でもらす。通信モニターの彼女は、〝ナイチンゲール〟のAIが告げる情報を読み取っていた。
 
 〈――熱線に核爆発を使って、あれはγ線レーザー砲だって……!〉
 
 ごくりと息を呑む。
 
 〈ってことは、やっぱまずい……?〉
 
 トールが乾いた声で聞くと、カナードが沈痛な面持ちで返す。
 
 〈生物が住めなくなるかもしれない〉
 〈――止めないと〉
 
 フレイが緊迫した様子で言う。
 
 〈オレ達だけでか?〉
 
 カナードが問う。
 
 〈大尉は気づいてるはずでしょ!? きっと、一人でも向かうわ!〉
 〈俺達も行かないと!〉
 
 と、トール。キラも、覚悟を決めた。
 
 「行こうみんな、あれを破壊しないと!」
 
 皆が〝ナイチンゲール〟につかまると、翼のスラスターを一気に拭かせ加速していく。ある程度の速度を得たところで、〝フリーダム〟、〝ハイペリオン〟、〝ソードカラミティ〟はそれぞれ手を離し各々のスラスターを吹かせ更に機体を進める。ふいに、警報《アラート》が鳴り、キラは真横から迫る一機の巨大なモビルアーマーに気づく。
 
 「――あれ!」
 
 ぎょっと視線をやると、その巨大なモビルアーマーの中心に〝ジャスティス〟の姿が見えた。
 ――アスランか……?
 だが、キラの予測に反してその機体は〝フリーダム〟に目もくれず〝ナイチンゲール〟を執拗に付けねらう。
 
 〈行って、こいつはわたしがやる!〉
 「でも!」
 
 キラが反論すると、カナードが〈行くぞ!〉と反論を許さない緊迫した声色で言い放つ。キラはわずかな逡巡の後、悔しさにぎりと口元を歪めながら〝ハイペリオン〟に続いた。
 
 
 
 軍本部内にイザークらが降り立つと、アスランが苦渋の色を浮かべて吐き捨てる。
 
 「もうじき〝ジェネシス〟の二射目が発射される、彼らは本気で地球を狙うつもりだ!」
 
 イザークは「そうか」と冷静に返し、続ける。
 
 「――『制圧』の状況は……?」
 
 アスランは一度口を噤み、悔しげに拳で壁を殴る。
 
 「どうしてこうなる! 俺達は……俺は――!」
 
 それは、アスランとイザークの見解の違いから生まれた、それぞれの算段であった。アスランは、それでも、〝プラント〟の人々を、ザフトを信じた。きっとこれは、抑止力なのだと……。使わないために存在する力なのだと。
 だが、イザークは違った。ディアッカ、ラスティ、ニコル、ミゲル、ミハイルらも、イザークと同意見であり、その事実が一層アスランと言う愚鈍な青年を儚いものとして映しだしている。
 だが、決してアスランは孤立していたわけではない。彼はイザーク達のやったことの全てを知っているし、彼の許可も得ている。
 これは、賭けであった。
 アスランは〝プラント〟の、コーディネイターの善意と正義を、信じ続けた。イザークは、その逆――悪意と肥大したエゴによって導かれる可能性を予想したのだ。
 イザークがちらと傍らのディアッカに視線を送ると、彼は小さく頷いた。アスランは無言のまま唇を噛み締めている。イザークはなるべく優しい声色を意識して言った。
 
 「アスラン、貴様の言うそれは、たぶん、大事な事なんだと思う。だがな、悪いやつってのはやっぱりいるんだよ。どこにでもな」
 
 悪とは、アスランのように真っ直ぐな青年の心に付け入り、食い物にする。信頼に対して、裏切りで応える。
 その優しさ故に、今目の前にいる男は苦悩している。アスランが悲しげに呻く。
 
 「……信じたかったんだ。みんなを……」
 「わかっている。アカデミー時代からの付き合いだろう。――だから、俺の言いたいこともわかるな?」
 
 そう、彼らは約束した。もしも、もしももう一度、〝プラント〟が、ザフトという軍が、アスラン達を裏切るような事があったら――
 もしもアスランが正しければ、イザーク達はどこまでも彼の正義に付き合うつもりでいた。たとえそれで命を失ったとしても、それで良いと考えていた。
 しかし、そうはならなかった。アスランの思いは、正義は、裏切られたのだ。
 彼が力なく言う。
 
 「――俺に、できるかな……?」
 「できるさ。みんなお前についていく。俺達がお前をサポートする。そうすれば、少しはあのアイドルも楽になるだろう?」
 
 それは、彼女に代わり、アスランが全てを引き継ぐという意味である。
 こいつは、あいつを大切に思うあまり、あいつの代わりに全てを背負おうというのだ。
 だが、そこには絶対的な違いがある。目の前にいるこの男には、その覚悟があるのだ。
 人の恋路につき合わされているだけかもしれないと思いたったが、すぐにそれは否定した。逆に、もしそうであったのなら、どんなに楽だっただろうか、とも。
 こいつは、全ての人を幸せにしようなどと、そんな事を考えているのだろうから。
 
 
 
 〝ミーティア〟というらしい巨大なモビルアーマーに捕らえられ、フレイはその凶悪な加速力に視界を暗くさせた。脳から血液がさあと引いて行くような錯覚。
 
 「この絡みかた、アスラン・ザラじゃないとしたら、女――!?」
 
 知っている感じが、した。
 中央の〝ジャスティス〟を睨みつけ力任せに拘束を振りほどき、フレイは距離を取った。
 
 「構ってる時間は無い、行かないと――」
 
 キラが心配だ。新しい〝フリーダム〟に乗ってはいるけど、あの子、前よりずっと弱くなってる。思い切りは良くなったみたいだけど……。
 あの子に戦わせたくない。守りたい――
 ふいに、桜色の風がそっと彼女の心を撫で、それが涙に染まっていることを知覚した。
 はっとして〝ジャスティス〟を見やる。
 機体すらも透過して、うずくまり、泣き震える少女の姿を垣間見た。
 同時に、彼女の記憶がフレイの心に流れ込む。
 アビーが震える声で艦への直撃を告る。
 艦体が誘爆を始める。
 ゼルマンが退艦の指示を告げる。
 自動操縦の対空砲が迫るミサイル群を撃ち落としながら、その合間を縫っていくつもの火線が〝エターナル〟を貫いていく。
 逃げ惑うクルーにまぎれて、わたくしは、いた。
 何もできずに、歩みも遅く、足手まといにしかならないわたくしが。
 でも、かつてわたくしを救ってくれた彼らの一人が、ゼルマンという人が、もう一度わたくしを救ってくれた。すぐ背後で爆発がおこる。迫る死の恐怖に足が震える。わたくしの手を引いて、その人が賢明に走る。最初に放たれた脱出艇が誘爆に巻き込まれ光と消える。
モビルスーツが残されたクルーを抱え脱出していく。わたくしという足かせの所為で、逃げ遅れたその人は鎮座されていた最後の〝ジャスティス〟に向かい爆炎の上がる格納庫《ハンガー》の床を蹴る。
 カタパルトが直撃を受ける。
 抉れ飛んだ鋭利な金属が、雨のように、わたくしに……。
 ゼルマンの大きな体が、わたくしを抱き抱える。
 
 顔を上げる。
 その人の背が何かに貫かれ、彼は血を吐いた。
 ぽかりと開いた虚空の闇に、わずかに残されていた空気と機材が吸い出されていく。
 もう、駄目だと思った。助からないのだと、ここで死んでしまうのだと。死にたくない、死にたくない、でも、もう……。
 その人は、諦めなかった。
 無理やり〝ジャスティス〟のコクピットへと押し込まれる。
 思わず、手を伸ばす。
 はやく、と。
 その人は、もう一度血を吐いた。
 左のわき腹を、鋭い何かが貫通していた。
 もう一度、今度は〝ジャスティス〟の真正面を、巨大なビームの粒子が貫いた。
 ずる、とその人の手が滑り、吸い出されていく物資とともに、その人は……。
 ――闇の中に消える直前、バイザー越しにその人はわたくしを見て、微笑んでくれたような気がした。
 〝ジャスティス〟のコクピットにうずくまる少女が、大粒の涙をぼろぼろとこぼした。
 
 『殺してしまった、わたくしが――わたくしが、ヒトを……』
 「ラクス・クライン――」
 
 フレイは呆然と彼女の名を呼び、その声が届かないことを知る。
 
 『何も、できずに、誰も、救えずに……』
 
 漆黒の闇よりも遥かに濃い黒が、ラクスの心を抉り包む。その闇はやがて女の姿へと変わっていき、フレイはそれが何者であるのかを理解した。その闇はフレイに気づくと、にたりと口元を歪める。闇に浸ったラクスがうめく。
 
 『頑張ったんです……もう一度、何とかなるって、やり直せるって、みんなで頑張れば、大丈夫だって、そう思って、頑張ったんです……頑張ったんですよぉ……!』
 
 〝ジャスティス〟と〝ミーティア〟を覆い尽くすほどの闇が溢れ、それは翼のように広がり〝ナイチンゲール〟へと迫る。闇がラクスに何かをささやく。ラクスは顔をあげ、モビルスーツすらも透過させたその闇の眼差しでフレイをじっと見据えた。
 それは、かつて〝一○五ダガー〟の中で聞いたささやきか。
 
 『ああ、そうなんだ。まだ、やりなおせるんだ……』
 
 〝ミーティア〟から一斉に六○センチ・エリナケウス艦対艦ミサイルが放たれた。七十七発のそれらは全てが闇の尾を引き命を持ったように正確に〝ナイチンゲール〟へと差し迫った。〝ナイチンゲール〟は一気にスラスター加速をかけ、〝ボアズ〟の巨大な岩壁を滑るようにして逃げる。
だが、岩壁に激突するかと思われたミサイル群は一斉に軌道を変え、そのまま〝ナイチンゲール〟を追いすがった。放たれたミサイル全てが〝ファンネル〟と化してることに気づき、逃げ切れないと判断したフレイは〝ナイチンゲール〟にシールドを構えさせた。岩壁を蹴り急加速をし、同時に向き直り腹部陽電子砲を拡散させ粒子の弾幕を張る。
いくつかの爆発があがったが、応射をかいくぐったミサイルが〝ナイチンゲール〟のシールドに直撃し、更に回り込んだミサイルが機体の全周囲から着弾した。PS装甲が辛うじて耐え切り、同時にフレイはエネルギーを消費しすぎたことに気づいた。
 
 このままじゃ……!
 すぐさまフレイはアームレイカーを操作し機体のPS装甲の硬度を低下させる。
 やがて〝ナイチンゲール〟はその色を最高硬度の赤から白へと変え、漆黒の宇宙《そら》を舞った。粉々に砕けたシールドを捨て、フレイは機体を〝ジャスティス〟に向き直らせる。
 ラクスのイメージにわずかに怯えが宿る。
 
 『そんな、何で!? だ、だって、『この前』はこれで――』
 
 彼女ははっと口元を抑え、自分が発した言葉を信じられないかのように視線を泳がした。
 
 『『この前』……? 何を、言ってるの……それって、いつ……? な、なんで、そんなこと知っているの……! あ、ああ、やだ、やだ、やだ、なんで知ってるの、どうして……! いやああぁぁあぁあああ!』
 
 彼女の絶叫と同時に、フレイはラクスの見た光景と同じものを、垣間見た。それは、知らない世界。〝ミーティア〟から放たれた無数のミサイルが〝ストライクルージュ〟を取り囲み、貪るようにして装甲に着弾する。少しばかり形状が違うユニコーンの〝デュエル〟が慌てて援護に入る。
〝フリーダム〟が必死に手を伸ばす。それは、決して〝ストライクフリーダム〟ではなく、かつてキラが乗っていた〝フリーダム〟。愛する人に祈りは届かず、言葉も、想いも届かずに、その身は炎に包まれ、〝ルージュ〟に乗るフレイは絶命した。
 キラの絶望、ラクスの後悔、守れぬ命、失われた未来、潰えた希望、夢。即ち、絶望。
 誰かの手がそっとフレイの手に重ねられる。その指先は細く、褐色をしていた。
 誰かの手が、フレイの肩に添えられる。力強い、男性のもの。
 誰かが、また誰かがフレイの側に寄り添う。鼻筋に真一文字の傷を負った、人。かつて出会った、愛くるしいまん丸の目をした、青年。口元に髭を蓄えた、老いた将官。
 彼らの心は温かく、力強く、フレイはただ願った。
 ――あの子を、助けて……。と。
 同時に胸元のお守りから淡い光が漏れ出し、やがて〝ナイチンゲール〟のコクピットに使われている全く同じ器材が共振を起こし、フレイが今まで出会った全ての命、全ての人々、あるいはそこに残された思念、全ての刻、あらゆる想いが律動し〝ナイチンゲール〟から翼のように放たれ、広がり続ける心の光は〝ボアズ〟すらも包み込む。
 
 
 
 「これは、フレイ……? いや、シャア・アズナブルか!?――来たか、アムロ・レイ!」
 
 ラウはユニコーンの〝デュエル〟を確認すると、一気に〝ドラグーン〟をばら撒いた。
 
 『これを撃たせるつもりか!?』
 
 走らされた言葉に、ラウは嘲笑した。
 
 「所詮貴様はその程度! 人を殺すことしかできない男だということだ!」
 
 〝ドラグーン〟から放たれる無数の砲撃を回避しつつ、〝デュエル〟は一基また一基と高速で動き回る〝ドラグーン〟を撃ち落していく。
 
 『――この戦いに意味があるのか!?』
 「あるとも、私は貴様とは違う!」
 
 MA‐M二二一ユーディキウム・ビームライフルからビームを撃ち放ち攻撃を加えていく。
 
 「貴様の言うことは、きっと正しいのだろうな! だがその正しさは、歴史の上の正しさにしか過ぎない!」
 
 〝デュエル〟から放たれた一条の光線が、MA‐M二二一ユーディキウム・ビームライフルの銃身を焼ききり、ラウはそれを放り捨てる。短く舌打ちをし、MMI‐GAU二ピクウス七六ミリ近接防御用機関砲をばら撒きつつ再び残った〝ドラグーン〟で一斉射をしかけた。
 
 「貴様のその言葉、果たして今を生きる人間に届くかな!? 今を生き、過去に囚われ、苦しむ人々に!」
 
 〝デュエル〟の中のアムロのイメージが、わずかに目を細める。放たれたビームの豪雨をラウは回避しつつ、〝ドラグーン〟で追いすがる。
 
 「人の『今』は、『過去』によって成り立っている! 私は決して『過去』を見捨てたりはしない! 貴様の言うそれは、『弱者』を置き去りにするものだ!」
 『俺が、置き去りにした――!?』
 
 それが、ラウの感じる所だ。本当ならば、政治家にでもなって今を変えようと努力すべきであった。戦いしかできないと言うのは逃避でしかない。人類の可能性を信じるという、無意味な行動。彼自身が、人類の可能性にならなければいけなかったのだ。
 それが、シャア・アズナブルを、ララァ・スンを殺した者の責任。
 
 「そして、知るがいい――この宇宙《そら》に、強者などはいないと言う事を!」
 
 ついに全ての〝ドラグーン〟を撃ち落され、〝デュエル〟が〝ジェネシス〟外壁を忍者のようにとび蹴りビームサーベルを抜き去った。ラウも同じくしてMA‐V○五A複合兵装防盾システムからビームの刃を出し、応戦する。
 
 「人類全てが、弱者なのだ! 人という種は、貴様が思っているほど万能ではない! 貴様や私のような者が前に立ち、行動を起こさねばならなかったのだ! 未だにそれを理解できず、愚鈍なまま信じるという無意味な行為に甘んじ、果ては愚民どもにその才能を利用されているだけの貴様には地を這いつくばって消えてもらう!」
 
 〝デュエル〟の刃と〝プロヴィデンス〟の刃が虚空の宇宙《そら》で交差する。アムロが叫んだ。
 
 『だが、貴様のその理屈で、たくさんの人を巻き込んで良いという道理はないはずだ!』
 
 がちりと互いの双眼《デュアルアイ》が交差し合い、にらみ合う形となる。
 
 「それが貴様の限界だと言った! 貴様は『恵まれた者たち』の目線に立って物事を考えている!」
 『それでも、人はそこで生きている! 営み、慈しみ、生活をしている! そうやって結論を急ぐから、失う必要の無い命を失ってこういうことになる! 貴様は、今を生きる人々の命を軽んじているだけだ! それでは何の解決にもならない!』
 
 〝プロヴィデンス〟が〝デュエル〟を蹴り飛ばそうとしたが、〝デュエル〟は機体をくねらせそのまま〝プロヴィデンス〟の背後を取る。瞬時に反応したラウは再び光刃を煌かせ、同じく〝デュエル〟の刃と交差する。
 
 「それでも、私は! 『奪われた者たち』の為に戦う。未来など無いと絶望し、消えようとする命に、最後の輝きを、人の心の光を見せる!』
 
 ラウは、月であの暖かさに触れ、変わった。
 人の可能性を知り、暖かさを知り、未来を信じ、垣間見た刻に絶望した。
 抗わねばならない、この運命《さだめ》に。
 そして、ラウは答えを導き出した。
 人の為? 平和の為? 世界の為? それが何になる。世界の知らない誰かの為に戦って、そいつは感謝をしてくれるのか? 泣いてありがとうと言ってくれるのか? 
 それは幻想だ。
 その誰かは、平和な世界で人を殺すかもしれない。その誰かは、すぐに戦争を忘れ、また戦争を起こすかもしれない。
 誰かの為になど、戦うつもりは無い。
 時間はもう残されていない。
 時は、動き出したのだ。
 運命《さだめ》が背後から迫ってくる。逃れようの無い、死の運命《さだめ》が。 
 垣間見てしまった、刻。
 では、どうする?
 たった一つの活路を、ラウは見出していた。それは――
 ビームの刃を交差させたまま、〝プロヴィデンス〟は〝デュエル〟をじりじりと追い詰める。
 もう二度と、誰にも、奪わせはしない。
 どんな犠牲を払ったとしても、二度と。
 
 「だから過去の為に! 今よ! 死ねよやァ!」
 
 
 
 〝ジェネシス〟内部に侵入した敵機を迎撃すべく、シホは専用の〝ザクファントム〟を走らせた。既に〝ミーティア〟は撃墜され、同じようにしてラスティの〝グフイグナイテッド〟と黄昏色に染められたミゲルの〝ザクファントム〟が続く。
 
 「ラスティ、真面目に戦ってよね!」
 
 普段の行いからもはや信用と信頼がマイナスにまで達している一応先輩のラスティに声をかけると、彼は反省した様子も無く〈信頼ないなー〉と返す。それがまたシホを逆撫でた。この〝ジェネシス〟は、連合との交渉の切り札になるというのに、この男は! だが、シホにとっての救いはミゲル・アイマンが共に出撃していることであり、 彼ならば安心して背を任せられる。
 
 〈来るぞ!〉
 
 ミゲルが短く言うと、〝ジェネシス〟に砲撃を加えつつ三機のモビルスーツが姿を現した。忘れるはずも無い、かつての『足つき』で幾度と無く煮え湯を飲まされた宿敵たち――!
 シホは己の〝ガナーザク〟に装備された〝オルトロス〟を撃ち放った。イザークたちは今部隊をまとめて〝ボアズ〟司令部と〝ジェネシス〟を手中に収めようとしているため、支援は期待できない。全てが完了するまで、なんとしても連合の部隊を押さえ込まなければならない。これは、引けぬ戦いなのだ。
 〝フリーダム〟に残された一枚の蒼い翼が舞い散り、やがて意思をもったようにじぐざぐに機動しつつビーム射撃を打ち放つ。〝ハイペリオン〟が背部ビームキャノンを撃ち放つと、ミゲルの〝ブレイズザク〟がMMI‐M六三三ビーム突撃銃で応戦した。
一気に距離をつめる〝ソードカラミティ〟が対艦刀を振りかぶり、同時に〝ハイペリオン〟がビームナイフを抜き去った。二機の巧みな連携を全て一振りのMA‐M八ビームトマホークでいなしながら、〝フリーダム〟への警戒も怠らない。
 
 「凄い……」
 
 ここへ来て、『黄昏の魔弾』のその強さを改めて再認識させられた。すぐに〝フリーダム〟が残された一丁のビームライフルを構え支援に入ろうとしたが、ラスティの〝グフ〟に装備されたMA‐M七五七スレイヤーウィップがそれを焼き千切り、そのままMMI‐五五八〝テンペスト〟ビームソードでなぎ払った。
 
 〈何やってんの、援護!〉
 
 ラスティの叱責が飛び、シホは慌てて〝オルトロス〟で〝フリーダム〟を狙い撃った。〝フリーダム〟が応射する暇すらも与えず、〝グフ〟が鋭い斬撃で〝フリーダム〟を追い詰めていく。シホが〝オルトロス〟で再び支援に入ろうとしたところで、ミゲルの声が通信から漏れ聞こえる。
 
 〈――貰った!〉
 
 ミゲルの〝ザク〟が、〝ソードカラミティ〟の対艦刀を根元から斬りおとし、返す刃で胸部コクピットを抉り斬った――否、斬ったはずであった。同時に押し寄せた光の波が敵機を覆いその一撃を防ぎきる。
 
 〈ミゲル!〉
 
 ラスティが驚愕して叫ぶ。〝グフ〟の追撃を引き離した〝フリーダム〟がビームサーベルを抜き去り、〝ソードカラミティ〟のバリアに弾かれた黄昏の〝ザク〟に突き立てた。同じようにして光の膜が〝ザク〟を覆ったが、別の漆黒の輝きがそれを払い去る。
 
 「ミゲ――」
 
 名を呼ぶよりも早く、〝フリーダム〟の突き立てたビームサーベルがミゲルの肉体を消滅させ、彼の乗る〝ザク〟が誘爆を始める。シホは思わず絶叫した。
 
 「いやぁぁ! ミゲルが、ミゲル・アイマンがあ!」
 
 シホが隊に配属されてから一年が経とうとしている、その間、ミゲルは常に隊のことを考え、初期のころはシホとアイザックに世話を焼いてくれて、部隊の顔であったミゲル・アイマンが、ここで、こんな戦場で――。
 これからだって言ってたのに。みんなで一緒に、これからが大変だって。一番大事だって、そう言っていたのに……。
 
 〈撤退だ、シホ!〉
 
 怒鳴るラスティの声も、シホには届いていなかった。目の前の〝フリーダム〟の胸部が輝き、そこから強力なビームが放たれる。その輝きがシホの身を焼くよりも早く、ラスティの〝グフ〟が躍り出た。
 
 「ラスティ!」
 
 涙を宙に散らせながら叫ぶと、ラスティは〝グフ〟の融解していくシールドを捨て、そのまま〝ザク〟を抱きかかえ宙域を離脱した。
 敵が追ってこなかったのは、〝ジェネシス〟の破壊を優先したからだろう。
 シホは〝グフ〟に抱きかかえられながら、ぼろぼろと涙をこぼした。
 
 「ミゲルが、ミゲルが死んじゃったよお……!」
 〈馬鹿! 初めてじゃないだろうに、人死になんて!〉
 
 苛立ちを孕んだラスティの言葉に、シホは激昂した。
 
 「だって、ミゲルなのよ!? ずっと一緒だった、ミゲル・アイマンなのに!」
 
 それなのに、ずっと、仲間だと思っていたのに! ぼろぼろとこぼれ落ちる涙を拭うため、シホはおもむろにヘルメットを脱ぎ去り、ぎゅっと手のひらで頬を拭った。
 
 〈何やってんの! 索敵!〉
 
 緊張したようすで周囲に目を配らせるラスティは、そのまま慎重にスラスターを吹かせる。抱かれたままの〝ザク〟の中で、シホはまたいらだった。
 
 「だって、イザークも、隊長も、ディアッカも、ニコルも、アイザックも、ミハイルも、みんな、みんな一緒だったのに、これまでずっとやってきたのに、一人だけいなくなっちゃって、私――」
 〈戦闘は終わってない!〉
 
 彼が言うと、ちらと視界に〝ミネルバ〟を捉え、シホは安堵した。
 
 「〝ミネルバ〟、帰ろうラスティ、早く!」
 〈だから、まだ敵が――〉
 
 同時に警報《アラート》が鳴り響き、シホがはっと視界をやると同時に〝グフ〟がシホの〝ザク〟を〝ミネルバ〟に向けて投げ捨てた。
 
 「あっ――」
 〈言ったろうが!〉
 
 そう毒づいた親友の台詞が、彼の最後の言葉であった。黒き光の粒をまとった光条に貫かれたラスティの〝グフ〟は、やがて誘爆を起こし、巨大な火球となる。
 
 「ラスティ……? ラスティー!」
 
 はっと攻撃のあった方向を見据えると、そこには高速で接近する連合のモビルアーマー部隊の姿を捉えた。
 シホは震える指で操縦桿を握りなおし、うわごとのように「イザーク、イザーク」と愛する人の名を呼び続けた。まだ好きだとも言ってない、キスもしてもらってないのに。嫌だ、死にたくない、死にたくない。敵のモビルアーマー〝メビウス〟がシホの姿を確認し、一斉に向き直る。
同時に無数の光条が〝メビウス〟部隊を襲い、六つの火球が再び虚空を汚した。
 
 〈シホ、無事か!〉
 
 数箇所の応急処置を施された〝プロヴィデンス〟が〝ザク〟を守るようにして寄り添う。
 
 「隊長、クルーゼ隊長……!」
 〈〝デュエル〟を見失った。――ミゲルとラスティはどうした?〉
 
 問われたシホは、何も言えず、ただ嗚咽と涙で返すことしかできなかった。通信モニターの中で仮面の男の表情がわずかに曇り、忌々しげに舌打ちをしてうめくように言った。
 
 〈まさかあの二人がな……〉
 
 彼の言葉の意図がわからずにシホはそのまま泣きじゃくる。
 〝プロヴィデンス〟はそのままシホの〝ザク〟を優しく抱きかかえ、今度こそ〝ミネルバ〟へと帰路をたどった。
 
 
 
 群がる〝ザク〟を相手に〝ドミニオン〟は針ねずみのような弾幕で懸命に応戦し続けていた。一機のモビルスーツが放った攻撃が、吸い込まれるように〝ドミニオン〟の左舷モビルスーツデッキを直撃し、巨大な火柱が上がる。
 損害情報をメリオルが報告して行き、最後の付け加える。
 
 「――居住区に火災発生!」
 
 居住区……。一度、あの一番年少の少女の顔を思い描き、最悪の結末を否定するようにして首を振る。
 
 「消火作業、急げ!」
 
 あわただしくナタルが指示を飛ばすと〝パワー〟の〝ウィンダム〟隊が〝ドミニオン〟を支援するようにして降り立つ。そして、同時に思い立った。左舷のデッキには、〝ガイア〟が今しがた補給に戻ったばかりだったよな、と。
 が、ナタルは再び艦の指揮へと没頭していった。
 今は、今できる事をしなければならないのだと、知っていたから。
 
 
 
 シンは炎上する左舷デッキで一人の少女を探していた。つい今しがた補給を追え出撃しようとしていたシンと入れ替わりで、〝ガイア〟が降り立ち、パイロットのステラがコクピットからはいでたばかりの出来事だったのだ。そんな、まさか――! シンが懸命に生存者を探していると、たぎる炎の中にわずかに動く影を見つけ、はっと〝アカツキ〟を滑らせた。
 
 「ステラ!」
 
 マニュピレーターで丁寧に炎から守り囲ってやると、一人の見知った男の腕に抱かれ、ぶるぶると恐怖に震える少女の瞳がシンを見据えていた。
 生きていた……!
 シンは慌ててコクピットを飛び出し、ステラを抱き寄せる。彼女は無言のままきゅっと唇を結び、ぼろぼろと大粒の涙をこぼした。ふと、ステラを守るようにして息耐えていた男に目をやり、彼は戦慄した。
 
 「――ハマナさん……」
 
 同時に宙を漂ういくつもの死体の中に、ブライアンを初めとする見知った整備兵の仲間達の姿を捉える。
 彼らは逝ってしまった――。
 もう二度と会えない、どこかへ。
 そのままステラを抱き抱え〝アカツキ〟へと戻ったシンは、自分を守り死んだ父と母のことを思い出していた。
 
 
 
 それは、神の悪戯か、あるいはただの偶然であったのかもしれない。
 爆炎が襲い、ひしゃげた鉄の板が、マユの隣から先にいた人達を押し潰した。
 わずかに残る腕の感触。
 その隣にいた人が、マユの腕を押してくれたような、気がした。
 理由は、もう聞けない。その人はいなくなってしまったから。
 それは、悲惨の境界線。
 マユの隣から、その先が、この世とあの世の境目なのかもしれない、と思い当たっていた。
 少し、自分の感情が欠落しているのかもしれない、とも。
 父と母の惨たらしい死を間近で見てしまったからかもしれない。
 すぐ隣にいたはずのムラタ料理長が消えても、一緒に料理を作った給仕兵達が潰されても、涙は出なかった。
 もう枯れているだけなのかもしれない。
 でも、本当は、いっぱい泣きたい。どうして死んじゃったのって、思い切り泣きたい……。でも、どうしたら良いのか、わからなくて……。
 
 
 
 巨大モビルアーマーがビームの刃を煌かせ〝ドミニオン〟に迫る。だが、アズラエルは眼前に広がるビームの粒子の輝きとは全く別のものを見ていた。淡い輝きに浮かぶ、死したはずの父が短く『すまなかった』と告げる。
 そのまま彼はどこか寂しげな表情になり、アズラエルの瞳をしっかりと見据え、言った。
 
 『ありがとう』
 
 と。
 キャプテンシートからナタルが身を乗り出し、震える声で「兄様、姉様……」とつぶやいた。メリオルもまた、そこにいるはずのない誰かを見据え「ごめんなさい、ごめんなさい、みんな……お父さん、お母さん……」と懇願するように涙をこぼす。
やがて視覚できるほどの分厚い光の膜が、迫るビームの輝きに真正面からぶつかり、少しずつその闇を払っていく。
 
 「人の、心の、光……」
 
 アズラエルは呆然とつぶやいた。この暖かさが、人を変える。その光の源に携わったというわずかな誇りと、同時にここまで大きく回り道をしてしまったことへの後悔。そして同時に多くのコーディネイターたちがこの輝きの意味を知覚できていないことを知り、その存在のためにアズラエルは初めて涙をこぼした。
 
 
 
 純白の〝ナイチンゲール〟が〝ジャスティス〟をがちりと抑え込む。ラクスはその存在を孤独の闇から救い出してくれる神話の神のように思えていた。ガルナハンで聞いた白亜の巨神『ガンダム』とは、まさに今目の前にいるそれそのものに思える。
きっと、彼女は全てわかっている。わたくしがここにいることも、何を見て、何を思っているのかも。ラクスはあふれる涙も拭かずに〝ナイチンゲール〟を見据えた。
 
 「お願い、もう、殺して……」
 
 この孤独から救って。この不安から、この絶望から。このまま生き続けてはきっと全てを憎んでしまう。愛する人すらも殺してしまう。だから――
 ふいに、メインモニターに映る純白の竜の胸に、ちらと赤い影が見え、ラクスはすぐにそれが赤いパイロットスーツを着たヒトなのだと気づいた。思わず凝視し、ヘルメットのバイザーすらも邪魔だと感じたラクスは、一歩外に出れば命の存続すら許さない漆黒の宇宙《そら》だという事も忘れヘルメットを脱ぎ捨て、メインモニターを食い入るように見つめた。
その赤い人は、やがてその闇の宇宙《そら》で、ラクスと同じようにヘルメットを脱ぎ、薔薇のような赤髪を真空になびかせ、ラクスが馬鹿なと思うよりも早くオーロラの輝きが〝ナイチンゲール〟と〝ジャスティス〟を覆い、人の命を脅かすあらゆる害悪を遮断した。
フレイの灰色の瞳がラクスをじっと見据え、彼女がそっと手を伸ばす。その眼差しはどこまでも優しく、二人の少女の心が一つとなったとき、ラクスは彼女の心を通じて、人々の意思を垣間見た。
 ああ、そうか。そうだったんだ……。みんな、こんなに心配してくれて……。
 嫌なら嫌と言えば良かったんだ、好きなら好きだと言ってしまえば良かったんだ。我慢するのも、しないのも、全ては自分自身の選択。最初から、ラクスの心は自由だったのだ。何者にも束縛されてい無い、あらゆる選択肢が用意されていたではないか。あの日、あの時、生まれて初めてのコンサートに行かずに帰る事だってできた。
マルキオに、もう二度と会いませんという一報を入れる事だって簡単だったはずだ。それをしないという選択をしたのは、他ならぬラクス自身。
 それでも、例えそうだとしても。その結果、ここにいる。こうして貴女の心に触れることができた。たくさんの人の想いを知る事が出来た。歪んだ心も、間違った選択も、一つでも違っていれば、貴女に出会う事は無かったかもしれない。今までの人生に、疑うべき事など、何一つとして無かったのだ。
あらゆる過去を肯定しおもむろに手を伸ばすと、ひとりでに〝ジャスティス〟のコクピットが開き、オーロラの輝きが彼女を包み込んだ。背後の這い出た闇がラクスに覆いかぶさる。途端に彼女の胸のうちから光が溢れ、その闇を切り裂いた。その光はやがて人の形を成し、ラクスの背を優しく押す。
その瞳を、ラクスは知っていた。生まれてからずっと愛情を注ぎ、今日までラクスを育ててくれた、たった一人の家族。最後を看取ることすら許されなかった、その人は……。
 誰かが、ラクスの手を優しく包む。促されるまま正面を見据える。そこにはラクスと同じ桜色の髪をした女性が優しく微笑み、それが母なのだと気づくと、ラクスはずっと一緒にいてくれたのだと理解し、溢れ出る涙が頬を伝うと、彼女はオーロラの世界へと投げ出された。
輝きに導かれるままオーロラの帯に運ばれ、〝ナイチンゲール〟の胸で手を差し伸べる少女の下へと導かれる。
 指先が、最初の友達の指に触れる。その感触は懐かしく、かつての日々を思い起こす。
 思い出は、どれも輝いていた。それは、〝アークエンジェル〟にいた頃だけではない。何もかもが、暖かく、優しく……。
 頑張らなくても、良かったのかもしれない。
 ――甘えてみよう、ほんの少しだけ。前を向いて、偶には後ろを振り返って、立ち止まったり、座ったりしながら、ゆっくりと歩んでいければそれで良いのかもしれない。自分を許してあげよう。だって、他でもない自分自身なのだから。
 〝ジャスティス〟の双眼《デュアルアイ》がぎらりと輝く。〝ミーティア〟をパージし放たれたMA‐四Bフォルティス・ビーム砲がどす黒い輝きを放ち追いすがる。フレイはラクスを抱きかかえコクピットへ戻ろうとしたが、間に合うはずも無く、しかしすぐに白い輝きが〝ナイチンゲール〟の間に割って入り褐色の少女のイメージとなり、その闇を再び払った。
自動操縦で放たれた〝ナイチンゲール〟の〝ローエングリン〟が〝ジャスティス〟を貫くと、やがて誘爆を起こし四肢を散らせた。
 漆黒の宇宙《そら》は色を変え無限の蒼宇宙《あおぞら》となって星々が瞬き、その鼓動はラクスの人生全てを肯定し、称えてくれていた。
 
 
 
 光が消えると、同時に抵抗していたモビルスーツ隊のうち何機かが撤退して行き、取り残された状況がわからぬ〝ザク〟や〝ゲイツ〟といった機体がきょろきょろと周りを見渡す。ふいに、全周波数へ向け、回線が開かれた。
 アズラエルはやれやれと髪をかきあげ、結局ハルバートンの一人勝ちかと溜息をついた。
 モニターに、一人の青年が映り込む。
 
 〈栄光あるザフトの兵士たちよ、私は新生ザフトのアスラン・ザラである〉
 
 彼がこうも自信に満ちて告げるということは、〝ジェネシス〟の破壊は間に合わず、尚も稼動状態にあるということだろう。あーあーもう、ほんと、ハルバートンにはこれからでかい顔をされちゃうじゃあないですカ。
 
 〈我々コーディネイターによって引き起こされたこの戦いは更に激しさを増している。今こうしている間にも、かけがえの無い多くの命が戦火に焼かれようとしている。コーディネイターの自立という崇高なる目的があったとはいえ、この戦いが人類に与える損害はあまりにも大きい〉
 
 だが、コーディネイターによって引き起こされた戦争と断言した彼には、甘さを見抜きつつも一定の評価を下すのがアズラエルという男である。
 
 〈諸君らの親と兄弟、恋人たちの死への責任は、ザラの名を継ぐこの私にもあると言わねばならないだろう。その事を、私の婚約者であるラクス・クラインが身を持って教えてくれた〉
 
 彼が短く言葉を切ると、アズラエルはわずかに疑念を浮かべる。この口ぶり、まさか――。
 
 〈だから、私は言わねばならない。諸君らの愛してくれたラクス・クラインは死んだ! ラクスは、私の甘い考えを目覚めさせるために死んだのだ!〉
 
 傍らのナタルが「……馬鹿な」と短くもらす。
 
 〈だから私は立つ! ザフトの兵士達よ、我の元へ集え! 私は人々の死を決して無駄にはしない。この戦いに終止符を打つため、諸君らの力を私に貸してほしい! 人類の未来の為に! 我らザフトの為に!〉
 
 
 
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