既にストライクが出撃して約二時間近くが経過し、その間アークエンジェルは低空飛行で蛇行するようにゆっくりと航行していた。
そのアークエンジェルのロッカールームからパイロットスーツ姿のムウとトールが姿を現す。
二人の目の前にはカガリとキサカ。両人とも彼らを待ちながら背中を壁に預けていたが、姿を現した二人を見ると足早に近付いた。
「トール。お前があのガキの上官役だ。変な事をするようなら報告しろ。その時は檻の中にぶち込んでやる。二度と同じヘマはするな」
「了解しました」
カガリを一瞥したムウが厳しい口ぶりで言うと、トールは真剣な表情で頷いた。
今回は単機での任務。今度は助けてくれる味方すらもおらず、ましてや仲間達の命がかかっている。トールとしても、前のようなカガリの暴走をは何としても抑えなければならない。
そのカガリの保護者である巨漢――キサカがトールに向かって歩み出て来ると神妙な面持ちで言った。
「ケーニヒ少尉。……カガリの事をよろしく頼む」
「……はい」
キサカの父親のような口ぶりにトールは少しばかり戸惑いながら頷く。
カガリが死ぬと言う事は自分も死ぬと言う事だ。言わば一蓮托生。少なからず他人の命を預かる事になったトールの心中に、今まで以上の責任感が生まれ始めていた。
緊張気味のトールに向かって、ムウは真剣な口調で言う。
「ミスって撃ち落とされるなよ。……ヤバいようなら南アフリカ領に逃げ込め。国は違えど、一応同じ連合軍だからな。ザフトの連中も簡単には追っては来れない」
「フラガ少佐。……その場合は、どうやって合流すればいいんですか?」
「ん……そうだな。安全そうな場所を探して着陸。それで機体を目立たない場所に隠してのんびりしてれば良いんだよ。それから救難信号出すの忘れるな」
唾を飲んだトールが聞き返すと、ムウは緊張を解きほぐすように少しばかりいい加減な言い方をした。だが、そんな言われ方をして困ったのはトールの方だった。
「安全そうな場所……ですか?」
「木の下でも何でも良いさ。上から見えなけりゃ、結構見つからないもんなんだよ」
「分かりました」
ムウは苦笑いを浮かべて軽い口調で答えると、トールは曖昧な顔で頷いた。そしてすぐにムウはカガリへと顔を向けて表情を一変させながら告げた。
「おい、下手な真似はするなよ。お前は死んでも文句言える立場じゃないんだからな」
「……私から言い出した事だ。それくらいは覚悟している」
「それは良い覚悟だ事で」
カガリが不機嫌そうに答えると、パイロットスーツ姿のムウは皮肉るように一言付け加えて足早にその場をキサカと共に立ち去って行った。
二人が通路の角をまがり姿を消すと、トールがカガリへと顔を向ける。
「お前さ、俺の後ろに乗るならパイロットスーツくらい着ろよ」
「別にあんなの着なくても大丈夫だろう」
「あのな……お前、さっき命令には従うって言っただろう」
さも当たり前のようにカガリが答えると、トールは溜め息を吐いてから言葉を切り返した。
少しだけカガリは面倒くさそうな表情を見せるが、自分から約束した手前もあって、
「……分かった。……着替え覗くなよ」
と言って、一言付け加えて警戒するような目でトールを見詰める。
「誰が覗くかよっ!」
「うわっ!? 唾とばすなっ! 汚いじゃないか!」
お約束のようにトールが怒鳴ると、以前にもあったようなやり取りを二人は繰り返した。だが、出撃の時間が徐々に近付いている事もあり、二人はその場を修める事にした。
「もう……まったく……」
「良いから早く着替えてこいよ」
「……分かったから待っていろ。なんで私が……」
ぶつくさと文句を言いながらハンカチで顔を拭っているカガリをトールが急かすと、彼女はえらく不機嫌そうに応えた。
この不毛な会話にうんざりしたのか、トールは面倒くさそうに言った。
「ごちゃごちゃ言ってないで早くしてくれよ。時間がないんだからさ」
「分かってる。……絶対に覗くなよ」
「だから、お前みたいな男女なんて興味ないって」
念押しするカガリだが、トールにとってはどうでいい事らしい。だが、ぽろりと口から出たその言葉は彼女にとっては屈辱に等しかった。
「おっ、男女!? ……このバカっ!」
カガリは顔を真っ赤にすると、トールの尻を足蹴にしてずんずんとロッカールームへと入って行った。
「……ったく。少しはおとなしく出来ないのかよ」
閉じた扉に向かって、トールは蹴られた尻をさすりながら呟いた。
それから十分ほどカガリの着替えを待つ事になる。
モニターに映る景色が大気の熱によって揺らいでいる。
点在する岩山の影に隠れるように砂漠の黙々と歩いて行く灰色のストライク。勿論だが周りに味方などはいない。
一度、ストライクの足を止めさせたキラは、うかがうようにモニターを通して砂の大地を見回した。
「まだ大丈夫……」
そう言って、キラは一人の恐怖を打ち消す。
単機でいる以上、複数の敵機に見つかるような事になれば、追い込まれかねない。作戦を成功させる為には偵察機だろうが人であろうが、ザフト軍に見つかるわけにはいかない。
そんな緊張からかキラは喉の乾きを憶え、口の中の唾液が不快に思えた。今、水分が取れる物と言えばサバイバルキットの中にある水くらいしかない。キラはシートの下に手を伸ばすと取っ手を引っぱり、アタッシュケースに似た金属製の箱を取り出した。
箱を開けたキラはすぐに中から水筒を取り出して喉を潤す。冷たくはないが、今の状況ならこれで十分。すぐにケースを元の位置に戻し、キラは再び操縦桿を握り直した。
ストライクもキラの気力が戻ったのに合わせるように再び歩き始めた。
「そろそろザフト軍のレーダー範囲に入る頃か……」
時間とレーダーを確かめたキラは、コンソールに急造で取り付けられた小さな箱型の無線機に目をやった。
この無線機、正しくミラージュコロイドを作動させる為だけに取り付けられた物だ。元々、ストライクにはミラージュコロイドを作動させるシステム自体が組み込まれていない。
その為、こうして無理矢理取り付けはしたのだが、有り合わせと言った状態の為にミーラージュコロイドの稼働率や展開状況を確かめる術が無いのだ。
「姿を消せるのは四十五分だけ……。急ごう」
ミラージュコロイドの展開具合にいささか不安はつきまとうが、取り付け作業を行ってくれた整備兵達を信じる以外にない。キラは呟いてのスイッチを押し込んだ。
すると灰色のストライクにワイヤーで固定された噴霧器が霧状の粒子を吐き出し始め、機体を徐々に覆い始めた。
「そろそろ……かな?」
未知数のミラージュコロイドという物に戸惑いながら、キラは操縦桿をゆっくりと前へと押し出した。
一歩一歩、砂の大地を踏みしめるストライクの姿は、完全に周囲の風景に溶け込み巨大な足跡だけを残すが、時折吹く風が砂を動かしてその痕跡を覆い隠して行く。
「怖いのは……音紋と振動……。気をつけないと」
出撃前にアムロから受けた細かい注意を思い出しながら、キラはモニターを睨み続ける。
泣いても笑っても全ては四十五分以内に敵基地に近付き、決着をつけなければならない。そして生き残り、仲間達と共にこの砂の大地を脱出する事が目的なのだ。
キラとストライクは目標に向かって、黙々と灼熱の砂漠を進み続けた。
ストライクが出撃して既に三時間強が経過していた。
アークエンジェルは各基地のレーダー予想範囲を逃れるようには蛇行を繰り返していた。
相変わらず外の日射しは強い。マリューは白い船体が反射する光から目をそらして時計へと目をやると、ブリッジによく通る声で指示を出した。
「アークエンジェル一時、着艇。いつでも飛び立てるようにエンジンはそのままの状態をキープ。各員、第二戦闘配置のままを維持して」
「了解。アークエンジェル着艇します」
「レーダー正常作動中。今のところ敵機は見当たりません」
「各員、第二戦闘態勢を維持。繰り返す、各員、第二戦闘態勢を維持。艦内戦闘員は周辺警戒に当たれ」
高度を落とし始めたアークエンジェルのブリッジは、マリューの掛け声と共に慌ただしく動き始めた。
戦闘司令所の椅子に腰をかけていたアムロは時間を確認してからナタルに声をかけた。
「そろそろだな」
「ええ。格納庫、スカイグラスパー一号機の出撃準備を」
頷くナタルは指示を出すと、アムロと共にマリューの元に向かった。
「キラ君……大丈夫かしら?」
「上手く行ってくれなければ、我々が困ります」
自分の元にやって来る二人にマリューが不安気な顔を見せるが、ナタルはあっさりと受け流してクルー達の動きに目を向けた。
ナタルの言う通り事が上手く行かなければ、アークエンジェルは脱出路、機体、パイロットを失い大きな痛手を被る事になる。それが導き出す結末は母艦の撃沈または拿捕。それは最悪の想定と言っても良い。
特にクルー達はそれを回避する為に万全を期し、マリュー達が何か言わずとも率先して動いているのだ。
クルー達の動きを確認していたナタルは、再びマリューへと顔を向けて言う。
「どちらにしても今は艦の安全が最優先です。単機で出ているヤマト少尉には無理にでも帰って来てもらわねばなりません」
「……そうね。それにもう作戦は始まっているのだし、キラ君には負担を強いるけど決まった事だし仕方ないわ」
「キラは誰よりもストライクに乗っている分、機体の事は一番良く知っているはずだ。俺達が思うよりも上手く使いこなせるだろうが、後は運だからな。今は信じるしかない」
艦長席でマリューが息を吐くと、アムロは少しでもみんなの気を軽くする為か、キラの好材料を引き合いに出した。
その言葉に納得したような表情を見せたマリューが頷く。
「そうですね。今は待つしかないですものね」
「気休めにしかなりませんが、ヤマト少尉ならやってくれると信じます。でなければアムロ大尉がヤマト少尉の出撃に首を縦に振るはずがありません」
「そうよね。ナタル。……必ず全員で脱出しましょう」
未だ結果が出ていない状況ではあるが、ナタルが自信を持って発言すると、マリューは力強い言葉で応えたのだった。
その二人のやり取りの間に、アムロは格納庫のムウへと通話回線を開いていた。
「ムウ、聞こえているか?」
『勿論だ』
応えたムウは、どうやらスカイグラスパーの中からではなく、格納庫内のコンソールパネルを使っているようだった。
それを証明するようにモニターに映るムウの背後では、整備兵達がスカイグラスパー一号機の出撃準備に慌ただしく対応している様子が見て取れた。
アムロはモニターの中のムウに向かって行動内容を繰り返した。
「予定通り攻撃対象はレーダーと迎撃兵器。爆撃終了後にストライクが無事に離脱していれば、そのままスカイグラスパー二号機の援護に向かってくれ」
『了解してる。とりあえず基地の方は叩けるだけ叩いておく。……なあ、トールを助けに行った場合、合流は本当に国境越えてからで良いのか?』
「フラガ少佐。作戦通りで構いません。国境を超えて南アフリカ側へ離脱してください」
頷いたムウが物言いたげに切り返すと、少しリラックスしたような表情のマリューが答えた。
国境を越えさせる理由――。それは実に簡単な事だ。
下手にザフト軍勢力下にいるよりも、友軍である南アフリカ領内の方が安全だからだ。ザフト軍も簡単に領空を侵して来る事は無い。
それに同じアフリカ戦線と言えど、この辺りの軍事的行動は他の地区に比べるとあまり大きく動いているとは言えない状況にあった。恐らく、両軍共に大きな予定が控えているのかもしれない。
そんな時期に予想外に戦線が大きく移動する事になれば、予定を見直さなければならなくなる。両軍ともにそのような不測の事態を招きたくは無いはずだ。
ムウが画面の向こうで眉を寄せて聞いて来た。
『大丈夫なのか?』
「大丈夫ですよ。ここまで来れば目と鼻の先ですから、一気に突破して合流しましょう。予定進路は分かっていますよね?」
『勿論、知ってるさ。それじゃ、お言葉に甘えてのんびり待たせてもらうわ』
「少しの間ですけれどゆっくりしてください」
わざとらしく肩を竦ませたムウに、マリューははにかんで答えた。
やり取りを終えた画面の中のムウが顔を引き締めてアムロに声をかけた。
『そうだ。アムロ。キラに伝言は?』
「……無事に離脱していたなら、良くやったと伝えてくれ」
伝言など予想もしてなかったのだろう。アムロはわずかな時間を沈黙すると真剣な表情で伝えた。
『確認したら伝えとく。発進準備終わったら行って来る。アークエンジェルのお守りを頼む』
「了解した。頼んだぞ、ムウ」
『んじゃ、先に南アフリカで待ってるぜ』
ムウは唇の片方をつり上げて不敵な笑みを見せるとモニター画面が黒く変色した。
今までムウが映っていたモニターに地図が出されると、マリューはその会話の内容から何か感じ取ったのか、少し嬉しそうに口を開いた。
「フラガ少佐、トール君を助けに行くつもりなのね」
「弟子のようなものですからね。それにこの作戦の成功を確信しているのでしょう」
「その為にも最善を尽くしましょう」
「はい」
マリューの言葉にナタルは力強く頷いた。
この想いは、この船に乗る全てのクルー達が願っている事に替わりはない。
それを後押しするようにアムロは静かに口を開く。
「……この作戦、必ず上手く行くさ」
「アムロ大尉……。ニュータイプの感……ですか?」
「そうだ」
異世界から来たアムロの確信的な言葉にナタルが微笑みながら小声で返すと、彼はただ静かに頷く。その応えにマリューとナタルは目を合わすと、確信を得たように頷いた。
「ナタル。俺はνガンダムで待機する。情報は逐一流してくれ。頼むぞ」
「はっ!」
一度、モニターを見上げたアムロが告げると、ナタルは踵を返す彼を敬礼で送り出す。それに倣いブリッジ要員達が同じように敬礼でアムロを送り出した。
彼等に取って、今唯一、アークエンジェルを守れるパイロットはアムロ・レイだけだ。ムウ・ラ・フラガと共に作戦従事中のキラ・ヤマトを叩き上げ、如何なる時も不利な状況をことごとく覆して来た。
例え『ニュータイプ』と言う言葉の意味をクルー達が解らなくとも、これまでアークエンジェルの窮地を救って来たアムロの存在が、ブリッジにいる者達に諦めない希望を与えていたのだった。
砂漠の熱の影響だろう。ストライクのモニターに映る砂漠と岩山が揺らめいていた。
すでにストライクはザフト軍基地に約二キロの距離まで接近。それを証明するように砂と風の音に混じり、スピーカーから航空機の爆音が聞こえて来た。
キラはすぐにストライクを岩場の陰へと移動させると言う無用な行動を起こしたがそれも仕方が無い。ミラージュコロイドと言う使い慣れないもので身を隠してはいるが、本当に誰からも見えていないか不安なのだ。
岩場の陰からストライクがうかがうように周辺を見渡した。
「あれは……モビルスーツと戦闘機。トールが進入したんだ」
モニターにはザフト軍攻撃戦闘機三機が爆音を上げて飛び去ると、その後をバクゥおよびジンからなるモビルスーツ隊六機が移動して行くのが見えた。
敵機が離れたからと言って今すぐ突入したのではすぐに戻ってきてしまう。かなりの距離を置かなければいけない事を考えれば十分以上は待たなければならない。
とにかく今はレーダーが使えない以上、全てを目視で確かめる以外に方法はなかった。離れて行く敵機を最大望遠で確認しながらキラは慎重にストライクを歩ませ始めた。
場所は伝え聞いているとは言え、あれだけまとまった敵機を確認出来るほどだ。ザフト軍基地は近い。
「もうすぐ……もうすぐだ……」
キラの口から緊張で強張った声が漏れた。
あれだけの数が出て行ったのだから基地に残る機体は少ないはずだが、敵機が離れたからと言って今すぐ突入したのではすぐに戻ってきてしまう可能性が高い。
作戦を成功させる為には、かなりの距離を置かなければいけない事を考えれば十分以上は待たなければならないだろう。だが、待つだけではなくやるべき事は山ほどある。
未だザフト軍基地ゲートすら確認出来てはいないが、キラは頭の中で考えられるシミュレーションを展開させた。
「接近戦なら重量は軽くして機動性を上げないと。あと脱出後の武器か……」
乾いた唇をなめたキラは予定ポイントである基地との距離を計算すると辺りを見回した。
当たり前だが景色にそう変わりはない。あるのは砂と乾いた岩山だけだが、少し歩いた所にモビルスーツが一機がすっぽりと身を隠せるくらいの窪みを見つけた。
「……あそこなら」
キラは岩場の窪みにストライクを入れると、片膝を着かせて右肩を切り立った岩場に近付けた。そしてコンソールのスイッチを押し込み、右肩のコンボウェポンポッド、左肩のウェポンマウントをバスター用のライフル二本ごと立てかける。
どうしてわざわざ装着しているコンボウェポンポッドを外すのか? と言えば、実に当たり前の事ではあるが機動性の問題だった。
これに関しては火力のみで圧倒するならいざ知らず、接近戦が主になるであろうこの戦いではコンボウェポンポッドは重すぎる上に動きを制限してしまう。接近戦では圧倒的に不利になるのは目に見えているからだ。
キラは立てかけたウェポンマウントから三五〇ミリガンランチャーを引き抜かせると左手に持たせ、右手にはストライク用のビームライフルを装備させた。
この場にコンボウェポンポッドと九四ミリ高エネルギー収束火線ライフルを残すのは、撤退時の追撃を受けた場合など、不測の事態なども想定しての事だった。
「そんな状況にならなければ一番なんだけど……。でもこれで、もしもの場合はここに一度戻れば武器とエネルギーはなんとかなる。あとはムウさんが来てさえくれれば再装着する時間は稼げるはず――!?」
キラは呟きながらストライクを立たせ岩陰から基地の方角をうかがうと思わず言葉を詰まらせた。
「……モビルスーツ! これじゃ、今突入するわけには……」
モニターにはジン四機が基地に戻って行くのが見え、キラは恨めしい表情でモニターを睨み続けた。
「……どうする?」
額に汗が伝う。今、不用意に突撃すればすぐに敵機は対応して来るだろう。闇雲に突っ込めば返り討ちにあう可能性だってあるのだ。そうなれば強襲も意味をなさなくなってしまう。
そうして唇を噛みながらキラは、この長い数分を悶々とし続けた。
「……こうしていても埒が開かない。やるしかないっ!」
この瞬間、キラはザフト軍基地内に突入して敵機を一気に畳みかける戦法を心に決めると岩場から離れ、ストライクを基地へと向かわせた。
慎重に慎重を重ねるようにゆっくりと進んで行くストライク。ミラージュコロイドで周囲に溶け込んでいなければ、ただの良い的でしかなかっただろう。
ザフト軍基地ゲートは既に目と鼻の先。わずか数百メートル。
ここから先、否応無しにこれから数分の間は援護も無い孤独な戦争をしなければならない。その間、頼りに出来るのは自分とストライクだけなのだ。
「行こう、ストライク」
キラは愛機に語りかけた。勝たなければこれから先、自分自身そして彼女――ラクス・クラインにも逢う事さえ叶わなくなるのだから。
スラスターに青白い炎が点ると同時に、キラは無線機のスイッチを押し込むと、機体に巻き付けられていたワイヤーが少量の火薬によって弾け飛んだ。
加速し始めたストライクは、景色から突然弾き出されるように灰色の機体を現し、瞬く間にボディをあざやかな色に染め上げた。
そのストライクが向かう、ザフト軍基地格納庫内――。
「ちょっとラウンジでコーヒー入れてくる」
「早くしろよ」
定時偵察から戻って来た四機のジンの点検を終えた二人の整備兵は気楽な様子でやり取りをし終え、言葉通り一人は格納庫を出て行く。
数分後、目にする悪夢を知らぬままに――。
ストライクに乗るキラは焦りからか、この短い距離で必要以上の加速をさせていた。
「もうすぐ!」
キラは近付くゲートを確認すると、ストライクの左手に持たせていた三五〇ミリガンランチャーを手放した。放られた銃身は砂を毎上げると墓標のように突き刺さる。
これはあくまでも脱出、またはゲート付近まで後退した際に使う為。今は必要無い。
増々加速して行くストライク。瞬く間にゲートが近付くが、このままでは曲がりきれない。明らかに侵入角度から必要以上の加速が仇となっていた。
「まずい、このままじゃ!」
叫んだ瞬間、操縦桿を無理矢理切り返してストライクの侵入角度を変えようとしたが、一度ついた加速は早々殺せるものではない。
ストライクは基地ゲートにエールストライカーパックの一部を打ち付けると、左下翼とそれに直結していたスラスターユニットがごそりともげるように弾け飛んだ。
「くっ……引っ掛けた!?」
キラはすぐにエールストライカーパックの翼を畳み込み損害を最小限に抑え込もうとした。
そうして基地内に侵入したストライクだが未だ動きを止める事は無く、内壁に機体を擦り付けコンテナを弾き飛ばしながらようやく停止する。
驚いたのは勿論、敵機――ジン四機と整備兵達だ。未だ見た事もない色鮮やかなモビルスーツがいきなり飛び込んで来たのだから。
だが、ストライクを駆るキラにはわずかなミスを喰いいる時間すら無かった。あるならば目の前の敵を倒さなければならない。そうしなければ確実に死が待っている。
キラはすぐに操縦桿を握り直すと呼応したようにストライクの目が光る。それとほぼ同時に一翼欠けた状態のエールストライカーパックが翼を広げた。
その瞬間、ただ見ていただけの四機のジンの手が慌てたようにマシンガンを持ち上げた。
「来るっ!」
明らかに撃って来るのは分かっていた。キラは操縦桿を左の操縦桿とペダルを踏み込む。それと時を同じくしてジン各機が持つマシンガンが弾丸を吐き出した。
左スラスターのみに火が点り、ストライクは床を蹴って宙に舞うと身をよじらせジンに蹴りを見舞った。無論、ジンは体勢を大きく崩す事になり、後ろに弾き飛ばされた。
それはストライクも同様だが、キラは一杯にブーストを噴かして再び重い機体を重力に逆らわせるように舞わせた。
「近いけどっ!」
キラが一機のジンをロックすると、ストライクは吸い寄せられるようにその機体へと接近して行く。舞ったままのストライクはジンへ膝を叩き込むと、キラはそのままトリガーを押し込んだ。
至近距離からの射撃。問答無用に避ける事さえ出来なかったジンは、あえなく爆発を起こした。
だが、ストライクは未だ動きを止める事は無かった。そう、まだ着地すらしていない。
キラの視野の片隅に、先ほど蹴りを叩きこんだジンの姿が映る。弾かれ、着地すら出来ていない。まだ反撃するのは不可能だった。
「行ける!」
キラは瞬間的に判断すると、右の操縦桿をねじりながら引き込んだ。
宙に舞ったままのストライクの右腕は、反撃体勢にすら入っていないジンへと狙う為に反対側へと動き始める。
「当たれっ!」
ライフルがジンを捉える。銃口が瞬くと次の瞬間、容赦なくビームが装甲を貫いた。
「二機目!」
撃墜したキラは叫ぶと操縦桿とペダルを小刻みに動かす。ストライクはそれに応じるように機体各所にあるアポジモーターを噴かしながらもう一機のジンの目の前へと着地した。
「っ! この間合いなら!」
近すぎる間合いにキラはストライクの空いた左手がサーベルを握らせると、そのままジンの右腕を肩口から切り落とした。
胴体を離れたジンの右腕は床へと落ちるが、指がトリガーを引いたままだったらしくマシンガンからは次々と弾丸が吐き出されて行った。
「次!」
片腕を失い無力化されたジンを無視し、キラは次の機体へと向かいストライクがジャンプさせた。
「死にたくないのなら退いてっ!」
飛び掛かられたジンは全く対応できずにそのまま仰向けに押し倒され、滑りながらストライクの両足に下に敷かれる事となった。それと同時にジン共にスラスターが噴かされる。恐らくはジンのパイロットは押し返そうしたのだろう。
しかし、重量のあるストライクが全重量を乗せると、キラは一気にスラスターを解放した。
ジンの推力とストライクの重量プラス推力のせめぎ合いが始まるが軍配はストライクに上がり、二機はスラスターの勢いも相まってストライクを乗せた状態で床を滑って行った。
「これでっ!」
この機体をやるなら今しかない。キラはすぐに左の操縦桿を押し込んだ。
ストライクはすぐに反応し、左腕に握られたビームサーベルがジンの頭部を貫く。それとほぼ同時にストライクはサーベルを手放して飛び降りると、ジンはコンテナ類を巻き込んで壁に激突。そのまま爆散した。
「これで三機目!」
ストライクの体勢を立て直しにかかっていたキラは、声を高らかにあげた――が、しかし、その表情が一瞬のうちに強張ったものに変化した。
キラの目の前には四機のジンが銃口を向けて待ち受けていたのだった。
上には蒼穹。下には焼け付くような砂の大地。
遥か向こうに続く境界には、わずかながらも緑が見え始めていた。
スカイグラスパー二号機の後部シートで目を細めながら地平線を眺めてたカガリが呟いた。
「きれいだな……」
「ん? なんだ?」
「……なんでもない」
機体を操っていたトールにはその呟きが聞こえなかったのだろう。彼が聞き返すと、カガリは一言答えただけで目線をレーダーへと戻した。
作戦の為に二人を乗せたスカイグラスパーが、ザフト軍基地レーダー範囲内に入ってから十数分が経過するが、敵側の動きは未だ何もなかった。
「もうキラも戦闘を始めてるころだろうし、俺らがレーダーの範囲内に入ってから十分は経ってるんだよな。……なあ、ザフトの動きが無いのはおかしくないか?」
時計を見たトールは機体の速度を落とすと眉を寄せて言った。
「離れているアークエンジェルならまだしも、さすがに私達には気づいているだろう。それに基地からだって距離がある。きっとこれからだ」
「……」
カガリがレーダーと目視で周囲を確認して答えると、トールは無言で肩を竦めた。決して彼女の言いようが気に食わなかったわけではない。
だが、カガリにはその無言が自分への非難に感じたらしく、表情がヘルメットの中で見る見る不機嫌なものへと変わって行った。
「……なんだ? お前に迷惑をかけたのは自覚している。文句があるならハッキリ言ってくれ」
「お前お前って……。はぁ……。俺にはトール・ケーニヒって名前があるんだ。それに少しは感心してたんだから、別に怒るような事じゃないだろう」
「……それなら返事ぐらいすればいいじゃないか」
「はいはい。悪かったな」
ムッとしたカガリは拗ねた表情で言うと、トールはあしらうように答えた。
「お前なっ――」
「――来た」
あまりの対応に思わず声を荒げたカガリだが、トールの冷静な声がそれを制した。
「えっ!?」
「後ろ。レーダー見ろよ」
「……後方から二機」
臨戦体勢に入ったトールは気合を入れるように操縦桿を握り直してカガリに促すと、彼女はすぐにレーダーに目をやった。
小さな点が二つ。距離はまだあるが明らかに自分達を追っているように見えた。
一対二。状況は明らかに不利。カガリは息を飲み、瞬間的にとは言え、レーダーから目を離した自分のミスを悔いた。
「済まない。私の見落としだ」
「んなの今はどうでも良いって。今は生き残る事だけ考えろよ」
眉を寄せてカガリが謝罪すると、トールは後方モニターを確認しながら言った。
「……お前。……意外に冷静なんだな」
ただの馬鹿だと思っていたトールの意外な一面に、カガリは感心したように呟いた。
「俺はお前の上官なんだよ。二人とも頭に来てたら死んじまうだろ。それにお前の保護者に約束したからな。いいな、良く聞け。後ろは任せるからな。フラガ少佐が来るまでの我慢だ。絶対に逃げ切るぞっ!」
トールの言い様は少々乱暴ではあったが、カガリにとって納得できる出来る所も多く、年齢もさして変わらない少年の言葉は、自らの責務を真っ当しようとする重いものだった。
立場の違いはあれど、カガリは自分とトールの違いを少しだけ考えてみたが、今はそんな事をしている時ではないのも重々承知していた。
「……分かった。トール、後ろは私に任せろ」
「加速するぞ!」
ある種の敬意を込めてカガリが頷くと、トールはスロットルを一気に開放した。
加速するスカイグラスパー二号機。それを追うザフト軍モビルアーマー二機。状況は限りなく不利。
カガリとトールの命をかけた逃走劇が幕を開けた。
見渡す限り砂ばかりの中で、翼を休めるように沈黙するアークエンジェルはようやく発進時間を迎えようとしていた。
その艦長席を預かるマリューは時計に目を向けると、背を伸ばすようにして疲れた体を背凭れから離した。
「……そろそろね。ナタル。警戒態勢を第一種に移行」
「了解しました」
マリューの言葉にナタルは頷くと、彼女は各員に指示を飛ばし始めた。それとともに再び慌しく動き始めるアークエンジェル船内。
艦内状況を確認したマリューは頃合いだと思ったのか、インカムを着けサイーブ達とやり取りをしたキサカに声をかけた。
「レジスタンスの方々に協力感謝すると伝えてもらえるかしら?」
「分かった。サイーブ達を撤退させるが本当に良いのか?」
「構いません」
振り返ったキサカが再度、彼女の言葉を確認するとマリューは清清しいほどの態度で言い切った。
事実、レジスタンス達は先の戦いで予想以上の損耗を強いられた上に、ここまでアークエンジェルの斥候役をこなしていたが、それも最早、体力的限界と言って良い状態だった。
これ以上、ともに行動するのは下手をすれば足手まといになり兼ねない。と言うのもあったが、人として彼等を家族の待つ場所に帰すのが妥当だとマリューは判断したのだ。
そのマリューは最後にノイマンへと顔を向けると、真剣な表情で問い質した。
「エンジン問題ないわね?」
「いつでも行けます」
「これよりストライクと合流してザフト軍基地及び戦線を突破。その後、南アフリカ領内に入ります。これから先はストライクが攻撃予定のザフト軍基地レーダー範囲内に入るわ。各員、気を引き締めて。アークエンジェル発進!」
返答を聞いたマリューは艦内回線をオープンにして、凛とした声で呼びかけてから命令を発した。
彼女の声とともにスラスターが大量の砂を舞わせ、白い船体がゆっくりと上昇して行く。
その前部甲板上には白黒に染め上げられたモビルスーツ――νガンダムが膝を着いてたたずんでいた。
勿論、その左腕に抱えるのは三二〇ミリ超高インパルス砲「アグニ」。最早、アークエンジェルの船員達にとってはストライクと並び、νガンダムとそれを駆るパイロット、アムロ・レイはこの艦の守護神と言っても良い存在となっていた。
『レーダーに反応は?』
νガンダムのコックピットにいるアムロが声をかけると、広域レーダーを確認したチャンドラが少しばかり砕けた感じで答えた。
「今の所は何もありませんが、十分もしたら敵のレーダー範囲内です。アムロ大尉、当てにしてますよ」
『俺も期待に応えられるよう努力はする。状況に変化があれば知らせてくれ』
「了解」
モニター内のアムロが少しばかり肩をすくませると、チャンドラは多少余裕のある表情で頷いた。
その二人のやり取りが終わると、マリューがアムロを呼び止めた。
「アムロ大尉。いいですか?」
『ああ。構わないが』
「ここから戦線を突破するまでの間、どのくらいの敵が現れると思います?」
アムロが首を縦に振るのを確認すると、マリューがずばりの問いを投げかけて来た。
『キラが上手くやってくれていれば、戦線、各基地間の距離を考えれば、来る敵はそう多くはないと思うが』
「……また戦闘指揮をお任せしてよろしいですか?」
『了解した。全力を尽くさせてもらう』
「お願いします」
了承をしたアムロが答えると、マリューは彼に信頼の目を向けて言った。
正しく適材適所――。それはマリュー・ラミアスが艦長としてこの砂漠で学んだ事だ。
『接近する敵機は見つけ次第しらみ潰しにしていく。あとの事はレジスタンスの時と同様、ナタルに任せる』
「了解しました。全力で支援いたします」
指揮権を受けたアムロがモニターを通じて指示を出すと、ナタルは軍人らしく応えた。
彼女はこの船旅の中、幾度となくアムロの指示を受け、そしてバルトフェルド隊とともにレジスタンスに対してアムロが共同戦線を執った際でも、彼の指揮下で作戦を成功させているのだ。
そう言う意味では、モビルスーツと艦の連携に関して、アークエンジェル内ではアムロとナタルは最強のコンビと言っても過言ではないだろう。
『ナタル。今回も当てにさせてもらうぞ』
「はい」
少しだけ声色を落ち着かせて言うアムロの言葉に、ナタルは満足そうにしながらも、わずかに女性らしい笑みをたたえて頷いた。
その彼女の笑顔をどれだけのクルー達が気付いたかは不明だが、彼女の想いに薄々気付き始めているのは言うまでもない。
アークエンジェルは徐々に高度を上げて行く。そして、白い船体は光を受け砂漠に天馬のような陰影を作り出した。
天馬の影を引き連れたアークエンジェルは再び南へと進軍を開始したのだった。
あまりに最悪の状況に、キラは思い切り眉を顰めた。
先ほど撃墜しそこねたジン一機が自分の背後のブロックに残っているはずで、挟み込まれた状態でと言うわけだ。
そうなれば無論、キラにも逃げ場などあるはずも無いのは容易に理解出来た。
「……っ!」
キラが舌打ちをするとジンの構えたマシンガンが容赦なく火を噴いた。
ストライクは瞬間的に両腕をボクサーのようにガードしながら、ジン四機からの集中砲火を耐える以外はなかった。
「くっ……!」
このままではエネルギー切れを起こして、撃墜されるのが落ちだ。そうすれば待っているのは死しかない。
PS装甲が次々と繰り出される弾丸を弾き、その跳弾が基地内を踊るように跳ねた。その一発がストライクの背後でアームによって吊られていたコンテナに当たり落下を始める。
「このままじゃ!」
頭の中に仲間達の顔が次々と走馬灯のように映し出され、最後にラクスの微笑んだ。
「僕はっ……! 今、死ぬわけにはいかないんだっ!」
期しくもコンテナの墜落と同時にキラの中で何かが弾けた――。
瞳孔が開き、足が、手が、思わぬ動きを取り始める。
「やれるっ!」
その口から出た言葉はキラらしからぬ自信に満ちた呟き。
同時に足はペダルを目一杯踏み込むと、エールパックのスラスターが噴かし始め、操縦桿を握っていた右手はコンソールパネルを叩いていた。
それはザフト軍との演習でストライクの装備完装をする為に、アムロが対アンドリュー・バルトフェルドに採った戦法だった。
ストライクが前屈みになると全開に噴かされたエールストライカーパックが切り離され、ジンに向かって加速して行った。
四機のジンは飛来するエールストライカーパックに戸惑ったのか隙を見せた。
「今なら」
ベダルを踏み込むとストライクは一気にダッシュ。踏み込んだ所でキラの手が操縦桿を後ろへと引いた。
「落ちろーっ!」
ストライクが後ろに跳ぶように宙に浮くと、ライフルがジン二機を反撃する間もあたえずにあっさりと爆散させた。
この時、キラは無我夢中だった。表面上は冷静さに欠けていたと言ってもいい。だが、何かいつもと違い手足が勝手に反応し、その目には敵機の動きが驚くほど鈍く見えていた。
自分の手足のようにストライクが動き回り、自分の狙った箇所にことごとく攻撃を命中させて行く。
そして――。
気がつけばストライクは、グランドスラムと呼ばれる巨大な実体長刀を握り、二機のジンの胴体を横から串刺しにしていた。
「はぁはぁはぁ……」
キラは肩で息をしながら、色身の無い目でモニターを睨み続ける。
ジン二機の重量に耐える事の出来なかったグランドスラムの刀身に亀裂が走り、巨大な実体長刀は真っ二つに折れると二機のジンは崩れるようにして倒れた。
その衝撃音が引き金になったのか、キラの目に生気が蘇る。
「か……勝てた……?」
モニターを睨み続けていたキラの口から、自信なさげな言葉がこぼれた。
レーダーで確かめるが、動くモビルスーツの影は見受けられない。
「ぜっ……全滅……!? ぼ、僕がやった……の?」
キラの表情は両目を見開き、予想以上の戦果に戸惑いを見せた。思わず周囲を見回して確認をするが、やはりレーダーは正常なようだった。
見えるのは自分が撃墜した複数のモビルスーツ――ジンの大破した姿と、戦闘で荒れ果てた基地内。
そしてモビルスーツを全滅はさせたが、今はまだザフト軍基地内。言わば敵の胃袋の中だ。
「あっ……。だっ、脱出しなきゃ!」
現在の置かれた状況を思い出したのか、キラは慌てたように操縦桿を握りなおして機体をゲートに向かって旋回させた。
「に、任務完了! ストライク脱出します!」
上ずったキラの声とともにスラスターが青白い炎を上げると、ストライクは振り返る事なくこの場を飛び出して行った。
残された無残な残骸。燃え盛る炎と黒煙。格納庫内はザフト兵にとってまさに地獄絵。
「せ、全滅……!? ……ナチュラルがこれを!? 嘘だろうっ!?」
十数秒後、嵐の過ぎ去ったこの格納庫内に、ラウンジから慌てて戻って来た整備兵の声が木霊した。
要であるモビルスーツを失ったザフト軍基地内には『コンディション・レッド』が発令された。だが、それも既に遅く、ただ虚しく響き渡るだけだった。
ゲートを抜けたストライクは、突入前に投げ捨てた三五〇ミリガンランチャーを真っ先に拾い上げ、迫り出し始めた火器と自分が出て来たゲート付近に向かって散弾を発射し始めた。
問答無用に次々と迎撃兵器を潰され、ザフト軍基地は徐々に機能を麻痺させて行く。
表立った物だけを壊すと、最後にミラージュコロイドの噴霧器を破壊し、キラは踵を返して全速力で離脱して行った。
「これで作戦は上手く行くはず」
そう呟いたキラは、ストライクを予定通り岩場の窪みへと入れると、マニュピレーターを手動で動かしてコンボウェポンポッドの装着を始める。
装着自体はそう手間取るものではなく一分ほどで終え、すぐに九四ミリ高エネルギー収束火線ライフルを持たせると、いつでも戦えるように身構えた。
エネルギーは一回の戦闘に耐えうるだけはある。さっきの戦闘能力を再現出来れば負ける事はないだろう。
すぐに出て追っ手が出て来ると思い身構えていたキラだが、レーダーは何の反応も示さなかった。
「一体どう言う事……?」
普通なら追っ手が来てもおかしくはないはずだ。岩場の影からザフト軍基地を伺うが一向に動く気配は見せなかった。
キラ自身は気付きもしない事だが、全ては脱出した際にゲートに向けて発射した三五〇ミリガンランチャーにあった。端的に言えば、ストライクを追って出た最後の車両を木っ端微塵に吹き飛ばし、追う術すら失っていたのだ。
その事を知るよしもないキラはレーダーを見つめ続けた。
「……やっぱりレーダーに反応なしか」
動きの無いレーダーにそう呟くキラだが、そうしていてもここはこの灼熱の砂漠。嫌でも喉は乾く。
軽く息を吐いたキラは、ヘルメットを脱ぎ捨て再びサバイバルキットを引っ張り出して、水を流し込み喉を潤した。
そして、再度レーダーで動く物が無いのを確認すると、コックピットを開放し、身を乗り出すようにして頭だけを外に出すと、残りの水を自らの頭にかけたのだった。水は髪を伝い数メートル下の砂に吸い込まれ、瞬く間に消えて行く。
頭を一度振って髪を水を飛ばしたキラはすぐにコックピットを閉じると、シートに背を預けて思い切り息を吐いた。
「ふぅ……。僕……生き残れたんだ……」
一息吐いた事で、自分が先ほどの戦闘を乗り越えた事を実感し始めながらも、先ほどの不思議な感覚を思い返した。
「あれ……僕がやったんだ……」
これまで生きて来た中で初めての事に、キラはわけも分からないまま呟いた。
確かに何をした覚えてはいる。そして何かが弾けたような感覚があったのもだ。だが、それが出来た理由がさっぱり理解出来なかった。
確かにバルトフェルド隊との演習ではそれなりの戦果を挙げ、それなりの自信を深めたが、アムロの言う『自分の間合い』と言うだけであんな動きが出来るはずがない。コーディネイターだとしてもそれは異常過ぎた。
「少し怖いけど……。それでも……僕は生き残れたんだ……。これで……また逢えるんだ……」
自分に起こった何かに不安を感じながらも、今は生き残れた喜びに酔いしれ、キラは脳裏に仲間達と今は離れてしまった彼女に想いを馳せた。
砂漠の陽は徐々にだが西へと傾き始めていた。