DEMONBANE-SEED_種死逆十字_第17話2

Last-modified: 2009-07-03 (金) 20:55:12

 艦隊のジブラルタル到着まで後一両日の予定となった夜。
 タリアは艦長室で一人、今回送られてきた命令について思考を巡らせていた。
 捕虜の存在が上に明らかとなってしまった以上、引渡しはもう決定事項だ。そして引き渡した後、捕虜達がどんな運命を辿ることになるかは、想像が付く。
 エクステンデッドのサンプルとして徹底的に調べられ、時に人道に反した実験すら受けることとなるだろう。その果てに彼等の命が残っている保証はどこにもない。
「無力ね……あれだけ大口を叩いておいて」
 彼らの安全をタリアに懇願してきた、シンたち四人の顔が頭によぎる。彼等の信頼を裏切る結果になってしまったことに、罪悪感を抱かずにはいられない。
「けど、どうしてギルが……」
 今回の件、最も腑に落ちないのはそこだ。本国の研究施設や上層部からの命令というなら分かるが、よりによってデュランダル直々の命令というのが引っかかる。デュランダルがわざわざ捕虜の引渡しを命じる理由が分からない。
 別の誰かがデュランダルの名を使っているのでは、とも考えたが、わざわざデュランダルの名前を使う必要性もないように思える。
「考えるだけじゃ答えはでないわね……まったく」
 不機嫌も露にチェアに深く身を沈めるタリア。疲弊した肉体と精神が深い眠気に誘われるが、まだ眠るには早いと誘惑を振り払う。
 残っている仕事に手をつけようとした矢先、突然鳴り響いた艦内警報にタリアは身を強張らせた。
『グラディス艦長!』
「何事なの、これは!?」
『そ、それが──』
 モニターに現れた保安部員に問う。事の詳細を聞き終えたタリアは顔に驚愕を貼り付けながら、頭の中では「なるほど、確かにそうするでしょうね」と納得していた。
『ど、どうするべきでしょうか!?』
「決まっているわ、阻止しなさい!」
 とはいえ情に流されて見逃すわけにも、捨て置くわけにもいかない。艦長として、タリアは厳格に保安部員へと命じた。
「多少強引でもいいから、絶対に逃がさないように! ただし、大きな怪我を負わせるのは避けなさい! 逃げ出した捕虜にも手引きしたクルーにも、どちらにもよ!」

 
 
 

「引渡しか……まあ、仕方ないよな」
 ベッドに横たわるアウルの呟きに、周囲の人間は気づかない。ルナは眠りに付き、夜半過ぎの医務室にはスタッフも当直が一人二人残っているだけ、しかもうたた寝状態なのだから無理もない。アウルは一人、眠れずにいた。
 引渡しの件は、艦長から直々に申し渡された。敵である自分にどこか申し訳なさげに告げる女性の艦長の姿がアウルには印象深かったが、それよりも告げられた内容に頭を叩かれたような衝撃を受けた。
 捕虜の運命だと分かり切っていた、割り切っていたはずだった。だが現実がいざ目の前に迫れば、恐怖が生まれるのを抑えずにはいられなかった。
 引き渡されたら、自分はどんな目にあうのだろうか? 決まっている。薬品を投与され、解剖され──それ以外にも筆舌に尽くし難い様々な実験を受け、調べ尽されるのだ。そこには当然遠慮も慈悲もないだろう。
 当たり前だ。自分はコーディネイターにとっては憎むべき兵器、敵なのだ。敵に優しくするバカがどこにいる。
 ──ああ、そんなバカたちのお陰で今生きてるんだっけ、とアウルは苦笑した。
「けど結局こうなるんなら、やっぱ死んでたほうが楽だったかなあ」
 自分を誤魔化すようにおちゃらけた口調で呟いて、アウルは目を閉じて無理矢理眠ろうとする。
 その時、医務室の扉をノックする音がアウルの耳に入った。
「誰かしら、こんな時間に」
 女性スタッフがそそくさとドアに向かい、ロックを解除する。
「あら、シン君じゃない。どうしたの?」
 シンの名を聞いたアウルは、何をしにきたのか怪訝に思って顔をそちらに向けた。
 瞬間、鈍い音とくぐもった呻きが聞こえ、女性スタッフの身体が床に倒れ伏した。
「んなっ……」
 絶句するアウルの視界の中で、何事かと駆け寄ってきたもう一人のスタッフがシンに近づく。ごめんなさい、とシンは小さく呟き、直後近づいてきたスタッフの鳩尾に拳を叩き込んだ。こちらは比較的身体の大きな男性のスタッフだったが、ティトゥス相手に鍛錬を重ねてきたシンの前には無力も同然だった。
 スタッフ二人を素早くのしたシンは、アウルのベッドに近づくと腰からナイフを抜いて拘束具を裂きにかかった。
「お、おいおい! シンお前、何やってんだよ!?」
「静かにしてろ! あんまり騒ぐと周りにバレる!」
 声を抑えながらも強い口調で言ってくるシンに、アウルは黙り込む。四苦八苦しながらなんとか全ての拘束具を外し終えたシンは、数日振りに身体を起こして背筋を伸ばすアウルを尻目に奥のドアへと走る。
 数分も立たぬうちに、意識のないステラを抱えたシンが出て来た。
「……おいシン。お前ホント何考えてんだよ。こんなことしちゃったら、タダじゃすまないんじゃないの?」
 今度はこちらから強い口調で問い詰めるアウル。シンは一瞬暗い影を表情に落としたが、すぐに意を決した顔でアウルを見返した。
「……分かってるさ。最悪、銃殺クラスの規定違反だ」
「んじゃなんでんなことしてんだよ!? 死にたいのかよお前!」
「そんなわけないだろ! けど俺は約束したんだ、ステラが危ない時は守るって! 俺だって、ステラに死んで欲しくない! 勿論お前にも! ……だから、お前たちを連合に返す。そう、決めたんだ」
「……バカじゃないの、お前」
「そうよ、バカなのよシンは」
 横からかかった言葉に、二人揃ってギョッとする。振り向くとそこには、ベッドから身体を起こすルナの姿があった。
「ルナ、起きてたのか?」
「横であれだけドタバタされたら起きるわよ……しかしまあ本当にバカなことしたわね、シン」
 睨むような視線でシンを見つめていたルナだったが、すぐに眼を伏せてため息を付くと、ベッドから降りて身体を軽く捻った。
「何ボーっとしてるの、いくらシンでも逃走経路くらい考えてるでしょ? さっさと行くわよ」
 シンとアウルが揃って目を丸くする中、こともなげにルナは言った。
「ルナ、手伝ってくれるのか?」
「つかお前、怪我人じゃなかったのかよ?」
「舐めないでよね。この程度の傷でヒーヒーいうほどヤワな体してないわ。それに」
 アウルと眠るステラを見やり、ルナは満面の笑顔で言った。
「上の命令だからって理由だけで友達の命を諦めるくらいなら、あたしもバカになってあげるわよ」
「……本当に、お前もバカだよ。冗談抜きでどいつもこいつも大バカだよ、ホントさあ!」
 アウルは吐き捨てた。本気でバカだと思いながら、それがとても嬉しくて、泣きそうになった。

 
 
 

 ステラを両手に抱えたシンが先頭を走り、ルナとアウルが後に続く。ドッグまでの道を行く四人を、通路の隅に隠れるように立っていた人影が呼び止めた。
「シン! アウル君! ……って、なんでお姉ちゃんまでいるの!?」
「あたしがいちゃ何か問題でもある? ……けどシン、あんたレイやあたしには相談しなかったくせに、メイリンは巻き込んだわけ?」
 ビックリしているメイリンに呆れながら、ルナからジト目でシンを睨みつける。シンはその視線に、唯々身を縮こまらせた。
「いや、その、仕方なかったっていうか……すみません」
「し、シンが悪いわけじゃないよ! 私からシンに協力するって言ったの!」
 慌てて弁護しながら、メイリンはシンに一枚のディスクを差し出す。
「はいこれ、ガイアとアビスのログに残ってた通信コード。これで連合側にメッセージを送れるはずだよ」
「なるほど、考えたわね」
 ガイアとアビス、連合に運用されていた二機の通信コードなら連合と渡りが取れる。シンは通信士であり通信関係を調べても違和感なく、更にコンピュータの扱いに秀でたメイリンにコードの入手を頼んでおいたのだ。
「サンキュ、メイリン。それじゃ早く戻るんだ、俺たちといちゃ共犯にされる」
「そうね。もしバレて追い掛け回されるハメにでもなった時、メイリンじゃ足手まといだし……」
「お、お姉ちゃんヒドイ~!」
「あのさあ、んなこと言ってる場合じゃ……!」
 不意にアウルの声を遮って、艦内に警報が響き渡った。どうやら事が発覚したのだろう。
「やばい、急がないと……メイリンはどうする!?」
「こうなったらもう付き合ってもらうしかないでしょ! 遅れないでよ、メイリン!」
「う、うん!」
「ほら急げよ、早く早く早く!」
 走り出す一行。だが追手の対応は素早く、すぐに後方から二名の保安部員が現れた。その手に黒光りする警棒を構え、一行に迫る。
「止まれ! 止まらなければ、少々手荒い処置を取らざるを得ない!」
「悪いけど、断る!」
 ステラをルナに預け、シンは踵を返して保安部員へと駆け出した。勢いを殺さぬまま跳躍、飛び蹴りを仕掛ける。しかし素人ならまだしも、相手は対人戦の訓練を積んだ保安部員。シンの重い蹴りを左腕でブロックし、右腕の警棒で殴り返してきた。何とかなると高をくくっていたシンは、驚きながらもなんとか警棒をかわす。
 しかしシンが手こずっている間に、もう一人が後方のルナたちに迫っていた。日頃ロクに訓練をしていないメイリンは言わずもがな、ルナも怪我を負っている上にステラを抱えているため満足に迎え撃つ事が出来ない。
「チックショウがぁ!」
 声を上げて、彼女達を守ろうとアウルが前に飛び出した。真っ向から放ったハイキックを保安部員は簡単に受け止め、足を掴んだまま警棒を振り上げる。警棒が振り下ろされる中、ホーク姉妹の悲鳴が上がる。
 だが警棒は虚しく空を切っただけに終わった。愕然とする保安部員の頭上に、アウルは掴まれた足を軸にして凄まじい膂力で身体を持ち上げていた。
 もう片方の足を側頭部に叩き込まれ、保安部員の意識は刈り取られた。空中で一回転しながら、アウルが床に着地する。
「へへ、ナメてんじゃねえって、の……」
 立ち上がろうとしたアウルの身体が揺れ、倒れかけたところを慌ててメイリンが支えた。
「アウル君!」
「アウル、どうした!? 傷が開いたのか!?」
 なんとか保安部員を気絶させて駆け寄るシンを、アウルは片手を上げて制した。だがガクガクと震えるその様子は尋常ではない。
「やべぇ……僕にもガタがきちゃったかな……」
 アウルの言葉に全員がハッとする。エクステンデッドの、調整を受けないことによる細胞の崩壊。これまでは保っていたアウルにも、とうとうその影響が出始めたらしい。
「カンベンして欲しいよ、よりによってんな時にさ……!」
 忌々しげに言うものの力は入らず、支えてくれるメイリンから離れることも出来ない。警報は鳴り続け、見れば通路の向こうから、新たな保安部員が多数迫って来ている。
「クソッ、どうする……」
 シンは歯噛みする。まともに動けるのは実質自分だけ、戦うにしても逃げるにしても厳しい。
 進退窮まる状況、そんな時アウルが予想外の行動を起こした。
「……近寄るな! それ以上近づいたら、こいつをぶっ殺すぞ!」
「っ!?」
 アウルがシンの腰からナイフを抜き取り、支えてくれていたメイリンを背中から羽交い絞めにして首筋に刃を添えた。突然の行動にシンやルナは勿論、保安部員達も動きを止める。
「あ、アウル君……?」
「黙ってろ! おい、お前等!」
 捕まえたメイリンに怒声を上げ、さらに乱暴な口調でシンとルナへと叫ぶアウル。
「とっととステラを連れてけ! さっさとしないとマジでこの女ぶっ殺すぞ!」
「っ! アウル、お前!」
 シンたちは理解した。アウルは動けない自身を犠牲にすることで、ステラを救おうとしている。もはや足手まといのアウルが囮になれば、確かにステラを連れて逃げられる確率は上がるだろう。
 アウルを見捨てて、ステラだけを助ける──その非情な選択肢を、アウル本人が実行したのである。
「行けよ! 行けって言ってんだろ! 何ボーっとしてんだ、コラァ!」
「……っ!」
 唇を噛みながらも、シンとルナはその場を駆け出す。
 追いかけようとする保安部員を、アウルはメイリンを殺そうとする振りをしながら威嚇する。
「……ゴメンな、こんなことに付き合わせてさ」
「ううんいいの、私だって結局足手まといだったし……役に立てたなら、嬉しいかな」
 保安部員には聞こえない抑えた声で呟くアウルに、メイリンも振り向かぬままで答える。互いに声が、かすかに震えている。
「でも、これじゃアウル君は……」
「……ま、仕方ないよ。僕は運がなかったって、諦めるさ」
 自嘲気ではあったが、その声には覚悟があった。
 メイリンはうん、とだけ返した。アウルの覚悟と意志を汲み、捕らわれの少女を演じようと彼女もまた覚悟し、泣いた。

 
 
 

 幸いにして居残りのメカニックもいなかったドッグに入り込み、シン達はコアスプレンダーへと走る。
 コアスプレンダーの操縦はシンなら問題ない。問題は発進するために、カタパルトゲートを操作して開かなければならないことだ。
「シン! あたしがカタパルトを操作するから、あんたは行きなさい!」
「いや、けどルナ……」
「グズグズしてる暇なんてないでしょ! 早く!」
「でもお前、ゲートの操作の仕方知ってるのか?」
「うっ……そ、そこは知恵と勇気でなんとやら……」
「待て」
 背後からかかった言葉に、シンとルナが振り返る。
 レイが拳銃を構え、無表情で佇んでいた。
「こうするだろうと思っていれば、案の定か」
「レ、レイ……」
 口を開こうとするシンを、レイは頭部に銃口を向けて黙らせる。
「分かっているのか。お前たちがしようとしていることはデュランダル議長への……ザフト本国への反逆行為だぞ」
「……分かってる」
「例え連合に返せたとしても、ステラが助かる確証はない。お前が無事で戻れるという保証もだ。それも分かっているのか」
「それも……分かってる」
「なら、何故そんなことをする」
「決まってんでしょうが!」
 叫んだのはルナだ。憤慨した顔で、真っ向からレイに食いかかる。
「友達助けるのに理由なんかいるもんですか! それに今更止められないわ……頑張ってくれたメイリンの、自分を犠牲にして送り出してくれたアウルのためにも!」
「……そうだよ。俺は、俺たちはもう決めたんだ。ステラを助けるって!」
 ルナに触発されるように、シンも声を上げる。
 銃口を向けたまま、レイは淡々と告げる。
「俺は、お前たちとは違う。俺は議長を、ザフトを裏切れない。例え天秤にかけるものが友人であっても……しかし」
 銃口を下ろし、レイは二人の間を抜けていく。その足が向かう先には、カタパルトの制御コンソールがある。
「レイ、あんた……」
「ルナマリア、お前も手伝え。操作は俺が教える。……俺個人としても、今回の命令にはひっかかるものがある。何より議長直接の命令というのが気に入らない……あの人は、人間の業によって生まれた犠牲者を更に攻め立てるような人じゃないんだ……!」
 レイの表情に、この場で初めて変化が現れた。無表情を装おうとしているが、その端々に苦悩、困惑、懐疑、そして悲嘆の感情が溢れている。長年生活を共にしたシンやルナだからこそ分かるわずかな変化だが、それだけにレイの心がどれだけ波立っているかが理解できた。
「行け、シン。だが約束しろ……お前は、必ず戻って来い」
「素直じゃないんだから……けどシン、あたしも同じ気持ちよ。戻ってこなきゃ承知しないから」
「……ああ、分かってる!」
 親友二人に見送られ、ステラを抱えてシンはコアスプレンダーへと走り出した。

 
 
 

 ミネルバを脱出してから数時間。連合とコンタクトを取ることに成功したシンは、コアスプレンダーを指定したポイント──ミネルバからも連合の領地からも離れた海岸近くに着地させていた。
 呼び出した相手は第81独立機動群ファントムペインの指揮官、ネオ・ロアノーク。アウルからはエクステンデッドのお目付け役と聞いており、ステラもうわ言で何度か名前をつぶやいていた人物だ。
 部隊の司令官なら権限もあり、エクステンデッドと親しかったとなれば対応も期待できる。後者は半ば願望に近いものであったが、シンはその可能性に縋るしかなかった。
「早く来てくれ、早く……!」
 レーダーに反応。ネオが来たのかと思ったがすぐその考えは打ち消され、代わりに焦燥と恐怖がシンを襲った。
 識別コードは味方。表示される機体は、オーガアストレイ。
「ティ、ティトゥス、さん……」
『シン。拙者はグラディス艦長から、お主を連れ戻すよう依頼を受けている』
 コアスプレンダーを上空から見下ろすオーガアストレイは、既に抜刀している。通信モニターに映ったティトゥスが紡ぐ冷厳な声に、シンは背筋が凍るような悪寒を感じた。
 自分はザフトを裏切り、ティトゥスはそのザフトに雇われている身。彼の剣が浅はかな情で鈍るような事はあり得ない。
 勝てるわけがない──確信に似た強迫観念に、シンの心が折れかける。
「うう……シン……」
 萎縮していたシンだったが、胸の中にいるステラのうわ言に我に返った。
 俺は約束したんだ、ステラを守るって──その約束は、絶対に果たさなきゃいけない!
「ティトゥスさん……お願いです! 少しだけ、あと少しだけ待ってください! お願いします!」
『待てば何か変わるというものでもあるまい』
「ステラを助けられます! ステラを連合に引き渡したあと、俺はどうなっても構いません! だから!」
 機体を降りていれば、土下座でもなんでもして懇願していただろう。必死なシンの言葉を受けたティトゥスは数秒の間の後、変わらない口調で告げた。
『……拙者はお主を連れて帰れと言われたのみ。時間や状況について細かい注文は受けていない』
「っ! それじゃあ!」
『しばし待つ。しかし連合がお主に危害を加えようとした場合、拙者はその者を斬る……例えそこの娘の運命がどのようなものになろうとも知らぬ。それは分かっておけ』
「……はい」
 納刀したオーガアストレイが着陸し、コクピットから降りたティトゥスは目を伏せて腕を組む。シンはキャノピーを開け、ティトゥスへと頭を下げた。
 そして数分後、レーダーに新たな反応が映ると共にティトゥスが目を開く。近づいてくるエンジン音に、シンはステラを連れてコアスプレンダーを降りた。
 紫色のウィンダムがゆっくりと降下、コアスプレンダーとオーガアストレイのやや前方に着陸する。コクピットから現れた男は、顔に奇妙な仮面を被っていた。アウルが言ってたとおりだ。
 仮面の男はこちらに近づいてこようとはしない。そちらから来い、ということだろう。
 シンは一度ティトゥスを振り返る。ティトゥスはシンを見返すだけで何の素振りも見せようとしない。自分で考え、自分で行動しろ──そう言われているように思ったシンは頷くと、再度ネオへ向き直って足を進め始めた。
 5メートル程度の距離まで近づいて、シンは足を止める。
「あんたが、ネオ・ロアノークだな」
「そうだ。で、俺を名指しで呼び出した君は何者かな、坊主?」
「シン・アスカ。ステラとアウル……それにスティングの、友達だ」
「友達だって? ……なるほど、ディオキアで……そういうことか」
 合点がいったとネオは呟き、仮面の上から顔を押さえた。
「俺の要求は通信で伝えたとおりだ。あんたにステラを返す……ステラに、助かって欲しいから」
「……分かった」
 シンとネオがお互いに足を進め始める。二人の距離が3メートル、2メートルと縮まっていき……あと1メートルもない位置まで近づいたところで、不意にシンの足が止まった。
 仮面に隠れたネオの顔を、シンは真っ直ぐに見据える。開いた口から溢れたシンの声は、今にも泣きそうなほど震えていた。
「約束してくれ……」
「ん?」
「約束してくれ! ステラをもう戦場に出さないって! 決して戦争とか、モビルスーツとか、そんな死ぬようなこととは絶対遠い、優しくて暖かい世界へ彼女を返すって!」
 突然大声で叫んだシンに眼前のネオは硬直し、後方のティトゥスは表情を硬くした。奇妙な雰囲気が場を支配する。
 シン自身、何故こんな台詞を自分が言ったのか分からなかった。ただ胸の奥から湧き上がる感情を、そのまま吐き出さずにはいられなかった。
 それはシンがステラに望む、シンの願望だった。
「……ははっ……ははは、ははははははは! は、はっはははは!」
 硬直から解けたネオの口から漏れる、小さな苦笑。そのまま哄笑へと変わった声が、沈黙を吹き飛ばす。
 底抜けに明るい、子供のような馬鹿笑い。その笑みを了承と取り、シンの顔にも笑みが浮かびかけたその時、
「ははははははは……出来るわきゃねえだろぉぉっっ!」
 一瞬で間合いを詰めたネオの正拳が、笑おうとしたシンの顔を大きく歪めた。
 鼻や口元から血を流し、きりもみしながらシンの身体が飛ぶ。朦朧とした視界に、自分の腕の中から離れたステラを左手で抱き止めてるネオの姿が映る。
「甘いんだよ、坊主……!」
 仮面に隠れた顔の上半分は見えないが、口元は見える。食いしばった歯と共に露になっているのは、憤怒だ。
 その右手が腰のホルスターに伸び、拳銃が引き抜かれる。
「優しくて暖かい世界? こいつらに、エクステンデッドにそんなものはない! あるとするならば、それは敵であるお前達コーディネイターが滅んだ世界か……そうでなければ死後の世界だけだ! そんなものを望むなら、お前はステラを返すべきではなかった!」
 引き金が引かれる。拳銃から放たれた銃弾がシンに迫り……割り込んだティトゥスの刀が、弾丸を弾き飛ばす。
 二刀を構えたティトゥスが、ネオへと踏み込む。そこでようやくシンの身体が地面に落ちた。鈍い痛みが、飛びかけていたシンの意識を引き戻す。
 ティトゥスの刀がネオと、その腕の中のステラへと迫る。間違いなく、ステラごとネオを両断する太刀筋。シンは止めようとするが、痙攣した口からは呻き声しか出てこない。
 剣線が、光となって線を引く。
 両断されたのはネオの手にあった拳銃のみ。ネオはステラを抱いたまま、数メートル後方へと退いていた。
 並の人間に避けられるほど手を抜いたわけでもなければ、油断してもいない。それでも自身の斬撃を避けられたという事実に、ティトゥスは目を見開く。
 波立つ感情を抑えながら、ティトゥスは再度斬撃を仕掛けようし、
『ネオーーッッ!』
 横切った衝撃波に、ティトゥスが態勢を崩した。上空を駆け抜けたカオスはすぐさま踵を返し、スラスターから風を地上に吹きつけながら高度を下げていく。
 強風に吹かれながらシンが立ち上がる。その姿を捉えたカオスのカメラアイに宿る、凶暴な光。
『シン……てめぇは!』
 カオスが武装をシンとティトゥスに向けた。生身に向けられた巨大な破壊力の顕現に、シンの身体が硬直する。ティトゥスがシンを庇うように、刀を交差して前に出た。
「やめろスティング、お前は殺すな!」
『何言ってやがんだネオ! こいつらは、こいつらは敵だろ!』
「やめろと言った! 命令だ!」
 強い口調で告げるネオに、スティングは苦々しげに了承の意を示すが、銃口は外さない。ティトゥスもまた油断なく、いつでもシンを連れて逃げれるようカオスとネオ双方に意識を傾けている。
「……覚えていろ、坊主! ステラは殺すぞ! 敵を、コーディネイターを、民衆を! 連合に逆らう全てが、目の前に立つ全てのモノが、ステラによって殺される! 敵を全て消し去ったあとにしか、ステラに幸せが訪れる事はない!」
 素早くウィンダムに乗り込んだネオが、シンに向かって叫んだ。含まれているのは多分に怒りではあるが、その響きにはどこか、シンを諭そうとするような印象が感じられる。
 だが次に発せられたネオの言葉が、シンの胸に深々と突き刺さった。
「そしてシン・アスカ! それはお前のせいだ!」
「……っ!」
「ステラの手にかかって、多くの人が死ぬ! だがその責任はステラではなく、お前にある! お前がステラ一人を助けたために、ステラによってそれ以上の人間が殺されるんだ! 忘れるな! お前の行動のせいだ! お前が助けたステラの手で無関係な命が失われるのを、後悔するがいい!」
 言い放ったネオとその腕の中で眠るステラが、コクピットの奥に消える。ウィンダムが飛び立ち、その背を追ってカオスも去っていく。
「去ったか……シン?」
 ティトゥスの声は、シンには届いていない。
 夜の明け始めた海岸で、シンはただ呆然と立ち竦んでいだ。今まで身体を身体を突き動かした熱は冷め切り、冷たく重くのしかかる無力感に、ガクリと膝を付いた。

 
 
 

『ネオ! ステラは無事なのか!』
「ああ、大丈夫だ。かなり危険ではあるが、連れ帰って調整を受ければ助かる。お前の友達には感謝せんとな」
『……友達なんかじゃねえよ。あいつらは、敵だ!』
「そうだな……それでいい」
 回線を切り、ネオは深くため息をついた。
 脳裏に浮かぶのは、あのシン・アスカとかいう坊主の姿。
「人に言えた義理でもないだろうがな……」
 自分が彼に投げつけた言葉を思い出し、ネオは苦笑する。自分や連合の責任を棚上げした言葉ではあったが、同時に間違ってもいないとネオは思っていた。
 一方的にステラを返すと言い出し、それだけでなく都合のいい奇麗事までほざいた、世界を知らぬ愚かな小僧。軍人の風上にも置けないその甘さ、軽率さ、身勝手さ加減に呆れ、憤慨し、その行動の結果起こる悲劇を叩きつけてやった。あの時の戦慄した顔を見ていくらか溜飲が下がる思いだ。
 ただ、その際やや冷静になった思考の隅でネオは同時にこう思いもした。
 ──何故、自分はここまであの坊主に激昂しているのだろうか?
 その考えが浮かんでから、ずっとネオは自問自答していた。頭の中では理解しているように思えて、言葉にしようとすると何故か出てこない。
「うう……ん……」
 ふと、腕に抱いたステラから吐息が漏れる。症状も末期に差し掛かりもはや意識不明の状態だが、痛みすら感じなくなったのかその顔は逆に安らかですらあった。
「シン……シン……」
 ステラが漏らす名前に、苦笑するとともに少し残念に思う。少し前まではネオ、ネオと、自分にばかり甘えていたというのに。
「……そうか、そういうことか。はははっ、なんてこった。こりゃホントにあの坊主へ文句を言える筋じゃないな」
 ふと、気づいた。あそこまでシンに反感を持った理由──それは、嫉妬だ。
 ステラを助ける為に全てを犠牲にする。どこまでもステラの身を案じ、その願いを愚直なまでに正直に口にする。滑稽ではあるが、全てはステラのことを本気で思っているからこそ出来ることだ。
 自分には、出来ない。どれだけステラを──エクステンデッドたちを大事に思っても、彼等を道具として使うことしか出来ない。軍という組織の規律と体面に逆らえぬまま、命令に従って彼等を死地に送り、人殺しをさせる。
 そんな自分にシン・アスカは、眩しすぎたのだ。
「どこで道を踏み外したのかねえ、俺って奴は……」
 思い返してもそれは分からない。すっかり見に染み込んだ己の業に、ネオは自嘲気に哂った。

 

 ──そしてネオは何故か、気づかない。思い返せる過去なんて、『何処にもないこと』を。

 
 
 

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