シンはゆっくりと目覚めていく。
額に触れる冷たさ、自分を包む柔らかい肌触り、顔を覗き込んでいる誰かの視線を感じながら。
「……ここは?」
「……シン」
「俺は……死んでいないのか」
「ええ、あなたも死ななかった。誰も死んでいないわ」
聞き知った声に似ている声の持ち主、妙齢の女性であるその人が、シンは一瞬誰だか分からなかった。
「あんたは?」
「ふふ、無理もないわね。あれから三十年経つのだから」
プレシアはそう言うと、シンの額に当てていた手に魔力を回す。
「我願うはこの者の安らぎ」
紡ぐ言葉と暖かな光に、シンは信じられないといった面持ちだった。
目の前の女性と、記憶の中の女性が音を立てて繋がったのだから。
「まさか、プレシアさん?」
「ええ、あなたが生きていて本当に嬉しいわ、シン」
笑顔でシンの頭を抱擁するプレシアに、シンは確信を持った。
目の前にいるこの人は、紛れもなくプレシア・テスタロッサその人なのだと。
しかし、それと同時にある感情が込み上げてくる。
「俺は……」
シンの声色が変わったことに、プレシアは抱擁を止めてシンに視線を合わせる。
「アリシアを、守れなくて……」
その後は言葉にならず、シンはただ謝りながら咽び泣くことしかできなかった。
その間、プレシアはシンの頭を優しく撫で続けた。
流れる静かな時間に、シンはプレシアと出会った頃を思い出した。
あの頃もシンが魔法制御に失敗し泣くと、プレシアは必ずこうして慰めてくれた。
「シン」
そしてシンが落ち着きを取り戻した頃、プレシアは告げた。
「な!?それは本当なんですか!?」
その内容にシンは驚愕した。
あの状況からアリシアが助かったとは思えなかったからだ。
「ええ、アリシアは死んでいないわ。ただちょっと眠っているだけよ」
その言い回しにシンは違和感を覚えたが、何はともあれアリシアが生きているということが素直に嬉しかった。
「そっか、生きているんだ。はは、良かった。それでアリシアは今どこに?」
「ふふ、そう慌てないの」
逸るシンに苦笑しながら、プレシアは部屋の入り口へと視線を向ける。
と、同時に扉を叩く音が二回。
「……母さん、その入ってもいいですか?」
遠慮がちに聞こえてきた声に、シンは顔を綻ばせた。
その声は間違いなくアリシアの声だったからだ。
「ああ、入っ「何をやっているの!部屋で大人しくしていろと言った筈よ!」
シンの声を打ち消すように、プレシアの怒声が響いた。
それに呆気に取られるシンを気にせず、プレシアは更に怒りを強めていく。
「さっさと部屋に戻りなさい!」
「ご、ごめんなさい、でも」
「何度言わせれば分かるの!?」
「あ……」
アリシアの声は徐々に弱まっていき、やがてここから離れていく足音が微かに聞こえた。
「いや、ちょっと、何でアリシアにあんなことを?」
シンはプレシアの理不尽とも言える叱責に抗議した。
しかし、プレシアは取り合うことなくそのまま立ち上がり、シンを眠るように促す。
「プレシアさん!」
「シン、まずあなたにはいろいろ説明しなきゃいけないことがあるわね」
「?」
プレシアはそのまま静かに扉を開ける。
「また明日来るわ。その時教えてあげる。この三十年間何があったのかを」
「え?」
「それじゃあ、今日はゆっくり休みなさい」
労わりの言葉を残し、扉は静かに閉められた。
シンはプレシアを追いかけようとするが、突然の眠気に襲われる。
「くっ」
どうやら先程の安らぎの魔法に睡眠促進の効果も付与されていたようだ。
シンは必死に抗おうとするが、例えシンでもプレシアの魔法にはそう易々と抵抗できない。
それに加えて、プレシアの言った言葉がシンを混乱させていた。
「三十年って、そんな」
冷静に考えれば引っかかるプレシアの老い、そしてアリシアへの叱責、様々なことがシンの頭で渦巻いていた。
しかし、シンは遂に眠気に抗うことが出来ず、そのまま深い眠りへと落ちていった。
「フェイト?」
出て行ってから僅か数分で戻ってきた主に、アルフが不思議そうな声をかける。
「どうしたんだい?あの、シンって奴の見舞いに行くんじゃないのかい?」
アルフはなおも疑問をぶつける。
フェイトの表情はいつもと変わらないようにも見えるが、その実、暗く沈んでおりアルフを心配させた。
いつもなら感じることができる心情も、今はフェイトが故意にロックしているのか窺い知ることは出来なかった。
「ごめんね、アルフ。せっかく後押ししてくれたのに」
その言葉にアルフは確信を持った。
シンへの見舞いは、きっとプレシアに邪魔されたのだろう、と。
そう考えれば、いやそうとしか考えることはできないのだ。
「フェイト……」
アルフは自らの主をそっと抱きしめた。
「アルフ?」
一瞬呆気に取られたフェイトだったが、数秒後にはアルフの体をそっと剥がした。
「ごめんね、アルフ。でも私は大丈夫だから」
説得力の欠片も無い弱弱しい笑み。
それを見てアルフが更に言葉をかけようとした時だった。
「!?」
部屋の扉が静かに開いた。
「……母さん」
幽鬼の如く部屋に入ってきたのはプレシアだった。
それを見たアルフはフェイトの体を再び抱き締める。
それは先程とは違い、目の前のプレシアから感じる恐怖のための行動だった。
フェイトはアルフを優しく撫でると、アリシアの前へと進み出る。
「ごめんなさい、母さん」
「……そうね。でもあなたは言葉だけじゃ分からないでしょう?」
アリシアの声には最早怒りを通り越して憎しみが籠められているかのようだった。
「来なさい、罰の時間よ」
「……はい」
アルフが何か言おうとするが、フェイトはそれに顔を横に振る。
そしてそのまま、フェイトはプレシアに静かに付き従い行ってしまった。
二人が部屋を出て行った後、アルフは壁に拳を叩きつけた。
「私はっ」
その拳は、自らの情けなさとプレシアの非情さ、その両方への怒り。
やがて聞こえてくるであろう鞭を打つ音、それに耐えるフェイトの事を想いながら、アルフは拳を叩きつけ続けた。