Fortune×Destiny_第35話

Last-modified: 2007-12-18 (火) 10:02:10

35 迫られる選択

 

ガープを退けた一行は、さらに奥にある儀式の間へと足を踏み入れた。
ハロルドの計測どおり、エルレインはそこにいた。エルレインの周囲にはレンズが浮遊し、渦を巻くように飛び回っている。
「エルレイン! 今度は何をしようとしているんだ! 歴史改変は終わった。お前の負けだ!」
カイルの叫びが高い天井の儀式の間に反響する。エルレインはゆっくりと振り返った。
「お前達が邪魔をしたからだ……私はあらゆる手を尽くして人々を救いへと導こうとした。しかし、お前達の手でその全てが潰えた……。私は全てをやり直すための矢をこの星に放つことにした……。」
エルレインは陶酔したように言葉を紡ぎ、さらに続けた。
「そう、かつてこの星を射抜いた矢をもう一度……。」
シンの瞳が見開かれる。彼が恐れていた事態が起きようとしている。
「どういう意味だ、それは! 星に矢を放つだと?」
「ロニ。1000年前、何が起きたか知ってるか?」
シンの口調は深刻そのものだった。彼の脳裏にあるのは、最悪の事態そのものだ。それに似た光景を、彼は見ているのだから。
「天地戦争のことか?」
「天地戦争のもう少し前だ。そもそも、何で天地戦争が起きたんだ? 何で天空都市群が必要だったんだ?」
彼と同様、歴史の勉強を怠らなかったジューダスが口を開いた。
「彗星の衝突による粉塵……なるほど、天体衝突を引き起こす気か、エルレインは!」
この惑星には巨大彗星が衝突している。その時に大量の粉塵が巻き上げられ、日光がさえぎられた。
生活に必要な日光を求め、粉塵が覆っている大気の層のさらに上に都市を造る。それが本来の計画だった。
しかし、それを一部の人間が独占しようとした。これが天地戦争の発端である。
つまり、エルレインはこの彗星の衝突や、それに準じるものを行おうとしているのだ。
「そんなことが許されていいわけがない!」
カイルの叫びはエルレインの陶然とした言葉に掻き消された。自分のしていることに疑問を持たぬ、狂信者特有の口調だ。
「私は間違ってなどいない! 二つの天体の衝突によるエネルギーをもってすれば完全な神が完全な形で降臨する……。」
「それが救いだと、エルレイン! 俺は大質量物体を地球に落下させて、地球の人間を根絶やしにしようとする連中を見てきた。これでは全人類が滅んでもおかしくないんだぞ!? 救いの意味がなくなる!」
赤い瞳をさらに燃え上がらせ、シンは叫ぶ。これでは救いなどもたらせない。ただの破壊だ。
「安心するがいい、お前達全てが死に絶えたとしても、神の力を持ってすれば新たな人類を生み出すなど容易なこと……。そして、神の手による完全な救いが実現されるのだ……。」
「どうかしてるぜ、エルレイン! 救いのための破壊? 絶滅させて新しく作り直す? 黙れ! それは救いなどではない! 人類はあんたの人形遊びの道具ではないんだ!」
「救いのために破滅が許されるとするなら、神にとって俺たち人間はなんなんだ!」
シンとカイルの怒りが儀式の間に渦巻く。しかし、エルレインは相変わらずの善悪のない調子で返した。
「私にとっては人々は神によって救われ、神によって生かされる、儚くいとおしい存在……それ以上でもそれ以下でもない。」
「二度も言わせるな! 人類はあんたの人形遊びの道具ではない! そうまで言うならあんたを完全に消し去ってやる!」
「私は神によって作り出された。私が消えようとも、神がいる限り私は何度でも蘇り、何度でも同じ選択を繰り返すのみ……。」
自分の命などどうでもいい、と言わんばかりの調子だ。カイルはさらに怒りを滾らせ、叫ぶ。
「なら、神を殺す! そして、二度とお前が生まれないようにしてやる!」
その選択しか、最早残されていなかった。エルレインは救いの名の下の支配を、それを望まぬ者たちに妨害され続け、挙句には世界を破壊する。そして、何度もそれを繰り返そうとする。
その根源を絶つことしか、彼らにはなかったのだ。

 
 

「……お前たちにその選択はできない。そうだろう、リアラ……。」
エルレインは全く表情を動かさずにそう言った。リアラの白い顔が、いつもにも増して白く青ざめているように見えた。
「どういう……ことだ……。」
「リアラ、お前は結局言えなかったようだな。ならば私の口から言ってやろう。私とリアラは……神だ。私たちは神によって作られた、神の分身だ。だから、神を殺せばリアラも死ぬ。」
リアラを除く全員の表情が固まった。神の力を行使できるリアラが何者なのかはずっとわからなかった。
カイルは彼女が聖女であることはわかっても、ただの人間だと思っていた。
しかし、実際はリアラは神に作られし者だった。しかも、同時にあることもはっきりした。
「そして、シン・アスカ。お前も神に作られた者である以上、神を殺せばお前も消え去る。今度こそこの運命からは逃れられないぞ……?」
シンは意外にも驚かなかった。こんな日が来るのではないかと、ずっと思っていたからだ。
自分がコピーであることを知った日から、いつかは消えることになるのではないかと、考えてはいたのだ。だから、意外だとは思わなかった。
しかし、消えていくことが怖くないわけではない。手の震えが止まらなかった。
「リアラ……そんなの嘘だろ? そんなことないって、言ってくれ、リアラ!」
カイルは目の前の現実が信じられなかった。自分が愛する、自分を大事に想ってくれるリアラが神であることが。
だが、リアラは静かに首を横に振った。
「いいえ、本当のことよ。私とエルレインは神の化身……神が消えれば私たちも消えてしまう……。」
「リアラ……。」
カイルのショックは大きすぎた。完全に茫然自失しており、虚空に目を向けて立ち尽くすしかなかった。
その間に、エルレインはレンズのエネルギーを用いて儀式を完了させてしまった。天体衝突は避けられない。
「しまった!」
急ぎシンはアロンダイトを抜き放ち、デスティニー形態をとったが、もう遅かった。
「ディバインセイバー……!」
「ぐがあああああああっ!」
凄まじい電撃がシンの体に直撃し、硬い床に叩きつけられた。死にはしなかったが体が痺れて動けない。
「シン、大丈夫!?」
慌てた様子のハロルドが急ぎキュアを使用する。しかし、ダメージが大きかったせいか、まだ目を覚まさない。
「選ぶがいい……これが私から与えられる、神を殺せぬお前たちへの最後の幸福だ……。」
エルレインは時間転移の光に包まれ、姿を消した。おそらくはカイルたちが元いた時代だろう。そこに天体を落とす気なのだから。
途端に空間が崩壊し始めた。現在可能性のある未来である「破滅」に向けて時空が変化しつつあるのだ。
「ショックのところ悪いけどよ、早いとここの時代から離脱しねえと俺ら全員死んじまう! リアラ、頼む!」
悲しそうに眉を寄せるリアラにこんなことを言うのは、ロニとて辛かった。だが、この場で時間転移できるのは彼女だけなのだ。
「……うん!」
ハロルドが素早く取り出した高密度レンズのエネルギーを使い、リアラは10年前の地上軍拠点跡地へと意識を向けた。

 
 

「さてと、現代に戻ってきたのはいいけど……。」
カイルは見る影もなく落ち込んでいる。エルレインを止めたいが、そのためにリアラが消えてしまう。葛藤に苛まれて手詰まりだった。
さらに、シンも電撃を受けてダメージが色濃く、意識こそ取り戻したが身動きは取れなかった。
「肝心の二人がこれじゃあな……。」
「けど、実際これからどうするんだい? このままエルレインのすることを放置するわけにはいかないけど、リアラが消えるってのはね……。」
そう口にするナナリーは、リアラの力で因果律の変化から護られている。消滅の危機からは脱したが、それも長くもつようなものではない。
彼女の存在は、あの10年後があってこそだった。それが天体衝突によって未来を消されたのだ。いつ消え去っても仕方ない。
しかも、天体衝突の瞬間は刻一刻と近づいている。
「俺たちだけじゃどうにもなりゃしない。誰かに相談でもしてみるか……。けど、うちの英雄二人にも手に余る問題だからな……。」
カイルは頭を抱え込み、シンは倒れたままハロルドの治療を受けている。方針を決められる状況ではない。
「ここは一つ、英雄の先輩である四英雄の三人に聞いてみるか。何かいい助言をくれるかもしれないしな。」
ロニの意見に賛成する者こそあれ、反対意見はなかった。さらに、ハロルドが付け足す。
「んじゃ、足はイクシフォスラーでいいわね。こいつの方が何かと便利だし。」
カイルはなすがままにイクシフォスラーに乗せられ、シンも右肩をロニに、左肩をジューダスに支えられながらイクシフォスラーに乗せられた。
「今回は僕が操縦する。お前は寝ておけ。」
イクシフォスラーの操縦どころか、体が動かないのだ。シンは力なく頷くしかなかった。
ジューダスがコックピットに収まったのを確認すると、シンは座席に座ったまま眠りの世界へと落ちていった。

 
 

結局、残る6人がフィリアとウッドロウを訪ねている間、シンは一歩もイクシフォスラーから出られなかった。
光属性攻撃に極端に弱いシンだ。こればかりはどうしようもなかった。
言われたものがいかなる内容かをカイルに問うと、フィリアが「自分で決めろ、選択から逃げるな」、ウッドロウが「考え抜いて、一度決めたらその選択をやり遂げろ」だそうだ。
辛いときだが、だからこそ必要な言葉だろう。ぼんやりする意識の中で、シンはそう思った。
「……十分に休ませてもらった。今度は俺が操縦しよう。」
彼は指と肩を鳴らし、立ち上がった。ジューダスは仮面の奥からシンを見遣る。
「大丈夫か? それに、お前も辛いときだろう?」
「問題ない。それに、予想はしてたさ。俺も選択のときだな……。」
そう言うと、彼はイクシフォスラーのコックピットに収まり、次の目的地であるデュナミス孤児院へと機首を巡らせた。
最後に会いにいく四英雄はルーティ・カトレット、つまりカイルの母親だ。やはり最後に頼りにするのは実の親、ということなのだろうか。
「行こうか、皆。」
シンは操縦桿を握り、クレスタに向けて出発した。操縦技術は全く変わりない。だが、いつもの「シン・アスカ、イクシフォスラー、行きます!」がなく、声にも張りがなかった。
無理もない。消え去ってしまうか、世界の破滅かの二択という状況で、悩まない人間が存在する方がおかしいのだ。
シンもまた、常人なのだ。コーディネイターであることや、仲間だけの英雄であることとは関係ない。この場にいるのは選択を迫られた、ただ一人の少年だった。

 
 

シンはイクシフォスラーをデュナミス孤児院から少し離れた空き地に着陸させ、全員が降りたところでロックをかけた。
ふらりと彼は地面に降り立つ。彼の目には、どこか全てが色褪せたように感じられる。
「…………。」
真紅の瞳も色褪せてしまい、意識も遠くへ行ってしまったようだ。
「シーン!」
「うわああっ!」
急にハロルドが眼の前に現れ、大きな声でシンを呼んでいた。
「あんた、ぼけっとしてないでさっさと来なさい。」
「……そうだな。」
普段の彼とは全く別人のように、シンの声は弱弱しかった。それがハロルドは気に入らなかったらしい。
「裁きのとき来たれり……。」
「あー! いやー!」
いつも通りにシンが頭を抱えて悲鳴を上げたので、ハロルドは半分笑いながら口を開いた。
「そんだけ元気な声出せるんじゃない。さあ、しゃきしゃき行くわよ!」
ハロルドはそれだけ言って孤児院の方に行ってしまった。
「……ハロルド、ありがとう……。」
誰にも聞こえないように、シンはそう呟いた。悩みが消えたわけではない。しかし、その負担は明らかに軽くなっていた。
「……行かなきゃな。」
既に覚悟は決めている。問題はカイルの選択だ。カイルが何を考えているかを完全に把握できるわけではない。
しかし、迷っていることくらいはわかっている。事実くらいは教えた方がいいかもしれない。
「カイルに言うのは……カイルとルーティさんが話し終わってからにした方がいいかもな。」
孤児院の前にたどり着いたときには、既にカイルだけが中に入り、ルーティと二人っきりで話がしたい、とのことだった。
母親にしか話せないことはあるだろう。幼く感じるかもしれないが、カイルはまだ15歳なのだ。その若すぎる彼の選択が世界の存亡を揺るがす事になる。
その重圧はあまりにも大きい。
「カイルも辛いだろうな……。」
「そういうお前だって辛いだろ? 無理すんなよ。お前はいつもいつも無理して苦しそうにしてるんだからよ。」
「そうだよ、あんただって、その、消える消えないで大変なんじゃないのかい?」
「異世界の人間ほど、世界の摂理に反する存在はないからな。たとえコピーだとしても……。だから、いずれ消えていくだろうってことは覚悟してたさ。」
「シン。自分を卑下するな。お前がここに存在していいことは、僕たちの中では暗黙の了解になっているんだ。」
あえて彼は笑顔で返答した。本心であることを強調するために。
「卑下してないさ。ただ、これは本当のことだと俺は思ってる。消えていくとしても、その中で自分の生きる筋道通してからにしたい。カイルの負担を軽減することがそれなら、俺は全力を尽くす。」
「あんたってとことん真面目ねえ。それって義務感?」
「いや、義務感以上だよ。意地っていうか、そうだな、簡単に言えば皆が好きだから、だな。皆は俺が筋道通すことを望んでくれてると思う。だから、筋道通すんだ。」
頼られたい。ずっとそんな思いを抱えてきた。そして、ようやく頼られるようになった。そのための力も得た。
その力を得られたのは、やはり仲間が存在してくれたから、とシンは思っている。その恩を返したいのだ。
恨みを返すのと同じだ。理不尽に不快さや苦痛を与えた敵に対して苛烈な態度をとるのと同様、無条件の優しさを受け取った分は何としても報いたい。
これは日本系特有の考え方だ。欧米諸国では全てが「契約」の下成り立っている。どちらがいいのかはわからない。しかし、この恩に報いるという考え方がシンの原動力であることは間違いなさそうだ。
「やっぱり真面目ねえ。ま、それがシンのいいとこなんだけど。」
「……そんなに言われるとくすぐったく感じるな。」
シンは苦笑し、右手で頭を軽く掻いた。その彼の瞳が、孤児院の扉が開くところを映し出す。
「カイル、終わったのか。」
孤児院から出てきたカイルは軽く頷いた。
「うん、自分で答えを出すしかないって。誰かに出してもらうようなものじゃないこと、わかってたけどさ……。」
「そういうもんだよ、母親は。……一つ事実を伝えておく。」
カイルが首をかしげたのを見て、シンはたたみかけるように言葉を放った。
「リアラや俺が消えるのが嫌だからと、このまま天体衝突を放置したとする。そうしたらどうなるか。衝突の瞬間は助かるかもしれない。けど、エルレインは人類全てを消し去る気だ。それだけの規模なら間違いなく農業生産はストップする。そうなったら確実に餓死だ。」
「シン、まさか……。」
「どっちにしろ俺たちは死ぬことになる。……世界を道連れにするな、とは言わない。ただ、カイルが望むのは何かって話さ。」
「う……。」
「何が言いたいかって言うと、俺のことは気にするなってことさ。俺はカイルの選択に従う。カイルのことは、信じているからな。それに、その方がリアラのためにもなる。」

 
 

シンの表情は暗かった。だが、決意を秘めた瞳だった。カイルは再び考え込んでしまう。
「……ねえ、カイル。ちょっと付き合って欲しい場所があるんだけど。」
リアラだった。翳りはあるが、その顔には笑顔がある。
「どこ?」
「ラグナ遺跡! 二人が出会ったあの場所に、もう一度行きたいの。」
何のためにそんなところに行くのかはわからない。しかし、リアラの頼みだ。無碍にはできない。
「……うん、わかった。」
二人が出かけるのを見届けたハロルドが口を開く。
「さてと、イクシフォスラー改造しなきゃね。カイルの回答が何であれ、天体衝突を防ぐことになってから必要になったんじゃ遅すぎるわ。」
「ということは、まずは材料集めに行かないとな。ロニ、ナナリー、ジューダス。俺たちで行ってくるよ。」
シンは努めて明るく言った。心配などさせない。自分が自分であるために。そんな意思が全身から放たれていた。
「おう、行ってこい。俺たちは孤児院で待ってるからよ。」
「気をつけて行ってきな。」
「お前のことだから心配はしない。心置きなく材料を取りに行ってこい。」
「了解!」
シンはイクシフォスラーのロックを解除し、ハロルドがコ・パイロット席に座ったのを確認すると、シートベルトを締めてVTOL機能を起動する。
「シン・アスカ、イクシフォスラー、行きます!」
最初の目的地はフィッツガルド大陸のオベロン社廃坑だ。イクシフォスラーのエネルギーを強化するために、レンズのエネルギーを増幅する鉱石が必要だと考えたためだ。
「ハロルドはベルクラントに使われてたっていう鉱石を精錬できるよな?」
「んー? 大丈夫だけど。」
「なら問題ないな。その鉱石を取りに行こうと思ってる。……必要だろ? 他の強化パーツより何より。」
「わかってるじゃない。」
神の降臨に必要なのはレンズのエネルギーだ。天体衝突はそのレンズのエネルギーを増幅するためのものなのだ。つまり、落下させようとしている天体を操っているエルレインの討伐と、天体が持っているであろうレンズ部の破壊が必要となる。
しかし、大気圏に突入してからでは全てが遅すぎる。天体衝突の恐ろしさは、そのスピードだ。大気圏に突入する頃には、重力によって加速がついているため、音速の何十倍というスピードになる。
これでは何の対策も取れぬまま地表に落下してしまう。そこで、シンはイクシフォスラーで宇宙空間に飛び出し、そこで破壊してしまおうと考えたのだ。
それはハロルドも同じらしい。
「優秀ねえ、ほんと。あたしよりはだめだけど。」
「ハロルドに勝てるような知識や閃きは持ってないさ。」
彼は夕日で赤く発光した霧で視界が利かないながらも、廃鉱入り口の正面にイクシフォスラーを着陸させた。
「さてと、ここだ。ハロルド、鉱石の吟味は頼むよ。」
「任せなさいって。さあ、その鉱石がある場所に案内してもらうわ。」
シンはかつて訪れた、イレーヌの石碑がある部屋へと足を踏み入れた。相変わらずの美しさだ。この場所を壊したくない、とシンは思った。
しかし、最早カイルの決断如何の問題だ。どうにもならない。
「ふんふん、この石一つで事足りるわね。すごく純度が高いし、少しで増幅できるから。」
彼女が手に取った石は、シンの拳ほどしかない。それだけで事足りるというのだから驚きだ。
「こんなのが大量に使われるとベルクラントになるってわけだけど、あれも使い方次第だしなあ……。」
本来ベルクラントは、天空都市群とともに作られるはずだった上空の大陸を形成するために作られたのだった。それが兵器として転用されたのだから。
技術に文句は言えない。言う相手は、軍事転用した人間、ミクトランだろう。
「ま、今回は人助けだし。いいじゃないの。ついでに、あんたのアロンダイトも強化してあげるわ。やっつけ仕事で十分できるし。もうここでやっちゃうわよ。時間がもったいないから。」
ハロルドはデルタレイとトリニティスパークを使って鉱石を精錬し始めた。

 
 

カイルとリアラはラグナ遺跡最上部を訪れていた。かつて木の根が抱え込むようにレンズが嵌っていたのだが、レンズがあった場所は空洞になっている。
「わあ、あの時とぜんぜん変わってない! あの木もこの泉も……って、ほとんど時間は経ってなかったわね。でも、もう何年の前のような気がするわ……。」
リアラが明るく言うのを聞き、カイルはいたたまれない気分になった。自分はこれだけ苦しく、明るく振舞う余裕などないのに、消えていくかもしれないリアラはどこまでも明るい。
「どうしてだ? どうしてリアラはそんな風に笑ってられるんだ?」
「カイル……。」
「何で俺なんだ!? 何で俺がリアラを殺すようなことをしなきゃいけないんだよ! もう沢山だ! 英雄なんてやめてやる!」
「英雄を……やめるですって!?」
カイルの気持ちはわからなくはない。しかし、これはただの現実逃避だ。リアラはカイルに歩み寄り、平手打ちをカイルの頬に炸裂させた。
「しっかりしなさい、カイル・デュナミス! 確かに死ぬことより辛い選択かもしれない。けど、あなたにしかできないことなの!」
泣きそうな目でカイルはリアラを見遣る。リアラはさらに、言葉を付け足す。
「あなたが選択しようとしてること、私もわかってるわ。そうよ、それは正しい選択なの。」
カイルは恐る恐る口を開いた。
「俺がもし、それを選んだら……リアラはどうなるんだ……?」
シンの言葉で、既に神を殺すことを選択しかけていた。しかし、踏ん切りがつかないのだ。大事な思い人であるリアラを殺すようなことは、できれば避けたかった。
「消滅するでしょうね、あらゆる時間と空間から。」
「怖くないのか?」
「怖くないわ。だって、カイルが教えてくれたんだよ? 今を精一杯生きること、それが幸せだって。」
カイルはラグナ遺跡最上部の床に生えた草むらに座り込んだ。辛いものは辛いのだ。彼に迫られた選択は、あまりにも厳しい。
「お願い、信じて。あなたともう一度巡り合える奇跡を。このペンダントが私とあなたを引き合わせてくれたから。だから、もう一度このペンダントに願って。」
リアラは首からペンダントを外し、掌に載せたままカイルの目の前に差し出す。
「……。」
「あなたが私が消える前に神から解放してくれたら、きっと。ね、お願い。」
カイルはすっと立ち上がり、リアラの両手ごと、ペンダントを手で優しく包んだ。
「信じるよ、俺も。リアラともう一度巡り合える奇跡を。」
それは一縷の希望でしかなかった。しかし、人は最後に残された希望を捨てればおしまいなのだ。カイルたちはそれを糧に、エルレインと対決する姿勢を固めていた。
二人の祈りが通じたのか、二人の手で包まれたペンダントが青白く発光する。それは浮き上がり、流星のように夕日の残照が消えかかる夜空を駆けていった。

 
 

レンズジェネレーターの強化は夕暮れ直前に終わった。しかし、改造はこれで終わりではない。
イクシフォスラーで二人が向かったのは、カルビオラのトラッシュマウンテンだった。
エネルギーの増幅の次はパーツの強化だ。宇宙空間に出る以上、真空、無重力、有害な放射線、猛スピードで突撃してくる塵など、問題は山積みだ。
しかし、有り合わせの材料でどうにかしてしまうハロルドがいる。シンには妙な安心感があった。
「ねえ、シン。あんたあたしを守るとか言ってるけどさ。結局兄さんの言いつけでやってるわけでしょ。」
「まあ、そうだが。」
嘘だった。確かに最初は言いつけでしていた。しかし、天地戦争時代から18年前に向かった頃から、目的は変わってしまっていたのだ。
だが、それを口にするのは気恥ずかしい。
「義務感だけで守られても、面白くないのよね、あたしとしては。」
「……100%義務感ってわけじゃないよ。好きでやってる部分だってある。」
本音が出てしまった。口を閉ざそうとしたが、もう遅い。
「どのくらいの割合?」
逃げられそうにない。本音を出すしかなさそうだ。
「60%……かな。」
「ふーん、義務感を上回ってるんだ。んじゃ、それを何かで証明してくれる?」
「……どう証明しろっていうんだ。」
「態度でいくらでもできるでしょ?」
「……。」
シンはイクシフォスラーを着陸させた。目的地のトラッシュマウンテンに到着したのだ。彼は黙ったままシートベルトを外して立ち上がる。
「ふーん、逃げるわけ? それとも、自分が消えてくの、怖いの?」
「逃げる気はないさ。ただ……そうだな。怖いよ。自分が消えてくのが怖くない人間なんているもんか。けど、どうせ消えるならやるべきことをやってからにする。それはさっきも言ったはずだからな。」
ハロルドはにやりと笑みを浮かべ、コ・パイロット席から立ち上がってシンに顔を近づけた。
「やるべきこと、ねえ。……シン、あんたのやるべき実験、もう一つ残ってたわ。」
「へ?」
「さあ、いろいろ楽しませてもらうわ、ぎゅふ、ぎゅふふふふ……。」
ハロルドが指を鳴らしたのを見て、シンの顔が引き攣った。
「データ収集データ収集、ふっふふっふふーん。」

 
 

デュナミス孤児院の庭の椅子に、ロニとナナリーが座っていた。
カイルとリアラを待っていたのだが、帰ってくる気配がない。二人は何とはなしに雑談することにした。
「ロニ。二人が行った場所ってどこ?」
「ラグナ遺跡さ。二人が始めて出会った場所だ。ま、思い出の場所ってやつだな。」
「へえ、それは初耳だね。」
「今まで言う機会なかったからな、仕方ねえ。けど、あの二人、肝心なこと忘れてるぜ、きっと。」
「ん?」
「俺もその場にいたってことだ。」
少々呆れた口調でロニは言う。確かにロニはその場にいた。そして、眼の前でレンズからリアラが出てきたのも目撃している。
「あんたねえ、あの二人の邪魔しにいく気かい!?」
「バカ言うな! あの二人はあの二人で一緒にいりゃいいんだ。なんつーか、死んでく人間みたいに言うのはあれなんだがよ、少しでも長いこと二人一緒に、それも邪魔者なしでいさせてやりたいからよ。」
二人は黙り込んだ。カイルがフォルトゥナを斃すのなら、リアラは消えてしまう。そのまま放置しても、そう長く持たずに人類は全滅する。
どちらにしろ、カイルにとってはいいことがない。二人はそれを心配したのだ。決断から逃げ出さないか、と。
「……結局、あたしたちはカイルに責任押し付けちゃってるのかもね。」
ナナリーは少し後悔していた。決断を無理強いしたかもしれない、と。しかし、それを打ち消すようにロニが口を開く。
「かもしれねえ。でもよ、あいつが決めねえと。俺たちの決定を押し付けたら、それこそカイルが苦しむことになるんだ。受け止めさせなきゃな……。」
「弟分がそんなに心配かい?」
ロニはにっと笑い、明るい調子で言葉を発する。
「ああ、俺は若さに溢れてて父親代わりにはなれねえけどよ……。」
「馬鹿さの間違いじゃないの?」
「人の話に割り込むんじゃねえ! ああ、ええと、そうそう。俺がこの孤児院に拾われたのは、18年前の災厄の直後だ。スタンさんやルーティさんに感謝してる。」
ロニは一度言葉を切り、さらに続けた。
「少しでも恩を返したいと思ってるんだ。それに、ルーティさんから頼まれちまった。自分の弟を守ってやれなかったから、カイルのことを本当の弟だと思ってやってほしいって。」
「……ジューダスのことだね。」
「全く、あいつはせっかく実の姉に会える機会だってのにどこかに行っちまいやがった。ったく……。」
「ジューダスはリオンとしての自分を捨てたって言ってたろ。他人の人生に口出ししないの!」
「ああ、わかってる。あいつの律儀さには呆れるぜ……。」
呆れるというより、むしろ感心した様子のロニに、ナナリーはからかうような口調で言った。
「あんたもカイルの保護者をずっとやってて律儀なことだね。」
「そうだな、あいつが自分の判断で物事の結論出せたときは、俺はあいつの保護者を卒業して親友になる。年が離れてても関係ねえ。どうよ。」
「賢明な判断だと思うよ。……あたしはどうしようかね。あたしも帰るべき時代がなくなっちゃったわけだし。」
困った様子のナナリーに、ロニは笑顔を見せながら言う。
「あいつのことだ、ちゃんと帰る時代を取り戻してくれるさ。ま、お前がいなくなると静かになるけどよ。」
「悪かったね、うるさくて。さっさと帰って悩まないようにしてあげるよ!」
「誰が悩んだって言ったよ!?」
「……ロニ?」
「あー、いやー、その、何だ。そうそう、適当に騒がしい方が賑々しくていいと思ったんだよ。あはははは…………あぎゃああああああああああ!」
ロニは誤魔化したつもりだったが、全てを言い終わる前にナナリーのコブラツイストが炸裂していた。
「そんなことでいなくなると静かになるだって? だったらたっぷりここで騒ぎな!」
「ああああああ、関節がああああああ!」

 
 

シンとハロルドはトラッシュマウンテンでイクシフォスラー改造に必要なパーツを漁っていた。
「うう……。」
ハロルドの「実験」のせいでふらふらしている。しかし、確実に必要なパーツを選択してハロルドに渡していく。
「あんた、随分とふらふらしてるわね。」
「そりゃ、あんな『実験』したらふらふらになるって。勘弁してくれよ……。」
「でも、あんた楽しそうだったじゃない。」
ハロルドが楽しそうに言うので、彼は顔をさらに赤く染め上げて反論する。
「実験とか言っといて……あれはないだろう?」
「実験だし。色んな実験兼ねてるから。嘘は言ってないわよ。」
「そりゃそうだけど……。」
どもるシンに、ハロルドは追い撃ちをかける。
「そもそも男はああいうのが好みだって話だけど。あんたの思考回路、女っぽいのね。」
楽しそうに言うハロルドに、シンは白い顔を赤くしながらむきになる。
「男とか女とか関係ないだろ! 大体ハロルドの愛情表現は即物的すぎる!」
「あら、愛情表現だってわかってんじゃない。」
「あうう……。」
いいように掌の上で踊らされている。ハロルドのことは嫌いではないが、どうやってもペースを狂わされる。
シンは溜息を吐くしかなかった。
「溜息なんか吐いちゃって。さて、パーツは集まったわ。必要な装置をどんどん組み立てるから、あたしの言った場所に取り付けていってね。」
どこまでもマイペースなハロルドに引きずられながら、シンは従うほかなかった。
「了解……。」

 
 

シンとハロルド以外、孤児院に戻ってきたのを確認したジューダスは、ひらりと孤児院のベランダに登った。
孤児院のベランダとルーティの部屋は直結している。彼女の部屋から出たわけではない。
庭から軽いジャンプを繰り返しただけで、ジューダスの足は彼の身軽な体をベランダに運んでいた。
「……。」
実の姉であるルーティのことが気になったのだ。18年分年を取ってはいたが、本来の気と芯の強さは衰えていなかった。
自分とは違う時間の流れ、特にカイルの存在が彼女を母として支えてきたのだろう。ジューダスは安堵と軽い嫉妬を覚えた。
「ふっ……嫉妬か。今生きてカイルと共に旅ができるだけで十分だと思っていたのにな……。」
自分に苦笑する。ジューダスはカイルの成長を見届け、カイルを守ることがスタンとルーティへの贖罪になると思い、旅に付き合ってきたのだ。
その自分がルーティに嫉妬を抱くなど本末転倒だ。
「スタン……僕はお前に報いることができたのか……?」
彼は夜空にかかる月を見上げながら呟く。竜族の骨を使った仮面を被っているため、そのシルエットがどこか怪物じみている。
これが自分の本性なのかもしれない、とジューダスは自分の影を見ながら思った。
「……誰かそこにいるの?」
ルーティの部屋に続く扉が開き、この孤児院の主が顔を出した。
「あら、確かカイルの仲間の……。」
「ジューダスだ。」
「そうそう、ジューダスさん。どう? あたしの息子の扱い、大変でしょう?」
「……そうだな。だが、あれだけ無鉄砲だと見ていて飽きないな。」
ジューダスの口調に聞き覚えがある。そう思ったルーティは仮面越しに彼の顔を覗き込む。その面立ちは、かつて共に旅をした、そして死別した弟のものに酷似していた。
「……! あんた、リオン!?」
「誰のことを言っている。」
「誰って……それに腰にぶら下げてるのシャルティエじゃない!」
しかし、ジューダスはあくまで冷静に返事する。
「この剣はシンが僕の戦闘スタイルに合わせて発注した、レプリカだ。ソーディアンとやらは話ができるのだろう? このシャルティエ・フェイクにはそんな力はない。」
「あ……。でも、まだ諦められないわ。その仮面とって。素顔、見せてもらえないかしら。」
「……あなたの言うリオンが、かつて共に旅をしていたというリオン・マグナスのことを指しているとするなら、生きていればもうとっくに30過ぎだろう。僕は10代にしか見えないだろう?」
ルーティは尚も諦めきれない様子だった。しかし、頑としてジューダスは仮面を取ろうとしない。
ジューダスは自分の姉が唇を噛んで、辛さに耐えていることがよくわかった。だが、正体を明かすわけにはいかない。リオンとしての自分を捨てた身なのだから。
「ジューダスさん、でしたっけ。昔話を聞いてくれる?」
「僕は構わん。言うなら早くしろ。」
どこまでもリオンに似ている、とルーティは思いながら口を開いた。

 
 

「昔ね、あたし弟亡くしちゃって。ずっと離れて育ってて、弟だってわかった途端すぐに死んじゃって。あたし、ずっと一人ぼっちだったから、肉親に飢えてたのよ。」
「……。」
「弟だってわかる前から、しばらく一緒にいたのよ。もの凄く尊大で、どうすればああなるのかなって、ずっと思ってた。けど、本当は傷つきやすい、優しい子だった。」
「……。」
「それでね……そんな子だったから、どんなに罪深くても、生きてて欲しかった。生きて、カイルと一緒にいて、成長見守って欲しかったのよ。あたしとも話をして、時には姉と弟として喧嘩したかった……。」
ジューダスはルーティの話を聞いている間、黙ったまま彼女の表情を見つめていた。だから、ルーティが頬に一筋の涙を零したことも見逃さなかった。
「あ……ごめんなさいね、こんなこと……。」
「カイルは……。」
ジューダスが口を開いたので、ルーティが驚いたように仮面の少年を見遣る。その表情は真剣そのものだった。
「カイルは自分の父親が死んだということを、記憶を呼び戻されて知らされたとき、心を強く持っていたとロニは言っていた。涙が零れそうになっても堪えていたと。そして、父を超えるために、敵討ちとして父を殺した男と戦わないと誓った。」
ルーティが息を呑むのがわかった。しかし、ジューダスは続ける。
「他の仲間達も失った肉親や大事な存在への思いに苦しみながらも、真剣に受け止めて前向きに生きることを決意していた。だというのに、先の騒乱の四英雄が後ろ向きか?」
「そうね、こんなところあの子達に見せられないわ。ジューダスさん、秘密にしておいてくださいね?」
「僕は口は軽くない。黙っておく。」
ジューダスはそれだけ言うと、重力など関係ないとばかりにベランダから地面までひらりと降り、そのままどこかへ立ち去ってしまった。
ルーティはそれを見届けながら誰にも聞こえないように呟いた。
「……ありがと、ジューダス、いえ、リオン。あんたの変装、ばればれなのよ……心配してくれたのね、あたしのこととかカイルのこととか……。」

 
 

翌日の早朝、イクシフォスラーが轟音を立ててデュナミス孤児院へと戻ってきた。
孤児院の子供達はわいわいとイクシフォスラーの周りに集まり出す。さすがに、この音ではねぼすけのカイルも起きてきたらしい。
「んあ……イクシフォスラーが戻ってきたのか……?」
寝ぼけ眼のカイルが眼を擦りながらオレンジ色のボディを見遣る。ハッチが開き、シンとハロルドが姿を現した。
「ただいま、カイル。ちょっと改造に時間がかかってしまってね。」
「改造……?」
「ああ、カイルの決断がどうであろうと、必要とする道具は整えておいた。そして……今日が決断の日だ。今日を逸したら天体衝突は、多分避けられない。」
根拠などない。しかし、この手の問題は少しでも時間に余裕があった方がいい。一分一秒でも惜しいのだ。
カイルの先程までの眠そうな顔はどこへやら、彼は決然とした表情へと変わっていた。
「……イクシフォスラーや、他の道具は大丈夫なんだな?」
「全て準備した。イクシフォスラーの大気中・空間のハイブリッド化は勿論、擬似重力発生装置から対真空バリア、酸素供給装置まで、何もかも用意できたよ。」
「よし、行こう!」
「ということは、神を倒すってことだな?」
「ああ、それで全てを終わらせる。終わらせなきゃいけないんだ!」
ここまで来たら後戻りは許されない。自分の存在が消滅しようが何をしようが、この世界を守らなくてはならない。
シンもまた、決意を固めていた。