G-Seed_?氏_サイドストーリー②

Last-modified: 2007-11-10 (土) 19:50:17

 キラは自分の呼吸が乱れているのを感じていた。心臓の拍動が
やたらとうるさい。喉がカラカラに渇いてる。
 大きく深呼吸。これで何度目だろう? こんなにも緊張するのは、
いつ以来だろう? 手が、震える・・・。
(逃げちゃダメだ。過去と向き合うって、闘うって、決めたじゃない
か!)
 でも怖い。怖くてどうしようもない。つくづくこの2年、自分は逃げ
続けてきたのだと、キラは改めて思い知らされた気分だった。
(こんな程度の人間が、何が『世界』だ)
 ちゃんちゃらおかしくて笑ってしまうとはこのことだ。自己嫌悪の波
は怒涛となって押し寄せ、キラを容赦なく飲み込んでいく。
 キラは抗うように首をふった。今は自己嫌悪の檻に囚われている時
ではない。囚われるのは今日の目的を達成してからでも遅くない。
 キラの震える指がインターホンにかかろうとした、その時。
「・・・キラか!?」
 目の前のドアが急に開き、一人の青年が顔を出した。事態の急転に、
一瞬キラの頭は真っ白になった。
 やがて視界に色が戻り、目の前に像が形成されていく。茶色の髪に品
のいい色付き眼鏡をかけた、優しげで理知的な眼差しをした青年の像が。
「・・・久しぶり・・・サイ」
 キラはようやくそれだけを喉の奥から搾り出した。

「モビルトレースシステムの開発スタッフに!? 俺が!?」
 二人分のコーヒーを持ったまま、サイ・アーガイルは驚愕の声を発し
た。
「うん。カレッジを休学する事になっちゃうけど、それは――」
「おいおい! あの最新技術に触れられるんなら、いくらでも休学する
さ。モルゲンレーテ社にだって興味あるし。・・・けどな、キラ。そう
いうのって良くないんじゃないか?」
「なっ・・・何が?」
「何がって・・・」
 サイは苦笑を浮かべた。
「国家的プロジェクトに、俺程度の人間が選ばれるわけないだろ? 
そもそも、キラが言いに来るっていうのがおかしい」
「違うよ! サイは、カトウ教授のゼミだっただろ? カトウ教授の
GATシリーズは今でも評価されてるし、それにサイはMSを実戦でい
かに運用すべきか、それを生で知ってるから・・・」
「キラ・・・」
 困ったなというように優しく笑うと、サイはそっとコーヒーを差し出
した。キラが、カップを受け取ると、サイは黙ってコーヒーをかき回し
始める。
 しばらくの間部屋には、コーヒーを啜る音だけが響いた。
心臓の鼓動がさらに速さを増し、焦燥感が込み上げるのを、キラは感じた。
(違う・・・。こんなこと、言いに来たんじゃない。これじゃあ・・・)
 キラの懸念は、実体化した。
「コネでどうこうって、俺そういうの、好きじゃない」
 静かではあったが確かな意志を感じさせる声音に、キラは思わず体を
硬直させた。
「キラ・・・」
 サイの優しげな視線とキラの怯えた視線が交錯。サイはもう一度、
困ったなと言う様に笑うと、頭をかいた。
「もう、気にすんのやめろ。そんなことしてくれなくても、会いに来て
くれただけで、十分だ」
 キラは、恥ずかしさで全身が火照るのを感じた。
「そうじゃない! 違うんだ。僕はただ・・・君に・・・」
 激情が溢れそうになり、キラは声をつまらせた。キラの視線はせわし
なく泳ぎ回り、部屋のあちこちを行き来する。
(言うんだ! ちゃんと、言葉だって考えてきたじゃないか!)
 だが、自分を叱咤しても、言葉は容易に喉を通過しようとしない。
(どうして!?)
 そう考えて、唐突に悟った。

 ――自分が恐れていることを

 キラは愕然とした。
 謝罪を拒絶されたら嫌だと自分は思っている。拒絶されて傷つくこと
を恐れている。一体何処まで自分は臆病で卑怯で矮小なのか。あまりの
自分の不甲斐なさに、キラはきつく唇を噛み締めた。
 苦悩するキラを見かね、サイはもう一度、諭すように、
「だから、もういいんだ。分かってるから! お前のいいたいこと」
キラの中で何かが弾けた。
「ごめん! サイ! 本当にゴメン!」
 キラは、床の上に膝をつき額を床に叩き付けた。
「おい、キラ・・・」
 サイが慌てたように声をかけるが、キラは構わずに続けた。用意して
きた言葉は、既に雲散霧消していた。だが、感情の激流に押し出される
ようにキラの口から、自然と言葉はあふれ出した。
「僕がやったことは、最低だって分かってる。許してなんて言えない。
だけど・・・ごめん!」
 キラの声には、嗚咽が混じり始めていた。
「・・・あの時、僕は本当にどうかしていた。みんな僕のこと分かって
くれなくて、フレイだけが優しくしてくれるって、感じてた。だから誰にも
取られたくないって思って、君に、あんな酷い事・・・」
 
 ――そんなことなかったのに
 
 みんなが自分から離れていったなんて、そんなこと無かったのに。
 コーディネーターだと知られて銃を突きつけられた時に、銃の前に立って
自分を庇ってくれたのは誰だ? ラクスを返しに行った時に黙って協力
してくれたのは誰だ? ストライクで大気圏に突入して、寝込んだ自分に
付き添っていてくれたのは誰だ?

 ――自分が勝手に遠ざかっただけだというのに。

「僕は君のことが羨ましかった。いつも、みんなの中心にいて、フレイ
の婚約者で・・・」

 ――自分の方が、優れている。

 ――本当は、あそこにいるべき人間は自分だ

 ずっとそう思っていた。
 あの時、サイを叩きのめして自分の方が優れていることを見せ付けて
やりたいと、確かに自分は思った。
 とんだお笑いぐさだ。
 優れているから賞賛され、人が自分の周りに集まって当然。そんな事を
考えている鼻持ちならない奴なんか。謝りに来て、まだ言い訳をしている
みっともない奴なんか・・・。

 ――誰が好きになってくれるっていうんだ!
 
 自己嫌悪のあまり、キラは絶望感すら感じていた。
「――謝らなきゃならないのは、俺だって同じだ」
 苦渋に満ちた声にキラは驚いて顔を上げた。そこには苦しげに顔を歪
めたサイがいた。
「俺、分かってなかった。昨日まで普通の学生やってた人間が、殺し
合いをさせられることが、どういうことなのか。お前がどれだけ、撃っ
て、撃たれて、苦しんでたのか・・・。分かろうともしないで」
 サイのカップを持つ手は、血管が浮き上がり、細かく震えていた。
「そんなことない! サイ達はいつだって、僕のこと心配してくれてた。
それなのに僕が、ナチュラルだから分からないだろうって勝手に思い込
んで、君達に何も言わなかったから・・・」
サイの唇が自嘲の弧を描いた。
「俺もだよ。お前はコーディネーターだから裏切るかもしれない・・・
そう心のどっかで思ってた。ラクスをお前が返しに行く時、俺、『返ってくるよな』って
お前に何度も聞いたよな?」
 サイの唇の弧がその大きさを増し、眉間の苦悩の皺が深くなった。
「・・・あれが証拠さ。お前のこと本当に信じてたら、黙って行かせて
やったはずだ。俺は、あんなに必死に戦ってたお前のことを信じてやれ
なかった。本音で話す事すらできなくて、その上妬んで・・・。ごめん
な、キラ」
 言い終えると、サイは、苦さと悔恨の入り混じった大きな息を吐いた。
 そのまま、沈黙の海溝が二人を飲み込んだ。重苦しさに圧されながら
も、キラは思考の闇の中で言葉を必死に探していた。だが、混沌とした
今の心境と思考を伝えられる言葉はどうしても見つけ出せないでいた。
 そんなキラを見て、サイは笑った。その笑みは、闇の中に刺した光の
ようで、キラは思わずサイの顔を見つめた。
「だから、お互い様だ、キラ。周りの環境のせいにするのは卑怯かも
しれないけど、あの時はみんなが必死で、みんなが何かに耐えて、みん
な大変だったんだ。せめて、話し合ってみんなで支えあえれば良かった
んだろうけど、俺達は、どうしようなくガキで、誰かを支えてやること
なんてできなかった・・・。当たり前だよな。自分の中にあるものとさえ、
ちゃんと向き合えてなかったんだから。フレイの事も――」
 キラの体が電流に打たれたように震えた。逆にサイは、どこか淡々と、
しかし、温もりのこもった口調で言葉を紡いでいく。
「あの時、フレイに必要だったのはお前だったってことさ。親に決めら
れた婚約者じゃなく、な。始めは間違った考えの方が大きかったとして
も、彼女が必要としていたのはお前だったんだって、思う。結局、俺の
力が足りなかったってことさ。どんな理由があるにせよ、離れて行くっ
てことは、彼女の中で俺は、彼女を支えられる存在じゃなかったってこ
とだからな」
 キラは呆然としてサイの話を聞いていた。
 ひたすら目を逸らしてきた自分とは違い、彼は自分の中の闇と向き合
い、逃げずに闘ってきたのだ。自分なりの解答を導き出し、乗り越え
ようとしてきたのだ。そのことが、サイの言葉に、口調に、はっきりと表れていた。
「だから、こういう話ができて嬉しいよ。少しは、お互いに前に進めた
のかもしれないって、思えるからな」
「サイ・・・」
 キラは胸が熱くなるのを感じた。どこまでもサイは優しく、そして懐
が深い。でも、だからこそ――
「・・・サイ、僕を殴ってくれ!」
「おい、キラ・・・」
「頼むよ! そうじゃないと、僕の気がすまない!」
 サイの優しさに甘えてはいけないと思う。自分は『裏切り』という最
低の行為をしたのだから。殴られぐらいじゃまったくつり合わないこと
をしたのだから。この言葉ですら自分で自分を許したいという思いの産
物であろうことは否定できないのだから・・・。
「そうか、そこまで言うんなら・・・」
 しばらく黙考した後、サイは立ち上がった。
「確かによく考えると、一発ぐらい殴ってやりたくはあるな」
 冗談めかしてはいたが、その声音には、それでだけではすまない
複雑多岐に渡る感情が混在していた。
「別に、何発でもいいよ」
「いや、一発でいい」
 キラは、立ち上がり、歯を食いしばった。
「いくぞ・・・」
 合図から一呼吸置いて衝撃が左頬に突き抜け、キラはわずかによろめいた。
唇が切れ、金臭い味が口の中に広がる。
「・・・大丈夫か?」
「うん」
 黙ったまま、サイが握った拳をほどき、差し出した。キラは込み上げるものを
感じながら、その手を握った。
 サイが力を込めてきた。ありとあらゆる感情がその手から伝わってくる。キラも
力を込めて握り返した。

 
 玄関のドアに手をかけながら、
「――そういうわけで、困ってるのは本当なんだ」
 キラはもう一度サイを誘った。サイは少し考えた後、
「そっか。なら手伝うよ」
 小さく微笑を浮かべ、今度は承諾の意を示した。
「ありがとう・・・」
「いいさ。友達が本当に困ってるのなら助ける。当然だろ?」

 ――友達
 
 胸の中に暖かいものが広がっていくのをキラは感じた。溢れ出
そうな暖かさは、涙となって零れ落ちそうになる。キラは必死で堪えた。
「僕のこと・・・まだ、友達だって、思ってくれるの?」
「当たり前だろ! でも、変だな・・・。今日、始めて、お前に会った気もするよ」
 サイは深い微笑を浮かべた。
「初めまして、キラ・ヤマト」
 そう言って、サイはもう一度握手を求めた。
「・・・初め、まして」
 キラの視界が揺れた。
暖かいものが頬を伝うのを感じながら、キラはその手を握った。

(・・・ん?)
 カガリは足を止めた。
カガリの視線の先で、見知った顔とキラが何やら話している。カガリは
耳を済ませた。
「――うん。サイのいうこともわかるけど・・・」
「いくら何でも時給255円はないだろ? 俺は使用人として雇用者で
あるお前に対し、待遇の改善を要求する」
「そんな、使用人だなんて! 僕達、友達でしょ?」
「お前って奴は・・・」
 カガリは苦笑した。
 キラは今、基本的に無償奉仕の身だ。やったことを考えれば当然のこ
とであるが、流石に助手を抱えてはキツイだろう。
(サイには、給料が別途に出るようにしてやるか・・・)
 などと考えながら、カガリはもう一度、キラ達の方をうかがった。二人とも、
何だかんだと言いながら楽しそうに仕事をしている。
(いい傾向だな)
 そっとその場を離れながら、カガリは胸中で呟きをもらした。
 考えてみれば、キラがアスランとラクス以外の同世代の友人と話して
いるのは、始めて見る。ようやく、止まっていたキラの時間が動き出した
ようにカガリは感じた。そして同時に、
(アスラン・・・)
 今、胸に浮かんだその名前が、自分の胸に小さからぬ波紋を作るのを
カガリは感じていた。
 ユニウス7落としの犯行グループの声明を聞いた後、何かできること
を探すと言って、プラントに残ったアスランの行方は知れなかった。
 地球連合がプラントに宣戦布告したのと日を同じくして、大使館にも
顔を見せなくなり、それっきりだ。
 悩み始めると何も見えなくなってしまうアスランらしいとも思うが、
連絡の一つぐらい寄越せ、と思う。
 カガリはそっと、薬指にはまった指輪に目を落した。
(私は会いたいんだぞ、バカ・・・)
 カガリは、窓から星が光る漆黒の空を仰ぎ見ながら、そっと指輪に手
を添えたのだった。

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