RePlus_閑話休題三幕_前編

Last-modified: 2011-08-02 (火) 16:35:50

「うぅ…」
 フレイ・アルスターの寝起きは常に悪い。元々低血圧気味の体質な上に、オーブの広報
に従事し、オーブを世界各国のパイプ役を務める彼女の仕事は日々多忙を極めている。
 ハイスクール時代は、徹夜の二つや三つ大した事は無かったが、流石にこの年齢、と言
ってもまだ二十二歳だが、になると非常に応える物があった。
 特に情事の後は尚更そう感じる。
「この…男は…」
 フレイは、マクラに頭を埋め自分の隣で安らかな寝息を立てる男、キラ・ヤマトを睨み
つけた。
 柔らかいこげ茶の髪に少年のような柔和な顔立ち。人当たりも良く、どんな人間でも分
け隔て無く優しく接する為に社内での人気は非常に高い。男の癖に無精髭の一本もなく、
整った綺麗過ぎる顔は、知らない人が見れば天使か何かが眠っているように見える事だろ
う。だが、彼の外見に騙されてはいけない。無害に見えるのは外見だけで、中身はトンで
もない怪物なのだ。
 フレイが、キラの頬を引っ張ると、「うぅ」と寝苦しそうに抗議の寝言を上げ、反対方
向に寝返りをうつ。
(こんな…なりして…こいつ結構無茶苦茶なのよねぇ)
 フレイは、呆れ顔でキラを見つめ、そのまま忍び笑いを漏らす。何と言うか簡潔に言え
ばキラは獣なのだ。
「もう駄目」と懇願するフレイに聞く耳を持っていないのか、彼女を執拗に攻め立て、最
中に何度失神したのかも記憶に無い始末だった。 
 その癖自分が満足すると、耳元でお決まりの台詞をのたまい、いそいそと眠りの国に旅
立ってしまう。
 誘ったのはフレイの方からな為文句は言えないが、もう少しこう、何と言うか、お約束
と言うかストロベリーでピロー的なトークがあっても良いのでは無いだろうか。
なにしろ、フレイは、この機会を逃すと次の休日は三週間後と言った超過密スケジュール
で仕事をしているのだ。当然決まった休みなど無いに等しく、キラと暫く会えない日が続
き、鬱憤が溜まっていたフレイは、軌道エレベーターの誘致問題でごね倒す現地大使を気
合と鬼のような剣幕で説き伏せ、引継ぎ業務も程ほどに無理やり休みを拵えたのだ。
 フレイのふたりっきりの時間を得る為に払った並々ならぬ労力を隣で暢気に眠る男は果
たして分かっているだろうか。
「どうしたの…フレイ」
「起きてたんだ」
「うん…」
 優しくにっこりと微笑むキラ。フレイは、キラのこの笑顔にどうしても弱い。納得出来
ない事があっても、笑顔一つ向けられれば機嫌を直してしまう自分が居る。フレイは、我
ながら安っぽい女だとも自覚しているが、どうにも止められようが無かった。
「隣でうんうん唸られたら眠れないよ」
「それはそれは失礼しました」
 フレイは、出来るだけ不機嫌そうな顔をしながら、枕元のリモコンを操作する。電動カ
ーテンが開き、薄暗かった室内に穏やかな、しかし、少しだけ厳しい夏の日差しが室内に
差し込んでくる。
 地上六十階建てのモルゲンレーテ本社ビルの最上階から見る景色は絶景だった。透ける
ような青い海の向こうに、地平線が広がっている。商業区と住宅区を繋ぐ高速道路が伸び
、高層ビルが立ち並ぶ。
 南国特有の攻めるような日差しが照りつける中、今日も暑くなりそうだと思いながら、
フレイはふと疑問に思った。
(あれ…なんでこんなに日が高いのかしら)
 日々忙しく世界中を飛び回る彼女だが、人生の大半を過ごしたオーブの朝の風景を忘れ
る事は無い。
彼女の本社勤務での起床時間が午前七時。
 シャワーを浴びて、身なりを整え、まだ日差しが弱い内に行き着けの喫茶店で朝食を取
る。そして、始業時刻十五分前に自分のデスクに座るのが、フレイの日常だった。
 だが、今は日が昇りきっているように見える。しかも外は随分と暑そうだ。
フレイは、嫌な予感、殆ど確信に近いものがあったが、油の切れたロボットのように時計
を見つめると、時刻は正午を当の昔に回り、昼休みに入っていた。
確か今日は昼一で大事な会議があったはずだ、とフレイは、現実逃避するように携帯電話
のスイッチを入れる。やはり、時刻は正午を過ぎており、ラクス・クラインからの不在着
信が山のように入っていた。

「嘘おおお!」
 フレイはシーツを跳ね除け、奇声を上げながら、脱ぎ散らかされた制服を集めていく。
 ショーツに足を通しながら、会議室までの最短ルートを検索する。フレイの思考は、量
子演算装置も裸足で逃げ出す速度で結果を叩き出すが、検索結果はどれも芳しくない。
 芳しくないと言うか、その全てが絶望的な結果を導き出している。つまり、何をしても
完全に遅刻だった。
「ど、どうしたの、フレイ」
「遅刻よ遅刻!もう完全に遅刻!」
 この時間では、部屋に着替えに戻っている暇すら無いだろう。昨日と”同じ”シワシワ
のスーツでは、”ナニ”をしていたがバレバレだが、行かないよりはマシだ。会議に遅れ
た事も問題は問題だが、それ以上に切迫した理由がフレイには存在していた。
「偶にはゆっくり出社するのも良いと思うけど」
 キラはまだ眠いのだろう。ぼんやりとした表情で頭をボリボリ掻きながら欠伸をしてい
る。
「何、寝言言ってるのよ。昼一で会議でしょうが。忘れたの」
「あっ…そうだっけ」
 ブラをつけながら、大声を上げるフレイだが、色々特殊な事情で大変な事になっている
下着と全く危機感が無いキラに、何故こんな男の惚れてしまったのだろうとサメザメと涙
を流してしまう。
「兎に角急ぎなさいよ。キラまで遅刻したら、ラクスに何言われるか分からないでしょう」
「分かったよ、フレイ」
 フレイは、下着姿のまま全身に香水を振りかけ、せめて匂いでもと証拠隠滅を図る。腕
の匂いを嗅ぐと、まだ、汗と"ごにょごにょ"な匂いが残っている気がしたが、何もしない
よりはマシだろう。
 フレイが、皺だらけのスーツに袖を通そうとした頃に、オーブの昼行灯代表が、漸く重
い腰を上げるのと、ピンポンと間抜けな音を立てて無常にもチャイムが鳴るのは同時だっ
た。
「げっ…」
 フレイは、我が事ながら、いい年齢した大人が「げっ」は無いだろうと思うが、それだ
け事態は急を要する。せめて、着替え終わらなければラクスに言い訳する事も出来ないか
らだ。大慌てで、スカートを穿こうとするが、近づいてくる足音に焦りバランスを崩して
しまう。
「きゃっ」
「大胆だね、フレイ」 
 フレイは、可愛い声を上げながらキラの以外に分厚い胸板抱きとめられ、キラに若干ト
キメキながらも無言の重圧を背後から感じ、一言「終わった」と溜息を付いた。
「おはようございます…フレイ、キラ」
 フレイが、ラクスのまず最初に自分の名前を呼ぶ所に例えようの無い悪意が交じってい
ると、心の中で大量の涙を流す。
 フレイが、キラの胸元から顔を上げると、秘書官であるメイリン・ホークを連れたラク
ス・クラインが、ベットに縺れるように倒れこむ二人に向け女神のような微笑を向けてい
た。

閑話休題三幕-前編-
"無用なりても運命故に-RePlus If…Ⅲ"

「お早い到着でしたわね、フレイ。十一時の便で本土に着かれると聞いていまして。私、
空港まで向かえに行きましたのに。着いてみれば貴方の姿が見えないので、心配してい
ましたのよ」
「それは…その、そうよ、飛行機が思ったより凄い早く到着したの」
「ロンドンからですか?地球の反対側ですわよ」
「と、特急料金だから」
「それは良かったですわ。それだけ早いなら、今度私も使う事にしましょう」
 我ながら苦しい嘘だとは分かるが、本気で突っ込むのは勘弁して頂きたいと思うフレ
イだ。ラクスに見つめられると、胃がキリキリと痛んで身が持たない。
 因みに早く着いた点に関してのみ嘘は付いていない。帰ってきたのは、今朝一番の便
では無く昨日の便だっただけだ。
「何か弁解はありますか?」
「あはは」
 針の筵とはこの事を言うのだろう。
 モルゲンレーテ本社ビルの中央の吹き抜け部を通るエレベーターの中は、さながら戦
場のような緊張感が漂っていた。
 ラクスの放つ鮮やかな極彩色の重圧、主に血の色方面にラクスの第二秘書であるメイ
リンは、顔を引き攣らせ、資料を確認するフリをしながら、二人に出来るだけ近寄らな
いようエレベーターの隅で震えていた。
 勿論明日は我が身だと目聡く聞き耳を立てるのを忘れていなかったが。
「…ごめんなさい」
 フレイは、ラクスに向け素直に謝る。これ以上強情を張ると碌な事にならないとフレイ
は経験上知っているのだ。
 ラクス・クライン。
 オーブの出資者であるシーゲル・クラインの一人娘で、キラ・ヤマトの秘書であり彼を
公私共に支えるパートーナー、平たく言えば婚約者だ。
 第三者から見れば、フレイがラクスの婚約者に横恋慕した事になるのだが、一応断って
置けば、キラと最初に付き合っていたのはフレイだった。
 お互い些細な行き違いで別れてしまったが、その後カレッジの講演会で再会、その頃既
にラクスと婚約していたキラだが、フレイと紆余曲折の末にやけぼっくいに火が点いてし
まい、そのままズルズルと関係を続け今日に至っている。
 悪い事だと自覚はあったが、好きになった物は仕方が無い。開きおなりも甚だしいが、
こればかりは、どうにも自制が効かないフレイだった。
 キラを追いかけモルゲンレーテに就職が決まった際に、ラクスとの話し合いに不退転の
覚悟で臨んだフレイだったが、ラクスとのキラを巡る戦いは、大方の予想を裏切り簡単に
終結する事となる。
「私もキラを愛していますが、フレイさんも愛しているのでしょう。なら、それで良いで
はありませんか」
 天然なのか計算済みなのか分からないが、ラクスの言葉に感動し涙を流すフレイには、
幸か不幸かラクスの「私一人では、あの馬鹿(キラ)を抑えきれませんもの」との言葉を聞
き逃してしまっていた。
 割と凡人であるフレイは、こうして劇物二人の世話を無自覚ながら引き受ける事になっ
たのである。
「さて随分遅れてしまいましたわ」
 モルゲンレーテ本社の中に存在する場違いな薔薇園。品種改良された"青い"薔薇は一年
を通して花を付け、見る者を楽しませている。
 ラクスが手塩にかけて育てた、と言っても遺伝子改良された青い薔薇に虫が付く事等
ありえず、殆どメンテナンスフリーに等しい。
 精々水を一日一回撒くだけで済む物で、ラクスとキラが管轄する案件の会議は、専らこ
の青い薔薇園で行うのが慣例だった。
 一見無防備に見えるが、薔薇園の周りは、モルゲンレーテが世界に誇る私設武装組織"
ブルーコスモス"周りを固め、内外の敵に目を光らせているためセキュリティも万全だ。
「遅かったな」
 オーブ軍の階級証を付けた金色の髪の少女。カガリ・ユラ・アスハが、退屈そうに紅
茶に口を付けていた。
「キラを起すのに手間取りましたわ」
「ご苦労だなラクス。冬眠中の熊を起すのは手間取っただろう」
「ええ、二頭分ですから。予想外に手間取りましたわ」
「酷いよ。ラクス、カガリ」

 抗議の声を上げるキラだが、二人にあっさりと無視され不満顔だ。フレイは、ラクス
の言葉に顔を羞恥に赤く染めたが、カガリは、ラクスの揶揄がいま一つ理解出来ていな
いのか、頭にハテナマークを曖昧な笑み浮かべていた。
 既に会議の準備は整っているらしく、ラップトップのPCが人数分揃っている。
 だが、場の空気は穏やかなもので、遅れた二人を叱責する気配すらない。フレイは、
何だか損をした気分になり嘆息しながらも席に着いた。
「アスラン、待たせたね」
「構わないさ。キラがネボスケなのは昔からだからな」
 パソコンから淡い光の粒子が伸び、一瞬のノイズの後、アスランの上半身が立体映像
で映し出される。
「アスラン、そちらの調子は如何ですか?」
「三歩進んで二歩下がると言った所だな。全く交渉は苦手なんだが」
 立体映像のアスランは、苦い顔のまま手持ちの資料を捲る。アスランは、今オースト
ラリア大陸で、オーブに所属する企業が持てる技術の粋を集めて臨む世界的国家プロジ
ェクト"軌道エレベータ"ーの製造に関わっている。
 机上の空論とされたSF小説の代名詞である軌道エレベーターも、現在の技術を用い
ればそう難しい話では無くなっていた。
 金と時間さえかければ、十年程度で軌道エレベーターは完成し宇宙開発は大いに飛躍
する事だろう。
 ロケットを打ち上げるより安全な上に低予算で資材を宇宙に上げる事が出来るのだ。
 軌道エレベーターは、近年判明した豊富な月資源も相まってまさに利権の塊である。
 当然ガラの良くない輩が集まってくる。
 宗教家ならまだ良いが、石油輸出国が雇ったゲリラ崩れの傭兵など、脛にダース単位
の傷持ちや裏に巨大な影を持つ連中が、軌道エレベーターを狙い敷設現場は権謀術数が
渦巻く超危険地帯と化していた。
 軌道エレベーター建設に約五割の資金と技術団を派遣しているオーブは、軍隊の派遣
を決定。
 オーブ軍の将校であるアスランも、現場に赴き指揮を執る日々が続いている。
 各プロジェクトの進捗状況などに始まり、会議はラクス議事進行の元進んでいく。
 秘書官であるメイリン・ホークが速記で会議の内容を記録する中、フレイも自分の担
当案件の捗状況を説明して行く。
 フレイの仕事は、諸外国との広報・対外折衝と聞こえは良いが、容易く言えば、事務
次官レベルで決着の付いている話を不備や変更が無いかもう一度聞いて回るだけの仕事
だ。
 特に難しい仕事では無く、書類に判子を押して貰い、愚痴を聞いて回る御用聞きのよ
うな物だ。 
 世界中を飛び回る為に、遣り甲斐が無いと言えば嘘になるが、判子一つ押すのに今更
躊躇う企業の社長や政治家を見ている腹が立つより頭が痛くなる。
 その度に「後が使えてるんだから、さっさと判子押してよ」心の中で毒づいているの
だが、それは言わぬが華と言うモノだ。
 フレイが思考の海に沈んでいると、会議はいつの間にか宇宙開発の分野に進んでいた。
 本当なら一広報社員でしか無いフレイ程度の身分では、会議に加わる事も出来ないの
だが何の因果か列席を許されている。
 ラクス曰く、同じような頭の構造の持ち主がグダグダ話を続けていると、場の空気が
濁るのだそうだ。その表現は抽象的で実に分かりにくい言葉使いだったが、用は門外漢
、素人の意見が欲しいのだろう。
 カガリも、キラの報告に「うんうん」と頷いているが、彼女は根っからの文系脳で実
の所内容の半分も理解していないそうだ。
『私は軍人だからな。技術は使えるか、使えないか。それ以外では興味が全く無い』
 胸を張って、そこまで言って除ければ立派だとフレイは思う。カガリと同じ態度が取
れればどれだけ楽だろうと思うが、カガリの仲間入りを自尊心が頑なに拒否していた。
(まぁ私もあんまり分かってないし)
 フレイは、私言語学先行だもんねぇと妙な自己弁護をしながら、キラに視線を移す。
キラは、会議の内容を反芻しているのだろうか。
 眉間に皺を寄せ、難しい顔をしながら必死にキーボードを叩いている。
(真面目な顔してると格好良いんだけど)
 普段からこれなら万事問題無いのだが、キラが真面目な顔になるのは、発売を明日に
控えたゲームの為に仕事を超特急で済ませる時だけだ。

腐ってもモルゲンレーテの最高幹部の一人なのだから、マスターアップしたばかりの
ゲームくらい言えば譲って貰えそうな物だが、キラに言わせればそれでは情緒が無いら
しい。
 発売のゲームに展開やシステムに妄想を膨らませるのが、真のゲーマーらしかったが
、ゲームに疎いフレイにピンと来なかった。
「ん…ゲーム」
 フレイが妙な悪寒を覚えた時、隣に座ったラクスが自分のパソコンを勢い良くキラの
顔面向けて投げつけた後だった。
 ガンやドンと言った優しい擬音語では無く、パソコンは、メキャと非常に生々しい音
を立てキラの顔面にぶち当たる。
「い、痛いよラクス。それにパソコンは投げる物じゃ無いよ」
 キラは鼻の頭を抑え、ラクスに抗議の声を上げる。
 軽合金の塊が直撃したはずなのに、鼻血一つ出さない頑丈な体には感心するより呆れ
てしまう。
「黙っらしゃいなキラ。貴方…さっきから何をしてるのですか」
 キラは、ギクリと顔引き攣らせ、ラクスの蛇のような口撃にうろたえ後ずさるしか出
来ないでいる。
「えっ…いや、その」
「二十秒前の私の言葉言えますか?」
「あっ、それなら言えるよ。「黙っらしゃいなキラ。さっき、何してるのですか」だよ
、ラクス」
「いけしゃあしゃあとまだいいやがりますか、この子は」
 してやったりと胸を張るキラに、隣に座るフレイのパソコンをはぎ取り、再度キラに
投げつける。パソコンは景気の良い音を立てながら、今度は"角"からキラの顔面に直撃
した。
「痛い痛いよ、ラクス!角はやめてよ!」
「キラ…今は何の最中ですか?」
「か、会議だよ」
「では、今貴方は何をしてましたか」
「……第三十二次ス○ロボZ」
「………」
 ラクスは無言で微笑んだ後、しずしずと自分のパンプスを脱ぎ、またもやキラ目掛け
て投げつける。カコンと小気味良い音を立ててパンプスがキラの額に激突した。
 尖っているだけに今までで一番痛かったのか、ラクスは悶えのた打ち回るキラからパ
ソコンを取り上げ、中空に放り投げた後、華麗な後ろ回し蹴りでパソコンを物理的に粉
砕した。
「ラクス良い顔してるなぁ」
「そうねぇ…」
 フレイとカガリは、粉砕されたパソコンの部品が舞う風景をバックに、一戦終えたス
ポーツ選手のように爽やかな笑顔を浮かべるラクスを微笑ましい顔で見つめる。
「フレイ、止めてよ。ラクスが滅茶苦茶だよ」
「はいはい、痛いの痛いの飛んでいけー」
 額を押さえ目に涙を浮かべるキラが、フレイに救いを求め寄って来るが、フレイは投
げやり気味にキラの頭を撫で、粉砕された哀れなPCに黙祷する。
「ハイヒールで無いだけマシですわ」
「ごめんなさい。ごめんなさい」
 その様子をラクスは、静かなる鬼の形相で見つめ、キラもハイヒールに何かトラウマ
でもあるのだろうか。瞬く間に表情を変え、コンマ以下三桁で自分の席に戻り神妙な顔
で座ってる。
「バックアップも取ってるし問題無し。会議が終わってからゆっくり続きをすれば(分
かったよ。もうしないよ。会議に集中する)
「キラ…動揺して本音と建前が逆になってるわよ」
「因みにキラの個人サーバーに入ってたゲームのデータなら、アスランに頼んで削除し
て貰いましたわ」
「アスラアアアアアアアアアアアン!」 
 にこやかに微笑むラクスと対照的に、瞳の焦点を失い激闘の末自爆で両者ドローのよ
うな絶叫を上げるキラ。
 フレイは、アレと今朝方まで肌を重ねていたのかと思うと、頭痛を通り越して笑い出
したくなってしまう。
「すまん…キラ。俺は無力だ」
「ひどいよ…ラクス。アスランのあほぅ」
 キラは、机に突っ伏し、目から大量の汗を流す中、申し訳無さそうな声を上げるアス
ラン。勝手に親友のデータを消した事に罪悪感があるのか心なしか声が沈んでいる。
最もラクスの一睨みで姿勢を正す辺り、アスランがアスランたる所以かも知れないが。

「一応仕事もしてるよ」
「嘘臭いですわ」
「本当?」
「キラ、今は嘘を付く時じゃ無いぞ」
「アスランの言う通りだぞキラ。あんまり酷いと閻魔様が舌を抜きに来ても知らないか
らな」
 全員に一瞬で全否定されると、流石のキラも机にのの字を書いて凹んでしまう。
「なら、これ見てよ」
 実は悔しかったのだろうか。キラはカガリからパソコンを借り受け、キラ個人のサー
バーにアクセスする。液晶にはロボットだろうか。大型の人型ロボットの設計図が映し
出されている。赤、青白のトリコロールカラーに特徴的なアンテナと人の目を彷彿させ
るツインアイ。表示されているスペックは相当高く、ジェネレーター容量は大型陸戦兵
器並みだ。
「キラ、これは?」
「新しい作業用ロボットだよアスラン。背中のコネクタで用途にあった装備を換装する
んだ」
 キラがキーボードを操作すると、ロボットの立体映像が立ちあがる。
「なるほどな…よく出来てるじゃないか」
 ロボットに好感触な男性陣に対して、女性人の評価はやや冷ややかな物だった。
 顔には「そんな物作ってどうするの」と言った感想が露骨に浮かびやや呆れ顔だ。
 唯一カガリだけが瞳をを輝かせていたのはご愛嬌だった。
「呆れた…漫画や映画の見すぎですわ、キラ。大体地上でそんな物使ったら、自重でス
ペック通りの運動性が出ませんわ」
「それは分かってるラクス。だから、今設計してるのは完全宇宙用。PS装甲を利用す
れば、デブリや破片による事故も防げると思うんだ」
 確かに理に叶っている。PS装甲はエネルギー次第で粗全ての物理衝撃を殆どカット
出来る。
 色めき立つ、キラ、アスラン、カガリに対し、フレイは、特に考えもなし疑問をぶつ
ける。
「ねえ…キラ、これ…何で人型なの?自重で沈むとか安定性に難があるなら、八本にし
ちゃえばいいんじゃないの?」
「だって二本足の方が格好良いじゃない」
 明朗快活に告げるキラだが、どうにも閉まらない内容だ。
 確かに八本足を同じ安定性を二本足で再現出来れば、オートバランサーの性能の素晴
らしさに直結する。
 キラの発案したロボットを、商品として売る場合、同性能ならば二本足の方が商品価
値は高そうだった。
「さて、随分横道にそれてしまいましたが、漸く最重要案件ですわね」
「プロジェクトFだね」
 プロジェクトF。
 その名前が出た瞬間、薔薇園の空気が変わった。先刻までの和やか空気は消え、薔薇
園には重いピリピリとした空気が流れ始める。場の重圧で重さなど無いはずの立体映像
がた歪んだような気さする。
 あのキラですら、緊張で顔が少し強張っていた。
「確かシンは今年大学受験だったはずだが、結果はどうなったんだ」
 プロジェクトFはオーブが扱う案件の中でも極秘中の極秘事項だ。現場指揮を執る、
ラクスたち五人にすら、許可が無ければ披見体に会う事も出来なければ、情報を手に入
れる事すら禁止されている。
 定期的にドクターと議長から送られて来るレポートだけが、シンの現状を知る唯一の
方法だった。
「心配ですか?」
「当たり前だ」
「当たり前だよ」
 真剣な顔で声を重ねてるキラとアスラン。
「シンは、俺たちの弟だからな」
「うん…もう僕達の仲間は三人だけしか居なくなってしまった」
 キラは、何処か寂寥感を残した微笑を浮かべ、視線を空へ彷徨わせる。
 デザインベイビー。
 遺伝子情報を操作し、人為的に作られた子供達の総称だ。遺伝子工学が発展し、再生
治療が一般市民レベルにまで浸透した現代でも、受精卵の段階で遺伝子を操作する事は
硬く禁じられている。
 だが、キラ・ヤマト、アスラン・ザラ、シン・アスカは違う。彼らは、人が人を作る、
神の領域を侵した科学者達によって"製作"された人類の芸術品、ある一分野を極める"為
"だけに調整された人類"コーディネータ"の成功例だった。
 彼らは、生まれながらに高い免疫機能を持ち、優れた知識と運動神経と持つ天才だ。
 披検体一号、キラ・ヤマトは、工学知識、特にソフトウェアの開発に優れたコーディ
ネータ。
 披検体二号、アスラン・ザラは、キラとは違い運動能力を中心に調整されたコーディ
ネータであり、百メートルを四秒で駆け抜け、条件次第では一週間眠らずに働く事が可
能だった。

 作られた天才達。二人は若くしてその才能を遺憾無く発揮し、オーブ、モルゲンレー
テに多大な利益をもたらして来た。
 だが、披検体三号、シン・アスカだけは違った。
 彼だけは何の才能も持たずに生まれて来た。免疫機能は常人よりも少し上程度。体は
丈夫だが風邪もひく時はひくし、運動神経は並以上だが、特筆すべき物でもない。しか
も、遺伝的欠陥の為かシンの瞳は血のように赤かった。
 大成する見込みも無い上に欠陥持ち。業を煮やした責任者は、シンを子供の居ない同
僚に預け、シンの存在を公的に抹消した。
 その後コーディネーター計画は、部内の内部告発もあり闇から闇に葬られる結果とな
る。三人のコーディネータの実験結果が、後の再生治療に生かされる事になるのは皮肉
にしては、既知が効いていない。
「ねぇ、ちょっと良いかしら」
「なんだいフレイ?」
「シンって、シン・アスカの事よね。ジュニアハイスクールの」
「うん、そうだよ」
 たった一年だけだが、キラ、アスラン、フレイは、シンと学園を共にした事がある。
 シン・アスカは、快活な子で、フレイには、校庭を走り回ってた記憶がある。
 あのルビーのような赤い瞳は、一度見れば暫く網膜に焼きついて離れない程特徴的だ。
 忘れる方が難しい。
 そんな、シン、個人の評価は置いておいて、フレイは昔からの疑問を口に出していた。
「アスラン、貴方シンの事が嫌いじゃ無かったの?」
「何故だ!」
 腕を振り上げシャウトするアスラン。余りの大声にデータ転送の許容量を一時的に超
えたのか、アスランの立体映像がブレる。
「だって、貴方、あの子にあんなに突っかかっているから、私てっきりそうだと思って
たんだけど」
「あぁ、やっぱりお前もそう見えるか」
「ですわよねぇ」
「だよねぇ」
 ハモリながら、一斉に溜息を付く三人。フレイ自身、彼の事は資料意外では良く知ら
ない。ただ、朧気な当時の記憶を思い出してみると、シンとアスランはしょっちゅう喧
嘩していたような気がする。
 少なくともアスランがシンに喧嘩を吹っかけているように思えた。
「違う。それは誤解だ。誤解なんだ」
「…まぁこいつなり不器用な愛情表現だったんだよ」
 カガリは、肩を下ろし、苦笑しながら嘆息する。
「当たり前だカガリ。だって、たった一人の弟なんだぞ。兄は弟を守り、より良い方向
に導く物じゃないか」
「歪んでますわねぇ」
「歪んでるよねぇ」
 随分自分勝手な兄弟愛もあったものだと、キラとラクスは嘆息する。
「ラクス一体何を言うんだ!キラもお前もだ。シンは俺たちの弟じゃないか」
「だってですわねぇ」
「だってさぁ」
 熱弁するアスランを生暖かい目で見つめるキラとラクス。尚も熱弁を振るうアスラン
だが、キラとラクスの冷ややかな視線に晒され旗色が悪そうだった。
「ねぇカガリ…彼、あの子に何したの?」
「そ、それはだな」
 カガリは、シンの話題に関しては、我関せずを貫き通すつもりだったのだが、聞かれ
てしまえば答えるしか無い。
「ううん。何ていうんだ…あいつには悪気は無かったんだけどな」
 カガリは観念にしたように当時の状況を話し始めた。
 幼い頃に別れた弟が居る。
 血が繋がっているわけではないが、大事な存在なのだと、いつかの星空の下、カガリ
に教えてくれた。
 別れた時は二人共幼児と言っても差し支えない年齢だったが、彼らの明瞭な頭脳は当
時の事をしっかりと覚えている。
 世間の一般常識を学ぶ為に、普通の学校に通っていた、二人とシンが偶然再会した事
は神の悪戯をしか言い様が無かった。
 オーブの軋轢も自分達の背負った業も知らず、初めて観る本当の意味での肉親。血よ
りも深い遺伝子の鎖で縛られた兄弟。汚れを知らずに育ったシンを見たアスランは、持
ち前の自己正義論が良くも悪くも爆発してしまった。
 コーディネータにも普通の人間にも万遍無く訪れた思春期特有の痛たたな思考回路も
手伝い、シンの模範たれと決めたアスランは、生来の不器用さを遺憾無く発揮しシンの
逆鱗に触れ続けた。

春、入学式当日。
桜舞い散る出会いの季節。
 特に面識も無いのに、「お前には力がある」と訳も分からない理論で当時生徒会長だ
ったアスランは、シンを生徒会に無理やり引き入れた。
 因みにシンは野球部に入りたかった。
 夏、情熱が駆け抜ける灼熱の季節。
 怒りっぽいが根は真面目なシンは、生徒会役員が恥ずかしい点数を取るわけにはいか
ないと、シンが必死の思いで勉強し、統一模試で三十位以内に入れば、アスランは全教
科満点のテストを胸を張って見せつけシンの怒りに火を付けた。
 因みに、キラは面倒臭いのでサボった。
 秋、情緒溢れる芸術の季節。
 役員には教養も必要だと、シンに日本舞踊を無理やり習わせ、目を滾らせた師範が、
シンに何故か女形のイロハを叩き込み、最終的に文化祭の舞台でアスランと競演し、そ
の時に取られたビデオは、男性含む一部の熱烈なファンを生み、シンに軽いトラウマを
作った。
 冬、白い奇跡が深々と降り注ぐ季節と言いたいが、南国のオーブに冬は無い。
 シンにとってジュニアハイスクールでの初めてのバレンタイン。気になる先輩で近所
のお姉さんルナマリア・ホークから義理チョコを貰い、アスランは同じ義理でもシンよ
りも幾分かグレードの高い義理を貰った。
 さもしい八つ当たりだと理解して居ても、心底頭に来たシンは、初めてアスランと殴
り合いの喧嘩をした。
「と、まぁ、他にも沢山あるんだけど、全部説明してると本当に日が暮れるからこの辺
にしておく」
「まだあるの…」
 フレイは、話してくれた内容だけで既にお腹一杯だったが、シンとアスランの物語は
、まだまだ序盤の雰囲気を漂わせていた。
「あるさ、一番強烈だったのは、生徒会役員による夏合宿でだな。シンが、卒業生に泡
が出るジュース飲まされ酔っ払って…そこからが地獄だった」
 余程後ろめたいでは無く、思い出したくない事なのだろう。カガリは、哀愁漂う背中
をフレイに向け、燃え尽きたように真っ白で燃え尽きている。
「ふぅん。私あの子の事知らないから」
「そりゃな。シンに四六時中構ってたのはアスランだけだし、私も生徒会以外接点は無
いさ。キラ何か殆ど面識無いんじゃ無いか?」
「そっか…でも、良いの、プロジェクトF…あの子の未来を確実に狭めるわよ。彼、そ
れを承知なの?」
「承諾しているわけ無いだろう!」
 フレイの言葉からプロジェクトFと言う単語がでた瞬間、アスランの立体映像が突然
フレイに向き直り、怒りに共鳴するように大写しになる。
「あっ…その、ごめん」
 アスランのあまりの剣幕にフレイは気圧され、思わず謝ってしまう。
「すまない…少し取り乱した」
(少しじゃ無いでしょう…少しじゃ)
 どうにもこの男は、弟の事になると見境が無くなるようだと、フレイは心のメモ帳に
赤ペンで記入する。
「俺だって…あの計画がシンの未来を殺す事になるのは知ってる。でも、今の俺じゃ何
も出来ないんだ」
 弟を救えない歯痒さの方が勝っているのだろう。
アスランは苦痛に顔を歪め、両手をデスクに叩きつけ、苦々しく辛そうな表情を浮かべ
る。
「結局僕達は籠の中の鳥だからね。今強引に動いても、僕達よりもっと強いモノに押し
潰されるだけだよ」
 キラも思うところがあるのだろう。
 溜息交じり呟く言葉は、普段の投げやりな態度とは逆に、真摯な重みすら感じられる。
 キラとアスランは、オーブで生まれオーブで育った。オーブの為だけにその身に宿っ
た力を使い、オーブの発展の為だけにその身を捧げてきた。
 選択の自由は無い事はない。
 だが、その門は限りなく狭く、飽く迄キラ達がオーブの為に"どうするか"であって、
キラ達が"どうしたい"かは含まれていない。
 キラが自分達を籠の中の鳥を称したのは実に的を得ていた。
 アスランは、その事をどう思っているか知らないが、キラは今の処遇を別段不遇に感
じた事は無かった。元々作られた命だ。自分達三人を作る為に、何人も実験体が命を散
らしたのは少し調べれば分かるし、表立ってこそないが、耳を澄ませばコーディネータ
ーを揶揄する声など幾らでも聞こえてくるのだ。

 何の庇護も世論も味方に付けず、外の世界に出るなど自殺行為に等しい。
 よしんば、自由を求め外の世界に飛び出たとしても、待っているのは、自分達を管理
する人間が変わるだけで根本的な解決には繋がらない。
「俺は無力だ」
「そうだね…"今"の僕達じゃ何も出来ないね…」
 項垂れるアスランを慰めるように、肩に手を置くキラ。
当然の事ながら、立体映像の体に触れられるわけは無く、アスランの無力感を代弁する
ようにキラの手は空しく空を切った。
 キラとアスランが悲嘆に暮れている中で、フレイは、キラが"今"に力を入れて発音し
たのを聞き逃さなかった。
今―――その部分を強調するように、キラは、瞳をギラギラと輝かせながら唇の端を
歪める。
(また…何か企んでるわね)
 その通りキラ・ヤマトは、実に沢山の事を企んでいた。
 そう”今”は何も出来ない。会社の一部門を任されているとは言え、彼には只それだ
けだ。社内における地盤作りも漸く始めたばかりだ。キラ達を作った者達の権力は巨大
だ。世界中の資本の六割が集まるオーブの頂点に君
臨する連中だ。もし自分の考えている事が知られれば、キラ達を始末する事など赤子の
手を捻るよりも簡単だろう。
 キラは、フレイとラクスを見つめ優しく微笑む。フレイはキョトンした視線をキラに
向け、ラクスは「今度は何ですの」とジト目でキラを睨んでくる。
(今の僕には守りたい者がある)
 守りたい者。
ほんの一昔前の彼では考えも付かなかった事だ。
 再三言うが、キラはアスラン程今の"現状"を悲観していない。このまま緩やかに人生
が終わっても構わないし、シンの事は気の毒だが、個人の自由こそ失われるがプロジェ
クトFによって死ぬわけでも無い。
 今、キラが最も恐れていることは、フレイとラクスの二人を失う事だ。彼女達が生き
ていなければ、キラは生きていても仕方ないとさえ思っている。
 キラの見つめる景色は常に灰色だった。
オーブの為に日々研鑽を重ねて来たと言うのに"才能"そんな陳腐な言葉一つで彼の努
力は常に水泡に帰してきた。
 キラは、寝る間も惜しんで勉強した。
文字通り寝食を惜しんで知識を頭に叩きこんだ。同年代の子供が、外で遊びまわって
いる頃、キラは研究所に閉じこもり大人に混じって研究を続けた。
 技術水準が十年も二十年も進むような、新理論を構築したのも一つや二つでは無い。
 だが、そんな偉業を成し遂げても、彼の功績には一切ならなかった。技術はオーブ発
の共同声明とし世界に発表されたが、キラ・ヤマトの名前が何処にも見当たらなかった。
 血の滲む様な努力も"才能"の言葉の前に全てを否定された。
 彼の心が成熟し大人になる頃、キラ・ヤマトの精神は硬く閉ざされ、その目に見える
景色は全て灰色となっていた。
 どうせ幾ら真剣にやっても誰も褒めてくれない。
 キラは、そんな事よりもゲームや漫画、空想の世界に浸っていた方が余程楽しかった。
 少なくとも空想は彼を裏切らなかったし、好きな運命を選択することが出来た。
 オンラインゲームに純粋に求められる物は、ゲームの腕だけで煩わしい世俗のしがら
みを持ち込む必要も無かった。
 キラ・ヤマト個人の人間性を公平に認めてくれるのは、顔も見えない人々だけだった
のだ。そんなただ漠然と無為に生きる人生に色彩を戻してくれたのは、フレイとラクス
だった。
 ラクスは、キラの悲しみの全てを受け入れてくれた。
 フレイとは、酷く傷つけ合ったが、その末にこんな自分でも誰かを好きになれる事を
見つけた。
 キラ・ヤマトは、ラクスからは絆をフレイからは愛を確かに受け取った。
 そんなかけがいの無い存在が、欲望の権化とも言うべき老人達に奪われるかも知れな
い。自分のような存在の為に大事な人の命が奪われる可能性がある。そんな陳腐な場面
を思い浮かべるだけで、キラは文字通り心が張り裂けそうな思いに駆られた。
(それだけは絶対に許せない)
 キラの敵である巨大複合企業の実質的な管理者である老人達は、プロジェクトFの完
成に躍起になっている。老人達が、シンを取り巻く環境の変化に一喜一憂している今が
動き回る絶好の好機なのだ。
 キラは、シンには悪いと思ったが、老人達のシンに対する拘りを最大限有効利用させ
て貰う腹積もりだった。
(二人は渡さない)
 努力を怠らない天才は、今は只静かに牙を研いでいる。
 仇敵の喉元へいずれ牙と爪と突き立てるその日まで。

「あ、あいつ受験に失敗したのか」
「そうみたいだな」
「何故だ。あいつの学力なら余程の事が起こらない限り問題無かったはずだ」
 キラが思考に耽る間も会議は続いている。
アスランが、義弟の不甲斐なさに息巻いているが、キラは、内に秘めた闘志は何処に
置き忘れたのか、パソコンの液晶を胡乱な瞳で見つめながら意識を会議に戻した。
どうせ暫くはこちらから動きようがないと結論付け、状況を整理しながら静観の構え
さえ見せている。
「余程の事が起こったんじゃないの、アスラン」
「えっと…資料によると受験前日に風邪、インフルエンザにかかり、四十度の高熱で試
験に臨んだ…ですって、そりゃ落ちるわね」
「あの馬鹿野郎。あれほど試験一ヶ月前は、復習だけにしておけと言ったのに!」
「一ヶ月前は詰め込み時よ。焦るなって言うほうが無理だと思うけど」
 通常受験一ヶ月前の心理状態と言えば、どれだけ勉強してもしたりない粘着質な焦り
が生まれるか、後は野となれ山となれの万歳アタックの二者択一だ。
 極稀に自分のペースを頑なに守りぬく、鋼の魂を持った人間も存在するが、殆どの人
間は、前者二通りの心理状態に陥るだろう。
 かく言うフレイも、受験前は過度のプレッシャーと焦燥感で強いストレスを感じる毎
日だった。
 予め断っておくが、このメンバーの中で義務教育以降、二度の受験と就職活動を経験
しているのはフレイだけだ。キラとアスランは、ハイスクール卒業後すぐにモルゲンレ
ーテとオーブ軍に"接収"され、カガリは、ハイスクールではなく士官学校へと入学して
いる。
 ラクスにいたっては、そのままモルゲンレーテに縁故入社だ。
 第三者から見れば、苦労知らずでエリート街道を突き進んでいるイメージがあるが、
フレイは、四人がそれなりの苦労と苦難の道を歩んできたかを知っている。
 だが、如何せん三人は、歩んできた道が特殊すぎる為に、一般人との感覚がズレてい
る事が多い。時々唐突なまでに頓珍漢な事を言ってのけるは、後のフォローを含め四人
と付き合う上で覚悟しなければならない事だった。
「だが、本番に力を出せなければ意味が!」
「あっ…切れた」
 アスランが息巻く途中、映像が乱れブツンと音を立てて途切れた。
「電波障害かしら。太陽風でも起きました?」
「アスランがなりたてるから処理落ちでもしたんじゃないか?」
 通信不調の原因は当然前者だろうが、強ち後者でも間違いない様な気がしたフレイだ
った。
「で、フレイ。今シンはどうしてるの?」
 場を仕切りなおすように、キラがシンの現状を尋ねてくる。
「義姉の店を手伝いながら予備校通いみたいね。五月の統一模試でもA判定だったみた
いだから、冬まで集中力を切らさなければ問題無いんじゃない?」
「家業を手伝いながらも、きっちり勉強もしているようですわね。感心感心ですわ」
「そうだね」
 まるで、自分の事のように嬉しがるラクスと、珍しく他人の事で裏表無しの笑みを見
せるキラが印象的だった。

 モルゲンレーテの地上部が明るく健全な企業の顔だとすれば、モルゲンレーテの地下
部は、人に見せる事の出来ない研究者達の顔と言える。
 モルゲンレーテ社地下三十五階。
 職員達に墓場や秘密発令所と揶揄され、分厚いコンクリートと対人装備に囲まれたキ
ラ・ヤマト個人の専用研究所があった。
 キラの研究室は、簡易ベットと大型端末以外は何もない実に殺風景な部屋だった。
 壁は、打ちっ放しのコンクリートに鉄筋が見え隠れし、剥がれた床はそのままにされ
、赤錆びた模様が浮き出ている。
 ゴミ箱代わりのモルゲンレーテ印のダンボールには、得体の知れぬ錠剤や何故か血に
染まった包帯が放棄されている。
 周囲を囲む最新鋭のセキュリティとは別に、キラの研究室はボロ、平たく言えば廃墟
の様相を見せ、研究室とは言え人が生活するには躊躇いすら覚える場所だった。
 電気も付けず薄暗い闇の中で、PCの液晶の光だけがキラの顔を薄らと照らし出して
いる。
 会議は恙無く終了し、本日分の仕事は昨日の内に片付けてしまっている。本当はまだ
勤務時間内だったが、成果を上げさえすれば、上司であり管理者である老人達は何も言
ってこない。一般職員達は、地下二十階以降の特別研究エリアに立ち入る権限さえ持ち
合わせていない。研究室に篭っている限り、例え勤務時間内であろうともキラのプライ
ベートタイムと言っても差し支えなかった。
「キラ、いいのか?報告書は読んだはずだろ」
「うん…読んだよ。今はこれでいいと思うよ」
 PCの片隅には、浮かない顔のアスランが映っている。白熱し会議途中でフェードア
ウトしたアスランだが、時間が冷静になったのか、表面上とは言え普段の冷静沈着な装
いを取り戻しているように見えた。
「別に今すぐどうにかなるって代物でもないでしょ」
「それはそうだが」
 キラがキーボードを操作する度に凄まじい速度で画面がスクロールされて行く。膨大
な数列とデータがキラの網膜に映り、そして、瞬く合間に消えていく。
「しかし、シンが、狙われているのは間違いない。もし、あいつの秘密が国外に漏れ出
したら大変な事になるんだぞ」
「それこそ無用な心配だよアスラン。シンの機密保持は完璧。要塞都市オーブに忍び込
んで無事に帰れる人間はいないし、ミネルバ…第七世代型量子コンピューターにハッキ
ングを仕掛ける事の出来るスパコンは、世界の何処を探してもない」
「断言出来るのか?」
「出来るよ…技術者の誇りにかけてね。でも、もし、シンの秘密がバレる要素がある
とすれば」
「失った腕か」
「うん」
 七年前に世界を襲った同時多発テロでシンは片腕を失っている。
 ブルーコスモスはシンの片腕を回収したが、肉片一つでも敵対勢力に渡っていれば
、然るべき施設で然るべき専門家が検査すれば、シンの秘密は白昼の元に晒されてし
まう。
 全ての医療情報が量子演算端末によって管理されている現代において、まず信用さ
れるソースは患者の状態ではなく、量子コンピューターに齎される膨大データだ。
シンの体に流れる秘密を守る為に、遺伝的な欠陥有りと偽ってまでシンの遺伝子情
報が外部に漏れる事を防いだ。
 最も件のテロのお陰でシンの特異性を発見できたのは、キラの管理者達には寝耳に
水であったのだが。
「護衛はもう送ってるよ」
「護衛?誰を送ったんだ」
「イザークとディアッカ」
「二人だけか?」
「数を送れば嫌でも目立つし。日本にもオーブの支社はあるんだよ。人手が居るなら
現地で調整して貰うしかないね」
「そうか。あの二人なら大丈夫だな」
(それはどうだろうね)
 PCのスピーカーからは、アスランの安堵した声が聞こえてくる。
 シンを狙っているのは、あの高名な鉄槌なのだ。ブルーコスモスの屈指のエースが
護衛についたとしても、果たして守りきれるだろうか。

「聞いているのか、キラ」
「うん聞いてるよ」
 掛け値なしの大嘘だ。キラは、アスランの言葉をこれっぽちも本気で聞いていない
。アスランの心配は十分理解出来るが、キラの懸念事項はアスランとは別の所にある
のだ。アスランの過保護と言える心配性に付き合って暇はない。
「あんまり心配し過ぎると禿げるよ」
「全くお前は…もう少し歯に絹着せる事を覚えろよ」
 若干本気交じりの警告だったのだが、アスランは冗談と受け取ったのだろう。互い
に苦笑しながら微笑みあう。
「緋色の一族…か」
「過去の遺物だよ。滅びるべきとは言わないけど、わざわざ今更出張ってくる存在じ
ゃないよね」
 キラの吐き捨てるような、底冷えのする声にアスランは背筋が冷えるのを感じる。
 アスランは、時々、キラの事が全く分からなくなる。幼い頃から同じ時を生きて来
たアスランにとって、キラは最大に理解者であり家族だ。
 当然キラもアスランの事をそう思っているはずだが、時折見せるくすんだ灰色の視
線がアスランの心を酷くかき乱す。
 家族として話しているはずが、いつの間にか巨大な闇の中に放り出されたような錯
覚さえ覚えた。
 アスランが、友人の態度に疑念の念を感じた時、突然鳴り響くエーデルワイスがア
スランの思考を強引に断ち切る。
「時間だね。今日の仕事はここまで。後はよろしく頼むよ…アスラン」
「…分かった」
「じゃあ、おやすみアスラン」
「おやすみ、キラ」
 アスランは、まだ何か言いたげだったが、黙考した後通信を静かに切った。研究室
に静寂が訪れ、キラは、アスランの浮かない表情が目蓋の裏に残ったまま、革張りの
椅子に深く腰掛けた。
「赤い髪と目は異能の証か」
 キラは、誰に聞かせる机の上のウイスキーをロックで煽り、PCで記録ディスクを
読み出した。
 緋色の一族。
 歴史の闇に消えた異能者の総称だ。
 ある者は魔女として、ある者は異教徒として、またある者は大罪を犯した英雄とし
て、超常的な力を持ちながらも、歴史の闇へと存在を抹消された者たち。
 彼、彼女達が、身体的特徴に必ず”赤”が混じっていた事でそう呼ばれ始めたらし
いが、一説には魔法使いや仙人の末裔と言う説もあるが、その存在は依然秘密のベー
ルに包まれている。
「火や氷が出せるからってどうだって言うんだろうね」
 緋色の一族の伝承が正しかったとした場合、彼らは皆、炎や水を操ったと聞く。
 それはそれで凄いと思うが、だからどうしたと言うのがキラの意見だった。火や
氷が操れたとしても、日常生活には大して役に立たない。精々光熱費や水道代が浮
く程度だろう。
 そんな戦闘でしか出来ない力を手に入れても、リソースの無駄だろうし、戦闘能
力で言えば近代兵器の方が遥かに優れている。
 呪文を唱えて火を出すよりも、銃で撃つ方が早く手っ取り早いと思うのは、キラ
が捻くれているだけだろうか。
 冷蔵庫から、ウイスキーボトルを取り出し、グラスに氷と共に注ぐ。
 琥珀の液体が喉に絡みつき、焼けるような痛みと甘みに顔を顰めながら、キラは
迷う事無く喉奥へ嚥下した。
 アルコールの味を覚えたのはいつからだろう。
 少なくともジュニアハイスクールに入学する頃には、キラは、アルコールを常飲
していたような気がする。
 当時のキラは、自身が、普通の人間ではない事実に折り合いをつける事も出来ず
、ままならない現実に嫌気が差し、不貞腐れ、さりとて泣き叫んで他人に八つ当た
りする度量も度胸も無かった。アルコールに逃げたつもりは微塵も無かったが、他
人から見れば十分逃避に見えただろう。
「お酒は命の洗濯か。少し分かるかな」
 グラスの中の氷がカランと音を立て砕け、ほろ酔い気分の害するように、直通の
内線電話が鳴り響いた。
「はい、ヤマトです」
『貴様、キラ・ヤマト!一体どういう了見だ!』
 受話器から聞こえて来る怒鳴り声に、キラの至福の時間は終わりを告げた。

 新伊丹空港。
 関西圏の乗り入れ客を一手に担う、老朽化した伊丹空港の代わりに旧関西空港跡
地に新設された大型国際空港だ
「全く…毎度毎度思うが地味な仕事だ」
「腐るなよ。それが俺達の仕事だろ」
 空港前のローターリーは、人と車の行き交いが目まぐるしく変わり、時差ぼけの
ぼんやりとした頭には刺激が強い光景と言えた
 イザーク達に用意された車は、軽自動車の中でも中が格別狭いもので、車内に成
人男性三人が乗り込めば息苦しさすら感じる。座りなおす度に、安いサスペンショ
ンが軋み小さな車体が大業に揺れ動いた。
「もう少しいい車用意出来なかったのか、イザークゥ」
 癖毛交じり金色の髪が揺れ、褐色の肌の持ち主ディアッカ・エルスマンが、助手
席に座る相棒イザーク・ジュールに陽気にからかうように声をかけた。
「五月蝿い…時間が無かったのだ」
 ディアッカの”直属”の上司であるイザークは、仏頂面のまま自慢の白銀の髪を
かき乱しながら、ガイドブック片手に型落ちのカーナビの設定に顔を顰めている。
 イザークも、オーブ日本支社で用立てて貰った車に不安を抱いているのは同意見
だった。
 本社(ホーム)と支社(アウェイ)の確執など、現場要員であるイザーク達には
なんの関係もない話だ。
 精々「迷惑をかけてくれるなよ」が常々思うが、悲しいかな上役のしわ寄せは、
必ずと言ってよいほど下に下りてくる物だった。
「イザーク、そんなの適当でいいって」
「馬鹿者、俺達は日本は二度目なのだ。道に迷って任務に支障が出ればどうするつ
もりだ」
「それには同意出来るけどなイザーク。そのカーナビは日本語オンリーだ。我らが
隊長様は、いつの間にか日本語がお上手になったようで。看板読めずに迷ってた頃
が懐かしいぜ」
「…う、五月蝿い!あ、あれは、仕方が無いだろう。日本人は、場所を聞いても馬
鹿の一つ覚えみたいに「I can’t speak English」ばかりだ。この国は、外国人に
優しく無さ過ぎる。そもそも新宿の地下街はなんだ。ゲームに出てくるダンジョン
か!立体的過ぎる!」
 イザークは、顔を赤くし日本の地下鉄事情に文句をつけるが、ディアッカは、鼠
を見つけた猫のように、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべている。
 プライベートでは、歯に絹着せぬ性格のディアッカだが、主に隊長であるイザーク
限定ではあるが、口の利き方には気をつけている。
 だが、思った事をすぐさま口にし行動に移す猪突猛進を地で行く性格のイザークに
、四六時中付き合っていれば、目に見えぬ不満も溜まっていく。ストレス解消に、た
まには仕返しがしたくなるのが人の情と言うモノだった。
「ふん…覚えていろ」
「はいはい。覚えとくさ隊長殿」
「口の減らん奴だ」
 イザークは、ハンドルに持たれかかり、口笛を鳴らすディアッカを忌々しげに見つ
め、カーナビの説明書をダッシューボードに投げ入れた。
「お前達…電話中なんだもう少し静かに出来ないのか」
 注意すると言うには、険が強すぎる声が後部座席から聞こえてくる。
 イザークが、サイドミラーを覗き見ると、後部座席にはしかめっ面のまま携帯電話
で話すカナード・パルスが映っていた。
 年齢はイザークよりも二つ、三つ程若く見え、腰まで伸びた黒髪は、見える角度に
よっては、カナードを女性のように見せるから不思議だ。
「すまんな。部下の非礼を詫びよう」
「隊長なら、まずお前が部下に手本を見せてくれ、イザーク」
 カナードは、イザークに叱責を飛ばし、すぐさま携帯電話に意識を戻した。
「全く相変わらず口の減らない奴だ」
「よせよイザーク。今のは俺達が悪い」
「ふん」
 イザークは、「お前が言うな」とディアッカに向け無言の圧力を飛ばすが、ディア
ッカは素知らぬ顔で無視し、鼻歌を歌いながら、指でハンドルを叩きリズムを取り始
め取り付く暇もない。
「待て、貴様!俺はまだ承諾していないぞ!」
 後ろの方も話が拗れに拗れているのか、先刻からカナードの罵声が引っ切り無しに
聞こえてくる。直接声をまでもない。電話の向こう側に居る人間は、キラ・ヤマトそ
の人だろうとイザークは確信している。

「ひ、卑怯だぞ、キラ・ヤマト!」
 イザークは「ほらな」と一人心の中で嘯き、額に青筋を浮かべるカナードを気の毒
そうに見つめる。
 カナードのような素直過ぎる性格では、キラの相手はさぞ手に余る事だろう。何し
ろキラ・ヤマトは、おちょくる事にかけては天災なのだ。いつの間にか会話のペース
に握られ、論点をはぐらかされ、かき回された挙句に結局キラにとって有利な条件を
飲まされてしまうのだ。
「覚えていろ!○○○○○野郎!」
 カナードは怒りの形相のまま非常に不適切な言葉を吐き捨て、携帯を力任せに叩き
折る。像が踏んでも無傷な携帯を素手で叩き割るとは、一体どんな握力をしているの
か。少なくとも進んで腕相撲をしたいと思う相手ではないとイザークは思った。
「で、キラは何と言っていたカナード」
「何も…只"適当"にやってくれ聞いた。適当にだ!」
 何が悔しいのかカナードは、殊更適当と繰り返し苛立たしげに座席に座り直す。
 本当はもう少しだけ具体的な内容を伝えられたのだが、カナードは、腸が煮えくり
返ってる為か対応は酷くずさんだった。
「グゥレイト!流石俺達の上司の上司。投げやりにも程があるぜ」
「ディアッカ。貴様、せめて現場を信用しているとかなんとか言えんのか!」
「んなもん、無理なもんは無理だってイザーク。あの昼行灯が本気になるなんて、惑
星直列よりも確率低いんじゃないの?でなきゃ俺達が出張る意味無いし」
「確かにそれはそうだが…そう言われると元も子もないというか」
 ディアッカは、茶化しているのでは本気でそう思っているのだろう。出なければ、
引き攣った笑みを浮かべる道理がない。
 外見昼行灯。中身は怪物。
 普段はナマケモノのようにピクリとも動かないのに、一旦動き出すと留まる事を知
らず、その危険度は取り扱い注意の劇物の比ではない。
 イザークは、つくづく自分は上司運に恵まれていないなと心底悲しくなる。
 もう少し話の分かる上役が傍に居ても罰は当らないだろう。一瞬イザークの脳裏に
アスラン・ザラの顔が浮かぶが、勘弁してくれと在り得ない妄想を手で振り払った。
「それで、カナードの大将。俺達の目標は誰なんだ」
 気落ちするイザークと対照的にディアッカは思ったより上機嫌だ。恐らく既に気持
ちを切り替え、もとい、開き直ったのだろう。これまで、上役であるキラから具体的
なプランを聞かされた事などないのだ。
 ディアッカは、気にするだけ損だと真剣に思っていた。
 普段は斜に構え、捻くれた印象を受けるディアッカだが、それは、リアリストとレ
イシスト、生来生まれ持った性格故の事だ。
 ディアッカの行動理念は実に単純だ。
 出来る事は出来る。出来ない事は出来ない。
 ただこれだけだ。
 物事の成否の境界線を明確に分け、根性論や規模的観測では決して動かず、打算や
損得勘定を越えた、事実のみを追求出来る冷徹な頭脳の持ち主だった。
 誇りや自尊心に邪魔をし、自身の実力を過大も過小評価せず、客観的に事実として
受け止める事が出来る強さを持った人間は思いのほか少ない。
 逆に言えば、ディアッカが、究極の現実主義者であるからこそ、キラ・ヤマトの下
に付く事を選択出来たのかも知れなかった。
「こいつだ」
 カナードは、苛立たしげな様子で書類をディアッカに投げて寄越す。今時珍しい紙
媒体の書類には、勝気そうな表情をした赤毛の少女が映っていた。
「なんだ、まだ子供じゃないか。これが危険度SSS級の傭兵だって?何かの間違い
じゃないのか?」
 ディアッカが不満の声を上げるのは無理は無い。写真に写った人物は、どう好奇的
に見ても十代前半。普通に見れば、九歳か十歳位にしか見えない幼女だった。
 だが、燃えるような赤い髪と歯向かう物は全潰しと言わんばかりの好戦的な瞳が、
少女をほんの少しだけ、大人っぽく見せる事に成功していた。
「俺は…仕事は真面目にする主義なんだ。嘘は言わん。見てくれに騙されるな。一昔
前に、こいつ一人のおかげでオーブの関連研究所が壊滅させられたんだ。当時のブル
ーコスモスの最精鋭が警護についていたのにも関わらずだ」
「ふん。当時の連中が腑抜けだったんだろう」
「だとしても、たった一人の少女に仮にも軍隊が手も足も出ず壊滅させられたのは本
当だ。おかげで、このチンマイのについた仇名は鉄槌。今じゃ全世界の諜報機関が躍
起になっても尻尾は愚か足取り一つ捕まえる事の出来ない凄腕だ」
「わぉ…そいつはクールだ」

 ディアッカは、茶化すわけでもなく、口笛を一度吹き、事実だけを淡々と確認する
ように書類を捲り続ける。
 仮にも軍隊がたった一人の少女に壊滅させられただけでも、開いた口が塞がらない
事実なのだが、鉄槌の特異性は戦闘能力だけに留まらない。
 鉄槌によって、オーブは甚大な被害を受けたが、その中に人的被害、つまり死者は
ただの一人も出て居ない。
 骨折や内臓破裂と言った重傷者は多数確認されているが、鉄槌は命を決して奪う事
なく相手を無力化し目的を完遂している
 訓練され銃を持った軍隊相手に、一体どのような方法を取ればそんな事が可能なの
か。答えは非常に明朗簡潔だった。
「ハンマーでぶん殴られたねぇ。眉唾じゃないのか大将」
「みね打ちだとでも言うのか」
 確かに重火器ではなく、鈍器を使えばみね打ちも可能だろうが、果たしてそう言う
問題におさまるのだろうか。
「似たようなものだ。常識な観点から言えばお前達の言うとおりだ。だが、映像記録
にも残っている上に、実際に鉄槌にのされた人間の証言付きだ。部隊単位で失態を誤
魔化した考え方もあるが、誤魔化すにしてももう少し現実味のある誤魔化し方をする
ものだ。鉄槌の攻撃方法は一つ。身の丈程もあるハンマーで相手を殴り飛ばす事だけ
だ。飛翔する弾丸もロケット砲も、鉄槌はハンマー一つでなぎ払っている」
「正気じゃないねぇ」
「全くだな」
 自身がハンマーで殴られる様子を想像したのだろうか。車内に誰のものともつかぬ
、溜息と生唾を飲み込む音が響く。
「カナード、随分と詳しいが…貴様鉄槌と直接やりあった事はあるのか?」
「ないな。ないが資料は腐る程読んだし調べた。鉄槌の事なら世界で一番詳しい自身
がある」
「なら、自称鉄槌フリークのカナード・パルス殿。奴の弱点はないのか?」
「知らん。そんなものがあったら、とっくの昔に何処か組織に捕まってるだろう」
「まぁそりゃな」
 聞くだけ野暮かとディアッカは、資料をイザークに手渡す。
「鉄槌の活動時期は目茶目茶だ。法則も規則性もない。鉄槌が最後に確認されたのは
三年前。正直に言えば、噂が一人歩きしてるイメージはあるが捨て置けん」
「三年前でこれなら、第二次性徴真っ只中。…わぉ!今頃いい女のスタートラインに
は立ってるじゃないの?」
「そうだな。だからこそ面倒な任務だ。子供がどう成長するかなど、予想もつかんか
らな」
 子役が見る影もない成長を遂げるなどざらだ。大人の数年後を予測するよりも難易
度は格段に跳ね上がる。
 ましてや、鉄槌は年齢から考えると成長期。
 赤い髪を頼りに捜す手もあったが、変装されてしまえば意味は無い。さる筋からの
情報で鉄槌がこの空港に現れると当りをつけ、張り込んだまでは良かったが、前途は
多難と言えた。
「前から疑問なんだけど、イザーク。そのさる筋からの情報って一体どの筋なんだ」
「さる筋はさる筋だ」
「いや、だから、どの筋ってだって」
「さる筋はさる筋だだろう。ディアッカ、貴様何を言っている」
「悪かったイザーク、俺が…悪かった」
「貴様は馬鹿か」と真剣にのたまわれれば、そう考えるしかない。ディアッカは、引
き攣った笑みを浮かべながら、聞いてはいけない闇が世の中にあると改めて再認識し
た。
「今から鉄槌を相手にするかも知れんと言うのに貴様達…相変わらず余裕だな」
 カナードは、最悪今から一戦やらかすかも知れないと言うのに、イザークとディア
ッカの漫才が面白かったのか苦笑しながら微笑む。
「それなりに緊張はしている。だが、実は相手に情報が漏れ放題でした、なんて事は
この業界に日常茶飯事だからな。余裕が無ければやっていけん」
「そうだぜ、大将。俺達は鉄槌の顔すら知らないんだ。捕まえるつもりが、鉄槌に変
装されて逆に後ろからハンマーでドカン…なんて考えるとぞっとするぜ」
「変装の心配をしてるなら、安心しろ。連中は自身のカラーバリューを隠す事はしな
い。個人の理念や思想ではなく、緋色の一族はカラーバリューを隠せない人種なんだ」
「緋色の一族?カラーバリュー?なんだそれは」
 カナード口から出た意味深な言葉に、イザークは思わず気色ばむ。
「詳しくは資料を読め。噛み砕いて言えば、仙人や吸血鬼のような空想上の力を使う
とされる種族の総称だ。カラーバリューは緋色の一族の特徴。髪、目、爪、なんでも
いい。緋色は身体部位に必ず赤い何かを持っている。それは、緋色だけが持つ唯一無
二の大前提だ」

「赤毛は多いと思うが?」
「赤毛のアンのような赤ではない。この場合の赤は、本当の意味での赤。血や薔薇の
ような掛け値なしの赤色だ」
 ブラウンが交じったような赤毛は、割とポピュラーな髪の色だが、血のように赤い
髪と聞かれると、イザークにもあまり記憶は無い。
「しかし、それならば、ラクス・クラインやフレイ・アルスターも緋色の一族に分類
されてしまうのではないか?」
 ラクス・クラインの髪は濃い桃色。
 フレイ・アルスターの髪は茶が混じった赤色。
 カナード言う緋色の一族の条件に共に当てはまっていると言えなくもない。
「髪の色は一族を見分ける目標として考えてくればいい。一族を見分ける体の何処か
にあるといわれる痣だ」
「痣?」
「あぁ、一族の体には必ず赤い痣がある…そうだ。残念ながら未確定情報だがな」
「痣ってそれって、虫刺されと区別がつかないんじゃの?」
「見れば分かるそうだ」
「見れば分かるって」
 何ともおおざっばな情報だ。赤い痣と言われても、具体的な形を言って貰わねば確
認のしようがない。
 額や首筋など目に見える場所ならば問題ないが、胸や腹など衣服に隠れてしまう部
分はどうすると言うのか。
「問題無い…捕まえたら裸に引ん剥いて確認すればいいだけだ」
「…なるほど。多少強引だが道理か」
「どちらにせよ捕まえねば確認出来ん」
 狭い車内の中で、少女を裸に引ん剥く算段を立てる成人男性の様子は、ある意味犯
罪者達の集まりのようにも見える。当人達が大真面目な分だけ余計に性質が悪い。
「緋色の一族は、身体部位がより真紅に近ければ近いほど強力だと考えていればいい
。逆に色素が薄くなれば薄くなるほど緋色の一族としての力は弱くなるそうだ」
「なるほどね。鉄槌さんは真っ赤だから、かなり強いわけだ。で、その鉄槌さんの力
はどれくらいになるのさ、大将」
「鉄槌のカラーバリューはマゼンダ。力の序列は上から三番目だ…攻略には完全武装
の二個中隊が必要だと言われている」
「大してこちらはたった三人だけか…鉄槌の力が眉唾だと信じたいな」
「残念ながら真実だろう。ブルコスモスの情報部も馬鹿ではない」
「真面目だねぇイザーク。こう言うのは考えても無駄だって。出たとこ勝負って相場
が決まってるんだぜ」
「言われんでもわかっとる。現場には現場があるとキラも承知している。だから、適
当、最善を尽くせと言ってるんだ」
「昼行灯に軍隊用語が出てくるとは思えないけどなぁ。でも、いいんじゃない?無理
無茶無謀はいつのもの事じゃない」
「そうだ…だから、俺達が呼ばれたのだ」
 カナードは、ディアッカに相槌を打ちながら口端を吊り上げ、肉食獣のような獰猛
な笑みを浮かべる。
「グゥレイト、オーブの荒事は俺達にお任せってな」
 陽気なディアッカの瞳に鷹のような冷徹な光が宿る。
「無論。そのつもりだ。例え一人だろうと任務。シン・アスカの護衛と鉄槌の捕獲は
成し遂げて見せる。
 イザークの背後に蒼い決意の炎が燃え上がる。
「「「そうだ、俺達特攻野郎Jチーム。俺達に作戦不可能(ミッションインポッシブ
ル)の文字はない」
 それこそ蝶巨大な負けフラグだった。