オクトーベル3の大型エアロックから発進した4機のゲイツRと1機のガナーザクが5角形に陣形を組み、機体をゆっくりと回転させて全方位サーチを行う。
『シン、付近には何も無い。宙賊の別働隊はいないみたいだ』
「偽装作戦の可能性は低いか、……ごめん。アンタの名前、覚えてないんだ」
『良いさ、機体番号で呼べよ。もし名前を呼ぶなってんなら、俺も3番機って呼ぶからさ』
『ただし、この後で覚えて貰うけどな。もう2年になるんだぞ?』
僚機からの通信に、シンは思わず苦笑いを浮かべた。
「そうする……。俺達は警備部隊のガイドラインに沿って、商船を救出しに行く。問題無いな? 5番機」
5番機、つまり最も新しく補給されたザクに乗る女性兵士が、緊張感を孕む声で返答する。
『はい……プラントへの直接被害の危険が無い場合、二次的な脅威の排除に移行せよ、とありますから』
「近くに宙賊の基地が無い事は、一週間前の調査で分ってる。賊は母艦を持ってる筈だ。後、MSもな」
シンの何気ない言葉に、隊員達はそれぞれ表情を強張らせた。
戦争が終わり、戦力の補充あるいは増強が必要なくなると、当然ながら兵器産業は新たな『顧客開拓』に乗り出す。特に、一度の交渉も経ない、武力のみで互いの戦力を奪った末の終戦である。戦後処理の準備などされている筈も無かった。結果、突如として発生した『赤字』を少しでも補填する為、企業は自らの在庫を相手構わず一斉放出してしまったのである。それを買い取る顧客には事欠かなかった。
コスト削減の為、一夜にして職を追われて放り出された軍人が溢れ返っていたからだ。
何の準備期間も無く、自分達から生活の糧を奪い去った軍部と政府を憎む彼らは、その大部分が、今まで蓄積した戦闘技術と軍の内部情報を悪用し、『好ましからざる人物』へと変貌したのである。
『て、事は、敵は同じコーディネイター……しかも艦とMSを運用する、元プロか』
「充分ありえるな。だから、敵に正面からぶつかったら駄目だ。何が何でも母艦を叩く!」
語気を強め、視線を鋭くさせたシンが言い放った。
「ただ、正面で敵をひきつける役も必要だ。それは俺がやる。アンタ達はとにかく艦を探して、見つけたら直ぐに主砲の死角に回り込んで攻撃してくれ。自分達が帰る場所が危なくなれば、敵は浮き足立つからな」
『シンだけで囮をやれるのか? 危険すぎるだろ……』
「囮はなるべく弱そうなのが良い。直ぐ行こう。時間が無い」
『お待ち下さい。許可できません』
「何……?」
通信に落ち着き払った男の声が割り込み、シンはレーダーに現れた新しい光点を見遣る。
1機のグフが、シンの乗るゲイツRの目の前まで接近した。右肩に、『歌姫の御手』のメンバーである事を示す白い一対の翼が描かれている。
『あなた方は現在地で待機。20分後に到着する本隊と共に商船救出にあたる事になります』
「今から20分? 遅すぎる!」
『敵戦力の詳細が分かっていませんし、襲われた商船も武装しています。これは戦闘です』
「アンタだってデータを見たろ! 商船は全部で5隻! うち武装してるのは2隻で、それだって有線操縦のメビウス2機と対空機銃が2つだ! 何の役に立つ!?」
同僚達が思わず息を呑んだ。この2年間、激したシンの声を聞いた事が無かったからだ。
「分かったら其処を退け! 時間の無駄だ!」
『シン、こんな小事で功を焦る必要はありません。その力さえあれば、遠からぬ内にあなたは元の……』
「アンタ達に何度も言ったが、俺はそんな物に興味は無い!」
『……シン、襲われた相手はナチュラルで、襲っているのはコーディネイターだそうです』
「それがどうしたッ!!」
まなじりを吊り上げ、紅い瞳に凶暴な光を宿すシンに、選り抜きのザフトホワイトは醒めた表情で告げた。
『吹き飛ばされた花は、また植えれば良い。そう申し上げているのです』
その言葉が耳に入った時、シンの頭の中は真っ白になった。手足から力が抜けていく。
<いくら吹き飛ばされても、僕らはまた、花を植えるよ。きっと>
かつて自分が敵対し、今、事実上ザフトの頂点に立っているキラ=ヤマトの言葉。オーブの慰霊碑の前で、言われた時、そしてザフト入りしたキラが、微笑むラクスの前で同じ事を口にした時、シンの胸中に生まれたのは、諦観と希望だった。自分がデュランダルの下で戦っていたのは、彼のデスティニープランが争いで命を落とす者がいない世界を創ると、そう信じ続けていたからだ。
そして、その計画を力によって打ち砕いた彼らを、シンは新たに信じるしかなかった。手に入れた力を自我の赴くままに振るった結果、己が起こした悲劇を覚えていたからである。だからこそ『敗北』と『管理』を甘んじて受け入れ、キラ、ラクスの下で力を尽くそうと決めた。今日、この瞬間までは。
全身から抜けた力が、倍になって戻ってくる。
『シン!』
『アスカさん!』
『何を馬鹿な……』
「俺は敗者だ。だから誰でも良かったさ。誰も戦争で死ぬ必要の無い世界を創ってくれるんなら、たとえデュランダルだろうがキラだろうがラクスだろうが、構いやしなかった!」
ビームライフルをグフの胸元に狙いをつけたシンが叫ぶ。
キラがザフト将兵の前で同じ内容を語った時、彼らは熱狂と共に賛同した。傍近くに控えた『歌姫の御手』達は特に。
「だけどアンタは、『御手』のアンタは、そのマークをつけたMSに乗って、ナチュラルなら見殺しにしても構わないと言ったんだ! ならもう何も話す必要は無い! グフを寄越せ! 俺だけで行く!」
このザフトホワイトは単純なミスを犯した。歳若くして元赤服、元特務隊のシンを、自分と同じく、ナチュラルを強く蔑視する典型的なザフトのエリートと誤解したのである。
勿論、彼の発言がシンにキラ、ラクスへの決定的な叛意を植え付けた、という事は無い。しかし、目の前で襲われつつある弱き存在を前にして、命令によって行動を阻まれたシンに、最後の一線を越えさせるには充分すぎる後押しだった。
そして、怒りの最中にも兵士としてのシンは冷静だった。長銃身のビームライフルと発射間隔の長いレールガンが主武装のゲイツRでは、単機で複数と戦ってもただ落とされるのみ。
近接戦に秀でるグフであれば、状況を打開する機会が生まれると、そう踏んだのである。
「襲撃発生から6分経った! 早くしろ! ……それともこの状況で他の対処が在るとでも思うか?!」
対応を迫られたザフトホワイトは、差別主義者だが臆病ではなく、無能でも無かった。今直ぐにでもビームで蒸発させられる事に恐怖は無く、この状況でシンの射撃をかわせるとも思わない。
彼が思考を巡らせていたのは今後である。仮にも一度キラを負かしたシンがザフトに復帰したのを快く思っていなかった彼は、これをチャンスと捉えた。シンを脱走兵であると共に反逆者にしてしまえば、最早情状酌量の余地は無く、プラントを追放されたシンは後援者を持たず、無力化する。
『分かりました。しかし、その前に……』
グフの腕がシールドに伸び、テンペストを引き出してビームを発生させる。
『動かすな!』
「御心配なく。ですが撃ちたくば撃って頂いて結構……グフを失ってもよろしければ、ね」
そのまま、ビームソードで右肩の翼のマークを軽く撫でた。翼が焼き潰され、鈍い灰色の痕跡が残る。
「装甲表面を炙っただけです。今、コクピットを開けます」
機内を減圧してハッチを開く。既にシンが、突き付けたゲイツRのライフルを伝ってやってきていた。最低限の安全確認すら惜しむシンに、彼は小さく溜息を吐く。
「右腕にビームガン、左腕にウィップがついています。間違えないように」
『言われなくても外から見えた。でも、有難う』
「皆、悪かった。後、止めなかった事には感謝する」
グフを起動させたシンが、通信回線を開く。
『なに、気にすんな……一緒には、行ってやれないからな』
「当たり前だ。……俺の自己満足になんか、付き合わせられるかよ」
ザフトに入隊した同僚とて、力ない存在を助けるという気概はあった。反逆者、脱走者の汚名を着る勇気は無かったが、それは責められるべき事では無いだろう。
『アスカさん。終わったら、ちゃんと戻ってきて下さい。シミュレーター、一緒に……』
『シン、ひとつお訊ねしてよろしいでしょうか』
新人の女性兵士の言葉を遮って、ゲイツRに乗り込んだザフトホワイトが通信を入れた。
「何だ? もう8分過ぎた。短く頼む」
手早く最後の調整を行なうシンが、そちらを見ずに答える。
『昇進や勲章に興味が無いと仰いましたが、では一体、あなたの興味対象とは何です?』
キーボードを仕舞い、操縦桿を握り直したシンは、ザフトホワイトに正面から向き直る。
「簡単だ。この手で何人救えるのか、この手で何人救い損ねるのか……それだけだよ」
『良く分りました。シン、あなたは救いようの無い愚か者だ』
言葉と共に敬礼する将来有望なエリートに苦笑し、シンは全ての通信を遮断した。
「そうだな。俺は……」
戦闘宙域に進路を定め、フットペダルを目一杯踏み込んで加速。襲い来るGに目をきつく細める。
「俺は馬鹿だ。脱走者で、反逆者の……大馬鹿野郎だ……!」
犬歯を覗かせ、凄絶な笑みを浮かべる。背部のフライトパックからスラスター光が噴き出し、青のMSは漆黒の海へと消えた。
幸運にして不運な事に、宙賊の目的は目撃者の完全抹殺であった。ザフトがナチュラルを救助する筈がないと、自らの経験と心理によって把握していた略奪者達は、大原則の速攻ではなく、念入りに標的の武装を破壊しエンジンを止め、その上で物資を頂こうという算段を立てていたのである。
『駄目です。エンジン、ジェネレーター、レーダー、全て潰されました……』
「そうか……君は、今からでも居住ブロックに退避しろ。長くは保たんだろうが」
そう告げた船長は、スーツのヘルメットを脱いで放った。無重力の中を漂うそれを、呆けた表情で眺めている。
「駄目だな。誰も助からん。5隻全てが無抵抗だ。私は船団長としての責任すら取れん」
「しかし、救難信号は発信できました。ザフトと……『ミハシラ軍』に!」
通信士の言葉に船長は首を振った。無論、横にである。
「ザフトが助けるのはコーディネイターだけだ。それは分っていた。ミハシラ軍は……ふん、確かそういう俗称だったな……プラントも連合も公的に認めていない武装組織だ。言わば、連中もまた宇宙海賊に過ぎん」
「ミハシラ軍が航路を守っているのは事実です! それに、まだ死者は出ていない。諦めるには早いですよ!」
「海賊の慈悲にでも縋ってみるかね? さっきまで嫌と言うほどやったろう。……来た」
恐怖感を煽る為としか思えないほどブリッジに接近したゲイツが、モノアイを左右にゆっくりと滑らせる。
機体を引いて、シールドから2連装のビームクローを展開。大きく振りかぶった。
「あぁ……!」
「認めたくは無いが……世界の支配者いわく、我々は平和な時代に生きているそうだ」
次の瞬間、シールドを握ったゲイツの腕が、頭部が、脇腹が緑のビームに撃たれて機体がよろける。
ゲイツの眼がビームの発射方向に向いた時、ブリッジの展望窓の死角から突進した蒼い機体が、スパイク付きのショルダーで激突する。装甲片を散らして吹き飛んでいくゲイツに一瞥をくれた後、シンの乗ったグフが船の甲板に触れた。ブリッジに歳若い男の声が響き渡る。
『居住区に退避してくれ! 絶対に……絶対に守り通すから!!』
テンペストを抜き放って艦から飛び立つグフを、船長が呆然と見送る。
「馬鹿な……我々を助けるだと? ザフトだぞ……?」
一瞬見えた、さながら罪人への烙印の如き右肩の傷が、船長の目に焼きついていた。
「……他の船にも、彼の言葉を通達しろ! 予備の通信装置でも届くはずだ!!」
「馬鹿め、奇襲を許すとは……」
「申し訳ありません。敵機がアクティブレーダーを使わなかったもので」
後部メインエンジンに巨大な増槽を取り付けたナスカ級高速戦艦。そのブリッジで、ザフトのスーツを着た賊のリーダーが部下の報告に眉を上げた。
「何だ? つまり、敵はこっちの戦力を把握せずに突っ込んだのか」
「そのはずです。今、敵戦力を把握しました。グフ・イグナイテッド、1機です」
「……自殺志願者か、はたまた余程の腕利きか。推測は悪い方を採用すべきだな」
彼はザフトに所属していた頃、堅実な指揮官として知られていた。歌姫の騎士団に対し最終段階まで抗戦していなければ、今なおプラントの守護者としてキャリアを積み重ねていた事だろう。
「艦を2隻ともイエローラインまで下がらせろ。敵の狙いは間違いなく我ら艦だ。MS隊の状況は?」
「8機全て健在です。奇襲を受けたゲイツも、戦闘は続行可能との事」
「よろしい。商船は放置。全機でグフを狙え。フォーメーションを組んで袋叩きにしろ」
「ハッ、そのように!」
「しくじったか……!」
迅速に後退を始めるナスカ級とローラシア級に、シンは歯噛みした。
「シン=アスカ、この大間抜け! 他人に説教しといて……!」
敵はただのならず者ではない。教練を積んだプロフェッショナルかも知れない。その予想は見事に的中した。追い縋ろうにも、7機のMSが椀状にシンの乗るグフを包囲して行く手を塞ぐ。MSの構成はゲイツ、シグー、ジンハイマニューバなど旧式だが、性能差にも限度というものがあった。
威嚇の為か、MS隊の通信が広域回線で流れ込む。
『良いか! グフに接近戦で勝とうと思うな! ウィップとソードの間合いに入るなよ!』
『新型が気取りやがって! 避けさせやしない!』
ジンHMが無反動砲を構え、ゲイツがビームライフルを、シグーが突撃銃で此方に狙いをつけてくる。
相対的下方、上方、側面からの、セオリーに則った射撃。だがかわす事は容易い。護衛対象を背負わなければ。
「……まずい!」
『撃てッ!』
ビームと銃弾と砲弾が絶妙な1秒未満の時間差を隔ててグフに殺到した。しかし、回避できない。
敵MS隊の機敏な立ち回りで、民間船から離れられなかったからだ。シールドを突き出し、そのまま切り離す。
目の前が閃光に彩られるも、シンは躊躇せずに突進した。スレイヤーウィップに高周波を流し、赤く輝いた鞭を目一杯振るった左腕でしならせる。操縦桿越しに手応えが伝わり、頭部脇をシグーの膝から先が飛び去った。
しかし、敵は手練だった。
『そうだ! グフと、商船と、我々を一本の直線で繋げ。回避させるな!』
閃光が収まり、溶けて砕け散ったシールドが視界を流れていく。グフと敵MS隊の相対位置に変化は無かった。
光の中でグフが動いた分、敵もまたフォーメーションを保ったまま移動したに過ぎない。
先程跳ね飛ばしたゲイツが復帰し、後方からグフにビームライフルで狙いをつける。僚機に当てまいとする慣れた位置取りは、どう見ても正規軍の物だ。
『此処までだな、諦めろ。グフを渡せば見逃してやるが』
「ハ、降りた所を撃ち殺すんだろ……?」
『さあな。強情を張るなら、商船から落とすまでだ』
ジンHMが構えた無反動砲を民間船に向ける。シンの瞳が、無念に震えた。
「くそ……俺は、また……!!」
『撃て。1隻沈めてやれば気が変わるかも知れん』
まさに、その瞬間。無反動砲を構えたジンHMの腹部に、まるで内側から爆ぜたような風穴が空く。続いて、グフの背中を狙っていたゲイツの頭部から右肘にかけて抉られたように吹き飛び、パイロットが脱出した。
『どうした!』
『アウトレンジからのスナイピングです! 恐らくはレールガンで!』
射線を確認できない狙撃に、賊のMS隊が一瞬浮き足立つ。刹那、陣形の最奥で指示を出していたゲイツの背後の空間が揺らいだかと思うと、漆黒の大鎌が一対、左右から機体を挟みこんだ。直後、機体から激しいスパークが上がる。
『こ、これは……ッ! バッテリーが!』
駆動系の誤作動によって痙攣するゲイツの真後ろで、『それ』の姿が現れる。
M1アストレイ系のフォルムを金色に染め、ほぼ全身を黒色の追加パーツで鎧った異形。
幾多もの改装を経たそれは、宙賊達の間ではごく短い名で呼ばれていた。
天<アマツ>、と。