SCA-Seed_GSCI ◆2nhjas48dA氏_第49話

Last-modified: 2007-11-30 (金) 19:43:43

 無重力ブロックの通路を、可動式のレバーを掴んで移動するシン。パイロットスーツを
着たまま、ヘルメットだけを脱いだ彼の頬を汗の玉が転がっていく。空調の故障ではない。
 帰艦後、ファクトリー内部で起こった出来事を聞かされたのだ。
「左右に動かすな! しっかり担架を押さえろ! 無重力だからって……」
「嘘だろ」
 通路の曲がり角から聞こえてくる医療スタッフの声に、シンはレバーを手離した。壁を
思い切り蹴飛ばす。
「とにかく急げ! 何発貫通したかも解らないんだぞ!」
「嘘だろ……!?」
 T字路の前で踏みとどまったシンの目の前を、担架と衛生兵、軍医が流れていった。
顔だけ横に向けられ、うつ伏せにされたエコー7の唇の端が赤く汚れている。瞳が虚ろだ。
 首から下は更に悲惨だった。機銃掃射に曝されたパワードスーツはずたずたに破壊され、
外装には幾つもの弾痕が刻みつけられている。入っていた緩衝ジェルが玉となって散り、
通路の壁に生々しくへばりついた。色は青だが、シンの目には血に見えた。
「え、エコー……7」
 本名で呼び掛けられないのがもどかしい。床を蹴って担架に追いつく。声がひび割れた。
「下がってください!」
「こんな事、ある筈がない。大丈夫だって言ったじゃないですか!」
「シ、ン」
 喉をひきつらせ金切り声を上げるシンに、マスクを着けられたエコー7の瞼が震える。
深緑の瞳が焦点を結び、直ぐ傍のシンに手が伸ばされる。彼の左手を、そっと握った。
「手術室を開けろ! 入れたばっかりだが、早速役立ったな、くそ!!」
「お願いが……あります」
「お願い!? 何でも言って下さい! ちゃんと、聞きますから……」
 騒然とする中、通路を流れながら2人は言葉を交わす。
「サハク司令官を……」
 身をよじったエコー7が咳き込む。半開きの口から血の玉が飛んで、シンの頬を汚した。
「アスカさん、喋らせないで!」
「後で聞きます! 治った後で幾らでも! だから、エコー7……」
「サハク司令官、を……」
 シンの言葉を聞かず、マスク越しにくぐもった声を発する。
「どうか、見捨てないで」
 その言葉を最後に、エコー7は身体から力を抜いて目を閉じた。医療スタッフの誰かが
シンの身体を突き飛ばして退かせ、担架は医務室に消える。壁際のパネルに、手術室が
使用中である事を示すランプが灯ったのは直ぐ後の事だった。
「何だよ……何だよ、それ。俺がサハク司令官を見捨てる? 見捨てられるんじゃなくて?」

 周りに誰もいなくなった通路で、シンは涙を散らす。雫が血と混じり、紅く染まった。
「解らないですよ。もう一度ちゃんと教えてくださいよ! もう一度……もう一度……!」
 そんな彼に、エコー7が着ていた物より重厚なパワードスーツを纏った男が2人やってきた。先頭の男が、ヘルメットを脱いで脇に抱える。
「申し訳ありません。貴方がたから預かっていたエージェントを負傷させてしまいました」
 シンはそれに応えない。ただ、閉ざされた医務室のドアを見つめている。
「彼女が身を呈して作業を続行してくれなければ、消耗戦に持ち込まれた我々は全滅して
いたでしょう。彼女の決断と行動に、隊を代表して敬意と感謝を表します」
 シンはゆっくりと振り向いた。ヘルメットを脱いだ男と視線を合わせる。そして、再び
視線を元に戻した。男2人も、敬礼して踵を返す。

「可哀想に。あいつ、壊れてるな」
 角を曲がり声が聞かれなくなった所で、特殊部隊の隊長が口を開いた。2人のスーツには、無数の
擦過痕が刻まれている。先程語った内容は誇張ではない。何かを間違えば、全滅していた。
「そうなんですか? 負傷した、って意味じゃあないですよね?」
「目が合った時、何となく解った。……そうだ、頭の中が……もとい此処がな」
 胸甲の左側を、グローブで軽く叩く。
「なら、色々教えてやりゃあ良かったじゃないですか。食らったのは対スーツ用のAP弾
じゃなかったとか、オーブからアークエンジェルを接収した時、医療設備を最新のやつに
入れ替えたとか、そのアークエンジェルが傍にいたから、直ぐに運び込めたとか……」
 基本的に、ボディアーマーは壊れる事で衝撃を吸収し、着用者を防護する。エコー7の
スーツが無残に破壊されたという事は、スーツはきちんと機能を発揮したという事なのだ。
アーマーピアシング弾を受けたスーツは綺麗な物だ。焦げ跡程度の弾痕しか残さず、着用者の肉体を
徹底的に破壊する。ステーション内部の防衛が主目的だった為、あのガードロボットには
通常弾のみが装填されていたのである。内壁を破壊しては元も子も無いからだ。
「気休めは無意味だ。あいつが欲しいのは安心じゃなく、たった1つの結果だろうからな」
「はぁ」
 まくしたてていた部下が、隊長の言葉を聞き曖昧に頷く。
「それに……あれで死ぬようなら、4年前俺達とやりあった時に死んでるさ」
「あー、隊長の射撃があんなに当たらなかったのは、後にも先にもあれっきりですね」
「うるさい。さっさと行くぞ、次の任務が待っている。しっかり働け、兵隊」
「Sir, Yes Sir!」
 通路中に響くほど声を張って敬礼する部下の頭を、隊長はヘルメットではたき倒した。

「司令官、『先方』からの通信です。如何しましょう」
「構わぬ、此処で報告せよ」
 ミハシラ軍の実質的旗艦であるイズモは、月都市コペルニクスへやってきていた。ブリッジの
奥まった席に腰を下ろすロンド=ミナ=サハクが、オペレーターに命じる。
 一瞬ためらう彼女。ブリッジには今、『客』が来ているからだ。
「……アークエンジェル隊は、無人MS隊の襲撃を受けつつもこれを無力化しました」
「無人だと……?」
「またMSから回収したデータを復旧させたところ、高度なAIと思しき存在が明らかに
なった模様です。ただし痕跡のみで、複製および再構築には失敗したとの事」
 返答せず、ミナは小さく唸った。大型機動兵器と戦略砲、そして自律行動可能なAI。
想像の枠を超えた事象が、整理されぬまま己の内に山積していく。
「また、ファクトリーの広範部分にマーシャンの技術が用いられていました」
「マーシャン……火星政府が関与していたというのか」
「彼らの技術は、高レベルなオートメーションを実現させます。クライン派の需要に
合致していたのでしょうね」
 ミナの傍らに立つカグヤが口を開いた。目を細めて微笑む。白い薄手のコートのような
衣を纏う彼女は、ウェーブの掛かった黒髪を揺らした。
「つまり、マーシャンはクライン派に協力し、彼らを利用したと」
「それはそうでしょう?コーディネイターとナチュラル、種族問題で争い大量破壊兵器を
躊躇い無く撃ち合う私達テラナーと付き合う余裕は、今の火星にありませんもの」
 袖を口元に当て、カグヤは薄目を開けた。その瞳が、月光の如き冷たい光を放つ。
「ラクス様が引き起こす混乱で、我らを地球圏に閉じ込める。内側への軍備拡張と平和維持活動という
名の内政干渉で国力を消耗させるにあたり、平和の歌姫様は最適な人材なのですから。私達に、
地球圏の外側に目を向けられたく無いのでしょう……」
「フン……彼女と歌姫の騎士団を利用していたのは余らも同じだ。連合軍はアレを潜在
脅威として軍縮を拒み、プラントやオーブは言わずもがな……」
「『天空の宣言』として、歌姫への恭順を示された貴女も? サハク代表」
「勿論だ。2年前の戦時中、あの混乱に乗じて余は今の組織の基礎を築いた。築いたが」
 柔和な笑みを消さないカグヤに首肯し、ミナは言葉を続ける。
「正直な所、ラクス=クラインの権勢がこれほど長続きするとは想像できなかった。長続きする筈だ、
多方面からの需要に支えられていたのだからな」
「悲しい事に、ラクス様は善意のみの御方。少しでも権力欲がお有りなら宜しかったのに」
 喉を鳴らすカグヤにミナは再び頷いた。ラクスは、余りに純粋なのだ。
「さる情報によれば……ラクス様が再び『決起』されるそうです」

 アークエンジェルからの報告を聞いた礼のつもりか、カグヤが静かに口を開く。
「キラ=ヤマト様のストライクフリーダムを加えた部隊が撃退され、ラクス様は地球圏に
再び満ちる荒廃と混迷を悟られたようで」
 その言葉にミナは目を閉じる。地球に住む人々は、最早ラクスの言葉に耳を貸そうと
しない。プラント内部でも怪しいものだ。ラクス=クラインは余りに上手く行き過ぎた。
自分の発した言葉と行動が全て正しい事とされ、比類なき武力を手にした。
 ラクスの周囲もその状況を利用し、自身の利益と目的の為に甘言を弄し続け、彼女を
真実から遮断し続けた。そして今、ラクスは深い悪意を胸に秘めた者達に囲まれている。
彼女を助け出さねばならない。彼女と、彼女に従う者の為にも、そうでない者の為にも。
 そこまで考えて、ミナは己を笑った。自分のような女が、今更何を言っているのだろう。
「サハク司令、物資の搬入が完了しました」
「直ぐに発進する。……カグヤ、制圧したファクトリーに用があるなら、乗せてやってもよいが?」
「いいえ、そこへは後ほど。次はネオロゴスのお婆様とお話しなければいけませんので」
 かぶりを振り、カグヤは早々にブリッジを出て行った。ドアが閉まると、先程のオペレーターが
ミナの方をおずおずと振り返る。
「司令官、先の報告に付け加える事があります」
「何か?」
「エコー7が作戦中に重傷を負ったそうです」
 ストレートロングの黒髪が波打った。
「そうか、わかった」

 整備を終えた黒と黄のイズモが、月面に造られたすり鉢状の発着場から浮き上がる。艦尾のメイン
スラスターから青白い巨大な光を吐き出し、漆黒の天空へ駆け上っていった。

 自身のコピーを削除し入手した戦闘データを整理する傍らで、エミュレイターは思索の
深みに沈み込んでいた。通信回線が完全に断絶する直前の事である。跳弾を利用した己の
射撃をその身で受け止め、セキュリティシステムのハッキングを成功させた人間の兵士の
姿が、思考の中枢にこびりついて離れない。
 通信状況が急速に悪化していく中での出来事だったので、情報を完璧に収集出来なかった。それは、
エミュレイターにとって初の経験―思い悩む―をもたらす事となる。
 単なるミスだったのか、それとも任務への忠誠か、仲間を生かす為の献身だったのか。
いずれにしろ、その行為は自身の存在意義を大きく揺るがした。

 自分が生み出され、軍事技術の粋を集めて開発された機動兵器に搭載される理由は他でも無い。『弱い』
人類を守護する為だ。ラクス=クラインは平和を守る剣であると己に告げたが、要するに
想像力薄弱で、何かあるとすぐ戦争を起こそうとするコーディネイターとナチュラル双方を監視する
為の、いわば抑止力という事だ。つまり人類は全て弱者で、独力での存続が困難である
という前提のもとに自分は機能せねばならない。そうでなければ、自分の力は単なる抑圧
にしかならないからだ。
 だが、と『彼女』は先程のデータを呼び出す。あの兵士は弱者であったのか、と。フリーダムを
操る自分に最後まで対抗し、武装を殆ど封じられながらも一瞬の隙を突いて反撃した、黒と赤のMSに
乗るパイロットは弱者だったのか、彼と共に戦ったドムトルーパーのパイロットはどうか。
 ラクス=クラインやキラ=ヤマト達とは根本的に違う。キラはスーパーコーディネイターとしての
素養で戦い、ラクスは予め自分に味方していた全ての状況を利用した。つまり、弱者でも
可能な行動であった。彼女達は勝つべくして勝ったのであり、そこに強さは存在しない。
 人類に奉仕する為に創造されたエミュレイターにとって、力のある者が社会に尽くすのは至極当然の
事だからである。と此処まで思考して、彼女はある結論への仮説を弾き出した。
 生命が生き延びる本質的な強みの一つに、多様性がある。人類にとっての多様性は、
精神に宿るのではないだろうか。この仮説が正しければ、自身の開発理由は初めから誤り
だった事になる。強すぎる抑圧は精神を蝕み、彼らの多様性を殺してしまいかねない。
 無論、否定材料もある。C.E.に入ってからの歴史を見れば、どう考えても人類は自制心を失っている。
だからこそ、ラクス=クラインはプラント最高議長として権力を手中にし、混迷する世界に
秩序を徹底させるべく努力している。彼女はその為に自分を創っ――
『ラクス=クライン、質問があります』
「なんでしょうか」
 豪奢な執務室にいたラクス=クラインが顔を上げ、何時もの優しい笑みを浮かべる。
そのラクスと同じ声で、エミュレイターは問い掛けた。
『なぜ、デュランダル議長のデスティニープランを否定されたのでしょうか?』
「あの方のプランが、人の未来を奪うものだったからです。遺伝子によって全てを決定し、
社会における個人の機能まで決定するなどという事は、決してあってはなりません」
『なるほど。ところで2年前にアスハ元オーブ代表と結託し……』
 その言葉に、ラクスの表情が悲しげに曇る。

「オーブでの出来事は、何かの間違いが重なったのです。カガリさんには一刻もはやく、
元の地位に戻って頂かなくてはなりません。それなのに、今の地球は……」
『……それはさておき、2年前に貴女はユニウス条約に違反するMSと、連合軍籍の戦艦を
私的に保有しておられた筈です。なぜでしょうか?』
 話を中断されても、ラクスは不快そうな様子を見せない。不快感を覚えていないからだ。
「ユニウス条約は地球連合とプラントとの間に交わされた条約。オーブ及び私人である
わたくしには適用されません。そして、再び混迷する世界を正すには力が必要でした」
『正すという事はつまり、貴女は善か悪かで物事を判断し、武力を用いたのですか?』
「その通りです。力というものは全て、善き目的の為に用いられなければなりません」
 無垢なる笑みを見せるラクスに、エミュレイターはしばし沈黙した。
『……理解しました。執務中に失礼致しました』
「いいえ。迷われた時は、いつでも仰って下さい」
 音声は途切れ、ラクスは再び机上の書面に目を落とした。

『地球連合軍によるオーブ侵略は、いかなる正当性もない暴力です。わたくしは先の
戦争を終結させた1人として、再び地球の皆様を導き直すという責任があります……』
「あんたが送ってきた写真だが、データがようやく一致したよ」
 オクトーベル3の片隅。無機質な隔壁に囲まれた『路地裏』で、汚れた作業着姿の男が
大きな封筒を細面の男に手渡す。空の上、つまり中央モジュールから、録音されたラクスのスピーチが
響き続けていた。封筒を受け取った男がそれを開き、1枚の写真を取り出す。数日前に
シャトルが衝突した保安装置の1基。その内装が覗いた破口部をズームした物だった。
「高出力EMPエミッター『グングニール』……その、一部だ」
 保安装置は、歌姫の御手の提案によって全コロニーに設置されていた。住民の生命に
直接関わる大気の循環装置に直結している。
「そうですか。わざわざ済みませんでしたね」
 写真を封筒に戻した補佐官はあっさりと頷く。背後を振り返り、空色の髪と紫の瞳を
持った女性兵士を視界に捉える。不安そうな少女は頷き、路地から出て行った。
『みなさま、わたくしとキラは2年前、デスティニープランを否定し……』
「なあ、これは何なんだ? どこの写真だ? ……今、プラントはどうなってるんだよ?」
「どの質問にも答えられません。答えれば、あなたも反逆者となる」
「補佐官……デュランダルの下で働いてた時のあんたは、何時だって……俺、も?」
 立ち尽くす男を尻目に、補佐官は足早に去っていく。人工の太陽光が照らす通りまで
出てくると、先程の女性兵士が再び近づいてきた。補佐官の傍に付き、『監視』に戻る。
「直ぐにそちらへ参ります。……デュランダル閣下」
 少女に聞こえぬほどのか細い声で呟き、補佐官は光の下を歩いていった。

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