SCA-Seed_682氏_短編02

Last-modified: 2007-11-30 (金) 18:47:01

「旗が無い?」
「ああ。入港時は、相手国の国旗を掲げる必要が有るんだが……参ったな」
「何故、用意しておかなかった?」
「出港した時は、違う国だったんだよ」
 嘗て、世界には11の国しか無かった。遠い昔と言う訳では無い。ほんの、数年前の事だ。今では、月に一つは新たな国が出来て、週に一つは名前が変わる。世界地図は複雑怪奇を極め、誰にも正確な形は解らない。
 入国時の紆余曲折を想起しながら、青年はスコープ越しの光景を睨んでいた。もう、三時間はこうしている。粘っこい汗が全身に張り付く。熱帯の密林では、日に七リットルの水が失われる。
 200m先で結ばれた焦点に、自動小銃を構えた歩兵の姿が覗いた。後方の仲間達に、ハンドサインを送っている。地雷注意――――但し、本物では無く、人糞獣糞の隠語だ。口元には冗談めかした笑みを浮かべている。
 照準を合わせる。年代物のボルトアクションは、最新のスポーツライフルに遜色無い精度を誇る。トリガー。7.62㎜弾が狙い通り、目標の左脚を撃ち抜いた。

 小口径弾は貫通力が高い。標的に即死を許さない。敵軍は搬送の為、複数の人員を割く必要に迫られる。先進諸国の高級軍人はそう考える。
 紛争当事国の兵隊には別の意見が有る。生き残るには、眼前の相手を確実に倒さなくてはならない。その為には、大口径弾だ。大体、負傷者が後方へ搬送される、と誰が決めた?そもそも後方とはどこだ?
 相手はナイーヴな先進諸国の兵隊だった。動けない仲間が、更にもう片脚が撃ち抜かれ、腕が撃たれ、手の指を一本一本斬り飛ばされ、嬲り殺される様に、堪えきれずに飛び出して来る。瀕死の仲間を助けようとする。
 思う壷だ。乾いた銃声。一人、また一人、小銃弾の餌食となる。
 森林に手足をもがれた兵隊が折り重なる。敵部隊は動くに動けない。
 小銃の咆哮。榴弾の炸裂音。友軍が敵の側背を突いた。
 勝敗は決した。彼は傷付いた敵兵に、慈悲深く止めを刺す。

 シンは注意深く周囲を確認すると、カモフラージュを解いた。火力に乏しい狙撃手が、敵に見つかれば命は無い。
 合流地点へ向かうにも、慎重に慎重を帰す。世の中には、自分より巧く森林を歩ける男など、ゴマンと居る。帰路には、殊更気を使う。
 一番最後に部隊と合流。衣服も装備もまちまちな一団は、それでも秩序を保ち、密林をかき分けて、拠点へと戻る。
「お前が居てくれて助かる」
 道中、一人が言った。
「優秀な狙撃手が一人居れば、それだけで相手の足が鈍るからな」
「狙撃も出来る。それだけだ。本職に出会したら勝ち目が無い。嬲り殺しにされる」
「そん時はどうする?」
「どうも出来ない。あんた達に期待するよ」
「お前の手に負えない相手を、倒せ、て?」
「半端な慈悲を起こさない事をさ」
 村に戻る。泥と汗にまみれた兵隊の一群を、負けず劣らず薄汚れた村民が、歓呼で迎えた。
 この国は国境線を微妙に変えながら、過去、三回に渡って独立し、同じ回数だけ併合された。三回目が最悪だった。
 臨時政府の首長は、国をラクス主義者に売り飛ばした。そして、無防備に、無制限に自由化した国家に、ZAFTの党幹部や国営企業が目を付けた。
 コーディネーターは直接姿を現さなかった。原住民と自由なる競争を繰り広げたのはオーブ人。彼らはオフサイドも知らない人々を、自らが用意した審判の下、散々に打ち破った。
 原住民は全てを失い、競争に参加し続ける事も出来なくなった。オーブ人は一顧だにしない。機会は平等だった。結果の平等は自由に反する。自由競争で失われた機会を、再び与える理由は無い。
 一方、国の基幹を握ったコーディネーターは、貧民にミルクと煉瓦を与えて、慈悲深い貴族を気取っていた。
 国の行く末を問う住民投票で、自主独立が多数を占めた時、彼らの態度は変わった。恩知らずな貧民への怒りに駆られた支配者達は、新しい遊びを思いついた。
 コーディネーターばオーブ人に武器を与え、愚かなナチュラル供の対立を煽り、争わせて哄笑した。自身の死が100%排外された戦争。これ程の娯楽がどこに有る。
 今日もどこかで、新しい国が生まれている。生まれたばかりの国が滅んでいる。数年来、国家間の戦争は一つも起きていない。
 世界は平和だ。

 雇用されて最初の仕事は、高見櫓をこさえる事だった。ここからは、どこもが見える。同様に、どこからもよく見える。見張り台は真っ先に攻撃を受け、それが村への警報となる。
「よう」
 日中の見張りは、一任されている。背後の縄梯子から、一人の男が顔を出した時も、シンは無言で双眼鏡を覗いていた。
「そいつで、反対を見てみる気無いかい?」
「何が有るんだ?」
「村が見える」
「それがどうした?」
「あんたは五人分戦ってくれる。四人とは言わないが、二人は戦わないで済む。その分、村の仕事に回れる」
「役に立ててるなら嬉しい」
「独立後の復興にだって、男手が要るしな」
「気の早い話だ」
「俺達は独立を回復出来ると思うかい?」
「難しいな」
 率直な答えに、男は顔を顰めた。
「なんでだ?」
「オーブ人と共闘出来れば、一番いい。コーディはオーブ人を見下している。でも、オーブ人の方では対等なお友達のつもりなんだ」
「それこそ、なんでだ?」
「あいつらは、行列に並べばウィスキーが飲める」
「なるほど、俺達とは違う訳だ」
 勿論、コーディとも同じでは無い。
「あんた、あちこちで戦って来たんだろ?」
「ああ」
「あちこちで、色々見て来た訳だ。色々な国、色々な人々、色々な風土、色々な遺跡」
「別に。何も見ちゃいない」
「あん? あんた、好奇心て物が無いのかい」
「そうでもない。最初は色々見た」
「それが、なんで見なくなった?」
「さあ?」
「で、最初はどこに行ったんだい?」
「忘れた」
「ちぇっ。つまんねえな」
 そうそう。あんたに手紙だ――――長話の末に、男は驚くべき事を言った。誰からだ。どうやって、居場所を知った。どう届いた。困惑しながら、封筒を受け取る。
 中は一枚の便箋。そして写真。真ん中で、赤毛の少女が微笑む。シンもつられて笑う。
「どうしたんだい?」
「仲間の結婚が決まったんだ」

 シンは櫓に凭れていた。細く、曲がりくねった道が、森を縫って村へと続いている。
「それにしても、インタビューとはな」
「東アのTV局だってさ」
「改竄されるぞ」
「チーフはそれでいい気だ。俺達が革命政府と戦っている事自体は変えられない、て」
 男は褐色の肌に浮いた汗を拭う。
「あそこ。樹の間に、変な形の岩有るだろ」
「ああ」
「俺はそこから来たんだ」
「どう言う意味だ?」
「夢の場所、て言ってな。俺の魂は、そこから来て、そこに帰る。ここじゃ、誰でもそんな場所を持ってる」
「なるほど。面白いな」
「だろう。色々見て、聞いとく物だ」
 森の隙間から、声が漏れて来た。一つはチーフの声。この辺りの原住民は、10人中8人はチーフを自称するが、この男は本物だ。そして、場違いに甲高く陽気な女の声。
「彼らが、この国で最初にした事はなんだと思います? 学校、教材の廃棄です。学校は子供の自由と人権を奪い、社会に都合良く洗脳する悪魔の機関だと言うんです。信じられますか?」
「でも、強制は良くないですよね? 子供の意志や価値観も尊重すべきでしょう」
「ユニークな思想をお持ちだ。だが、我々は先祖から受け継いだ物を、子孫にも与えて行きたい」
「でも、勝ち目の無い戦いをするのは、無駄死じゃないんですか?」
「奪う為にやるなら、勝てない戦いは避ければいい。守る為なら、そうはいかない」
「でも、先に攻撃したのは皆さんですよね?」
「貴方が言う、勝てる側が望むなら、勝ち目の無い我々には戦いを回避する術が無い。少しでも良いタイミングを選ぶしかない」
「でも……」
 隣の男が、顔を顰めて、頭の側で指を回した時、チーフと取材班が姿を現した。インタビュアーは真っ直ぐ、シンに歩み寄る。
「せんぱ……シン=アスカさんですね」
 インタビュアーは何かを言いかけた。
「オーブ出身で傭兵。平和な国に生まれながら、何故、勝ち目の無い無駄な戦いをするのですか?」
「勝つ為にしか戦わないのか? まるで歌姫の騎士団だ」

 ニュートロンジャマーは地熱よりエネルギーを得て、半永久的に活動する。だからと言って、部品が磨耗しない訳では無い。
 地上に打ち込まれた200基は、一つ一つ作動不良を起こして行く。少しずつ電波の通りもよくなり、地球人が希望的観測を抱いた時、平和の歌姫は核兵器の脅威から人類を守る為、更に100基を投下した。
 スコールが礫の勢いで屋根に弾けている。小さなランプの光が、狭い部屋の真ん中でぼんやりと揺れている。ラジオが雑音混じりに、ニュースを流す。極限られた周波数帯は、一部の国家勢力が独占している。
 東アのドキュメンタリー番組。早口のコメンテーターが、無駄な戦いを続け、無意味な死を撒き散らすゲリラを罵倒している。
 オーブ出身の俳優が、同国出身者がその行為に荷担している事を恥じ入り、大袈裟に謝罪している。
 街頭インタビュー――――もし、外国に攻められたら? 若者達は揃って、戦うくらいなら降伏する。逃げる、と答える。司会者が平和的な若者を讃えている。
「どう思う? こう言うの、てさ」
 小銃弾を耐水紙で磨きながら、シンは言った。
「あんた、夜になると饒舌になるな」
「そうか? そんな事は無いだろう」
「普段は、そんな風に話しやしない」
「根が感傷的なんだ。夜は静かでいけない」
「俺は雨音が五月蠅くてならないね」
「雨の日は、感傷に浸りたくもなる」
「気取ってら」
「俺は気取ってるんだ」
「よしなよ。似合わない。どうせ、チーフに言われたんだろ」
「……――――」
「最近、敵さんの動きがおかしい。チーフはスパイを疑ってる。それで、あんたに探らせてるんだ」
 シンは答えずに、弾丸を挿弾子に込める。
「俺も疑ってるのかい?」
「誰もを疑えと言われてる」
「誰も彼も疑わなくちゃいけない。あんた、そんな国から逃げて来たんじゃなかったのか?」
「別に。逃げて来た訳じゃない」
「じゃ、なんで故郷を捨てた?」
 不意に扉が開いた。雨飛沫と共に、一人の男が転がり込んだ。

 その日、村が一つ消えた。独立派の細胞組織が拠点とする、小さな村だ。
 コーディネーターは遊びに飽きたのかも知れない。或いは趣味を変えたのかも知れない。彼らはオーブ人と言う駒に、銃器に代わって、MSと言うカードを張り付けた。
 シンは一人、密林を進む。手には自動小銃。そして、三本の対戦車擲弾筒を吊している。 この簡素なロケット弾は、MSに対しても有効だ。但し、派手な噴煙で射手の位置を暴露する欠点が有る。その為、この有用な武器は、誰も持ちたがらない。
 独立派は勝ち目の無い戦いをしているだけ、負け方も心得ていた。秘密の待避路を使って女子供を逃がす。戦える者は矢面に立つ。
 MSの野太い脚が、密林を蹂躙する。脚だけが見える。一歩毎、臓腑を衝撃が貫く。視界がぶれる。シンは擲弾筒を引き伸ばし、照準器を起こす。
「あんた、クビじゃなかったのか?」
 準備を整えるシンの姿に、素っ頓狂な声が上がった。監視塔で、小屋で話した男だ。
「ここは、俺達の帰る場所だ。だが、お前はそうじゃない」
 チーフがそう言って、雇用を解消しようとしたのは事実だ。シンは蹴った。
「なんで逃げなかった?」
「今までして来た事を、嘘にしたくない」
「気障な野郎だ」
「言ったろ。俺は気取ってるんだ」
「俺も言ったよ。よしなよ、似合わない」
 トリガー。膝に命中。MSは地響きを立て、密林を引き裂きながら擱坐する。
 僚機の頭部が見えた。モノアイが鈍く光る。 CIWSが40㎜の榴弾を撒き散らした。

 榴弾が森を引き裂く。ナパームが何もかもを焼き尽くす。
 三本の擲弾。二発は命中、一発は小枝に引っかかって燃料を使い果たした。MS二機の赫々たる戦果だが、それも焼け石に水だった。
 炎と煙が一面を覆っている。砲撃音。MSの駆動音。燃え落ちる樹々。何も見えない。何も聞こえない。判るのは、ゲリラがほぼ完全に沈黙した、と言う事実だけだ。
 生存者は居ないか。シンは仲間を探す。死体はどれもバラバラだ。全身を火に包まれた男が、声にならない悲鳴と共に走って行く。
 男を見つけた。あの男だ。顔は煤と泥と垢で真っ黒だ。自分も似た様な物だろう。
「お前だ!」
 顔を合わせた刹那だ。男は叫んだ。
「お前が裏切った! お前がスパイだったんだ!」
 銃声が、細く響いた。

「よせよ。似合わない」
 シンは硝煙の立ち上る銃口を、倒れた男に向けた。
「裏切り者はあんただ」
「どうして、解った?」
 苦鳴混じりの声が、粘っこい血と共に漏れる。
「演技が臭過ぎる。裏切られたなら、もっと本気で怒るもんだ」
「動揺を誘えば、と思ったけど、裏目に出たか……」
「悪い。そのやり口には慣れてる」
「あんたが憎かった訳じゃないんだ」
「解ってる」
「あんた、強過ぎるんだ。奴らを本気で怒らせたら、取引がパアになる」
「取引?」
「俺達には勝ち目が無い。それでも、守る物が有るなら、時も場所も、やり方だって選んじゃられない……」
「村人か?」
「戦えない奴らばかりなんだ。死ぬのは、俺達だけでいい」
 男は苦し気に肩を揺らしていた。決して助からない傷だ。楽にしてやる方法は一つ。半端な慈悲は、残酷な結果しか生まない。シンは躊躇わず、その一つを選ぶ。銃声。
踵を返すと、シンは走った。焼け落ちた櫓の下に、奇怪な岩が見える。男の魂は帰れただろうか。だが、今はそんな事を気にしてはいられなかった。あの生粋の土地者は、善良だが、それ故に愚かだった。彼は最悪の取引をした。手を出さないでくれ――――どこに居る、誰に?
 非戦闘員の退避は四時間前だ。そう簡単に追い付ける訳が無い。それでも、走らずにはいられなかった。
 ついに息が切れ、脚が止まり、止むを得ず休憩を取り、焦燥感に脳を焦がされながらも、追いかける。
 追いついたのは、二時間後だ。彼らの脚は、思ったより進んでいなかった。
「また、か――――」
 焼け焦げた樹皮と、蛋白質の臭いに、シンは呆然と呟いた。

 陸路伝いに隣国へと入り、最初にしたのは、石鹸を買う事だった。昨日までは、滅多に使う事が出来なかった贅沢品だ。尤も、この国で買うそれも、以前、入国した時に比べて質は悪く、値段は高かった。
 港には100tにも満たない、凡そ外洋船としては粗末な小舟が並んでいる。
「よ、戦争屋さん」
 不意の声に、シンは振り向いた。
「よう、バイヤー」
 入国時に同船した、薬品会社の営業だった。
「どうだね、首尾は?」
「……さっぱりだった」
「そうかい。しけてるな、お互い」
「お互い?」
 シンは唖然とした。
「ここじゃ、まだ例の伝染病が流行ってた筈だ」
「ああ、その通り」
「薬を使えば、症状が抑えられるんだろ」
「いかにも」
「あんたの所の薬、随分、安かったじゃないか。何故、売れない」
「安過ぎたんだ。オーブから横槍が入った」
 振り向くと、倉庫街の向こうに、土色にくすんだ街が見えた。
「連中の薬は幾らする?」
「うちの10倍近いな」
「何人、生きる事を諦めないといけない?」
 答える代わりに、男は溜息をついた。深く。深く。
「……俺ぁ悔しくてよ。ただで帰んの癪だから、あちこち見て回って来た」
「よく、そんな気になれたな」
 皮肉では無く、言った。
「好奇心が強くてね。御陰で、いつ帰っても、土産話にゃ事欠かない」
 何故か、あの男の顔が脳裏に浮かんだ。
「あんたも、もう帰るのかい?」
「いや。どこにも帰りゃしない」
「じゃ、次はどこ行く?」
「オーブへ行く」
「そうかい。あそこはいい所だよ。オーブ人さえ居なけりゃ」
 シンは答えずに、小さなランチに飛び乗った。
 沖合で汽笛が鳴る。
 オーブ行きの船だ。

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