SEED DESTINY × ΖGUNDAM ~コズミック・イラの三人~ ◆1do3.D6Y/Bsc氏_第28話

Last-modified: 2013-10-30 (水) 03:04:30

 オーブを脱した後、ジブリールは月面のダイダロス基地へと逃げ延びていた。
 ダイダロス基地には、地面をくり抜いて造った巨大な砲門がある。“レクイエム”と呼
称されるそれが、複数の中継ステーションを介して直接プラントを撃ったのである。
 しかし、首都のアプリリウス・ワンを狙った初撃は外れた。代わりに複数のコロニー
が沈んだものの、ジブリールは一撃で勝負を決することができなかった。それは、誤
算である。レクイエムの発射直前、その動きを察知したジュール隊が仕掛けた中継ス
テーション付近での戦闘が、僅かにその照準を狂わせたのだ。
 その誤算で九死に一生を得たデュランダルは、直ちに反撃を開始。ダイダロス基地
上空、月の衛星軌道上に安置されている第一中継ステーション“フォーレ”を、月軌道
艦隊の総力で以って潰しに掛かったのである。
 だが、当然、ジブリールがその動きを看過するはずが無かった。ジブリールは直ち
にダイダロス基地駐留軍の第三機動艦隊を出撃させ、ザフトの月軌道艦隊にぶつけ
たのである。そして、自身はダイダロス基地の司令室にてレクイエムの第二射の準備
を急がせた。
 フォーレではザフト月軌道艦隊と第三機動艦隊が激突し、大規模な戦闘が繰り広げ
られた。
 レクイエムでプラントを直接狙い撃つためのエネルギーチャージには、相当の時間
を要する。しかし、その時間を知るのはジブリール側だけであり、デュランダルには依
然、どの程度の猶予が残されているのかは不明のままである。
 それに、問題はまだあった。仮にフォーレを陥落せしめたとしても、レクイエムが発射
されれば、プラントは助かっても月軌道艦隊は甚大な損害を被りかねない。それでは
ザフトの戦力が大幅にダウンし、宇宙でのパワーバランスが崩れてしまう。
 そこでデュランダルは次善の策として、ミネルバにダイダロス基地への直接攻撃を指
示した。第三機動艦隊という主力が出払っている隙を突き、レクイエムの発射そのもの
を阻止する作戦を企図したのである。
 
 かくて高速艦ミネルバはデュランダルからの指令を受け取ると、直ちに月へと向かっ
た。
 しかし、ミネルバが月面に降下してダイダロス基地に辿り着いた時、既にそこでは戦
闘が始まっていた。先客がいたのだ。
 ダイダロス基地の防衛部隊と交戦しているのはザフトではない。デュランダルはミネ
ルバに単独でのダイダロス基地攻略を命じたのだから。
 ミネルバに先んじてダイダロス基地に乗り込んだ先客は、アークエンジェルだった。
 「アークエンジェルより、カガリ・ユラ・アスハの名義で当艦にメーデーが出ています」
 メイリンが戸惑いを含んだ声で報告をした。
 ミネルバの艦橋内が、一斉に騒然となった。「恥知らずな!」――アーサーの悪態
である。
 「どうされるのです、艦長!?」
 アーサーが思わず副長席を立ち上がり、タリアに振り向いた。だが、タリアはすぐに
は答えようとはず、暫し神妙な面持ちのまま黙考した。
 妙な緊張感が艦橋内に漂っていた。一同が息を殺して見守る中、やがてタリアは徐
に口を開いた。
 「モビルスーツ隊は出撃後、ミネルバの射線軸より退避」
 「艦長!」
 タリアの泰然自若とした口調が、余計にアーサーの焦燥感を駆り立てる。
 しかし、タリアは些かの迷いも無い声で命令を下した。
 「タンホイザー起動。照準、ダイダロス基地西側外縁部」
 「本気でオーブのメーデーを受けるおつもりなのですか!?」
 アーサーは、思わず絶叫していた。しかし、大袈裟なリアクションはアーサーのみで
はあったが、他のクルーも内心では近い感情を持っていた。
 オーブは信用できない。デュランダルの放送を電波ジャックしたのは、つい先日の出
来事である。その時、本物のラクス・クラインと共にデュランダルの顔に泥を塗った行
為が、プラントそのものを侮辱する行為として映った。
 その上、内情はどうあれ、オーブにはジブリールの逃亡を幇助した事実がある。そし
て、そのジブリールは逃亡の果てに反射衛星砲でプラント本国を撃ち、六基ものコロ
ニーと二百万人弱という途方も無い数の一般市民の命を一瞬にして奪ったのである。
その事実の前では、ラクス・クラインの替え玉を利用していたデュランダルの嘘など、
取るに足らない些事であった。
 ジブリールの非道に対して義憤に燃えるアーサーたちは、同様にその切欠を作った
オーブに対しても強い不信感と憤りを持っていた。ザフトとして、何よりプラント国民と
して許せなかったのである。
 タリアもそのアーサーたちの心情は理解していた。しかし、それでもタリアは淡々と
指揮を執り続けた。
 「チェン」
 火器管制のチェン・ジェン・イーに目線をくれる。チェンもアーサー同様、タリアの判
断には承服しかねている様子だったが、その射抜くような視線を感じると慌てて声を上
げた。
 「タ、タンホイザー……発射OKです!」
 タリアは頷くと、今度はアーサーに目をやった。
 アーサーは先ほどから同じ佇まいでジッとタリアを凝視していた。オーブのメーデー
を簡単に了承したタリアが信じられなかったのである。
 しかし、タリアと目が合うと、その瞳の色にハッとなり、慌てて着席した。
 タリアの瞳には冷たい光が宿っていた。それで、アーサーは我に返ったのだ。
 「前線のアークエンジェルを支援する。――タンホイザー、ってぇ!」
 「了解、タンホイザー、ってぇ!」
 アーサーはタリアの号令を復唱した。その命令を受けて、火器管制のチェンがタンホ
イザーのトリガーを引く。
 ミネルバの艦首から浮かび上がった大砲から、膨大なエネルギー量を含んだ光線
が伸びる。それは一直線にダイダロス基地へと伸び、アークエンジェル隊が交戦して
いる付近の外縁部を焼いた。
 「……アークエンジェルより入電!」
 直後、メイリンが報告する。タリアは無言で頷き、承服の意を示した。
 「了解。正面スクリーンに出します」
 メイリンが言うと、タリアの正面の大スクリーンにアークエンジェルのブリッジとの通
信回線が開かれた。
 艦長席に座っているのは、タリアと同じく女性だった。
 「アークエンジェル艦長、マリュー・ラミアスです。貴艦の支援に感謝いたします」
 タリアは一寸、気を許しかけた自分を律した。同じ女性艦長であっても、ラミアスはオ
ーブの士官なのだ。
 スクリーンの中のラミアスが、続ける。
 「私たちは現在、反射衛星砲の発射阻止のための作戦を展開しています。貴艦の目
的も私たちと同じとお見受けします。それならば、ここは一致協力して――」
 「その前に、言っておくことがあります」
 冷め切った声が、ラミアスの言葉を遮る。スクリーンを睨むタリアの表情には、笑み
も何もない。ただ、冷酷な眼差しがあるのみ。
 「ダイダロスを攻略することが貴官らなりの罪滅ぼしだとしても、それでプラントの信
用を取り戻せるとは思わないでいただきたい。ジブリールが諸悪の根源だとしても、彼
に反射衛星砲を撃たせるチャンスを与えたオーブの罪は重い。あの惨事によって、二
百万人近くもの何の罪も無い命が奪われたのです。そのことを、ゆめゆめ忘れぬよう
に。我々は、反射衛星砲の第二射を阻止するという任務遂行のために、最良と思われ
る手段を選んだに過ぎないのです」
 そして、一方的に釘を刺すと、タリアは手で通信を切るように合図を出した。
 画面が消える寸前、眉尻を下げるラミアスの表情が垣間見えた。
 (あの女の底が知れる……)
 ラミアスの紅のルージュが、男の影をにおわせた。それは凛然と軍人に徹してきたつ
もりのタリアにとって、軽蔑に値した。
 自分は男のために女をやっているのではないのだ――タリアは誰にも気付かれぬよ
う、小さくため息を漏らした。
 
 ミネルバからタンホイザーの光が伸びた。シンの紅い瞳は、その行方をジッと見つめ
ていた。
 「ミネルバがアークエンジェルの戦闘を支援した? グラディス艦長はオーブのメー
デーを本当に了承したっていうの!?」
 通信機から、ブラスト装備で出撃したルナマリアの愕然とした声が聞こえてくる。
 ミネルバからは、タンホイザーの発射に伴い、アークエンジェル隊との連携が指示さ
れていた。ルナマリアは、まだそれを承服しかねているのだ。
 インパルスがデスティニーに接近してくる。
 「どうするの、シン!」
 問うルナマリアに対して、シンは暫時、黙した。まだ葛藤はある。シンに同意を求めよ
うとするルナマリアの気持ちは、良く分かるつもりなのだ。しかし――飛び散った肉片
と死臭が漂うオノゴロ島の光景が、シンの脳裏にフラッシュバックした。
 「……それが、艦長の判断だ」
 シンは、静かな声で言った。
 「本気で言ってるの!?」
 ルナマリアが愕然とした声で念を押してくる。
 (本気で言ってるんだっ!)
 心の叫びは声にはならなかった。それが嘘であることを、頭では理解しているからだ。
 シンは歯を食いしばりながらも、ルナマリアの言葉を振り切るようにデスティニーを加
速させた。
 金色のモビルスーツは良く目立つ。お陰で敵の集中砲火に晒されていたが、周りの
サポートのお陰で何とか戦線に留まることを許されていた。その動きを見る限り、アカ
ツキのパイロットがオーブの時と同じであることが窺えた。つまり、カガリが動かしてい
るのである。
 アカツキをサポートするのはΖガンダムと、ストライクルージュにカオスにアビスとい
う珍妙な組み合わせである。だが、かつてミネルバの前に幾度となく立ちはだかり、苦
戦を強いてきた元ファントムペインの面々だけあり、連携は流石であった。
 しかし、主力が出払っているとは言え、ダイダロス基地の防衛戦力を相手にアークエ
ンジェル単艦の兵力だけでは心許ない。しかも、ザムザザーやユークリッドといった陽
電子リフレクター搭載型のモビルアーマーに加え、三体のデストロイも立ちはだかって
いるのである。圧倒的な火力と陽電子リフレクターによる堅牢な防御力を前に、アーク
エンジェル戦隊は明らかに攻めあぐねていた。
 シンはデスティニーをその最前線へと向かわせた。心を凪状態の海のように鎮め、
必要以上にカガリを意識しないように意識した。
 (今だけは、アスハへの拘りを捨てるんだ……!)
 ビーム攻撃に対しては絶対無敵の強さを発揮するアカツキの特殊装甲“ヤタノカガ
ミ”。しかし、実体弾の攻撃には弱いらしく、シールドを駆使したり周りに助けられたりし
て辛うじて凌いでいる様子が目に余った。
 「完全にお荷物じゃないか! アークエンジェルめ、アスハなんかにヤケを起こさせ
て! 元首の躾くらいちゃんとしとけよ!」
 カガリが前線にいるせいで、他の元ファントムペインのメンバーが力を発揮できてい
ない。シンは苛立ちを露わにしながらも、デスティニーを砲火の中へと飛び込ませた。
 
 カガリにも、流石に足を引っ張ってしまっているという自覚があった。念のために持参
したアカツキで勢い勇んで前線に出たはいいが、初めて対峙するデストロイの苛烈な
攻撃の前に、既に何度も危ない場面を味方に助けられていた。
 ビーム攻撃に対しては、まだ何とかなる。一撃で一都市を破壊できるアウフプラール
ドライツェーンでさえも、その気になれば防げるだろう。しかし、ヤタノカガミは実体弾に
対する耐性が低い。そして、デストロイはビーム兵器だけではなく、大量のミサイルを
も積載されている。その大量のミサイルを三体のデストロイに一斉に発射されると、カ
ガリの腕では凌ぎ切れないのである。
 そのお陰で、カミーユやネオには余計な負担を強いることになっていた。ミサイル攻
撃がある度に、彼らはカガリを気にしてアカツキの防御に入るのである。それが、確実
にダイダロス基地攻略の足枷になっていた。
 しかも、そのカミーユやネオの行動がヒントになって、アカツキが弱点であることを敵
方に教える結果となってしまっていた。そればかりか、実体弾への対応に神経質にな
っていることから、アカツキには実体弾が有効であることまで見抜かれつつあった。
 「後退するしかないのか……!?」
 反射衛星砲の二射目がいつ行われるか分からない以上、攻略に時間を掛け過ぎる
わけにはいかない。それ故、戦力は多い方が有利だと思っていたが、自分が足手纏
いと分かってしまったら、そうもいかなくなった。
 「カミーユ!」
 カガリはカミーユを呼び、アークエンジェルまで後退する旨を伝えようとした。Ζガン
ダムの頭部がこちらを見て、一つ双眸を瞬かせる。
 だが、その時だった。Ζガンダムがカガリの呼び掛けに応じてアカツキの後退支援
に入ろうとした時、俄かに敵陣で異変が起こった。
 「何だ!?」
 敵陣内で戦闘の光が見えた。カガリは咄嗟にカメラにズームを掛け、詳細を探った。
 「あれは……モビルスーツ……!?」
 それは、まるで一陣の風のように現れた。仄かに発光し、微かに残像を見せつつ、そ
れは目も眩むようなスピードで一体のデストロイの足をさらうように駆け抜けた。疾風
迅雷――両膝を切断されたデストロイはゆっくりと倒れ始めたかと思うと、次の瞬間、
レーザー対艦刀にその背中を貫かれていた。
 胸部から突き出たレーザー対艦刀が、ゆっくりと引き抜かれる。デストロイは双眸の
輝きを失い、物言わぬ残骸となって月面に転がった。
 カガリはその影から現れた、紅く輝く翼を大きく広げる一体のモビルスーツを見た。
 「お前……!」
 デストロイの一機が瞬く間に沈んだことで、ダイダロス防衛隊の間に衝撃が走った。
 ――デスティニー出現。
 愕然とするカガリの前で、デスティニーは無言のまま双眸を瞬かせると、不意に翻っ
た。そして、残り二体のデストロイが放ったミサイルの群れに向けて、薙ぎ払うように高
エネルギー長射程ビーム砲を撃ち、一撃のもとに全てを粉砕して見せたのである。
 その、目の覚めるようなパフォーマンスは、一挙に敵の注目を集めた。デスティニー
に浴びせかけられる、大型ハリケーン並みの砲撃の嵐。しかし、デスティニーは驚異
的な機動力と運動性能、そして両手甲のビームシールドを駆使して、掠り傷さえ負わ
せい。
 そうこうしている内に、今度は複数のドラグーンが紛れ込んできて、デスティニーを
支援した。レジェンドが続いたのだ。それだけではない。気付けば他のモビルスーツも
続々と介入し、戦線を押し上げていた。ミネルバ隊が、援護に入ってくれたのだ。
 劣勢だった戦況が、嘘のように好転した。ミネルバの戦力は少数精鋭ながらも強力
で、アークエンジェルと連携することで完全にダイダロス基地防衛部隊を凌駕していた。
 カガリはその光景を前に、呆然と立ち尽くしていた。まともな援護を期待していなかっ
ただけに、想定外に手厚いミネルバの援護に面食らっていたのだ。しかも、その先陣
を切ったのは、あのシン・アスカのデスティニーだったのである。カガリには、そのこと
が暫くは信じられそうになかった。
 「……っ!」
 その時、カガリはふとデスティニーがこちらを見ていることに気付いた。そして、その
目と視線が合ったような気がした。
 背中の大型スラスターのせいだろうか。普通のモビルスーツのサイズなのに、デス
ティニーは妙に大きく見えた。オーラすら立ち昇っているように見える。光の翼の神々
しさがそう見せるのか、カガリはデスティニーに神秘的な印象すら抱いていた。
 「シン・アスカ……」
 カガリは、あえて抑揚を抑えた声で呼び掛けた。
 「お前、私を助けてくれたのか?」
 そう訊ねた途端、デスティニーはそっぽを向いた。その仕草に、思わず頬が緩む。実
に“らしい”仕草だと思えたからだ。
 (私との馴れ合いは、嫌うものだよな……)
 デスティニーの背中が語っている。音声回線は繋がっていても、映像回線までは繋
がない。それが、今のカガリとシンの距離だ。
 「……俺はアンタを認めない」
 オーブの時とは違う、抑制された声だった。
 「でも、今アンタたちと協力しなきゃ、もっと多くの人の命が失われることになる。俺は、
プラントを二年前のオーブと同じにはさせたくない。だから、今は……今だけはアンタへ
の蟠りを捨てて戦う。俺はただ、ザフトとしてプラントの人々を守るだけだ」
 シンは静かに言い終えると、再び戦いの中に身を投じていった。
 「……それで、十分さ」
 カガリは呟くように言って、口角を上げた。
 人と人との関係は、変わっていくものだと信じたいとカガリは思った。そして、そういう
気持ちが、目に見える世界を少しずつ違うものに見せていくのだろう。オーブでは恐ろ
しいモビルスーツに見えていたデスティニーも、今は少しだけ優しく見えるようになった
気がした。
 
 反転攻勢に出たミネルバとアークエンジェルの連合軍は、瞬く間にダイダロス基地を
制圧していった。いかに強力無比なデストロイといえど、既に接近戦が弱点であること
が露呈していては、エース艦二隻の戦力を相手に太刀打ちできるはずも無かったの
である。
 そして、実に戦闘開始から一時間と三十分――ミネルバが戦列に加わってから三十
分も経たない内に、ダイダロス基地は遂に切り札を失った。防衛線を突破し、基地内
部に侵入したデスティニーとカオスが、レクイエムのコントロールルームとレクイエム
そのものの破壊に成功したのである。
 しかし、それ以前にフォーレの姿勢位置がザフト月軌道艦隊によって変えられたとい
う情報を入手していたジブリールは、早々にダイダロス基地からの脱出を図り、同じ月
面基地のアルザッヘルへと向かうためにガーティ・ルーへと乗艦していた。
 「無様な……!」
 艦橋のゲストシートに腰掛けるジブリールは、呆気なく制圧されてしまったダイダロ
ス基地の様子をモニターで眺めながら歯軋りをした。
 ガーティ・ルーはミラージュコロイドステルスによって光学迷彩を施し、密かにダイダ
ロス基地を離れようとしていた。
 「艦長、もっと速度を出せんのか?」
 「これ以上あげたら、気付かれます」
 ジブリールが気を揉んで促すが、艦長はそれを是としなかった。それというのも、ガ
ーティ・ルーはミラージュコロイドステルスの欠点を補うために、展開中は冷温ガスに
よる推進システムを使用しているのだが、これも使い方を誤れば、当然ガスの残滓に
よる航跡が残って敵に気付かれ易くなる。それを極力避けるための慎重な航行が求め
られるが故に、迂闊に速度を上げられないのである。
 ガーティ・ルーは、艦長の慎重な判断が実り、ジブリールは今回も首尾よく逃げ果せ
るかに思われた。しかし、ジブリールにとって誤算だったのは、光学迷彩でさえ問題に
しない目を持つ人間が、この戦域に存在していたということであった。
 ハマーンの目が、逃亡するジブリールを見逃さなかったのだ。
 既に掃討戦に入っていたルナマリアが自身に違和感を覚えたのは、その時だった。
 「何……? 震えてるの……?」
 頭の中に奇妙な感覚が流れ込んできて、不快感を覚えたルナマリアは思わずメット
を脱ぎ捨てていた。
 耳たぶに違和感を覚えて、ピアスに触れてみる。だが、グローブの厚い生地の上か
らでは良く分からない。ならば、とグローブを外し、今度は素手で触れてみる。すると、
指先に微かな振動を感じた。
 「何なの、これ? 気味が悪い……えっ!?」
 意識の中に、別の人間の思惟が流れ込んでくる。誰かが何かを促す声のようなもの
が、断片的に伝わってくる。そして、その断片的な声のようなものがルナマリアの脳に
理解を強要し、そうさせるように強く働きかけてくる。
 「な、何この感覚……!? き、気持ち悪い……! サイコレシーバーって、こういう
ものなの……!?」
 未知の感覚がルナマリアの自律神経を犯し、激しい嘔吐感をもたらしてくる。
 この苦しみから逃れるには、流れ込んでくる思惟に従う他にない――ルナマリアの頭
はそれだけを理解し、確信していた。
 「こ、この方向に向かって撃てばいいんですよね!?」
 身体が変調を来していても、不思議と正確なターゲットの位置は掴めた。
 (こんなの、普通じゃない……! あたしの頭の中で、何が起こってるの……!?)
 身体の不調とは裏腹に、感覚は恐ろしいほどに研ぎ澄まされていく。ルナマリアは、
この奇妙な状態に戦慄を覚えた。一刻も早くこの感覚から抜け出さなければ、自分が
壊されてしまう――直感的に、そんな危機感を抱いていた。
 「い、いいんですよね、この方向で!? う、撃ちますよ!?」
 ルナマリアは何度か念を押すと、促された方角に向けてケルベロスを発射した。
 二条の高エネルギービームが伸び、月の黒い空を穿つ。
 
 ブラストインパルスが、突如何も無い空間に向かって砲門を向けたことに、近くで掃
討戦を行っていたレイが気付いた。その突飛な行動に、何事かとルナマリアの精神状
態を危ぶんだが、ケルベロスが発射された次の瞬間、レイは思わず目を見張っていた。
 ケルベロスの光が撃ったのは、光学迷彩で姿を隠していたガーティ・ルーだったので
ある。
 「ミラージュコロイドだと?」
 後部推進ノズルに直撃し、被弾した箇所からミラージュコロイドステルスが解除され
て、ガーティ・ルーがその姿を現した。
 「ルナ、何故わかったんだ……?」
 レイはインパルスを見やり、ルナマリアが何故誰も気付けなかったガーティ・ルーの
存在に気付けたのかを一寸だけ思案した。
 「いや、そんなことより今は――!」
 悠長に考察している場合ではないとすぐに思い直し、目線をガーティ・ルーに戻す。
ガーティ・ルーはケルベロスによって推進ノズルをやられており、著しく航行速度を落
としていた。千載一遇のチャンスが、そこに転がっているのだ。
 「あの逃げ足の速さは、ジブリール以外には考えられない!」
 レイは、ダイダロス基地を離脱しようとしていたガーティ・ルーを見て、それを確信して
いた。ロード・ジブリールという男は、自軍が劣勢になる度にはしっこく逃亡を繰り返し
てきたネズミのような男なのだ。
 レイは、ここぞとばかりにドラグーンを一斉放出した。八基のビーム砲と二基のビー
ムスパイクが、獲物を見つけたピラニアのように群れてガーティ・ルーに襲い掛かる。
 「もう逃しはしないぞ!」
 ガーティ・ルーを取り囲んだドラグーンが、全方位からビームを浴びせる。それが終
わると、更に駄目を押すようにビームスパイクが艦体を食い破った。
 しかし、ガーティ・ルーは大破寸前に陥りながらも、まだ辛うじて生きていた。
 「損ねたか! ――しぶとい!」
 レイはドラグーンを呼び戻し、ビームライフルを構えた。
 だが、その時ふと頭の中に閃きが走った。それは、覚えのある感覚だった。
 「ん……!」
 レイはその感覚の示す方向に、誘われるように目を向けた。
 「あれか……?」
 目に入ってきたのは、一体のモビルスーツだった。紅色を基本色としているが、それ
はかつての名機、GATX-105ストライク――その余剰パーツで組まれた、ストライクル
ージュだった。
 そのストライクルージュは、レジェンドを追い越して墜落寸前のガーティ・ルーに向か
って速度を上げていった。レイは、その背中に向かって「どういうつもりだ!」と咄嗟に
叫んでいた。
 「貴様と俺には、同じ遺伝子が組み込まれている! だから、俺には貴様がどういう
人間かが分かる! 貴様は、元ファントムペインの指揮官だろう!」
 「ご明察!」
 そんな応答と同時に、正面スクリーン上部のサブスクリーンにストライクルージュの
パイロットの顔が表示された。
 パイロットの男はヘルメットを脱いでいて、素顔を晒していた。レイに顔をよく見せるた
めの配慮のつもりなのである。
 顔には生々しい傷跡が残されていた。ブロンドの髪とブルーの瞳はレイと同じもので
はあるが、その顔つきは想像していた以上に柔らかく感じる。
 「お前のことは、分かってるつもりだよ」
 ふと、通信画面の中の男――ネオ・ロアノークが、レイの思考を見透かしたかのよう
に言った。レイは目を見張ってネオを凝視した。
 「けど、お前はアイツじゃない。俺も、お前が想像しているような人間じゃない」
 その言葉の意味を、レイは理解した。確かに、ネオはレイが推考していたような存在
ではない。そのことは、ヘブンズベースの戦いが終わった時点で気付いていた。だか
ら、レイはもうネオに変に拘泥するつもりは無かった。
 今レイが懸念しているのは、そういうことではないのだ。
 「だが、貴様は元々はジブリールの部下だった男だ!」
 レイは、ネオがジブリールを逃がそうとしているのではないかと疑っているのだ。
 しかし、ネオにしてみればレイのその懸念は全くの的外れで、寧ろ失礼ですらある。
ネオの腸には、レイの懸念とは真逆の怨讐が逆巻いているのだから。
 「だから、俺が奴を助けるんじゃないかって? ――はははっ! 冗談!」
 ネオは豪快にレイの懸念を笑い飛ばした。そうでもしないと、ジブリールへの強過ぎ
る怒りで激情を抑え切れそうになかったからだ。
 「俺は、奴に煮え湯を飲まされ続けてきたんだぜ? 誰が奴を許すかよ!」
 「元ファントムペインの指揮官の言葉が、信じられるものか!」
 「そうかい? けどな――」
 ムウ・ラ・フラガの記憶を取り戻したネオには、レイがどのような人間なのかがよく分
かっていた。ネオは、レイのことをとっくに知っていたのだ。正確には、レイと全く同じ人
間と面識があったということなのだが、ネオは、レイと記憶の中の人物が全くの同一人
物でありながら、そうではなくなってきていることを把握しつつあった。
 ネオ=ムウの父、アル・ダ・フラガによって不完全な形で生を受けたラウ・ル・クルー
ゼは、その理不尽な境遇に憎しみだけを募らせ、それを糧に生きて遂には世界を滅ぼ
そうとするほどに己の邪悪なエゴを肥大化させた。だが、レイ・ザ・バレルは違う。クル
ーゼと同一人物と言っても過言ではないこの少年には、そのような邪悪さは無い。そ
れはきっと、誰かの愛情を受けて育ってきたからだろうとネオは感じていた。
 「安心しろ。悪いようにはしないつもりだ。お前みたいな坊主が、あんな奴のために手
を汚す必要は無い。こういう仕事は、大人に任せておけばいいんだ」
 ネオはそう言いながら、ガーティ・ルーの艦橋正面に回り込んだ。通信回線からは、
「待て、貴様!」とネオを咎めるレイの声が聞こえている。しかし、ネオはそれを無視し
てガーティ・ルーの艦橋に銃口を向けた。
 「それに、奴には貸しがあるんだ。でっかい貸しがな」
 艦橋の中にジブリールの姿を探す。しかし、そこでは怯え竦む士官が右往左往して
いるだけで、ネオが渇望している人物の影は見当たらなかった。
 「だから、そいつを返してもらわないわけには――」
 その時、ふと画面の隅にチラと目に入るものがあった。途端に直感したネオは、咄嗟
にそれを追ってストライクルージュを移動させた。
 「――いかないんでね!」
 自然と口角が上がった。それは、小型の脱出艇。その正面に回り込んで改めて銃口
を突きつけた時、ネオの胸の中を様々な苦い思いが去来した。
 カメラにズームをかけて、コックピットの中の様子を窺う。そこには、自ら操縦桿を握
りながら、恐怖に醜く顔を歪めて慌てふためくジブリールの姿があった。
 ネオはオープン回線を開き、「よお」とジブリールに呼び掛けた。
 「久しぶりだな、ジブリール? まだ元気そうで良かった、安心したよ」
 「こ、この声は……貴様、ネオ・ロアノーク! 生きていたのか!」
 驚愕と恐怖に震える声。ネオは、込み上げてくる笑いを堪えることが出来なかった。
 「くくくっ……覚えていてくれたかい? でも、その怖がりようじゃ、俺の記憶なんて消
しちまっといた方が良かったんじゃないか? ――俺にしたようにさ!」
 「き、貴様……っ!」
 「ま、もう手遅れなんだけどな」
 ストライクルージュが、更に銃口を突き出す。ジブリールは冷や汗が止まらない。
 「貴様には、随分と好き勝手に利用されてきた。だが、それも今日でお終いだ」
 「ま、待てっ!」
 血の気を失い、青ざめる顔。怯えて涙を浮かべ、股間に染みまで作ったジブリール
の痴態を十分に堪能したネオは、徐にトリガースイッチに指を添えた。
 「じゃあな、ジブリール。コイツはこれから地獄へ落ちる貴様への、俺からのはなむ
けだ……とっときな!」
 言うや否や、ネオは小型艇のコックピット目掛けてビームライフルを連射した。熱線
がコックピットを焼き、最後まで逃げようとして操縦席を離れようとしていたジブリール
も、その光に飲まれ、消えていった。
 小型艇は粉々に弾け飛び、ガーティ・ルーも月面に落着してその身を横たえた。そ
の瞬間、事実上ロゴスは壊滅したのである。
 「貴様が行ってきた悪事の付けは、地獄で払うんだな」
 ネオはゆっくりと月の重力に引かれて落ちていく破片を見つめ、そう吐き捨てた。
 
 ガーティ・ルーが沈み、司令部が押さえられると、生き残ったダイダロス基地防衛部
隊やフォーレ宙域の第三機動艦隊は白旗を揚げ、降伏の意を示した。こうしてレクイ
エムによるプラントへの脅威は払拭されたのである。
 ダイダロス基地の制圧が進む中、ハマーンは適当なところで切り上げて帰艦の途に
就いていた。そして、その途中、ふと月面に不時着しているインパルスに気付いた。
 「……どうした?」
 ハマーンは近くに着陸し、徐に呼び掛けた。
 ルナマリアからは、すぐに応答が返ってこなかった。それどころか、画面の中のルナ
マリアは戦いに勝利したというのに喜ぶでもなく、ジッと身体を丸くして震えているだけ
だった。それは、普段の快活なルナマリアからはあまり想像できない姿だった。
 「気持ち悪いんです……それに、何だか頭痛もして……」
 ルナマリアは首をもたげ、青ざめた顔色でようやくといった様子で答えた。
 「頭痛に吐き気だと……?」
 ハマーンは眉を顰めた。ルナマリアの変調の理由に、察するものがあったからだ。
 「サイコレシーバーって、ああいうものなんですか……? あたしの意識の中に、ハ
マーンさんの意識が入り込んでくるような……」
 言いかけてルナマリアは再び蹲り、おえっと咽た。その感覚を思い出すだけで吐き気
を催すほどに、ルナマリアは消耗していたのである。
 モニターテストの段階ではあるが、サイコレシーバーの安全性は保障されていた。受
信機能しかなく、しかも微弱にしかニュータイプの脳波を感知できないサイコレシーバ
ーは、本当に気休め程度の物でしかなかったのだ。
 しかし、ルナマリアの消耗具合は異常だった。それは、ルナマリアが特別にセンシテ
ィブなケースで例外だったからかもしれないが、ハマーンはこれ以上ルナマリアにサ
イコレシーバーを使わせるわけにはいかないと思った。常人が下手にサイコミュシス
テムを使えば、廃人になる危険性だってあるのだから。
 「ルナマリア、今すぐサイコレシーバーを外せ」
 ハマーンが告げると、「えっ?」とルナマリアが目を見張った。
 「だって、ハマーンさんが付けてろって……」
 「お前にそれを渡したのは間違いだった。――まさか、こんな不良品だったとはな」
 ハマーンは自嘲気味に言った。
 実際に不良品であるかどうかは定かではない。しかし、ルナマリアの不調の原因が
自身のせいであると知ってしまったら、それを許せるハマーンではない。
 「いいな、ルナマリア? サイコレシーバーは、すぐに処分するのだ」
 「で、でも! 単にあたしが上手に使えなかっただけかもしれないし……」
 食い下がろうとするルナマリアを、「そういうものではない」と、ハマーンは軽くいなす。
 「サイコミュというものはな、セーフティに欠陥があれば、お前のような普通の人間が
使い続けるのは非常に危険なものなのだ。況してや、不良品であれば尚更だ」
 「そ、そうなんですか? だけど――」
 「言う通りにしろ。手遅れになりたくなかったらな」
 ハマーンの声には、有無を言わせない迫力があった。
 「わ、分かりました……」
 ハマーンに脅され、ルナマリアは渋々といった様子でピアスを外した。ハマーンは画
面でその様子を確認して、「うむ」と頷いた。
 「念のため、帰ったらドクターに診てもらえ。何も無くても、暫くは安静にしておくのだ」
 「はい……」
 「一人で行けるな?」
 「はい」
 促すハマーンに応じて、ルナマリアはゆっくりとではあるがミネルバへの帰途を辿り
始めた。
 ルナマリアは、良くハマーンの言うことを聞く。サイコレシーバーを与えたのも、試験
的な意味合いはあったにせよ、単純にルナマリアへの労いの気持ちもあった。サイコ
レシーバーを身に付けさせておけば、万が一の時に助けてやれるかもしれないと思っ
たのだ。
 しかし、だからこそ、自らの発した脳波がルナマリアを苦しめてしまったという皮肉な
事実が、余計にハマーンのプライドを傷つけた。目測の甘さを実感してしまったのだ。
 “彼女”の屈託の無い素直さが、自身のスタンスを軟化させているのかもしれない―
―そう思うと、ハマーンは自分のことを少しおかしく感じた。久しく指導者としての威厳
ある立場を忘れていることが、感覚を鈍らせているのではないか。
 (まさかな……)
 それは危険なことだ。ハマーンは、予感していたのである。
 「……ラクスめ」
 ダイダロス基地制圧の報告は、既にプラント本国にも伝わっているはずであった。そ
れにもかかわらず、本国からはその後、まるっきり音沙汰が無い。
 単に連絡が遅れているだけかもしれない。しかし、その何てこと無いような異変を、ハ
マーンは重く受け止めていた。脳裏にラクスの面影が過ぎったからだ。
 
 それは、間もなく伝えられる情報によって詳細が明らかになった。
 
 戦闘が終わった時、近くには百式の姿があった。シャアとは、戦闘中にも協力してデ
ストロイを沈めた経緯があった。カミーユにとっては久しぶりのシャアとの共同戦線で
ある。そして、それによって、それまで擦れ違い続けた状況が変わったことを実感した。
 フォーレを守っていた第三機動艦隊は、ジブリールの死亡が伝えられると早々に降
伏した。それを受けて、ザフトの月軌道艦隊の一部がダイダロス基地制圧のために降
下してくるのだという。それ故、お役御免となったダイダロス基地攻略の実行部隊であ
るミネルバやアークエンジェルの機動部隊には、帰投許可が下りていた。
 それぞれが各々の艦に帰還を始める中、カミーユはふとコックピットを出た。そこに
は、やはり同じように外に出ているシャアの姿がある。
 偏光バイザーのスモークで、表情まではハッキリと読み取れない。だが、シャアが
ふわりと跳躍して月面に降り立つと、カミーユもそれに倣って月面へと降りた。
 「ようやく落ち着いて話せるようになったな――カミーユ?」
 互いに歩み寄り、握手を交わした。ここに至るまでに幾度も反目したこともあったが、
シャアは快くカミーユを迎えてくれた。
 「そう思います、クワトロ大尉」
 シャアが懐かしむように微笑むと、カミーユも釣られて歯を見せた。
 「戦っている時は気持ちが昂ぶるものですから。でも、大尉には色々とご迷惑をお掛
けしてしまったと思っています。申し訳ありませんでした」
 そう言って、カミーユはシャアに軽く頭を下げた。洗脳されていた期間も含め、カミー
ユはシャアに対して苦労を掛けてしまったという反省があったのだ。
 そんなカミーユに、シャアは穏やかな声で「気にするな」と言って許した。
 「君が自分で自分の居場所を決めたように、私も成り行きとは言え、プラントに籍を
置く身となった。しかし、立場の違いが我々を争わせもしたが、こうやって再び轡を並
べることもできたのだ。こういう巡り合わせは、大事にしたいものだな」
 シャアの言葉に、カミーユも「そうですね」と頷いた。
 「人って、状況が変われば関係も変わってくるものなんですよね?」
 「そうだな。そして、良い巡り合わせであれば、それを一時的なもので終わらせてしま
うのは勿体ないと思う。ニュータイプでなくとも、人は分かり合える――そう信じてみた
くなった」
 それは、シンがカガリを助けたシーンを目にしたからこそ言えることなのかもしれな
い。オーブではあれほど毛嫌いしていたカガリを、シンは私情を押し殺して助けて見せ
た。そういう場面を見せられれば、シャアとてその可能性を信じたくはなる。
 「それは、大尉とハマーンのこともそうなんですか?」
 「ん……?」
 不意な質問に、シャアは思わず言葉を詰まらせた。薮をつついたら蛇が出てきた―
―そんな気分だ。
 「ずっと気になってました」
 カミーユは、言葉に窮するシャアの都合も構わず続けた。
 「大尉がハマーンといるのは、成り行きだけじゃなくて、あの人が心変わりをして丸く
なったからじゃないかって」
 「ハマーンが心変わり?」
 思いもよらない指摘を受けて、シャアは目を丸くした。
 ハマーンが心変わりをして丸くなったなどと、考えもしなかったことだ。ハマーンは常
に女帝のように振る舞い、少なくともシャアの前ではハマーンはハマーン以外の何者
でもなかった。
 しかし、ニュータイプとは洞察力に優れた人種である。そして、カミーユはその資質を
誰よりも強く身に宿していた。カミーユの言葉は、あながち的外れでもないのかもしれ
ない。
 シャアの心に、濁りのようなものが生まれた。ハマーン・カーンは、カミーユの言うと
おり、果たして変わったのだろうか――そんな疑問が、ふと浮かんできたのである。
 「大尉って、アクシズにいた頃からあの人に冷たかったんじゃないですか?」
 惑うシャアに追い打ちを掛けるかのように、カミーユは言う。
 「それは、ニュータイプの勘か?」
 少し不機嫌っぽく切り返すシャアに、「違いますよ」とカミーユは即座に否定した。
 「そんなの、レコアさんを見ていればファにだって気付けることです」
 「……らしいな」
 シャアは苦笑した。身に覚えが無くは無いからだ。
 「大尉があの人に優しくしてあげていれば、アクシズが介入してくるようなことも無か
ったでしょうに……」
 「それはどうかと思うが、しかしな、カミーユ。彼女が私の前で素直に女をやってくれ
るような女性ではないことは、お前にも分かるだろう?」
 「だからって情けないですよ、大尉。そういうのを、甲斐性無しって言うんじゃないで
すか?」
 男なら、素直じゃない女も素直にして見せろといったニュアンスでカミーユは言う。シ
ャアは咄嗟に「関白宣言でもしろと言うのか」と反論しようとしたが、流石にそれは憚ら
れた。アクシズにいた頃はハマーンとも良好な関係だったが、今はもうそういう間柄で
は無い。亭主面をするのはナンセンスだと思ったのだ。
 「……私にだって、パートナーを選ぶ権利くらいはある」
 シャアは別の言葉を選んで、そう言い返した。
 「ハマーンだけにかかずらっていなければいけないというのでは、窮屈だよ」
 それは、ララァ・スンを忘れられない自分への無意識の言い訳だった。
 シャアは苦笑混じりに言うと、カミーユから目を逸らし、遠くを見つめた。これ以上、
ハマーンのことで問答を繰り返したくはなかったからだ。
 カミーユはそういうシャアの心情に気付いていながらも、やはりハマーンが近くにい
ることを当たり前のようにしているシャアのことを不思議に思っていた。
 (まさか、ハマーンに気持ちが戻りかけているとは思わないけど……)
 しかし、エゥーゴで共に戦っていた頃と、シャアの雰囲気が少し違うように感じられた。
 (変わったのはハマーンだけじゃなくて、クワトロ大尉も……?)
 その理解が、果たして正しいのかどうかは分からない。しかし、シャアの心底に何か
得体の知れない黒いものが潜んでいることは、オーブで交戦した頃から感じていたこ
とだ。カミーユは、それがハマーンと共に行動していることと関係があるのではないか
と勘繰っていたが、今、それは何とはなしに違うのではないかと思えてきた。それはハ
マーンのこと以前に、シャアの本質的な部分での問題のような気がしてきたのだ。
 (大尉は、何か野心的なものを抱えている……?)
 シャアはいつしかミネルバとの交信を始めていた。その慣れた態度に、シャアは本格
的にザフトの一員になっているのだな、とカミーユは思った。
 帰艦を急ぐように促されているのだろうか、と思いつつカミーユは交信を続けるシャア
の様子を傍観していた。だが、少しして、それはどうやらちょっと違うらしいと気付いた。
そう感じたのは、シャアの表情が見る間に険しくなっていくのを目の当たりにしたから
だ。
 カミーユは、その様子に嫌な胸騒ぎを覚えた。
 「何だと……!? それは本当なのか?」
 シャアの目が、チラとカミーユを一瞥した。そのちょっとした仕草が、カミーユの不安
を更に大きく煽った。
 「どうしたんです?」
 シャアは、落ち着いた口調で話してはいたが、神妙な声は事態の深刻さを如実に物
語っていた。
 「――了解。直ぐに帰投する。……カミーユ」
 シャアは通信を終えると、交信中の神妙な面持ちのままカミーユに向き直った。その
佇まいから滲み出る緊迫した空気が、カミーユに覚悟を促していた。
 
 それは、耳を疑うような情報だった。ザフトの保有する宇宙要塞メサイアが、ラクス派
を名乗る一団に武装占拠されたというのである。