SEED-IF_CROSS POINT_第30話

Last-modified: 2010-09-30 (木) 23:46:19
 

「ちょっとごめんね」

 

仲間たちが集まったミネルバの休憩室。
アスランの隣に立っていたアーサーがそう言いながら、胸のポケットから煙草を取り出した。
そして一目見ただけで安物だと分かる、彼の私物らしきライターで火を着ける。

 

吐き出された煙はゆっくりと揺れ、そして空調機に吸い込まれていった。
それを見たアスランはなんとなく空しくなる。
汚れたものを飲み込んで、綺麗なものに変えて吐き出す。ただそれだけの大したことのない機能。
だが、俺はあんな存在になりたかったのだ。

 

「煙草、吸うようになったんですね」
「いつもってわけじゃないけどね。艦長になってからかな。
 クルーの命を預かってるわけだから。任務の前だけ吸いたくなるんだよ」

 

シンの声に応えた後、僕じゃグラディス艦長みたいにはできないからねと続けるアーサー。
無理も無い。自分もいるとはいえ彼はこの作戦の実質的な指揮官だ。
背負うものもそれだけ多く、そして大きくなる。

 

「この心配が杞憂に終わってくれればいいんだけど、流石にそうもいかないだろうしね。
 これから起こる戦いは間違いなく激戦になる。
 もしかしたら僕の判断ミスで命を落とす者も出るかもしれない。
 なら僕の緊張なんかで、その可能性を上げたくないから」
「プレッシャーを感じてるんだ。なんか本当に艦長みたいですね」
「ザラ夫人、艦長みたいじゃなくて本物の艦長だってことを忘れないでくれないかな。
 ………まあいいけど。自分でも未だに実感湧かないし」

 

そう言いながら箱からもう1本取り出した。火に近づけながら深く吸い込む。
頼りなかった副長時代とはうってかわって大人を感じさせるその姿を見て
今の様に煙草を吸う姿が様になるまでどれだけの苦労をしてきたのか、ちょっと知りたくなる。

 

そんな彼の顔の前に、手を伸ばす人間が1人。

 

「ん?」
「艦長、ちょっとそれ貰いますよ」
「あ、ちょ……まあいいか」

 

アーサーの手から煙草を抜き取るヨウラン。それを自分の口に咥え、旨そうに吸う。
そしてそのまま紫煙を深く吐き出した後、隣のディアッカに差し出した。
おそらく皆にまわせと言いたいのだろう。
なにやってんだか。正直映画の見すぎだと思った。

 

「かっこつけすぎなんじゃないの、お前」
「一回くらいやってみたかったんですよ、こういうの」

 

同じくあきれた顔のディアッカに笑いながらヨウランが言葉を返す。
仕方ねえな。苦笑しながらもディアッカは煙草を受け取った。
そして彼も深く吸い込み、輪っかをつくりながら紫煙を吐き出す。

 

「男って好きだよね、こういう格好つけるやつ」
「まあそう言うなよ。ほら、これでお前もお仲間だ」
「私もかよ?」
「その次はシンな。ほら、まわせまわせ……」

 

言葉通り、廻されていく煙草。
コニール。
シン。
ルナマリア。
メイリン。
全員、躊躇うことも無く吸っていく。
そして最後に吸い終わったアスランが、中央の灰皿に向かって放り投げた。
音を立てて消える煙草の火。誰も動くことは無く、そのまま灰皿を眺め続ける。
誰も口を開かない。もう少しだけ、この静寂の中に身を置いていたかった。

 

『トライン艦長、トライン艦長。至急ブリッジにお戻り下さい』
「もうそんな時間か。それじゃ僕は行くから、みんな準備をよろしく」

 

放送が沈黙を破る。そろそろ配置に着かなければならない時間だ。
次にここで集まる時、全員揃っていられるかはこれからの働き次第。
部屋を出ようとしたアーサーがドアの前で振り返り、言った。

 

「こういうの、ガラじゃないんだけど。………みんな、死力を尽くそう」
「いつもそうですよ、俺たちは」
「そうだったね。それじゃ、お先」

 

皆に敬礼してブリッジに向かったアーサー。
アスランは敬礼していた手を降ろして皆を見つめる。戦闘の準備は万端か。
彼らからの返事は無い。ただ視線が合っただけだ。
だが、十分伝わっている。

 

「そろそろ俺達も、行くとしようか」

 

アスランの言葉をきっかけに、部屋を出てエレベーターに乗り込むパイロットたち。
メイリンとコニールもついてきた。自分たちを見送ってからブリッジへ行くらしい。
沈んでいくエレベーターの中は少し狭く、そして静かだった。

 

「ほんとに始まるんだな。キラとの最後の戦いが」

 

不意にディアッカがそう呟く。
先ほどからの沈黙に耐えかねたのか、それとも最後に吐き出したくなったのか。
理由はどちらかわからないが、彼の表情はいつもの落ち着いたそれではない。

 

「いつかは、やがていつかはと。そんな甘い毒に踊らされ、一体どれほどの時を戦い続けてきた。
 前にキラが言ってたよ。クルーゼ隊長にそう言われたって……
 結局あの人の言うことは正しかったのかもしれないな」
「そんな事言っても、止めないわけにはいかないでしょ」
「それはそうだけどさ。このイタチごっこはいつ終わるのかって話で」

 

メイリンの声に吐き捨てるような口調で返すディアッカ。
この10年足らずの間にどれだけの数の悲劇が起こったか。
流石の彼も人の業とやらに嫌気が差しているのだろう。
しかし、その言葉にアスランは言葉を返す。

 

「お前の言うことも一理あるよディアッカ。けど俺たちは一度平和のためにと大義名分を掲げたんだ。
 例えここで終わらなくても辞めるわけにはいかないさ。
 淡々と間断なく地道に……俺たちは戦い続けなくちゃいけない」
「戦い続ける?」
「ああ。でも俺たちの敵はキラとかブルーコスモスとか、銃を持った人間じゃない。
 戦うべきは、いつも最後には武器を取ってしまう弱い心となんだ」

 

それは奇麗事だけでなんとかなる相手ではない。けれど、だからって諦めてやるわけにはいかない。
自分は諦めが良くない男なのだから。

 

「……ふっ」

 

小さな笑いと共に、こいつは変わらないなという呟きが聞こえた。
アスランは思わず声のした方向に視線を向ける。
声の主であるシンは視線を伏せて壁に背を預けたまま、目を閉じたまま困ったように笑っていた。
そして口の中だけで再び何かを呟く。
昔の知り合いが変わってないっていうのは案外悪くないもんだ。
唇の動きからしてそう言ったらしい。
そんなシンを見た隣のルナマリアが、穏やかに微笑みながら彼の肩に頭を預ける。
正直いちゃつくのは他所でやってくれないだろうか。
そう考えた瞬間、アスランの背後にあるドアが音を立てて開いた。全員の視線が外に向く。
皆の目に映るのは、誰もがその力に縋る鋼鉄の巨人。

 

デスティニーにセイバー。その隣に真紅と漆黒のザクが並んでいる。

 
 
 
 

第30話 『鏡の中の瞳が我を憂い』

 
 
 
 

目の前に立つ自分の機体は、既に傷も癒えて準備万端といった様相だった。
お前さえ俺を使いこなせることができるなら、俺たちに叶う者などいない。
そう言っているように聞こえるくらいの迫力を感じたシンは呆れたように笑った。頼もしいこって。
傲慢な存在は嫌いだったが今回の相手はキラである。相棒が強いに越したことは無い。
命を失うよりは遥かにマシだった。

 

「………」

 

ヘルメットを強く握る。ここからはもう引き返せない。
今から踏み出すこの1歩。ここから先は生と死が等価値になる場所、戦場だ。

 

「行こうルナ。それとコニール、メイリンの足引っ張るなよ?」
「もう仕事は覚えたから心配無用だよ。
 それより、お前の方こそやられたりなんかするなよ。抜けてるトコあるんだから」
「あいよ。忠告感謝ってね」
「真面目に言ってるんだ!! ……それから」

 

自分の隣をチラチラ見ながら、コニールは迷いの表情を見せる。
何秒かそのままの状態が続いたが、そのうち決意したかのように小さく頷いた後、大きな声で叫んだ。

 

「ルナに怪我させるのも、ダメだからな!!」

 

そう言うや否や、自分たちの返事すら待たずに駆け出していく少女。
相変わらず素直じゃない。後姿、耳が凄く紅くなってるし。
思わず苦笑しながらルナマリアと目を合わす。彼女も困ったように笑っていた。

 

「やっぱ仲良いんじゃないか。2人とも」
「そう? ま、無事に戻ったら今度からはライバルとして認めてあげようかな」
「なんだそりゃ」
「無神経な男には関係ない話よ。さ、行きましょ」

 

そう言って歩き出すルナマリア。
首を竦めて彼女を追いかけようと歩き出した瞬間、ルナマリアは何かを思い出したかのように
こちらに顔を向けた。
近づいてきた彼女に首元を掴まれる。

 

「シン」
「ん?」

 

気が付けば彼女の顔が至近距離にあった。
目を閉じ僅かに頬を染めたその表情、それが意味するものは一つしかない。
ちなみにその時の自分の思考はラブコメとかでよくある 「え……?」 といったものではなく、
「あ、このタイミングでか」 といったものだったりする。
あとはデンプシーみたいとか久しぶりだとか唾がなんか甘いとか、
まあそんな言葉の断片を羅列したものであるわけだが。

 
 
 

「ふぅ。続きは帰ったら……ね?」
「……」

 

がっつり貪られた後誘惑された。お互いの顔は至近距離のまま。
とりあえず何と言うべきなのだろうかここは。
頭が痺れて言葉が出てこない。

 

「えっと……」
「先に言っておくけど、逃がさないからね。
 もうあんたみたいな馬鹿に遠慮なんかしてやんないって決めたんだから」
「いや、でも」
「なに? 言いたいことがあるなら聞いてあげるから、はっきり言いなさい。言えればだけどね」

 

何かを言おうと頑張ったものの、彼女に機先を制された。
周囲の外堀を埋められ、ただ一つの脱出口である前方には罠が仕掛けられてるようなこの状況。
シン=アスカにはどうすればいいかなんてわからない。

 

「……お手柔らかに」
「うん。こっちこそ」

 

勢いに呑まれて屈服した自分に笑みを浮かべ、もう一度軽く口付けてルナマリアが去っていく。
唇を指でなぞりながらぼんやりと耳が真っ赤な彼女を見送るシン。
なんというか、今の自分の心境を一言で言うならば。

 
 

「勝てねえ……」

 
 

たぶん一生。それが率直な感想だった。

 
 
 

「それじゃ行ってくる。君もしっかりな」
「はい。いってらっしゃい、あなた」

 

目を閉じてキスをせがむメイリンに、自分の顔を寄せるアスラン。
それを見たディアッカの口から思わず、理想的な夫婦だなという言葉が漏れた。
能天気で掴み所の無い奥さんと、その彼女に振り回され頼りがいの無さそうなアスラン。
そんないつもの2人からは想像できないほど、今の彼らは真面目に夫婦をしていた。
だが羨ましそうな他のパイロットや整備士の姿は見えてないんだろうな。あいつら空気読めないし。
隣のアスカ一家も話しかけづらいので、あぶれ仲間のヨウランに声を掛ける。

 

「やれやれ、綺麗に3つに分かれちまったな」
「まったくですね。男女比率があからさまにおかしいですけど。
 でもあれ見てるとなんか、俺も彼女の声が聞きたくなりましたよ」
「分かるぜ、その気持ち。まあ俺はちょっと無理だけどな……とっくの昔に別れてるし」
「向こうにいるんでしたっけ?」
「ああ。今回も敵味方に分かれちまった」

 

ヨウランに彼女がいるのも驚きだが、それよりも考えるのは彼女のことだ。
前回みたいな状況ならともかく、今回は何を考えてキラの所にいるのやら。

 

「ま、戦場に出たからには手加減する余裕なんてないからな。やる事は大して変わりゃしないさ」
「余裕の発言にしか聞こえないんですけど……まあいいや、戦果を期待してますよ」
「おう、任された」

 

考えを打ち切り自分の機体に向かって歩き出すディアッカ。
呆然としていたシンに妬み混じりのドロップキックを叩き込み、その勢いでコックピットへと飛ぶ。
吹っ飛びながら悶絶するシンの姿に満足しながらデッキを見下ろすと、ザラ夫婦はまだキスをしていた。
気分が盛り上がってきたのか口付けに熱が増し、アスランの両腕はメイリンの腰に、
彼女の両腕はアスランの首に強く巻きついている。
何だこのLIMIT OF LOVE 海ザラは。

 

「あのバカにも蹴り入れとけば良かったぞこんちくしょう……」

 

おのれ勝ち組め。今からの戦場はベッドの中ではないということがわかっているのかあいつは。
あのデコ助にはいずれ、月の無い夜もあるということを教えてやらねばなるまい。

 

「痛っ……このグレイト野郎、後で覚えとけよ!!」

 

うるせぇお前もだ。
精々背後からの流れ弾に当たらないよう注意しとけ。

 
 
 
 
 

ディーヴァの司令室に硬質な音が響く。
椅子に座ったキラの前には、デュランダル元議長のチェス盤が置かれていた。

 

「シン=アスカ、か……」

 

そう呟きながらキラは左手に握った黒のポーンをチェス盤の上辺に置いた。
プロモーション。ただのポーンが、最強の駒へと変わる。
置かれた場所は白のキングの目の前。チェックメイト。

 

その盤上の光景は、今の状況にそっくりだった。
違うと言えばただ一つ。チェスの様に白のキングが黒の駒を倒せるかどうか。
前回の戦いを見た限りでは、自分が返り討ちに遭わない保証は無い。
ふと思う。この状況、以前の自分なら喜んでいた筈だが。
なぜ、今の自分はこんな―――いや、自分の気持ちをごまかすのはもうやめよう。
あの少女と共に生きる。そんな願望が自分の心を支配しかけているからだ。

 

鏡に映る己がキラに向かって声を掛ける。
今ならまだ引き返せる筈だ。引き返せ。その方が良い。
あの子と2人だけ、民衆に紛れて生きるなんて自分にとって簡単なことのはず。
アスランもイザークも自分を深追いはしないだろう。だからこの戦いの場から逃げよう。
そんな事を言って来る己の弱い部分を、キラは笑った。

 

冗談じゃない。今さらそんな事はできない。もうその段階じゃない。
ずっと前に、その決断は既に終わらせているのだから。

 

「行かなきゃ。皆が待ってる」

 

はじまりは炎の記憶。目の前に開かれたのは修羅の道。
たとえ彼女との約束を守れなくても。彼女の元へ行けるのなら、と。
苦痛の生よりも安らぎの死を求めて歩き始めていた。それが今までの自分。
自分でも無様だとは思う。
でも仕方無いじゃないか。
『世界を頼む』 と懇願する彼女の声。
あの声が耳について離れなかったのだから。
例えば明るい日ざしの降りそそぐ中。雷鳴轟く豪雨の夜。宿や食堂の陽気な喧噪。
そして戦場で命を賭けているときですら、自分の耳はあの声を聞き続けていた。
消えることなどないと諦めていた。
消えてしまったとき、逆に信じられなかったぐらいだ。

 

醒めない夢でも見てるつもりだった。けれど、いつのまにか醒めてしまっていた。
その事に気が付いたのが、遅すぎただけなのだ。

 
 

目の前のドアが開く。そこにいるのは大切な家族と長い付き合いの友人。
そして数少ない自分の理解者。
ラクス、ミリアリア、バルトフェルドの姿があった。

 

「もういいのか? キラ」
「はい。お待たせしました」

 

バルトフェルドの声に応えたあと、キラはその横に視線を落とす。
ピンクの髪をした少女はミリィと手を繋いでいた。足元には荷物もある。
この艦も安全とは言えないので、艦から降ろすことにしたのだ。
おそらくこれでお別れになるだろう。

 

「君たちの方も、準備はできたのかい?」
「ええ。言われた通り安全な場所の確保は済んでるわ。もしもの為の、オーブへの入国手続きもね。
 この子に関しては心配はいらない。いつでも出発できるわよ」

 

その言葉に安心した。ならば心配事はもうない。

 

「ありがとう。ミリィ、この子の事は頼んだよ」
「ええ。……でも良いの? 私までこの艦降りて。それでなくても人手が少ないのに」
「大丈夫だよ。ミリィがいないのは確かに心細いけどね。でもこの子を託せる人が君しかいないんだ。
 それに、いつまでも君を僕の戦いに巻き込むわけにもいかない。今が良い機会なんだと思う。
 君には君の、歩くべき道があるんだから」
「キラ……」

 

言葉を失くしたミリアリアから目を逸らし、キラは片膝を着いて隣の少女に視線を合わせる。
それと同時に、離れた場所からエレベーターのベルの音がした。
空気読んでくれエレベーター。もっとゆっくり来るべきだぞここは。

 

「じゃあ、先に行っててね。ミリィの言うことをよく聞くんだよ?」
「いっちゃうの?」
「……うん。ゴメンね、僕にはまだやる事があるんだ。―――多分帰りは遅くなると思う」

 

悲しそうな少女の顔に後ろ髪を引かれるが、迷いを振り払い立ち上がる。
そして傍らにいるバルトフェルドに声を掛けた。

 

「行きましょう、バルトフェルドさん。賽は既に投げられています」
「……ああ。お前がそれを望むなら、それでいいだろう」

 

組んでいた腕を解き、バルトフェルドが言葉を返す。
彼は自分に何か言いたそうな顔をしていたが、あえて見ない振りをした。おそらくそれで正解だろう。
今更何かを言われたところで、自分を縛る足枷にしかならないのはわかりきっていた。

 

エレベーターに乗る彼女たちを見送る強さは残っていなかった。
悲しみから目を背けるように、少女たちに背を向けて歩き出す。
言葉も何も発しない。気の利いた別れの言葉なんて知らなかった。

 

言いたくもなかった。

 

「お……」

 

背後で悲しそうな声が聞こえる。実はその事が少しだけ嬉しい。
別れを惜しむくらいには、自分は彼女の大切な人になれたということなのだから。
でもその感傷もここまで。人の心や未練はここに置いて行く―――

 
 

「おとうさんっ!!!!」

 
 

自分の脳が言葉を理解した瞬間、身体に電流が奔ったような感覚に陥る。
だが立ち止まるな。自分の足にそう言い聞かせた。

 
 

おとうさん? 父親? ―――この僕が?

 
 

身体が自分の意思を無視して振り返る。同時にラクスがとびついてきた。
膝を着いてその小さな身体を抱きしめる。否定や拒絶なんて考えようとも思わなかった。

 

「おとうさん……お、とうさん…」

 

僕の、娘。最愛の娘。
ぐずついた声。震える小さな身体。温かい体温。指に掛かるピンク色の柔らかな髪。
彼女の全てがいとおしい。

 

別れたくない。ずっと傍にいたい。
だけど。

 

「いっちゃやだ……」
「大丈夫だよ。必ず君の所に帰ってくる。約束する。だから、それまで良い子にしているんだよ?」
「うん……いいこにしてまってる。だから」
「心配しないで。君の……君のおとうさんは、すっごく強いんだから。
 だからすぐに用事を片付けて、君を迎えに行くよ」

 

迎えに行く。待ってる。
そう約束しながら、一組の親子はずっと抱き合っていた。

 

渇望する想いを押し殺して。無理しながら笑みの表情を作って。
それが叶えられない約束だと、お互い気が付いていても。

 

その事に、気付かない振りをしたまま。

 
 
 

まるでおとぎ話の一幕のような光景だな、とバルトフェルドは思った。

 

少女は涙をこぼしながら青年に抱きつく。
もしかしたら、これからの青年の進む道に気付いているのかもしれなかった。
おとうさんと呼んだ青年の服の裾をしっかりと掴み、離れようとしない。

 

それに気付いた青年は優しく少女の手を取る。するとその細い指がゆっくりと離れていった。
少女は顔を上げる。目が合う2人。
青年は少女の目元に残った涙をそっとぬぐい、満面の笑顔と共に顔に手を添えて
その額に、優しいキスを落とした。
それは苦難の果てにやっと大切なものを手に入れた青年の、幸せな光景だった。
これが物語ならめでたしめでたしで終わっているくらい。
しかし現実は違う。
青年は―――キラ=ヤマトは、これから死地に赴くのだから。

 
 

ミリアリアに連れられたラクスがエレベーターで下に降りるまで、キラはずっと彼女に手を振っていた。
優しく笑いながら、そして泣きそうに笑いながら――小さく。
やがてその姿が沈んでいき視界から消える。あとには2人の男だけが残された。

 

「………なあキラ、今ならまだ―――」
「おとうさん、か。うれしいな」

 

自分の声を聞き流し、キラはいとおしむように少女に触れた手をそっと握りしめる。
そして、その手をゆっくりと心臓に押し付けた。

 

「本当に、うれしいや」

 

目を閉じる。さっき吐いたのと同じセリフを繰り返しつぶやく。 「うれしい」 と。
その胸によぎるのは感謝か、それとも後悔なのか。

 

「ラクス………」

 

その間も握った手は固く閉じられたままだ。
まるでその手に残った微かな何かが、逃げてしまわないかのように。

 

その姿を見て泣きたくなった。
何だこの状況。何故この子がこんな目に遭わなければならないのか。
嬉しいという言葉なんて、そんな顔で言う台詞じゃないってのに。
大の大人が雁首そろえて偉そうなことを言っても、青年1人助けられやしない。
やはり止めるべきだったのか。自分の判断は間違っていたのか。
妻を殺され、心が壊れかけていた青年。
彼女の後を追うよりはとその憎しみの心を否定せずに此処まで来たが。
憎しみに逃避するのを止めるべきではなかったのか。

 

もう、全てが遅いけれども。

 
 

「行きましょう」

 
 

キラの声に視線を戻す。彼は目を開けて歩き出し、自分の隣を通り過ぎたところだった。
背筋を伸ばし、胸を張って歩を進める彼の後姿。
本来なら目を細めて喜ぶ姿の筈なのに、今では不安しか感じない。

 

「勘弁してくれ。なんでこんな、嫌な予感ばっかり」

 

先ほど自分はこれからの戦場を死地と言った。
それは可能性の話とかそういうわけではなく確信に近い。
勘違いされがちだが、キラも自分も勝利という言葉からは程遠い存在だ。
戦いの中で友人や恋人・妻など愛する者たちを失った。守るべきものも守れなかった。
高い地位を手に入れたという見方もあるだろうが、それにしたって平穏な生活を捨てさせられた挙句
別に欲していたわけではない地位とそれに伴う重い責任を背負うことになったのだ。
望んだものを手に入れるのが勝利と言うなら、今までの自分たちの軌跡はとても勝利などとは言えない。

 

望んだものの大半が自分たちの手を零れ落ちていった。
そんな敗北を多く経験した自分の感覚が、この後の終局を感じ取っている。
娘ができて人に戻ったキラ。復活したシン=アスカ。そしてシンの許に集まったかつての仲間たち。
それらの事実が、キラの敗北へのお膳立てとかそういう流れが出来てしまっているように感じてならない。

 

「……ハッ、一体僕は何を弱気になってるんだろうね。まだ始まってもいないってのに。
 大体この程度の逆境、これまでの僕たちは幾度も覆してきたじゃないか。
 キラは心を取り戻した。仲間の数も随分増えた。……勝利はもうすぐだ。あとはこの戦いに勝つだけ」

 

腹を括ったかのようにそう言葉を吐いて、バルトフェルドも歩き出した。
前向きな言葉と力強い歩み。
しかしそれは空元気以外の何物でもない。そんなことはわかっている。
この程度の鼓舞で自分を騙せるなどとは最初から思ってはいない。

 

「迷うなよ、アンドリュー=バルトフェルド。
 迷えばその代償を、敗北をもって買い取ることになる」

 

だが今は、どんな手を使ってでも彼を勝たせなければならなかった。
あのいけすかない男を野放しにしたのは何のためだ。
腐った騎士どもを迎え入れたのは何のためだ。
あとほんの少しじゃないか。ほんの少しで、彼は優しい世界を取り戻せる。だから―――

 

キラの背中を眺めながらバルトフェルドは思う。

 
 

あと少し。ほんの僅かでいい。
世界よ、彼に笑顔を向けてやれ。

 
 
 

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